23章 55日目 アドラー橋前広場 6
クラウス殿の祖母君は、トアヴァッサー大公のお声掛かりでお迎えになった後添えでいらっしゃるのですけれど、障りがあって出自が申せぬとかで、当代の男爵様は襲爵にあたってご自身の紋を宮内省にお届けになるときに母方の紋をつけることができず、トアヴァッサーの大公妃さまがご自身のご実家の紋をお貸しくださったという曰くがございます。クラウス殿が黒髪黒瞳でいらっしゃるということから考えても、祖母君がヴィジー伯爵家縁の方ということはありうることと申し上げましょう」
「ありがとう、十分だ」
マグダが解説している間にクラウスは静かに馬を進め、2人は槍の届く距離に近づいていた。
「小僧、その縫い取り、どこの行き倒れからはぎ取って参った?」
まさしくヴィジーの隠居はその端布に反応を示した。
無理と知りつつおれは拡声器を2人に向けて耳に当てた。
「王弟殿下の騎士と見てそのもの言い、ヴィジーのご隠居には耄碌なされたと見なすがよろしいか。
我こそは、東方の智将トアヴァッサー大公のご推挙により王弟殿下がもとに伺候する、モナークス=ヴェレの姫騎士クリスティーナが想われ者、タットン男爵が次男クラウス・フォン・ウツィアー=タットン。
この婚礼衣装の端布に見覚えあるとお見受けして今一度お尋ね申す。
この花の紋所に見覚えあらば御身の眷属にて行方知れずの娘に心当たりがあろう。
その者の名を告げられよ! この花の名をご存知であられるな?」
「そは鬱金香なり! 赤の地に金糸で鬱金香を縫い取りしたるはまさしく我が一族の婚礼衣装に他ならず!
一族の恥とて公表はしておらなんだが、今を去ること50年前、カルル山脈が彼方、スカス族が族長に嫁ぐ我が妹アイーシャの嫁入り行列が夜盗に襲われ、護衛の郎党はことごとく討ち死に、アイーシャは付けてやった召使いともども行方知れずになって未だ手がかり一つ掴めぬ。族長へは次の妹をやって手切れには相ならず済んだのが幸いであった。
面目を失せし不祥事であったゆえ秘してきたがこの期に及んではなにをか繕わん。
小僧、そなたアイーシャの消息を知っておってその剽げたいでたちをして参ったか!? もはや断絶して形も整わぬ時代遅れの伯爵家の滅亡に、さらに恥の上塗りを企図せしか?」
老雄の声はまだまだ大きかった。おれたちは身を竦ませてその言葉をやり過ごした。嫁入り行列が襲われるなんて確かに不祥事だ。50年前ならじいさんの上出来アレクが王をやっていた頃だ。カルル山脈なんて辺境なら山賊がいてもおかしくない。それにしてもその花嫁やお付きの女衆はどうなったことだろう。少し胸が痛んだ。
「アイーシャは我が祖母なり!
三代ヴィジー伯シーエ・オミナーモトを父とし、兄は四代モヨシー。
アレクサンデル秀才王陛下の御代に夜盗の討伐ありて、トアヴァッサー公に従いし我が祖父ヘルベルト・フォン・ウツィアー=タットンが恩賞代わりに夜盗に拐かされし娘を賜りて、後添えに迎えしものなり。
アイーシャが申すには、嫁入り行列を襲われて拐かされしものとのこと。郎党は自らを守って皆ことごとく討ち死にし、召使いどもは心乱れるままに病を得て死ぬ者あり、遊び女として売られるあり、慰み者として責め殺されるあり、さまざまにて詳らかならず。ただ自らは良人の愛情濃やかなるを頼みに嫡男を挙げ、ささやかなりといえども幸せを得て日々を送るまでに至りぬと。息子バルバロッサはヴィジーの血を受け継がなんだゆえ一族の武技を伝えるは控えしが、孫のクラウスが第二子にしてようようヴィジーの血を表わせしにより、襁褓の程より騎馬、剣技、その他もろもろのヴィジーが剣士としての嗜みを知る限り伝えて育てにけるとぞ。
先の大戦にて一族郎党の大半を失いオミナモートの家が滅亡の危機にあるを憂え、機会あればこの婚礼衣装の切れ端を掲げてアイーシャの末裔ここにありと呼ばわって兄上様のお心を安んじて差し上げよとの亡き我が祖母との約定、ここに果たさせていただく!」
クラウスは高らかに語って見せた。
「目を、目を見せよ、一族の者ならヴィジーの目をしておるはず……そなた、まことアイーシャが孫か……」
ざわめいていた戦場が、クラウスの身の上語りが進むにつれて一時静まりかえった。ヴィジーの先の当主がかすれた声を掛けた。