最終章 320日目 フリッツァー・パラスト 王の執務室 5
ルールーズ公家はリースの中の序列では祖母上の実家とされるガルトン公家よりは落ちる筈なのだけれど、自分が公爵家の、それも庶子と引け目を感じていたとしたらシュザンヌ公女こそ由緒正しい姫君と思えたことだろう。幼心に覚えている。母上様には光り輝く美貌はなくても、優雅なしぐさや嗜みのある振る舞いが生まれながらの王侯を感じさせた。それに比べると、祖母上は、たしかに天使のような無邪気さがあり、そこが魅力でもあった。きれいな器に入ってたからってテーブルの上の手濯ぎ用の水を飲んでしまったってのは有名な話。それ以来、うちの給仕は手濯ぎ水を出すときは必ず、こちらでお手を、と言い添えることになってる。
「シュザンヌ様もお心映えの優れた方であられましたから、すぐさまご自分もさらに膝を折ってお返しになり、今日よりはわたくしが母君様にお仕えいたしますとお返事なされて、一度でうち解けて、それよりは親しくお付き合いなされたと申し伝わっておりますのよ。
ですから、必ずしもリースの王女様をお迎えする必要は無いのでございます。
先様としても、丁度釣り合いの取れる姫君が王家、大公家におられぬのは事実、またしてもどこぞの貴族からお嬢様を見繕ってと頭を悩ませていたところでしたから、この話に乗ってくるのは時間の問題だったのですわ」
「ありがとうよ、マグダ」
おれは心から友人に感謝した。おれの祖父、おれの祖母、おれの母は、なんと心のやさしい道理を弁えた人々であったことか。それを知ることができて、おれは胸が洗われ、背筋の伸びる思いがした。
「リース王の王女ということになれば、形式的に辺境伯との関係は切れます。陛下の心の中で辺境伯を頼りに思う気持ちが無くなることもないとは拝察いたしますが、これで外戚の専横を怖れる諸侯を憚ることもなくなりましょう。
レオノーレ殿も、これからはおおっぴらにお父上を頼りになさらぬように」
フランツはほんとうに楽しげに笑っていた。人の不幸は蜜とでも思っているんじゃないだろうか。とくに、最大の競争相手で王位への障害と思っているのなら。年初の国王演説の場で大逆人と告発されたことでもあるし(公子、それ自業自得ですから)。
「待て、それじゃあレオノーレが孤立するじゃないか」
お寂しそうだったエリーザベト様が思い浮かんでおれはぎょっとした。
「それくらい、我慢いたしますわ」
レオオーレは淋しく微笑んで見せた。
「孤立などさせはせぬ。わらわはどこに赴いてもノーレ殿の友じゃ」
クリスが胸を張った。これから新伯爵として領地に入るクラウスとは別居でオストブルクでノーレの仕事の手伝いをさせつつ出産に備えさせようという心づもりだったのに、まだ懐妊の兆しがない。都にいるうちにとクラウスを責め立てているらしい。えーと……がんばって、勇者殿。