治せぬ病
しくじった。
再訪問の要望を受けたレインは、全身から一気に冷や汗を噴き出した。
あの薬(血)で治せぬ病はない。しかし今も苦しんでいるというのなら、おそらく例の副作用が出てしまったのだ。
希釈は十分すぎるほどやったつもりだったが――数千年の眠りでこちらの魔力が大きくなりすぎていたのだろうか。
「分かった。今日の夜、至急そっちに行くが……あれが駄目だったというなら、かなりの荒療治になるかもしれん。覚悟しておいてくれ。血も必要になるかもしれんが、提供できる者はいるか?」
「城に侍医がおりますので、その者に何なりとお申し付けください。人手も薬もすぐに手配できましょう」
もし吸血鬼化が始まったのなら、対処法はただ一つ。
針を刺して血液を抜き、新たに健全な血液を外から送り込む。要するに血を入れ替えて、問題のない濃度まで魔力を体内で希釈させるのだ。
「ま、任せておいてくれ……こうなった以上、妾としてもしっかり最善は尽くすでな……」
使者たちを安堵させるように笑いかけるも、自身のその笑みが引き攣っているのをレインは感じていた。
――――――――……
しかし、いざ宮殿を訪れてみると想定していた状況とは違っていた。
「ん?」
てっきり少年――アデル王子が吸血衝動に駆られ大暴れしているものかと思ったが、実際はただ静かに眠りに就いているだけだったのだ。吸血鬼化している様子も見られない。
「これはどういう……?」
だが、生命力は相変わらず衰えたままだ。先日より少しは改善したように見えるが、未だ弱弱しい気配である。
「魔法使い殿。お申しつけのとおり、宮殿の者たちに血の供与を呼び掛けて参りました」
部屋の入口でアデルの様子を見ていると、息を切らせた侍医が駆け寄ってきた。
すっかり魔法使いと呼ばれるのが定着しているが、信用を買うためにも甘んじて受け入れることにする。
「条件は『体力のある成人で、可能な限り身分の高い者』でしたな。体力は分かりますが、身分というのは……?」
「感染症をもらってはいかんからな。衛生状態のいい環境で過ごしている人間から貰った方がリスクが低い」
体力でいえば衛兵たちなどが頼りになるが、彼らは仕事柄傷を負うことも多い。
文官などに候補を絞ってから、あとは味を見て最も相性のいい者に供与を求めるつもりだったが――
「しかしだ。もしかすると、血は要らんかもしれん。妾が見た限りでは、確かに衰弱は相変わらずだが……そこまで急を要するわけでもなさそうだ」
少なくとも例の副作用が出たわけではない。
「そ、そうですか。そうであればこちらも安心ですが」
「ところで侍医よ。今、あの童の病状はどんなものなのだ? 妾が前に薬を与えてからも、相変わらず悪いままか?」
「いいえ。あれから劇的な改善が見られました」
ほう? と首を傾げるレインの前で侍医は続ける。
「喀血や、疼痛による不眠といったものはほぼ見られなくなりました」
「しかしあの様子は……」
「はい。確かに改善はあったのですが……。ご無礼を承知で申し上げますと、どうも快方に向かっているようには見えぬのです。十分な食事も摂らぬ上、気力に至っては以前よりも萎えており、脈も決して強くはありません」
「うむ。妾も同じ見立てだ」
さすがに王族の侍医だけあって熟練の腕前である。
こちらは魔眼で生命力の火が衰えていることを見抜いたが、彼も同じ気配を人間の身ながらに察したらしい。これが二流の医者なら、表層的な病症改善だけを見て楽観的になったことだろう。
「ふむ。妾の血……いや薬が効かんとなると、これはアレか……?」
「魔法使い殿?」
任せておけと侍医に呟いてから、レインは部屋に踏み込む。そして寝台で寝ているアデルを揺り起こした。
「おい、おい起きろ童」
「ん? んん……? あ、あんたはこの前の医者……」
「ぬしな。もう『死にたい』とか思うのはやめろ」
レインの血を飲んでなお生命力が戻らないとき。
それは本人に『生きるつもりがない』ときだけだ。
「そりゃあ今までは苦しかったかもしれんが、妾がやった薬でもう身体はよくなったろう。これからは普通に生きていけるのだから、あまり悲観的になるな」
励ましに白髪混じりの頭を撫でてやろうとしたが、アデルはぱしりとこちらの手を払いのけた。
「気休めはいい。どうせ僕は死ぬんだ。放っといてくれ」
「あん? それは妾がヤブだと言っておるのか?」
「そうじゃない。誰がやったって同じだって言ってるんだ」
妙に頑なである。
苦痛に絶望して生きる気をなくしているのかと思いきや、どうもそんな感じではない。
これはまるで、自ら死を望んでいるような――
「……ふむ?」
アデルが再び寝台に転がったので、レインは踵を返して部屋の入口に戻る。そして、そこに立っていた侍医に声を落として尋ねる。
「のう。あの童、なにか治ったらまずい事情でもあるのか? あちこちから命を狙われるようになるとか」
「そんなまさか。我が国は平和でございます。そのような企てをする者はおりません」
ではなぜ。
そう思っていると、塔の螺旋階段を登ってくる音が響いた。
「お初にお目にかかります、魔法使い殿。血が必要ということでしたのでやって参りました。私のもので合うかは分かりませんが……」
長い階段に疲れた様子で、侍従に付き添われながら上がってきたのは、恰幅のよい髭の男性だった。豪奢な服装からして、こちらの注文どおりかなり身分は高そうに見える。
だが。
「あー、すまんな。どうやら血は必要では……」
「へ、陛下!?」
こちらが断ろうとする前に、脇の侍医が驚きの声を発した。
なるほど確かに身分は最も高い。それに血縁としても近いから、人選としては最適だろう。型が合うかは親子でも見てみなければ分からないが。
「止めないでくれ。私は父として何もしてやってこれなかったからな。せめて血ぐらいは分け与えてやりたいのだ。さあ魔法使い殿。アデルには血が必要なのでしょう? いくらでも私のものを使ってください」
「あー……すまん。見た感じ、やっぱり血はいらん感じだったのだ。しかしまあ、都合がいい」
レインはやや気まずくなりながら親指で部屋の中を示す。
「血は不要。今あの童に必要なのは生きる気力だ。ならぬしが父として励ましの言葉でもかけてやってくれ」
「いえ。それは、やめておいた方がいいでしょう」
ところが、急に国王は意気消沈した。
「あの子は私を嫌っておりますからな。いえ、というよりも……私があの子を嫌っていると思われているのか……どうあれ、私と会うことをあの子も望まないでしょう」
「なんだ? 親子喧嘩でもしているのか?」
「その程度の話ならよかったのですが」
苦し紛れのような笑いを口の端に浮かべてから、国王は悲しそうに言った。
「あの子の母――つまり私の妃は、お産の際に命を落としておりましてな。そのせいであの子は、自分をずっと責めているのです」