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第九十話 ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード その三

◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その三◆


 人が暮らすには、否応なくかかるものがある。

 衣を着るために、食を摂るために、住処を得るために――どんな誇りでも力でも代替できぬ、国家を流れる血液がある。

 すなわち、


「――村の財宝である魔剣を売り払おうとしてる!?」


 アンセラが今まさに目を吊り上げたこの依頼の理由も、同じものだった。

 転がるように山を下った先の窪地。

 批難の目に冷や汗を流しながら、対するボンドーは大仰な手振りで叫び返した。


「そ、そうだ! それの何が悪いんだ! 村はもう滅んでて、魔物の住処になってるんだ! あんな場所には暮らせない! だったらせめて魔剣を回収して売り払って金にして何が悪いって言うんだ!」

「……そのこと、誰かに相談をしたんスか?」

「して何になるって言うんだい!? そもそもあれは僕が受け継ぐべきもので、今までだって放置されてたのに誰も回収してないんだぞ!? なら、身銭を切って冒険者に依頼した僕が売ったって何も問題ないだろう!?」


 大声を張り上げて肩息をつくボンドーの前で、シラノは苦々しく目を閉じた。

 きな臭いことになっている。

 村人に無断で魔剣を売り払おうという依頼人と、それを止めるために刃物まで持ち出した村人。厄介ごとの気配は、あまりにも強い。

 元よりこの世界の生まれではない以上、体感する空気感には理解が及ばぬところがあるシラノは――……黙してアンセラに任せるしかない。


「それ、取り決めで村に置いておくとか……何か刺したままにしておかなきゃいけないとか……そういう理由とかないの?」

「そんなもの、あるわけないだろう!? あったらそもそも君たちに依頼してないし――……村が滅んだときに偶然居合わせなかった僕らはそこから全員知人のツテを頼ったんだ! おかしな取り決めなんてしてないに決まってるじゃないか!」

「いや初耳よ。……まぁ、事情はわかったけどさ」


 歯切れ悪くアンセラが応じた。

 一方の側の意見でしかないが――……少なくともシラノには、ボンドーが嘘をつけるほど器用な人間には見えない。

 ガリガリと頭を掻く。夕焼けに彩られた周囲の木々に目を細めた。

 ここから依頼をやめて戻ったところで山の中で一夜を過ごすこととなり、ましてやシラノが投げ出したところでボンドーの意思は変わらず……加えるなら、あの男女と殺気の主もいる。

 進むも退くも、いずれは変わらぬ。

 吐息と共に、握る鞘から手を離した。


「……話は判りました」

「どうするの、シラノ……?」

「依頼は魔剣回収だ。初めから、嘘をつかれてた訳じゃねえっスから。……その後どうしようと、ボンドーさんの話だ」

「そりゃあ、そうだけどさ……でも村人が怒るのも……。せめて話し合いぐらいは……」


 思案げな顔をしたアンセラの懸念は確かであるが、


「……それまで回収しようとしなかったのに、ボンドーさんが回収して売るのを止める為だけに刺客を雇う人と、か?」

「あ。……そっか」

「……まだ刺客かは、確定じゃねえけどな。他に事情もあるかもしれない。ただ……穏やかじゃないものを連れてるのは確かだ」


 改めて黒い森を見る。

 途中まではあれだけの荒れ地を見せていた山肌も、ガルドヴァレイが近付くに連れて木々が満ちてきていた。

 その夕暮れの森の中に、いるのだ。

 先ほど俄に邂逅した殺気の持ち主が――……おそらくは魔剣使いが。

 また何度目にもなる立ち会いかと重たい気持ちに目を瞑り、伺うボンドーへゆっくりと向け直した。


「ただ、村の大切なものを売られそうだから怒るのも……判らなくはないです。それに、何か事情があるかもしれない。立ち会い人ぐらいはするんで……ケリは必ずつけてください」

「そ、それは勿論……彼らは村人なんだから……。ただ……い、いや……そうしたくても……これ以上雇おうにも僕もお金が……」

「……金はいいっスよ。後始末なだけですから」

「ほ、本当かい!? いやあ、ありがとう! そんな見た目なのに思ったより文明人じゃないか! 魔剣使いも含めて今まで何人にも回収の依頼をしたからね、実は本当はお金に困っててさあ!」


 また安請け合いを――と、アンセラにキッと睨まれるのにマフラーを摘み上げる。

 こればかりは仕方のないことだと思いたかった。


「……それで、ユーゴさんは」

「ここまで来たら縁、と言いたいところでありますが……ぶっちゃけそうも危ないところを前には帰りたいでありますなあ」

「ななななななななな、こ、ここまで来て僕を見捨てるなよ!? 浄化の宝石なら分けてやるからさあ!? キミ、方向オンチだって言ってたろう!? ならここから一人で帰れないんよなあ!? 来るしかないよねえ!?」

「……うーむ、そのつもりでここまで引っ張ってきたでありますか。顔によらず策ができるというか……生意気でありますなぁ。ハハハ、こやつめ」

「い、いたたたたたたたたたたた!? ほっぺたを引っ張るなよ! 僕を誰だと思ってるんだ!? キ、キミなんて下賤なやつに……いたたたたたたたたたたたたたたたたたた!?」


 戯れあう二人を前に、アンセラが呆れたような吐息を漏らした。  


「……なんでもいいけどついてくるなら宝石手放すんじゃないわよ。村一つ全員が魔物になるなんて場所、穢れが濃いんだから……手放したらすぐにでも魔物になるわよ?」

「うわ。……なおさら帰りたいであります」

「おおおおおおおお置いてくなよ!? 僕を置いてくなよ!? そんな危ない場所なら戦力は多いほうがいいに決まってるだろう!? 腰に剣を下げてるんだろキミはさぁ!?」

「こんなもん腹の足しにもならない飾りであります。見せかけでも剣ぐらい下げてないと、危なくて旅はできない世の中でありますからなぁ」

「ちょっと!? キミさぁ!? さっきまで頼りになりそうだから無礼を我慢してあげてた僕の気持ち返してくれないかな!?」


 言い争う二人を尻目に、シラノは斜面の先を睨んだ。

 洛陽の橙色に彩られ、影法師を散りばめさせた岩肌。ほうぼうに伸びる歪んだ木々と、無数に点在する荒い岩。

 もう、おそらく夜までそう時はない。山の夜は、早い。

 獅子丸の鞘を抑えて、小さく呼吸を絞った。


「……ただ、少し休息を取りましょう。夕暮れ時が一番物が見え辛いんです。奇襲を見過ごしたり、足を踏み外したりするかもしれない」

「そ、そんなことしてアイツらに魔剣を取られたら……!」

「……取り返せばいいだけです。索敵は、苦手じゃない」


 目線と共に浮かべた八ノ太刀“帯域(タイイキ)”の召喚陣に電気が走る。

 条件罠を逆用した生体探知機。かつて森に潜んだ伏撃猟兵(ヒドゥンレイダー)をも炙り出した実績もある。


「そ、そういう話じゃ……」

「……?」

「な、何でもない! これでもし万が一のことがあったら、キミに償って貰うからな!」


 僅かに言い淀む様子が気にかかったが、シラノは大人しく頷いた。



 ◇ ◆ ◇



 竜の大地(ドラカガルド)に訪れし大災厄は、二度。

 一つは、かの〈剣と水面の神(バトラズ)〉が起こした神々の戦争――――かつて天の炉の炎であった〈炎獄の覇剣(ディルンウィーン)〉が灯した七日七晩に及ぶ炎の世界は、竜の大地(ドラカガルド)に消えぬ炉の煤を……穢れを刻み込んだ。

 そしてもう一つが、魔剣の王――――彼が起こした“ヴァルフレアの大災厄”。

 積み重なる死体、壊し尽くされる村々……積り上がった屍山と溢れ返る血河に野山は穢し尽くされ、七日七晩は魔物が跋扈する地獄が顕現した。

 そして穢れに汚染された土地の水は、食物は、人を内から魔物へと変貌させる。

 畢竟(ひっきょう)、人々は怪物と戦ってでも住処を変える他なく――これが騎士の前身たる戦士の台頭の理由となり、そしてティグルマルク王国が〈浄化の塔〉を再び世に齎すまでの間、人々が相食む戦乱の世が訪れたのだ。

 秩序と伝統の絶対的な破壊者。世を穢す者、死を齎す者、終焉の角笛と称されし――魔剣の王の名は伝わってはいない。

 あらゆる碑文、伝承、手紙、石版――()()()()()()()()()()()()()()()()


(……)


 徐々に薄暗がりに沈んでいく壁絵を、シラノの無骨な指先が撫でる。

 やはり民からの恨みは凄まじかったのか……それともその力にあやかろうというのか、魔剣の王の像の殆どは削られている。

 特に執拗なほど、そのいずれにも寸分違わず首へと斜めに剣閃が走っているのは、どこか薄ら寒い。


(……尋常じゃない様子の村人に、何がなんでも同行しようとする依頼人。滅んだ魔剣の王の村に残された魔剣……)


 ううむ、とマフラーを引き上げた。読めぬ事情が、多い。

 もう少し危機が明白であれば腕づくでもボンドーから情報を引き出すのであるが……困ったことにボンドーには、シラノたちを害そうという気配が見えない。

 それよりむしろ懸念であるのは、と眉間の皺を強めたときだった。


「いやあ、壮観でありますなぁ」


 弾かれるように背後を向く。

 一体いつからか……立ち込める夜闇に溶け込むように、黒い二重外套(インバネスコート)のユーゴがそこにいた。

 思わず口を結べば、特に気にした様子もなく歩み寄ったユーゴが魔剣の王の像に触れる。


「……」


 村から遠ざかるに連れ、徐々に背負う魔剣の本数を増やしていく恐るべき魔王の像。

 半ばに埋まった壁絵は、彼の者の征服譚を表しているのか……やはり遠ざかるに連れ、その足の下に踏みにじったものの数も増えていく。


「……“かくて刃を突き立てられし魔剣の王の玉体は、死を運ぶ風になった”。“黒き死を運ぶ風が吹くとき、魔剣の王は帰還する”………でありますか。死してなお滅びぬなど、なんとも夢のある話でありますな」

「読めるんスか……古代文字が?」

「こう見えても神官見習いでありますからな。いやぁ、とは言っても何とも禁欲的でつまらなく……ちょっと祭壇に祀ってある酒をかっ喰らって神殿で酔っ払って裸で寝たぐらいで、破門にされてしまったんでありますが」

「……」

「……その時の神官長、どこか少しだけシラノ殿に似た方でありましたなぁ」


 ふふ、と目尻を下げる彼の表情は女性的にも見える微笑の相(アルカイックスマイル)を浮かべている。

 推し量るように、シラノは声を低くした。


「その、ユーゴさん……“黒死風”って、知ってますか?」

「“黒死風”?」


 言葉を聞いたユーゴは、ただきょとんとした顔をした。

 何か裏があるのかと探ろうとするも――……あまりにも平然とした様子に逆に己の立つ瀬がなくなるような気がして、シラノは話題を変えた。


「……うす。忘れてください。ところでその……ユーゴさん、本当にいいんスか?」

「ふむ? いいと言うのは……ああ、同行することでありますか? ……ぶっちゃけ勘弁願いたいんですが、ここで置いて行かれても遭難して遠からず()()()()かねないですからな」

「……」

「ま、その辺はお二人を頼りにしているであります。……この通り、刃もない剣でありますので」


 そのまま、柄だけの剣を軽くもてあそんだユーゴに従いアンセラたちの元を目指す。

 何にせよ、日が落ちる。

 夜が、来るのだ。



 ◇ ◆ ◇



 そして、同時刻。

 裏付けがほぼ完了した嫌疑のまま家主が締め出され、使用人すらも追い出された書斎。

 机の上に並べられた金貨と、そんな机ごと部屋の四周を取り囲んだ重々しい本棚という――……見る人を圧倒するような荘厳な景色の中、エプロンドレスのメアリは刺繍のハンカチで手を拭い、放った。

 高価そうな純白の生地に血がべとりと滲んでいたが……構うことはない。どうせもう二度とその主がそのハンカチで指を拭くことなどないのだ。


「……お姫ぃ様、そっちは何か見つかりましたか?」

「ええと――……帳簿は、あちらに。あとは……その、ごめんなさい……特には見当たらなくて……」


 机に積まれた彫刻や絵画。一見何の変哲もないそれも、魔術の力にかかれば立派な隠し場所となる。

 しかし、如何に精巧に偽装しようとも……エルマリカのその身の魔剣――〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉の超感覚察知を前には、あってないもの同然だった。


「何か、お姫ぃ様として気がかりなことはありますか?」

「ええと……いえ、あの……わたしはメアリさんのように上手く考えられないから……。ごめんなさい……メアリさんばかりにやらせてしまって……」

「いーんですよ。というか、あんたさんをまたこの仕事に付き合わせてることの方が問題なんです。……それこそあんたさんにも、剣士サンにも不義理ってもんじゃない。謝るのはあたしの方です」


 肩を竦めてみせたが、本音だった。

 エルマリカから協力を申し出たとしても、もっと強く断るべきだったな……とメアリは内心で溜め息をついた。

 ここまで五件。その中でも今回の屋敷は特に面倒な相手だったので――冒険者崩れの商人だ――他はこんな血生臭いこともないと思いたいが。


「それで、メアリさん……どうでしたか……?」

「んー、まぁ、やっぱりもう少し裏付けを取ってから……でやがりますかね。……強いて言うなら、今回のようなバカも一枚噛んでる可能性が高いから……こっちも容赦なく調べられるってことぐらいですけど」


 帳簿を摘みあげてメアリは吐息を漏らした。

 魔術研究院製の技術を使った最新鋭魔導人形(ゴーレム)と偽って、王国でご禁制の奴隷の売買を行っていた。それもご丁寧にキグルミめいた外側を作って……というのだから、頭の痛くなる話だ。

 商人というのは、利益になれば妻の内臓でも国でも売る。人の一人の人生すらも安く買い叩く。この世で最も信用してはならない職業の一つである。

 鼻から長息するそのまま、パラパラと資料の検分を続ける……そのときだった。


「メアリさん、あの……ごめんなさい……こんなことを聞くのは……お邪魔になってしまうかもしれないのだけれど……」

「うん? どーしましたか?」

「シラノさんが行っている場所……その、どうして今までわたしが行くことはなかったのかって……。ええと、あの、村一つ……とおっしゃっていたでしょう? なのにどうしてわたしの出番はなかったのかしら……って」

「ああ。……そーですね」


 調査に合わせて、豊富なこの書斎で魔剣の王に絡んだ伝承でも調べていたのか。

 そう問いかけるエルマリカの――無敵の〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉の使い手であるエルマリカの役目の一つには、〈浄化の塔〉の反転異常や穢れによる大量汚染への対処があった。

 ふむ、と顎に手を当てて逡巡したメアリは――ややあって、小さなその口を開いた。


「ま、理由は簡単ですよ。面倒くせーからでやがります」

「面……倒……?」

「ほら、魔剣の王は――……成立だけなら帝国崩壊後、と古いでしょう? この王国……王家の成立よりもずっと古い。なので、面倒な信奉者(シンパ)も多いんですよ」

「ええと……だから、わたしのような王家の関係者は……近付いたらよくないんですか?」

「似たようなもんですね。魔剣の王の土地を穢れの実験台にしたとか、そもそも村が滅んだのも権威を危ぶんだ王家がやったとか……そういう根も葉もない陰謀論語りたがる阿呆がいやがるんでね。ま、だから放置してたんです……放っといていい理由は他にもありますけどね」

「権威……」

「ええ、思った以上にこいつらにも信奉者(シンパ)が多くて――」


 メアリは帳簿を閉じた。

 考古学や史跡学、史書学でも一つの分野を持つ魔剣の王だけに簡単には解説もできないが、


「〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉〈無門の奇剣(オグマオルナ)〉〈深慮の神剣(エルキィン)〉〈涅槃の輪剣(スヴィガレヴィアン)〉……そしてやっこさんが常に片手にしてた魔剣と、最初に抜いた剣……あとは例の寵姫から受け取った剣を合わせて――……“四海終焉の七振り”と呼ぶものもいます」

「“四海終焉の”……“七振り”……」

「始まりの天地創世の魔剣の対になる“終わりの七振り”……なんてね。……ま、一部は不明ですけど……概ねそこまで序列は高くない剣なんで真面目に受け取ってもしょーがねーもんでやがりますけど」


 ただ、その程度に崇める人間もいることが困りものなのだ、とメアリは肩を竦めた。

 王の権威が損なわれれば、すぐにまた世は戦の嵐に包まれる。

 安全と堅実で考えるならば……メアリ一個人としては、その手の連中を一網打尽にしておきたいと常に思っている。


「そんな場所に向かわれるなんて……。シラノさんは、大丈夫なのかしら……」

「お姫ぃ様、例え世にどんな魔剣が謳われようと……あんたさんの〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉に敵う剣なんて早々いませんからね。あの剣士サンはね、世に謳われるどんな英雄よりも凄まじい偉業を遂げたんですよ?」

「ええ、でも……。他にも、シラノさんとセレーネさんはおっしゃってて……。“黒死風”と言ったかしら――……」


 エルマリカは、俯きながらスカートの裾を握った。

 内心を表したかのように指は震え、青いドレスにくしゃりと皺が寄る。

 難行の最中、二度と目覚めぬのではないかと思うほど寝込んだシラノの白い顔を思い返して――――エルマリカはその不吉さに首を振った。

 しかし、


「ん……“黒死風”でやがりますか? 剣士サンたちが? ……ああ、ふむ、なるほど。あー……そーですね、別に面白い話でもないというか……何とも言えない話なんですが……」

「なんとも、言えない……?」

「ええ。……ま、ちょーどいい機会でしょーかね」


 片手で帳簿をもて遊びながら、メアリは笑みを作るようにただ指で頬を歪めて返すだけだった。


「――――“存在しません”よ。“黒死風”なんてものは」



 ◇ ◆ ◇



 すっかりと立ち込めた漆黒の闇が、視線の先で炎に踊る。

 日没と同時に狼の毛皮を被り、赤き炎髪をまさに炎めいて灯した――この為の備えでもあるらしい――アンセラは先程から腰を落としていた。


「……シラノ、そろそろよ」


 魔剣の王の出生地たるガルドヴァレイが、迫る。

 獅子丸の柄を握ったシラノは面々を確認しつつ――……激しい汗で金髪を額に貼り付けたボンドーへとふと問いかけた。


「……ところでさっき、魔剣使いも雇ったって言ってましたよね。失敗したんスか……魔剣使いが? ……実はもう、持ち逃げしてるとかじゃなくて」

「僕もそう思ったけど……まだ街の水路は濁ってないって確かめさせたんだよ。これは、魔剣が盗まれてない証拠だ。……返り討ちにあったんじゃないかな? 魔剣使いなんて偉そうにしてても、まさか口だけなんてね」

「……」


 ボンドーの言葉に黙する。

 そんなシラノの思案を裂くように、眉を顰めたアンセラが漏らした。


「……まずいかも知れないわね」

「アンセラ?」

「〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉自体も影がある限りどこまでも追ってくる恐ろしい化け物だけど……魔剣使いまで倒すとなれば、ひょっとすると支配者――〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉がいるかもしれない」

「……〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉? 人が操るんスか? 魔物を? いや――……」


 言われて一つ、心当たりがあった。

 それを読んだかのように、アンセラは頷いた。


「死ぬよりも先に穢れに犯された場合……中には極稀に思考能力を残したまま、魔物になる奴もいる。そして〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉の発生場所にいた場合に出てくるやつは……」

「それが〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉か。……司令塔か。厄介っスね」


 影に潜み空間跳躍を行う魔犬を、ヒトの知性で統率し運用できる――。

 その恐ろしさを知らぬシラノではなかった。あの山奥の淫魔の村……徒党を組んだ魔物が如何に油断ならぬかは、存分に理解している。

 ましてや冒険者を務める魔剣使いが帰らぬとなれば……その危険度は言わずとも知れよう。


「……ボンドーさん。最悪、そうなったら村ごと吹き飛ばすことも覚悟してください。故人が眠るところを荒らしたくはないスけど、背に腹は変えられない」

「……んな、……が」

「ボンドーさん?」

「そんなことが許されるわけがないだろう!? なんのために僕までついて来てると思ってるんだ! そこを何とかするのが冒険者の役目じゃないのかよ!?」


 金髪を乱しての突然の激昂に、にわかに面食らったのはシラノだった。


「落ち着いてください。あくまでも最悪の話です。……何も、魔剣を回収するのをやめるってことじゃなくて――」

「そこは当たり前に決まってるだろう!? だからって村を――あの村を吹き飛ばすなんて許せるわけがない! 何とかしろって僕は言ってるんだ! 依頼人だぞ!?」

「……依頼だって言うなら、村を吹き飛ばすなとは条件付けられてねえ。人の命には替えられない……あくまでもそういう可能性の話で……」


 努めて声を抑えてくれと手で表しても、瞳を尖らせたボンドーは収まろうとはしない。

 その激昂のまま、ボンドーは怒声とも罵倒ともつかぬ言葉を叫び続け、


「シラノ! 来るわよ!」


 アンセラの言葉に応じたシラノに、蹴り飛ばされて豚めいた悲鳴をあげた。

 粘着質の何かが、風と共に横切った。

 たたらを踏んだボンドーの襟首をユーゴが握るのを尻目に、シラノは親指で鍔を押す。

 異様な気配が、辺りを充満していた。


「あんたら何してるのよ! 仲間内で揉めてる場合!? 馬鹿なことしてないで……あ、とにかく影には入らないで!」

「……ああ。うす、その……ボンドーさん、あまり離れないで下さい」


 腰砕けになったボンドーを一瞥ののち、向き直る。

 翻るアンセラの炎髪が、影法師を踊らせる夜の山中。

 ――……おお、見るがいい。歪な木々の間、横たわる岩の間、突き出た巨石の間……闇の輪郭が歪む。湧きいでる不浄の音が、おぞましき堕落の楽器音が、聴覚のみならず視覚を揺るがす。

 その中に僅かに揺らぐは冒涜的な影――どこまでも純黒の体毛。極黒の体表。

 そして、辺りの闇に()()()()と灯るはおびただしい数の複眼。

 地上に地獄の星が顕現すれば、そうもなろうか。

 異音が、響く。

 膿が垂れ流されるように、その化生の身体の内から次々に立ち上るは数多の(あぶく)。怨念が、穢れが作る泡。


「〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉……」


 シラノが呟くに応じて、闇の内で妖犬が金切り声をあげた。

 空気が震える。まさしく世を貶める穢れとしてその呪いが、命を汚辱せしめんとシラノたちへと襲いかかった――直後、

 

「イアーッ!」


 吼えるは獅子丸。鳴るは鍔。いざ吹き荒れるは風切り音。

 抜刀一閃――迫る顎を逆袈裟に分かつ。宙に舞った顎先が、無常にも風に散る。

 そして闇夜に奔る蒼雷。轟音と共にアンセラの絵札から迸る魔術の雷撃が、纏めて妖犬を消滅させた。

 シラノは息を絞る。

 縦に走る海賊傷めいた赤肌の下、塞がった右目――感覚と思考と運動を委ねた二度目の触手外骨格の後遺症。

 “触手ではなく己の身体だ”と定義し続けられなくなり、人のものとしての機能を手放した右の赤眼。

 片目でも、間合いはまだ測れる。足場に注意すれば、戦いにはなる。


「……どう、シラノ? 冒険者も、楽じゃないでしょ?」


 夜闇に明滅する無数の赤目を前に、腰を落として絵札を構えるアンセラは僅かに強張った獰猛な笑みを浮かべた。

 首肯する。

 視力の残る左目で捉えた〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉のその姿――――今はまた影に潜み始めた襲撃者は、前世ならば悲鳴を上げている異形であろう。


「あんまり離れないでね。おばぁちゃん……ごほん、じゃなくてあたしの師匠から聞いてるわ。奴らは相手が油断するまで、武器を離すまで執拗に狙い続けるって……この世の膿にして影の世界から訪れる異形の魔物だって」

「うす。……斬るしかねえな」


 呼吸を細く絞った。緩く握る柄の感触を自覚する。

 此度は、蜻蛉ではなく中段の霞構え。

 体側で前を横切る刀身。鍔元を握る右手と、柄尻を握る左手が腕ごと交差する。

 後ろに置いた右足を踏み出せば、どんな切り込みもできるという構えであった。

 闇が、湧く。狂った牙が、挑みかかる。


「――」


 後ろへ引き、直後に改めた右足。踏み出し、唸るは獅子丸。迫る異形を袈裟に断つ。

 飛び出す影。横に払った。飛んだ首が粘着質の音を立てて岩に弾け飛ぶ。

 更に一体。縦に分かつ。おぞましい悲鳴と共に、岩の向こうに落ちた。

 それでも――……醜悪なあぶくの音がする。増えていく。耳障りで冒涜的な遠吠えが響く。増していく。

 どれだけの数がいるのか、周囲の闇は伺い知れない。

 村に入る前だ。やはり辺り一帯ごと吹き飛ばすべきか――そう思案した瞬間、背後で甲高い悲鳴が上がった。


「――っ、あのバカ!」


 アンセラが地を蹴る。遅れていたボンドーが今まさに足場にした岩の影から黒妖犬は現れ、岩ごとボンドーを横倒しにしたのだ。

 雷符を構えるアンセラが舌打ちする。恐慌に顔を歪めたボンドーが射線に入り、放てない。

 そしてそのボンドーの華奢な首めがけて、粘液の満ちた牙が迫り――


()()


 待ち構えた召喚陣と触手槍により、無様に口内から爆発四散して死に絶えた。

 吐息を漏らす。五メートル圏内ならば、襲いかかるのを待ち構えて殺せる。

 攻撃の瞬間まで姿を表さぬ魔物と言うなら、攻撃のその瞬間に殺害すればいい――――単純にして明快な理屈だった。


「白神一刀流・九ノ太刀――“陰矛(カゲホコ)(カクシ)”並びに八ノ太刀“帯域(タイイキ)(クビキ)”。……八歩以上は離れないでください。それ以上はどうしようもねえ」


 ボンドーを起こして埃を払う。敵の土台に乗ってやる必要はないのだ、と頷きを送れば、


「シラノ、あたし今あんたのこと殺してやりたい」

「……いやこの流れでそれはおかしくないスか?」

「うっさい。……うっさい。自信なくすのよ、冒険者として。これでも〈銀の竪琴級〉なのに。ばか。ばか。ばか」

「冒険者じゃなくて俺は触手剣豪だ。……痛い。つねるなよ。痛い」

「うっさい。シラノきらい。あんたきらい。ばーか。お肉奢ってくれないともう話ししてあげないから。ばーかばーか。べーっだ!」


 不貞腐れるアンセラに続く形で、そのまま改めて岩場を登る。

 あぶくめいた水音と不気味な唸り声は、周囲のどこからともなく響き続けた。



 ◇ ◆ ◇



 その後、足を止めようとする度に起きる追撃を躱すこと五度。

 シラノたち一行はようやく魔剣の王の村――ガルドヴァレイへの入り口へと辿り着いた。

 左右の岩壁を無数の彫刻が固めた薄暗いトンネル。両脇に走る水路の色に注意しつつ、一同は歩を進める。

 啜る音と、咳き込む音。

 ぜぇ、と喘ぐ声がする。

 絵札で焼き払ったアンセラや、黒鞘で殴り叩いたユーゴ。しかし中でも一番疲労が激しいのは、やはりというべきか素人のボンドーであった。

 だが、触手で担ぎ進めようとしても暴れる。触手使いへの嫌悪というよりは、己の足で立って進むのだと言って憚らない様子だった。


(……)


 荒い息で顔を青褪めさせたボンドーを見詰め、口を結ぶ。

 一体何故にここまで彼が拘るのか、その理由は知れない。持ち逃げを警戒して、というのも方便にさえ思えた。本気で逃げる気なら、手に入れた魔剣でそのまま依頼主を斬り倒して逃げられる。

 ますます、謎が深まる。

 村人のあの剣呑さは。そしてボンドーの激昂の理由は。

 だが、思案の答えは出ぬまま辿り着いてしまった。


「……ボンドーさん、さっきのあれは――」

「え……?」

「はっきり言って……どうしてあなたがここまで拘るのか、理由がわかりません。ここからはなおさら危険だ……懸念は、今の内に消しておきたいっス」


 そして刃めいた左眼に見詰められたボンドーが、やがて口を開いた瞬間であった。

 遥か先――――洞窟の出口に立つ黒い外套の男。吹き抜けたトンネル風にフードが顕にされたそこに立つは獣人。

 頬に傷を持つ、黒き犬頭の男が鞘から剣を抜き払い、


「――〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉」


 呟くと同時、ボンドーの身が宙に舞う――否、()()()()()()()()()()

 いや、


「――――ッ!?」


 頭上と足元が――壁もが、揺らぐ。

 瞬間崩落する洞窟に、シラノたちの声は呑まれていった。



 ◇ ◆ ◇



 とてとてと、石畳に音が鳴る。

 片方は楽しげに。片方は涼しげに。大荷物を抱えた女二人、上機嫌で帰路についていた。

 フローは鼻歌交じりに軽快に。

 たまたま入った食事処が、当たりだったのだ。それにいい買い物もできた。息抜きには、上々の一日だった。


「それにしても、親切な人がいて良かったねー。色々と教えて貰っちゃって……。旅の剣士さんなのかなぁ?」

「ええ。……そうですわね。フロー様がお喜びなら、私も嬉しいですわ」


 首を捻ったフローへセレーネは曖昧に笑い返した。

 野暮ったい服装の、腰に剣を下げた女。あれは親切というより――……


「……ふむ」

「どうしたの、セレーネさん? あっ、エルマリカちゃんたちが戻ってきたのかい? あ、それともシラノくんかな!」

「いえ……」


 寂しげな笑いを漏らしたセレーネに――直後、フローは凍った。

 抜き放たれた〈水鏡の月刃(ヘレネハルパス)〉。その白刃が、闇夜に濡れる。

 フローは思わず腰を引かせた。

 トサ、とセレーネという支えを失った荷物が石畳に音を立てる中、


「……女二人の後をつけるなんて、とんだ無作法な殿方もいらっしゃるものです。それほどまでに情熱的と言うなら一興ですが……ふふ、生憎と本日も実に良い日取りでしたので――死ぬならお一人で、とお勧めをしたいところですわ」


 隣を行く貞淑なセレーネの笑みが、その横顔が、圧を増していた。

 紛れもない――剣鬼の、気配であった。

 そして、セレーネが眼帯の奥の失われた瞳で睨む先……闇を押し退けるかの如く、ぬぅと黒い外套の偉丈夫が現れる。

 その威圧感に胸が引き攣った。

 ひ、と息が途切れる。

 フローもかつて対峙したことのある()()()の気配――――死の臭い。

 魔剣の、気配。


「私は、セレーネ・シェフィールドと申します。こんな夜更けにどのような御用向きでしょうか? ……ああ、答えは必要ありませんわ。あの世で冥府の主人にでもとくとお話になればよろしいかと」


 凍りつくような氷めいた美貌の薄笑いを前に、


「……我が名は“黒死風”。深き谷を抜け、滅びを与えに参った」


 外套の偉丈夫は老いた声で――――ただ、そう答えた。

◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その四へ続く◆

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