1章 シュヴァン城 1
「嬢様、流石にございます」
「想定より鐘ひとつ早うございます」
駆けて駆けて、都の東の境、リューゲ川に臨む出城シュヴァン城に入った。
櫓には火が灯され、王家の旗と王子の紋章が夜目にも輝いていた。待っていたのはやはり辺境伯子飼いのものどものようだった。辺境伯の銀の狼の紋が見えた。
「殿下お疲れ様でございました」
あ、見知った顔もいた。少しおれは安心していた。
「湯あみの用意がございます。どうぞ身体を温められて」
乳母やか、懐かしい。ちっちゃい宮に移ってからは疎遠だったが、ちゃんと詰めていてくれたのか。
「うん、夜なのに手間掛けて悪いな」
「いいえ、どうぞ落ち着いてくださいませ。
ダッフォンのお嬢様はこちらへ」
レオノーレが案内される。おなごだから、馬に乗った後は汗を拭ったり髪を整えたりされるのだろう。幼い頃から一緒に育ったのだ、べつに繕う必要はないのに、もう18とお年頃だから手間なことだ。
「御前失礼いたします」
レオノーレが一礼して小走りになる。
「ああ、あとでな」
レオノーレを先に行かせて、乳母やが腰をかがめて礼をする姿を置き去りに廊下を進む。
「旗も見ないで来ちまったけど、どこの手の者だった?」
どんどんマントや武装を外しながら廊下を歩くと、従者達がそれを受けとりながら会話は進む。
「それはこちらでお調べいたしますので。
シュヴァルツリーリエ伯かと」
「ああ、黒百合な。夜見ると見づらいなあそこの紋」
肯いて、突き当たりの部屋に入る。出城の執務室で、ほんの数えるほどしか蝋燭を立てるところがない燭台なのに、まばゆい気がした。部屋はすっかり暖められていた。おれは今更に両の耳が冷たくなっていたのを感じた。
「用意は調ってたんだな?」
椅子に掛けると、レオノーラが多少身支度を整えて小走りに参上した。
「夏以来不穏の噂は入っておりましたし。将軍にはあらかじめお話ししてこちらを使うご裁可を頂いております。何ら付け加えるところのない策との仰せで。
殿下、お食事の途中でしたが、お腹はお空きではいらっしゃいませんか?」
「いいよもう」
国王軍のシュメルツ将軍はもう馬上で指揮の執れぬ身だ。奥方経由であにきと同じ病にかかっている。将軍に限らない。今、うちの宮廷は不名誉な病が大流行していて、まともに役目を果たせるものは半分にも満たないのだった。
あのばかやろうのあにきのせいで。
おれは無意識にあごの古傷を手で触れていた。
「おまえが出来の良いのが証明されて良かったじゃないか。これで大手を振って摂政宮の政務室に出入りできるぞ」
レオノーレは困ったように少し笑った。
この春以来、レオノーレも正式に辞令の出たジークフリート王子の首席補佐官なのだが、それでもおなごにまつりごとをみさせるというので相当風当たりが強いのだった。だったら使えるやつを寄越せと怒鳴っておれはきかんぼうの殿下扱いされ始めている。
そう、おれは摂政王弟、あにきはこの春から政務も執れなくなっていた。あにきの側近の貴族たちや、前からいた官僚どもも主だったものはやられていた。
帳簿の数字の見方も解らない、国軍の各部隊の定員がいくらで今じっさい何人兵を動かせるかも知らないやつでは、先祖がどんなに偉かろうと、どれだけ国庫に税を納めてくれていようとなんの役にも立たない。今現在ヘタを打つと命が危ないおれにとっては、即戦力であることそれが全てだ。
建国100年と少し、大陸の中央やや東にやっとまとまった小国、グンペイジはいま、恥ずかしい病気のせいで崩壊寸前だった。