49.三月が来た!
ついに三月がやって来た。
日付の上ではもう春が近い。しかし感覚的にはまだ春ではない。春のような温もりはなく、屋外はいまだに寒いのだ。植物についた蕾は徐々に膨らみ始めているが、花が咲くのはもう少し先となるだろう。
二月の後半はほとんどがよく分からないミニイベントだった。しなくてはならない授業は、すべて、試験までに終了したからだ。それゆえ、試験の後は時間潰しのような状態が続いていた。
しかし、それももうすぐ終わる。
卒業式が終われば、ここで暮らす日々にも幕が降りるのだから。
「それにしても、もう来週卒業だなんてねぇ。不思議な気分だわ」
卒業式を一週間後に控えた、ある日の夜。
フレアが寮にある部屋で寛いでいると、それまで口紅の研究を続けていたミルフィが急にフレアに話しかけた。
「えぇ、そうね」
ベッドに寝転がってゴロゴロしていたフレアは、上半身を起こし、そう返す。
「フレアちゃんとの共同生活が終わっちゃうなんて。寂しいわ」
「同感! 城に帰るのは憂鬱!」
「あら。そうなの?」
「……前にも言ったと思うけど、私は城が好きじゃないの」
入学する前は、フレア自身も、「いつか途中で帰りたくなるかも」と思ってしまう部分はあった。長い間城から離れた経験がなかったからである。経験したことがないから、城から離れることにいつまで耐えられるか、不安も多少あったのだ。
けれども、ガーベラ学院に入学してからの日々は、何にも縛られず楽しくて。
いつの間にやら帰りたくなくなった。
堅苦しく陰謀が渦巻く城より、自由を謳歌できる学院の方が、フレアには合っていたのだ。
「そーいえばそうだったわねぇ。そんなこと言ってたわねぇ」
ミルフィは一本伸ばした人差し指を己の唇に添えながら発した。
「えぇ。まぁいつかは帰らなくちゃならないのだけど」
フレアはべつに城から逃げる気はない。いつかそこに戻らなくてはならない、それは変えようのない定めなのだから。いずれこの国を統べることになるであろう自身が城に帰らないわけにはいかない。それは仕方のないことだと、とうに諦めている。
「帰りたくないっていうのも、それはそれで大変ねぇ」
「ホントそれ。何とも言えない気分だわ」
「ふふ。フレアちゃんのそういう王女様らしくないところ、あたしはとーっても好きよ」
「……ありがとう、ミルフィ」
時は止まってはくれない。どんなに止まってほしいと願っても、ただひたすらに進んでいってしまう。そして、変えられない定めもまた、いつしか近づいてきてしまうものだ。その前にあっては、人など何もなせない。変えられる程度の定めなら、人ももう少しは何かなせるのだろうが。
そしてついに訪れる、卒業式の日。
朝からいつもとは違う独特の雰囲気があった。
制服を着ていることも、花組の一人として生きていることも、これまでの日々と何も変わらない。ただ、学生としての生活が終わりに近づいているという意味では、状況がいつもとは大違いだ。
卒業式が行われるのはホール。
だが、まずは教室へ行く。
「おはよう! ハイン」
フレアが教室へ入った時、偶然、ハインが教室から出ていくところだった。
ばったり顔を合わせることとなってしまった。
「うむ。おはよう」
ハインは口をどら焼きのような形にしながら低い声で挨拶する。
「もう来てたのね! 早いわね」
「……うむ」
「今からどこかへ行くの?」
すれ違う際フレアがハインに話しかけたことに、深い意味はない。ただ何となく話しかけたいような気分になったから——あるのはそれだけの理由だ。
「手洗いに」
「そっか! いってらっしゃい!」
会話は意外とすぐに終わってしまう。でも、フレアとしてはそれでも良かった。最後の日だからこそクラスメイトと喋りたい、という望みは、既に達成されたのだから。
それからフレアは自分の席の方へ歩いていく。
その途中、珍しくイノアに「おはよう」と声をかけられた。
これまで向こうから話しかけてきたことはほとんどなく、それゆえ、フレアは驚く。積極的に挨拶してもらえる可能性なんて、考えてもみなかったのだ。
「お、おはよう。珍しいわね、イノア」
フレアは戸惑いを抱えたままそんな風に言葉を発する。
するとイノアは、フレアをジロリと見た。
「……嫌み?」
「まさか! 嬉しかったの。声をかけてもらえて!」
誤解されたくないフレアは、首を激しく左右に振りながら、はっきりと心を述べる。
「ふぅん。ならまぁいいけど」
こうして、イノアとフレアの短い会話が終わる。
フレアは今度こそ席に到着することができた。座り慣れた椅子に座り、隣の席のリカルドへと視線を向ける。
「何だ王女。ニマニマして」
いきなり見つめられたリカルドは、困惑したような顔で発する。
「ううん。何でもないのよ」
フレアは即座にそう返した。だがリカルドは、その程度の言葉では納得できなかったようだ。まだフレアを怪しんでいる。隠された意図を探ろうとでもしているかのような顔をし続けていた。
「……ったく。怪しすぎるぞ」
「私が? まっさか! 怪しいわけないでしょ。リカルドったら、どうしてそんなこと言うの?」
「不自然だろ、テンションが」
それを聞いた瞬間、フレアは拍子抜けしたような顔をした。
「あぁ! そっちね! そういうことなら、いつもとは違うかもしれないわっ」
リカルドの言葉の意味が、ようやくフレアに伝わった。
「卒業式なんて慣れないから、ドキドキしてるの!」




