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第七十五話 セブン・レイバース・オブ・ケンゴウ その二


「だからおれは納期を遅らせろって言ったんだ!」

「うるせえ! 違約金よりかは冒険者雇った方が安上がりだとはてめえも言ったろう!」

「雇うならもっと高い奴にしろって条件つけたろうが! どうせてめえ差額を懐に入れるつもりだったんだろうが! この業突く張りのクソ商人が!」


 目の前で喧々諤々と繰り広げられる商人と職人の罵り合いを前に、シラノは静かに口を結ぶ。

 要するに――通行の危険があると言われている区域を、冒険者を雇って無理に押し通った。結果として、あの獅子に遭遇した。そんなところだろうか。

 何にせよ、彼らも彼らで事情があるというのは判った。

 正直そういった生産的なことに携われぬシラノからの言葉など、何の慰めにもならないだろう。

 とはいえ、


「……すみません、一ついいですか?」

「なんだいお兄さん、あんたまだ居たのかい? どうせならノリコネリアに運んでくれりゃあよかったのに……」

「馬鹿野郎! 一緒に付けてたやつが逃げちまってる時点で、どこにも届けようもなしに道に撒くことにならあ! 間抜け!」

「てめえ……言うにことかいて間抜けだと、コラァ! いくら幼馴染ったって容赦しねえぞ!」


 また始まった。

 やはり商人や職人ともなると、気苦労も多いのだろう。

 ともかく――――虚空へと抜刀し轟音で注目を集め、


「その納期ってのに、時間はどれくらいあるんですか?」

「あと二日だよ。……回り道じゃ三日もかかるんだよ。あっちにゃ舟渡の必要もあるし……」

「けっ……だから大口の注文だ、なんて調子に乗るからこんなことになるんだ。働かされたおれは大損だぜ」

「てっ、てめえ……! てめえが中々名前が売れねえって言うから一肌脱いでやったんじゃねえか!」

「うるせえボケ! それでてめえが違約金払わされてどうするんだ間抜け! 幼馴染をそうまでして名を売りてえと思うかよ!」

「な、なんだと……ものがいいのにまるで売れねえのを心配してやったんじゃねえかよ! この偏屈野郎が!」


 また、怒鳴り合いである。

 仲がいいのか、悪いのか。素直が一番いいというのに。

 ともあれ――折角お互いを思いやった果てなのだ。この二人のものが、すれ違ったまま終わってしまうというのは非常に良くない。

 もう一発虚空へ抜刀し、二人の目線を集め、


「……なら、あと一日で何とかします」

「そ、それは…………いいのかい、お兄さん? 冒険者ったって準備や何やらいるんだろう?」

「そこは素直に『できるのかい?』って聞いとけよ。どうせ腹ん中じゃてめー、この兄さんが頼りないと思ってんだろ?」

「なっ……いやそんなわけ……」

「なかったらこの兄さん雇ってそのまま街への護衛にするだろ。なあ、兄さん?」

「はあ……」


 ここで話を振られても困る、としか言えることはなかった。

 ともあれ、


「言ったからには二言はないんで。……俺ァ行きます」

「そ、そうかい……へへ、悪いね。頼んだよ、お兄さん」

「おう。おれからも頼んどくぜ、兄さん。こいつぁ男と男の約束だ。終わったら、おれからも何か贈らせて貰うよ」

「うす。……その、女物で何かお願いします」


 マフラーを引き上げた。これでフローたちへの土産も、できただろう。

 だが、これでいいのだろうか。なんだか都合が悪くなると仕事に逃げてプレゼントで誤魔化している男のようではないだろうか。

 ……いや、案外もう怒りも収まっているかもしれないし。それはそうと喜んでくれるかもしれないし……。

 でもそんな風に誤魔化ししてるばかりとなったら、本気で話を一切聞く気などなく万事においておざなりな対応をしていると思われないだろうか。それで傷ついたりしないだろうか。かえって失礼ではないか。

 いやだが、手ぶらで帰るというのも……。

 それに、折角作って貰えるとも言っているし……いやだが……。


「兄さん、兄さん」

「……なんスか?」

「いや、その辺りに散らばってた服ってのはこれで全部かい?」

「集めれる分だけは、集めましたけど……どうかしたんスか?」

「ん、ああ、いや……あんたが嘘つくような男にゃ見えないしなぁ……」


 首を捻る職人を前に、シラノは僅かに眉を寄せた。



 ◇ ◆ ◇



 一通り被害にあった人々からの情報を纏めながら、シラノは丘の上で胡座を掻いた。

 やはり最も大きな害は地域一帯の通行不全。

 他には積み荷の破壊や収集、護衛や商人への傷害……完全に無差別的にその辺りを通る人間へと襲いかかっているのだ。

 (つが)いが動けないのか。

 いや、そもそも獅子は狼などと違って(つが)いを一頭に絞らない。群れを離れた雄獅子でもなければ、雌を伴わずにいることが不可思議だ。

 ……そもそも、雄は狩りをするんだったか。しないんだったか。


(……やっぱ、(コレ)以外はどうにもな)


 ボリボリと頭を掻いた。

 これならば、もう少し前世で動物お楽しみ番組のようなものを見ておけばよかったかもしれない。

 同じ学級にやたらと家族で出かけたことを自慢してくる手合いがいたので、自然と動物自体に興味を抱かぬようになった――――……というのはいい。もう終わったことだ。

 天に透かすように地図を掲げる。

 ひっくり返そうが、上下を逆にしようが、折りたたもうが何も変わらない。


「……」


 斥候(スカウト)の真似事は得手ではない。

 やはり、一直線に向かい一直線に斬り払い一直線に制圧するのがいい。というかそれもそれで恐怖はあるのだが、悩まずに済むだけいくらかマシだ。

 シラノ程度の頭では、ひっくり返っても妙案は浮かばない。

 やはり、待つしかないのか。話通りならばこの縄張りにいれば襲いかかってくるかもしれない――が、あれだけ散々ばら打ちのめしたのだ。

 よほどの急所に行きつかぬ限り、シラノの相手を避けるかもしれない。

 吐息を一つ。結論が出ない。腹は減った。


(でも、飯は……食わねえ方がいいか。匂いで気付かれるかもしれねえもんな)


 飯と言っても手元にあるのは、干し肉や干し肉(意味深)だ。

 ……干し肉(意味深)。

 一度、「自分の精神から作ったもんを人に食わせることに抵抗感ないんですか?」とフローに聞いたことがあった。

 が、どうにも彼女の触手に対する認識はシラノと違った。

 というのも、触手が精神の発現――と言われるのはその元来の形や色や節や速度が、個々の精神によって違う点。

 触手そのものが即ち精神ではないらしい。あくまでも精神の依り代や、精神の発現ではあるが。


(言うなれば『触手は精神の影であり水』……か。つまり精神が大本の像で、もしくは容器みたいなもの……)


 ううむ、と首を捻った。

 判るような解らないような、難しい話である。

 シラノなりに判りやすく言うなら――水面に映る月のようなものなのだろう。触手は。

 そして触手使いはその“月”の形を変えられる。そうすれば、水面の月の形も変える。

 だが、水面の月をいくら打ち叩いたところで月そのものが壊れることはない。形を変えることはない。その操作の権能は触手使いのみにあり、故に淫魔の唯一の対抗手段足りうるのだ。

 こう思えば、触手の同時発現の限界量の意味が判る。

 つまりは池の広さだ。シラノの池は狭い。故に、映し出せる景色も限られている。

 それを超えて作ろうとすることは池を無理矢理に拡張することであり、結果としてその水が溢れる。それを貯めなおすのに時間がかかる――これが限界や焼き付きなのだろう。


(……奥が深いな)


 それでいて、互いに影響がある――というのも面白い話だ。

 具体的に言うなら、触覚。それにあの疑似思考加速だ。この辺りは感応魔術や形意魔術、相似魔術にも似ている。

 『精神の形を変えられるのは触手使い本人のみである』――第一義。

 『形を変えた精神に呼応して触手も自在に形を変える』――第二義。

 『精神そのものでないが同じ形なので精神を呼応させる』――第三義。

 ……そういう訳だ。

 思えば、触手に触覚を発現したのも遅かった。成長というのは、このような意義が拡大していくことなのかもしれない。


(……やっぱり、負けてない。魔術にも魔剣にも、負けてねえよ)


 改めて、凄まじい技能だと思った。果てのない力だ。どこまでも行ける力だ。

 だからこそ授けてくれたフローには感謝しかなく、そして強大な力であるからこそ善く使わねばと思う。

 ならば、と腰を上げた。

 悩んでも仕方がない。得意でないことを続けても、それは単なる怠惰の言い換えである。

 己ができることをしよう、と口に果実の種を投げ込み――


「……待て。そうだ」


 布袋に仕舞った種を広げ見た。

 この種は、唾を生むためのものだ。舐めてれば酸味が出てきて唾が出る。喉が潤う。

 真水は傷を洗い流すことにも使える為、温存するように心がけていた。故にこそ、このようなものを持ち歩いているのだが――


「水場……そうか、水場か」


 あの巨体だ。

 あれだけの巨躯だ。

 食事は数日耐えるにしても、生命である以上は水はそうも行くまい。

 地図を広げれば、近くには川があった。

 その中で、あの獅子の行動区域と重なる場所を定め――


「間違いねえ。ここだ」


 そう、シラノは駆け出した。

 獲物が定まれば、得物も定まる。いざ掴むは野太刀。納むるは鞘。ただひっ飛ぶは己なりと――


「――そ、それ以上近付いたら呪いますよ!? 狂わせますよ!? 悶絶させて殺しますよ!? 二度と使い物にならなくしますよ!?」


 にわかに途方に暮れたい気持ちになっていた。

 鞘を握り締めた手を離して、ボリと頭を掻いた。

 横目でチラと見る。茂みの向こうには、おそらく半裸の女性。水に濡れた半裸の女性。現在半裸になった女性。

 マフラーを引き上げる。

 健全な男子ならドキドキの入り混じった興奮を隠さぬべきかもしれないが、シラノは触手剣豪なので耐えた。敵地なのでそれどころではない。もしこれが新手の美人局(つつもたせ)だったら襲撃まであり得る。


「うぅぅ……油断してた……。一生の不覚……これから売られちゃうんですね……。この豊満な体を好き勝手に舐め回されて……こんなケダモノみたいな人に……むしゃぶるように視姦されてから……」

「いや、興味ないんで」

「そ、それはそれで女として腹立ちますねえ……! こんな美少女を相手にしてるのに……!」

「……」


 ならどうしろというんだ、と思ったが飲み込んだ。

 その辺の男子なら迂闊なことを言っていたかもしれないがシラノは触手剣豪なので耐えた。というか敵地なのでそれどころではない。油断を獅子が突いたら容易く殺される。

 額に手を当てた。茂みの向こうに半裸の婦女子がいるのでひたすらに気まずい。妙な気まずさだ。

 これで出歯亀になっていたら士道不覚悟につき切腹しかなかったが、まぁ、すんでで気付いた。奇襲を仕掛けようとしていた結果だが、オーライだ。

 先手必勝。備えあれば憂いなし。予防は治療に勝る。転ばぬ先の杖。淫魔を囲んで杖で叩く。後悔は死んでからしろ。白神一刀流に敗北の二字はない。

 …………いややっば落ち着けてねえ。そら年頃の男なんだから心頭滅却とはいかない。


「……うす。というか、その……」

「……………………なんですか? 覗きじゃ飽き足らずこのラナウンさんの美声まで聞きたいんですか? この美声をいやらしい声に変えようって言うんですか?」

「いや、いらないんで。……俺の言えた義理じゃあないんですけど、危なくないんスか? 水浴びとか……」


 それこそ野盗であったり、人攫いであったり。居るなら肉食魚であったり――カンティルはヤバイ――、寄生虫であったり――住血吸虫はヤバイ――。

 うら若き乙女がたった一人で水浴びなどとはこの世には危険が多い。もしフローが言い出したら己の腹に刃を突き立ててでも撤回を望むだろう。


「はあ? ()()()、じゃないですか」

「は?」

「えー? や、せっかく人気がなくなってる今ならここで水浴びができるって――」

「もう少し詳しく」

「わぁぁぁぁぁ――――――!? わぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!? それ以上踏み出したら本当の本当に呪いで豚にしますよ!? 豚にしますよ!? ブヒブヒわたしを崇めるしかない存在にしまちゃいますよ!? っていうか乙女の柔肌見たらブチのめしますよ!?」


 黒紫髪を振り乱して涙目で怒鳴りつけられると、しまったという感情以外浮かばない。

 顔を逸らし目を閉じ、ううむと頭を掻く。

 すごい失礼なことをしてしまった。危うく士道不覚悟である。腹掻っ捌くしかなくなる。

 だが、


「……少なくとも何日かは水浴びしてるんスね、ここで」

「そ、そうですけど……」

「うす。どーも」

「へ?」


 これで、定まった。

 狙われた馬車。

 縄張りと思しき行動範囲。

 行われぬ追撃。

 立ち寄られない水場。

 これにて、ことのカラクリは定まった――――。


「はぁ!? ちょっと!? こんなかわいい女の子を一人で置いてくんですか!? 街まで送ってくとかそういうのないんですか――――――――――!?」



 ◇ ◆ ◇



 石造りの廃墟のほど近くの道を、馬車が進む。

 名代を頼まれた小人族(ハーフリング)の商人はそのまま御者を務め、幌の張られた荷台の荷物に視線を飛ばす。

 馬が落ち着きなく鼻息を漏らすのを、手のひらで御す。

 彼は、特に影なる人種――斥候猟兵(ウォードレイダー)と関わりなくこの歳まで生きていた。商売に身を浸せば、いずれどこかから嗅ぎつけて良きにつけ悪しきにつけ関係を持つこともある。

 だが、それは避けた。

 決して大店とやり取りをする商人でもなければ、各地を練り歩く行商人でもない。単に仲介を果たして荷を西から東に運ぶだけの、つまらない商人。

 だが、それを気に入っていた。

 父や祖父の代から付き合いがある商家や職人と、その誇りや腕を認めるからこそ売り込めるという立場は愉しい。

 若き日はもっと野心に身を燃やしたが、今は信頼できる仲間や商売相手に己の腕を買われることがなによりの愉しみであった。


「おれもお前も随分と老いさらばえたねえ」


 しきりに辺りを見回そうとする馬を宥める。

 今日は、古くから付き合いのある商家からのどうしてもという頼みだ。

 ならば、答えてやるのが男としての情けであろう。

 何か美味いものでも食ってくれと渡された硬貨を手で弄び、早春の空を眺めて吐息を漏らす。

 そんなとき――で、あった。


「ひっ」


 馬が一際大きく嘶き――――そして、草原から姿を現した金色の獅子。

 どうして、と声にならない声が漏れた。

 荷運びを務める以上、野盗や山賊への警戒は怠らない。この歳になっても、いや――なったからこそ周囲の安全に目を配っている。その筈だった。

 警鐘を鳴らすように首を振る馬と、その真横を抜ける獅子。

 草原とは不釣り合いな色の獅子が、巨体を震わせて荷車に迫る。


「や、やめてくれ……それは大切な荷なんだ……!」


 懇願するように声を上げれば、縦に走る細長い獅子の瞳孔が彼を捉えた。

 獲物を見るような、値踏みするような、無感動な瞳。

 狩猟者の、瞳。


「あ……」


 ()()()()()()――彼は直感的にそう思った。

 荷台に向かおうとした獅子が、踵を返す。

 馬車の荷台よりも大きなその五体を揺らし、凍り付く彼へと近付いてくる。

 その前足に跳ねられれば小人族(ハーフリング)の頭など容易く弾け飛び、その大きな牙は背骨ごと胴を砕くだろう。

 死を肢体に蓄えた天性の捕食者。

 いよいよ心中で、冥府の神に祈ろうとしたそのとき――


「イィィィィィィィアァァァ――――――ッ!」


 丘を駆け下りる勢いそのままに、振り下ろされた野太刀が盛大な土煙を上げた。


「……」


 逃げ躱された。やはり、野生の勝負勘なのか。

 だが逆説的に、シラノの剣は獅子を断てるという証左である。

 土煙から飛び退いた。飛び退くまま、激を飛ばす。


「後ァ、俺が……!」

「だ、だけど……それじゃあんたは……!」

「白神一刀流に、敗北の二字はねえ。……早く」


 馬を鞭打ち、馬車が走り出す。

 その背後を守るように回り込んだシラノの目の前、煙が晴れる。

 鬣を逆立てた獅子。唸りを上げる雄獅子。


「……」


 やはり、大きい。

 元の世界に換算すれば、乗用車よりも大きな獅子だ。

 静かに蜻蛉をとった。身体は万全に整っている。腕の痺れもなく、気にすべき人間もいない。

 ならば――断てる。断てるのだ。

 この竜の大地(ドラカガルド)における位階の最上位は魔剣。その頂点は天地創世。ならば、それを破りし剣に断てぬものはなし。


『……』


 唸りを上げる獅子と睨み合う。

 先の一幕で、シラノもまた警戒に値する相手と見定められたらしい。

 爪先立ちのまま蜻蛉を取るシラノと、警戒のまま円を描く獅子。

 睨み合いは、一瞬だった。


「イアーッ!」


 地を跳び蹴ったのはシラノである。常に先手必勝。待ちにて勝てる道理はなし。

 叩き打つは自顕の技。放つは触手の技。突進の勢いのまま止まり切れず、膝から草地を滑るままに振り下ろされし触手野太刀。

 だが、獅子は横に跳んだ。

 飛びずさり、猫科特有の俊敏さのままに即座に攻撃に転じた。

 打ちかかる前足と巨大な口腔。右腕を噛ませる。硬化した腕が、獅子の牙と強烈な音を立てる。

 引き倒されるか。否。獅子はシラノの肉体を、棍棒めいて振り付けようとする。

 だが、


「イアーッ!」


 触手による空間固定。

 全身を巻きしめた触手が、虚空に楔を打ったシラノが、寄生で得た人並み外れた赤き膂力が、逆にその顎を掴み旋風めいてライオンを叩きつけた。

 一度跳ねる。跳ねた獅子が大勢を立て直すところへと、すかさず打ち掛かった。


「イアーッ!」


 連動する背筋、腰、胸筋、腹筋、肩――そして右の赫腕、頬を捉える飛び鉤打ち(フック)

 手ごたえはあった。何かを砕いたとの感触はある。だが、目の前の獅子の顔面に損傷はない。

 反撃に飛びかかる獅子の鬣を、その毛を咄嗟に掴んだ。そのまま背負い投げる形に、背中から地面に叩き落す。

 その質量に、地面が窪んだ。

 足を取られそうになるそこで、咄嗟飛んだ――まさにその瞬間、強烈な猫科の横張りが打ち放たれた。


「……ッ」


 咄嗟に硬化させた右腕で受ける。肘を曲げ、身体を丸めたその姿勢のまま跳ね飛ばされた。

 二三度転がるその最中、握るは柄。抜くは触手刀。土煙と共に、何とか地を踏みしめる。

 身を起こし――追撃はない。

 廃墟の柱を盾にするように、逃走する金の鬣が見えた。


「イアーッ!」


 放つ三段突きも、しかし起立する石柱を煙に変えただけで致命打かは怪しい。

 すぐさまに四肢に力を籠め、シラノはその背を追撃した。



 周囲に乱立する石柱の中、剣を脇に構えたシラノは進む。

 かつて、アンセラから聞いたことがあった。

 ダンジョンとはつまり、過去この地に君臨した帝国の遺跡であり遺産であると。

 淫魔により滅びし帝国。その残る文化を魔剣の王が荒廃させ、続く戦乱に疲弊し、ようやく為された統一の頃にはそれらは事情も知れぬダンジョンになっていたのだと。

 この丘に広がる廃墟もまた、それと同じだった。


「……」


 緑の海に散らばる灰色の小島。朽ちた神殿。

 辺りに転がる石の破片の中、シラノは息を顰める。

 ここは敵地。如何な奇襲があったものか。

 踏み倒された雑草を一瞥し、辺りを見回しつつもそのあとを追う。

 石柱からは身を離す。どこに敵が潜んでいるのか、知れたものではない。如何に天地創世の魔剣と死合おうとも、奇襲を受ければともすれば息絶える。


「……この中、か」


 そして足跡が行き着いた先は、土に半ば埋まった入口であった。

 かつては、名のある神殿であったのか。

 その両脇に並べられた台座の片方には、吠えかかるような大きな獅子の像が置かれている。

 ……(にわ)かに逡巡する。

 そして結局、シラノはその入り口の中へと足を踏み入れた。


「……」


 灯のない石造りの通路。

 右眼の暗視能が発動する。四方を壁に囲われたその中には、不思議なことに蜘蛛の巣はない。

 ……いや、当たりだ。

 ここは獅子のねぐらであり、通用門だ。だからこそ、風の通りが良くなっている。

 刀身を地面に寝かすように構えた脇構えのままシラノは進む。蜻蛉を取れば、間違いなくこの閉所では天井に打ち付けよう。

 呼吸を絞り――背後で、物音がした。


「イアーッ!」


 即時、放つは三段突き。

 後ろを向いていた切っ先は、寸分たがわずその音の主を砕き散らした。

 上がる粉塵と、砕ける石片。

 飛び散ったのは――――自立稼働する石の扉であった。

 直後、


『――――――――――――』


 前方の闇から、突進する巨体。息を潜めし獅子が、シラノへの奇襲をかけた。

 扉の開閉。それこそが、シラノへと仕掛けた罠。

 刃は生やした。だが、この閉所では野太刀など振るえない。

 そしてこの暗所。どこで止まるか知れぬ武器は恐怖を生み、それは混乱となって広がる。

 故の太刀殺し――実に的確に、獅子はシラノの剣を封じ込めたのだ。

 そして無論、繰り出されるはその突進。牙を向く不死身の獅子の巨体が、砲弾めいてシラノに殺到する。


「――」


 仏教に、無明という言葉がある。

 それはある種の闇。智慧の闇。悟りが及ばぬからこその闇。

 闇というものは存在しない。ただ、光がそこに“無い”だけだ。故に闇が“在る”という概念はそもそも誤りであり――つまり。

 甚だしい誤解、無知、或いは不理解。この先入観を、智慧が無きが故の闇を無明と呼ぶ。

 そんな闇の中を、獅子が駆ける。ただシラノの身体目掛け、剣を掲げることのできぬ身体目掛けて襲いかかる。

 故に――


「イィィィィィアァァァァ――――――――――――ッ!」


 いざ、地へ放つは三段突き。

 その爆速が弧を描く。担ぎ上げるかの如き姿勢のまま、シラノの剣が天へと跳ねる。

 唸る剣閃。天地を裂く大円弧。

 天井へと激突せしそれは――液状化。そして、弧が外れるなり即座に硬化した。

 一切の斬撃を鈍らせることなく振り抜かれしその太刀は、


「――秘剣・無明返し」


 太刀を振るえぬという無明を、誘い込まれた闇という無明を断つ一閃と化す。

 音に遅れて――ごとりと、肩から獅子の前足が落ちた。

 石の前足が、落ちた。



「……まだ、やるのか?」


 切っ先を向け、シラノは静かに石造りの獅子を見詰める。

 水をも取らぬ生物はいない。

 獅子の形をすることで獅子を模す“形意魔術”――そして術者亡き後も魔力をその身に刻める“刻印魔術”。

 加えるならば、無事な神像と因果を作り状態を保つ“相似魔術”。

 故に通常であれば、因果を持つあの入口の像を砕かぬ限りは無敵に近しいが……。

 魔術である以上、その再生の限界速度や限界量はある。

 城壁を砕き、魔剣と競り合う触手抜刀には、さしもの魔術も及ばない。


「……」


 古の魔術による守護者。

 ついこの日もあの街で目にもしたし、シラノの友とてそうである。

 狩り場を移さぬ獅子は、狩りをしているのではない。単にその場所を守っているのだ。

 如何なる理由にて再起動したのか。

 ともあれ、この獅子は守護者であった。


「……この街は、もう滅んでる。それでも……戦うのか?」


 静かに眉間を照準する。

 もしも彼がまだ続けると言うのであれば――。それが、その身に懐きし唯一の使命にして希望というのであれば――。

 ここで斬り捨てるのが、せめてもの情けという他なかった。

 いずれにせよ報われぬというなら、最後までシラノは敵として彼の本分を遂げさせる。……それしか、してやれることはない。


「……」


 どれほど、そう見詰め合っただろう。

 やがて獅子は頭を垂れ、三本の足で器用にその巨大な身を翻した。

 肩越しに振り返ってくる。……ついてこいと、そう言っているらしい。


 コツコツと、靴音が響く。

 かつては石造りの廊下であったろうそれを抜けた先には、僅かに広い空間があった。

 崩れた天井から光が差し込み、罅割れた壁のフレスコ画やタイルが剥がれた床のモザイク画を仄かに彩っている。


「……」


 獅子丸の鞘を握り締めたまま、辺りを見回す。

 かつては応接室であったのだろうか。

 金属製の長椅子は完全に朽ち果て二脚を折って傾き、テーブルだったと思しきものは殆どが風化して木のミイラ同然。薄暗い室内には、既に人の気配というのが朽ちている。

 両手を合わせて頭を下げた。立ち入る無礼を、この世に亡き人々へ――かつてここに暮らした人々へと詫びた。

 ぐる、と唸り声が聞こえた。何をしているのかと、急かされているらしい。


「これは……」


 辿り着いたその場には、身体を丸めて息を荒げる少年。

 意識はなく、脂汗と共に呻いている。

 ぷん、と錆びた鉄の匂いがした。見れば床には、点々と血痕が続いている。

 そしてその身体には幾重にも衣服や毛布が掛けられ、或いはその顔の前には水筒や果実が並べられていた。


「……守ってたのか、その子を?」


 応じるように獅子が頭を擦り付けた。ゴツゴツと、硬い感触が伝わってくる。

 そうだ。彼は、守護者だったのだ。

 彼らは、初めから終わりまで守護者なのだ。

 何故、彼が再起動をしたのか。何故今になって世の脅威として現れたのか。

 それは、単純だ。

 彼に――――守るべきものができたからだ。


(怪我は……酷いが、これならまだ助かる)


 押し当てた指に伝わる脈は弱く、少年は魘されるように小さく喘いでいる。

 だが、息はある。まだ助かる可能性は、十分にあった。

 すぐさまに触手で身体へと巻き付ける。体温が伝われば幾分かマシになるかもしれない。


「お前も一緒に――」


 振り返ったその先で、獅子は、物言わぬ石像となっていた。

 最後の力を、振り絞ったのか。振り絞って、ここまで動いていたのか。

 灰のように、ぼろぼろと手足から崩れ落ちてくる。あれほど強靭だった五体が、砂のように零れ落ちていく。

 彼の生が終わるのだ。

 彼の、旅が終わるのだ。

 彼は、主の下へと、帰るのだ。


「……あァ、そうだな。約束する。必ず……必ず助ける」


 瞼を一つ。

 黙祷ののち、シラノはすぐに踏み出した。

 背後は振り返らなかった。

 獅子丸の鍔が、僅かに鳴った気がした。



 ◇ ◆ ◇



 魔術仕掛けの鏡が、同化した街の風景を映し出す。

 陰鬱な顔つきの人々が肩を落としながら街を進む光景に、少女は頬をつり上げる。

 扉の軋む音に彼女はおもむろに腰を上げ、テーブルの上にワイングラスを置いた。


「どーも、トンネルパトロールさん。……あれー、そっちは?」

「どーも、レイパイプさん。この子はカムダンプさんよ」

「どーも、初めまして。カムダンプ……です。よろしく……」


 互いに恭しく頭を下げる。

 一人は豊満な体つきの身長の低い眼鏡の少女。薄紫色の銀髪をおかっぱに切り整えて、軍服ブレザーのようなものを身に纏っている。

 もう一人は、いかにもな商人風の格好をした女性。こちらもやはり眼鏡をかけて、緑色の髪を腰まで伸ばしていた。

 奥ゆかしく付き従うもう一人は、冒険者的な外套姿の黒髪の少女。彼女に眼鏡はなく、その身体付きは平坦だった。

 誰もが身目麗しく、世の男性が見れば十人が三十回振り返るほどの美貌の持ち主。

 そんな彼女たちが、花が綻ぶように口を開いた。


「や、ご機嫌麗しゅうしゅう。そっちの具合はどんなんでー?」

「ええ……邪魔立てされてしまいましてね。人間らしく大人しく自分のことだけ考えてればいいというのに……本当に世のために金出すほどの者がいるとは」

「ま、でも随分とお稼ぎには――」

「ええ、それはそれは無論のことですとも。これで“刀狩協会(カタナガリ・カルテル)”の資金は潤いまして……でしょうか」


 ふふ、と緑髪の女性――トンネルパトロールが手で円を創る。

 軍服ブレザーの少女――レイパイプは頷いた。実際のところ、助かっている。彼女の“実験”には相応に資金がかかるのだ。

 その辺り、彼女たちの権能を持ってすれば容易いことではあるが……戒めというものもある。

 そこで、ふと思い出したようにレイパイプは口を開いた。 


「……あ、もう聞いてます? 邪教徒の扇動をしてたファミリーウェイさんと愉快犯のプレイテトリスさんが討伐されたって」

「困りましたね、それは……頭が痛い話です。……下手人は、例の黒鎧の〈淫魔殺し(サキュバススレイヤー)〉さんですか?」

「ん、詳しくは不明だって。や、でも何にしても手早く魔剣蒐集を進めるべきかなーと。それか魔剣使いの手配。面倒ですけどね」


 レイパイプは肩を竦める。

 黙していた黒髪のカムダンプが、おもむろに口を開いた。


「討伐とは……不死身の淫魔の面汚し……です。そんなに、強いん……ですか?」

「や、どーかな。会ったことないから……黒鎧、顔面が醜悪すぎて魅了する気も起きないのかなー?」

「……それなら、逆に一見の価値があります……ね」

「え、またまたお戯れをー。……ここはやっぱり綺麗系の少年少女が至高では?」

「当方は屈強な方が……その……。トンネルパトロールさんは?」

「ええ、私は年季のある男性派でして……。家庭ある良き父良き夫が特に好みでしょうか。妻子がいるとなお面白く……そこに娘がいたらその倍。奥さまが妊娠中だとなおさらですわ」

「……物理処分させるん……ですか? 夫に妻を?」

「や、うーわ、いやいや……それはまた軽蔑しがいのあるご趣味だことでー」


 半ば茶化すように、しかしお互いに顰めて交わされるその笑顔は果てしなく酷薄としていた。

 未だに思い出し笑いを浮かべた商人風のトンネルパトロールはテーブルに安置された鏡を眺める。

 そこに映し出されているのは、あたかも戒厳令下の戦時都市めいて陰鬱とした街並み。

 半壊する支配下の街。そして街で行われる実験。

 多かれ少なかれ、彼女たちには得意分野がある。それは己たちで高めた淫魔の技能――淫能にしてもそうであり、人間的な分野にしてもそうであり、性的嗜好にしてもそうである。

 そういう意味でトンネルパトロールは感心した。

 これは、自分ではできそうにない。

 ただ、


「……しかしこの街、これで支障はないのですか? こんな派手にして……あの麗しき“黒髪”のオールドフレイムさんや目付け役の“死寒聖人”のグリーンガウンさんあたりの不興を買いませんか?」

「や、これはこれで有益なことなのでー? こう、全体的に? それに、人間の精神は淫魔(アタシ)たちに抗えないし……目撃されてもほら……実験の成果を、存分にねー?」

「物理処分です……ね」


 打たれたカムダンプの相槌にも、それはそうかとトンネルパトロールは頷いた。

 折角手に入れた第二の生と、そしてこの世界なのだ。

 これだけの能力を、無為にする手などはなかった。


「ま、それじゃあ――“より良き試みを(グッド・トライ)より良き人生を(グッド・ライフ)”。ご機嫌よう」

「では、“より良き試みを(グッド・トライ)より良き人生を(グッド・ライフ)”。どうか息災で」

「“より良き試みを(グッド・トライ)より良き人生を(グッド・ライフ)”……ご武運を」


 握手を交わし、三人は別れる。

 一人部屋に残されたレイパイプは、また鏡を眺めて、ワイングラスを傾けた。


「ん、くだらないなぁ……人生ってのは」


 口角をつり上げた小さなその呟きは、部屋の闇に飲まれていった。

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