30章 60日目 センデ大公のオストブルク内宮殿 10
おれは、兄と同じ顔で兄より優しいフランツが好きだった。ちっちゃい方の宮殿でおれの教育がはじまるといって集められた学友共の中にフランツの顔があったときはホッとした。フランツはにこにこと年下のがきどもの相手を務めてくれた……。
「殿下はわたしに下々のよくないことばかり教えると母が怒っていましたよ」と笑って言うようになって。
「わたしがお教えするべきですのに。いえ、王子としての正しき振る舞いをです」
心から笑っていると見えたのに。
「おれといて、楽しくなかったか? おれは楽しかったよ、フランツ」
おれは思わず口に出していた。フランツはグラスを差し出して華の笑顔を作ったまま表情を変えなかった。
ああ、ほんとうに、おまえがなにを考えているかわからないよ、フランツ!
おれが、フランツをこんなにしたのか? そうだ、おれやあにきが、王子として王として立派であったなら、フランツは恐れ多いことを心に抱いたり、実行したりはしなかったのだ。代々のセンデ大公のように、いつも何かを企んでいて、いつもそれは成らず、複雑な笑顔で宮廷からつかず離れずでいてくれたのだ。きっと。
おれは、実際、兄を殺したわけだし。いちばんの友がなにを考えているか、想いを巡らせることもしなかった。そういう王に、今度こそ諸侯は愛想を尽かすかも知れなかった。いや、おれ自身が、そういうおれが王であってはならぬと思い至った。
おれはグラスを受けとって、その中の液体を見つめた。
……レオノーレ。
妃にしてやれなかった。寵姫にさえ。
輝く笑顔が一瞬目蓋を過ぎった。もう手を触れられぬなら、それも良いか。
「済まない」
グラスに唇がつく瞬間、おれの手は痛みを、耳はグラスの割れる音、液体の零れる音を感じていた。
「あなたは、……バカですか?」
毒入りの葡萄酒は、テーブルの上に零れてしまっていた。
しばらく自分の手を見ていて、そして、こちらを見て、フランツはおれのせいにした。
端整な顔は、涙に濡れていたというのに。
「もっと悪あがきを、するかと思ったのに」
荒い息の下、それだけを言った。
「だって」
おれは、うまいい言葉が浮かばなかった。
言ってたじゃないか、いつだって、バカだバカだって。
「陽気な(ハイター)フリッツ。国を創建されたわれわれのひいおじい様のあだ名です。とくに武勇に秀でているわけでもなく、知謀が優れていたわけでもない。ただ、皆に好かれて、ヴィジー伯・ヴェレ伯はじめ、ドッペルブルク侯のご先祖など、どこの国にも属していなかった諸侯が、フリッツの国なら面白いだろうと臣従を決意して、国がまとまった。
当時のリース王さえ、フリッツを敵に回すことを惜しんで、一族の娘をくれてやることにした。一族だから。永遠に、おまえはうちの娘を娶るのだから。独立してやっていくにしても、一族として、絆は切れない、と。後に続くものが出ないよう、徹底鎮圧の案も御前会議では主流だったというのに、独立しての建国を許された。我が国が建国できたのは、ここ百余年の大陸諸国の謎のひとつといわれていますが、こういう事情だったらしいですよ。
……あなたのような人だったのかも知れませんね」
「なんだそりゃ。
わけがわからんよ、おまえのやることはみんな」