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b.いとけない雛

エメラルドの首飾りの半年前ぐらいの話です。


 


 謁見室の手前にある控えの間には大勢の令嬢達がずらりと並んでいた。

 母親に付き添われて、エレオノーラはデビューの為に美しく着飾ってその列の端にいる。


 白と銀のドレスが彼女のプラチナブロンドと白い肌に添うようにして彩り、胸元には家宝の大粒のサファイアとダイヤモンドの首飾りが輝いていた。

 衣装も宝飾もいつもよりもずっしりと重く、コルセットは限界まできつく締められてふっくらした少女らしい胸元と細く括れた腰を作り出している。

「……母様、もう胸が物理的に破裂しそう。帰りたいわ」

「まぁ、わたくしの可愛いエリィ」

 ウェルシュ侯爵夫人、レティーツィア・ヴォルンテールはおっとりと微笑み末娘の手を握る。

 兄や姉と違い、屋敷でのんびりと過ごす方が好きなエレオノーラは、社交界に出るのを嫌がっているのだ。

「では謁見せずに帰りましょうか」

「……出来るの?」

「わたくしにはとても無理だわ……エリィ、頑張ってね」

「……私に一人で逃げろというの!?」

「逃げたいのはエリィだものねぇ……」

「………………うう、もう少し頑張ります」

「まぁ、さすがわたくしの可愛いエリィは頑張り屋さんね!」

「母様は本当にいい性格をしてます……!」

 エレオノーラは唇を尖らせた。

 レティーツィアはまるでこの世の悪い面など一切知らない、という無邪気な笑顔を浮かべて娘が何を言っているのか分かりません、とばかりに首を傾げた。



 その日、国王陛下と妃殿下の前で誰よりも美しく礼をしてみせたエレオノーラは、すぐさま社交界の注目を集めた。





「王様にご挨拶したら、後はまた家でだらだらしてていい、って母様は言ってたのに……!!」

「騙されたな、侯爵夫人に」

 バノーラ侯爵邸の庭の東屋で背中に落雷を背負ったエレオノーラに、幼馴染のクラウスは読んでいる本からちらりとも顔を上げずに返した。

 先日パブリックスクールを卒業して生家に帰ってきたばかりのこの男は、昔のようにエレオノーラと接してはくれるもののちっとも真剣に話を聞いてくれない。

「毎日誰かが訪ねてきて、贈り物と……変、な?詩?を言うの」

「……それは、愛の言葉というやつでは?」

「あい!」

 ぴしゃん!とエレオノーラは固まる。

「皆、私を愛しているというの……?私のことを何も知らないのに……?」

「貴族の結婚とはそういうものだろう」

「……でも、私は……知らない方は……怖いわ」

 エレオノーラの小さな声が零れる。

 不安そうに睫毛が揺れ、眉はへにゃりと下がった。美しい花が萎れた姿は、とても見ていて胸が痛む筈の光景だというのに、クラウスにはちっとも響かない。

「これから知っていけばいい」

「婚約してから?」

「そう」

「……あ、これ間違えたー!てなった時はどうすればいいの?」

「…………後戻りは出来んものだ」

 クラウスは本のページを捲り、別の本を取り上げて照らし合わせて確認しまた紙面に顔を戻す。

「忙しいの?私とお話するより、それって楽しい?」

「忙しい。楽しくはない」

 にべもない。

「クラウス嫌い」

「子供か」

 言いおいて、クラウスはちらりと彼女の方を見遣る。

 エレオノーラは顔を顰めて、ぷいっとそっぽを向いていた。ふんわりとしたたっぷりのシフォンの藤色のドレス。髪には生花が一緒に編み込まれている。

 膝を抱えて座る彼女は、社交界デビューを果たしたばかりの立派な淑女とは思えない子供っぽい仕草だ。

「……もう子供ではないのだから、膝を抱えて座るのはよせ」

「……」

 すと、と脚を降ろして、エレオノーラはドレスの裾を捌く。しかしまだ唇が尖ったままなのを見て、クラウスはこれ見よがしに溜息をついた。

「……それに、たとえ幼馴染とはいえ男の家に簡単に来るな。お前の評判に関わる」

「!どうしてそんなこと言うの?私とクラウスは……とても仲のいいお友達でしょう……会いに来てはダメなの?」

 エレオノーラはパッと顔をクラウスの方に向けて悲しげに呟いた。

 社交界に出たことで、急速に彼女の世界が変わっていく。その速さに、エレオノーラ自身が付いていけていないようだ。

 美しく整った顔に不安そうな表情を張り付けて、クラウスならば助けてくれるとでも思っているのだろう、彼に縋るような視線を向ける。



「家もお向かいだし、仲良しだと思ってたのに……」

 エレオノーラはしゅん、としてしまう。

 侯爵家の令嬢、という立場から、家格の釣り合う令嬢がおらず年の近い友人というものが極端に少ない彼女は、一事が万事クラウス頼りなのだ。

「……私も、クラウスや兄様みたいに学校に行きたかったな」

「友達を作りに行ったわけではないんだぞ」

「うー」

「フィオはお前と同じ立場だが、友人が多い。茶会だの朗読会だの刺繍の会だの。何でもいいから参加していけばよかろう」

「うううう……」

 べこべこに凹んで萎れたエレオノーラは、ソファに小さくなって座り、カップを両手で持つ。

 そうすると、小さな彼女がますます小さくなったように見えて、クラウスは目を細めた。

 少し厳しく言い過ぎただろうか?と内心で考える。けれど、今後エレオノーラがどこに嫁ぐのか、どう生きていくのかはまだ分からないにしても、一介の平民になるということはまずあり得ないだろう。ならば、社交界で良好な関係を築いていくことは必須であり、クラウスの指摘は当然のことなのだ。

 問題は、本人が社交界に対して積極的ではない点と、周囲がそれを認めて甘やかしてしまう点だ。

 甘やかされて育った所為で多少見知らぬ男に対しては苦手意識があるようだが、それ以外は身分の差も気にせず老若男女に特に屈託なく接することが出来る。

 今でこそこんな風にしょげてはいるが、元来楽天家な彼女のことだ。周囲の後押しもあるだろうし立場も盤石の高貴な身、しばらく放っておけばいつの間にか社交界の中心になっているだろう。


 駄目なのは、楽天家ではないクラウスの方なのだ。

 エレオノーラが一事が万事クラウス頼りなのは、彼がそう仕向けた所為だ。

 美しくいとけない雛を庇護するという大義名分の元、べたべたに甘やかして己の脚で歩むことすら覚束ないように育てた。その甲斐あって、何か起これば彼女はまずクラウスに相談する。

 もっとクラウスに依存するように育てたつもりだったが、エレオノーラは思ったよりもトリッキーな動きをする所為で思うようにはならなかった。

 それでも、その性質自身が彼女らしい、とクラウスは気に入っている。


「……エリィ」

 編み込まれていない箇所の銀糸に触れて、クラウスは小さく彼女を呼ぶ。顔を上げたエレオノーラは、まるで迷子の子供のような表情をしていた。

「おいで」

 言うと、ぎゅっ!とエレオノーラはクラウスに抱き着く。

 一桁の年齢の頃から変わらない動作は、成人したところで失われることはないらしい。

「……お茶会も、朗読会も頑張るわ」

「ああ」

「刺繍……は、苦手、だけど……」

 ぎゅう、と抱き着いてくる華奢な体を、彼は危なげなく支えて片膝の上に座らせた。女性らしい柔らかな手触りに、ほんの少しだけクラウスの整った眉が寄る。

 それを叱られると感じたのか、エレオノーラは慌てて首を振った。

「刺繍も頑張ります!」

「よかろう」

 エレオノーラの刺繍の腕は恥じ入る程壊滅的な腕でもないので根気よく取り組めば、プロの針子並みとはいえないが、人目に晒して恥ずかしくはない程度に出来る筈だ。単に完璧を常に求められる為、他より劣る、という程度なのだ。

「だから……頑張るから……」

「うん?」

 もじもじと彼女は指を彷徨わせる。視線もあちこちにやり、やがてそっと紺碧の瞳が真っ直ぐにクラウスを見つめた。

「……たくさん頑張るから……時々、クラウスに会いに来てもいい……?」


 これが欲しい。

 クラウスは強烈に湧き上がる感情に、内心震える。


 この美しい、いとけない存在が欲しい。

 爪の先から髪の一筋に至るまでを己のものとし、強く、強く、抱きしめて離したくない。


「……構わん」

「やった」

 小さく歓声を上げて、エレオノーラは改めて彼に抱き着くとうっとりと溜息を吐いた。

「ずっと一緒にいてね」


 ああ、


 その言葉のなんと甘美なことだろう。



「心配するな。お前が幸せになるまできちんと見届けてやるとも」



 この願いが塵になって、誰にも掬い上げられなかったとしても、この雛だけは必ず守ってみせよう。




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