最終章 320日目 フリッツァー・パラスト 王の執務室 8
「控エヨト申シタデアロウガ、コノ粗忽娘」
荒い息の下から、エリーザベト先王妃が叱った。あらら、ヴェイルがぶっ飛んで髪とか見えてる。まだお顔には腫瘍は現われていないように見える。今日も麗しくて、ホント、病人と思えない。
神様ありがとう。
【だって、こんな、はやりの恰好の最高級のお召し物、お父様だって着ていらっしゃらないのに! お帽子だって着こなしだってお国の宮廷そのままで! 出てきたばかりの田舎貴族よりよっぽど板についておいでだわ!
こちらのお方はその貧乏貴族よりみっとも……やつしていらっしゃるし。
だって、お国にあった先王様の肖像画にそっくりで、絵物語に出てくるような王子様そのままで、あたくしずっと憧れていて……】
そうでしょうそうでしょう。おれは細かいところは解らないなりに心中肯いた。
真っ赤になった小さな王女は、それでもフランツから手をはなせないで困っている。おっこちそうだから。落とさないけどね。そこは、王女殿下を高い高いする大人はリースの花の宮廷にはいなかったものと見える。
フランツはあんまり真っ正面から褒められてかえって居心地悪げだ。うわあ、珍しい。と、頬を掻こうとして手を片方離してしまって、不安定になったマリー王女がぎゅっとしがみついた。
【案内も乞わずに押し入っておいてなんたる言いぐさ! ジーク殿だって正式の謁見では格調高く装うおつもりであったでしょうに! お謝りなさい!
こちらはすぐさまお子を生せるような妃をご所望なのです。まだ子供の身で出しゃばってはなりません】
語気強くエリーザベト様は庇ってくれた。ああ、でも去年の流行ぐらいの服になると思う。あんまりその辺極めようと思ってないんで。
【……ごめんなさい】
そこは子供らしく謝罪の言葉があった。あったけれど、手はフランツの首から離れない。フランツも困ったように微笑みを返した。これは儀礼上の笑顔じゃあない。最近見せるようになった、わりと本気の笑顔だ。いいんじゃないの?
【我が従兄にして才極まりない得難き宰相、法定相続人フランツをお褒めいただいてありがとうございます。このものの翳り無きたたずまいは我が宮廷の誇り。先に婚約者を亡くして傷心の身に、マリー殿下のようなご立派なお方を妃としてお迎えできればまたとなき誇り、心も慰められることでございましょう。
詳細はこの先大使を通じお国のシャルル王陛下やお父上と協議することにして。
グンペイジ王宮はあなた様を喜んでお迎えいたします】
おれは両手を広げて言ってやった。ねえ、文法間違ってなかった? ちょっとノーレに目をやって確認したかったけどね。
リース王家の数少ない政略結婚カードを奪っちゃって、リースの連中困っちゃうかな。こっちはノーレの血筋偽装で便宜を図って貰ってるからおあいこにしときたいところだったので、人質としてはありがたい鴨だ。フランツもその辺まで読んで、この少女を抱いて離さないのだろう。
ノーレの方は、ここでリースの王女を妃に迎えて結婚式やその後の大公妃の格式の維持のためにまた大公家の負担が大きくなることを期待しているんだろう。金輪際王家にたてつく気力・武力・財力がなくなるようにせしめるというのがノーレのセンデ家対策だ。
エリーザベト様はご聡明な方だから、その辺は解ってらして焦ってたんだと思うけど、困ったように微笑んで肯いてくれた。こちらの立場に立って口添えもしてくれることだろう。……ノーレの後見にこのお姫さまの面倒見が加わったら、静かな祈りの生活なんか無理なんじゃないかと思えてきたけど。
あートアヴァッサーのじいさんまた国境にとんぼ返りだ。恨まれるかな。