32章 65日目 フリッツァー・パラスト 新王の居室 1
それから数日は吹っ切れて食事もなんとか喉を通るようになった。ノーレの毒味はいっそう真剣になって、昼の豚肉のソテーの火の通りが甘いと言って皿をフィリップに突っ返していた。カールも意地になって焼き直して、戻ってきたときにはガチガチになってた。困るよ。って、わずかながらも笑いが顔に浮かぶようになってた。
シュヴァン城から引っ越してきて、なんだかそこら中に兵士がいるなと思ったら混成部隊の編成解除忘れてた。フランツが出てこないせいで仕事が回らないんだ。すぐ署名していい書類ともう少し状況を見てから出した方がいい書類と差し戻して再検討させる書類がごちゃ混ぜになってた。大車輪で書類読んでわかんないとこをリヒャルトに説明させてノーレと相談して署名して、もう上着の右手のとこすり切れてほつれて来ちゃったよ。右手の中指もインクの染みがもう手を洗っても洗っても取れない。ああ、背中痛い、たまに思いっきり剣を振るいたい。
「殿ッ……陛下、あの、ネルバッハ公夫人からのご指示で、今宵もれいのご令嬢をお召しとのことですが……」
エーリヒの目が咎めるように細くなった。
「ああ、うん」
フランツはあれから謹慎しているが、ノーレとマグダは注意しておれの身辺を固めている。乱が落ち着いたのに辺境伯軍が都を去らないのもそのせい。編成解除が遅れてるってのはノーレが作った建前だった。謀が明らかになったので、やつが処刑を怖れて暴発する怖れがあるというのだ。だからって、なあ。
「昨夜は廊下にまでお楽しみの声が響いておりましたが」
「いや、ちょっとあれはほら、そういうんじゃなくて!」
そういう事言ってくるわけ!? マグダに泊まってもらったときはおまえさらっと流してくれたってのに!
「『陛下もっと頑張って、まだまだ、もっともっと……ああん、早すぎますわ』と、たいそうお励みのご様子で」
「ちがーう!」
おれは顔に血を上らせて叫んでいた。
「とおっても豊満でお美しい方ですよねえ」
エーリヒの声は棘ばかりでもなかった。
あ、おまえそっちの趣味あるわけ?
マグダから推挙されておれの身辺警護がてら夜伽を勤めてくれているのは、あの、ツァタークのゾフィー殿のご友人たちだ。ゾフィー殿が最初に寝室に現われたときには目を疑った。
「陛下、この度はおめでとうございます。どうかわたくしの縁談もご威光をもちましてよろしくお取りはからい下さいね。
ネルバッハ公夫人のご推挙で今宵は宿直つかまつります。ヴェレ伯のご令嬢ほどではございませんが、わたくしも鬼のフーベルトの娘、それなりに剣は使いますのよ。年頃になりまして、花嫁修業などにうつつを抜かしてすっかりなまって贅肉がついてしまいましたが、元の通りの生活に戻して、そしてレントレラのお稽古にはまりましたらこれ、この通り。ぐふふ。腕もなまってはおりません、心を安らかにお休みいただけますことよ?
それとも、割り切りで今宵お情けを頂戴しても構いませんけれど、ぐふふふふ」
ちょっとした夜の訪問用のドレスを纏って化粧もそれなりにした姿は、まさしく「とっても豊満な美人」だった。もう小山とは言えない……そう、おっきな岩ぐらいだ。落とせなかった腕の筋肉がドレスの上から見てももっこりしてるのは無視、無視。……あれ筋肉だったんだなあ。
それにしてもあんたどんだけ体絞ったの! あの昼の会からまだせいぜいひと月だっての! ……いや。
鬼のフーベルトのしごきを思い出して、おれはようよう納得した。その頬には見まちがえようもないほくろもあったことだし。うん、目が輝いて生き生きして、鼻はつんと高くて。年の頃は立派に成熟した美女といえば美女だ。
「陛下は尊い身であられることですし。お若いのに節制しておられて尊敬し申し上げていたのですが、もう世も治まりましたことですしねえ」
エーリヒははっきり言外に羨ましいと言っていた。