30章 60日目 センデ大公のオストブルク内宮殿 11
おれは頭を振って座り直した。
ハイター・フリッツ。
王家を立てたような初代なら普通デア・グローセ、大王とあだ名されるはずだ。それなのに、フリードリヒ陽気王とみんな、街のものまでそう呼んだ。フリッツ王のお好み、なんて、肉料理にも焼き菓子にも付いてる。フリッツァー・ティーシュは薄切りパンの上に肉や付け合わせを載っけて、いっぺんに食えるようにした食べ方。狩りのときだか、戦のときだかに思いついて。有名だけど、実際やるとお行儀悪いって言われる。林檎を丸ごと入れたパイはフリッツァー・トルテ。わらべ唄になるほど林檎好きは有名で。
王族はみんな、ひとつめにはこの偉大な創建王の名をもらっている。トアヴァッサー大公も、キィの坊やも、フランツも。でも、初代には及ばないと言って、みんなふたつめの名をもって通称にし、王号にした。アレクサンデル1世、2世、3世。
「げに恐ろしきはアレクサンデル2世陛下。10年端近に育って、このわたしに、甘っちょろい感情が芽生えることを見越して、わたしをあなたに付けられた。あんな、気が良いだけの凡庸な王に、してやられて、やられて……!」
身は乗り出しながら机に手をついて、フランツは顔を伏せた。
「父上のこと、悪く言うなよ。先を見越しておられたんだ、ちょっとは英明だったんじゃないか」
あほうのおれならフランツに懐いて、なんとか恐ろしいことを考えさせないように持って行けると期待したのだろうか。
「いいわけはよしなさい! もう帰ってください! なんてことだろう、ここまで来たのに! ここまでこぎ着けるのに苦労したというのに!
だれか! 陛下がお帰りです。送って差し上げて。隙があったら殺ってよろしい、誰かよそ者の手に見せかけて」
フランツは支離滅裂だった。
「フランツ」
「聞きたくない! 帰ってください……わたしの気が変わらないうちに。気を抜くんじゃありませんよ、お人好しさん。送り狼に注意です、殿……いや陛下」
いつも綺麗に整えていた髪をかきむしって、乱れ髪の下から茶色の目がおれを見送った。
「わかった
……ありがとう、いとこどの。おれは、おまえが兄だったらよかったよ。それなら、なんにも悪いことは起こらなかっただろうに」
リースの言葉を巧みに操る美しい王子とリースの誇り高い王女は出会ってすぐ恋に落ちただろう。自分がやらねばならないことを心得た聡明な王のもとに、我が国は一つにまとまってさらに栄えたことだろう。優しく、学問・武芸に秀でた兄をおれは尊敬し、心から慕っただろう……。
おれは二、三歩を後ずさりに部屋を出て、扉を閉めた。
「ごめんな」
未練がましく言い置くと、叫び声がした。
【行っちまえッ!】
こんなひび割れた泣き声を出させてしまった。こんな、フランツらしくない乱暴な言葉遣いを。ドアの向こうでは、ものの落ちる音、壊れる音が続いた。おれはそれを、背中で聞いた。
ああ、すべての元凶はあのくそあにきだ。おれがレオノーレを妃にできないのも、フランツが大逆人になったのも、国が荒れたのも、頼りになる側近連中がみんな死に絶えたのも、おれが兄殺しになったのもみんな!