第六十八話 イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ その六
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その六◆
見上げれば、見知らぬ天井だ。……いや、グントラムの雇い主の屋敷に泊まったのだった。
何度か拳を握り、ベッドから身体を起こす。
ひとまず、安堵の息を漏らした。
手や足はある。どこにも怪我はない。よほど自分の精神の根底は、戦闘即ち大怪我という観念にとらわれていたのか、なんとも凄まじい夢を見た。
獅子にじゃれかかられたり、また鎧騎士と死合う……恐ろしい夢であったが……。
「……鎧は、出ねえか」
あの夢は見なかった。あれが暴走を表すのならば――触手の感覚器を使うだけでは、ひとまずは暴走には近づかぬらしい。
おそらく、身体の動き全てを任せる触手外骨格と感覚器を一つに委ねるあの疑似心眼、そして魂に直結した思考加速の併用――……それが、我が身の支配率を崩すことに繋がるのだろう。
あと、五度。
回復するのか、しないのか。五度と言っても五度目で終わりなのか、五度目までは安全の圏内なのか。気にはなるが、確かめるのはまた危険が伴う。
「……」
……やはり一度、触手使いの里にでも顔を出すべきか。
里と言ってもまぁ、柳生の里のようなもので暮らす人間全員が触手使いではないそうだが……大元はそこから派生した身だ。
フローの実家に挨拶がてら、継承されている言い伝えを確かめるのも良いのかもしれない。
……というかもう、その当のフローに三日も会っていない。今日を入れれば四日目だ。四日もだ。四日である。
彼女は息災にしているかと僅かに俯けば、扉が開いた。
「おや、おはよーございます。……もう少し寝てたら、おねーさんが刺激的なお目覚めにしてあげたんですけどねぇ」
「……。……なんスか、刺激的って」
シーツを腰の前まで引き上げれば、意味深な半眼で見られた。
苦手だ。そういう話は、というかそういう揶揄をしてくるメアリが苦手だ。
結婚前の男女がそういうのはよくないと思う。
いや、結婚前でなくともいい。せめて将来を誓い合った――ではなく、恋人同士とか何かそういうお互いに何かしらの合意がある関係とか、そうでなくともせめて好き同士とか何かともかくそういうのじゃなきゃ駄目だと思う。
ともかく不健全だと思う。そういうからかいはよくないと思う。とにかくよくないと思う。
シーツを胸元まで引き上げた。メアリにまた流し目で笑われた。
「さ、んじゃ朝ご飯にしましょーか。おねーさんが腕によりをかけて作ったんで、おいしいと思いますよ?」
「うす。……その、メアリさん」
「なんです?」
「……話が、あるんスけど」
獅子丸を身体に寄せて見詰めれば、メアリは僅かに目を見開いた。
そして、
「……おや。ついにおねーさんの気持ちに応える気になった、と」
「いや……」
「んー……じゃあ、若い気持ちの色々を抑えられなくなったとか? 戦いの興奮で色々と堪え切れなくなったとか? 我慢の限界とか?」
「……同じ意味じゃあねえっスかね、それ」
瞼を固く閉じて、マフラーを上げる。
「……メアリさん、俺に何か隠し事とかありませんか?」
「乙女には秘密はつきものでやがりますんで。……あ、おねーさんの秘密を暴きたいですか? 具体的には服のこの下なんかを」
「……。……なんか、悩んでることとかねえっスか?」
「悩み。……そうですねえ。適齢期なのにいい相手がいないことですかねぇ」
「…………。助けとか、必要だったりは……」
「……ああ、そりゃ必要です。早くご飯を片付けちまって下さいな。昼前にはここを出ちまいましょーね」
にべもない。
スタスタという規則正しい足音のまま、メアリは立ち去ろうとする。
ふと、その背に投げかけた。
「……俺のこと、どう思ってますか?」
開きかけた扉が軋み、僅かに空気が室内に流れ込む。
足元の埃が俄に煙立つ中、
「なるほど、これは……。ふむ、随分と直接的に誘われてるんでやがりますかね。……ん。優しいのと激しいのどっちがいーです?」
「断じて違います。断じて」
断固として首を振る。
改めて開き直した瞳の先で、メアリは相変わらずの半眼だった。
「……」
互いに無言のまま閉じた扉に、シラノはゆっくりと腰を上げた。
そして、服の上から胸を撫でる。そのまま重く、吐息を吐いた。
◇ ◆ ◇
そして、一夜明けた村の広場。
早春の風が肌を刺す中、一同は顔を揃えていた。
「いや、今回はまんまと奪われたな。……この間も言ったが、奪い返す気も起きん。いいや、奪いたくて奪いたくて何としても万全を整えて挑みかからねばなと思う」
「ええと……」
「賛辞だ。受け取れ、勇者よ。いつかその身の剣も拝んでみたいものだ……それが秘した剣というなら、是非とも奪い取りたい」
ニィと頬を上げるグントラムに、何も言えずに黙り込む。
彼ならやりかねない――というかできかねない。オークの剛力ならば、確かにあの技の再現もできよう。それもシラノ以上の破壊力で。
そう思うとなんとも言い難い気持ちになる。
ただ、古の剣豪が奥義や秘中の秘を定めたのもこんな気持ちなのだろうかと思えば――中々に愉快だ。自分が、彼らと同じ場所に立つことになるとは思わなかった。
いやそう思うと、元来は一部の家などにしか伝わらなかった流派を簡単にどこでも学べるようになった現代というのは凄まじいのではないか。
そう思えば、もう少し生きている間にその手のものに触れておけばよかったと――……脱線した。
「シラノよ。いずれどこかで見えるときがあれば、またこうして語り合おうではないか」
「ええ、グントラムさんも……お元気で」
「ふ、次は敵味方を望むがな。お前と剣を交えられるというのであれば、それに勝る幸福はあるまい」
「……」
複雑な気分だった。
少なくとも顔見知りと命懸けの斬り合いをする趣味はない。セレーネは除く。
ともあれ、再会を願うしかないと――その厳めしい巨体を揺らし立ち去ろうとしたグントラムが、不意に傷だらけの身体を向けた。
「シラノ」
「……はい」
「奴は……戦士として逝けたか?」
「おそらくは。……俺も、死力を尽くしました」
「うむ。ならばよし。……あれほどの使い手だったのだ。それが男として死ねぬとなると私も惜しい。やはり、戦士は戦士との戦いの中で果てねばな」
「……」
「……願わくば我が死に場所も、お前の近くならいい。私の武具を奪って欲しいからな」
「俺の近くでは、死なせないですよ」
「ふん、死神の獲物をも奪うと言うか。お前もまた剛毅な男だな。……ああ、ヒトにしておくのが惜しい。我が里にも存分に馴染むだろうに」
そして、スっと差し出された拳と拳を合わせる。
この世界で得た、ある意味対等な同性の友人であった。
分かれはそれきりだ。次は、どこで会うかは知れない。或いは、どちらかが果てるかもしれない。
それでも再会を願いたいし――……またこうして語り合いたい。その想いは、きっと同じであろう。
そう思っていれば、
「ええと、なあ……」
「……俺に何か?」
苦い顔のラッドが目の前で眉を顰めていた。やはり、その背にはメリナを庇っている。
欲しがっていた魔剣を掻っ攫ったのだ。恨み言の一つでも言われるか。
そう思い静かに息を抜くと、ようやくラッドが切り出した。
「……アンタ、オレと同い年ぐらいなんだよな?」
「まぁ。そうじゃないっスかね」
「それなのに……魔剣と、戦ってるんだよな? 勝ってるんだよな?」
「……何本かは。それが何か?」
「いや……」
何を言いたいのか、今一つ要領を得ない。
正直なところ、別れの挨拶ぐらいはするかと思っていたが……逆に言うとそれ以上は話すほどの間柄ではない。
シラノ自身もそう思っていたし、あちらも同じだろう。
だからこそ、こうして引き留められるのが意外であり――
「オレは〈銅の剣級〉だ」
「……」
「いつかオレも魔剣に勝つ。オレも、二つ名持ちになるんだ」
「……うす」
「必ずオレも実力で勝ってみせる。その時は……オレのことを、居ても居なくても変わらねえみたいには扱わせねえからな!」
「そうスか。……頑張ってください。応援してます」
「うるせえよ! だからなんなんだよその態度! 眼中にないって顔しやがって! 必ずアンタの上を行ってやるからな!」
それきり踵を返したラッドは、勇み足でグントラムの後を追っていく。
指を突き付けられたときはへし折ってやろうかと思ったが……まぁ、彼もまた事情というのがあるのだろう。ぎこちなく一礼して去っていくメリナを見送り、頭を掻く。
……こういう態度が女性受けが悪い原因なのか。
だが、悪感情を持ってくる相手にどう合わせればいいのか。笑顔で応対すればいいのか。コンビニ店員のように。
……絶対に無理だ。そんな器用なことはできない。
ううむ、と眉を寄せれば、
「やーやー、お疲れー。寝れたー?」
ひょこ、と茶髪を揺らしながらアルモリアが現れた。
彼女は、グントラムたちと行動を共にしないらしい。……元の目的を思えば、当然か。
「……そういえば、アルモリアさんはどんな魔剣を持ってるんですか?」
「ん、いやあ――……って、話しちゃ駄目でしょ。得意げに権能を喋る奴なんてね、友達いない寂しい奴なんだよ? あたしはいるからねー?」
「……」
いるのか、と眺めた。
でも、いるだろう。普段は飄々としているが、多分根はかなりの常識人だ。シラノがこれまで出会ってきた中でもおそらく五本の指に入る。というか今まで非常識な相手が多い。
いや――。
アンセラ、リアム、ジゼル、リアーネ、イングリッド、シグネ、アネット、メアリ、アレクサンド、ノエル、リュディガー、レオディゲル、ジュエル、グントラム……指折り数えてみたが、主に交流した常識人だけで両手の指は溢れそうだった。
何故非常識ばかりと思ったのか。きっと印象の罠だろう。
「どしたの?」
「いや、アルモリアさんは……何というかこう、常識的な人だと思って」
「いやー、非常識だよ非常識。よく考えなよー。あんな聖約で戦いに参加しないの、多分あたしぐらいだよー?」
「聖約?」
「うーん。神様と何よりも自分に誓った縛り……みたいなのかねぇ」
ふむ、と頷いた。世の中にはまだ知らないものも多いものだ。
「……ま、そだねー」
「アルモリアさん?」
「……ああ、コレ、別に大したことない魔剣だよ? 単に斬るだけ。斬って殺すだけ。肉体も魂も概念も歴史も……存在そのものを斬って、世界に刻み込んじゃうってね」
「世界そのものに……刻む……?」
「……なーんてね、冗談冗談。天地創世の魔剣でもなきゃ、そうそう酷いことにならないよー? それにこんなの珍しくないしね? そういう神様由来のキミの触手も近いことできるだろうから……ほらほら、どこにでもある権能でしょー?」
「え。……いや、えっ?」
「と、口から出まかせを言ってみるアルモリアさんでしたー。じょーだんじょーだん。全部冗談だよーっと」
「ええと、ああ……あの、これは――……からかわれてるんスか、俺ぁ」
「んっふっふー、ってな感じで煙に巻いてみるのができる女って訳でねー。どうどう? 先が読めなくて気になる女って何か良くない? 格好良くない? 惚れちゃわない?」
「ええと、はぁ……」
謎のウザ絡み。……いや、そういうキャラだったか?
彼女に限らず、剣鬼というのはそういう生物なのだろうか。
少し打ち解けたと思った矢先にはこれ。仲良くしてくれるつもりなら素直が一番だと思う。いや、素直に切りかかられても困るけど。
いやそれとも、やっぱり打ち解けてないのだろうか――などと眉を掻こうとすれば、剣気が叩き付けられた。
「――ッ」
思わず獅子丸に手を伸ばす。手を伸ばして、止める。
シラノのそんな様子を眺め、クドランカ……いや、アルモリアはニィと目を細めた。
「ああ、キミはいいねぇ……やっぱりそうだ。なんていうか、キミには死への恐れがない。いや、少し違うかな? 戦いは怖いって感じだし今みたいに危機感もあるけど……んー、でもさ、なんか違うんだよねぇ……」
そしてまた、三日月の笑み。表情だけに剣呑さが現れる。
濁ったような狂ったような歪んだ虚無的な目のまま、彼女は続けた。
「どれだけ覚悟していても、本当のところは誰にも判らない……っていう死への不安がない。割り切っても愉しんでも呑み込んでも……それでも“死んでみなきゃ判らない”ってところの未知への不安がない」
「……」
「だから優しいのかねぇ……。死ぬことがどれほど怖いことか判ってるから、苦しいことがどれだけ辛いか判ってるから……だからこそ人に優しくできるみたいな? それとも、元々そういう教育とかされてた? 人には優しくしましょう……って感じのやつ」
「……」
「んー……それはどうでもいいや。ま、何にしてもきっとあたしの友達みたいな人でなしの剣鬼に気に入られるよ。その子だけじゃなくて――……剣をやってる奴には気に入られる。だって、一人だけ答えを持ってるんだからねぇ」
「……さっきから、何が言いたいんスか」
やはり、読めぬ。
飄々と表情が変わっていく。警告なのか雑談なのか、注意なのか感想なのかが――よく分からない。
「うん? ああ――少し気に入っちゃってね。あたしの中の人でなしの半分が、キミのことを斬ろうかなーって。……だってさ、キミ、答えを知ってるのにそんな澄まし顔なんだもん。一人締めしちゃって――……振り向かせたいでしょ? 皆、無意識にそう思うよ?」
「……」
「もう半分は、まぁ、生きてまた会いたいかなーって。今回のこともあるしね。お茶ぐらいは奢ったげるよ。……だから、あたしみたいなの相手に気を許しちゃだめだよ? 約束だかんねー?」
「……うす」
何がかは分からないが……やはり、警告をしてくれたのだろうか。
善人のような悪人のような、よく分からない少女だった。
……いや、彼女の言葉を借りるならば、剣鬼なのだろうが。
「ん。……じゃあねー。死ぬならあたしと立ち会ってから死のうねー」
後ろ手にひらひらと手を振って、アルモリアも去っていく。
そしてポツリと二人残されたシラノは、言った。
「メアリさん」
「はいはい、なんでやがります?」
「剣鬼ってのは……皆、あんな感じなんですか。分かりにくいというか……何考えてるか判らねえというか……」
「え」
「……なんスか? どうしました?」
それから何度か問いかけてみても、メアリからは目を逸らされ続けた。
解せない。謎の応対であった。
◇ ◆ ◇
あの家の少年は、やはり、かつて首無し騎士と親密に交流があった者の家系だった。
故にあの村に縛られることになり――……ともあれ、それももう終わりだ。今後は、どこにでも行けるようになる。すぐは無理だとしても、あの村にも商人などが訪れるようになるだろう。
村の面々に挨拶を済ませ、森に足を踏み入れること数時間。
出かけとは違い、多少は慣れた。思ったほど時間はかからないと見えた。
「……そう言えば、メアリさん」
「どーしました?」
「俺が〈竜魔の邪剣〉を叩き折って……あれから、大丈夫だったんスか?」
「……というと?」
「いや……あの淫魔曰く、抑止力だと。竜の大地にはこの国以外にも、国はあるんスよね? そんな中で……天地創世の魔剣が無くて、大丈夫なんですか?」
覚悟はしていた。折り込み済みではあった。同じ場面に遭遇すれば何度でも同じことをする。
ただ一方、気が咎めるというのもまた確かであったのだが……。
「ああ、そーですねー……。〈水精の聖剣〉は角笛の島に、〈冥府の大剣〉はウァウスリウトの墓守の国に、〈赫血の妖剣〉は抑止の一族に、〈炎獄の覇剣〉は行方知れず……とまあ、確かに色々と散っちゃあいますけど」
「……」
「大丈夫ですよ、少なくとも一本はあれば。昔から、天地創世の魔剣は戦には使われないんです。……それこそ、帝国の昔からね?」
「そうなんスか? なんでまた?」
「さぁ。……ひょっとしたら、〈不滅の極剣〉を持った〈秩序と勝利の女神〉が降臨しやがっちまうからかもしれませんね」
「降臨? するんスか? 神様が?」
「まさか。今更、神様が降りてくる訳ないでしょう? さんざん人間同士で魔剣で争って、おまけにあの〈剣と水面の神〉による大虐殺ですよ。今も地上に魔物が出るの、その時の火の七日間が原因って言われてますしね。愛想つきてるでしょーよ」
それは初耳だった。
天地創世神話、もう少ししっかりと学んだ方が良いのかもしれない。神の名前を覚えきれなくて、あまり得意ではないのだが。
……と、
「……主は居なくなったのに、出るんスか」
「まぁ、もともと祈願祭の時期でやがりますからねぇ」
蒼い靄と共に、周辺を旋回する〈苦しみの幽鬼〉。
僅かに、周囲の気温が下がったかのような気がする。捕獲して飛び立てぬように叩きのめせば、夏には有用かもしれないな……とふと思いつつ、
「さて、じゃあ折角なんでこの手の化け物についての話でも――」
「イアーッ!」
爆発四散。
やはり極超音速の剣速には及ばないらしい。人間なら、ミンチと言ったところだろうか。
メアリが半眼でジトっと見上げてきた。その目に含まれているのはおそらく突如として発せられた轟音に対する批難だろうが……それでも多少は驚愕してくれているらしい。
見識深い彼女を驚かせられたのなら、まさしく剣技の冥利に尽きると言えるだろう。
そうしてまた歩き出し、
「あ。あれは〈見放されし者〉ですね。魔剣には多少強いんでやがりますよ。ってのも、実に珍しい“卑”ではなく“貴”に属する――」
「イアーッ!」
またもや爆発四散。
「……ああ、あれ。名前は〈盗み木の蔦〉と言いまして、迂闊に触ると取り込まれて危険なんで――」
「イアーッ!」
すかさず爆発四散。
「…………〈雑草纏い〉です。あれはね、魔物の中でも変わり種の成長体で、茂みに潜んで人を襲う――」
「イアーッ!」
よどみなく爆発四散。
「………………〈潜みし者〉。何かにつけて見間違えらえれたり、うちら森人族とはわりと馴染みが――」
「イアーッ!」
紛れもなく爆発四散。
繰り返すこと、実に何度になろうか。すっかりと日も落ち始めていた。
ましてや森の中なら、特に翳りは早い。
幾度となく戦闘の危機に晒されたからか、メアリは完全に疲れ切った顔をしていた。
不機嫌そうな半眼から、ボソリと言葉が零れ落ちた。
「……お姫ぃ様といい、あんたらよーくお似合いです。運命の相手です。魂規模で同類です。お姫ぃ様と逢い引きすりゃあ、さぞや辺りは更地になるでしょーよ」
「更地にはしねえっス。気ィ付けてはいるんで」
「……一応礼儀として聞きますけど、なんでですか?」
「先輩が、敵に人質取られたからあんだけ怪我させられたって聞いて……狙いは大事だな、と」
微細に角度を調整することで、的確に頭と胸と腹を撃ち抜くようにしていた。
急所を狙えるということは、急所に当てないこともできるということだ。そして怨敵だけを縊り殺すこともできる。森は遮蔽物も多く、丁度いい修行の場であった。
それをフローに上手く教えられたなら、二度と彼女も不覚は取るまい。実に完璧な戦略という他ない。
「おっと」
と、懐から札を取り出そうとしていたメアリが取り零した。
ひらひらと風に吹かれ、左足にぶつかったのは今にも卵から孵化して飛び出そうとするムカデの絵札であった。
光彩が美しい絵だ。
鎧めいた外骨格を持つムカデという生物は、こうして見るとおぞましくも美しい。
「はい、メアリさん」
「……どーも」
前世にあれば、一部の好事家が好んで蒐集したかもしれない。
そんな絵札を摘んで手渡す。直接絵に触れるのが恐ろしくなるほどに見事な絵である。
……第三者がいれば、疑問を持ったかもしれない。
シラノが左手で真っ直ぐに差し出したそれを、メアリは左手で受け取ったのだ。利き手ではない左手で。斜めを結ぶ対角線となる左手で。
そして、すぐにその疑問は解消されるだろう。
すなわち、
「――」
さながらそれは旋風であった。
手首を巻き極め、引き倒す。同時、煌めくは白刃。
竜の爪めいたダガーナイフが、空いたシラノの左腋に突き刺さった。
噴出する液体と、膝から崩れ落ちる体。
「……任務完了、ですかね」
絵札までをも塗り潰す噴射が頬にかかるも、努めて普段通りの半眼を崩さぬメアリはぽつりと零した。
見下ろすその先、森を覆い始めた暗がりの中――シラノ・ア・ローは、完全に倒れ伏して動きを止める。
麻痺か即死か。いずれにせよ、誰の目にもその暗殺は明らかであった。
「……仕留めたか」
「これでこの男も終わりだな」
「触手使い風情が、思い上がるからこうなるのだ」
そしてメアリの背後、続々と姿の見えぬ声が上がる。
得意げに見下す声。メアリは僅かに目を細め、淡々と言った。
「……これで、あの夜の約定違反はチャラですね?」
「そういうことになろう、混血の女よ。……これにて我ら斥候猟兵の血の約定は守られた」
◇ ◆ ◇
もしも我が果てるのならば、その躯には野草が満ちよう。
我らは皆、無銘の唄。
我らは死して、野山に朽ちる。
――斥候猟兵の誓い。
◇ ◆ ◇
小人族にも幾らかの分類はある。
主として森の少ない丘陵地に暮らすもの、深き森と険しき山稜に暮らすもの、霧の満ちたる渓谷に暮らすもの……実態は更に様々であり、部外者がそれを見分けるのは困難だろう。
放牧者や旅商人、山岳案内と人の目につく機会は多いというのに、人々はあまりにも小人族の実態について未把握である。
……。
……いや、こう言おう。人々は、それを分類の基準として見做さない。そこで区切る者はいない。
より確かな分類が、あるのだ。
則ち――――斥候猟兵。
忠に厚いコーキアス氏族。実力優れたイーギアス氏族。撹乱に優れたフューリアス氏族。
その中に、一際の異派があった。
そこは氏族を持たない。いや、かつてはあったが既に混ざり切って何かは知れない。
山賊、野盗、反逆者、罪人……様々なものが流れ込んで、いつしか出来上がった流派。
外から新しい血を積極的に取り入れ独自の武術と魔術を形成する流派。
咎人を隠す、咎隠しという異名で呼ばれる流派。
則ち――
「この小僧も愚かなものだ。我ら伏撃猟兵に楯突くとはな」
――伏撃猟兵。
日陰に生きる斥候猟兵の中にあって、更に異種たる集団であった。
「さて。……仕上げだ。毒弾を打ち込め」
特に嗄れた声の男が告げる。
指示や否や、狩猟弾弓の弾ける音と共にシラノの身体に殺到する刻印弾。
毒草を練り上げ魔術の刻印を刻んだその弾丸は、着弾と同時に標的に喰らい付く致死なる弾丸であった。
狙いは違えない。
かつての夜に石礫を見舞ったように、その弾丸は的確にシラノの身体急所へと打ち込まれていた。
「……っ」
万一にでも動き出さぬか、カバリングを努めさせながらナイフを抜く。
暫し待つも、動き出す様子はない。痛みを与えられれば起こる生理的な反応もない。
即ちまさしく、絶命であった。
「ふん、呪われた触手使いが」
「我らの仕事を阻みおって……」
「無様に獣に喰われるがよいわ!」
「己を助けた女に、今度は命を奪われるとはな!」
見届けた面々は、隠密外套を取り去って憐れな死体を蹴り付ける。
恐怖とは彼らの専売特許だ。伏撃猟兵は恐れられねばならない。
故に、応報は絶対であった。
裏切る者、軽んじる者は損得を超えて殺す。故にこそ恐れられ、故にこそその腕に高値がつく。忠義や技術の問題ではない。
殺人蜂の如く、一度牙を剥いたら止まらぬからこその恐怖の担い手であった。
そして、もう一つ……他流にはない特徴がある。
「……足蹴に、するんじゃねーです」
「……ほう? 今、儂に言ったのか? 女が? 混血児の、女がか?」
「……」
「いつ如何なるときだろうと上役に逆らうなと――血の約定を破ったお前に挽回の機会を与えたのは誰だ? 誰が、誉れ高き雪辱の尖兵を遂げさせてやったと思ってる?」
「……」
「仲間に手を出し、その薄汚い……男に穢れた臓腑が腐り落ち息絶える筈だったお前に挽回の機会を与えたのは誰だ?」
斥候猟兵の中にも、上層や下層というのは存在する。
だがそれは厳密なる構造階級を為す訳ではない。
例えばイーギアス氏族などは敵味方に傭兵を分けることで知られているし、或いは任務中の事故や戦闘中の混乱による同士討ちもあり得る以上は現実的ではない。
それは伏撃猟兵においても同じだ。
――ただ一つの例外を除いて。
「お前のような混じり者が、呪いを身に負いしものが……我らに牙を剥いて許されると思ったか?」
それは、取り替え子によって作られた下層工作員。
他の血を取り込み、種族としての強化を図る。或いは秘伝を奪う。それが、咎隠しとして忌み嫌われる伏撃猟兵の秘密。
その小さな体躯を見れば判るだろう。
メアリは――彼女こそは――魔力に優れた森人族と小人族の混血であった。
「肝に銘じるのだな。王家に取り立てられたからと言って、貴様の出自が消える訳ではない」
「……っ」
「むしろたかが捨て石の女とはいえ、我らの血族から王家へ貸し出しているだけ有情だ。例え王家であろうがなかろうが、我らの血の盟約に口出しなどはさせぬ」
半眼を細めようとしたメアリへ、老人声の男は侮蔑的な目線をやった。
そうだ。王家など、伏撃猟兵の歴史に比べれば薄い。
忠義しか売り物のないコーキアス氏族などを取り立てている奴ばらなど、所詮はこの大陸の新参者に過ぎない。
「ふん、何が天地創世の魔剣だ! たかが触手使いに砕かれるカビの生えた薄ら寒い幻想よ! そんなものを崇める奴ばらの程度なぞ知れるわ!」
「……!」
「貴様ら程度の使い手ゆえにそうなるのだ! 抑止の一族ガルボルクならばいざ知らず……たかが王家! たかが魔剣! 我らに逆らうと言うなら、王家とて死に絶えるがいい!」
奪い取った魔剣――〈幻髪の血剣〉を片手に男が高らかに吠え立てる。
まさにそれは彼らの総意を表しており、この場の全てであった。
忌まわしい混血児のメアリなどは数に含まれない。闇の中、彼らの凱歌が響き渡り――
「――手前ぇが死ね」
ぐしゃ、と聞くに耐えない音がした。
赫き右腕が顔を掴んで引き倒した。鼻と頬を砕き、そのまま埋めた。いくら小人族と言えど、人一人を肩まで埋めやった。
幽鬼めいて立ち上がる影に、すぐさま曲刃が投げ放たれるも――
「……事情は分かった」
合掌めいて挟み込んだ曲刃を握り砕き、シラノは息を吐いた。
闇に覆われた森の中、その右目が幽鬼の携えるランタンめいて暗闇を赤くなぞる。
そこに籠められたのは、ただ一つの意志。
即ち、
「一族郎党、叩き折る」
――――殺すべし、と。
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」終わり◆
◆「スレイ・ニンジャ・オール」へ続く◆




