30章 60日目 センデ大公のオストブルク内宮殿 6
いつもいつも感情を爆発させるのは自分の方で、他の友人たちが怒りを露わにすることなどあるまいと思っていたようなクリスは肝を潰していた。クラウスの両手を取って、そなたを田舎者などとは思っておらぬ、公子さまもいやみなのはいつものことだが腹まで悪いかたではない、いつもの調子でお作法を教えてくれようとしただけのことではないか、短気を起こしてはならぬと言い聞かせていた。クラウスは赤くなって目を逸らしていた。おれも、もうどうしたらよいかと必死に考えを巡らせたが、ただノーレを抱きしめて言い聞かせることしか思い浮かばなかった。落ち着いてくれ、おれが悪かった、お行儀の良くないことをしておまえまで悪い子になってしまわないでくれとただただ頼み込んだ。クラウスとノーレが落ち着いたのを見て、フランツに、おまえが実のところ面倒見が良くて行き届いているのは解っているが、いちいち嫌みなのを改めないと誤解されるぞ、それじゃあ自分が損だろうと意見してやった。フランツは皮肉に笑って、そこまで殿下にお心を配っていただいてかたじけのうございますと礼儀正しくあからさまにバカにしてくれた。むっとして言葉に詰まるおれを、ノーレが取り鎮めてくれた……。
その時は、学友どものやんちゃの尻ぬぐいをおれがやってのけたと思っていたが、皆が無言のうちに連携しておれを毒から遠ざけていてくれたと今になって解った。
「銀づくりのスプーンは、古来毒殺よけのために用いているのですよ。曇れば毒の盛られているしるしです。クラウス殿ならお解りと思いましたゆえ」
フランツは澄まして言ってのけた。
守ってもらっていたのに、毒を盛られていたのに、全く気がつかないで来てしまっていた。その時は目の前のことを処理するのに精一杯で、クラウスがいなかもの扱いをじっと耐えていたと気付かされてびっくりしたり、気付かずに見逃していただろうかとずっと遡って自らの行いを検めてみて反省したりしていたことを思い出して、自分の愚かさ加減に目眩がした。あにきがおれをあほう扱いするのももっともだよ、こりゃ。
「氷菓子なら融けることを怖れて時間をおかずに食べなくてはという気分になります。毒が入っているのではと疑うことも、本当にその方から遣わされたものか調べてみることも遠慮がちになります。また、国王陛下直々のお心遣いということで毒味にも遠慮がはいります。正面切って辞退することもいたしかねます。また、冷たさに舌が痺れたようになって、心得のあるものにも味を判らなくさせもします。
さまざまな意味を以てして、毒を避けることはむつかしい、じつにいやらしいやりくちでした」
「ああ、おれがあにきに嫌われてるせいでとんだとばっちりだったな。悪かったよ」
ふて腐れておれが言うと、フランツは困ったような顔になった。
「それはまあ。陛下とも年が近かったのに、殿下の方に付けられたことを勘ぐっておいででしたので」
それについてはいろいろと噂があった。あにきは幼い頃から根性が腐っていたらしい。センデ大公のほうであにきを見限って、跡取りがあにきの影響を受けることを排除したとも聞いた。……マグダから。
「アレクサンデル2世陛下ご自身が、既にアレクサンデル王子を見限っておいでと承りましたよ」
フランツは薄く笑った。だから、次男のおれの教育に細心の注意を払ったと。おれはその笑顔を見ながらリヒャルトの申しようを思い出していた。
……ひとは自分をものさしに他人を測るのです。己の考えるようなことは他人も企むと。殿下はウルシュベルクのご令嬢が毒味ではなく親しさからご相伴なさっているとお思いでしたから、ひとがご自身に毒を盛るとはお思いにならない、つまり、毒を以て他者を除こうとお思いになったことがないのでございましょう。
逆を申さば、食事時に人を寄せず、ひとの調えた食事を召し上がらぬ公子様は、毒を盛ることをお考えになるお方ということです。
はっきり申し上げましょう。公子様は怪しゅうございます。しかしながら、事ここに至ってはあからさまに退けることもできかねます。ただお心得置きくださいませ。
その時は、心得ておくというのがどういう意味かとむずがゆいような気持ちになった。問いただしたくてもリヒャルトの思い詰めたような顔がそれをさせなかった。それ以上言うと自分がやばいというようすだった