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第八十九話 ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード その二

◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その二◆


 ちょろ、と岩場からトカゲが顔を覗かせる。

 中天に座す陽光が早春の寒風へ競り勝ち、辺りに不揃いに並んだ岩ごとあまねく生命を照らし出す昼頃。

 阻むものなき青空は深く遠く――……僅かにその下方へ目を運べば、彼方では深緑の森が不揃いに稜線を押し上げている。

 更に首を傾ければ、そよぐ風に波打つ新緑の丘が、さながら(しわ)の寄った緑の絨毯のように平原へと起伏を与えていた。


(……先輩が見たら、なんて言うだろうな)


 景観に遠く、蛇行する灰色の小川めいた石の街道。

 絵筆でなぞったかの如く、淡緑色のキャンバスに塗りたくられた黄色の花々。

 牧歌的にして広大なその光景には、思わず見る人も息を漏らすだろう。

 岩だけの惑星に座しながら異なる世界を眺めるようなその景色の中――……触手で編んだ茣蓙(ゴザ)の上のシラノは、水筒を傾けながら問い返した。


「月を……喰った?」


 あれから幾度と目指す先に漂う〈群雲竜(ハラ)〉を運動力(キネティック・エ)利用(ナジー・マ)型大規(ッシブ・オードナ)模爆(ンス・エア)風触手(ー・ブラスト・テ)爆裂(ンタクルス)弾で消し飛ばし進んだ山中。

 雑談は村の周辺に出没する魔物から始まり、魔剣の王に至っている。

 つい先程まで「死ぬ」だの「足がとれる」だのと弱音を漏らしてはアンセラに睨みつけられていたボンドーが、生気を取り戻したその顔で居丈高に頷いた。


「フン、キミは魔剣の王の伝説も知らないのかい? 魔剣の王は、かつて〈月と狩猟の女神(トリウィアナ)〉の神殿の狩人神官たちと戦ったときに、その魔剣で天にあった三つのうちの二つ……〈歓びの月〉と〈憂いの月〉を消したんだよ? こんなのは常識じゃないかなあ?」

「なるほど……」

「フフン、こんなことで感心するなんてね……。嫌だねぇ、これだから冒険者なんて暴力しかないやつは……大切なのは教養だよ、教養。ここだよ、こ・こ」


 己の先祖の大業ゆえかその碧眼は自信に満ちて、強調するように得意げに何度もそのこめかみをつついていた。なお、肩にアンセラが手を置いた瞬間涙を撒き散らしながら首を振って逃げたので、何とも極めて情けない。

 ともあれ、月を消す――……シラノの知る限りそんな芸当が可能なのは〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉を持つエルマリカぐらいだろうか。

 改めて口にされると恐ろしい魔剣……いや、恐ろしい世界である。

 月を砕くとか惑星を砕くとか、かつての水爆や原爆が何万発あろうとも不可能な領域だ。恐竜を絶滅させた隕石や、世界を一時的な寒冷地状態にした隕石でも地球を壊せてはいない。

 そんな偉業を成し遂げれる剣が、この世に何本もある。

 それとこの身一つで相対したなどと、我ながら冗談めいていて今更シラノの背筋は薄ら寒くなった。

 ……というかそんなに簡単に壊していいのか、それらは。


「ふぅむ……とは言っても、であります。魔剣の王の時代は天地創世の七振りが隠れていたという話でありますから……さても神の如き剣があるとは……」

「ハッ、正しくは〈赫血の妖剣(スクレップ)〉以外の六振りだよ? なんたって忌々しいことに、魔剣の王を討ち取ったのは剣の一族なんだからね。はは、物知り顔をしたいにしても不勉きょ――ぐへぇぁ!?」

「おっと虫が居たであります。いやあ、失敬失敬」

「急になにするんだよキミさぁ!? 剣士クン! キミからもなんとか言うべきでは!? 父上にもぶたれたことない僕の顔を殴ったんだぞ!? ここで手打ちにすべきじゃ――ぐひぃぃぃ!?」

「おっと今回は鳥が居たであります。いやあ、申し訳ない申し訳ない。失敬失敬」


 大正浪漫小説に出てくる黒ずくめの書生のようなユーゴが、白い顔に笑みを張り付けて剣の柄を叩き込んでいる。

 大人しそうな顔によらないというか……。

 流石に暴力は良くないと言いたかったが、他人を嘲る失礼は殴打が済まされるだけマシかもしれない。……現代でないのだから。

 そう思えば、何とも言えず頭を掻く他ない。

 ……というか、これもボンドーの自業自得なのだ。


「キミ、さっきから失礼じゃないのかい!? 一体誰が助けてやって、誰が同行を許してやってると思うんだい!?」

「肉を恵んでくださったのはシラノ殿で、水を恵んでくださったのはアンセラ殿でありますなぁ……いやぁ、むしろあの時何もしてないアルケル殿へした丁重な感謝を返していただきたいというか……」

「ぐぅ……」

「当方は酒でもかっ喰らいつつ、適当に自分で戻るからいいと言ったのに付き合わせたのもアルケル殿で……いやあ、それほどまでに太鼓持ちが欲しかったのでありますか? お二人はしてくださりそうにないでありますからなぁ……」

「ぐぅ……」

「……それからも随分と付き合ったので。ほら、流石に当方も我慢の限界というか……ぶっちゃけ面倒くせえでありますから。成人も済ませているなら、もう少し他人に対して礼を知った言動をすべきでは? たたっ殺される危険もあるでありますよ?」

「ぐぅ……」


 ぐうの音もでない自慢畜生に対する、ぐうの音も出ない正論である。いや、出てるが。


(…………)


 アンセラの反対も押し切り同行を強制的に許し――……そして今のような都合四人の道行きでこの惨状では……何とも……。

 せいぜい、流石に後遺症が残りそうな打撃なら止めてやろうと思うことしかシラノにはできなかった。身体に気を付けて欲しい。

 それでも、ううむと頭を掻き、


「……駄目っスよ、ユーゴさん」

「む、シラノ殿?」

「け、剣士クン! そうだなんとか言ってやれ! そうだそうだ!」

「あァ……あの、この手合いには最初に力関係を判らせて……二度と無礼な言動をさせねえ方がいいです。……首にその腰の剣でも突きつけて薄皮切るのが早いんじゃないっスか」

「…………うわぁ、であります」

「ひっ」

「うわあ……」

「アンセラまでなんだよ。なんスか。……暴言とか暴力がいつまでも続くより、一度で終わる方がいいだろ。平和的で効率的で。……なんだよ。流血もないし痛みもねえ。平和だ。……なんスかその目は」


 「平和的とは?」と言いたげな全員の目線が向けられる。

 そしてヒソヒソと何やら囁き合われた。解せない。それともいつまでも侮辱が飛び出し拳が舞う方がいいと言うのか。争いや暴言なんてものはとにかく一つも出ない方がいいのでは。


「気を付けた方がいいわよ。……そいつ、叙勲式で侮辱に対してすぐに抜刀した奴だから。鬼人族(オーク)とか半森人族(ハーフエルフ)並よ。だから難行なんて申し付けられてるのよ」

「ひっ」

「なんと、へぇ、叙勲式で抜刀とは……」

「アンセラてめえ」

「事実でしょ? どこでそいつがあんたの竜の尾を踏んで崖から蹴り落とされても困るし……いや蹴り落としはしなくても漏らさせるようなことされても困るし……」

「ぐぅ……」


 ぐうの音も出ない。いや出てた。

 正直なところ、自分に向けられた侮辱なんかは心底どうでもいいものであるので誤解があるのだが――……まあいい。


「……それで、ボンドーさん。村の様子ってのはどんなのなんスか? 魔剣の場所とか、作りとか……」

「ひっ、せ、説明します……説明しますから……。こ、殺さないで……ぼ、暴力反対……」

「アンセラてめえ」


 こうも怯えられてしまうと話にならない。

 実際、非常に会話にならなかった。何を言っても涙目になるか悲鳴を上げるかユーゴの影に隠れるかユーゴに尻を蹴飛ばされるか――……ともかくお話にならない。

 あまりにも度が過ぎるので、胸ぐらを掴んで一喝したくなったが……手を伸ばした時点でまな板の上の鯉ならぬ精肉ミキサーの上のハムスターめいた涙目で命乞いをされるので、もう萎えた。

 ともあれ、


(……村に〈浄化の塔〉はなし。代わりに祀られてる魔剣と水路が魔物避けになってたが、ある日村人全員が“穢れ”に襲われて廃村化……。生き残ったのは、別の村の祭りに行っていた人間だけ……か)


 吐息と共に、地図を浮かび上がらせた砂板手帳を閉じる。

 ある程度の情報は集まった。未だに村に穢れがあるとすれば……素質的に影響を受けにくいシラノや魔術師のアンセラ、あとは自前で宝石を見せびらかせていたボンドー以外は鬼門だろう。

 ここらでユーゴとも別れておくべきかと思ったが、


「ひっ、ぼぼぼぼっ、ぼっ、僕になんの用だよ!? い、いや……ぼっ、僕になんの用ですか……シラノ様……?」


 ユーゴの影で悲鳴を上げて怯えた目を向けるボンドーを見るに、まだ難しいなと判断した。

 口から吐息が漏れる。

 文明的かつ良識的で人道主義の元・現代人というのに、いくらなんでもこの扱いは解せなかった。こう見えてボンドーも苦労してるんだなと同情しているだけになおさらだ。


「……あー、その、魔剣の権能は? どんな感じっスか?」

「そ、そんなの僕が話すわけ――……ひっ!? 知っ、知りません! 知りません! 知りませんシラノ様!」

「その呼び方やめてください。……判るのは、水に関係する力――それも魔物避けになるように、水に何かを与える力……か」


 曰く、古物。そして写し。

 水となれば角笛の島の王の有する天地創世の一角、〈水精の聖剣(カルンウェハン)〉に由来するものか。

 天地創世の剣の写しにして、かつて魔剣の王が所有せし魔剣――……気を引き締めるように、シラノは口を結んだ。


「……さ、そろそろ行きましょ。せめて日が登るぐらいのときに村に到着するようにしないと。モール・ダ・ドゥーの棲み家に夜行くなんて無謀は避けて……――って仕切るのあたしじゃ駄目じゃない!? ちょっとシラノ、あんたがなんか言ってよ!? あたしが言う前になんか方針とか言いなさいよ!?」

「うす。……まあ、善処する」

「善処じゃなくてやるの! や・る・の・よ! 冒険者なんだから! あんたまだ冒険者なのよ!?」


 「触手剣豪だ」と言わんとすれば胸を小突かれた。

 無茶を言う。テキパキと撤収の準備を進めるアンセラのようには上手くはいかない。

 皆が装備を整えるのを尻目に、考える。

 向かう先の山――……灰色の岩肌を剥き出した山の岩壁には、霧のその奥、掠れた古の壁絵が踊っている。

 書を焼き、村を焼き、野山を焼いた魔剣の王。

 そんな時代に、その魔剣を以って岩に刻まれたという壁絵――何か災厄の怪物でも表しているのか、髪を振り乱して二本の剣を握る巨人を描いたその絵の真相は判らない。


(……)


 魔剣の王――……。

 黒髪赫眼の寵姫を伴い、まさしく伝承に謳われる〈剣と水面の神(バトラズ)〉の写し身の如く魔剣を手に破壊という名の焔を広げた恐怖の魔剣使い。

 その出生地に向かうというこの難行に、シラノはどこか奇妙な胸騒ぎを覚えていた。

 向かうは深山、向かうは幽谷。

 いざ待ち受けたるは、蛇か鬼か――……。


「シーラーノー! シーラーノー! いーくーわーよー! シーラーノー! いーくーわーよー! はーやーくー! おーいーてーくーわーよー!」


 どうやらそれよりも先に、狼少女に呼び立てられるようである。

 吐息を漏らし彼女に続く。

 どう考えようが、まぁいい。死地では知恵を捨てるほかなく、いずれにせよ、活路はこの剣で切り拓くのみであった――――。



 ◇ ◆ ◇



 茶色の断崖のような高層住宅が左右に連なるノリコネリアの大通り。

 この街の領主の名はストライアス・ア・リーファといい、近隣の貴族の例に漏れずかつては魔術研究院で学んだ初老の男だ。

 そんな当代も、また次代もやはり例に漏れず読書家であり、彼らの意向もあって街の広場ではしきりに古書市が開催されている。

 そんな人混みを眺めながら、黒いコートの裾を揺らして()()()()とフローは歩く。


「やっぱりセレーネさんはすごいねぇ、刺繍もあんなに上手で……憧れちゃうなあ」

「ふふ、ありがとうございます。所詮は手慰みとはいえ、フロー様にそうも褒められれば光栄でありますわ。……むしろ私こそ、フロー様の早業には驚くばかりです」

「そうかい? ふふ、どうだい? 触手って便利だろう? 本当に百人力で――……触手なんかが縫った服は使えないなんて言われなきゃなぁ……残念だなぁ……」


 フローは僅かに顔を曇らせた。

 ノリコネリアの冒険酒場は大所帯故か、一見して冒険者らしくない仕事も集まってくる。

 お針子も仕立ても、その一つだ。

 シラノが寝込んでいたその間の日銭稼ぎに――……と思ったが、まだ信頼関係が築けていないのか、城塞都市のように上手くはいっていなかった。


「……気にすることはありませんわ、フロー様。世には心無い者も多くいるのです。ええ、止めなければすぐにでもその心に似合いに命も無くさせておりましたのに……」

「うぇぇぇ……だからそういうのはやめようって言ってるじゃないかぁぁぁ……」

「ふふ、人の名誉をいい様に嘲笑ったのです。ならば、その無礼を討たれるのが筋というもの。ましてや、たかが剣を突き付けられただけで泣き叫んで撤回するなど……まさしく斬る価値もない。死んでいただく他ありませんわ」

「うぇぇぇぇぇ……やめようよぉぉぉぉ……」

「大丈夫ですわ。フロー様に従い、一度はやめましたから」

「大丈夫じゃないよぉぉぉ……! それぜったい大丈夫じゃない言い方だよぉぉぉ………! やめろよぉぉぉぉ……! やめようよぉぉぉぉー……!」


 フローの情けない声が木霊する。

 セレーネの袖を必死に引っぱりながら、どうして自分の周りの人間はこうも危ない人ばかりなのだろうとフローは思った。

 皆が代わりに怒ってくれるのは嬉しいが……それよりもフローには申し訳無さが募る。

 うぅ、と声が漏れた。

 確かに……やはりあんな扱い方をされると未だに傷付いてしまうし、何でこんな風に言われなきゃいけないんだろうと心の底から悲しくなってしまう。

 だが……それでも流血沙汰や誰かが危険に身を晒すことになるのに比べれば、自分が我慢した方がよほどよいことに思えるのだ。

 しかし、そんなフローの心中を読んだのだろうか。

 隣を歩くセレーネが、言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。


「フロー様、ことを荒立てぬというのは確かに美徳ではありますが……こうは考えられませんか? 今回フロー様は偶然にも強く耐えられる方だった……だが世には耐えられぬ者もおり、あの手合いはそんな者にも心無い言動を行うでしょう」

「えっ……?」

「ならば黙ること、荒立てぬことは真に善と呼べるのでしょうか? 美しい行為でしょうか? むしろここで身を以って、そして身に染みるように判らせるのが人としての道なのではないか……と」

「人の道……」

「その言動に誠がなく、敬いなく、仁愛もない……刃を前に貫けぬ程度の軽率な気持ちで、痛みを量ることもなくいたずらに他者を傷付けるような無礼の輩など……正すことこそ天道ではありませんか? 決して単なる個人的な侮辱への怒り……という話だけではないのですわ」

「そっ、か……。そういう考えもあるんだね……そっか。そう思うと、そうだよね……我慢すればいいのも自分勝手だよね……。うん。でもさ、あのさ、セレーネさん?」

「いかがしましたか?」

「少しもそんなこと思ってないよね?」


 じっと見れば、眼帯で右目を覆ったセレーネは月の女神のような微笑を浮かべ、


「ええまぁ。私は生憎とシラノ様の語る活人剣とやらの価値観などには共感を抱けませんので……。斬る価値があるから斬るか、斬る価値もないので死んでもらうかのいずれかです」

「うぇぇぇぇぇ…………」


 しれっと言った。やっぱり魔剣使いだった。

 そしてフローが震える中、セレーネはふと首をかしげ、


「……ふむ。ところで先程から……この人混みは?」


 見やった先は賑わう広場である。

 種々様々な人々が陽気に行き交い、商人らしきものも呼び込みを行っていた。


「えっと、古本市だってあそこに書いてあるよ? ……うわっ、すごいよ! 見て見てセレーネさん! 紙の巻物なんて置いてあるよ! あんなにいっぱい! すごいね! すごいねセレーネさん! あんなに並んでるよ! すごいねえ! ねっ! ねっ!」

「ふふ、そうですね……どうせなら少し立ち寄って行かれますか? なに、シラノ様もいらっしゃらないので……たまには女二人で文化的な催しというのも悪くはないでしょう」

「えっ!? やったぁ! ありがとうセレーネさん! 大好き! シラノくん、絶対本とか読みそうにないもんね!」

「ふふ、フロー様がそうもお喜びになられるなら幸いですわ。ええ、私も読書は嗜んでおりますし……中々心躍る光景ですね」

「ボクもセレーネさんが嬉しいなら嬉しいなぁ! ふふっ、面白いものが見つかるといいねー! ねー! エルマリカちゃんにも買ってってあげようか? 喜ぶかなぁ、笑ってくれるかなぁ?」


 なお前世では図書館から小説を借りてくるのがシラノの唯一の趣味だったのだが、残念ながら指摘するものはこの場に誰もいなかった。というかこの世に一人も居なかった。

 無常である。

 無常だった。



 古めかしい作りの砂版本や、或いは丁寧な装調がされた羊皮紙本。丹念に手入れをされているだろう紙の巻物に、風変わりなものでは石版や金属版。

 種々様々なものが置かれた出店を前に、フロランスは感情を顕にして声を弾ませていた。


「こっちはニルケー写本で、あっちはポイニキアの詩集の原本……あっ、鉄腕王の碑文の写しもある! うわあ、すごいねえ! すごいね! ねっ、セレーネさん!」


 隣でされる彼女の賑やかな笑顔に、セレーネも銀髪を揺らして思わず頬を綻ばせた。


「存外、フロー様も書物にお詳しいのですね。……普段あまり話題にも出ないので、そちらの趣味はないかと思っておりましたわ」

「うえっ!? ええと……その、本当に興味があるかって言われたら、その、ちょっと謝らなきゃいけないんだけど……。あの、うちには文献も色々とあって……えっとえっと、だから多少は目利きとかもできるんだよ? これでも里の外で文献を探すのを手伝ったりしてたんだ!」

「ふふ、そうなのですね。これからも機会を見つけて、このように楽しむのも良いかもしれませんね」

「ねー? シラノくんもこういう趣味あればいいのに……。あっ、でもエルマリカちゃんは誘ったら喜ぶかなぁ? まだ少し壁があるみたいな感じがするから、もっと落ち着けるようになって欲しいよねぇ……」

「そうですわね。騎士物語や英雄譚はお好きでしょうから……今日も都合が合えばよかったのですが……」


 メアリと二人連れ立って、この街の内偵に入る――と朝から彼女たちとは別れていた。剣に生きると決めたセレーネには縁のない世界だ。

 それにしても、と市場を見回しながらセレーネは思う。

 紙というのは基本的に高価で、似たようなものを求めるならば羊の皮や山羊の皮を鞣したものを用いる。竜の大地(ドラカガルド)の主流は粘土版や蝋版の発展である魔術仕掛けの砂版であり、よほどの文書でない限りはそうだ。

 その点、己が買い与えられていた物語は――……弱小騎士の言えどもそのどれも巻物の形式だった。

 これでも愛されていたのかな、と思う。尤も、あちらはもうセレーネの顔などは見たくもないだろうが。


「……」


 ふむ、とセレーネは目を細めた。

 市場というか……どの露店にも、ある題目の本が置かれているのだ。


「そういえばフロー様……この魔剣の王というのは、どのような方なのですか? シラノ様にはああ申しましたが……生憎と角笛の島の方の生まれなので、こちらのことに実はあまり詳しくなくて……」

「うーん……えっと、帝国が淫魔との戦いで疲れ切って崩れちゃったその後に出てきたって話で……。帝国が竜の大地(ドラカガルド)に隠した強力な魔剣を見付けて、それで暴れ回ったらしくて……」

「ふむ。疫病のようなものですか……」


 疫病といえば、セレーネには思い返される少女がいた。

 魔剣の王を題材にした詩集の表紙に描かれた赤眼黒髪の女を見ればなお思う。

 世に虚無を与えた魔剣の王の所業も合わさり、思い出されてならない。

 ……首を振った。せっかくの明るい気分に水を差すのは勿体無い。フローにも悪い。


「ええと、フロー様……その、何故そもそもにしてそのような者へ強力な魔剣が渡るようなことが? 神殿の外に出されること自体が些か不自然と申しますか……。天地創世の魔剣が隠されるのとまた同じく、多くの魔剣も帝国の崩壊と共に散逸したと聞いてはおるのですが」

「ええと……その、セレーネさんは淫魔の事を疑ってないよね……? もう、信じてるよね……?」

「ええ。流石に記憶がないとはいえ、己が斬り捨てたものを疑いはしませんわ。……ひょっとして、淫魔が神殿に安置されていた魔剣を解き放ったのですか?」


 問えば、フローは寂しそうな何とも言えない顔をした。

 思わず首を傾げるセレーネの前で、「長くなるんだけど」と前置きがされ、


「うん、それなんだけどね――……」


 語られるは、ある帝国の真実だった。



 ◇ ◆ ◇



 社会に寄生し、国家に隠棲する恐るべき不死不滅の大敵――淫魔。異世界からの転生者(てんしょうしゃ)。邪悪なる半神半霊の超自然的存在。

 魔術を戦に用いることはあっても、魔剣は戦いに用いらず神殿に祀るのみであった帝国の――しかしその魔剣ならば、淫魔の不滅の理とて塗り潰すことはできる。

 だがいくら不滅を崩せようとも、魔剣使いは欲や精神を持つ生命である。

 そうである以上、魅了や洗脳を免れられず真の意味で天敵にはなり得ない。

 淫魔を倒せるのは――


「ボクたち触手使いが契約した“外なる父神”は、なんていうか……“どこにも在ってどこにも無い”・“始点も終焉もない”・“全にして一、一にして全”って感じの凄い神様でね? なんていうか、物事の反対の両面を持つというか……ええと、それで……」

「なるほど。不滅の者には滅び……という相反したものを与えてやればよい、ということですか」

「そうなんだよ! ふふっ、セレーネさんはすごいなあ! 例えば寄生させれば、“不滅”であり“不滅でない”って実体を与えられるし、触手自体だって“実体であり非実体である”って感じで挿し込めば淫魔の魂を攻撃できるんだ! どうかな? すごくないかな?」

「ええ、凄い力ですわ。本当に」

「だよね? だよね? そうなんだよ、触手って凄い力なんだよ! ふふっ! ねっ! ねっ! セレーネさん、話が早いなぁ……!」


 セレーネの同意に、フローは笑顔をますます華やかせた。

 感情の機微がすぐに表に出るなど、なんとも微笑ましいものだ――と目を細めるセレーネのその前で、しかし、急にフローの顔が曇る。


「……そうなんだよ。ボクらは淫魔の天敵になったんだ……なったんだけど……なんだけど……ただ、問題があって……」

「……なるほど、判りましたわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……つまり体勢を整える前の奇襲でしょう? 私なら、そうしますわ」

「――」


 フローは紫色の宝石のような目を見開き、


「……やっぱりセレーネさんはすごいなぁ。シラノくんも同じことを言ってたけど、淫魔そのものの存在自体を消せる上級の召喚をしようとしても……」

「『その前に索敵の範囲外から最高火力を叩き付ける』……なるほど、世のあらゆる人を尖兵にできる淫魔と、常に出力の変わらない魔剣と言うのは……」

「……そうなんだ。今度は逆に、ボクたちの天敵だったんだ」


 しゅんと肩を落とし、フローは消え入りそうな顔をしていた。

 その顔で、セレーネにも閃くものがあった。

 栄華を極めた帝国はその内なる腐敗に呑み込まれ崩壊し、その過程で魔剣は散逸した。それが、表の歴史。

 しかし実際は、


「……触手使いへの配慮として、魔剣を封印したと言うことですか」

「そうなんだ。その時の皇帝陛下はすごい優しい人で、“外なる父神”と契約したせいで皆に怪しまれてたボクらを信じてくれて……その為に神殿の御神体だった魔剣も封印してくれたんだって……。市民が市民を傷付けないように……ボクたちが傷付けられることのないように……」

「……」

「淫魔に元老院を荒らされたり、市民から糾弾されたり……自分の立場も大変なのにボクたち触手使いを庇ってくれてて……淫魔の天敵だからじゃなくて、罪なき市民だからこそ守るんだって……ボクたちのことを信じてくれて……」

「……」

「……だからボクら触手使いは、必ずその恩に報いなきゃ駄目だって伝えてるんだ。世の中がどうなっても、どんなに酷いものがあっても、信じてくれたその想いを嘘にだけはしちゃいけないって……絶対に破ってはいけないものがあるんだ、って」


 呟くフローの今にも泣き出しそうな、寂しげであり誇らしげであるどこか遠くを見るようなその顔。

 世の苦境にあっても、それでも替えがたい光り輝く何かを胸に抱きしめるようなその顔。

 セレーネはいつしか、銀髪を揺らして静かに頷いていた。


「なるほど。……そういうこと、だったのですね。触手使いの皆は、そう誓われているのですね。世の誰に蔑まれようとも、その誓いを違えないのですね」

「うん。……どれだけ皆に何を言われても、ボクらを信じてくれた皇帝陛下にきっと報いるんだって……もう陛下がいなくても、もう帝国がなくなっても、信じてくれた人たちがいなくなっちゃっても、それでも嘘にしちゃいけないんだって……受けた恩は必ず返すんだって……」

「……」

「ボクも、おんなじ気持ちなんだ。……色んなことが世の中にあって、辛いことだって沢山あって、嫌なことだっていっぱいあって……でもさぁ、だからさ、だからさぁ……!」

「……」

「だからせめて――……せめて一つだけは……この世界に一つだけは……そういうのがあっても、いいんじゃないかなぁ。誰かにした心からの優しさが、信じてくれた気持ちが、そういう温かいものが報われるってことがあっても……いいんじゃないかなぁ」


 噛みしめるように呟くフローの揺れる紫色の瞳に、セレーネはしばし言葉を失う気持ちになった。

 滅びても滅ばざるもの。淫魔とは異なる不滅を、触手使いの彼らもまた……胸に抱いてるのだ。

 ああ――――……と頷いた。

 フローは剣士ではない。故にセレーネは、フローを斬ろうとも思わなければ斬ってはならぬと思っている。斬らないものだと、思っている。決めている。

 だが、今まさに眺めたのだ。

 輝くものを。

 震えるほど小さく、そして尊く、消しきれない輝かしきものを。


「ふふ……」

「うん? どうしたんだい、セレーネさん?」

「いえ――……やはりシラノ様は紛れもなく触手使いの一員であり、そして剣士なのだと思っただけですわ」

「うぇぇぇぇぇぇ……!? 今の話にどこか野蛮な要素あったかなあ……!? 野蛮な要素ないんじゃないかなぁ!? シラノくんを連想しないんじゃないかなあ!?」


 わたわたと手で表すフローを前に、セレーネはもう一度小さく笑った。

 柄を拳で小突き、吐息を漏らす。

 何とも世の中面白いもので――……やはり人の命というのは、生きて見なければ判らぬものも多かった。


「……ふむ。しかし世からこんな扱いを受けながらなお尽くそうとするあたり、やはり触手使いはいささか正気を失っているのかもしれませんね」

「正気を失ってるとか言うなよぉぉぉ……本当だとしても言うなよぉぉぉぉ……」

「いえまあ明らかに正気じゃないなぁ……と」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……言うなよぉぉぉぉぉぉぉぉ……! 言うなよぉぉぉぉ……!」



 ◇ ◆ ◇



 既に日は暮れ始めた。

 さら、と膝丈の草を掻き分け進む。断崖に足を踏み外さぬよう、壁に手をついて進む。指先を、ゴツゴツした岩の感触が捉える。

 村に近付くに連れ増えていく、彫刻とも壁絵ともつかぬ岩場で踊る魔剣の王の像。

 夕陽に照らされて深く影を帯びたそれは、民からの憎悪により半ば砕かれていて……その有り様が余計に不気味さを強調する。

 魔剣の王。まさしく、魔王。

 一連のそれは叙事詩なのか。背中に五本の剣を背負い、二本の剣を持つ魔剣の王の姿がところどころに描かれている。


「……」


 これまで、シラノたち一行は都合八度魔物と遭遇した。

 無論のことすべからく出会い頭に爆発四散させたが、その中に魔犬モール・ダ・ドゥーの姿はない。

 一体、如何なる敵なのか。

 魔剣には及ばぬとて、侮る気はない。特に依頼人も連れている以上は油断も許されない。

 メアリ仕込みの斥候(スカウト)術で辺りを警戒しつつ、また自然と瞳が壁絵に向かったときだった。


「どうだい? ははっ、やっぱり不思議だろう? 『魔剣を同時に二本持つ』なんて――やっぱり魔剣の王って呼ばれるだけあるよねぇ!」

「は?」

「ひっ、ぼ、暴力反対暴力反対っ! 暴力反対っ! ななななななななな、なっ、なんだその目は! 人を脅しちゃ駄目だって親から習わなかったのかい!?」

「……教わる前に、死んだんで」

「あっ。す、すまない……そんなつもりじゃ――――って! ああっ! その仕草は嘘のときだ! 嘘のときのやつだな! 嘘かなんか誤魔化すときの奴だ! この僕をナメないでくれないかなぁ!? 人間観察は得意なんだよ!?」


 マフラーを上げるなり騒がしく指を突きつけられると――ともあれ無礼なのでへし折ってやりたくなるが――それはそうと、


「……素直にすげえっス」

「そ、そうかい? ふ、フフン……ま、これが僕の実力だよ! やっぱりキミたちみたいな下賤の人間とは違うってことを証明しちゃってごめんねぇ……! ほら、僕って高貴な血を引く――――あいたぁぁぁぁ!?」

「ちゃっちゃと歩くであります」


 げし、と背後からユーゴの蹴りが飛ぶ。虐待めいていて酷い。

 さてはともかく、シラノは眉間に皺を寄せた。

 “魔剣を同時に二本使う”――――それは有り得ぬ。有り得ぬ筈だ。それともセレーネやエルマリカの如く、一対で一つの魔剣とでも言うのか。

 思案を深めようとする中、アンセラに肩を叩かれた。

 視線の先――……。小道が広がりにわかに森のようになった開放地に、ボンドーのような刺繍コートを纏った男女が二人……いる。

 左の指で獅子丸の鍔を押した。

 呼吸を絞るその中――なんたることか。ズケズケとボンドーは進んで行くではないか。


「や、ええとキミたちは――……ユキシムにマルエガリアだな! フフン、驚かなくてもいい。高貴な僕にとって、キミたちの名前を覚えるくらいはわけないからね! いずれ村を継ぐはずだった者として当然じゃないか!」

「……」

「おっと、嬉しすぎて声も出ないのかな? ああ、いや――僕もキミたちに会えて嬉しいけど、どうしたんだいこんな場所で? 村へのお参りかい? 〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉様の御祭の時期は過ぎたけど……ってあの時キミたちはいなかったね? フフ、時期を間違えたのかな?」


 警戒心なく髪を掻き上げるボンドーに返されたのは、右腕だった。

 ブラウスシャツに皺が寄る。その華奢な胸ぐらを、男の腕が掴み上げる。


「ふざけるな! 村長の子供だかなんだか知らねえが、勝手におれたちの村の誇りを売り払おうだなんて!」

「ちょ、キミたち……なんでそれを――」

「ふざけるんじゃないわよ! あんたのバカな申し出のせいであんなことになって――おまけに今度は村の財産を売り払う!? ナメないで!」

「ちょ、ちょっと――」


 凄まじい剣幕で詰め寄る二人へ、シラノは獅子丸の柄を握った。

 夕焼けに照り返す鋭い白刃――男が片手に忍ばせたのは、刃物。


「イアーッ!」


 威力を抑えた触手刃で砕き飛ばし、いざ抜くは白刃。駆けるは草むら。

 一直線に飛びかけ――真っ青に凍った顔のボンドーの顔が映る。


「や、やめろ! 僕と同じ村の住人だった奴なんだ! 手荒な真似はやめてくれないか!」

「骨を二・三本へし折って話を聞くだけです。斬りはしな――……」


 言いかけ、シラノもまた虚空を睨み叫ぶ。


「アンセラ!」


 応じた炎髪が草むらを焼き払い、瞬く間に白煙が立ち込める。

 その中を、駆け逃げた。肩抱きに暴れるボンドーを回収しつつシラノは歯を食い縛る。

 なにか、いる――油断のならない何かが、いた。いたのだ。

 斜面を駆け下りながら、その背後から漂う鮮烈な殺気に――


(……難行だから、楽にはいかねえか)


 苦虫を噛み潰した表情のまま、シラノは駆けた。

 難行と題される依頼。そして魔剣の王の出生地と、魔剣回収――……。

 この依頼が決して平穏とは呼べなくなったのは確かだろうと、妙な確信を抱いていた。



 ……そして、白煙が収まる中。


「クソ……あのバカ、やっぱり冒険者を雇ってるなんて! ふざけないでよ!」

「たかがバカ息子のくせに……! おい、なんでさっき斬りかからなかった! おれは、攻撃されたんだぞ!」


 憤る亜麻色の髪の男女の視線の先には、木の上に待機していた黒外套の男。

 頑健な体躯を包み、しかしデクの棒めいて動かぬ男への罵声が続く。ヒステリックに二人は怒鳴り尽くした、その時だった。


「……オレに、指図するな」


 何を、と応じる暇はない。

 巨大な拳が青年の顔面を払い、太い木へ叩き付ける。そこへ追撃の靴底。男の靴裏と木の幹に挟まれ、青年の頭蓋が異音を立てた。


「いいか? おめーらはカスだ。カスが、偉そうな口を、叩くな。おめーらは案内人だ。案内の務めを果たせ。役目もできねえなら、ここで死ね。それ以外をやるなら、余計に死ね」

「ひっ、や、やめっ……やめっ……」

「オレぁ、『ハイ』以外の言葉は聞かねえ。役に立たねえ口なら、顎ごとここに置いてくだけだ。……判るか? 言葉は、判るか? 意味を判るぐらいは、言葉が通じるか? オレを苛立たせるな。判るか?」


 壊れたように頷く青年と、唾を吐きかけ服を正す男。

 腰に収めた黒鞘を握り、狂犬のように――……いやまさしく犬である黒い毛並みの獣人族(デンス)は、黄色い目を細めた。


◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その三へ続く◆

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