23章 55日目 アドラー橋前広場 7
ざわめいていた戦場が、クラウスの身の上語りが進むにつれて一時静まりかえった。ヴィジーの先の当主がかすれた声を掛けた。
静かに進んだクラウスが、右手を甲の覆いにやって目を露出させようとする。と、その隙を狙って前ヴィジー伯モヨシーの槍が一閃してクラウスの槍をはじき飛ばした!
「大伯父上ッ」
クラウスの声は悲鳴だった。
「ふはははははッ
そのようなつくり物語に心を乱すと思うてか、この慮外者がッ
小僧、ヴィジーを騙り取るには直情過ぎるな」
百戦錬磨の老騎士はクラウスののど元に槍の穂先を突きつけていた。
「クラウスッ」
クリスは弓を取ってもう矢をつがえていた。
「クリス殿、お控えを。クリス殿の腕を以てしてもこの距離では届きません。
殿下、今ここで大砲を撃ち込んで終わりにできますが」
レオノーレが冷静な声を発した。
「いい、クラウスにも当たるだろ」
「当てません。まずは威嚇に一発、しかる後に」
「黙ってろ」
「もう古いのです、一騎打ちなどは」
「黙ってろってッ」
大きな声を出してしまった、ノーレを相手に。ノーレは少し、怯えたような顔をした。
確かに、今は機動力を重視した騎兵と、大砲や銃を中心にした軍が主流だ。敗戦で有耶無耶になったが、れいの出兵の前までは最新最強だったリースの騎兵は、全員が銃で武装していた。貴族の男子は名目上騎士として扱うが、馬上槍試合などはもう年に一度のお祭りでしか行われないし、それで優勝したからといって戦場でも第一の働きをするといったものでもない。一対一で名乗りを上げて闘う余裕など今の戦にはないのだ。大砲の弾は2人を吹っ飛ばすし、訓練された兵士達は銃で狙いうちにもすることだろう。それができるように国軍は兵を日々鍛えてきた。昔ながらの個人の武勇はこの先尊ばれなくなるかも知れなかった。ヴィジーも大陸最強ではなくなって、滅びるのが当然と言えるのだろうか。
モヨシーが古式ゆかしい大鎧で現われたのは、一族の壊滅で新式の軽装の鎧がもう揃わないせいもあったのだろうし、フランツの言ったように死に装束の意味もあったのだろう。
最後に、王子の側近を道連れに華々しく闘って死ぬ、そういう筋をヴィジーの隠居は期待したのかも知れなかった。
だが、そうはいくまい。
おれはクラウスの強さを信じていた。みんなが浮かれていたあのヴェレ伯の山荘でも、クラウスはひとり鍛錬を続けていた。腕立てを200、素振りを200、膝の屈伸を200……。馬上の姿勢が恐ろしいほど整っていて、騎射など、クリスより巧みだった。みんな、口に出しはしなかったが、クラウスがヴィジーの血を引いていることを確信していた。トアヴァッサー大公の推挙はそれを知ってのことだったのだろう。
「おれは騙りものではない!
あやふやな血筋に頼って死にかけの隠居の遺産を横取りするぐらいなら、正々堂々勝って恩賞としてその領地を奪ってくれよう!
強きものが獲る、それがヴィジーの掟であろう!?」
クラウスはすぐさま馬を馳せて一寸で穂先をかわすと懐に飛び込み、抜きはなった大剣でモヨシーの喉首を左下から斜めに切り上げていた。
「ぐッ」
古き良き時代の鎧はそれくらいでは直接の傷をつくらない。が、怒りの斬撃は老体を馬上に留めさせなかった。ぐらりと傾いだ身体はどうと落ち、老体にはもう体勢を立て直すことは無理と見えた。だって重いんだもの。おれだって落馬したら従者が来てくれないとそのままだ。旧式の、中に鎖帷子を着込んだ大鎧はもう流行らない。クラウスも、今ふうに身軽にした略装だったので瞬発力を稼げたのだろう……ヴィジーのお祖母様仕込みの乗馬術なのかも知れないけどさ。
「ご隠居様!」
駆け寄ろうとする郎党は、クリスが連射で縫い止めた。クリスの著しく長い弓から放たれた矢は、黒死衆の足元に過たず突き立っていた。さらには先頭の旗本の掲げていた禍つ眼の旗を、吊っている紐をひょうと射抜いて落とし、黒死衆どもの頭に被せて身動き取れなくした。
「この距離を当てるとは……」
「その長弓、もしや?」
感嘆の声が敵からも味方からも上がる。