11.ずっと恋だった
さわさわと葉擦れの音がわずかに聞こえる、穏やかな小道。
計算して緑と番地が配置されていて、低木の向こうには芝生が広がっているが十分な広さがある為それぞれの客のプライバシーが保たれている。
クラウスに腕を引かれながら、布で出来た柔らかな靴を履いた小さな足でエレオノーラはとことこと歩いた。長い髪は緩やかに結われ、耳元には小さな青い石の耳飾りが輝いている。
「使用人の手に首飾りがないのならば、どこにあるのか?招待客か、出入りの業者か、招かれている楽団などの者達か」
クラウスの低く甘い声が、話を続ける。
「出入りの業者の人だったら、もう屋敷の外に出てしまっているかも……」
エレオノーラが眉を寄せて悲しそうに言うと、クラウスはニヤリと笑った。何故か悪い笑いだ。
「フィオは悪運が強い。それともこの場合はお前か?エリィ」
「……言ってる意味がわかりません」
エレオノーラが唇を尖らせる。
「大公夫妻の部屋は我々と同じ上位貴族の宿泊していた最上階だ。この屋敷の構造上、階下から最上階に行く為のルートは一つだけ。まぁ窓から侵入すれば可能かもしれんが……それでは護衛が気付くだろうしな」
「うん」
「昨夜、最上階に続く階段を上がったのは宿泊客しかいないそうだ」
断言されて、エレオノーラは首を傾げる。
「どうして言い切れるの?確かに守衛の人はいたと思うけど、目を盗んでこっそり上がれば…………あ」
「そう。たまたま昨夜に限っては、あの階段には寝ず番がいた。それこそ目を皿にして、文字通り鼠一匹見逃さぬつもりでいた者がな」
「ユリアナ様の侍女……」
エレオノーラは、昨夜部屋に戻る前に出会ったユリアナの姿を思い出す。彼女は使用人に送られて部屋に帰ったが、フェレットのイジーを逃がしてしまった侍女は責任を感じていて、せめて上級貴族のいる最上階にはイジーが向かわないように階段に見張りとして残ることを屋敷の使用人に懇願して許可されていたのだ。
肌寒い初冬の夜、若い侍女にとってその役目は過酷であっただろうに、おかげで仮の限定条件ではなく、クラウスとエレオノーラにとって確かな条件が齎された。
「すごい!お手柄だわ……!」
興奮したエレオノーラは、クラウスの腕を引いて彼を見上げる。キラキラとした輝くような笑顔に、彼は鷹揚に頷いてみせた。
「あら?でもどうしてそんなこと知ってるの?クラウス」
「今朝、応接室でシャフール男爵令嬢と私が話しているのを見ただろう?あれはフェレットが無事見つかったことの報告と、私とお前への礼を言いに来ていたんだ」
「そうだったの……」
勘違いしてしまって申し訳なかったな、とエレオノーラは反省する。
けれどその思考の端から、勘違いって何を?と自問した。あの時感じた痛みには触れたくなくて、彼女はクラウスを見上げる。
紺碧の瞳が紅茶色のそれとかち合い、不思議な色味を帯びた。
「……歩き疲れたか?」
「……ううん……いえ、うん、少し、疲れたかも」
「少し休むか」
そう言うと、クラウスは木陰に設置されたベンチにエレオノーラを導く。
オルガが敷物をベンチに敷いてくれて、エレオノーラはそこにちょこん、と座った。
ベンチは横長のものが一脚しかなかったので、当然クラウスもその隣に座る。その様子を、彼女はぼぅ、と見ていた。
「どうした?」
視線に気づいて、クラウスがエレオノーラに尋ねる。
「……どうしてクラウスは、私にこんなに優しいの?」
するりと出た言葉に、一番驚いたのはエレオノーラだ。
そんな言い方、傲慢にも程がある。大切にされている自覚はあるけれど、その理由を聞こうだなんてまるで厚意を疑っていると取られかねない。けれど彼女のその考えは杞憂だ。
こと、クラウス・バッファはエレオノーラ・ヴォルンテールのことに関しては、間違えない。
「何故だと思う」
そして、彼は好機を見逃さない。
今までクラウスが、フィオレンティーナに呆れられるほど動かなかったのは流れが自分に向いていないことを知っていたからだ。
望めば手には入る。だが、それでは駄目だった。
クラウスが望んでエレオノーラを手に入れても、エレオノーラが望んでいなければ、彼女は己の意思で彼の手を離れていってしまう可能性があった。
無鉄砲で行動力だけはあるエレオノーラのことだ、彼女自身がそうと決めたのならば周囲は協力するだろうし、何よりクラウス自身が彼女の意思を曲げてまで己の元に留めることを良しとしない。出来ない。
だからこそ誰よりも彼女に近いこのポジションを守りつつ、周囲を牽制し、怯えて逃げてしまわれない程度のラインを見極めていたのだ。
彼は自己申告の通り、結構可愛げのある男だった。
つまり。
何が切欠なのかは分からなかったが、突然風向きが変わったことにクラウスは気付いていた。
昨夜から少し様子はおかしかったが、今朝のユリアナと会話しているクラウスの姿を見て急速にエレオノーラの心が傾いているのが分かる。
今までもっと直接的なシーンはあった筈だが、その時はちっとも気にしていなかったというのに本当にエレオノーラはクラウスの予想を飛び越えてくる。頻繁にそんなことをする存在は、彼女だけだ。
「何故って……えっと……」
ぽぽぽ、と音が出そうな程顕著に顔を赤くしていき、エレオノーラは視線をあちこちに彷徨わせる。最終的に、縋るものはそれしかない、とでも言うように彼女はクラウスの服の袖をきゅっ、と掴んだ。
ジャケットの裾は恐らく皺になるだろうが、この瞬間と引き換えならば安いものだ。
「あの……違っても、笑わない、て約束して」
「ほう?」
「約束!」
クラウスが器用に片眉を吊り上げると、エレオノーラは重ねて強請る。
「分かった。笑わない」
「絶対よ……!」
眉を顰めて怖い顔をしているつもりなのだろうけれど、顔を赤くして目を潤ませていては効果はない。否、違う意味で効果は絶大なのだが。
「あの……勘違いかもしれないけど、クラウス……すごく優しいし、すごく大切にしてくれるから、ひょっとして、私のこと好きなのかなぁ……とか、思って……」
「そうだ」
「だよね、勘違い……!……あれ?」
ぱっ、と顔をあげたエレオノーラは、真剣は表情のクラウスを見て目を丸くする。
「……私のこと、好きなの?」
「そうだと言っている」
「本当に?」
エレオノーラの声が震える。手は怯えるようにクラウスのジャケットの裾から離れたが、すぐに彼自身の手によって掴まってしまう。
「私がお前に嘘をついたことがあったか?」
そっと掌に口づけられて、エレオノーラは目を見開いた。言葉を紡ごうとすると、喉が震えて声が出ない。
息がしにくくなって怯えると、ふわりとクラウスに抱きしめられた。
「……落ち着け」
そう言われると、まるで魔法のようにエレオノーラの心が落ち着く。
低く甘い声、慣れ親しんだ体温。彼の胸に頬を押し当てると、規則正しい心音が聞こえて、なんだか悔しくなる。
エレオノーラの心音は、ドキドキと早いリズムで刻まれているのに。
彼女が顔を上げると、クラウスは柔らかな表情でこちらを見ていた。今朝、ユリアナと話していた時にも垣間見た表情。
ああ、と思う。
あの時、恐らくユリアナはエレオノーラのことを話し、クラウスはエレオノーラのことを思って、この表情を浮かべたのだ。
なんて幸せなのだろう。
好きな人が、自分のことを好いてくれていている、ということが。
「私も。私も……あなたのことが好き……」




