29章 57日目 シュヴァン城 3
「ここだけの話、センデ大公家に王統が移るのはまずうございます」
静かに、屈み込んでおれの耳にリヒャルトは囁いた。
「いや、フランツの血筋に渡すよ。そうなるだろ。あにきだって言ってた、もとよりあいつの方が王子様らしいんだ。あいつの子供ならよっぽど安心できる」
「ご自分のお子様に王位をお譲りになるおつもりはないのですか?」
「ううーん、こんなややこしいこと、せがれにやらせたくないかなあ。
そういえば、フランツには婚約者がもういるんだっけ? フランツが法定相続人になったらフランツのお妃もリースからもらわなくちゃいけないんじゃないの? そういう時って、謝って破約にするのか? それとも、約束しちゃったものは例外としてそのまま嫁いできてもらうわけか?」
「殿下、ご存じないのですか? 義母は殿下になにもお伝えしていないので? 義母はちゃんとつとめを果たしていないのでございますか?」
リヒャルトは急に顔色を変えて続けざまに尋ねてきた。
リヒャルトの母上って、ああ、マグダか。あんまり共通点がないから忘れてた。
「ああ? マグダ? つとめって、まあ、それなりにな。……なあ、リヒャルト、お父上の奥方であった方がおれの情人になるのって平気なのか?」
「陛下、それは、適材適所というもので。
あの方には寵姫は向いていると存じますよ。
あれで細かいところによく気がつくし」
意外や、ガチガチのマジメ人間が乱れた男女関係を容認した。そりゃ、今現在結婚していないもの同士の関係ではあるが。
「向いているって、そうかな」
とくに変わった愉しみ方を教えてくれるってわけでもなかったし。そりゃまだ初心者だけど。
おれが危ぶむと、リヒャルトは身を乗り出して言った。
「陛下、我が国において寵姫というのはただの情人ではございません。陛下の側近くに親しくお仕えして、女の申すようなとりとめもないことをお耳に入れるという名目で、密偵共に調べさせた密かごとをつまびらかにお伝えするのです。それゆえ、諜姫はその言を以て処罰されることはございません。いわば諜報をもってお仕えする女官にございます。
外つ国では、道化がその任に当たることもございます。尊い方の近くに侍って、罪のない物語をする形をとりながら、さまざまに世情をお伝えし、時には諫言申し上げる、そのような役目にございます。それ故に、何ら証拠を要求されず、法を以てその舌を縛ることはできませぬ。勘気を被り、寵愛薄れ、暇を遣わされるという形になることはございますが。
義母はあからさまに才気を閃かせ人様に畏れを抱かせることは少のうございますが、さまざまなお方と親しくさせていただいて、考えに偏りのあることはございません。一度嫁いで参っておりますので、実家とも、そして、我が父と死別しておりますので当家とも関わりの強すぎるということなく、どなた様にも公平に物事を見られることと存じます。それによって諜姫を任ぜられましたので。
義母はあれで情報通で、センデ公子の2人の庶子の名前からトアヴァッサー大公の愛猫どものそれぞれの毛並み、模様まで存じておりますよ。
なぜこの期に及ぶまで義母をおそば近くにお寄せになりませなんだ!?」
堅苦しい口調で、この期に及んで寵姫の定義なんか言い出して。それはおれが思っていたものとは違っていて。レオノーレもなんか言ってたな。
「いいから申せ、誰が申そうと処罰などせぬ、フランツがなんだというのだ? 純血の王族だなんだってなら聞きあきたぞ」
「では憚りながら申し上げましょう。
センデ公子様は婚約しておいででしたが、ただいまはご婚約していらっしゃいません。それは……!」
「待て! それは、えらいことじゃないか……!」
リヒャルトの語った事実は、おれの脳味噌をひっくり返した。努力して忘れていたあにきの妄言を、おれは残らず思い出した。そして、おれは、その夜、改めて寵姫マグダレーネを召し、「物語」をさせた。