第七十話 スレイ・ニンジャ・オール その二
◆「スレイ・ニンジャ・オール」その二◆
走りかかる頭目へ、シラノの思考は一つ。
これまでの無様な態度が全て欺瞞ではないか――とか。
仮にもその専門家がこれほどまでに情けない姿を見せるか――などという、そんな考え――
「イアーッ!」
――ではない。
三段突きの応用たる、佩いた鞘から撃発される触手抜刀。名付けて――白神一刀流“唯能・砕”。
かつて淫魔のその胴を野望ごと砕いた極超音速の一閃は、寸分違わず魔剣目掛けて振り抜かれた。
……これなる血塗られた使い手に振るわれるなら、壊すことこそ情け。
そんな一心で放たれた刃は、しかし空を斬った。
「この、小僧がァ……!」
魔剣を手に目を血走らせる頭目は、駆け出してはおらぬ。駆け出す前の姿勢のまま、駆け出す前の位置に足を止めていた。
一体、如何なる詐術か。
精神への幻影はシラノに通じぬ。或いは網膜へと像を投射したか……いや、
(仕切り直された……あの時と同じか?)
内心で眉を顰める。
触手抜刀を封じられた騎士との立ち会い……それ自体が終わりを告げていた為に考えはしなかったが、思えば、魔剣と食い合わせの悪い死者が動くという怪奇。
そして、触手抜刀が避けられるという事実――……重く見るべきであったか。
(……風や、破片は通じるのか?)
既に打ち据えられた頭目を見て、思案する。
真に無敵で仕切り直せるというなら、先程までの爆撃で傷を追うことが奇っ怪。
しかし、それだけで戦闘不能にならなかったのは……魔剣の権能の助けがあってのことなのか。
「触手使い風情が……過ぎた剣を……!」
「……」
「それが貴様の暴か……! 人の道から剣の道に身を窶した畜生めが……! 道理も介さぬ剣鬼が……!」
忌々しげに怨嗟を漏らす頭目は、間合いを合わせようとしない。口は激昂しながらも、粘ついた目でシラノの挙動を分析している。
怒りの中に覗く冷静さ。
やはり、前の態度は欺瞞で暗殺者として相応の見識と実力を伴っているのか――……いや、否だ。
先程まではやはり、邪教徒同然の愚物であった。振りかざせる暴力と安易な支配に溺れ、死線を忘れた愚物であった。
……錆び付いていたその勘に油を刺したのは、シラノ自身の刃なのだろう。
「……」
それにしても、如何なる絡繰か。
今、確かにシラノの剣を躱した。必殺の筈の触手抜刀を、回避したのだ。
その絡繰を破らねば、勝利はない。
「貴様だけは……貴様だけはただでは死なさん……! 左右で色の違う不吉の目め……“彼岸と此岸を見詰める目”……我など歯牙にもかけぬという、忌々しい目をしおって……!」
「……」
「その目の前であの女を穢し抜き、その腸で首を括らせてやる……!」
静かに、刀を構え直した。
……やはり、変えるべきではない。譲るべきではない。
己は、一度でも退いたらなまくらとなる――その事実は変わらぬ。
あの風の魔剣も、月下の剣鬼も、見知らぬ少女を狙いし魔物の群れも、生者との約定ゆえ立ち塞がる好漢も、世界に恋する少女を狙う悪鬼も、街を狙う天下の害悪も、邪竜と称した天地創世の魔剣も――。
何もかもが同じだ。
守るべきと誓った人から、戦いから、人の想いから退いてはならない。
全てが等しく死地であり、全てが等しく死線である。
ならば、
「――――やってみろ」
決断的に言い放ち、切っ先を向ければ、
「……黙れッ! 痴れ者の触手使いめが! “魔羅もどき”どもが! 愚弄の分、貴様の悲鳴で贖わせてやる!」
唸るように頭目が毒血めいた刀身の魔剣を構え直し、その懐から包丸を取り出す。
粘り着くような殺気が肌を刺す中、シラノは指先に力を込めた。
白神一刀流――その技法はただの剣術にあらじ。己は剣豪にあらじ。
「イアーッ!」
液状化させた切っ先を撃ち出すのと、煙幕が弾けるのは同時であった。
◇ ◆ ◇
執拗に付け狙う、という戦術は人間固有のものではない。
例えば蜂。
無論のことながら意思ではなく分泌物による反応であるが、敵対的な対象へと犠牲を厭わず執拗に攻撃を加える。
或いは損得を気にせず襲いかかるというのも、また生存戦略としては正しい。
まさにその蜂の巣を襲撃する蜜穴熊や寒帯に住まう黒穴熊は、それぞれの捕食の頂点である獅子や熊に臆することなく襲撃を行い、ときにこれを撃退する。
彼らの血は知っている。
被害や損得を気にすることなく襲いかかることこそが、最も被害を少なくすることである――と。
ならば、果たして。
歴然としたヒトに属する小人族がそれを行うのは果たして、淘汰による遺伝なのか。それとも学習した習性であるのか。
その答えは――
「イアーッ!」
マフラーを引き上げ、前方を塗り潰すように覆い隠した煙幕目掛けて放つは“無方”。
毒か、薬か。それとも目くらましか。
面で制圧する極紫色の触手の液体が白煙へと降りかかり、しかし何にも衝突せずに呑まれていく。
不可思議な感覚に眉を顰めようとした、そのときであった。
「疾ぃ――ッ!」
余人ならば目を疑うであろう突撃。
闇夜、毒爪めいた切っ先が輝く。煙幕の末端から、魔剣を握った頭目がシラノ目掛けて飛び掛かっていた。
飛び出したその俊敏な影に、一片ほどの触手の飛沫すらなし。
液状触手全てを受けざるまま、最短距離を突っ切って繰り出された刃――あり得ぬ筈のまさに意表を突くその横薙ぎは、確かに剣士に躱せるものではない。
「ぬ――ッ!?」
だが――シラノは、剣士ではなく触手剣豪であった。
背後から触手で引き絞るブリッジ回避――九ノ太刀“陰矛・弓”。
寸暇、待たずに、
「イアーッ!」
鉄槌めいた爪先が頭目の胴に突き刺さる。
片足が土に沈む。あたかもつがえ引き絞られた弓から放たれた矢の如き強烈な蹴撃は、小人族の身体を宙へと高く打ち上げた。
否、
(合わせられた、か)
いくら触手に強化された運動力と言えども、それほどやすやすと跳ね飛ばせるものでもなし。
奴は咄嗟に腕を合わせ、蹴りを使って己から跳んだのだ。
図抜けた身軽さであった。
上がる高度は位置力。それがやがて頂点に達すれば、運動力として変換される落下の始まり。
如何な小人族の肉体とて、その全てを重りとして使ったならば鉄槌をも超える一撃となろう。鬼人族の一撃をも超える、死出の刺突となる。
だが――しかし。そこは射程距離、五メートル。
「イアーッ!」
矮小な頭目のその体躯を、その背を打ち止める触手の横線。
さながらリングロープめいて、上昇せんとした頭目の身体を無理矢理に引き留めた。
予期せぬ急減速にその手の刃が泳いだ。頭目が目を剥く。懐に伸ばした手が凍る。
即ち必至。
こちらもまた番えられた弦めいて、矢を――頭目を射出する。
「ぬぅ……!」
しかし苦し紛れ、頭目が懐から包丸を放った。
僅かに上乗せされた速度により先んじて飛ぶその球体を、触手の槍が迎撃し――撒き飛ばされた噴煙。
白く、漂う。白く、広がる。頭上を雲めいて覆い尽くした。
シラノの歯噛みは、何よりここからであった。
「……!」
――来ないのだ。
来るべき落下が来ない。目測通りの飛来が来ない。あの加速ならば起こるはずの、墜落が来ない。
己の上方と側方に漂う煙幕を一瞥した。いずこから来るか。いや、強烈な香りを伴うそれは、刺激となって目鼻に突き刺さる。
それ自体が狙いなのか――逡巡したシラノの頭上、影が飛び出した。
反射的に切り払い、気付いた。
「……っ」
宙に撒き散らされた液体。より強い刺激臭。芳香するそれは、可燃性の――。
その、答えとばかりに。
カチ、と。
投じられた火口に引火した煙幕が、爆発が、燃料が、炎としてシラノを覆いつくした。
「愚か者めが! 誰が剣士なぞの理屈に合わせるか! 誰が剣士の戦いをするか! 剣士らは、暗殺者らよりも劣る!」
剣を振りつつ悠然と着地を果たした頭目は、火だるまになって踊るシラノを前に高らかと声を上げた。
隠密、隠匿、奇襲、破壊工作――それこそが〈伏撃猟兵〉の本領なのだ。たとえ天を割り地を砕こうと、使い手はヒト。そうである以上、彼らの業が上回らぬ理屈はない。
剣客、何するものぞ。
如何に天地創世の理を剣として使えようとも、心まではままならぬ。そして魔剣の使い手という心のある者が上位に君臨するというなら、その心を操作できるものがより実質的な支配者である。
そう、意を正に操る〈伏撃猟兵〉こそが頂点であるのだ。
「ふん、武にかまけた愚者めが……! 先ほどの不敬、我が身で贖うことになったな……!」
炎に巻かれてのたうつシラノを眺め、頭目は吐き捨てた。
彼のそれは半ば習性であった。
意をしてから恐怖を煽っていたのでは遅い。それでは決定的な機会を逃すこととなる。故にこそ、口から飛び出すのは常に敵の気勢を削ぐ言葉である。
それを実の伴わぬ滑稽と思う者は、後に思い知ることとなる。まさしく今のシラノの如く――そうして真にその身体に刻まれる瞬間となって、初めてわかるのだ。一つとて虚言ではないと。
ある意味で、その言動は最適化であった。威嚇であり、毒である。
何より――
(いつ見ても、取り澄ました顔が崩れるのは心地よいわ。我ら〈伏撃猟兵〉を見下す者は、こうなるのだとな)
それは、彼の趣味であった。
初めは滑稽な威嚇や虚勢だと切り捨てていた者が、その身を刻まれるときに零す恐怖の顔……それは何事にも耐えがたい法悦である。
「ふん……薬毒に耐性のある触手使いらと言えど、身体に直接打ち込めば無事ではすむまい」
腰から抜き払った曲剣。手首をしならせ投じたそれは円を描き、何とか腕で防ごうとするシラノの腹に突き刺さった。
膝から崩れ落ちつつも、暴れるまま刃が抜けると同時液体が噴出する。メアリが刺したその時の如く、液体が噴出する。
頭目は確信する。
先ほどのあの一件はいざ知らず、これは紛れもなく腹に刃を突き立てられた者の動きだ。
人の動きは随意の筋肉で全て御せるものではない。どう誤魔化そうとすれど、誤魔化しきれないものがある。今度は、確実に命中した。
「……ふん」
焼けこげる身体の痛み。その痛みからくる反応。
突き立った刃の苦しみ。その苦しみからくる反射。
そして、焔と燃料の中から仄かに香る鉄錆の匂い。
いずれも真――であるからこそ、魔剣を片手に頭目はシラノへの距離を詰めた。捕らえ生かしたまま女を目の前で切り刻めぬのは業腹であるが、そこで油断はすまい。
殺せるうちに殺す。それが、この世界の鉄則であった。
だが、
「かか、これが騙しの悦楽よ。……そして喜べ、我こそが貴様の一族郎党、縁者こそをも穢しつくして晒してやるわ! 二度と我らを侮ることのないよう、冥府の女神も見れぬほどになぁ……!」
堪えようとて、腹の内から思い出し笑いが零れる。相手の瀕死の仕草を見定めつつ、それでも抑えきれずに口角が上がる。
死体を用いてもいくらでも辱めはできるのだ。縁者誰しもが二目と見れぬぐらいに穢しつくし、そして嘆く縁者を責め刻むのもまた一興。
毒血めいた刃を両手に、剣を掲げた。
さながら断頭台めいて不気味に闇夜に輝くその刃は、まさしくは不吉の現れ。
いざや振りおろさんと、空を裂き――
「――!?」
がしりと、足首を捕まれる。
その驚愕が顔に現れるよりも早く、
「おごぉぉぉ――っ!?」
――振りつけられた。
脳が揺れた。靭帯が伸びる。腱が伸びる。筋肉が伸びる。強烈な加速に視界が血の気を失った。
そして急停止。世界が赤く染まる。股関節が、膝が、背骨が、両肩が異音を上げる。最も強固な筈の関節を脱臼させられた。
……吊るし責めという拷問があった。様々な器具を使った拷問、道具を使った拷問……形状だけで人に冷や汗を走らせる拷問器具は種々あれど――だが、それよりも最も人が苦しむ責め苦。
それが、吊るし上げ――そして落とすこと。
停止の瞬間、関節にかかる負荷。己が体重が生み出す責め苦は、その苦しみへのよがりは、何よりも凄まじい。かつて幾度もその犠牲者の煩悶を愉しんだこともある。
そして今まさに、返されているのがそれであった。
「イアーッ!」
雄たけびに合わせて、さらに一振り。小人族の華奢な体が、宙を舞う。
それでも魔剣を手放さぬのは、意地か、はたまた執着か。
さらに振り付けんとしたシラノの手から――……重さが消えた。
「小僧ォ……! 小僧ォ……貴様ぁ……!」
そして、視線の先。
初めに飛び掛からんとしていたその位置。先ほどまで煙に覆われていたその位置。全身から冷や汗を流す頭目がそこにいる。
……足を庇う様子は、ない。
先ほどからの不可思議な現象。そして、そもそもの事件の発端からするに、
「……巻き戻す、いや、再現してるのか」
時、或いは本体を含めた動きの再現。
それが――死してなおも騎士に剣を振るわせた、魔剣の権能であった。
「貴様……何故……! 明らかに、直撃していた……その苦しみを、我が見間違う筈もない……! 無から欺瞞で出せる動きではない……!」
「腹なら何度か刺された。身体も焼かれた」
「な……」
「……だとしても、俺はここにいる」
ゆっくりと野太刀を構え直すシラノを前に、頭目が顔を凍らせる。
「そうだとて、あの動きは……あの動きは、人の肉体に出せるものではないわ……! いかにして謀った……!」
「答える義理はねえ」
「貴様ァ……!」
言い捨て、取るは居合の型。
絡繰りは読めた。ならば、あとは憂いなく斬り込むだけだ。
風が吹いた。
互いに剣を構えて、睨み合う。
来るか――そう睨んだまさにその時、シラノの眼前から頭目が消える。
「……!」
咄嗟に振り返った背後。頭目は、そこにいるり
先程宙に打ち上げられ、そして落下する際のどさくさに剣を振るった――その動きを“再現”したのだ。
着地した頭目はシラノに背を向け、その瞳に愉悦を浮かべる。
疾走、撹乱、撤退こそは〈伏撃猟兵〉のお家芸。
逃れてしまえば、たかが剣豪に追い付ける余裕などなし。この魔剣があれば、飛び道具を恐れる訳もなし。
「愚か者めが! まずはあの女からこの世に生まれた最大の屈辱を与え――」
――――だが。
その嘲笑が、凍った。足に巻き付いた触手に表情も動きも凍った。
シラノは、既に仕込んでいた。
闇夜に紛れさせた“無方”による偽血。のたうつ演技のまま、地面に染み込ませた。
先ほど煙幕に放った“無方”もまた土中にて活きる。
かつて頭目が立ったどの場所にも、既に仕込んでいる。つまり――如何に“再現”しようとも、逃れる先はなし。
「すゥー……」
そして――虚をつくという意味では、これこそがまさにそれを指すだろう。
燃え落ちんとするシラノの服の下でその全身を組み立てるそれの最後の欠片――鬼の面頬が顔を覆う。
シラノの足裏で、焼け焦げた衣服の下で、その更に下の外骨格で弾ける爆刃。
踏み出すは神速。置き去るは真影。
己を豪風と為す踏み込みと、握った触手の鞘。
「イィィィィィィアァァァァァァ――――――――――――ッ!」
――――零ノ太刀“唯能・虚”、並びに“唯能・砕”。
抜き放たれし居合刃は、魔剣を握るその腕を斬り飛ばした。
血を振り、峰を左の手骨に添わせ、
「騙し方ってのは参考になった。……そこだけは感謝する」
キン、と鍔が鳴った。
◇ ◆ ◇
「はぁー……あぁー……」
脇の下を抑え、頭目が荒い息を上げる。
その眼前にはシラノ。縦に走った海賊傷の下、闇夜に浮かぶ赤き右目で小人族の身体を静かに見下ろす。
佩いた野太刀の柄元に手が漂う。いつでも、抜き放てる構えであった。
「い……」
頭目が、喉を鳴らす。
……先に、損得を気にせず襲いかかることが生存性を高める動物がいる――という話をした。
だが、その中にも例外がある。
それは、固有の種族ではない。彼ら全般にも言える当たり前の性質だ。
如何に相手を問わず襲いかかる生物とて、絶対に挑みかからないものがいる。
即ちは――――暴風、山火事、猛吹雪、旱魃、噴火、地震。
例えどれほど獰猛であろうと、自然現象に対して牙を剥く生物など存在しない。
怯えを浮かべる頭目は、まさにそれであった。
「い、命……だけは……」
脅迫、誘拐、拷問、煽動、破壊工作――……それはまさに伏撃猟兵の独断場だ。事実として、シラノが勝るところは一つもない。
その観点でいうならば彼らは魔剣をも超え、その分野に限るならば天地創世の魔剣すらも及ばない。
だが、見誤った。
それは、人に対する技だ。人の世が成り立つからこそ、そこで活きる技だ。
「命だけは……どうか……命だけは……」
天地創世の魔剣とは、人の世にあらじ。それは神の世、神の治世。社会を超えた世界の理。
そんな純粋な暴力そのものが、何故に人の世に縛られようか。
自然現象と同じだ。それは法理だ。絶対だ。それに牙を剥く動物など、存在しない。
ならば果たして――それと身一つで相対する者とは、一体なんなのか。
「頼む……!」
生存戦略として損得を超えた獰猛さを表す動物はいる。
ただ、人間は――。
無意識の損得も超えた領域で――――個々の生存戦略とは全く関係な、一見なんの生産性もない理由の為に――――戦える。
或いは忠義。
或いは喜悦。
或いは美学。
或いは仁義。
或いは矜持。
或いは信念。
利害を超え、死の最期まで絶対に貫かれる己。
そんな今まで出会ったことのない人間を、頭目は見誤ったのだ。
「ひ……非礼を詫びる……! に、二度と手を出さぬと約定も交わす……! どうか……どうか命だけは……!」
それこそ真に、損も得もない。
不条理を斬り捨て、ただ道理を通す。その為に磨かれた剣理を前に、如何なる威嚇が意味を為すか。
一念が故に天地創世の邪竜と向かい合いし剣豪。
これまでのような伝聞ではない。己が体験として、頭目は存分に味わっていた。
「あァ……そうだな」
そんな必死の懇願を前に、シラノは一度瞼を閉じた。
そのまま、言った。
「……誓うんスね」
「あ、ああ……誓うとも! それにこの片腕ではもう仕事もできん! どうせ処分されるだけだ……! 里を逃れて遠い国で暮らす! 二度と貴様の前には顔を出さん!」
「……俺とメアリさんのことを、連絡したってのは?」
「さ、詐術だ! 通信板は精々が街一つやその外! ここからではどこにも届けられんわ!」
冷や汗を浮かべたその顔を前に、シラノは吐息を漏らす。
そして、鞘を動かした。頭目が悲鳴を上げる。
「破ったなら、腹ァ切れ。……その時は介錯する」
柄で森の外を指し示す。そんな己に、内心苦い思いだった。
戦いの中で加減をせぬとは決めこそすれ、命乞いをする降り首を斬り捨てるほど非情にはなれない。
やはり、未だに甘っちょろいのだ。自分は。
……そも、戦いとて顔を合わせてしまえば明確な殺しの技すら使えない。グントラムやアルモリアにでも見られたら、なんと言われるか。
「早く行け。……お前の仲間もかろうじて活かしてある。一緒に連れて行け」
「あ、ああ……! わ、我らは魔剣の首無し騎士に返り討ちになったことにでもなるだろう……! あ、安心するがいい……貴様のことは……!」
よく喋る口だな、とふと目を細めた。
頭目が悲鳴を上げて踵を返し――また凍った。
「……なに甘っちょろいこと言ってやがるんですか、剣士さん。こいつらは口から出まかせが得意です。言った言葉なんて、拾えば御の字ってもんだと思ってやがります」
「……」
「元はと言えば、あたしが蒔いた種なんです……降り首をやれねえって言うなら、あたしが……」
「……メアリさん」
「そーですね……。見せるもんでもねーですね。なら、余所で――」
「メアリさん」
じ、と彼女を――彼女の身体を見据える。〈伏撃猟兵〉の言葉に従うなら、彼らへの攻撃に危険を伴うその体を見た。
そして、それとはまた別に言外の意味を込める。
メアリが、辟易したように半眼を強めた。
「まさかそんな、本当に手ぇ出したくらいで臓物どうにかされる呪いなんて――」
「メアリさん」
一度瞼を閉じ、そして開き直す。
どれほど、向かい合っただろう。
彼女は不承不承、それでいて我が意を得たりと頷いた。
頭目が転がるように逃げ去った闇の中、二人の沈黙だけがその場に残される。
いや――
「……お姫ぃ様には、あんたさんが目を瞑ってるときには嘘を言っちゃいけねえと教えなきゃなんねーですね」
「いつでもじゃないです。……外骨格を着てるときじゃねえと、そこまで細かくは」
「そーですか。……今朝の質問、そういうことだったんでやがりますね」
「……うす」
触覚による超感覚――振動が、心臓の鼓動が緊張を知らせてくる。それは、己のものなのか。彼女のものなのか。
そして互いに、いつからだ――と視線を交わした。
◇ ◆ ◇
空は晴天。
世は早春。
祈願祭に合わせて飾られた道には男女連れが多く、いよいよそろそろ踊りの夜も来るだろう。
何の関係か商魂たくましき人々が縁起物の鯨竜を商品化して売りさばく中、フローは仲睦まじそうに連れ歩く男女を眺めて吐息を漏らす。
「シラノくんたち何してるかなぁ……」
折角のお祭りの時期だというのに、彼らは数日前から依頼に出ている。
今年こそは異性と一緒にお祭りに向かえるのかな――なんて晴れやかになった気分はちょっぴり陰り気味だが、いざ祭りだと誘って断られたり道端の雑草を見るような目で見られたりしたら辛い。乙女心である。
……というかやっぱりもっと尊敬とか敬いとか必要なんじゃないだろうか。
想像の中ですら「祭り。……首でも獲ったんスか」と言いそうな彼の態度は目に余るものがある。……あると思う。多分駄目だと思う。よくないと思う。目が怖い。
でもきっとあんな海賊傷と抜き身の刃みたいな目だと女の子とかに声をかけられなくていいと思う。いやそこらへん興味なさそうだけど。というかやっぱりどうでもよさそうに一瞥して素振りとかに戻りそうだけど。
いや、でもよくなかった。……痛そうなのだ。きっと、傷ができたその時は凄く痛かったんだと思う。痛いのを、我慢したんだと思う。誰かの為に。
……そう思うと、フローまで胸が痛くなってくるものであった。
「ふむ」
と、人混みの盾になってくれていたセレーネがぽつりと口を開いた。
「そうですね。……少なくとも今のフロー様を見たら、無駄遣いだと嘆くのではないでしょうか?」
「うぇぇぇぇぇ!? む、無駄遣いじゃないからね!? ボクに無駄とかないからね!? ボクに無駄はないよ!?」
「はぁ……でもそれは流石に」
す、と指差された。
ぬいぐるみである。髪留めである。手提げ袋である。あとは布に描かれた絵とか、そういう色んなあれである。
全部、鯨竜関係である。
……いやだって縁起物なんだし。それにお店の人も道を遮られて怒ってる人たちから立ち退けって言われるから今日で閉店って言ってたし……。売り尽くしだって言ってたし……。その後別の日にも見たけど……。
「そ、そういうセレーネさんはどうなのさ! 鯨竜の刺繍の入った小銭袋買ったの知ってるんだよ!」
「……………………見ていられたのですか?」
「ふふん、勿論だからね! ボクほどにもなると、触手に目だって作れるから! どうだい? セレーネさんの恥ずかしいところだってバッチリだよ!」
ス、とスカートの裾を抑えられた。
そういう意味ではない。そういう意味ではないが、まぁ、ここは明るく耐えた。
頑張った。そう思うと、
「せ、セレーネさんも女の子だから恥ずかしいなんてことはないんじゃないかしら……」
躊躇いがちにエルマリカが言う。
どうにも多少人見知りのところがあるらしいのか、未だに少々会話に混ざるには時間がかかるようだ。
人見知りの気持ちはフローも判るので手を握って判ると言おうと思ったが、なんか避けられた。悲しかった。
でもきっと、悪い子ではないのだと思う。ただ、何かに触ることを怖がっているようだった。
「ええ、私に恥ずかしいことなどありませんわ。……これも形意魔術と同じ。形を模したものを持っていれば、寄ってくるかもしれませんでしょう?」
「は、はい? え、えっと……セレーネさん?」
「ええ。シラノ様はなるべく平和的な解決を望んでいるようですが、寄ってくるなら好都合ではないでしょうか。端から斬って平らげればよいのですわ」
そうしてセレーネは貞淑に頷いた。
仕草は同じ女として憧れるぐらいに楚々としているが、
「うぇぇぇぇぇ……野蛮だよぉ……」
思わずそう言ってしまうのは仕方ないんじゃないかなぁ、とフローは思った。
というか周りに野蛮な人が多くて悲しい。同じように良識があると思っていたメアリが、スリを見かけたときに「腕を斬り落とせば二度としない」と言い出した時は本当に怖かった。
怖いのでシラノの裾を握ろうとしたら、誰よりも早く真っ直ぐにスリ目掛けて走りかかっていった。峰打ちと言ってたけど思いっきり背中を殴ってから駄目押しに膝横を叩くのはやっぱり怖かった。
キミは野蛮じゃないよね――とエルマリカに同意を求め、
「……食べられるの?」
「ええ、それはそれは美味で……まさに舌に乗せたら蕩けるという味わいですわ。……ふむ、せっかくならば〈竜魔の邪剣〉の権能も把握したいところでございますので……如何ですか?」
「で、でも……えっと……」
「……ふふ、良いのですよエルマリカ様。食とは恋にも似ている……好ましいものを傷付けることは、何も間違いではないのです。我々は牙の代わりに剣を握る手を持って生まれてきたのですから……」
「好ましいものを傷付けることは……間違いじゃない……」
裏切られた。いやこれから裏切りをさせられようとしている。
というか、うっとりとしながらそういうこと言うのよくないと思う。大好きなものが傷つくのは辛いと思う。
説得しようかと思ったけど、ひょっとしたら二対一かもしれなくて――
「うぇぇぇぇぇぇぇ……やめようよぉ……物騒なことはやめようよぉぉぉぉ……! シラノくん何してるのさぁ……早く帰ってきてよぉぉぉぉぉぉ……! お姉ちゃん辛いよぉぉぉぉぉ……」
我ながらすごく情けない声が出た。
多分、きっとあんまりにも情けないので周囲の人が振り向いてきた。恥ずかしくてフードを被る。本当に早く帰ってきて欲しい。
すぐに道行く人たちの興味は失せたのか、注目の気配はなくなった。
大丈夫かな、と顔を見上げて――
「あら。ふふ、いい目をしている娘がいるのね……」
かつて歌劇で見た主演の衣装を、より扇情的に直したような服装。闇の中に咲く真紅の薔薇のような女性が、一向に目を向けていた。
腰の左右には剣――妙に不吉な予感を、フローは感じていた。
◆「スレイ・ニンジャ・オール」その三へ続く◆




