1.シーズン到来
エメラルドの首飾りの一年前の話です。
社交シーズンになると、夜毎開かれる絢爛豪華な夜会。
宵闇と燭台に灯される橙色がふわりと溶け込んで、まるで悪夢のように現実感がないのに、舌触りだけはざらざらとしているように感じる、不快な夜だ。
数名の令嬢とダンスを踊ったクラウスは、そろそろ喫煙室にでも引っ込もうかと考えていた。傍を通りかかった給仕から冷たいシャンパンのグラスを受け取り、喉を潤す。
バノーラ侯爵子息、シルバ子爵。クラウス・バッファは、王子様に夢見る乙女ならば一度は想像したことがあるような、絵に描いたように整った造形をしている。
少し長めの金の髪、前髪は夜会用に撫でつけてあり額を露わにしている、紅茶色の深い色合いの瞳は光の加減で薄い茶にも、濃い赤にも見え、見つめると吸い込まれてしまいそうな魅力があった。
高い鼻梁に薄い唇。整った顔立ちは溜息をつきたくなる程美しい。騎士のような体躯の分厚さはないが、均整の取れた長身は姿勢がよく堂々としていてまさに貴公子然としている。
切れ長の瞳が少し厳しい印象を抱かせるが、夜会に出れば令嬢達とも拘りなく会話をし、その中で誠実な人柄が窺えることから、今期の一番人気の青年貴族だ。
「シルバ子爵、ごきげよう」
「こんばんは、カーライル伯爵令嬢」
「お一人ですの?」
ダンスに誘って欲しい、という気持ちが透けてみえる令嬢達。
彼女達の行動が浅ましいとは思わない、クラウスも夜会には結婚相手を探しに来ているのだ。
けれど一番人気などと言われ、市場で売り買いされる豚のように値が吊り上げられ、引く手あまたの現状に食傷気味であることは事実だった。
「……友人と約束があるので、失礼」
会釈をしてするりとクラウスが歩き出すと、令嬢は少し残念そうだったが追っては来ない。彼女達も馬鹿ではないので、脈のない相手にいつまでも執着してはいられないのだ。
向かった先の喫煙室にはまだ数名しかおらず、特に交流のある貴族もいなかったので1人掛けのソファに座ってクラウスは静かに紫煙を燻らせた。
先程は自身を市場の豚に例えたが、真に哀れなのは令嬢達の方だろう。シーズンになると一斉に出荷され、値踏みされ、最後は買いたたかれる。彼女達への同情は失礼とは分かりつつも、現状の理不尽さに嫌気がさす。これでは、己の選んだ相手と添うことの出来る平民の方がよほど健全かつ自由だろう。
勿論、中には互いに想いあい結婚する貴族もいるだろうが、それは恐らく一握りだ。あとは、結婚してから好きになる場合、好きにはならないが、現状に満足する場合、など様々。そして、一生不幸な思いをし続ける女性もいるのだろう。
クラウスが、らしくもなく令嬢達の行く末に思いを馳せているのには彼の大事な幼馴染が関係している。
来年、クラウスの大切な幼馴染、ウェルシュ侯爵令嬢・エレオノーラが社交界デビューする年なのだ。
今夜クラウスが踊った令嬢達のように、エレオノーラが男に媚びを売る時がくるのかと思うとそれだけで頭が痛い。と、なれば、どの令嬢にも彼女を大切に思う父や母や兄がいるのだろう、と思い無碍に扱うことも出来ず、だからといって令嬢達の望みを叶えて結婚してやるわけにもいかず。
そんなわけで、珍しくクラウスはセンシティブな思いに拘泥していた。
彼はパブリックスクールで早々に卒業に必要な単位を取得した後は、国を出てあちこちを遊学していた。続いて帰国後は、いずれ彼が受け継ぐ領地を含め国内の様々な土地を巡ってきた。なるべく見分を広めておきたかったのと、正直社交界から遠ざかっていたかった所為だ。
けれど、さすがに正式に卒業した後は避けて通るにも口実がなく、また次期侯爵として必要な付き合いも夜会でしか得られない交流もあることから、腹をくくっての参加と相成った。
「実際に妹がいない分だけ、私の屈託など些細なものなのかもしれんな」
口の中で小さく呟いて、クラウスはウイスキーのグラスを傾ける。
彼は単純な意味で理想主義者だし、目標達成の為の苦労を厭わない。能力と環境があるのならば、問題解決に踏み出さない愚は絶対にしない、直情さがあった。
大抵の問題はシンプルに、最短速度で最適解を導き出す彼だったが、この問題は彼の解決すべき事案ではなく、また一つの答えが正解というわけではない。
その為出口もなく煩悶せざるをえず、苦々しい気持ちを味わっていた。
「何怖い顔してるんだよ」
ぽん、と気軽にクラウスの肩を叩き、向かいのソファに座ったのはブルーノ・コラッツィアンだった。
柔らかな笑顔を浮かべて、軽薄な雰囲気を持つ彼は、兄であったならば絶対に妹を近づけたくないタイプだ。実際彼は結婚相手を探しているのでなく、今夜の相手を探しているらしい。
「この前話した未亡人、今日は来てないみたいなんだよな」
「刺される際は私の目の届かぬところでやってくれ」
「え、開口一番酷くない?」
「開口一番挨拶もない相手に与える優しさは持っておらん」
「ごめんって!」
その後改めて挨拶を交わすと、ようやくブルーノは落ち着いてソファに座りなおす。
「しかし、シルバ子爵は本当に人気だな。今年の令嬢達は目の色が違う」
「……あまり失礼な物言いをするな」
「そういう真に紳士的なところがウケるのかねぇ……」
クラウスを矯めつ眇めつ眺めるブルーノを無視して、彼は紫煙の流れる先を見遣った。軽薄を絵に描いたような男だが、無垢な令嬢を食い物にしない点だけは評価している。
彼が声を掛けるのは、未亡人や愛人を求めている夫人だけで、何も知らない少女の心身を食い破るようなことは決してしないのだ。
ブルーノ自身は、そこらの令嬢を相手にして本気になられても重いし、まして結婚することになるのは御免だ、と嘯いてはいるが、彼にはまさに年頃の妹がいることも理由の一端だとクラウスは考えている。
「でもクラウスは、エレオノーラ様を待ってるんだろう?」
クラウスが煙を追っている間もぺらぺらと喋っていた男の口から宝石の名が出て、彼は紅茶色の瞳をつい、と向けた。
「女神祭の時に兄君にエスコートされてるのを見たきりだけど、さぞかし美しくなられているだろうなぁ~」
昨日転んで泣いていたが。
クラウスを見つけて、駆け寄ってきた幼馴染の姿を脳裏に描いて彼は目を細める。どうも世間はあれの美しさと地位の高さゆえに幻想を抱いている節があるが、本来エレオノーラは割とお転婆な娘なのだ。
時制がややこしくてごめんなさい。エレオノーラがデビュー前の年の話、クラウス中心の話になります。エレオノーラもすぐ出ます!
また読んでいただけると嬉しいです!




