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第八十話 セブン・レイバース・オブ・ケンゴウ その七


「人間牧場……? 何を言っているんだ……!」


 静かに目を細めて構えを取るバルドゥルの前で、その少女はヘラヘラと肩を崩す。

 隙だらけの動き――だが、バルドゥルは感じた。危機感を覚えた。生物としての本能と、武術家の神経が警鐘を鳴らした。

 これは――()()()()()()()()()()()。いわば神話生物。ただなる地人族(ニンゲン)とは異なっている。


「ん、あれ? まだ気付いてなかったの? 薄々思ってるんじゃないの? というか……イネスちゃんたちから、戦ってどのぐらいか聞いてない?」

「……」


 くつくつと、レイパイプが笑った。


「いやさ、苦労したんだよね。成熟に一日、審査に一日、繁殖に一日で出産に一日……四日でひと世代で今大体三十世代だから……千年王国?」

「何を……」

「何って――――()()()()だよ」


 にぃと目を細めたレイパイプが、得意げに両手を広げた。

 バルドゥル以外、誰も動けない。

 イネスも、ボドウィンも、エバーハルトも……そして蒼い半透明の像として重なり合って浮かび上がるあちら側は、炎に包まれて窺い知れない。


「あ、今ひょっとしてあの穢小人(スナッフリング)のことかって思った? 違うんだなー、これが。サラブレッド、って言って分かるかな? 分からないよね? だって遅れてる現地人だもんねー」

「何を……」

「や、面倒臭いよねえ……魔剣なんて。ここじゃあ私たちはどう足掻いても安心して暮らせないんだよねー……いくら淫魔が不滅だって言っても魔剣に斬られたらそれも判らないし、かと言って私たちじゃ使えもしないし……」

「あなたは何を言ってるんだ……!」

「や、いやいやご清聴をしなよ? 答え聞きたいなら遮らないでしょ? おわかり?」

「……ッ」

「……で、さ。なら取り上げる? それとも使える人を雇う? 魔剣を超える力を作り出す? ん、どれも不正解なんだよねーコレ。皆分かってないけどさぁ……」


 そして苦心して作り上げた彫像を披露するかの如く、レイパイプは満面の笑みを浮かべた


「この大地で魔剣に怯えずに生きる為には――()()()()()()使()()()()()()()()使()()()()()()()()


 少女が、指を一本立てる。

 零されるは嘲笑。

 繰り出されるは侮蔑。

 そして、突きつけられたのは残酷な真実であった。


「や、判る? この街にはもう住人は……()()はそもそも存在しないんだよ。……魔剣を振るうに相応しいだけの淘汰と交配を行った戦闘用家畜――や、正に呪われた家畜の為の千年王国だね!」


 それこそがこの街の真実であると――。

 イネスたちの正体であると――。

 淫魔はそう、声高に胸を張った。

 生存競争を故意に操る、交配を故意に行う、変異個体を掬い上げ、不適合種を裁断する――人工的に作り出された進化。より闘争に、魔剣の使用に適合した個体を作り出すという定向の下に行われた進化。

 それが事実であるとするなら、正に神に等しい所業であった。


「そんなことが……できるわけが……」

「ん、精神を操れるなら脳を操れるということで、脳を操れるってことは生体を操れるってことだからね。や、それでもここまで形にするのは骨だったけどねー? ……でもその甲斐もあって作り出せたんだよね。理想的な個体をさ」


 そして、レイパイプの瞳が照準したのは、イネスであった。

 まさか――という想いと、確かに――という想いがバルドゥルの中で入り混じる。彼女の組織立った戦闘の手腕は、年齢に不相応なもの……謂わば天賦の才と言えた。

 だが、その予想は外れた。レイパイプが向ける瞳は、著しく侮蔑的なものであった。


「……なのにその失敗作が余計なことをするから、台無しじゃん」

「っ……」

「虎が群れると思う? 毒竜は? 炎の巨人は? 本当に強い奴は群れる必要がないし、たった一人で立ち向かっていく――群れなきゃいけないのなんて、全部弱っちい奴のやること。ほんっと失敗作。……最高傑作はイリスちゃんだけだよ、だから魔剣をあげたんだけどね」


 やれやれ、とレイパイプは両手を広げておどけたように肩を竦めた。

 それはどこか道化めいた動作であったが――向けられたイネスには判るのだ。判ってしまうのだ。

 嘘はない。

 全て真実だと。

 耳元で囁かれるように、心に手を添わせるように、その言葉は――()()()()()()だとして理解できてしまう。

 しかし――。

 動いた。身体は動かぬが、イネスの一点だけは造物主への反乱を行った。

 たった一人の家族――双子の姉への想いが、そして共に戦った仲間への想いが、奇跡に等しい反逆の情を起こさせていた。

 だが、


「あ、その目……私が憎い? 私が仲間を殺したとか思ってる? 私がイリスちゃんをそそのかしたと思ってる? 私のせいにするつもり? いやー、違うでしょ。全部きみのせいじゃん?」


 それを――造物主は、鼻で笑い飛ばした。


「君たちの仲間が死んだのは君が姉を戦わせなかったせい! せっかくの最高傑作を温存させ続けたせい! 君が失敗作の分際で無駄に姉を庇ったから仲間が死んだんだよ? さっさとその気にさせれば死なない難易度だったのにね!」


 甘い蜜の如く、その言葉は染み渡る。


「あ、親が死んだのも君のせいだね! 覚えてないかもしれないけど、君たちいつまでも親個体にくっついててさぁ……いやあ、一人にしなきゃ戦わないってなら奪うしかないよね! 君たちが甘えてたせいだよ? 一人で戦えるように作ったのにね!」


 それはまさしく、呪いであった。

 ()()()()()()()()()()()と――突きつけてくる。

 精神を溶かし、イネスの心の深くまで――大切な部分まで、侵略する。


「あ、お姉ちゃんが剣を握ってるのも君のせい! あそこで人を斬ってるのもそのせい! 君に才能がないせい! それでいて、君を処分しないで欲しいって頼んだからこんな形になってさぁー」

「ぇ、う……ぁ……」

「……え、なんだっけ? 優しいから戦わせたくないだっけ? あはっ、人殺させてるじゃん! こうなってるのもぜーんぶ君の自業自得……君のせいだね! おめでとう、君が姉の害だったんだよ?」


 ぱちぱちと、造物主は手を叩く。手を叩いて嘲笑う。

 ……いつしか、イネスの頬を熱いものが伝わっていた。

 理解できてしまうのだ。嘘ではないと信じてしまえるのだ。彼女の言葉は、動きは、何もかもが本当だと心が信じ切ってしまう。


「あんたが処分品の失敗作だって伝えたら――“自分が戦えば妹を殺さないでくれますか?”だってさ! 健気だねえ! 頑張るよねぇ! あんまりにもかわいいから頭の中をめちゃくちゃにしてから約束してあげたよ! 魔剣を使って全員殺せばそうしてあげる――って」

「……っ!?」

「あはは、今まで偉そうな顔をしてたけどさ……あんたには誰も守れてないの。群れることも、守るなんて言葉も全部無意味! この世で意味があるのは優れた強者だけで――不利益は、みんなみんな全部弱っちいあんたのせい!」


 砂版に文字を刻むように、その言葉が心に刻み込まれる。

 姉をああしたのは、イネスの判断だ。

 姉をああしたのは、イネスの不出来だ。

 姉をああしたのは、イネスが原因だ。

 険を失ったイネスの左眼を眺め、ニィと少女の頬が歪み――


「――履き違えるな。害はあなただ」


 そこへ、バルドゥルの拳が突き刺さった。

 骨と骨を打ち合わせる盛大な音と共に、少女がたたらを踏んだ。

 ざ、と踏み出される。イネスを庇うようにバルドゥルが立ち、言った。


「殺したのはあなただし、血塗られた剣を振るわせるもあなただ。誰かが死んでしまったのも助けられないのも、仕組んだのはあなただ。何もかも――道ばたの汚物にも劣る薄汚い邪悪はただ一人だ。他人に罪をなすりつけるな」

「バル、ドゥル……?」

「大丈夫。……こんな邪悪を倒すために、僕らはいる」


 清涼に――しかし、どこまでも硬く籠められた蒼き怒りの意思。凍りつく世界の中、彼は緩やかに拳を構えた。

 だがその目前で、流血した唇が、しかし煙と共に恢復する。

 それすらもつまらなさそうに眺めていた淫魔は、しかし唐突に切り替わったような笑みを浮かべた。


「あ、いいねー。こんな絶望的な状況なのに、私に反旗を翻すんだ。……いいよねー、たった一人の勇敢さ。んー、見た目も合わせて本当に私好みって奴だよ? だからさ、提案しようと思うんだ!」

「……断る」

「ん、あはは……話ぐらいは聞こうよ? 分かってるでしょ? あなたじゃ私に勝てない――って」


 バルドゥルは、無言だった。

 構わず、レイパイプが続けた。


「同じ系統の力だから淫魔の力が効かないっていうのは少し驚いたけどさ――でも、私たちの天敵とは呼ばれてないでしょ? つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「ん、さて……そうなったらあなたはどうするかだけど――此処から兎みたいに逃げ出して、どうにかできる魔剣使いに頼みに行くとか? でもさ、そいつらは洗脳されちゃう……そうなったらどうなるか分かる?」

「……」

「や、可哀想にあなたが皆から袋叩きに遭うだけ。誰も信じてくれないし、味方もしてくれない。いやー、辛いよねぇ……勇敢なキミがそうなるのは気の毒だからさ、私の仲間になりなよ? 強いみたいだし……種馬として、いい生活させてあげられるよ?」


 どう、と顎に指を当ててレイパイプが首を傾げた。

 それを前にバルドゥルは、どれほど無言を保っただろう。やがて、


「僕は……挽き肉を生地に包んで焼いた料理が好きです」

「ん、いいねそれ! そうだね、なんなら毎日それを出すことを約束して――」

「――好物を吐き戻す趣味はありません。邪悪な臭いに反吐が出る……こんな腐った場所には。その薄汚い主には」


 構え直されたその拳に、レイパイプは冷笑を零した。

 身の程知らずだ。

 やはり、正義漢などという現実の見えていないものは何の役にも立たない。ただ滑稽で、無様(ブザマ)なのだ――と。


「それじゃ、格の違い……判らせてあげよっか?」

「――来い。彼らの命は、僕が拾う」


 そして睨み合う二つの影が、弾かれたように飛び出した――。



 ◇ ◆ ◇



「あ、あぁ……ぁ……」


 そしてイネスはただ、口から嗚咽を漏らした。

 眼前に立つバルドゥルも銀髪を血に染めて、イネスと同じ瞳をしている。

 信じられない――そんな言葉を代弁するような困惑の瞳を前に、ただ一人醒めた眼差しのレイパイプは、身体から煙を上げながら手を払った。


「ん、いや本当優秀だね。随分苦労して鍛えたって感じかな? ここでその二人みたいに鍛えてくれれば、もっと戦い向きの人間を選べるかなぁ……」


 一瞥された先のボドウィンとエバーハルトは、能面の如く止まっている。

 イネスは知り得ぬことではあるが――バルドゥルは感じていた。目の前の怪物の膂力を。その不死性を。それでも立ち向かったのは彼の中の勇敢さだけではなく、武術家としての勝算があったがゆえ。

 ……だが、見るがいい。

 傷を負っているのはバルドゥルで、息が上がっているのもバルドゥル一人だ。

 これは単に、生物としての核の違い――だけではない。


「……ま、さて、こんなもんかな。これで格付け終了でいいよね?」

「――ッ、まだだッ!」


 呼吸に合わせてバルドゥルの肉体に四天紋が浮かび上がる――蒼天そうてん紋、昊天(こうてん)紋、旻天(びんてん)紋、上天(じょうてん)紋――心技体を整える南派塞印拳の基礎にして深奥。

 紅潮する顔。加速する鼓動。同時、引き上げられる感度。氾濫する情報量とその処理に、彼の世界は高速にして低速に及ぶ。

 その中を、一手、読みつつも右足から踏み込んだ。

 仮想する――振り上げる右腕。内側を使った逆腕刀。敵の防御は左腕。止め弾かれるその反動で上体をねじり、左の掌底を一直線に相手の顔面目掛けて繰り出す――合わせて浴びせる握り込んだ粉末。

 退くか、躱すか。苦し紛れに右を出すか左を出すか。

 女の右側――バルドゥルの左側には机。心理的な隙。己が四肢の間合いを量りかねる者には隙。

 起こりうる反撃は左腕。いざ起きれば右で下げ払い、左の十字打ちで喉笛を断つ。

 万一右腕がくればこちらの左で掃き落とし、上体に合わせた右の逆腕刀で顎を払う――果たして、


「――――」


 実効――振り上げた右の逆腕刀。受け止めるは敵の左腕――上体を捻る。

 粉末を握り込んだ左の掌底を、しかしどこまでも前のめりに女の額が受け止めにかかった――否、女ではない。その身体には今や豊満な胸部はなく、バルドゥルに等しき体躯に変わる。

 伸びきらぬ肘のまま、掌底が迎え撃たれた。超至近距離。直後、()()()()()()()()()()()()()からの鉤打ち(フック)――――南派印蘭拳。

 三千倍にされた痛み。身体が浮いた。苦悶が駆け巡る。思考を乱す電撃の雲に目掛けて――()()()()とばかりに一直線に繰り出された左の掌底。

 咄嗟、高感度を解除したバルドゥルも額で受けた。そのままに、弾き飛ばされる。


「……ッ」


 その、膂力は知っている。織り込み済みだ。

 だが、女はバルドゥルの高速思考に対応し――――否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 辛うじて身を起こす。

 対するレイパイプは両手を払い、嗤いかけた。


「生体を操れるってことは、()()()()()()()()()()()()()()ってことだよ? 分かれば、自分の頭でそれを再現すればいい……君の経験も思考も判断も、ぜーんぶそっくりそのまま私のものになる。……ついでに、君が戦った他派の分もね」

「……ッ」

「間合いと体格? いやあ、自由自在だからねぇ……それでこっちは不死身で力も上……いやあ、勝てる要素なんてないって――そろそろ分かったかな?」


 返答は銀の鉄球であった。

 だが、それを額で受けてなお淫魔は言う。


「……ん、まぁこんなもんか。ここは当初の予定通り……イーリースーちゃーん?」


 これみよがしに鏡を一瞥し、ひらひらと手を振った


「……優秀な君なら判るよねえ? この場で誰が一番強いのか――絶対的な強者ってのが完膚なきまでに分かるよねえ? こっちは気にせず、やることやるんだ……わかってるよねえ?」


 その凄みを増した声に、淫魔以外の誰しもが凍りついた。敵対するバルドゥルすら、例外ではない。

 異形。

 怪物。

 悪魔。

 魔剣も持たぬ只人では決して倒し得ぬ、上位種。精神は踏み止まることなく屈服し、屈服を免れてなお立ち向かえぬ。

 魂を咀嚼する捕食者。社会の血を啜る吸血鬼――それが、淫魔なのだと。


「あぅ、や、ぅ……」

「あ、言っとくけど……振るうしかないように仕込んでるって言っても――少しでも反逆したら、妹ちゃん処分しちゃうよ?」

「ぅ……」

「ん、さて……それじゃまずは――――そうだね、頭に何か被り物してる奴を狙おっか」

「ッ……ふざけるな! 相手なら僕がする!」


 拳を構えるバルドゥルに、


「ん、いやいやいやいや……相手にならないから。だってさぁ……せっかくなんだからちゃんと作ったんだよ? 誰でも少しは『あー、こんな風に世の中動かせたらすごいことできそうなのになー』って思うでしょ? わかる?」

「何が言いたい……!」

「ん、いやー……シミュレーション? 人間でサラブレッド作ったらどうなるか気になってねー……苦労したんだよ? 適度に淘汰できる場を作るのにさぁ……」

「……ッ、邪悪が……!」

「え、今更またそれ言っちゃう? いやー、でも仮に邪悪だとして――――それでキミたち、何かできるの? できるかできないかじゃなくて、ヤるかヤらないか? いいよー? やるだけやってみたらー?」

「……っ、この外道が……!」


 地を蹴るバルドゥル――だが遅い。最早、誰一人レイパイプの指示を止められない。

 苦慮の顔のまま、イリスが短刀を石床に突き刺した。瞬間的に展開される蜘蛛の巣めいた青い回路が――その先端が、そのまま城を突き抜けて外壁を伝わっていく。

 滲む視界で、鏡を見た。

 街中の光景が映し出されていて――自分たちの親以上前の世代と伝えられたその人たちを、記憶を奪われて暮らすその人たちを、蒼き魔力の線が狙い付ける。

 これこそが、最終段階。

 魔剣を完全に使いこなせという指示の下に行われる最終選別。


「ぅ、ぁ……」


 鏡の向こう、空は覆い尽くされ曇っている。

 光は射さない。虹は出ない。この世は、重く、押し潰されている。

 やがて、魔力の先端が街に達する。片足を引きずりながら歩く若者へと、背後から喰らいかからんとし――


「――」


 後ろで聞こえた奥歯を噛み締める音に、イリスは咄嗟に剣を離した。

 刺すと共に魔力を注ぎ込む魔剣――腹ごとその身体を吹き飛ばされたその男は、完全な致命傷の筈だった。




「ッ……ぐ……」


 如何に強化された肉体とは言え、寄生した触手とはいえ、組織そのものを掃き飛ばされてしまえば傷口の塞ぎようはない。

 急速に低下した血圧に、手足は震えを隠せない。

 己の五体で立つこともままならぬ窮地。そんな死地に、追い込まれている。

 爆轟の後遺症で音も碌に聞こえぬ。目もあまり意味を為さない。

 だが――かろうじて右眼だけが捉える世界で、少女が訴えていた。


「うぁ、ぅ……」


 涙と呻きで声を出せないイリスが、首を振るイリスが、声ならぬ声を漏らすイリスが、ただ瞳で訴えてくる。

 その手の魔剣を――〈風鬼の猟剣(モルドデュール)〉を手放すこともできず、シラノ目掛けて構えながらに訴えてくる。

 故に、頷いた。不格好でも、頷いた。


「……あァ、斬る。俺が、必ず……斬る……!」


 許していい筈がない。

 断じて許してはならない。

 折れてはならない。立ち上がらねばならない。

 負けては――ならない。

 そうだ。思い出せ。思い出すのだ。思い出さねばならない。


「俺は……」


 口腔から血が飛んだ。

 肉が落ち、骨が痛む。神経が警鐘を鳴らす。

 遠からず、死ぬかもしれない。今、ここで死ぬかもしれない。

 痛いか。苦しいか。怖いか。己が何かを為せる英雄のような男だと信じられるか。

 いいや、違う。

 だが、だとしても――。そうだとしても――。


「俺は……!」


 心を砥げ。

 芯を通せ。

 念を込めろ。

 そうだ。ただ、己が何者であるかを思い出せ――――。


「俺は――――俺は、触手剣豪だ……!」


 呪われたと呼ぶ者がいる。

 助けてと嘆く者がいる。

 ここに邪悪がいる。

 ならば――


「イアーッ!」


 全身を触手が覆う。触手が覆い、強化外骨格を形成する。

 そして燃え広がるが如く、鬼めいた面頬の全身鎧が変色した。

 鬱血のように赤黒く、死痣の如く青黒く、そしてそれらが混じり合った重鉄じみた深黒い――――業火の模様。

 ――身卜(シンボク)(グソク)の“真打”深淵ノ火(ならくのほむら)

 潰された視覚。封じられた聴覚。力も籠められぬ肉体など不要である。

 残り五回の内一回――だからどうした。それがどうした。

 この身はその為にある。

 この身はただその為にある。

 いざ、握るは野太刀。固めるは外骨格。輝くは鬼の面。


「魔剣、断つべし……!」


 呼吸を一つ。

 我は剣鬼。我が名は戦鬼。

 いざここに、邪悪、断つべし――――。



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