現代日本の獣害現状から考察する『魔物』の定義および冒険者の立ち位置について-構想-
ベリーパイが美味しそうなんです。
いやね、調査に向かう途中の駅で見かけるパン屋さんで、すごい美味しそうなベリーパイ売ってるんですよ。
いつも美味しそうだなぁって思うんだけど、金欠だから我慢してて、毎週くぎゅるるってなってます。今も財布を取り出す誘惑に耐えながら、これを執筆しています。
うちの自作キャラが喫茶店を見てくぎゅるるってなってるのは、だいたい作者の飢えが反映された結果です。常に腹減ってます。
さて、前置きはこんなところにして……
今日の理系蛮族は『ファンタジー世界における魔物と冒険者の立ち位置』について、『現代日本の獣害対策』と比較しながらちょっと考えてみたいと思います。
◇◇◇
1.オオカミから魔物という考え方が生まれた経緯を考える
さて、まず『魔物』とはなんぞや。
まぁ基本的には、ゲームの敵キャラとして当たり前に存在する生物……ですよね。
これとは別に家畜という存在がいる世界が多いという事から、魔物の定義は『人間や家畜に害を及ぼす生物』の総称であると考えるのが良いのでしょう。
考え方のベースとしては、家畜に害を及ぼすとされ絶滅、そして現代はロシア側からの移入で回復の兆しを見せるも、やはり根絶運動が起きている事で話題のヨーロッパのオオカミを例に挙げるのが分かりやすいですかね。
オオカミについては民俗学も生態学も漁った経験があるのでもっと語りたいところではありますが、とりあえず割愛。アジア圏のオオカミ信仰文化とかは置いておいて、西洋文化とオオカミの関係について、簡潔に説明します。
まず、キリスト教圏内でのオオカミの嫌われ方は半端ない。今でも嫌われ方が半端ないので、回復の兆しを見せても密猟の被害に遭ってしまいます。
原因は、西洋の牧畜文化にあるのでしょう。羊やヤギ、牛などを襲う大型動物は、ことごとく絶滅の憂き目を見ています。まぁそれ以外の大型動物もですけど。
まぁ、こう言っちゃなんですが、西洋文化は野生動物にはあまり優しくない思想の持ち方をしてきました。
狩猟民族として生活していた頃は良かったのでしょうが、牧畜を始めたら、周囲の野生動物は『生活の糧』である家畜を襲う『悪魔の使い』であり、『穢れたもの』になってしまったわけです。
この辺の考え方は、西洋の吸血鬼や人狼の伝説にも反映されていますね。オオカミを狂犬病の運び手として恐れる部分もあったのでしょう。
ちなみに、闇夜に紛れて旅の人を襲う、という行動だけが、オオカミが『恐怖の代名詞』になった理由とは考えにくいです。
なぜなら、日本でもオオカミは人を襲うことはありましたが、日本のオオカミは信仰対象であり、近き隣人という扱いだったからです。
オオカミの伝承について、東京大学出版会の「狼の民俗学」から例を挙げますと
『オオカミが口に何か刺さって困ってるのを見て声をかけた。口を開けさせて取ってやったら、赤子の骨だったんだ。そいつを取ってやったら、山を降りるまで見送ってくれた』
みたいな記述がサラッと。他にも、ニホンオオカミは困った事があると人に助けを求める事があったようです。
日本には本来、大型家畜を飼う文化がなかったから、オオカミは生活を脅かすほどの対象ではなかった。
さらに言えば、ニホンオオカミは山地性なので、森林性のヨーロッパオオカミより小柄で、ちょっと臆病だったのかもしれません。恐怖の対象にはなりにくかったのかもしれませんね。
今ではもう、分からないことです。
……えー、とにかく!
オオカミから魔物の定義を考えた時、魔物というのは
『牧畜文化において、家畜や人を襲う恐ろしい生き物で、とにかく駆逐してしまうべきもの』
を表現する為に誕生した。と考えるのが良さそうです。
◇◇◇
2.現代日本における獣害の現状は、中世の西洋に似て来ているという話
さて、西洋ではオオカミは悪魔の使い! 怖い! 魔物だ魔物だ! みたいな文化があったという話をしましたが……
獣害対策というのは本来、『捕獲』だけで成り立つものではありません。
柵を張る。里と山のあいだの草刈りをして、動物が出て来にくくなるような緩衝帯を作る。
里の中にけものの隠れ家になるような中継地点があるなら、その場合の見晴しをよくする。
収穫しなかった作物を畑のそばには決して捨てず、別の場所に処理する……
そして、そこまでやっても畑を荒らしに来るような『悪さが目立つ個体を選択して、駆除する』という流れになるのです。残しておくと、その悪個体の周囲の連中が真似しますから。
じゃあ、当時の西洋でもそういう事をすれば良かったんじゃないのと、そういう話になるんですが……
『面倒な手間暇かけるより、全部殺してしまった方が早い』って、まぁそうなっちゃったわけです。
それに加えて、農民に力を持たせたくなかった貴族サマは、農民に銃を持たせなかった。ここで農民自身に獣害対策を行える環境があったなら、後の歴史が、そしてファンタジー世界の在り方も、大きく変わっていたでしょう。
当時の西洋ではオオカミ殺し専用の部隊を作って、ばかすかオオカミを狩りまくり絶滅させました。西洋文化が入った土地は、だいたいオオカミが滅びます。
日本も同じです。気候変動の影響なども手伝ったようですが、毒餌などの影響は少なくないでしょう。
さて、ここでタイトルにも用いている『現代日本』に話を移します。
これは現代日本でも同じ事が言えます。そもそも現代日本の農業のやり口は、西洋文化の移入と共に大きく変化してしまいました。
昔はきっちり獣害対策を施していたんですよ? おそらく、獣害対策は西洋よりも進んでいたのではないでしょうか。
日本の村の結束力の強さは、村全体での連携が必要になる獣害対策における、最強の強みでした。むしろその為に、結束力が強い民族性になったのかもしれませんね。
ですが江戸時代までにかけての森林の過剰伐採で動物そのものが減っており。
鎖国開けでの銃の移入で、閑農期にバンバン獣を撃ちまくり殺しまくり。オオカミ絶滅、その他も激減。
さすがにまずいと国が禁猟している間に今度は獣が増えすぎて、しかしけものが出なくて油断しているうちに『獣害対策』の技術は失われてしまった。
そして始まるけものフィーバー。それぞれの村での対策技術は失われ、人々は行政になんとかしてくれと駆け込む。
罠や銃なんてものは持っておらず、対処ができない行政は、猟友会に依頼して、被害を出した動物を狩ってくれと……
はいこの構図! どっかで見たことありませんか!
そう。この中の単語を置き換えると……
そして始まる『魔物』フィーバー。それぞれの村での対策技術は失われ、人々は『ギルド』になんとかしてくれと駆け込む。
『剣や魔法』なんてものは持っておらず対処ができない『ギルド』は、『冒険者』に依頼して、被害を出した『魔物』を狩ってくれと……
なんということでしょう。現代日本でファンタジー世界の構図がいとも簡単に再現できてしまいました。
しかしここで問題になるのは、ファンタジー世界における魔物は無尽蔵のものとして考えられており、かつ、生態系というものを全く考慮していないということ。
いま私が例として出したのは、私たちの世界で起こっている、紛れも無い現実の話です。
つまり、『殺せば終わるってわけじゃない』、と。
むしろ中途半端に駆除すると、さらに被害が悪化する事があります。
たとえばサル。サルはボスとなる祖母サルを中心に群れを作りますが、そのボスを殺してしまうと群れが散り散りになります。
さらに少数の村に分かれ、統率が取れないまま暴れまわる。スライム一匹倒したら、爆裂四散して増えたみたいなそんな感じになります。
だからファンタジー世界での『○○を10頭討伐』みたいな対象を絞らないクエストは、獣害対策的な視点から見たらあんま効果ないです。
村人があなたに「ありがとう冒険者さん!」って言ったひと月後には、更に自体が悪化してたかもしれませんね。あっはっは。
◇◇◇
3.猟友会を冒険者の立ち位置と定義した場合
さて、そんな感じで適当な駆除は事態を悪化させるということを例に挙げましたが、そんな事は生態学の分野でやっと分かって来たこと。つまりこれは、『学者』の領域にある知識です。
つまり、『ギルド』の立ち位置たる『行政』や、『冒険者』の立ち位置たる『猟友会』が前提として知っている話ではないということ。
被害が止まらず、相手が無尽蔵のように見えてしまうのは、確実な一手を撃つ手段がなく、すぐに繁殖するから。
冒険者の立ち位置にある猟友会は、ひたすら野生動物の駆除に駆り出されます。
ですがここで、問題がひとつ。
生計を稼ぐために魔物を倒している『冒険者』とは違い、猟友会の人々は『趣味』として技術を得た人々です。
ここは小説サイトなので小説を例に挙げます。たとえば皆さんが鼻歌うたながら小説を書いて、疲れたから休憩しようふっふーんと思っていたら、ご近所さんが駆け込んで来て
「私たちを助けてくれるんでしょ! 何休んでるの、早く、早く小説書きなさいよぉおおぉおおぉおお!」
って鬼気迫る顔で来たらどうです。いやワイにも学校とか仕事あるんだけど……ってなりませんか。
さらに問題になるのは、自分がいただく以外の命を奪うことを強要されてしまうこと。
命を奪うというのは、とても負担がかかる行為です。瞳が濁り、血が流れ、どんどん命が失われていくのを眺めるのは、とても苦しい事です。
食べる為にそれを行うのは仕方のない事。ですが、いただくわけでもない命をたくさん奪う行為が、楽しいわけがないんです。
誰かがやらなきゃいけない事だ。それはわかってる。
村人が求めてる。村人があいつを殺してくれと俺に頼む。とても恐ろしい形相で、死を望んでくる。殺しを望んでくる。
でも、殺しをするあいつは穢れている、なにかあると「あいつは殺しをするからタタリがあったんだ」と言われる。
村の連中がやればいいじゃないか。なんで俺にだけ。誰かの為になるとか、そういう次元の話じゃない。
もう無理だ、殺すことに疲れてしまった。後はなんとかしてくれ、と。
善良な方は、このパターンで銃を置いてしまう事が多い。
問題になるのは、このような『勇者』タイプの方だけとは限りません。
冒険者とは本来粗野なもの。というイメージを、残念ながら体現してしまっているパターンの方の場合……
報 奨 金 のサ バ 読 み が 発 生 す る 。
はいこれニュースにもなりました!どことは言いませんがニュースにもなりました!!!!
どういうニュースになったかと言いますと(くどい)
A行政では、シカの尻尾を持って来た人に報奨金を。
B行政では、シカの耳を持って来た人に報奨金を。
ということで、一頭のシカから尻尾と耳を取っておいて、AとBにそれぞれ提出、報奨金二倍やったね!
……と。これファンタジー世界の冒険者もやってそうですよね。あなたの世界では提出するドロップ品を国で統一したりして、ちゃんと冒険者の不正を規制しといてください。
まぁ、この辺が現代の日本でも問題になっているところです。
◇◇◇
4.つかれたのでまとめ。
そろそろ疲れて来たのでまとめに入ります。テラさんの集中力は三時間ももたないのだ。
えー、ファンタジー世界における魔物を考えるとき。
魔物が駆除すべき存在だとしても。
無計画に駆除を依頼するクエスト形式は理にかなっていない。
よって冒険者ギルドだけではなく、国に魔物対策の専門分野を作り。
さらには村人が柵などの対策を、冒険者ギルドが駆除を行う際の指導を行う、技術者的立ち位置の職種の人間を登場させると、世界観にリアリティが出ると思います。
で、実際に技術者的立ち位置の人をどんな風に扱えばいいかというと……
と、ほんとはまだ書きたい事があるんですが、調査地にそろそろ着きそうなので今日はおしまいです。なんとなくアナグマが見たい気分です。
それではあでぃおす!また次回をお楽しみに!