第六十九話 スレイ・ニンジャ・オール その一
◆「スレイ・ニンジャ・オール」その一◆
「……何故、生きているのだ」
驚愕に僅かに声を上げた頭目の男と、一斉に武具を構える周囲の伏撃猟兵。
日も陰りし森の中、その空気は冷たく尖る。
己を照準する不可視の刃、或いは明確に抜き放たれた白刃、狩猟弾弓……粘りついた害意が立ち上がったシラノのその身に注がれる。
一瞥すらせず、シラノは端的に一言放った。
「いあ」
それは、刃の監獄。剣の地獄。
爆裂する大地――――白神一刀流・合ノ太刀“土蜘蛛”。
土中から超高速で噴出した触手抜刀と土石が、男たちの小柄な肉体を薙ぎ散らす。
まさに炸裂した土煙から、
「イアーッ!」
空を裂く白刃一閃。
抜き放たれた触手抜刀が、構えたナイフごと伏撃猟兵の腕を斬り飛ばした。
これにて、八人。
薄まる土埃の中、ただ立つのはシラノのみ。周囲を囲んでいた筈の覆面の小人族は皆、呻き伏せるか叫びを上げるか……全てが戦闘不能に仕上がっている。
メアリは呆然と頬を凍らせた。
外套姿で隣に立つ頭目の男が、フードの奥で瞳を細めた。
「……小僧、自分が何をしたのか分かっているのか?」
「……」
「これから貴様は影につけ日向につけ、我々に命を狙われるのだ。敵対することがどういうことか、身を以って味わうがいい……! 我らは決して退かぬ……最早、貴様に安息のときはないということをな……!」
免れぬ報復行動――。
怯えた視線を走らせたメアリの先、獅子丸の柄に手をかけたシラノは、
「あァ……そうだな。探し出す手間が省ける」
抜き放つなり、獅子が吠えた。
月夜の下、その白刃は確たる意志としてそこに在った。
「……何? 小僧……今、何と言った?」
「死にに来るなら都合がいい。……一族郎党、そういう趣味か」
「貴様……! 口の聞き方に気を付けろ、小僧……!」
圧力を高める頭目を相手にも、目を刃めいて尖らせたシラノは動じない。
あたかもこの世に生まれた最初からそのつもりであったとばかりに、その刃の意思は揺るぎを見せなかった。
忌々しげに頭目が舌打ちした。
「……若いと、想像が及ばぬか? 己の肌を虫が這い回るその痛苦が……蛆がその肉を喰らう感触が……身動きの取れぬ中、爪先から切り刻まれる恐怖が……! 死を願うほどの汚辱と苦痛が……!」
頭目の静かなる憤怒の声に合わせて、再起不能に追い込まれていた男たちが死人めいて起き上がる。
また、或いは振動。
辺りを覆う木々の枝がしなり、その葉が溢れる。
……やはり、先ほどシラノへの応対をしたものは使い潰せる下級の者か。頭目は、備えていたのだ。そして待っていた。
会話に隠して完了された配置から、不可視の弾弓が引き絞られる。
天地左右全てを囲まれし中、シラノはやおら呟いた。
「斬り合いたくねえ……」
「……?」
「……俺にはそう聞こえる。大層な文句を並べて、したいのは命乞いか?」
それが、引き金だった。
瞬間、殺気がシラノの肌を刺す。――否、殺気だけではない。明確な凶器として襲いかかった。
空を裂く短剣。乱れ飛ぶ毒弾。疾走する吹き矢。投擲されし煙玉――……只なる身では十度は死せるという殺意の攻勢。
ただの冒険者では姿も拝めず、立地によっては〈銀の竪琴級〉ですらも血祭りに上げると言われる斥候猟兵の必殺の連撃であった。
だが、
「いあ」
轟、と一閃。無数に連なる数多の一閃。
虚空から湧いた触手が振り切った刃の一撃は、爆裂する抜刀の一撃は、二十七本の一撃は、ただの一振りでその全てを殺害した。
直後、疾走。
咄嗟、飛び降りた伏撃猟兵がメアリを掴みその首へと刃を突きつけにかかる――だが、
「いあ」
射程距離五メートル――そこは、すでにシラノの領域だ。
疾風めいて巻き締める触手。虚空に湧き、男の四肢を拘束する――直後、無数の刺棘がその手足を貫き砕いた。
人質。
頭目が転がり脱せられたのは、ひとえにその差に過ぎなかった。
「……よほど考えが及ばぬか。よほど恐れを忘れたか。……小僧、貴様は死出の危険にも気付けぬほど狂ったのだな」
体勢を立て直した頭目が発するおどろおどろしい言葉を、
「メアリさん」
「……っ」
「大丈夫です。……生きて、エルマリカのところに帰りましょう」
「ぁ……」
睨んだまま、抱きかかえたメアリに言う。
胸を押し返す手の力が、弱まった気がした。
「そんな薄汚い女一人の為に、自ら痛苦の海に飛び込むとはな。よほどの死にたがりか、小僧」
「……」
「……それとも仕掛けられた色が、よほど心地よか――」
「イアーッ!」
待たぬ三段突き。頭目は、爆発四散した。
「……話を解する知性すらないのか?」
「畜生に語る言葉はねえ」
否、爆散させた筈の影が寄り集まり、再び姿を作り上げた。
如何なる技術か術式か。はたまた何かの呪いか。
やはり、一筋縄では行かぬか。
呼吸を絞るシラノの間近くで、
「……〈人食い植物〉」
メアリが呟くと同時、辺りを緑が覆い尽くした。
◇ ◆ ◇
思った以上に強固な植物の壁の中、シラノは獅子丸に代わり霞を放つ野太刀を握った。
如何なる絡繰かは知らない。
だが、半不死たる淫魔を殺害せしめた触手の刀だ。不死ではない。何らかの術に他なるまい。
いや――仮に不死だとて、何にせよ変わらない。阻むと言うならただ切り捨てるだけだ。そう決めたなら刀を握り続けるのみ。他は考えるべきではない。
「こうしちゃいられないです。さっさと叩き斬らねえと……逃がす訳にはいかねえ」
柄を握りしめて見やれば、青い顔のメアリが躊躇いがちに口を開いた。
「あんたさん、怖くはないんですか……?」
「正直な話……確かに怖えっス」
「だったら……!」
「うす。……だから、ここで根絶します。狙われ続ける気はない」
厳かに頷いた。
ああは言い放ったものの、突け狙われたら万一もあり得る。ましてや、フローに魔の手が及ぶこともある。
須らくこの野山に埋めていくのが、最良の手段だった。
「なんで……なんで、コトを構えるんですか!? あのまま大人しく死んだふりしてりゃあよかったじゃないですか!? なんでこっちに話合わせて寝てやがらねえんですか!? そう仕組んだってのに!」
「……ああ言われて、寝てる理由はねえ。あなたは俺の恩人だ」
「なっ……!?」
「……もうこんな脅しなんてさせねえ。ここで潰す。全て埋める」
拳を握り、決断的に頷いた。
影からメアリを脅し使うなら、姿を表した今が好機であった。
「……何言ってるのか分かってやがるんですか? あんたさん、あたし一人の為に伏撃猟兵全てを敵に回すってことなんですよ!? 常に狙われ続けるんでやがりますよ!?」
「うす。だからここで根元を断ちます。情報は持ち帰らせねえ。……こんなのは、今日で終わりだ」
これまで肉体を虫に食われながらも平静な顔を崩したことのないメアリが、感情のままに声を荒らげる。
その意味が判らぬシラノではない。
いや――故に、であった。
「……ねえ。あんたさん、これから冒険者として等級をあげるんでしょう? 色々と未来を広げるんでしょう? まだ、若いんでしょう? こんなつまらない事で諍いを起こしてどうするつもりでやがるんですか?」
「メアリさんは、俺の命を助けてくれた人は、つまらねえことなんかじゃ断じてねえ」
「……っ。あたしは――……あたしは、血塗られた執行騎士でやがるんですよ? おまけに出自なんて、伏撃猟兵の下っ端なんですよ? あんたさんが、そこまでするほどの相手なんですか?」
「出自で人を差別する趣味はねえっス」
「なら、あたしの所業は? 随分と血塗られた仕事ばっかりしてきたんです……ここでその辺の骸になっても、誰も文句言えねえことをしてきたんですよ!?」
最早懇願を通り越して、罵倒に程近くなるほどの狼狽を見せるメアリ。
これまでかつて見たことのないその顔、聞いたことのないその声。彼女は何としてもシラノを遠ざけようとしていた。
それほどまでの恐怖。それほどまでの忌避。いや――そんな感情を抑えられなくなってなってなお、彼女はシラノを庇おうとしているのだ。
だからこそ、静かにその瞳を見詰め返した。
「……それは、愉しんでましたか?」
「……っ」
「言いたくなったら、その辺の話を聞かせてください。…それにこれはもう、メアリさん一人の問題じゃあない」
「え……?」
――〈ふん〉〈呪われた触手使いが〉。
――〈触手使い風情が〉〈思い上がるからこうなるのだ〉。
――〈お前のような混じり者が〉〈呪いを身に負いしものが……〉〈我らに牙を剥いて許されると思ったか?〉
ギリ、と歯を食い縛る。
「……“呪われた”なんて……ああ言われて退く義理なんざ、俺はハナから持ち合わせちゃいねえ」
ざわ、と焔のように己の全身が総毛立つのを感じた。
誓ったのだ。この世界で目覚めて、誓ったのだ。
たとえ何が相手であろうとも――どんな相手であろうとも、触手使いを見下す相手全てを斬り伏せるとも。
そして、呪われたという言葉は許さない。それを、他でもなく己と剣に誓ったのだ。
「さっき、俺とエルマリカがよく似てるって言いましたけど……」
「……なんです?」
「メアリさんとエルマリカの方が似てます。二人とも、よく似てる」
「は?」
何を言いたいのだ、と。
怪訝そうに眉を寄せたメアリへと、シラノは決断的に言った。
「……つまり、俺に二言はねえし……何が相手でも俺に退く気はねえってことです。向こうがそのつもりなら、あとァ一族郎党全て叩き斬るだけだ」
そうとも。
やるしかないときは、退くべきではないのだ。
何故なら――
「なんで、なんですか」
「俺は、触手剣豪だ。……男に二言はねえ。呪われた、なんて言葉は許さねえ」
言い切れば、メアリは項垂れるように口を閉じだ。
◇ ◆ ◇
土の匂いと血の匂い。入り混じったそれが、鼻を刺す。
早春の冷たい夜風が頬に刺さり、無意識にマフラーを引き上げた。
あれだけ打ちのめした小人族たちの姿はどこにもなかった。まだ、動くだけの気力があったのか。それとも誰かに動かされたのか。
あの魔剣――〈幻髪の血剣〉もまた、回収されていた。
ああ言えども、魔剣の強力さは知っているのか。……単に口にした男と異なり、頭目には多少の能はあったのか。
あの騎士の剣が。
死人になりながら村の為に戦い続けた剣が、人の嘆きと絶望を喰らう血塗られた殺戮者に奪われた。名誉と尊厳を踏みにじる殺戮者に盗まれた。
(あァ……なら、決まりだ。手前ぇで手前ぇの首を絞めたな)
静かに吐息を漏らす。……メアリには、決して顔を出すなと申し伝えた。
「ふゥー……」
右の赫眼で以っても見通せぬ森の闇。月光に白く浮かび上がる木々の幹は視界を遮り、闇を吸った葉はどこまでも生い茂る。
かつて、己自身で言った覚えがある。
斥候猟兵は魔剣使いにも勝るとも劣らない。油断ならない相手であると。
そして今回は、その敵が得意とする森林。夜の森林。正にその独壇場での戦いである。
アンセラの如く鼻が利くなら、シラノにも罠の気配を感じられたであろうか。隠密外套に身を隠す伏撃猟兵たちを見つけられただろうか。
だが、シラノはアンセラではない。或いはメアリのような野外での術も持たない。ここは、まさしく如何ともしがたい敵地であった。
「……」
踏み込めば、どんな罠が張り巡らされていようか。
十歩歩くまでに何度死のうか。
まさしく敵陣。まさしく敵地。ここは紛れもない死地であり――
「イィィィィィィィィィイイイイアァァァ――――――――――ッ!」
――敵地なら、吹き飛ばしてしまえばそれでよい。
宙に呼び出した二百五十六の召喚陣。百二十八の剣。百二十八の触腕。
その全てを、爆発的に射出させた。
次いで掴むは弓。番えるは矢。
そして天頂高く射出した嚆矢のその身に蓄えたるは“帯域”の陣。
条件罠のその陣は、翻れば自動索敵照準装置の意味を持つ。
鷹の目の如く、ヒトの及ばぬ上空から――狙い澄ますは触手の百眼。無数の魔法陣。
狙うは数多。向けるは数多。その森に存在する生体反応の内、不可思議に息を止め身動きを取らぬ影だけを狙い付ける――。
「イアーッ!」
そして、放つ。無数に放つ。
闇夜を割いて上空から降り注ぐ触手刃の剣閃が、正に流星めいて森そのものを数多に叩きのめす。
無論、
「イアーッ!」
着弾した刃からさらに弾けさせし触手抜刀。音速抜刀。魔剣を砕く絶技の抜刀。
念入りに打ち砕く。念入りに斬り倒す。
噴煙が上がる。爆音が響く。
過剰とも言える最大火力で、正に地上戦艦めいたシラノの砲撃は止まらない。
百で足りぬなら千、千で足りぬなら万――そんな意気のまま繰り出される己に持てる触手の最大火力が、続けざまに射出され続ける触手の連続砲火が、物言わぬ森に悲鳴を上げさせた。
「……」
そして最後に生み出したるは一矢。同時、地に突き立てたる二十の矢。
それらを磁石めいて合一させ、その霞を頬に感じながらシラノが睨むは宙に浮かべた帯域の陣――探知機めいて走る電撃。条件罠を転じて索敵に用いる殲滅地図。
狙うは反応のその密集地。そこを僅かに避けた地点。
きりきりと、引き絞る弦が震える。
巻き込まれてしまった罪なき森の生物に詫び、いざ、放つは一発。
「イィィィィィィィィィアァァァァァ――――――――――ッ!」
実に――触手六十段突き。
音速の百二十倍へと振り切ったその矢は、反動は、赤熱は、その身の運動力だけで剣の二百五十倍の質量の火薬に等しい破壊力を生み出す。
大規模爆風爆弾――爆風により兵を死傷させる、全ての爆弾の母と称される爆弾がある。
今放った一矢は、正に、それであった。
「……ッ」
吹き込み、そして吹き荒れる。
強烈な衝撃波から顔を庇ったのみで、シラノは揺るがずに立つ。
上がる土煙と、跳ね上がった木々の破片。やがて豪雨めいて降り注ぐそれら土砂は、今外から見ればキノコ雲をあげているだろうか。
地に突き立てた野太刀を引き抜いた。触手の鞘に納め、掴むはその柄。
マフラーを引き上げ、吐息を絞る。
「……あとは、お前か」
呟くシラノの眼前。
やがて晴れゆく土煙から姿を現したのは、頭目の男ただ一人であった。
「貴様……! 小僧ッ……!」
息も絶え絶えに現れるその身体は、十分に爆風と破片に打ちのめされたのであろう。
毒血を脈打たせたような魔剣――〈幻髪の血剣〉を片手にしながらも、その姿に冴えはない。
「狂った技でふざけた所業を……この痴れ者が……! 狂ったうつけ者が……!」
「手前ぇがそれを言うか。……お前がその剣を持ち出さなければ、こうはなってねえ」
「何……?」
眉を上げた頭目へ、シラノは静かに返した。
かつて邪教徒と死合ったその時と同じだ。出現に魔術を使えども、逃走はその足によってであった。
いくら邪教徒が愚物とはいえ……いや、臆病者の愚物だからこそ転移で逃げぬ理由はない。
その答えは、ただ一つ。
「魔剣と魔術の併用はできねえ。……その剣がない時点で転移してねえのは判った」
「……っ」
「お前が欲を掻いたが為に、こうなったんだ。……うつけなのは、誰だ」
つまりこの惨状は――全て男の自業自得であった。
「その為に、この森を焼き払ったというのか……! クク……関わりのない者も、人質にしていた貴様の知人もみな巻き込まれた所業を我の業と呼ぶか!」
「……」
「取り澄ました顔をするな……! 貴様こそは狂った殺戮者だ! 根底から心が歪んだ、ただの気を違えた戦鬼なのは貴様の方であろう!」
「……だとして、お前が許される理由にはならねえ」
それに、と吐息を漏らす。
「この森に、人は立ち入らない。……そんなことも調査していねえのか」
「……ッ」
「グントラムさんがついていながら、やすやすと不覚をとるとも思えねえ。……アルモリアさんだって、ああは言っても放っとかねえだろう」
つまり――こんなのはただ、シラノの動揺を誘おうとした欺瞞に過ぎない。
思えば、初めからそうであった。
ひけらかすのは暴力と脅迫ばかり。真に実力がある者であれば、そんなものを出す必要はない。
分かり切っているのだ。
損得勘定なく付け狙って恐怖を支配することでその勇名を馳せようとする手合いは――それしか手段がないから、そうしているだけである。
「言いたくはねえが……達者なのは口だけだな」
「貴様ぁ……ッ!」
他人を貶めるのはシラノとて好んだことではないが――……メアリをああまで侮辱した手合いだ。容赦の必要は、微塵もなかった。
男の顔に殺気が満ちるのを捉えつつ、腰に差した野太刀の鞘を返した。
やることは一つだ。
この先二度と立ち直れないほど、徹底的に叩き潰す――一族郎党のその心を折るだけだ。
「クク、既に連絡は済ませた……ここで我を斬ろうとも、この先貴様の下には我が一族が襲いかかる」
「……」
「その不必要なまでに傲慢な態度……そうすれば、我らは諦めると思ったか? 否だ……! 貴様だけは、我らが一族にかけても闇に葬り落としてやる……!」
「……」
見抜かれていたのは、やはりそうは言ったところでそれを生業とした一族か。
しかし、
「そうか。……不幸中の幸いだな」
「何?」
「手前ぇだけは、これからその一族が滅ぶところを見ないで済む」
シラノが刃めいて目を細めると同時、
「小僧――ッ!」
毒血を脈打たせた魔剣を片手に、頭目が地を蹴った。
敵は魔剣――。
いざ、死地の幕開けである――。
◆「スレイ・ニンジャ・オール」その二へ続く◆




