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第七十六話 セブン・レイバース・オブ・ケンゴウ その三


 熱気を孕んだ風が、炎めいた赤髪を膨らませる。

 立ち昇る蒸気と煙。陽炎の膜に覆われた目の前の窪地の温度はいかほどにもなろうか。

 息を吸うだけで肺が焼け爛れ、ただそこにいるだけで身体が燃え上がる――その熱地の向こうの中心地には、まさに地獄への入り口めいた裂け目が横たわっていた。

 目付け役として同行したアンセラはゴクリと唾を飲む。

 名目上は〈銀の竪琴級〉とされている難行であるが、たった一人で行わなければならないことも鑑みれば〈金の首飾り級〉と呼んでも過言ではない。

 己なら一体どうするだろうかと思案しながら隣を伺い、


「イアーッ!」


 なんたる狂気的な光景だろう。

 十五歳(成人)を過ぎた男の全身を触手の蔦が覆い尽くし、外骨格が形成されると共に突撃したではないか。

 そのまま平然と、雨が一瞬で蒸発するほどの炎熱の込められた〈火鉢の窪地〉を走破した。

 数分後、


「……よし、次スね」

「………………」


 すっかりと“結晶”を手に帰還したシラノは、アンセラの前でそう頷いた。



 ◇ ◆ ◇



 毒というのは、太古の昔から人々や英傑の生命を奪ってきた。

 幾重にも防毒布で口許を覆ったアンセラの歩くその森には、虫の声一つ響かない。

 草むらには絶命した野鳥が失墜し、木々の間には寄りかかり息絶えた熊が眠る。もう出没して幾日になるのか、野草すらも枯れていた。

 剣である以上、持ち手に振るわれなければ意味をなさぬ――そんな法理を持つ魔剣の使い手はある種の耐毒権能を併せ持つが、魔剣の使い手でない生物にとっては依然として脅威でしかない。

 かつては、通った路を人の生きれぬ地に変えると謳われた毒蛇竜ゲリュゲイオン。

 ねぐらにしている洞窟は突き止めた。

 しかし、如何にして倒すべきか。宝石を利用した〈空気浄化〉の魔術を耐えず使い続けなければ、一拍も待たずに昏倒する死毒。

 毒気という不可視の死神と、その猛毒の大元である多頭の竜ゲリュゲイオンという脅威――本来ならば〈銀の竪琴級〉複数で行うべき討伐任務である。

 ちらりと隣を見れば、


「イアーッ!」


 おもむろに強弓を用意した平服姿のシラノが、山の中腹の巣穴めがけて射掛けていた。

 閃光。轟音。

 宙空での火球じみた強烈な爆発と共に、あたかも〈白狼と流星の神(デーングゥ)〉の体毛である流星群めいて降り注ぐ九十発の矢。

 その衝撃波がこの位置まで駆け巡る。そして、


「……………………」


 山が崩れた。

 やまがくずれた。

 それどころか、その瓦礫の下から強烈な炸裂音が続く。未だに殺し足りないのか、念入りにとどめを刺すつもりなのか。目に見えぬ神の兵士たちが無数の剣を振るうかの如くである。

 たっぷりと数分、存分に破裂音を響かせた末に、


「……次っスね」

「…………………………」


 粉塵が作るきのこ雲めがけて、アンセラの隣でシラノは小さく頷いた。




「あんたねえ……!」


 油壺から垂らされる香油が、土に染み込み色を変える。

 油で作り上げる魔法陣――変則の刻印魔術。早速手に入れた透明の“結晶”を用いての〈浄化術式〉。

 遠隔貫徹触手矢――言うなれば運動力利用型(キネティックエナジー)多弾頭(・クラスター)掩蔽壕破壊(・バスターバンカー・)浸透貫徹触手(ハイドロテンタクルス)弾の爆心地でそれを行うアンセラが、毛を逆立てていた。


「あんた本当にねえ……! あんたさあ……!」

「……肉スか?」

「あたしをそんな安い女と思うんじゃないわよ! どうしてもって言うなら貰うけど!」

「……」


 貰うのか。

 だが、受け取って喰い千切ってもアンセラの機嫌は戻らなかった。


「難行なのよ、難行! これ難行なの! なんでそんなに埃でも払うみたいに倒してるの!? あんたなんか色々と冒険者としておかしくない!?」

「……いや、俺は触手剣豪スから」

「だからそういう話じゃないんだってば!? わかってんの!? というかさっきのは剣豪ですらないわよ!?」

「……」


 申し訳ないとは思うが、かと言って手加減して戦うのも不誠実に思えるし、できる限り怪我のリスクは減らしたい。

 口を固く結んでいれば、アンセラが眉根を上げて覗き上げてくる。


「ていうかあんた、難行なんて何やらかせばそーなるのよ。あたし、『名誉の為に叙勲式で抜刀した奴』って聞いてどんな鬼人族(オーク)なのか半森人族(ハーフエルフ)なのかって思ったくらいよ?」

「……」

「あんたそこまで肩肘張ってたっけ? なんか違くない?」

「いや……」


 それも、そう遠くはないのだが……。


「――……魔術で嫌がらせ?」

「うす。……そう言ったところで立証できるか怪しかったんで、その……」


 仮に告げたところで、冒険者は自衛を含めてそれまでだ――と言われるとか。或いは対応をしてくれても、遅きに失していたらなんの意味もない。

 あの場では、あれしか方法がなかった。

 今でも、やはり改めてそう思う。後悔はあるが、また同じ場面があれば同じことをするだろう。


「ふ、ふ」

「アンセラ……?」

「立証……? んなの知ったこっちゃないわ……あたしがとっちめてやるわよ! 叙勲式の場を盾にして魔術で嫌がらせ? ……クソふざけた根性ね。ブッ潰してあげる……!」

「落ち着け、野蛮スよ」

「あんたに言われたくないんだけど!? 他ならぬあんたにだけは言われたくないんだけど!? 禁止されてないからって抜刀したあんたにだけは言われたくないんだけど!?」

「俺は文明的だ。……血の一滴も流させてねえ」


 そうとも。無礼打ちにしてはないのだ。

 ところでこの無礼打ち、実際のところそこまで斬り捨て御免が横行していたかと言われるとそうでもない。事情を鑑みて不当であった場合は切腹も申し伝えられるし、ともすればお家断絶もあり得る。

 しかしいずれにせよ、抜いたなら倒せが武士の不文律である。

 忠臣蔵の浅野内匠頭(たくみのかみ)とて、何よりも叱責されたのは自分から抜刀しておいて刀を抜いてすらない老人一人を斬れなかった点だ。それが士道不覚悟として切腹を申し伝えられる理由となった。

 当時の文献には「抜いちゃ駄目な場所で刀抜いといてジジイ一人倒せずに恥ずかしくないのアイツ(意訳)」というのも残されているらしい。

 実際のところその時代に他にも似たようなご禁制の場所での刃傷沙汰があり、大抵は相手を打ち取れているあたり特にそう言われた。

 戦いには負けるな。負けるなら死ね。生き残ってても腹切れ。

 それが武士である。怖い。

 吉良家が後世にああも滅茶苦茶に言われたのは、曽我兄弟などに並んで仇討ちものとして講談の的になったのもあるが、結局はのうのうと討ち入りを許して賊を一人も討てず主君の首級を晒されたことに因があるだろうし――。

 あの桜田門外の変の井伊宗観――(いみな)直弼(なおすけ)――がああも悪しように言われるようになった遠因には、やはり要するに襲撃されてまんまと討たれてしまった点にあるだろう。

 吉良家の家臣はまんまと土蔵に閉じ込められて何もできなかったというし……。

 井伊家は家人が刀を雪に錆びさせてしまうことを厭い、袋に仕舞っていたが故に即応できなかったというのだから――……いや話が長くなる。

 ともあれ、だ。

 天下に禄を食んで腰に二本の凶器を引っさげた支配者階級の人間たちは「普段そんな気取ってて肝心の本分で遅れを取るなんてどんな了見だ」と思われてしまう。

 おそらく吉良家にしても井伊家にしてもその後家臣がとって返して賊を討ち取るか或いは全滅でもすれば、「なんて見上げた忠義者」「そんな忠義を向けられる主君もまた然り」と評価は様変わりしていたと思う。

 会津藩が白虎隊や幕末の騒動で一目置かれるのもその辺りだろう。

 壬生狼まで行くと内部粛清と内ゲバの死者が多すぎてドン引きされるだろうが。

 ……まぁ、やはり戦闘身分。恐ろしいものだ。


「なにいきなり瞑想してんの」

「いや……世が世だったら俺も切腹命じられてたんスかね、って」

「どこの蛮族よそれ。そんな世の中あるわけないでしょ」


 ……そこから来たとは言えない。いや、正確にはだいぶその未来の平和な世の中からだが。


「……で、あんたいいの? 目ぇ付けられるわよ?」

「……。まぁ……セレーネからは、剣の一族も情報網があるとは聞いてるんで……」

「あー、なるほどね……剣の一族かぁ……。なるほど……それならまぁ、確かに……。情報網もあって、ついでに触手使いの名誉も――って?」

「うす。……淫魔を探せる」


 おもむろに頷けば、アンセラは何故だか口を尖らせていた。

 視線を合わせぬ躊躇いがちな仕草のまま、彼女は呟くように言う。


「あのさ……。……冒険者、つまらなかった?」

「……いや。誘って貰えたのは、その、正直……まぁ、助かってる」

「じゃ、悪くなかったんだ? ならそう言いなさいよ。てっきり冒険者とか冒険に失望したのかと思ったじゃない」

「……うす。いや、まぁ、悪くなかったというか……まぁ……その……」


 ボリと頭を掻けば、アンセラから向けられる目線は何か意味深に含みを持ったものになった。

 ニヤニヤと眺められる。一体何がどうしたというのか。

 マフラーを上げ、吐息を一つ。


「だとしても……触手使いの名誉にしろ淫魔の被害にしろ、何とかする道が一つじゃねえっていうなら……」

「拘る必要はない、か。……あんたそこらへんもっとちゃんと人に言ったら? 自分は無法で野蛮なんかじゃなくて、ちゃんと世のため人のためを思って動いてますって」

「……別に。俺ァ、誰にどう思われようとも構わねえから……」


 印象がどうなろうと、変わらない。

 誰に何と言われようと何と思われようとも、それをやるしかないなら退くべきでない――それは変わらないのだ。


「それが全部フローさんが報われることに……フローさんの為になるなら、か。あんた分かりにくいように見えて分かりやすいわよね」

「……」

「うわ何その『俺はいつだって素直だ』『それはそうと誤解を招くようなこと言うな』みたいな顔」

「……」

「うわ何その『俺の体臭とかで判別してない?』『そういうのやめてくれませんか? 性的嫌がらせですよ?』って顔。あんた時々すっごく失礼よね!?」


 吊り目がちの目で思いっきり睨みつけられた。怖い。


「ま、いいわ。難行を課すってことは、あんたのことを勿体ないって思ってるってことでしょーから……ま、精々頑張って舐め腐ってきた奴らの鼻を明かしてやれば?」

「別に……興味ねえよ、そんなの。ただ、冒険者への依頼になるぐらい厄介なことなら……早く何とかしないとな」

「はぁ……。あんた本当さぁ……。あんたさぁ……御伽噺の不器用で寡黙な王様じゃないんだからさぁ……」

「俺は触手剣豪だ」

「そういう話じゃなくて……あーもう!」


 急に不機嫌になったアンセラがずかずかと進んでいくのを、小走りで追いかける。

 追い付いたと思うとまた逃げられる。

 一体何が彼女をそうさせたのか分かりかねて、しばらく進んだ先でのことであった。


「腹が……減ったであります」

「……」

「腹が……減ったであります……」

「……」

「腹が減って……動けないであります……」

「……腹が」


 行き倒れ。

 腰に剣を差した黒い二重外套(インバネスコート)を纏った黒髪の少年が、道に倒れ伏している。

 よほどの空腹なのか両手を大の字に広げて、もうここからは一歩も動かないという不動の姿勢である。


「……アンセラ?」


 ちらりと隣を見れば、


ひゃ()()?」


 全部食べてた。卑しい女だった。




「……これで良ければ」


 黒目黒髪の少年は、差し出した干し肉(触手)をガツガツと平らげた。


「いやあ、実にありがたいものであります! 本当にありがたい! 味はともかくありがたいであります!」

「……うす」

「実に慈悲深きお方でありますな。このユーゴ・ア・ヴァルー、ご恩は忘れないであります!」

「……ども」


 大袈裟な動作で頭を下げられる。随分と元気を取り戻したらしい。


「あんた、行き倒れ?」

「行き倒れと申しますか……いや、ひと仕事と使い走られたもののこれがなんとまた朝餉(あさげ)も出さない酷い雇い主でありまして……どうしたものかなあ、と悩んでいたら」

「いたら?」

「雲が素知らぬ顔で悠々と流れているもので、こう、あまりにも腹が立って……ついつい空を見ながら酒をかっ食らって寝てしまったであります!」

「腹が立ったので、酒を」


 酒を。

 なんて危ないことを。


「いやはや、往来で飲む酒は格別でありますなあ! 風が通り抜けて実に心地が良い!」

「はあ」


 童顔であるが、元服――ではなく成人を済ませているのか。こちらでは十五歳がその基準だった。

 シラノは酒は嗜まない。興味はあるが、あちらで二十歳と定められてしまっていたのを妙に引きずっているのである。

 病的に白い肌に僅かに朱を差して陽気に笑う彼を見ると、思う。


「……抜けてますか、お酒」

「いやあ、こう見えても強い方でありまして……おっと。うむ、飲み過ぎでありますな。いやはや、不覚であります」

「はあ……。じゃあ、俺たちは行くんで。気を付けてくださいね」

「ええ、酔いが醒め次第に自分も戻りますのでお気になさらず……であります」

「うす」


 ひらひらと手を振って、また両腕を投げ出して寝転んだユーゴは、


「しまった。名前を聞きそびれてしまったでありますな。……不覚不覚」


 ぽりぽりと頬を掻いて、腰のサーベルに手をやった。



 ◇ ◆ ◇



 冒険酒場への報告を済ませ、宿に戻ったシラノを出迎えたのは廊下で顔を突き合わせた一行であった。

 セレーネにエルマリカ、メアリ……中心にいるフローも、なんだか浮かない顔をしている。


「どうしたんスか?」


 問いかければ、指で部屋を差された。

 麦粥の乗った盆を持っているということは、彼女たちは見舞いに来たのだろう。意識を失っていた少年が目覚めたらしい。


「すっごく暴れられちゃって……ぜんぜん話とか聞いてくれなくて……」

「……」

「凄まじい取り乱しようでしたわ。ええ、近付けば舌でも噛み千切らんぐらいに」

「……」

「抑えつけて食べさせた方がよかったかしら? ……でも、それもなんだかはしたない気がして」

「……」

「……という訳でまぁ、剣士さんの帰りを待ってたってわけでやがりまして?」

「……」


 眉を顰めている彼女たちを見れば、大方その様子も察しがつく。

 あれだけの年頃の少年が、血塗れで遺跡に倒れていたのだ。常ならざる事態であるとは思っていたが……よほど深刻であったらしい。

 吐息を一つ。獅子丸をセレーネに預けて、シラノも扉を開いた。


「……」


 木窓を閉められた薄暗い室内。その中に、息を荒げて肩を震わせる小さな影がいる。

 襤褸(ぼろ)同然の衣服を身に纏った少年――手負いの獣同然に毛を逆立てる彼の瞳が、盆を持ったシラノを照準する。

 唸り声が上がる。

 それ以上近付くなと、あたかも短剣を構えるように腰を落としていた。


「……飯、食ってねえんじゃないスか」


 呟くように言ったところで、警戒は解かれない。

 そのまま歩を進めた。少年から発せられる緊張はいよいよ高まっていく。

 そして、床へと盆を置いた瞬間だった。


「――――」


 飛びかかる少年。剥き出しになった歯に、咄嗟に左腕を噛ませる。

 子供とは思えない膂力だった。

 触手により全身の強化が果たされたシラノでなければ、そのまま押し倒されて喉笛を食い千切られていただろう。

 肌に食い込む前歯に、シラノも歯を食いしばった。歯を食いしばり、耳元で言った。


「飯、食った方がいい。……あの獅子が、繋いでくれた命スよ」


 それで、噛みつく歯から力が抜けた。

 盆を離した右手を、少年の背に回す。


「大丈夫だ。……皆、優しい人だ。誰も君を傷付けようとはしない」

「……ぁ」

「大丈夫。……大丈夫だ。大変だったな、もう大丈夫だ。大丈夫……」


 背中をさすり続ければ、食い込む歯が抜けた。

 どれほど――どれほどの警戒をしていたのだろう。どれほどの目に遭ったのだろう。

 身体に残るいくつもの切り傷と剥がれた爪。やせ細った体。この年頃の少年が――一体、どんな目に遭ったというのだろう。

 かさりと、緩む少年の手から血まみれの羊皮紙が滑り落ちる。


「大丈夫だ。……ああ、大丈夫だ」


 背中を撫でるシラノの瞳は、いつしか刃めいて尖っていた。



 ◇ ◆ ◇



 借りた砥ぎ場で、獅子丸の刃は整えた。

 柄ひもを巻き直し、目釘にも緩みはない。腰にも、携行食糧や応急道具の用意は済ませた。

 あの後しばらく傍に侍っていれば食事を終えた少年は泥のような眠りにつき、セレーネたちは少し早い夕食に向かっているらしい。

 袖の中へ血の付いた地図を仕舞いなおす。

 いざやとマフラーを整え、部屋を後にしたその時だった。


「あれ? シラノくん、どうしたの? また行くのかい?」

「先輩……」

「うん? アンセラさんはいなくていいの?」

「……あのときは、浄化式を書く奴が必要だったんで。毒竜がいないんで、もう問題ないです」


 そうだ。

 それが助かるのだ――と、内心で吐息を吐く。


「……? どうしたんだい? 何かあった? 大丈夫? 怪我とかしてない?」

「いや……」

「シラノくんは頑張り屋さんだから……何かあったらちゃんとボクに言うんだよ? 最近、メアリさんやセレーネさんから習ってるからね! これで普通の手当だってできちゃうんだよ? どうだい、頼りになる師匠だろう? すごい先輩だろう? お姉ちゃんだろう?」

「……うす。それは、よかったです」


 触手使いである以外の道を彼女が見つけられるのも、それはそれで喜ばしいことだった。

 そこで、会話が途切れた。

 何か話題を探そうとするフローの笑みの横を通り抜ける。

 もっと色々と話を聞いていたいが、そうはいかない。そうは、いかないのだ。


「……行くの? しばらくしたら、日も暮れちゃうよ?」

「……」

「本当に、大丈夫なの? 無理、してない……よね? 大丈夫……なんだよね?」

「……うす。いつも通りです。何も変わってねえ」


 呟いて獅子丸に手を当てる。それで、納得はされたらしい。

 ……いや、納得してくれたのか。きっと納得してくれたのだろう。縋るように出されていた手は、戻されていた。


「気を付けてね。……気を付けてね、シラノくん」

「そうっスね。善処します」

「……うん。気を付けてね。本当に……本当に、気を付けてね」

「うす」


 セレーネもメアリもエルマリカもいる。フローの身の心配はいらない。

 つまり、万全だ。彼女が顔を曇らせるようなことは何もない……何もないのだ。ある筈がない。

 なのに、フローは不安そうな顔を隠しきれてはいなかった。


「シラノくん……あの、ね? その……」

「大丈夫です。……セレーネたちもいるんで、問題はねえと思います」

「うん……でも、その……」

「心配ないと思います。きっと安全です……大丈夫、何も心配はないです。ここは安全っスよ、先輩」


 頷けば、何故だか彼女は余計に泣き出しそうな顔をした。

 なんとも言えず頭を掻き――……それで話は終わりだ。向けた背に、声はかからなかった。

 マフラーを上げ、留飲を下げる。何とか隠し通すことはできたらしい。

 袖の中の、血が滲む地図を抑える。

 約束をしたのは自分だ。フローを、巻き込むわけにはいかなかった。



 ◇ ◆ ◇



 葉に貯めた朝露を舐め、煮付けた根を噛り糖分を吸う。

 一昼夜ほども進んだその先に、目当ての街はあった。

 山間の盆地に作られた石造りの街、ウェルカレイ――――古来から鉄鉱石などの採掘場になっている為に、立地の悪さを超えて発展した街だ。そう聞いた。

 肌に虫除けの香草を塗り直し、道へと下り降りる。

 細かい事情は判らない。単なる鉱夫の脱走かもしれない。

 だが、殴り書きのように記された地図と滲んだ血を思えば、単にそれだけの事件とは呼べないと察しがつく。

 それ以上に――約したのだ。あの獅子と。ならば、守らねばならない。


「……」


 そう思い道を進む、その時だった。


「あなたは……確か、シラノさん……でしたか?」

「うす。ええと、確かそういうあなたは……バルドゥルさんですか?」


 茂みから現れた分厚い外套姿の銀髪の少年。

 バルドゥル・ア・ランベル――〈骸拾い〉の二つ名を持つ〈銀の竪琴級〉の冒険者だった。


「シラノさんも、依頼ですか? ……二重依頼になってたのかな」

「いや、俺は……。その……バルドゥルさんはどんな依頼で?」

「ああ、僕は……ちょっと別の冒険者の人が帰らないというので、その捜索に……」


 そういうこともあるのか、と頷く。

 てっきり成功も失敗も自己責任かと思われたのだが――その為に積立金すら作られている――違うのか。


「いえ……本当は冒険者の方の捜索は依頼じゃないんですけど、まぁ……」

「……元は、どんな依頼だったんスか?」


 眉根を上げる、その時だった。


「……っ、隠れてください!」


 血相を変えたバルドゥルに、茂みへと押し込まれる。

 さして時間をおかず、暴走同然の速度を出した馬車が通り過ぎていった。

 狼か。それとも野盗にでも追われたのか。少なくとも尋常な様子ではなく――……だが、待ったところで何も来ない。

 不可思議さに眉間を寄せて追った馬車の先で、それは起こった。

 起こっていた。


「な……」


 人の行き交う通りのその中心で、馬車から(ほろ)が剥ぎ取られる。

 代わりに突き出されたのは、刻印を刻み込まれた堅木の杖である。

 どよめいた人々に照準される杖――ハリネズミめいてその先端が突き出た馬車。土嚢が積み込まれた荷台。下品な人骨づくりのオブジェ。

 いいや、違う――重要なのはそれではない。


「――」


 杖を握るは小柄の人型。

 尖った耳。大きな鷲鼻。爬虫類めいた虹彩――濃い緑色の肌が浅黒く染まったそれは、小人族(ハーフリング)を邪悪に作り直したような外見をしている。

 否、正に()()()()()()のだ。

 かつてセレーネから聞いたことがある。

 穢れ――“卑”の気に染まりすぎると人は魔物へと変貌する。

 多くは影の頭部を持つ人狼めいた魔物の幼体へと変わるが――その素体に“卑”の力への適性が高かった場合は、稀に、その生前の思慮や判別能力を残したまま知性ある魔物へと成る。

 魔ヘと改め生まれ直す――名付けて、“魔改転生(まかいてんしょう)

 半森人族(ハーフエルフ)はシャドウエルフへ。

 窟人族(ドワーフ)はコボルトへ。

 鬼人族(オーク)はオルカナスへ。

 巨人族(トロル)はオログハイへ。

 そして、小人族(ハーフリング)は――


穢小人(スナッフリング)……!」


 またの名を、ゴブリンと云った。

 土嚢を積んだ荷馬車は、即製戦闘車両(テクニカル)のつもりか。

 身の丈よりも大きな杖を構え、柄をひねると共に火球の連弾が飛び出す――刻印魔術。

 生じる“貴”の気に肌が爛れ落ちるも、彼らは掃射をやめようとしない。下卑た笑い声と共に、街中に破壊を刻んでいる。

 悲鳴が上がる。逃げ惑う人々が掃射に飲まれる。

 ならば、


「こんな……一体、何が……」


 隣で声を漏らしたバルドゥルを置き去りに、シラノは地を蹴った。

 跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ――逃げ惑る民衆の頭上を、上がる煙を、崩れた石壁を、触手の足場で跨ぎ跳ぶ。

 握るは柄。返すは鞘。そして、


「イアーッ!」


 抜き打つ白刃。

 吼える獅子丸。穢小人(スナッフリング)の首が飛ぶ。

 集団が、湧いた。だが、馬車の荷台という限られた足場では長物の杖を向け直すことも叶わない。

 取り直した蜻蛉と共に疾駆する切っ先が、一体の肩口を袈裟に断つ。

 突き刺したまま、床を蹴り押す。一体の喉笛を貫き、複数纏めて馬車の外に巻き込み落ちた。

 顎へと肘を噛ませて体重で首を折った。横で呻く一体。柄尻を叩きつけ、鼻下の急所を叩く。押し当てた刃で頸動脈を裂く。

 刃を噛み、もう一体の顔を握り砕くなり馬車の真下に転がり込んだ。

 絞る吐息。そして放つは、触手抜刀。


「イアーッ!」


 放たれた超音速の弧は、土嚢ごと荷馬車を両断した。


「はァー……ああ……」


 徒党を組んだ魔物が、魔術の武器を使う。

 それだけでも信じられぬ光景であるが――シラノはより驚愕した。


「こいつ……なんてことを!」

「何をしてくれてるのよ!」


 民衆から飛ぶは罵声。飛ぶは石礫。

 事態が飲み込めぬ。彼らは一様に、怯えと共にシラノへの敵意を向けていた。

 荷台を蹴り上げ、盾に使う。何が起きているのか、まるで分からぬ。

 人混みを掻き分け、バルドゥルが走り寄ってくるのが見えた。彼が、叫ぶ。


「あと二つ、来ます!」


 民衆が凍る。シラノも止まる――いいや、違う。事情は読めぬが止まるべきではない。退くべきではない。

 血を払った獅子丸を納め、触手野太刀を握り直したそのときだった。


「こっち」


 路地の奥から、青髪の少女が手招きをする。

 歳の頃は、エルマリカより下か。薄茶色の外套に身を包んだ少女は、無感動気味な表情のままにシラノたちを呼んでいる。

 バルドゥルと顔を見合わせ――地を蹴った。

 事情は分からぬ。事態は読めぬ。

 だが、危難であることは――最早論ずるまでもなかった。

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