吸血姫レインフェリア・ブラッドの知られざる秘密
復讐を誓いはしたが、だからといってすぐに人里を襲うわけではない。
悠久の時を生きる存在であるレインは、非常に思慮深い。
人間は個々としては脆弱な存在だが、種としての総体を見たときは限りなく厄介な存在である。それを誰よりも理解していたからこそ、彼女は数千年も魔力を溜め続けていたのだ。
ここで復讐心のままに暴れるのは軽率であり、吸血鬼の長としてあり得ぬ愚行といえる。
少なくとも、人間たちがどうやって自分以外の吸血鬼を皆殺しにしてくれたのか――その手法を知るまでは、正体を悟られることは避けるべきだった。
「ふ、人間ども。我ら吸血鬼の叡知を舐めてくれるなよ……」
もちろん、影に生きる存在の常として、怪しまれず人間社会に溶け込む術は心得ている。
太古よりのノウハウとして、吸血鬼は医者として人里に紛れ込むのが習わしだ。病人の血を舐めればどこを悪くしているかがおおよそ分かる上、一族が蓄積してきた医術の実践知識は並大抵ではない。
しかも始祖のレインに限れば、通常の医術を遥かに凌駕する奥の手すら隠し持っている。
そういうわけで。
「先生。うちの子が熱っぽいみたいなんですけど、これって流行り病では……?」
「ったく、ぬしは心配性じゃのう」
森を抜け出たレインは、近くにあった田舎の村に旅の医者として滞在していた。
元から医者すらいなかった寒村にあって、彼女は諸手で歓迎された。そしてたったの二カ月ほどで、診療所の小屋には連日大行列ができるようになっていた。
熱にうなされた幼子を寝台に寝かせつつ、その母親が心配そうな視線をレインに向けている。
レインはため息をつき、もう何度目にもなる説明を吐いた。
「よいか? 血には免疫というものがあってだな。病や毒の類には、予め軽く馴らしておくと抵抗力がぐんと増すのだ。ここいらで流行っている病には一通り対策しておいたから、ぬしらはそう簡単に流行り病にはかからん」
「はあ。ですけど、あんな針一本で本当に防げるんですか……?」
「まあ完全ではない。予防効果には個人差があるからな。だからこうして、すぐ診療所に連れてきたのはよい判断だぞ。しかし――今かかっているのはただの風邪だ。妾がいる限りそう滅多なことは起きんのだから、たかが熱が出たくらいでそう取り乱すな」
消毒した針を幼子の腕に刺し、一滴だけ採った血を指先にぺろりと舐める。
「味からしてもただの熱で間違いない。ちょっとスパイシーになっているだけだ」
ちなみに血を吸う行為は相手を下僕にする催眠効果があるが、それはあくまで直接噛みついて魔力を流し込んだときに限る。こうして間接的に味見をするだけでは相手に影響を及ぼすことはできない。
だが、それでいいのだ。
今は雌伏しつつ人間どもの信頼を集め、情報を収集する段階なのだから。人類がどんな切り札を隠し持っているか分からないうちは、こちらも最大限の警戒をもって挑む。決して正体は悟らせない。
「しかし先生はすごいお方ですねえ。血を舐めただけで病気が分かってしまうなんて。不思議なお方です」
「妾は名医の中の名医だからな」
んじゃ、と言ってレインは棚を漁る。
「ただの熱だからそう大仰な薬はいらん。滋養のあるものを食って寝てるのが一番だ。水はたっぷり飲ませるのがいいが、念のため一度沸騰させた湯冷ましにしてから飲ませろ。たとえ井戸水でも生水は厳禁だぞ」
「ですが先生。今年は凶作だったので、あまり滋養のあるものが……」
「ほい」
棚から引っ張り出してごろりと転がしたのは、大量の芋と干し肉である。
「最近、評判を聞きつけて遠くの村や町からも来る者がおってな。いろいろ置いてってくれることも多いのだ。妾一人では食いきれんから、こいつで芋粥でも作って精を付けろ。干し肉は細かく刻んで呑み込みやすくするように」
「あ、ありがとうございます! しかし……よいのでしょうか? ここまでしてもらって、何も払わなくていいとは……」
「だって、ぬしは食うにも困るくらい文無しなのだろう? ならば請求したって麦一粒出てくるまい。金は出せる奴から取るから気にするな」
幼子の母親が何度もこちらに頭を下げてくる。
もちろんこれは善心からの言葉などではない。いずれ人間どもには、再興した吸血鬼一族の家畜として健康で美味な血を捧げてもらうことになるのだ。
分け与えた食糧の対価は、ツケ払いとして将来しっかり回収させてもらう。
と、そこで診察室の戸が開く。
「せんせぇー。またお客さんが増えたよぉー。もう小屋のお外まで並んでる!」
入ってきたのは十歳ほどの少女だ。白衣と口布を纏い、身振り手振りを交えながら混雑具合を伝えようとしている。
「む、混んできたか。じゃあ、ぬしの診察はこれで終わりな。さっき言ったとおりにすれば大丈夫じゃから、もし何か変わったことがあったらいつでも呼べ」
「はい! ありがとうございます!」
母親は深く頭を下げ、子供を抱えて去っていく。
レインはしゃがみこんで白衣の少女の前に視線を合わせ、頭にぽんと手を置く。
「いつも手伝いご苦労様じゃな。妾は症状が重そうな奴がいないか見てくるから、その間に寝台の布を取り換えておいてくれ」
「うん!」
「ついでに消毒用の湯沸しも頼む。火の扱いには気を付けてな」
「分かった!」
元気一杯に少女は手を挙げて了解の仕草を見せる。
この少女は下僕――ではない。血は吸っていない。しかし、似たようなものである。
凶作にあえぐこの村で、とりわけ貧しかった一軒が口減らしとして娘の身売りを検討していた。それをこの診療所の助手として引き受けた形だ。
もちろん、働き手として買い取った以上はそれなりに酷使している。
週に3日しか休みは与えず、疲れるまで昼寝やおやつの休憩は許さない。
しかし給金は弾んでいるから、貧しい家族のことを思えば逃げることもできない。これこそ、飴と鞭の両方を駆使するレインなりの搾取術である。
少女の両親は、そんな娘の現状を哀れんでか日々泣き暮らしているらしい。ざまあみるがいい。
レインは診察室から出て、長椅子にぞろりと並んだ患者たちを見渡す。
「はーい、お待たせしたのう。基本は順番どおりで進めていくけど、特別重そうな奴はおらんか? おらんな」
がちゃりと小屋の戸を開け、今度は外に並ぶ者たちを見る。血を舐めるほどの詳細な診断はできないが、レインの赤い瞳は見る者の生命力の光を見通す。列の中に重篤そうな容体の者はいない。
「よし大丈夫! じゃあしばらく並んでいろ。あ、でも足腰の弱いお年寄りは小屋に入って座っていろ。優先席がある。おっと? そこにいるのは妊婦だな? いかんぞ、診療所に来て病気をもらっては本末転倒だろう。後で妾の方から往診に向かうから一旦家に戻れ。あ、そっちは――……」
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さて。
吸血姫・レインフェリア・ブラッドについては、この世の誰にも知られざる秘密がある。
夜闇を統べるもの。神にすら匹敵する無敵の存在と称される彼女だが。
眷属たちの滅びを心から深く嘆き悲しみ、全人類に復讐を決意する程度には――
どうしようもなく、根が優しいのだった。