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第八十四話 サウナ・ニンジャ・サウナ その一

◆「サウナ・ニンジャ・サウナ」その一◆


 冒険者が依頼を受ける制度は、多くが半額前金制を取っている。

 というのも装備や資材の準備がかかり、ましてや命がけである為に先んじて娯楽に使ったり……或いは家族に残したりと、そんな経緯があることから来ている。

 だがそれでは、前金を受け取り逃げるものや或いは依頼を達成できずに死するものがいたらどうなるか、という話である。

 ……そこで、ギルドは二つの手法を取った。

 まず一つが、ギルドへの仲介金とは別に“積立金”を用意するというもの。これが、冒険者が出した損失に当てられる。

 もう一つは、信用性。

 登録において――一定の積立金が貯まるまで、代わりに身元保証人がつくというものだ。これを用意できなければ、人足などで日銭を集めて積立金分を支払ってから登録を行うこととなる。

 つまり、保証人とは、ある種の徒弟制度と同じだ。

 保証人は見込みのある人間に冒険のノウハウを教え、その腕前を図り、そして冒険者として世に送り出すこととなる。

 中にはその制度を悪用するものもいるが――……監査も入るために、よほどでないと難しい話であった。


 ともあれさておき、


「……あんた、あたしに何か言うことない?」


 つまり今こうしている彼女は、最初に身元保証人となった彼女は、シラノにとってもある種の先輩や師匠や恩人に当たるわけだ。

 全体的に茶色と灰色を基調とする冒険者酒場にあって、ひときわ目を惹く未亡人めいた黒のドレスと肩に羽織った狼の毛皮。

 服と対象的に鮮やかな炎髪を靡かせて、腰に手を当て仁王立ちするアンセラがいた。


「髪切ったんスか?」

「……目玉抉られたいの?」

「お腹空いてるのか?」

「……頭から喰うわよ?」

「か、金なら貸せねえんで……」

「ぶっ飛ばすわよ!?」


 いや、もう、ボディにイイのが入りそうになった。

 勿論右手で止めたが。触手剣豪は伊達や酔狂で名乗っている銘ではない。


「あんたねえ……あたし、あんたの監督役なのよ? お目付け役なのよ? 難行なのよ? 難行以外で死にかけられたことをどう報告すりゃいいのよぉ……」

「……メアリさんから手回しは?」

「されてる。それでもアレ絡みだから素直に報告はできないし…………ここ数日間お肉我慢しながら報告書書いてたのよ!? 砂盤をガリガリ削って! 心をガリガリ削って!」


 腹の底から絞り出された悲哀と怒声だった。周りの冒険者たちの目線が集中する。

 ううむ、と眉間に皺が寄る。冒険者を選んだのも、触手使いの地位向上のため。そして、淫魔の情報を得るため。

 優先度は淫魔であったが――……アンセラに迷惑をかけていいという話ではない。ましてや、伏撃を受けたのは己が迂闊さ故である。


「悪いな。……なんか奢る」

「お肉」

「……」

「高いお肉」

「……」

「たかいおにく」

「……」

「おにく。つれてって。たかいおにく」

「……なんか奢る」


 マフラーを引き上げた。いくら触手剣豪と言っても限界はある。

 銭勘定は士分の恥とは、一体誰の言葉であったろうか。酒場の喧騒が遠い。昼間から酒飲むなんて随分といい身分だ。多少は羨ましい。


「なんかじゃなくてお肉奢りなさいよお肉! 肉! お肉! 高い肉! あたしがどれだけお肉欲しかったと思うの!? どれだけ冒険したかったと思うの!? なんでまた報告書書いてるの!? なんで!?」

「お、落ち着いて話を……」

「肉! お肉! にくにくにくにくにくにくにくにくにくにくにくにく! お肉! お肉! 肉食わせなさいよぉ! 野菜狂いなんて植物油飲んで死ねばいいのよ! おにくぅぅぅぅぅぅう!」

「ここ外っスよ。お嫁にいけなくなるぞ」

「ぴやぁ!?」


 顔を真っ赤にされて胸ぐらから手を離された。これ以上揺さぶられていれば、危うかったろう。主にアンセラの名誉が。

 遠巻きに見ていた冒険者たちが、興味をなくしたとばかりに去っていく。

 それでいい。淫魔と、聞かせる訳にはいかない。

 襟を正していれば、膝に手をついて俯き加減になったアンセラが悲痛な呻きを漏らした。


「せめて他になんか埋め合わせしなさいよぉぉぉぉ……なんでもいいからぁ……」

「なんでもいい……」

「なんでもいいからぁ……いたわりなさいよぉ……いたわってよぉぉぉぉ……がんばったあたしいたわってよぉぉぉぉぉぉぉ…………」

「うす。なんでもいい……」


 ふむ、と腕を組んで目線で宙をなぞる。

 迷惑をかけたのは事実である。この恩と義を返さずして、一体何故腰に剣を下げているのかという話となろう。不義理な主では、獅子丸も嘆こう。

 しかし、


(…………)


 仏陀は寝ているらしい。案は浮かばない。

 いや、頼るなら文殊菩薩(もんじゅぼさつ)か。不動明王(ふどうみょうおう)が好きだが、文殊菩薩もすごい。文珠(もんじゅ)の知恵の、文珠(もんじゅ)。高速増殖炉の運用のオチが頭悪いとか言ってはいけない。

 そう、文殊菩薩といえば鵺退治のときに、かの源三位・源頼政に矢を授けたことで有名で――


「あ」

「なに?」

「……風呂。好きスか?」

「ふっふっふふふふふっふ、ふふふふふふふりょ!?」

「風呂」

「ぴぎゅぅぅぅぅう!?」

「……いや、変な意味じゃねえっスから」


 その手の話題ですぐに顔を真っ赤にする穢れなき乙女(彼氏いない歴=年齢)を前に、ボリと頭を掻いて壁を指差す。

 かけられた砂盤には、色とりどりの砂で盛り上げられた大浴場の宣伝が記されていた。

 アンセラの顔色が戻った。大浴場で大欲情されても困る。


(サウナじゃなくて温泉形式か……)


 何とも珍しいな、と頷いた。

 ……うむ。混浴ではないらしい。訴えられたらきっと負ける。触手使いなのだ。


「あー……なら、フローさんたちも一緒に行かない?」

「先輩たちも? ……いいのか?」

「……いや、あんた借りてあたしだけ温泉に連れてって貰うとかどう顔向けしたらいいのよ」

「そうスか?」

「そーよ」



 ◇ ◆ ◇



 ノリコネリアと呼ばれるこの街は、今も、天然の〈浄化の泉〉が湧いている。

 魔剣の材料ともなる“貴”の結晶が含まれた湧き水。〈浄化の塔〉が作られるそれまで、それは魔物対策としてあまりにも貴重だった。

 そして、この街が今ある場所にはかつて竜が暮らしており、街を拓くその時、人々に一つの要求をした。

 それが温泉。

 地を掘り、湧き出す湯に当たる。しまいには、竜もまた汗を流す人々と共に掘削を行った。

 それまでの人々の苦労と竜との友誼の証としてこの街は城壁に竜を型取り、そして、温泉で有名な街となっていた。

 遡るは遥か昔、帝国の技術が失われ――〈浄化の塔〉が再び世に姿を表すまでの魔剣の王の時代のことである。


「……すげえっスね」


 そしていざ、温泉施設。

 竜の彫刻に左右を守られた幅広い大階段を、湯屋めがけて進む人々の足並み。

 いわば、この階段の先は温泉街であろう。見上げた遠くにいくつも建ち並んだ建造物は、その全てが温泉だ。さながら複合テーマパークめいて、ここには温泉宿が立ち並んでいるのだ。

 ほう、と息が漏れる。

 湯治は好きだ。サウナが主流の竜の大地(ドラカガルド)において、シラノの希望が満たされることはなかった。


「シラノ様、私は反対ですわ」


 しかし、アンセラがどうせならと誘った一行の中――冴えた銀髪を湯風にはためかせて、竜の像の前でセレーネはそう呟いた。

 僅かに海賊傷がはみ出た眼帯をシラノに向け、彼女は整然と言葉を並べる。


「魔術や剣術は多少使えますが、剣士が魔剣を手放して何をしろと言うのですか?」

「いや、風呂入れ」

「ふふ……ええ、確かに剣を失くした場面での戦いというのも心躍りますが、ですがやはり剣士は魔剣を握るべきでは?」

「風呂入れ」

「魔剣……」

「風呂に入れ」

「剣……」

「風呂」

「けん……」

「入れ」


 そういえば前世でも弟妹が風呂を嫌がったなあ、なんて懐かしい気持ちになる。

 あれは何故なのだろうか。幼少期特有なのだろうか。実際、かつてシラノもあまり得意ではなかった。

 ……いや、もうセレーネは弟妹などという歳でもないのだが。

 というか普段、別に風呂――サウナだが――に入ることを嫌がる様子は別にないのだが、


「……シラノお兄ちゃん冷たい。セレーネのこと嫌いなんだ。セレーネのことどうでもいいんだ。お兄ちゃん酷い。きらい」


 案の定こうなったので放置する。歳上の妹の趣味はない。寝言は宿で言えばいい。


「し、シラノくんがこんなちゃんとしたことをしてくれるなんて……! この間だって女の子に鎖帷子とか革の鎧とか買おうとしてたシラノくんが……! シラノくんがこんな……! こんなちゃんと……! 街の中の名所だなんて、旅らしいことをしてくれるなんて……!」

「俺をなんだと思ってるんスか……」


 むう、とマフラーを引き上げる。フローにはそんな人間だと思われていたと言うのか。なんか少し面白くない。

 ともあれ、まあ、喜んでくれているならそれに代わるものはない。

 改めて、階段の先の湯殿を見た。

 そこでも竜の彫刻が両脇をかためた神殿めいた施設。事実、かつては神殿として使われたのだろうか。幅広い大階段の先で無数の円柱に支えられたその灰色の建築物は、なんとも荘厳である。

 そして、いずれも竜の彫刻が人々に話しかけているのだ。過去と今を繋ぐ石の番人。なんとも胸が暖かくなる。


(……湯治の旅か。いいな、それも)


 この戦いが終われば、一考すべきだろう。

 普段は山奥で仏像を彫り、旅に出ては琵琶を片手に湯治に向かう。なんとも理想的ではないだろうか。やりたいこと、わりとすぐに見つかるかもしれない。


「シラノさん。……その、こういう場所にくるってことは……その、あの、わたしの力が役に立つのかしら……?」

「ああ、悪い。頼りにしてる。……暗殺を仕掛けてくるかもしれないんで……ごめんな」

「いいえ、うれしいわ。ふふっ、そうなのね……ふふふ、そっか。わたし、シラノさんのお役に立てるのね……この剣で……ふふっ、そっかぁ……」

「あァ。エルマリカも、楽しんでな。……それが、一番嬉しいんだ」


 態度が軟化したのは喜ぶべきだが、彼女は子供だ。これまで制限されてしまった分、存分に楽しんでほしい。人生は戦いだが、戦いだけが人生ではあるまい。

 ……と、そんな彼女の世話役のメアリの姿が見当たらず。


「湯上がり待ち合わせ、でやがりますね」

「……」


 背中を指でなぞられて背後から耳打ちされた。

 ……そういうの良くないと思うの。いや本当。駄目だと思うの。なんでそんなことするの。わかんない。やめて。



 ◇ ◆ ◇



 風呂、である。

 大風呂、である。

 脱衣場には大小様々な人が溢れ、その人種や肌の色も多種多様。一つ共通点を上げるなら、皆が安堵の笑顔を浮かべていることだろうか。

 金属瓶に入った牛乳を売る獣人族の女性や、垢すりを持った女性が非常に薄着で客呼びをしているのには多少驚いたが、まあ江戸時代や古代ローマの混浴に比べればマシである。

 混浴だったら一体自分は今頃どうしていたか。パーティーメンバーとも一緒になる。

 少し考えて――……首を振って掻き消した。これから入浴である。裸になるのである。つまり不埒な想像は良くない。別に不埒な想像したとか言ってないけど良くない。してない。

 そう、いざや風呂である。

 久方ぶりの大風呂である。


(つっても、やっぱ避けられるんだよな。……仕方ねえけど)


 目の前に立っていた人々が、海を割くように別れていく。

 刻印魔術を応用した脱衣箱に衣服を詰めて、自分の身体を改めて眺めた。

 手作りの褌一丁はともかく、


「兄ちゃん、あんたすげえ入れ墨と怪我だね……囚人かヤクザ者かい? 随分とヤンチャしたんだねえ……」

「いえ……」

「はは、かの伝説に謳われる邪竜と戦った鉄腕王のようじゃないか! すごいねえ! 牛乳、奢ってやるよ!」

「うす。……その、ありがとうございます」

「いいっていいって! お兄ちゃんもあんまり生き急がないようにな!」


 手を振って、気のいい窟人族(ドワーフ)の老人と別れる。

 そうなのだ。全身の傷痕は、彫刻に金槌を叩きつけたかの如く火傷肌めいて無数に浮かぶ。

 リヒテンベルグ図形――雷撃への生体反応。首筋から始まり、上半身にぐるりと巻き付いた朱い稲妻状の蔦。

 この世界でもやはり、入れ墨は囚人の証なのだろうか。

 そう考えると、どうにも溜め息が出てしまう。身体の傷は勲章というよりも、フローがシラノを活かそうとしてくれた証なのだが……アウトロー扱いをされることは、あまり喜ばしくはない。 


「あれ、白ですか?」

「ああ……下着は戦場で最期に残る服だから、己の心のように輝く白であるべきと聞きまして……」

「ふむ、なるほどな。戦士の心構えというやつか。見習うべきだな」

「受け売りっスけどね。……な、バルドゥルさん!? いや……バルドゥル先輩!? グントラムさんも!?」

「先輩呼びって何ですか!? いえなんでですか!? シラノさん!?」

「バルドゥル先輩はすげえ人なので……」


 銀髪を靡かせて、胸に七つの傷跡をつけたバルドゥルが笑った。

 細身ながらも確かな力強さを秘めた筋肉。前世の陸上部で、何度も見慣れたような肉体。


「ほう? ならば私は、すごい人には当たらなかったということか? はは、なに、冗談だ。……久しいなシラノよ。また傷が増えたのではないか?」

「グントラムさんこそ……また会えて、その、俺ァ嬉しいです……」


 そして、(いわお)めいた頑健な肉体のグントラム。

 唸る上腕三頭筋、切り立つ肩の三角筋、はちきれんばかりの僧帽筋に、丸太めいて野太い首。革の下着のその上に、無数に傷を持つ筋骨隆々とした身体を乗せている。

 脱衣所に並び立つ二人の男。

 どちらも共に死地をくぐり抜けた、男の中の男。

 なんとも予想外で、嬉しい再会であった。

 タオルをいざ引き抜き、談笑しながら温泉に向かう。竜の大地(ドラカガルド)らしからぬ風呂と、同性の友人。癒やしである。


「珍しいですよね、こういうお風呂。僕は初めてです……湯を張って入るなんて」

「そうらしいっスね。ああ……でも俺の故郷はこっちが主流だったです」

「私もそうだな。山間では良く、このように湯が溜まっているのでな。……私も故郷が懐かしい」

「へえ、お二人とも故郷ではこれが主流…………あっ……」

「ちょっと待ってバルドゥル先輩、今のなんスか。『あっ』ってなんスか」

「い、いえ……」


 解せぬ。

 ジッと見たが、顔を逸らされてしまう。

 グントラムとバルドゥルは、以前からの知り合いで――共に仕事をこなしたことがあるらしい。

 洞窟の中の死闘。山賊との戦い。ダンジョンの捜索……どれも如何にもな冒険者の仕事であり、逆にあまり覚えのないシラノにとっては聞くも珍しい体験談。

 そうしていくつも大風呂を周り、一頻り取り留めもない談笑を終えて温泉の中庭にて蜂蜜水を飲んでいるときであった。

 溜池の縁に腰掛けた彫刻の女神像。一枚布の服を纏った彼女のたおやかな身体の柔らかさは石ながら見事に表現されており、整えられた木々はそんな彼女の清浄さの表現に一役買っている。

 爽やかな風が吹き抜ける中、おもむろに雄々しいグントラムが口を開いた。


「さて……ところで二人とも、ここのサウナには上級者向け……戦士向けというのがあるらしい」

「なるほど。……なら、やることは一つっスね。グントラムさん」

「言わずとて、知れるか」

「うす。男なら、退けねえときがあるとは」

「やはり、流石だ。それでこそ、私が見込んだ戦士と言える」

「うす。……そちらこそ」


 シラノの瞳におもむろに炎が灯った。

 戦い。ならば、応じぬのは男としての名折れ。男が戦いを挑んできたのだ。ならば、答えるこそ男の道。

 男と男、頷きあって拳を合わせる。他に言葉は必要ない。二人は目の奥の情で会話をしていた。

 パァン、とタオルを背中にぶつける。出陣の先触れだ。


「…………この二人と一緒に来たの、失敗だったかなぁ」


 見守るバルドゥルは頬を掻いた。昔に暮らした刻印呪帯拳の師範の家よりも野性的だった。



 ◇ ◆ ◇



 女湯は和気藹々と過ごしている。平和である。



 ◇ ◆ ◇



 竜の大地(ドラカガルド)の風呂といえば、サウナである。

 四方を区切った一室へ、湯童が熱した窯から蒸気を送ってくる。その蒸気で身体を温めつつも垢すりで身体を拭う。汗を流す。あとは香木の葉を肌に摺り、軽くぬるま湯や水をかけて終わる。

 ところによっては地熱により温まった岩の上に、水を垂らしながら寝そべる岩盤浴というのもあるそうだが――基本的には、ミストサウナが主流なのだ。

 そして今、シラノたちが入ったのもそのようなサウナだ。

 黒い大理石で四方を囲まれた薄灯りの一室。その端の壁に暖炉めいた空間があり、熱を持つ石が安置されている。

 自分たちで、熱しろというのか。既に先人たちが競い合ったのか、かがみながら扉を開けると顔を覆わんばかりの熱気が吹き出してきていた。


「ならば、先に出た方は……」

「うす。後で牛乳でも奢るということで」

「ああ、ついでに軽食も…………異論はあるか?」

「いえ――……望むところと、言うべきっスね。砂時計はまだ十分そうですね」

「……いや、お二人ともなんでそう手際がいいんですか。なんで手慣れてるんですか」


 壁床に嵌まる形の砂時計を確認していれば、バルドゥルが呆れたような顔を向けてきた。

 グントラムと顔を見合わせ、


「ふむ……バルドゥルは、乗らぬか。ならば構わぬ。いや、付き合わせてすまなんだ。存分に過ごしてくれ。我らだけの勝負としよう」

「うす。流石にノリ気じゃないのに付き合わせる気はないんで……一応危険もありますし……俺も静かに風呂入りたいって気持ち分かりますんで。騒がしくてすみません」

「誰も付き合わないとは――……いえ」


 首を振ったバルドゥルが、暖炉の真正面の足湯へと腰を下ろし、


「僕とて妻を持つ男です。男として、父として、ここでは退けません」


 そう、両膝に手を付きながら胸を反らした。男の背中であった。


「聞きましたかグントラムさん……今、父って……」

「ああ……すでに男として更に上の位階に行っているとは……流石は勇猛にして高潔、果敢にして慈悲深い“骸拾い”のバルドゥル……」

「だからなんで二人ともそんな反応するんですか!? 僕一番年下なんですからね!? 十五歳(成人)に成り立てですからね!?」

「なおさらすげえ……」

「ああ……大した男だ……」


 そう二人で呟けば、バルドゥルは不満げに頬を膨らませていた。



 ◇ ◆ ◇



 女湯は和気藹々と過ごしている。平和である。



 ◇ ◆ ◇



 いざ語られるは銅鑼のような声。

 身振り手振りで表される冒険譚。立ち込める風呂場の蒸気を、巌の豪腕がひゅんと裂く。


「――そこで我は巨人(トロール)の戦士を斬り捨て、高らかに雷太鼓を叩いたのだ!」

「巨人の戦士か……すげえなあ……」

「万年雪の山を越えた凍土の国に暮らすと聞いていましたが、こちらに出ることもあるんですね」


 あれから、時間にして十分。

 皆が持ち寄った冒険譚を聞き回る間に、それぐらい時間が経ったが他に入室者はいない。

 戦士向けというのは本当だったのか――……実のところ前世の死の記憶を否応なく蘇らせてしまうサウナがシラノは得意ではないのだが、友人と歓談していれば時を経つのを忘れられる。

 ともあれやはり、のぼせるような感覚は得意ではないな……とと思うその時、グントラムが切り出した。


「ところでシラノ……バルドゥルから聞いたぞ? なんでも、貴様の一行は貴様以外は女と言うではないか……」

「な、なんスか……?」

「それは……すべてお前の女か? だとしたら、なるほど鬼人族(オーク)でも誇られるべき男の中の男としか言えぬな。精力絶倫、良いことだ」


 吹き出した。そして咳き込んだ。


「ごほっ……いや、男女の関係とか、そんな……いや……」

「ふむ? ならば、単なる道行きか。確かに冒険者ならままあるが――……意中の女もいないのか?」


 もう一度吹き出した。そして咳き込んだ。


「い、意中の女とか……そんな……いや、そういうのは……いや……」

「ふむ。居らぬと言うならそれも判るが……男として共に過ごして、本当に居らぬのか? お前ほどの男が? どの女も抱きたいとは思えぬと? その腰を折れるほど抱き寄せたいと思わぬと?」

「そうですよ! それこそシラノさんも結婚が近いかもしれませんしね! ええ、多少結婚でイジられてることに腹を立ててるとかありませんので!」

「え、ええと……ええと……」

「腹を立ててるとかありませんので!」

「あっはい。うす」


 マフラー代わりに首に巻いたタオルを引き上げる。汗がポタポタと滴った。

 シラノはううむ、と頭を振った。なんだかやけに鼓動が早い。顔が熱い。いやそらサウナだから仕方ない。

 そうとも、サウナである。これはそういうのではないのだ。


「そ、その……多少ドキドキするって言うか……異性として気になってないって言ったら、その、嘘になるっつーか……いやでもあの、その、手を出してえとかじゃなくて、その、そういうのは違うもんで、あの、笑ってて欲しいっつうか……その……いや、何の話だこれ……恥ずかしいな」

「構わん続けろ」

「是非。いやあ……結婚はいいですよ、結婚は。恋愛も楽しいですけどね」

「くそっ、なんで俺がイジられ役にされてるんスか……やめましょうよこの手の話……得意じゃねえんスから……」

「構わん続けろ」

「いえ、是非とも話してくださいよ。大・先・輩として僕も気になりますから」

「ぐぅ……」


 ぐうの音も出ない。いや出てた。 


「いや……その、別に大したことじゃねえんスけど、あの……その、いや……なんとなく目で追っちまうというか……いや別に何か男女の関係とかそういうのじゃなくて、いや、その……何か話してると楽しいっつうか……聞いてるだけでいいっつうか……贈り物とか選んでるときに喜んでくれるかな、とか……笑顔が可愛いとか、その程度で……その……」

「抱け」

「恋ですよそれは」

「………………………………絶対なんか男女ってだけでそう言われると思った。すぐそういうこと言う。嫌い。皆嫌い。帰る」


 渋面で腰を上げる。

 前世、シラノ・ア・ローが白野孝介であったとき――小学生の頃もそういうことがあった。中学生の頃もそういうことがあった。

 周りから囃し立てられたせいでただでさえ貴重な友人を、それも異性の友人を失う。妙な空気になり疎遠になる。その後相手から話しかけられなくなる。

 いったい何故、友人関係に口を出すのか。水を浴びせるのか。何が楽しいのか。良くないのではないか。

 つまり、シラノは苦手である。とにかく、苦手である。


「逃げるのか?」


 だが、煉獄の瘴気めいて幾重にも重なった湯気の向こうからそんな声が響いた。

 まさにここは灼熱地獄。散る男たちの汗は、すなわち戦士の流血である。

 いざや魔境。いざや炎熱。いざや大阿鼻叫喚地獄。

 そこから、退くか。

 男が、退くのか。

 進むかシラノ。退くかシラノ。

 答えは、一つ。 


「白神一刀流に、敗北の二字はねえ……!」


 ――――すなわちここが、死地である。


「ほう、流石は俺の見込んだ戦士……やはりこの程度で逃げられてはな。戦うこちらも、男が廃ると言うもの」

「うす。今のは番外戦術ですか? ……なら俺、バルドゥルさんの馴れ初めとか気になるんですけど」

「僕ですか!? しまったな、飛び火しちゃったかぁ……」

「私も聞きたい。前に共に仕事をした時、妻がいるとは聞いていなかったからな」

「ほら、話してくださいよ大先輩」

「うぅ……いや、人に聞かせるほど面白い話でもないのですが……」


 まぁ、素直に結婚に至るまでの経緯というのは気になってしまう。自分とて、いずれはそれを望むのだから。

 そう顔を突き合わせていれば、


「――む。貴殿は……こんな場所で、なんたる奇遇か。……エルマリカは息災にしているか?」


 それはまさしく予想外。

 ガラリと扉が開き、既に十二分にサウナで絞られたと言わんばかりの不景気そうな顔が覗く。

 金髪が一房混じった黒髪。グントラムに勝るとも劣らない頑強な体躯の、アレクサンドである。

 更に、続いた。

 サウナの内扉をくぐり、姿を表したのは痩身の男。ギラギラと光る、野犬めいた眼光の剣鬼――


「――ほう? ああ、なんだ……狼のお兄さんじゃないか。縁があるねぇ……」


 なんか来ちゃった。


◆「サウナ・ニンジャ・サウナ」その二へ続く◆

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