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第八十三話 お姉ちゃん裁判有罪


 一面の闇の中、吹き寄せる白。バタリと、赤いマフラーがはためいた。

 耳朶を打つ吹雪の咆哮。千切れそうな寒さを味わい続けた耳はもう感覚を失っている。

 雪が降っている。雪が、降り積もっている。吹き荒ぶ豪雪の中、シラノは独り街の外にいる。

 背後には、刀で組み上げた武骨な橋。そして、遠く灯る街の明かり。

 またここか、と思った。ここにしか来れないのか、と思った。

 ……いや、その感想は、正しいのだろう。

 これはきっと、心象風景だ。

 雪には前世からしてあまり縁がない故に判らぬが、刃は判る。刃の橋は、判る。

 自分は、橋になりたいのかもしれない。明日へと架ける橋に。そう在りたいのかも、しれない。


『――――……』


 冷たさにひりつく頬を向け直した先には、鬼面の甲冑。鬼を思わせる二本角と厳しい面頬(メンポ)

 その手には、抜き身の野太刀が光る。

 暗黒の宇宙の如き紫色の装甲は、鏡面めいて磨かれたそのままに吹雪に飲まれることなく、そこにあった。

 ――否、その表面が変色する。

 鬱血の赤黒と死痣の青黒が混ざりあった、重鉄めいた深黒き炎の紋様――“真打(しんうち)”――それが広がっていく。

 そして一歩、甲冑が踏み出した。


 途端、右の視界が、失せる。右腕が崩れそうになる。

 背中が、腹が、喉元が、蠢く触手の塊に変わりながらおぞましい粘液音を響かせ始めた。

 失った肉体。それでも助けられた生命。

 それが、崩れ始めている。

 もう数歩、進まれればどうなるか。己は、己でいられるのか。

 ……斬るしかない。

 斬るしかないと、直感が叫ぶ。己の唯一が叫ぶ。

 その瞬間、


『――――』


 雪に紛れんばかりの純白の獅子が、赤いマフラーを咥えて引いた。

 前足が片方ない黄金の獅子も、隣にいた。

 首のない騎士も、そこにいた。

 何かと思うその瞬間、世界は暗転し、



 ◇ ◆ ◇



 ガヤガヤと喧騒の溢れるその酒場は、馬の小宿亭と名付けられた冒険者酒場だ。

 水晶竜を打ち倒しその宿を作ったドワーフの冒険者から数えること三代目。今日も、人々で賑わっている。

 小宿という名とは裏腹に、非常に広い。しかし満員に近いあたりは凄まじいと言おうか。街自体が大きい分もあり、登録される冒険者の数も城塞都市とは比べ物にならないほどいるようだ。

 シラノの左腕には管。触手点滴。希釈された興奮剤と滋養剤が混ざり合った液体が注入されていた。


「……お姉ちゃん裁判所?」


 陶器カップを置いて顔を上げれば、我が意を得たりとフローは頷いた。

 相変わらず胡乱だ。目の端が泣き腫らして赤くなっていることには――……非常に気が咎めたが、それはそれとしてフローは胡乱だ。

 テーブルにバンと片手をついて、


「シラノくんは冷たいと思います! 冷たすぎると思います! いくらなんでもお姉ちゃんに対して冷たいんじゃないかな!? ボクぐらい冷たく接されてる先輩はいないんじゃないかな!? 師匠相手に酷いんじゃないかな!?」

「はあ」

「ということで――シラノくんは有罪! お姉ちゃん裁判有罪なんだよ! 有罪! シラノくんは有罪なんだからね!」


 木槌代わりにバンバンと机を叩かれる謂れのない有罪判決。

 一体何がどうしてこうなったのか。中世魔女裁判よりも手酷い。かのセイレムの狂言少女たちでももう少し手心があったのではないか。あと魔女に対する鉄槌とかいう人類の汚点は焼け落ちるべきだと思う。異端審問官殺すべし。

 それはそうと、


「有罪スか」

「そうだよ有罪だよ! いくらなんでもシラノくんはお姉ちゃんに冷たい! ボクだって女の子なんだよ? わかるかい? 女の子には優しくしなきゃいけないんだよ? そうだろうエルマリカちゃん!」

「え、ええと……フ、フローさんがそうおっしゃるなら……そ、そうなのではないのかしら……」

「ほら、聞いたかい? シラノくんは冷たいんだよ? 有罪なんだよ? わかるかい? これは許されざることじゃないかな! シラノくんは明らかに冷たすぎるんだ!」

「先輩、声。周りの迷惑です。……エルマリカも無理に付き合わなくていいからな」

「うぇぇぇぇ……なんでそんな人殺しみたいな目をボクに向けるんだよぉ……!? やめろよぉぉぉ……なんでだよぉぉぉ……。頑張ってる先輩に対してこれかよぉぉぉぉ……酷いよぉぉぉぉ……」


 なんか、泣き言を漏らされた。

 公共の場では静かにする。当たり前のマナーだ。あんまりにも失礼な行動をするとどこかから斬りかかられるかもしれない。マナーは実際大事だ。

 マナーといえば、昔の貴族連中というのは食事が排泄に等しい扱いだったらしい。

 そんな時代で、木曾という山奥から出てきて、ましてや大盛りご飯を貴族に勧めたかの旭将軍が京の貴族たちにどう思われたのか。マナーはこわい。異世界なので改めてそう思う。


「……で、有罪なんスね」

「――――! そ、そうだよ! シラノくんはお姉ちゃんに冷たくしすぎた罪なんだ! お姉ちゃん放置罪だよ! これはもう、駄目なんじゃないかな! 責任問題なんじゃないかな! 許されざる悪行なんじゃないかな! ここは責任をとって今日一日ボクと一緒に――」

「判りました。腹ァ切ります」

「せっかく塞いだのになんで切るんだよぉぉぉ……!? やめろよぉぉぉ……! 何も判ってないじゃないかよぉぉぉぉ……!」

「有罪ならこれしかねえかな、って」

「どこの常識なんだよぉぉぉ……! お腹切ったら痛いに決まってるじゃないかよぉぉぉぉ……!」

「痛くなければ罰にならねえっスから」


 流石に腹が豆腐のように治っていたら、切腹に名誉も謝罪もあったものではない。いや、冗談だが。

 ……なお今、腹の傷はすっかりと塞がっている。一昼夜、フローが懸命に塞いでくれたのだ。

 そのことを考えれば、確かにもう少し感謝の気持ちを表すべきかもしれない――……と思えば、


「あら、ならば折角ですので斬首は私が行いますか?」

「やめて」

「……………………この間は介錯してくれって言ったのに。シラノお兄ちゃんズルい。セレーネ悲しい。冷たい。都合のいい女扱いはすごい酷い。セレーネ本当に悲しい」

「……」

「まったく……私が斬る前に死にかけられるのは、本当に目の毒ですわ。何の為にこうして共にいるのか……簡単にどこそこで死なれては、私の立場がないではありませんか。おわかりですか?」

「……」


 ……昔、漫画や映画で観た『お前を倒すのはこの俺だ』という言葉はアレ、もう少し暖かかったと思う。


「シラノ様はもう少し命を大切にすべきですわ。……いえ、そうして燃やし尽くすのがなんとも貴方様らしいですが――そも、シラノ様に限らず命というのは尊いもの……。尊くなければ、斬る価値もないでしょう?」

「……」

「もう少し、生命を大切にしてもいいのかと。でなければ私も味わい甲斐がありませんので。貴方に限らず、命は世界と同じだけ重く尊いもの……ですわ」


 剣鬼に生命を説かれる。

 ……泥棒でももう少し恥はあると思う。この地上であまりにお前が言うなにおいて三本の指に入ると思う。児童買春してた奴が国連の人道支援団体の会長してるぐらいおかしいと思う。

 社会派意見である。シラノは現代人なので頭が良かった。社会派である。触手剣豪は伊達ではない。

 ……なんてそれはまぁいいが、ことの発端のフローを見る。

 なんか体育座りしてた。椅子の上で体育座りしてた。なんか椅子の上で体育座りをして負のオーラを出していた。負のオーラを出しながら、年下のエルマリカに宥められていた。


(……)


 ううむ、と口を結ぶ。

 罪と罰の話――ではなく、そう、どうしたらフローに解ってもらえるかというか……より感謝の気持ちを表すかだ。

 いつだって素直が一番でありそれが信条であると自認しているが、正直に言って女性の機嫌を取るのには馴れない。

 弟妹にしたような扱いは妙齢の婦女子であるフローには不適格であるし、何より不敬である。本当に腹を割かねば許されぬ領域になる。

 となると……。

 背筋を伸ばしたまま、鮮やかな手際で黙々と料理を口に運ぶメアリへと目を向ければ――


「ふむ? んと……その、刑罰の話でやがりますか? ……まぁ、基本的にはお上で法を制定しますけど、土地柄ってのはありますからね。国の法に反してねえか、過度に厳しすぎなけりゃあそこらは領主任せですよ」

「……いえ、その、まぁ……なるほど」

「いやまぁ、これが結構めんどーなんでやがりますけどね。邪教徒とっ捕まえたら情報を引き出すまでもなく煮え油を頭からかける……みたいなとこもありますし。全く、あたしらがどんなに苦労したっていうのか……」


 煮え油。

 やっぱり倫理観が中世や古代に近いのだなあ、と思う。恐ろしい話だ。迂闊に腹も切れない。


「……あ、食事中にごめんなさいね。気分いい話でもねーでやがりますね、こんなの」

「いや……前にも言ったと思いますけど、俺、メアリさんの話を聞くの好きっスから」

「………………へえ? 今夜は部屋の鍵を開けておねーさんを待ってるって? ふむふむ……奴隷みたいに傅かれるのと、女王みたいに跨がられるののどっちがいーです?」

「すけべなのよくねえです。駄目ぜったい」


 ぜったい今そういう流れじゃなかったと思う。そういうの良くないと思う。セクシャルなハラスメントだと思う。

 メアリから意味深な流し目を向けられるのにマフラーを摘み上げた。

 十中八九――というか十中十八十九からかいであるのは判るが、そういうからかいはいけないと思う。駄目だと思う。健全な青少年相手にはよくないと思う。どうでもいいけど十中八九って術中ファックとも聞こえるよね。違う落ち着け。俺は触手剣豪だ。


「シ、シラノさん」

「……どうした?」

「その、フローさんに冷たすぎるの……よくないと思うわ。フローさんだって、女の子なのよ……?」

「………………………………………………………………あァ」

「……? シラノさん……?」

「あァ、まぁ……」


 エルマリカはシラノさんに冷たすぎるの良くないと思うの。シラノさんだって男の子なんだから。

 まぁシラノは触手剣豪なので耐えた。偉いと思う。頑張ってる。

 ボリボリと後頭部を掻けば、ぐし、と目を擦ったフローが指を突き出し、


「と、とにかくっ! シラノくんは今日一日ぐらいはボクと一緒にいるべきだと思うんだ! シラノくんはいくらなんでもボクを蔑ろにしすぎだと思うんだ! お姉ちゃんを置いてくとかよくないと思うんだ! 構うべきだと思うんだ!」

「……」

「だから今日一日は懲役お姉ちゃん刑だよ! いいね!」


 懲役お姉ちゃん刑。

 なんかすごいアレなパワーワードが飛び出してしまわれた。

 あの戦いから実に十日ほど。

 まだ難行は四つ残っているが――……なんというか、平和であった。



 ◇ ◆ ◇



 空を見上げれば、遠くからオロロンゲボーロ、オロロンゲボーロとグランギョルヌールの鳴く声がしてくる。

 そろそろ、時期としては春も半ばに差し掛かるか。それでも、寒々しいものは寒々しいものだ。

 目線を向けた街角に如何に人混みがあろうが、それは変わらない。

 思わず()()()()()の右目をなぞり、治療された腹を撫でながらマフラーを引き上げた。何とも不甲斐ないものであった。


(……)


 淫魔との一件は、残すところは淫魔の遺留物の調査のみであり、大方はシラノが寝ている十日の内に処理は済まされているらしい。

 寝起きに、おおよその顛末は居合わせたメアリから聞いた。

 バルドゥルには執行騎士への勧誘――特に淫魔の力が通じないのが大きい――がされ、イリスたちはこのノリコネリアへ留め起きとなった。あの、保護した少年もそうだ。

 一体如何なる扱いとなるのか……あれだけの目に遭ったのだから、せめてこれからには幸多くあって欲しいと思うし、


(…………命の、恩人だもんな。俺の)


 死にかけのシラノをこの街まで連れてきて“間に合わせた”のは、彼らが危険も顧みず鎧姿のシラノを担ぎ回して野山を駆けたからに他ならない。

 ……正直なところ、あのイリスの不意打ちでシラノの命運は尽きていた。

 嘘を見抜けるという技能に頼りすぎたツケ。

 その果てがあの刃であり、何とも修行が足りていなかったのだ。己は。


(…………)


 ままならぬものだなあ、と吐息を吐く。

 如何に天地創世の魔剣を斬れようとも、それだけで天下全てに勝つことはできぬ。

 単身での突入には算段や理屈はあったが――その後メアリから指摘を受けた通り、同時に如何な目論見があれど死んでしまえば元も子もない話であるというのも真実だった。

 やはり、精進するしかない。強くあらねばなるまい。


 ……ところでその時、


『……ああ、そうそう。管突っ込んでますよ、今回。股間に。触手の。随分と意識無くして長かったんで、漏らされても困るし』

『うす……………………え? 管? え? 触手?』

『突っ込んだのはあたしなんで安心してください。おぼこいお姫ぃ様やお師匠さんにさせる訳にはいかなかったんで』

『え…………いや、え?』

『いやあ。おねーさんの「あーん」を恥ずかしがるのも簡単に死にかけるのも、管に動じねーぐらいになってからにしやがりましょーね。まだ若いですねえ。…………ああ、若いといえばそういやあ』

『な、なんスか?』

『いやぁ……意外に……ね?』

『やめてください。なんスか……その目。やめて。何かわからねえけどやめて。意外にとかやめて』

『意外というか……まぁ、若いですし……ね。死にかけでしたし、ああもご立派でお元気になっちまっても……ねえ?』


 けんぜんな青少年のたいせつななんかをズタズタにするようなことがあったのは忘れまい。具体的には尿道処女とか。


「腹ァ切る」


 そう口にせざるを得なかった。

 辱めだ。

 酷い辱めだ。

 あまりにも酷い辱めだった。


「――あ、お待たせシラノくん! へ、ちょ――ちょっと!? なんでボクから目を逸らすの!? なんで!? ちょっと、ねえ、なんで!? なんで!?」

「……今の俺を見ないでください。先輩だけは見ないでください。顔向けできねえ」

「なんで!? ボクにだけなんで!? 起きたときも言ってたけどなんで!? なんで!?」


 説明できるわけがねえ。

 フローがぴょこぴょこと飛びつくように覗き上げようとしてくるのから目を逸らし続けた。

 丈の短い黒コートの上からでも色々とたわわなものが揺れたり弾んだりしたので、なおさら目を逸らした。

 ……何が若さだ。若さゆえの過ちが憎かった。


「ちょっとシラノくん!? シラノくん!?」

「やめて先輩。……やめて」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? ボクが何したって言うのさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? なんで!? 冷たくない!? そんなにボクが嫌いなのかい!? 嫌いになっちゃったのかい!?」

「違いますけどやめて。やめてください。……やめて」



 ◇ ◆ ◇



 城塞都市のそれよりも広い冒険宿は、これまでエルマリカが泊まったどんな宿よりも上等だった。

 丸机に蜂蜜茶を置く。これも甘くて、やはり今まで飲んだことがない味だ。……今までは、ものの味も碌に気にしたことがなかったというのもある。

 そう。だから、目の前の銀髪のセレーネからされる解説というのも、今までに気にした試しがないものであった。


「……ですので、カインザック窟製の魔剣は『単純にして奥が深い』『使い手により深奥になる』。スヴェルアーク製の魔剣は『刀身に魔の力を持つ』、ヴェレント製の魔剣は『貫くものを変える』……古物は天地創世の魔剣の権能の模倣と……」

「作られた工房によって、権能の性質に違いがあるのね……」

「ええ。目利きに通じれば、それだけ戦いにも活かせますわ。いずれにせよ〈鍛冶の一つ目神(オルダルトス)〉や〈天の炉の女神(ウェステレンシア)〉を奉じておりますが、魔剣に宿る神は異なり……工房によってまた異なりますので」

「……神様はいらっしゃらないわ」

「或るものは〈剣と水面の神(バトラズ)〉に焼かれ、或るものは地上を去り――……人の目に映る姿見を失っただけですわ。勿論、居るならば是非とも斬り捨ててみたいものですが」

「セレーネさんは恐ろしい人ね……」


 とても貞淑で上品で、将来このような淑女になりたいなあ……なんて思う面もあるが、やはり真似しすぎるのもどうかと思う。

 戦いが楽しいとは思えないし。……勝つのなどは、まぁ、ええ、うん。

 ……シラノはどう思うのだろう。やはり、貞淑で後ろに付き従うような人が好みなのだろうか。それとも多少悪い子でも許してくれるのだろうか。

 なんて考えていれば扉が開き、小さな体のメアリがエプロンドレスを揺らしながら戻ってきた。


「お二人さん、盛りあがってやがりますね。……お姫ぃ様、変なこと吹き込まれちゃ駄目ですよ?」

「ふふ、こう見えてメアリさんに鍛えられてるからへっちゃらよ? ……ところで、どうでしたか?」

「ああ。……まぁ、もう少し時間がかかりそうですね。ただ、帳簿はある――……あんなクソイカれた実験を、どうしてもっと人の立ち入る心配のない山奥でやらねえのか疑問でしたが……死んだレイパイプとやらには協力者がいるのは間違いないみてーでやがりますね」


 部屋に、沈黙が満ちる。


「……でも、そんな場所の調査をしていて大丈夫なんですか? もし別の淫魔が来たら……」

「ああ。……ま、その辺は頼りになる人がいるんで大丈夫ですよ。あのバルドゥルって武術家さんには断られちまいましたが、淫魔と戦えるのは剣士さんだけじゃないんで」

「頼りになる方? ……どなたかしら?」

「……」


 メアリがなんとも言えなさそうな顔をしたので、首を傾げた。その方は、エルマリカの知己なのだろうか。

 と言っても、執行騎士の中でも思い浮かばない。魔剣使いは幾人かいらっしゃったが、エルマリカより強い方も、セレーネより鋭い方もいないのだ。


「ま、ともかくあたしの虫で監視してるんで……仮になんかあったら、お二人さんとも頼みますよ。剣鬼のお嬢さんの速さと、お姫ぃ様の強さをアテにしてるんで」

「ええ。……許しちゃ、いけないわ。淫魔なんて……世を荒らすなんて」

「そうですわね。シラノ様と同郷となれば――……きっとさぞ斬り甲斐がある益荒男に違いありませんわ」

「……」

「……」

「……? いかがいたしましたか、お二人とも」

「や、なんでもねーです」

「な、なんでもないわ……ええ、だ、大丈夫よ……?」


 セレーネが小首を傾げるのを、何とも言えない様子で二人は眺めた。

 ……まぁ。まんまと魅了されてしまったエルマリカと違って、魅了されてなお淫魔を斬り捨てられたセレーネはすごい方なのだろう。自分もそれぐらい鍛えた方がいいかなあ、と思う。

 鍛える。

 そのことに、あまりいい思い出はない。いや――正確に言うならあまり思い出せないのだが、だから、怖かった。

 それよりも、とエルマリカは思う。


「……わたしもシラノさんと二人っきりで、街に行ってみたいわ」


 ぽつりと呟いて、陶器杯を指で弄る。

 羨ましいとは思ってないけど、憧れはあるのだ。

 だって彼は童話に出てくるような王子様で、詩になぞられる竜を倒してしまうような騎士様で、語り継がれる民の盾となる王様と同じなのだから。

 どれだけの傷を背負っても臆することなく、諦めることなく、止まることなく神の炉の鋼の如く立ち続ける。

 無私にして無欲。寡黙にして誠実。善良にして勇猛。天の奇跡のような、地に遣わされし英雄。

 ……そうだ。神話に出てくるような方なのだ。誰にもできない天地創世の魔剣を斬るという偉業を成し遂げられた、この世に二人といない英雄なのだ。


「……詩を贈れたらいいのに。刺繍のお勉強も、しておけばよかったわ。踊りだって……覚えておけば、よかったかもしれない。……わたし、何も返せないの。あんなにいただいても、何も返せないの……」

「お姫ぃ様……」

「わたし、あの方に何を返せるのかしら。……わたしは悪い竜よ。あの方に、どうやって報いたらいいのかしら。…………あまりにも沢山のものをいただいたのに、何一つ返せないの。あれだけしてくださった方なのに……わたしの手には剣しかないの」


 悔やんでも仕方ないけど、少し寂しく思ってしまう。


「お姫ぃ様……………………その、まずは普段のあの態度をどーにかしねーとちょっと……」

「だ……だって……あんな風なことを言われてしまったら、わたし、恥ずかしくて……! だって本当に助けてくれるなんて、お、思わなくて……! 恥ずかしくて恥ずかしくて……シラノさんが素敵で、いけない子になってしまいそうで……!」

「………………………………それ、本人に言ってあげたらどーですか?」

「メ、メアリさんみたいな冗談、いくら冗談でも言えないわ……! そ、そんなはしたなくて……えっと、い、いけなくて、えっと、だ、だめよ? だってわたしまだ、成人もしてなくて……だめよシラノさん……あっ、だ、だめよ……それでいいなんて……だめよ……い、いけないわ……」

「………………………………適度なとこで帰ってきましょーね、お姫ぃ様」


 両手で赤い頬を覆い隠して悶えるエルマリカと額を覆うメアリを見て、セレーネは吐息とともに柄から手を離した。

 流石にシラノとの約定があるがゆえ、本気で斬りかかりこそしないが……天地創世の魔剣。剣士として、抑えられないものがある。

 彼女は気にした素振りがないが……それでも本気の殺気を突きつければ、その瞬間に斬り捨てられてもおかしくない。それほどの上物。

 だが――……それほどの難敵を見事切り崩した触手剣豪といえど、今回のように冥府に片足をかけることもある。


「……私も、もっと強くなりたいですわ」


 ほう、と息を漏らしてしまえば、


「……………………いや、なんだってあたしはこんな乙女空間に入れられてやがるんですかね。というか乙女にしてもおかしくねーですか?」


 メアリがジトりと半眼を向けた。

 冒険宿は、賑やかながら静かであった。



 ◇ ◆ ◇



 多種多様な人種の行き交う、整然と揃えられた石造りの街並み。

 それはさながら、茶色の断崖めいて左右に聳え立つ。

 混凝土(コンクリート)煉瓦(レンガ)造りの集合住宅は、やはり見事だ。両脇から圧倒するように、青空を狭めている。


「ふふ、どうしたんだいシラノくん? ボクと二人っきりだからソワソワしちゃうのかな?」


 人混みなのにフードをおろしたフローが、機嫌良さげに見上げてくる。

 ぼり、と頭を掻き、


「や、狙撃とかねえかなって」

「そげき」

「それとも自爆とか」

「じばく」

「開けてますからね。……なのに人混みってのは、いい遮蔽物になります。気を付けないと」

「しゃへいぶつ」


 敵は、シラノと同じく現代からやってきている。

 この間も民兵やゲリラめいた魔物の運用を行われていたので――……十分にあり得る話だ。あり得ない、と思う方がどうかしてる。


(……もう少し、その手の知識も仕入れとけばよかったな。……平和にのうのうと暮らしてて、何やってたんだ俺ァ)


 言っても栓のないことだが、平和の中で惰眠を貪るも同然だった己が恨めしい。

 ……恐ろしい相手だ。というより恐ろしい世界だ。自分がかつて暮らした世界ながら、溢れる暴力と攻撃性と残虐性には暇がないのは恐れ入る。


「……ってさあ!? これはお姉ちゃん裁判の判決なんだよ!? 懲役なんだよ!? 今日一日はちゃんとボクのことだけを考えるべきなんじゃないかな!? 先輩のことだけを一番に考えるべきなんじゃないかな!?」

「うす。……でも、それだけじゃ戦えないんで」

「うぇぇぇぇ……だから戦いとか考えるなよぉぉぉ……やめろよぉぉぉぉ……よせよぉぉぉぉぉ……怪我しちゃうじゃんかよぉぉぉぉぉ……ボクのこと考えろよぉぉぉ……」

「先輩を一番に考えた結果です」

「なんでだよぉぉぉ……」


 上の空の結果、目の前で狙撃死されたら目も当てられない。それだけは避けねばなるまい。臆病なぐらいに注意しなければ、この世間の荒波は乗り越えられないのだ。

 タフにならねば。そう頷けば、


「違うだろぉぉぉぉ……異性と二人でお出かけなんだよぉ……ボクと二人っきりでお出かけなんだよぉ……ドキドキしろよぉ……」

「うす。その……緊張はしてます」

「警戒の間違いじゃないかよぉぉぉ……」

「確かに。……これは、そうとも言うんスかね」

「そうとしか言わないじゃないかよぉぉぉ……なんだよぉぉぉ……ボクだって女の子なんだよぉぉぉ……」


 ぐじぐじと泣かれると、なんだか悪いことをしている気になってくる。なんたる無様か。剣名が泣いていよう。

 とはいえ、


「淫魔が出たんです。ひょっとしたらこの街にも来てるかもしれない……気を付けねえと」

「うん、でもさぁ……でもさぁ……」

「気を付けねえと。先輩は封印に関わってるんスから」

「うぇぇぇぇぇぇ……でもさぁ……でも戦いばっかり考えるとさぁ……」

「気を付けねえと」


 死んだら終わりだ。


「シラノくんなんでそんなに冷たいのさぁ……ボクのことそんなに嫌いなのかい……? 今回だって置いてっちゃうし……そんなにボクのこと嫌いになっちゃったのかい……?」

「いや――……その、前に塔で淫魔と戦ったあと……あの時随分と酷えものを見せられたせいで、先輩……(うな)されてたじゃないですか」

「えっ」

「……今回、相手が淫魔とは思わなかったっスけど……あの子の様子じゃ、相当酷いことになってると思って……それで……その……先輩に傷付いて欲しくなくて……あの……」


 討ち入って不意を突かれて死にかけ、である。

 繰り返すが修行が足りなかった。


「それで……その、俺は……」

「シラノくん、おすわり」

「いやここ街中……」

「シラノくん」

「あ、はい。……うす」


 おとなしく正座する。正座ってこの世界にあるんだろうか。


「シラノくん、ボクは本当に心配したんだよ? 急にいなくなって、アンセラさんに聞いたら難行じゃないって言われて……本当の本当に心配したんだよ? 書き置きもないし……」

「万が一俺が帰らねえなら、他の人にも同じだけ危険かと思って……」

「シラノくん」

「はい」

「ボクはとっても心配しました。シラノくんが怪我しちゃうのが嫌です。死んじゃうのはもっと駄目です。……そうなったら魘されるよりも酷いことなんだよ?」

「うす。……修行が足りずにすみません。精進します」


 頭を下げようとすれば、ほっぺたをムニと掴まれた。

 いつかとは真逆だ。小さくて細い指に妙に力が入っていて、痛いようなくすぐったいような気になる。


「ボクはキミの師匠なんだよ? 先輩なんだよ? お姉ちゃんなんだよ? そ、そりゃあその……ボクだって頼りないところ見せちゃったし、エルマリカちゃんみたいに心が追い詰められちゃうってこともあるから心配するのも判るけど……」

「うす」

「……それでもせめて、一緒には居たいよ。置いてかないでよ。離れないでよ」

「うす。……わかりました。精進します」

「本当にわかってるのかなぁ……」

「俺は現代人で頭がいいから大丈夫です。触手剣豪です」


 ううむ、と膝を払って立ち上がる。

 ここまで言われて彼女を裏切るのは――……それは男が廃る。万が一でも次があるなら、なるべく同行も検討すべきだろう。


「……ところでその、シラノくんは絶対やらないしボクも駄目だと思うけど……戦いに行かないって選択肢はなかったのかい?」


 冥府の女神の宝珠じみた紫色の瞳が、いっぱいに見詰め上げられてくる。

 びゅうと風が吹く。フローの黒い三つ編みが、揺れた。

 瞼を一つ、


「……あんな風になってまで助けを求めて頑張ったのに、それが報われねえなんて……そんな悲しいこと、ないじゃないスか」

「シラノくん……」

「報われて欲しいんです、俺は。……当たり前のことが、当たり前に叶うように。そんな当たり前の願いが――……この世の何にも踏みにじられることのないように。それだけは、絶対に許せねえ……――なんとしても、誰が相手でも」

「うん……」


 その一線だけは譲れない。

 その一線を譲れば、シラノは獣に堕ちる。剣に堕ちる。人を捨て、天狗道に踏み入れてしまう。ナマクラになる。

 譲ってはならぬのだ。己が、己であるために。その線は、超えてはならぬだ。守らねばならぬのだ。男には、守らねばならぬものがあるのだ。


「でもさぁ……本当に心配したんだからね? ……シラノくん、いっつも死にそうなことをするのに――全然逃げようとしないしさぁ……」

「逃げたら、戦えなくなっちまうんで」

「だからって危ないことばっかりしてどうするのさぁ……死んじゃったら危ないんだよ?」

「まだやることがあるから、死ねねえです」


 二言はないのだと、頷いた。

 すると、フローは口を尖らせた。


「ほらそれ。……まるでやることが終わったら、いつ死んでもいい……みたいな感じじゃないか。そういうこと言われると、ボクだって本当に本当に悲しくなるんだよ? わかるかい? 悲しいんだよ?」

「死ぬ気はないです。せっかく拾った命なんだから……」

「ほんと?」

「うす。そうとも言えねえ状況もあるけど……。……ただ、そう言われても、どーなんスかね。正直、この戦いが終わった先のこととか……考えられなくて」


 先が長い、というのはある。今が道半ばというのもある。真の敵が誰か判らないのもある。

 だが、シラノ・ア・ローは、触手剣豪だ。触手剣豪であらねばならぬ。

 だからこそ、触手剣豪でなくなってしまったシラノ・ア・ローはそのとき――……前世の人生や家族を投げ捨てて死に別れた白野孝介は、触手剣豪として生きると生まれ直したシラノは、どうなるのだろう。

 眉間に皺が寄る。思わず、マフラーを引き上げた。

 それを、自信げな笑みで見詰めるフローがいた。


「ふふーん、ここにいるのを誰だと思ってるんだい? ボクはキミの先輩で、師匠なんだよ? 頼りになるお姉ちゃんなんだよ?」

「……というと?」

「ふふん、せっかくだからこう考えればいいんだ! 逆に考えればいいんだよ! この戦いをしてる間に――やりたいことを見付けるんだ、って! 旅をしながら次を考えるんだって! ボクだって手助けしてあげるよ! 師匠だからね!」

「やりたいこと……」


 ふと思い浮かぶのは、仏像師か。この戦いの犠牲者を弔うには、いいかもしれない。

 だが、言われてみると――………確かに前世から、何か、やりたいことというものはなかった。モテたいとは思ったが。なんとなくにしか過ぎなかった。

 やりたいこと。

 触手剣豪は自分の為でもあるが――……それらが終わってなお、本当に、自分の為だけにやりたいこと。


「……見付けられるんスかね、俺は。この先に、何か。……他の何かを」


 不意に口をついて出た呟きに、


「ふふん、大丈夫だよ! ボクは大先輩で大師匠で大触手使いだから――……シラノくんが見付けるまで、ちゃんと側にいてあげるからね!」


 どうだと腰に手を当てて、胸を張るフローがいた。

 小柄で、泣き虫で、気分屋で、情けなくて、戦いに向いてなくて、この間も傷を負っているというのに――……胸を張る師匠がいた。


「……ああ。そりゃ、安心っスね」

「そうだろう? そうだろう? だからシラノくんは安心してもっとボクに頼っていいんだよ? もっとボクに頼るべきじゃないかな? ここはやっぱり一番頼りになるのが誰かよく考えるべきじゃないかな?」

「あんま迷惑かけるつもりねえんで」

「だからなんでそんなに冷たいこと言うのさぁぁぁぁ……」


 冷たいのか、と自問するも答えは出ない。

 まあ、そういうところを改めるのも今後の課題だ。女心などという軟弱なものは正直前世からしても良く分からない。得意ではないのだ。


「じゃあ、先輩用の鎖帷子でも買いにいきましょうか。……触手の鎧より不便ですが、不意打ちされても安心ですし……この間の敵みたいなのじゃ傷はつきませんから」

「うぇぇぇぇぇぇ……そんな重いものボクに着ろってのかい? 女の子にはもう少し手心を加えるべきなんじゃないかなぁ……? 駄目じゃないかなぁ……? か弱いお姉ちゃんには優しくすべきなんじゃないかなぁ……?」

「俺が怪我するのが駄目とか言ってるスけど、先輩が怪我するのが駄目だって俺の方が先に言いました。俺が先です。駄目です」

「うぇぇぇぇぇぇ……!? あ、急にお腹が痛くなってきちゃったからやっぱりやめにしないかい? こ、ここは宿でみんなとゆっくりしないかい? 明日から難行ならゆっくり身体を休めないかい?」

「……」


 身振り手振りで誤魔化そうとするフローの手を掴む。

 傷付いてならぬというなら、幸運ながら二度目の人生を歩んでいるシラノよりもフローたちの方だ。そこを譲る気はない。


「行きますよ」

「ちょ、シラノくん!? 痛い痛い! 歩くから! 歩くからぁ! 優しくしろよぉぉぉぉ……なんだよボクは大師匠だぞ!? 大先輩なんだぞ!? 大お姉ちゃんなんだぞ!? 優しくしろよぉ! そんな目で見るなよぉぉぉぉ!?」

「キリキリ歩いてください、大師匠」


 なるべくフローが大股になりすぎないように、歩幅を調節する。

 そういえばこの街は、浄化の泉なるものがあったのだな――とふと思った。

 空は、青かった。



 ◇ ◆ ◇



 その少女を悩ませるものは、二つある。

 一つは執行騎士。今もどこかに追っ手がいるかと思うと、安心して眠れる日が来ない。

 もう一つは、今まさに目の前で娼婦に泣きつかれるこの男――


「リウさーん! 聞いて! またあの男が店に来て暴れてて……クレモリアちゃんは怯えちゃうし、用心棒は役に立たないし……」

「ほう? いやぁ、とにかくあんたに怪我がなくてよかったよ。それで、どれだけやられたんだい?」

「四人ぐらい……相手は、魔剣を持ってて……」

「ハハッ、そいつぁいけねえな。……ああ、こいつで美味いもんでも食ってな。その間に片付けといてやるからな」

「んもう! リウさん本当好き! 大好き! あとはお願いね!」


 薄汚れた風体の、風格のない男。誰からも軽んじられそうなその男は、やたらと女性受けがいい。

 そして、彼に連れ回される旅もまた悩ましい。

 泊まる場所と言ったら娼館か、ヤクザ者の屋敷。そのどこでも血生臭い風を吹かすのだから――……どんどんと少女の心は削れていく。

 今まさに、そうだ。

 酒場も兼ねた娼館の中、鍔迫り合いも起きずに終わった一方的な殺戮劇。

 斬り倒した魔剣使いの死体も片付けぬままに食事に移ることも、その食事どきさえも煩わしかった。


「アリス……好き嫌いはよくねえって、親御さんに教わらなかったかね?」

「……知らない。それにわたしはアリシア。変な名前で呼ばないで」

「そいつぁ悪いね。おれは、魅力的な女の子の名前なら忘れねえんだが……」


 「なあ?」とリウドルフが目線をやれば、娼婦たちが黄色い声を上げた。

 金に頓着がなく羽振りがよく、どんな女であっても手荒には扱わない。そして魔剣使いであるのに、鋭い雰囲気とは無縁。その辺りが、顔が利く理由なのだろう。

 だが――……アリシアは知っている。

 その、ニヤけた笑みが飢えた野良犬めいたものになる瞬間を。いや――――……まさに今、そうだった。


「ああ、人が悪いねえ……ここには女の子も大勢いるんだ。暴力は良くないだろう?」


 剣気が肌を刺し、息を詰まらせる。

 気付いたのはアリシアだけだ。今、リウドルフの致死圏が広がった。射程距離全てを刃に収めるという魔剣が、殺気が照準される。

 一体、いつからそこに居たのか。

 リウドルフの背後に背中合わせで座る茶髪を結わえて垂らした女。気配を感じさせなかった女が、口を開いた。


「いや、相変わらずだねー……人の生き死になんて、何とも思ってない癖に」

「ハハッ、それでも暴力ってのは良くないのさ。整ってなきゃ愉しくねえからな。……あんた風に言うなら、聖約(ゲッシュ)ってとこか?」

「……うーん、そんなガバガバ基準のゆるゆるに言われたくないけど。ま、いいかー……どうでもいいしねー」


 殺気を漂わせながら、気の知れた会話が始まる。

 リウドルフもその女も、剣は決して握らずとも互いを殺せるように刃を突きつけ合う気配のまま、和やかに談笑をしていた。

 胸が、引き攣る。

 アリシアはようやく、声を出した。


「二人は、どんな関係なんですか……?」


 少なくともアリシアの常識に、こんな人間たちは存在しなかった。


「ああ、あたしの腹違いの弟を斬られてねー。……ただ、一度は弟にあたしの剣を見せちゃってるからその前でこいつ斬るわけに行かなくてさ。それで、お友達になったってワケ」

「なんなら今抜いてくれても、構わねえが――……いや駄目だ。お姉さんは、おれの運命じゃねえからな。それに整ってねえ」

「そうそう、まだキミを斬る天命にはないからね。よかったねー、命拾いして」


 互いに笑いながら、殺す算段と警戒だけは忘れていない。

 そんな、異様な二人であった。


「それで剣鬼のお姉さんは、どうしたってここにいるんだい?」

「ああ、ま、人探しってヤツかなー。……うん、人探しだねー。あとはついでに武者修行――……ってね」

「天地創世の魔剣使いの武者修行なんて、笑えないねえ……。暴力は良くないんだぜ? 知ってるかい?」

「キミにだけは言われたくないよねぇ……ま、いいけどさ」


 天地創世の魔剣使い――――。

 この世に残る神の権能の一端である魔剣。その中でも、創世神話から謳われる――ともすれば一部の神よりも先に生まれたという、伝説の剣。

 人ならば逆らえず、神としても尋常には立ち向かえぬというその剣の話題を軽々しく出して、笑い合うこの剣鬼とは何なのか。

 アリシアが凍えるその最中も会話は続き、やがて食事を終えた少女は腰を上げ、そのついでとばかりに言った。


「あ、そうそう。……“黒死風(こくしふう)”がこの辺りにいるらしいよ。ついでだから忠告ね」

「ほう」

「……あんまり興味なさそうだねえ。剣の一族にまで斬りかかったっていうのに」

「あれは、場がそうなったからな。雇い主とその仲間をヤラれてたら――正当防衛だろう? ……それに、今おれが戦いたいのは一人だけさ。最初におれの秘剣を見せるのは、狼のお兄さんって決めてるんだ」


 リウドルフの笑みが、一段と凄惨さを増す。

 そんな様子に構わず、剣の一族――これも信じられない――の少女は肩を竦めた。


「運がないねー、その子もさー……ま、あたしはあたしで面白そうな子を見つけたけどねー」

「そっちも運がないねえ……剣鬼のお姉さんには容赦ってもんがねえ。剣を抜いたら助けられるか、二度と帰れねえかのどちらかしかねえんだ……恐ろしいねえ」

「あたしは危険人物じゃないから。……いや、可愛い子だよ? 里に連れて行ったら、ひょっとしたら婚姻とかになるかもねー」

「かわいい子は間に合ってるさ。……なあ?」


 からかいとしてアリシアへ目を向けられたが、怒ることも拒絶することもできなかった。

 ただ、あまりにも己の及ばない領域――……あの淫魔というものさえ薄れるほどの狂気が二つ、そこにはあった。


(“黒死風”……)


 女が立ち去ったあとも、アリシアの脳裏にはその言葉だけが残っていた。


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