33章 100日目 フリッツァー・パラスト 大広間 4
「証拠、を」
おれはただそれだけを何とか口にした。
「陛下の諜姫、わたくしマグダレーネ・フォン・クライスレリネン=ネルバッハが証人としてセンデ家の使用人を押さえてございます。戦勝の宴の折の先王陛下ご下賜との酒に加え、センデ宮にて陛下にお出しした毒酒の残りも。成分は軍の医薬局にて分析済みで、腐毒の混入が確認されております」
マグダも進み出た。
センデ大公家内部にまでマグダの友達はいたのか。これは、このあと大公も動きにくくなるなと俺は舌を巻いた。
しかし、諜姫の証言に証拠はいらないし、寝室でのみ密やかに報告はされるべきなのに、こんな公の場で諜報を引き受けていることを明かしてしまって、これからの活動に障りにならないかとおれはあやぶんだ。
おれが指示するより先に近衛の兵が進み出て、フランツを拘束した。先王そっくりの絵物語の王子のような貴公子は、青ざめたまま両手を肩で押さえられ、這い蹲らされた。
「陛下!」
センデ大公が進み出た。がくがくと膝をよろめかせて。他の諸侯が王の前でそんなみっともない真似をしたら、即刻隠居を命じていただろうに。
「この度のことは、老い盲いたこの老人の監督不行届にして、不肖の子の不始末はこのセンデの仕置きにお任せ下さいませ。
臣下の身で口にするだにおぞましい企みを巡らし、限りなく尊い御身に仇をなしたるは隠しようもない事実でございますが、お側の皆様のご尽力によって最悪の事態は避けられ、不埒ものどもは退けられたのでございますゆえ、なにとぞ罪一等は減じられますように、伏して、伏してお願い申し上げまする!
フランツは我が一人子、どうか、命だけはお助けを」
まだ老人という年ではない、この気位の高いお方が、謁見の間の真ん中にまろび出て、頭を地に擦りつけて叫んだ。
フランツよ、見たか? おまえは親父さんにこれだけのことをさせているんだぞ。
おれは、顔を巡らせてフランツを見てやりたかったが、玉座にある間は、中央に進み出て発言を許されたもの以外のそれぞれの臣を直視していけないことになっている。ただ、告発者レオノーレの目だけを見つめていた。
……センデ大公家に罪の及ぶことを恐れているだけのことです。
フランツはそう言って目を逸らすかもしれなかった。まったく、ここのうちのやつらは素直じゃない。
ふと記憶が蘇る。このところは死ぬ気で頭を使ってるから、なんでもないことと思って忘れてたことも、どんどん立ち上がってくるんだ。
……フランツが笑うのです。優秀は優秀だが生き人形のようなと言われていたせがれが、わたしの執務室に来て。
これは王家の秘事につき誰にも申せませんが、父上になら明かしても良いと判断しましたと。
ジーク殿下はおつむが弱いのです。幼い頃はリースの言葉を解していたのに、まるきり忘れ果てて、わたしが母上と話をするにもリース語だというと今聞いた顔をなさるのです。それでわたしはしょうことなく、グンペイジ語で会話をすることになってしまいましたよ! 貴人はリース語しか話してはならぬ、下々の言葉はわからない振りをしておけとの父上の仰せでありましたのに!
息子の言葉ですのでお許し下されよ? あのような、我が意のままにならぬ事など何一つないといったすまし顔が、困ったように、しかし誇らしげに、笑うのです。殿下がこのような失敗をなされた、ヴェレ伯の娘御が今日はこのような我が儘を言って皆を困らせた、トアヴァッサー公のご推挙のクラウスという者は、聞き苦しい言葉で話すが良く聞くとなかなかよく物事を見ている、辺境伯の娘御は、一番小さいのに算術も綴り方もわたしに引けをとらぬ、チェスではそろそろ本気にならないと負けてしまうかも知れない……、そのうちに毎日毎日、委細漏らさず語りに来るようになって!
殿下、ありがとうございました。どうぞせがれをずっとお近くにお寄せ下さい。そうして、あの子をうんときりきり舞いさせて困らせてやってください。それがあの子にとってのお勉強なのでございます。どうかよろしくお願いします。
フランツがおれたちと学び初めてしばらく経って、センデ大公がおれが1人の時を見計らって声を掛けてきた。手を握って、いつもの気取った様子はなくながなが熱く語って、そして手を振って離れていった。その時は単に「いつもお世話になっています、今後とも宜しく」という大人の挨拶なのだと思っていた。今になってその言葉がしみじみと蘇ってくる。