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患者のことは大切に

 午後の診療も大事なく片付き、レインは出立の支度を始めた。

 布カバンに診療用の道具を詰め、座り仕事でなまった身体を背伸びでほぐす。


「よーし助手。妾は今から都に行ってくるからの、留守は任せたぞ。これは先払いの居残り手当な、無駄遣いしてはならんぞ」

「ありがとうございます!」


 時間外の労働を任せる以上、給金はしっかりとプラスしておく。少女に上乗せ分の銅貨を握らせてから、レインは診療所の表に出た。ずっと停まっていた馬車の中では、王からの遣いという老紳士たちが半信半疑の表情で待っている。


「地図と紹介状は用意いたしましたが、本当に馬の準備はよいのですか? 今日のうちにここから都へ着くのは不可能かと」

「大丈夫じゃって。心配無用」


 地図と紹介状を受け取ってから、レインはにこりと笑う。


「ぬしらもご苦労じゃったな。もうじき日も落ちるし、帰るなら急いだ方がいいぞ」

「はあ、では……」


 何度も訝しげにレインを振り返りながら、使者たちは都へと向かう街道に馬車を走らせ、村から去っていく。

 一方のレインは街道とは逆方向――村近くの森の方に歩いていく。人目に付かぬように森の中へ踏み入り、藪の中でひっそりと気配を断つ。


 翼を広げて飛んでいくことは容易い。音すら置き去りにする最大速度なら、ほんの瞬きのうちにでも都へたどり着けるだろう。


 しかし今は用心すべき時。

 派手に魔力を用いる移動方法は避けるべきだった。


「……そろそろか」


 春先とはいえ、まだ日の長い季節ではない。夕方になったかと思えば、もう早くも日が地平線に沈みかけている。夜が訪れる頃合だ。


 茜色に染まっていた光景が夜の暗がりに覆われ始めたとき、レインは地面に沈むかのように姿を消した。


 始祖の吸血鬼であるレインは夜闇の化身ともいえる存在である。

 影と同化することなど朝飯前。そして、影が伸びている限りはその中を自由に移動できる。


 世界の半分が影に覆われる夜ともなれば――


「よし到着」


 都の路地裏。

 村よりも一足早く夜が訪れていた街の片隅で、レインはひょっこりと地面から頭を出した。村からここまで、移動にかかった時間は一秒にも満たない。


 影を通じた移動の優秀なところは、瞬間移動とほぼ変わらない速さの上に、魔力を一切消費しないという点である。吸血鬼としての属性を活かしたものであるから、ほとんど歩くのと変わりない行為だ。


 無論、『魔法使い』とやらに察知される危険もない。


「んで、場所はどこじゃったかな。どれどれ……都の真ん中か」


 地図のど真ん中に赤い印が描かれている。ついでに補足で「城」とも。

 路地裏から見上げれば、他の建物とは比べようもないほどに巨大な白亜の宮殿が目に入ってきた。

 王からの使者と言っていたし、よほどの偉いさんの病人なのだろう。


「これで治してやれば妾の医者としての評価にも箔が付くな。ますます隠れ蓑作戦が上手くいきそうだ」


 布カバンを肩に担ぎ、駆け足で宮殿まで駆ける。

 まっすぐに向かうと宮殿を囲う外周の防壁に突き当たったので、それに沿って門を探す。


 かなり広い外周だったが、しばらく歩いていると槍を持った衛兵たちのいる正門に辿り着いた。


「おーい! 頼まれて往診にやってきた医者なんじゃが、通してもらえるか。ほれ紹介状もあるぞ」


 手を振りながら衛兵に近づき、老紳士から渡された紹介状を突き出す

『封は開けないまま衛兵に渡すように』と言われたので、しっかり閉じたままである。


 受け取った衛兵が封を破って読むと、途端に彼は目の色を変えた。


「隊長を呼べ」


 彼が他の衛兵に慌てて声をかけると、宮殿の中から少し上等な鎧の衛兵が出てくる。

 そして紹介状を渡されると、彼もまた目を見開いた。

 かなり遠くで何かを囁き合っていたので、レインは耳をそばだてる。



「筆跡、印、符合。すべて本物だ……」

「しかし、この手紙を信じるなら出発したのはつい数十分前ということになりませんか?」

「『偽りなく彼女が到着していれば、まず間違いなく本物』――か。ふむ……」


 しばし話し合った後、衛兵がこちらに戻ってくる。


「失礼いたしますが、村からこちらへはどのようにしてお越しに?」

「急いで来た!」


 えへんと胸を張ってレインは応じる。


「は、はあ……具体的には……?」

「歩いてきた!」


 嘘は言っていない。ちょっと歩くコースが影の中だったというだけだ。

 向こうだって病人を抱えているのなら、早く来てもらえるに越したことはないだろう。双方が得なのだから、何の問題もない。


 また衛兵たちは話し合いに入ったが、やがて何らかの結論が出たようで、


「それでは……診ていただいてよろしいでしょうか。しかし、そのカバンの中を改めさせてもらっても?」

「なんじゃ。別にいいが、普通の道具しか入っておらんぞ。あと消毒済の針やらは素手で触るなよ。使えなくなってしまう」


 布カバンを渡すと、衛兵たちは慎重にその中身を確認し始めた。


「こちらの小箱に詰まっているのは? 何やら毒々しいキノコのようですが……」

「ああ、まあ毒キノコといえば毒キノコじゃな。でも用法次第では鎮痛作用がある」

「申し訳ありませんが、危険物の類は没収させていただきます」

「ううん?」


 レインは顔を顰める。


「危険物といってもな。それを言ったら危険でない薬なんぞ世の中にはないぞ。どんな薬も毒と紙一重だ」

「万が一にも事故のあってはならぬ方なのです。薬が必要とあらば、侍医と相談の上で改めてご用意いたしますので、どうかご理解を」

「つまり……妾の持ち込む薬は信用ならんということか?」


 衛兵たちは押し黙ったが、レインは苦笑して肩をすくめてみせる。


「ま、気持ちは分からんではない。妾はどこからどう見てもただの田舎医者じゃからな。そう簡単に信用してもらえるとは思っておらんよ」


 はっは、と笑って掌を振る。

 これしきの扱いで怒るほどレインは子供ではない。むしろ、田舎医者と侮られるがゆえの態度なら、村医者としての自分の擬態が完璧ということだ。これほど喜ばしいことはない。


「とりあえず余計なことはせんから、診るだけ診させてもらおうか。ほれ、患者のところに案内してくれ」

「わ、分かりました……」

「そう不安そうな顔をするな。妾は医者じゃ。病人に危害なんか加えたりするものか」


 衛兵の案内に従って宮殿に迎え入れられると、待っていたのは長い階段だった。

 宮殿の周りに立つ尖塔の一本のようで、頂上に着くまで螺旋階段を何周もするほど高い。


「こちらです」


 うんざりするほど階段を登りつめた末、頂上にある扉を示された。ただの扉ではない。両開きの鉄製の扉で、外側から閂がかかっており、見張りも複数立っている。


 ぱっと見では檻のようだとすら映った。

 それほどまで厳重に守らねばならぬ患者なのだろうか。


「招いていた医者が来てくださった。扉を開いてくれ」

「はっ」


 案内してくれた衛兵が見張りに命じると、閂が外されて鉄扉が開かれる。

 その向こうには、豪奢な寝台こそ置かれているが――その他の家具がほとんど置かれていない、妙にいびつな部屋があった。


 そしてその寝台に、患者らしき少年が横たわっていた。

 まだ十歳ほどか。金色の髪をしているが、病状の悪さゆえか白髪が所々に混ざっている。


 少年はこちらが近づいてきたのに気付くと、上半身を起こして――こう言った。


「……新しい先生ですね。お願いがあります。どうか僕を殺してはくれませんか」



 レインは少年の脳天に勢いよくゲンコツをかました。


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