最終章 320日目 フリッツァー・パラスト 王の執務室 10
おれはごすんと自分の分のパイにフォークを突き立てると、フランツの皿に移した。フランツの方を大胆に引き寄せて自分の皿に……取らず直にかじった。甘酸っぱさが口に溢れる。今年はさくらんぼは当たり年のようだ。
「いいんじゃないか? どうだ? フランツ」
先の王妃様の御前で、と溜め息を吐くとフランツも優雅に一口分にパイを切って口に運んだ。眼を細めてゆっくりフォークを置いた。あ、こいつこれ気に入ったな、と最近は解るようになってきた。
「さて、一応の毒味は致しましたが、いかがです?」
おれは御客人達に尋ねた。
「妾ハ既ニ死ヲ約束サレシ身。コノ期ニ及ンデ何ノ毒ヲカ厭ハン。
喜ンデ頂戴スベシ。
マリーニハ酒精ノ強キコトヤアラン?」
やっと身を起こしたエリーザベト様が追いついてきたお付き女官とノーレに手伝って貰ってヴェイルを直しつつ微笑んだ。マリー様を振り返ってちょっと気遣ってみせる。
「ポルトの焼酒を香り付けに使っておりますわね。産地は山の方、オリガンデの辺りでございましょうか。でも、ほんの少し。お小さいお嬢様として適切な量を召し上がるなら問題ないと推量いたしますわ」
マグダが一口食べて見せてにっこりした。
【少しお酒が入っていて大人向けですが、マリー殿下はいかがですか?】
キラッキラの笑顔を向けて、フランツが通訳してやった。
【い、いただくわッ。
……あたくしのことは、マリーでよくってよ】
マリー王女は勢い込んで言った。そうか、1人だけお茶の時間にのけ者にされる辛さをフランツは知ってるんだった。って、笑ってたのにやっぱ寂しかったのか。しぶといやつだ。
【それではわたしのこともフランソアと。控えめに致しましょうね。マリー様はもう大人とお見受けしますけれどね】
フランツは手ずからパイを切り分けてやった。公子様気遣いしすぎ。
【おいしいわ。さくらんぼはこちらの方が甘いのね】
頬張って、マリー王女はやっと年相応の笑い方をした。
……王女殿下が極秘に国をお発ちになったという情報を得まして、もしやのために厨房に話を通しておいたのですけれど。ずばり当たってようございました。それにしてもおみ足の軽い王女様ですこと。明日ご到着、ご休憩と先触れがあって明後日辺りのご来訪を想定しておりましたのに。
……リースの馬車ってやっぱ速さも最先端なのかな?
マグダがそっと囁いてきたのでおれは半分冗談で返した。王の寵姫となって、マグダの情報網の冴えは恐ろしいほどだ。
叔母上同様、肖像画に片想いの恋心で飛んできたんだったりして。ちっちゃくてもおなごって怖い。歓迎の晩餐会は明後日ぐらいかなあ。あそこまで言われてなに着よう? 心重いぜ。
「ノーレ、うまいぞ」
おれは、パイを半分残した皿をノーレに勧めてやった。
「はい、陛下」
おれと一つ皿からものを食べるのはノーレだけだ。いろいろあったがこれだけは守れた。
「たいそうおいしゅうございます」
小さな顔がにっこりと微笑んだ。
了
長いおはなしでしたがこれにて一巻の終わり。お付き合いいただきありがとうございました。