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a.お約束の婚約破棄

 


 ある日、エレオノーラがクラウスの屋敷を訪問すると彼は非常に不機嫌だった。


 何かしただろうか、と心当たりがなくもない彼女は回れ右をしようとしたが、あえなくクラウスに腕を掴まれて彼の膝に猫の子のように横抱きに座らされてしまう。それから彼は不機嫌を隠そうともせずぬまま、婚約者を抱きしめていた。


「……テディベアになった気分」

「私は熊に懸想する趣味はない」

 本当は欲情しない、と言ってしまいたかったが、二人は今だ婚約者の身、つまり清い関係だ。初心な彼女に余計なことを言って逃げられてはたまらない。

「ああ、でも腹の柔らかさは熊と張るかもな」

「ぐぬぬ……」

 腰回りや腹のやわらかい箇所をドレス越しに撫でて、クラウスがなんでもないことのように言うと、エレオノーラは理不尽な扱いに唸った。怒って腕の中から抜け出そうとしたが、直後盛大に溜息をついた彼がさすがに心配になる。


 クラウスは自他ともに認める優秀な男であり、何か問題が起きた際には文句を言いつつも解決に向けて躊躇なく最適解を選びとっていく。

 無論彼とて人の子なのでミスをする場合もあるが、後悔と反省をするものの次に同じ間違いを決してしないことを心得て落着させる。つまり、現状こんな風にいつまでも不貞腐れていることなど滅多にないのだ。

「クラウス、本当に大丈夫?元気をだして……私に出来ること、ある?」

 胸元に抱き着いたまま不穏な空気を出し続けている婚約者の金の髪をそっと撫でて、エレオノーラは彼の額に愛情をこめてキスをする。ようやくのろのろと顔を上げたクラウスは、お返しにエレオノーラの頬に口づけた。

 ぽ、とエレオノーラのミルク色の頬に朱が走り、恋人同士の甘い雰囲気が流れる。

 が、次にクラウスが心底嫌そうに放った言葉の所為それらは跡形もなく霧散した。


「エリィ、私はお前との婚約を……破棄しようと思っている」


「……………………今流行りの!!?」

 しばしフリーズしたエレオノーラは、ハッ!とした様子で叫ぶ。

「流行ってたまるか馬鹿者」

「……ぴ、ぴんくの髪の男爵令嬢と婚約するのに私が邪魔に……?私、国外追放されちゃうのかしら、外国には姉様の結婚式の為に一度出たことしかないのに……!お、オルガ、外国語出来る?」

「お任せください、お嬢様!」

 びしっ!とサムズアップした侍女の姿を見て、エレオノーラはようやくホッとする。一部始終を半眼で眺めていたクラウスが彼女の顎に触れて自分の方を向かせた。

「……落ち着いたか」

「ええ……近隣諸国の言語は、習ってはいるけど実際に使うとなると心配だったの……」

「…………そうか」

 頭痛の種を探すように、クラウスは自分のこめかみを指で辿る。

「私は学校……?には通っていないので、卒業パーティとかないけど、差し支えなければ断罪イベントの日にちとか教えてもらってもいい……?準備とかあるし」

 高貴な令嬢であるエレオノーラは、幼い頃から将来王族になっても恥ずかしくないような高度な教育を受けてきたが、全て家庭教師や王城からの講師を招いての個人授業だ。兄の通う寄宿学校に憧れはあったものの女子が通えるものではなかった。

「なんだその穴だらけかつ妙に詳細な設定は!」

 クラウスの雷が落ちると、エレオノーラはおろおろとする。

「最近流行りの恋愛小説です……!」

「発禁にしろ!」

「えええ!面白いのに!」

 エレオノーラはショックを受ける。最近令嬢達とのお茶会ではこの話題で持ち切りで、彼女も夜更かしして夢中で読んだ。

 主人公が国外追放された先で出会う隣国の王子様は、ちょっとクラウスに似ていてカッコイイと思っていることは内緒である。

「新聞と歴史書でも読んでおけ」

「新聞は読んでるけど……歴史書は苦手だわ……アルバフォレス12代国王ゲタール王朝3代目、サーシア14世の息子がどうしてコウタル王朝7代目のサーシア17世なの?ややこしい!」

「政変があったのだから仕方あるまい」

「サーシア15.16の身にもなってあげて!」

「知らん!あとそれ、陛下の前で言うなよ、泣くぞ」

 現国王の名はサーシア22世。数字的にもかなり複雑だ。さすがにエレオノーラとて、自身が生まれた時から在位している王陛下の出自と名まではややこしい、とは思ってはいないが。

「言わないけど~~~」

 ううう、と嘆くエレオノーラを見遣って、一応歴史書の内容を覚えてはいるものの、彼女のお気に召す内容ではなかったらしい、とクラウスは溜息をつく。それで、気に入ったのがかの恋愛小説ということか。

「……婚約破棄自体に関して言うことはないのか」

「冗談なのでしょう?」

 エレオノーラは真っ直ぐにクラウスを見つめて、あっさりと言う。

 けれどクラウスは苦々し気に黙ったまま。エレオノーラもしばらく彼を見つめ続けていたが、ようやくコテン、と首を傾げた。


「ん?本気?」

「……………………ああ」

 低い声に、エレオノーラは拘束する腕を無理矢理引きはがして立ち上がった。

「オルガ!ここから連れ出して!!」

「承知しました」

 エレオノーラの悲鳴のような声に、オルガが素早く反応して彼女の腕を握る。が、クラウスもすぐさまエレオノーラの腰を抱き寄せて制止させた。

「待て、話を聞け!!止めろ、マルク!」

「わ、私にエレオノーラ様をお止め出来たことはありません!!」

 情けない執事の尤もな意見に、クラウスは口の中で舌打ちをする。

「落ち着けエリィ!話を最後まで聞け!」

「聞きたくない!あれだ、マリーの言ってた釣った魚に餌をやらないってやつだ!?ひどい、クラウス、そんな人だとは思わなかった……!」

「ええ、本当に。畜生にも劣る行いですね。お嬢様、すぐにこんな男とは縁を切るべきですわ、ええ。永久に」

「貴様は分かってて混乱を招いているだろう、オルガ・オブライエン!」

 ゼロ距離から手刀を叩きこんでこようとするオルガの攻撃をいなしつつ、クラウスは絶対にエレオノーラの腰から腕を離さない。


「エリィ、私が言い方を間違えた。きちんと説明するから話を聞け!」

「こ、婚約者でもない男に偉そうに言われたくない!」

「婚約する前から私はこの態度だ」

「たっ、確かに。……いいでしょう。オルガ、この浮気者の言い分を聞くことにします」

 ぴた、と止まったエレオノーラは、腹心の侍女に向かって頷いてみせた。

「承知いたしました。ええ、存分に釈明していただきましょう!」

「……面白がっているな貴様……」

 わざと一番遠いソファに座ったエレオノーラと、その彼女の背後にぴし!と立ったオルガを睨んでクラウスは唸る。

「あと、いつ私が浮気をした。人聞きの悪いことを言うな」

「男の人は皆そういうってマリーが言ってたもの!」

「マリー=ローズ・ダームトン……本当に悪影響しか与えんな」

「そんなことないわ、さっきの物語もマリーが勧めてくれたのよ」

「そういうところだ」

 クラウスは溜息をついて断じた。

 とは言え、今の状況は確かに彼が話運びを間違えた所為であり、内心猛省する。

「…………エリィには言わぬよう口止めされていたのだが、実は宰相閣下の要望でな」

「お父様の?」


 エメラルドの首飾りの一件以降、それまでクラウスに対して好意的だったエレオノーラの父・氷の宰相が随分厳しくなったのだ。

 クラウスを突然呼びつけて政治的な無理難題の解決策の提案がないか聞いてみたり、家族との食事にバノーラ侯爵夫妻を招待しておいてクラウスだけ招待しない、など、端的に言って細かい嫌がらせをされていた。

 それまでは、エレオノーラとクラウスの婚約に関して鷹揚かつ好意的な態度だったが、それはそれ。目に入れても痛くない程可愛がっている末娘がいざ婚約、しかもすぐ結婚したい、などと言い出して大層ショックだったらしい。

 婿いびりなどみっともない真似はやめるように、ウェルシュ侯爵夫人から再三注意されているのにまだ続けているようだ。

「お父様……まだクラウスのこといじめてらしたのね!」

 エレオノーラは形のよい眉をきゅっ!と寄せて怒りを露わにする。最初の頃に彼女は父親に向かって盛大に怒って、もう嫌がらせはしない、と約束させた筈なのに!と腕を小さく振ってぶつぶつ言った。


「……閣下の何より大切な愛娘を頂戴するのだから、多少の嫌がらせは甘んじてお受けする所存だが……」

 腕を組んで溜息をつくクラウスの言葉に、エレオノーラはきゅっと胸が掴まれるような思いがする。

 クラウスは、本来そういった嫌がらせの類いは完全に無視するしなんなら報復も存分に行う。だというのにエレオノーラの父のである、というだけでその嫌がらせを引き受けてくれているなんて。誇り高く、強い男である彼がそこまでしてくれている、ということに感激してしまう。

「あ、でもダメだ。浮気者なんだから!」

「そうですわ、お嬢様!キュンときている場合ではありません!」

「意味は分からんが、そこは大人しくキュンとしておけ」

 ぱしぱしと頭の近くで手を振って空気を霧散させようとするエレオノーラに、オルガもパタパタと同じように扇ぐ。そんな二人をクラウスは胡乱な目で見遣った。

「それで?お父様が婚約破棄をしろ、と?」

「さすがにそこまで短絡的ではない。来週、西の国の姫君が来訪するだろう」

「……うん、ウーシェン様ね。私も歓迎の夜会にはお呼ばれしているわ」

 何度か会ったことのある他国の姫のあどけない笑顔を思い出して、エレオノーラもつい口元を綻ばせた。

「然り。その夜会で、姫が私のエスコートを所望されているのだと」

「ライバル……!」

 ピシャーンッと背後に落雷を背負うエレオノーラを見て、ますますクラウスの視線は胡乱さを増す。ちなみに少し嫉妬してくれたことが嬉しかったが、この感情は後できちんと味わうことにした。

「…………その際、私が婚約していては西国に対して外聞が悪い、という意味の分からん理由でその日一日限りとして婚約を破棄した状態にしろ、と言われたのだ」

「…………我が国に、バノーラ侯爵子息を西国に差し出すつもりがないのならば、逆に婚約者のいる状態の方が誠実のような気がするんだけど……?」

 エレオノーラが怪訝な表情を浮かべつつ言うと、クラウスも大きく頷いた。

「全面的に同意する」

 つまり、西国は関係なくクラウスへの嫌がらせなのだ。大方、姫の方にはクラウスは婚約者がいると言うことは伝えてあるのだろう。

「……それで、何を交換条件に出されたの?あなたのことだもの、いくら嫌がらせとはいえ何のメリットもなくそんな話、引き受けないでしょう?」

 エレオノーラは紺碧の瞳をきらりと輝かせて、元婚約者を睨む。

 領地経営か、政治的なメリットがあってその件を引き受けたというのならば、本気で逃亡してやる、と足に力を入れた。勿論、オルガに抱き上げてもらう準備だ。

 と、

「あー……個人的な、要望を……国王陛下許可してくださるというものでな……」

 滅多にない、歯切れの悪いクラウスの様子に、エレオノーラは首を傾げる。

「何それ。個人的なこと?……私には、言えない、こと……?」

 悲しくなってきて、エレオノーラの大きな瞳が曇る。

 婚約破棄だって、クラウスが本当に望むなら彼女は叶えるつもりだ。けれど、彼女に言えない理由がある方が、悲しいし寂しい。


 彼女の瞳が本当の悲しみに染まるのを見て、クラウスは秀麗な顔を顰めた。

 これは、彼が悪い。

 クラウスは両手を掲げ、降参と反省の意を示す。

「……悪かった。今回の件の見返りが、陛下が直々に結婚式を大聖堂で行う許可をくれるというので……」

「……確かに、結婚式は大聖堂でしたいって私言ったわ。言ったけど……私はクラウスと結婚したいんだよ!?婚約破棄してたら元も子もないじゃない!」

 御尤も。

 珍しくクラウスにはぐぅの音も出ない。立ち上がったエレオノーラは、クラウスの前に立つとぱちん!と彼の頬を叩いた。

 いくらエレオノーラの願いを叶える為とはいえ、今回の件で彼女がどれほど悲しんだかと思えば、詫びの一手しかない。

 彼女に相対するようにして立ち上がったクラウスは、頭を下げる。

「本当に、悪かった。……お前を喜ばせたかったんだ」

 そんな風に言われては、彼女の怒りがいつまでも持続出来るものではない。

 唇を噛んで、目に涙を湛えたエレオノーラはキッ!と彼を見上げて睨む。

「次は絶対許さないから!」

「無論だ、二度目はない」

 クラウスは誓うように手を胸の前に掲げる。その掌に、彼女は指を突き付けた。

「我儘いっぱい聞いてもらうんだから!」

「なんでも叶えよう」

「街でお買い物がしたいわ!」

「ああ」

「あとカフェ……に行ってみたい!」

 カフェは、少し治安が悪いのでこれまでクラウスから許可が出たことはなかった。

「構わん」

「えっと、あと」

 そもそも生粋のお嬢様であるエレオノーラだ。高貴故に制限されていることはあるが、我儘の範囲で叶えたいものなどたかが知れているのである。


「……終わりか?」

「う……クラウスの馬鹿。嫌い」

「それは却下だ」

「反省してる?」

「とても」

 クラウスが言うと、エレオノーラはじっと彼を見つめた。

「エリィ?」

「……」


「キスして」

 エレオノーラが言うと、クラウスは心得たとばかりに彼女を抱きしめる。まるで久しぶりであるかのように感じる、婚約者の固い体と僅かに香る香水にエレオノーラは自分でも驚くほど泣きたくなった。

 それから、掌で頬を撫でられて、額と頬にキスを受ける。

「これで許してくれるか?」

「クラウスのばか」

「馬鹿とはなんだ」

「こ、恋人は、おでこや頬にキスするだけじゃないんでしょう?」

 カーッ、とエレオノーラの顔が赤くなる。

 クラウスは珍しく面食らったが、それを彼女が望んでくれるのならば、もう何も躊躇する必要はない。


「……いいのか?」

「……私、クラウスと結婚するんだもの。恋人だし……婚約者よ」

 ぽろ、とエレオノーラの眦に溜まっていた涙が零れ、クラウスの指を濡らす。

「ああ……もう二度と離すことはない。お前に誓う」

 怖がらせることのないように、クラウスの顔がゆっくりと近づいてきて、二人の唇がそっと重なった。




この二人でも婚約破棄騒動してみたいな、と思って描いてみましたが秒解決しちゃいました!

キスで締めるの大好きです…!


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