29章 57日目 シュヴァン城 1
ノーレと顔を合わせるのもエリーザベト様に申し訳ない気でいたのだが、食事の時には必ず逢うならいなのであった。
「陛下、おいしゅうございますよ?」
ノーレは笑って勧めてくるが、おれは顔を横に振った。
「要らぬ」
「シュテッテン伯をはじめとした東方諸侯が遅れてはならじと駆けつけまして、見苦しい残党狩りをやっておりましたのでやめさせました。……後出しになりましたが」
「ああ、いいよその判断で。ちゃんと国に返してやって」
「ですが、あまりお甘いとこの先舐められて治世の障りになるかと」
「今度は兄殺しの王に背くか? そうだな」
「殿下、いえ、陛下」
レオノーレは手を止めておれに向き直った。
「ただ今は心弱くなっておいでとお見逃し致しますが、明日以降そのようなふて腐れたもの言いをなさいました場合は諫言させて戴きますのでご承知おきくださいませ」
表情も改めて、低いがしっかりと言い切った言葉におれはひるんだ。もう諫言だろこれは。
「おれじしんが自分を測りかねているんだ。
あのあにを、この手で殺したんだぞ? そして、それをなんとも思っていないんだ。
おれはおかしいんじゃないのか? なあ、こんな若造に、皆ほんとに仕えてくれるだろうか?
トアヴァッサーのご老公はおれを認めてくれるだろうか? こんどこそフランツのお父上が本気で離反するんじゃ?
この新年も誰も出頭しなかったらどうしよう!?」
兄を見放した上に摂政のおれを軽く見て、祖王勅令の出頭日だというのにがらんとしていたこの夏の王宮の玉座の間を思い出した。あそこで気後れせずに全員に出頭を命じて締めていればこんなことにならなかったのではないか。それはこの乱の間時折おれの胸をかすめた問いだった。
「ネルバッハ公夫人をお呼びしてください。
お慰めするのは寵姫のお仕事。しかしながら、必要な量のお食事を召し上がるまではわたくしはここを動きませんので。
陛下、どうぞ召し上がってくださいませ」
振り返って侍従に命ずると、レオノーレは向き直っておれに食事を進めた。メガネのレンズが燭台の火を反射して冷たく光った。
根負けして、おれは肉を口に入れて飲み下した。要らぬと突っぱねることもできない心弱い情けない王子、いや、王なのだ、おれは。
レオノーレは賢い側近だ。すぐその日のうちに使いをやって、夕刻には辺境伯が飛んできておれに跪いて臣従を誓ってくれた。さしのべた手をたぐり寄せるとしっかり抱いて、おれの代わりに泣いてくれた。
「お労しや、殿下、いや、陛下、父王さまとの約定通り、我らダッフォンは最後の1人まで陛下のお味方でございます。どうぞ心をお置きになることなく我が郎党をご自分の腹心としてお使い下さいませ。もちろん、我が娘も変わらず端近にお使い下さいますよう」
「ああ、うん、ありがとう」
でも、応えられないんだよ。
おれは心で答えて、頬に掛かった辺境伯の涙を拭った。息子のいない辺境伯は、わが子同様におれを育ててくれた。おれが王になることまでは望んでいなかっただろう。自分が新王の後ろ盾になることを晴れがましいともめでたいとも思っていない姿はほんの少しおれの心を軽くしてくれた。
政治に関与させるのはほどほどにしよう。根っから武人だ、あまり慣れていないことをさせてはお互いよくないことになる。おれは笑顔を作って幼い頃からの恩人に感謝してみせた。
おやじさんに対するのに、表情をつくるなんて。
たしかに辺境伯はもう王としての礼をおれに対して行ったが、既におれの心の方でも、辺境伯へ距離ができてしまっていた。
……申し訳ない。
夕食もレオノーレは礼儀正しく皿を勧めてきた。礼を言っておれはそれらを口に詰め込んで飲み下した。
肉はさあ、鶏だったか、牛だったか。味はしなかった。