32章 65日目 フリッツァー・パラスト 新王の居室 2
「あんなご立派で健康的なお方のその、お胸って、やっぱり固いのかな? それとも、やっぱり柔らかいのかな? 柔らかいに決まってますよねッ! ああッ! いいなあ!
陛下ちょっと内緒でどんな感じだったか教えていただけませんか?」
そこは宮廷人としてちょっと礼儀を逸脱してないかと思ったけどおれは言わなかった。いや、おれは固いと思う。触ってないけど。ノーレも結構固い感じだったし。
「そんな色っぽい用事じゃないよ。ちょっと宿直のついでに昔の話したりするだけだって」
幼い頃から日課の腕立て百回はきつかったとか、おなごのあなたにそれを強いるのはやはり鬼であったかとか。ヴェレ伯のご令嬢の日頃の修練はどのようなとか、これでも吹き矢なら百発百中でとかほんと色気のない話。まあ、一応、なら今度狩りにお誘いするからその腕を拝見したいとか社交的にはしてるけど。
この吹き矢ってのがすごくて、音もさせずに部屋の端から端までをかるく射通す。ゆうべもなにかが部屋の隅を横切ったと思ったら、スカートの下からすぐに取り出した筒を口に当てて、ふっと一息、部屋の隅でネズミが息絶えていた。これを可能にする特殊な呼吸のお蔭でゾフィー殿は身体を数週間で絞れたそうだ。
ご友人たちも、投げ矢の達人とか、東の異教徒どもの格闘術を修めていたりとかで、身分ある姫君や婦人たちの護衛のお側仕えをするために幼い頃より仕込まれていたときく。そこそこの貴族に仕えるつもりが近頃みんな領地に引っ込むようになったので勤め先がなくなり、暇を持てあましていたらしい。今更ふつうに嫁に行くようなしつけは受けていないし、だいたい釣り合いの取れる年頃の男はもう戦死していて少ないし。お声が掛かって嬉しいとみんな生き生きした顔をしていた。腕はなまっておりませんとムキになる様もちょっと可愛かったりして。
ゆうべのことも、そういうわけでちょっと腕相撲を申し込んだら、手もなく抑えこまれて、相手に励まされながらも全く反撃できずに50数える間もなく負けてしまった、そういうこと。全然色っぽくない。かえって、もっこりな筋肉はまだまだじゅうぶん使い物になると証明してくれた。
「そうですか? あんな美人と一晩一緒にいて? 隠さなくてもようございますよ。
ああ、いいなあ。わたしも宮殿に上がったらいろんなご令嬢とお近づきになれて、あわよくばどなたかと恋に落ちて、結婚して、お許しを得てオストブルクに小さい家なんか買っちゃって通いでご奉公……なんて思ってましたけどね。
お願いしますよ、ご治世がはじまったら舞踏会、園遊会、狩りの会、出会いの場を作ってくださいね?」
おや。内乱が治まったらみんなちゃんと自分のこと考えてる。
「エーリヒ、おまえ、実家はどっちだっけ? 跡取りのご令嬢と縁談あったら乗るか?」
王宮の侍従や官吏は貴族から紹介あって採用される。多くは、父や祖父まで爵位のあるもので、次男以下は分家が許されることはめったにないから、そういう貴族ではあるが爵位はないという微妙な立場のものが携わる。王宮に仕えれば、侍従や女官など王家の内向きを担当しても、役所勤めで大臣や長官など務めても、国庫から給金が出るのだ。もともとが、領地からの上がりだけで食えない下級貴族やその子弟を、ハイター・フリッツが、宮殿の仕事の手伝いの名目で呼んで給金を出してやったことが起源だ。それ故、大貴族は体面上大臣職などには就かないのが不文律だ。跡取りなどが社会勉強がてら役所に出仕しても、仕事は適当。爵位を継げば領地に帰って領主としての経営に専心する。大貴族であるネルバッハ公爵リヒャルトが、大混乱の宮廷を見かねて内務大臣をやってくれている(それも熱心に!)のが例外中の例外なのだ。
「ご紹介いただけましたらそれは幸せ。
わたしは祖父はコーベルク伯爵ルドルフ、フリードリヒ陽気王陛下に従って以来可もなく不可もなく代々世を渡って参りました。詳しくは宮内省にお尋ねを。領地は南西部、センデ大公領とヴェレ伯領との境目辺りでございます。とくに誇るべき歴史もなし、家名を捨てるもやぶさかにはございません。
……さはさりながら、できましたら先ほどのご令嬢にご紹介を、是非」って、目の色変わっちゃってるよ。
「あ、ああ、結構年上だけどな、なんといっても個人の好みだからなそこは」
おれはゾフィー殿のお悩みの解決が決まりそうでホッとしていた。自分がどうしようもないから、せめて周りの人間には幸せになって欲しい、ほんと。