30章 60日目 センデ大公のオストブルク内宮殿 7
フランツはおれや王家に恨みを抱いていた。それが明らかになったからといって、何ができるというのだろう。今ようやっと腑に落ちた。そんなことを公表しても、なんにもならない。センデ大公家は親王家でフランツは大陸法に照らし父上の定めたもうたおれの次の王位継承者なのだ。あにきのせいで文官が半分ぐらい職務に就けなくなっているこの宮廷でおれの右腕以上の行政手腕を発揮しているのはこのフランツでもあるし。
とにかく大打撃なのだ。おれの心の中だけの話ではない。ここでフランツや大公家におおっぴらに反乱を起こされても困るし、正当に罪状を数え上げて処刑しても国政は大混乱だ。なかったことにして自分の胸の中だけで警戒するしかないのだ。
「では、殿下、こちらを」
フランツは葡萄酒のグラスをおれの前に動かした。
「ああ」
うす黄色い液体が、グラスの中にゆらりと渦を巻いた。おれはそれを取り上げた。
「この話の流れでためらわずお飲みになる?」
フランツはまた笑った。
「おまえも飲んだだろ?」
考えずにおれは答えていた。
「言ったはずですよ? わたしは毒に身体を慣らしてあります」
「おまえはおれの命まで取る気があるのか?」
その茶色い目を見ながらおれは問うた。
「さあ?
先の時には、母に言われるままでした。自分が恐ろしい大罪の片棒を担いでいるという自覚もありませんでした。
ですが、あなたが居なくなれば、わたしが法定相続人です。この国はわたしが貰う。この内乱も一段落だ。民どもも助かります。
あの外道の王を害してくれてありがとう。しかし実の兄を殺して王位に就いた王など要りません。王位はわたしが貰ってあげます。ですから。
今はわたしはわたしの責任においてあなたにこの酒を勧めます。
先だっての折にはネルバッハ公夫人に邪魔されましたが、あれは成功するとは思っておりませんでしたし。殿下が陛下を憎むお気持ちを持たれればよし、というほんの小技」
いつもの勉強の時間にグリエス語を解釈するときのような顔でフランツはぬけぬけと言い放った。
「なあ、それで、マグダが死んだと知らせてきたのは手違いじゃなかったのか?」
おれは泣きそうな気持ちで問うた。あの小者はたしかにセンデ大公家のものと言った……!
「さあ? 当家のものでしたか? 名前は? 顔は覚えておられますか? 見も識らぬものの報告を、あなたはそのまま信じられたのですか?」
そのものは……頭はフードで覆っていてよく見えなかった。顔も。声は囁き声で、よく思い出せない。聞いてすぐに頭に血が上ったのだ。
……ネルバッハ公夫人はあのあと血を吐いてお亡くなりになりました。毒酒にございました。
毒酒、毒酒、毒酒、それだけがおれの耳にこだまして残っていた。
「おまえ、わかっていてやったな? おれは、おまえにまんまと騙されて実の兄を殺したおっちょこちょいということか?」
あにきの首の感触が両手に蘇っておれは悲鳴を上げそうになった。
「殿下は前々から言っておられましたよ? 近しいものに陛下が手を出したら許さぬと。殿下のようなお優しき方ならあることと皆々受け止めることでしょう」
「それは男としておなごに手を出すのを許さないという意味で!
おまえ、こんなげすなことを企むやつだったのか!」
「殿下、ことが王位ですから。当家は100年後に王位を望む家にございますよ? これくらいは手遊びのうちでございます」
「フランツ!」
おれはもうそれより言葉が出なくなった。
「苦しみはほんの数瞬。このところあなたが自責の念に毎晩苦しんでいたことは皆知っています。わたしに全てを告白し、委ねて自らを裁いた、と公表させていただきましょうか。
そして、グーツヴェル王家の純粋の血を持つわたしが、王位に就くのです。父も、ここまでやればわたしを認める気になるでしょう」
「フランツ!」
「さ、どうぞ」
いとこはごくごくふつうの顔をして、葡萄酒をさらに口に含んだ。