20章 45日目 ネルバッハ公爵邸 舞踏の間 2
【どうぞ、美しい方。その優しきお手をわたしにお預け下さい】
思い切り芝居っけたっぷりに跪いて、相手を願う。それはこの男には慣れた得意技。
思い切りやつした農民の娘のような服。いや、真っ白のブラウスはそれでも絹のように光る最高級の亜麻布だし、豊かな胸を際だたせる胴着はびっしりその地方ふうに変容させた色鮮やかな百合紋が刺繍されている。黒いスカートはたっぷり広がるレントレラ用だ。
「妾……わたくしが……いいのでしょうか?」
金髪のその貴婦人は耳まで染めた。あ、猛練習の成果が出て、今日はちゃんとしゃべれてる。
【是非、お願いします】
美しい一対は舞踏の間の中央に進み出た。
曲がかかった。楽団もみんな仮面を付けて、それを苦にせず三拍子の曲を奏でたおす。まだ人前で踊る自信のない者が多くて、最初の曲はあとはこのダンスを持ち込んだ張本人のシュテッテン兄妹とが見本に踊るきりで、あとは壁の華となって見物した。
「お美しいわ」
「なんてお似合い。両陛下がこの場におられるよう」
親しい者同士感想が漏れる。
「ああ、ゾフィー、それを言ってはなりませんわ。誰とは解りませんが、王様のようなお方と、誰とは解りませんが、田舎娘の仮装をなさった方」
「失礼しましたわ、ええ、王様のような方と、田舎娘の仮装の方。ほんと、夢のよう」
「こんな日が来ればようございましたのに」
「……残念ですわ」
少ししんみりした後は、はっとして無理にも盛り上げる。
「でも、あの田舎娘の仮装の方、身のこなしがさすが、優雅でいらっしゃるわ」
「本当に。お稽古はたくさんなさったのかしら、お元気そうで何より」
「もとよりダンスはお上手でいらしたのよ。陛……いいえ、ご主人とうまく行かなくてあまり社交の場には出ていらっしゃらなくなって」
「言葉もご不自由なさそうで……ドレスはやっぱりあちらの方が進んでますし……一度ご機嫌伺いなどしてみたいわ、どなたかご紹介いただけませんかしら?」
「今は辺境伯のお嬢様がご機嫌伺いに通っておられるそうですわ」
「ではマグダ様からお話を通して戴いて」
「その時は、あたくしもどうぞご一緒させて」
ひそひそと楽しい計画が出来上ってゆく。
「すっかり衆目を奪われてしまっておる。次は是非われらも加わろうぞ」
ご機嫌な様子なのは長い金の髪を背にたらした騎士の姿をしたものだった。
「いや、そなたはそれでいいかもしれんが、おれはやはり遠慮する……教会にばれてもまずいし」
「仮装舞踏会なのだからこれくらしなくては盛り上がらぬ。クラウス、そなたはわらわがそなた以外のものを抱いて踊ってもかまわぬのか? 哀しいぞ」
「い、いや、それはそうだが、これはあまりにも突飛すぎるのではないか……」
真っ赤になってすくみ上がっているのはこの度王子に結婚を認められた王子の学友、クラウス・フォン・ウツィアーであった。深い緋の色のドレスに身を包んでいる。黒い巻き髪のかつらを被って、小柄な姫君になりおおせている。当然、相手はヴェレ伯爵の令嬢クリスティーナで。
「うーん、かわゆいぞクラウス。かまわぬ、わらわはそなたと踊りたくてたまらぬのじゃ」
青い眼を煌めかせてクリスティーナはその額に接吻すると、ぐいぐい引っ張って広間の真ん中に夫を引きずり出して、曲の途中から踊り出してしまった。
「まあ、クリスティーナ様ったら!」
詰め込みで練習したが、やはり細かいところはいろいろ間違えている。それを生き生きとした笑顔とスッキリ伸びた手足でごまかして。それはそれで微笑ましくて目が離せない、父伯爵譲りのダンスの裏技。
「ほんとうに、あのお方はご自分のやりたいようになさる方!」
「では、われわれもやりたいようにしますか」
うずうずしていた青年が、傍らの姫君を誘った。
「あのお方の隣ならば、多少脚捌きがおぼつかなくても目立たなそうです」
「まあ、おっしゃること!」
そこは笑って同意して、踊りの輪が広がった。