第六十六話 イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ その四
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その四◆
宵闇に燐光が灯る。
メリナが施した刻印魔術と形意魔術により刻まれた“蛍火”の魔法文字が発光。“貴”の力を籠められたその刃は、悪霊を過分なく両断する。
雄々しきグントラムが握るは、〈猪の牙〉と銘打たれた剣。
拳への防護のその先で尖った刃――ナイフをそのまま引き伸ばしたかの如き、まさしく猪の牙めいた曲刃であった。反った刃の尖端がさらに鋭く尖った、平たい片手の曲剣。
かつての折、共に勇敢に戦った人間から彼の一族に贈られた剣。冒険の餞に受け継ぎし、オークの体躯に合わせた名剣である。
辺りを旋回する〈死兵の饗応〉――走り寄る死霊は騎馬ごと断ち殺され、その中心でいざ向かい合うは二つの影。
オークの戦士と亡霊の剣士。
それを眺めるものがいれば、意外である――と我が目を疑うであろう。
筋骨隆々とした荒々しき鬼人族の戦士であるグントラムが、雄叫びと共に打ち掛かることなく敵と睨み合っているのだから。
「……」
……いや、そもそもの話をしよう。
鬼人族に鍛冶の技術は殆どない。人間や森人族、小人族の如く魔力もない。彼らは魔剣や魔術とは縁がなく――故に磨かれたのが、これであった。
腰のあたりに剣を構えた中段。左手を背中に隠し、右足を踏み込んだ半身の位。
僅かに手首を丸め、刃を平たく敵に向の目に向ける。その名も〈魔猪の構え〉。長大な刀身を前に出した、突きの構えである。
――剣術。
それこそはこの竜の大地において、鬼人族と不可分の技術であった。
二騎が睨み合う。
己よりも強大な相手には、懐に入ればと誰しもが思うだろう。それを許さぬのが、この〈魔猪の構え〉。長大な剣を余すところなく互いの間に晒したこれは、人で言うなら槍に等しいかそれ以上の間合いを保証する。
異種族と戦うとき、鬼人族は常に下段からの攻撃に苛まれた。それを補うように淘汰されて行った先が、この構えであった。
イィィ、と。
毒血めいた燐光が脈打つ魔剣の切っ先が、グントラムの双眸へと照準される。相手もまた、刀身の長さを隠そうと言うのか。
本来ならそこにあるはずの両目を捉え続けるグントラムと同じく、亡霊の騎士もまたその切っ先をグントラムの両眼へと目掛けていた。
前に置いた左足。腕をやや伸ばした中段。
剣の柄をやや身体から離した構えであるのは、彼の者もまた突きで応じようと言うのか。
……否。
知っているのだ。この曲剣を身の近くで受け止めたなら、反った裏刃が防御を乗り越えその身を穿つと。
魔剣使いという――魔剣が人に型を取らせるというほどの強大な武力の内にあって、確かに技術を感じさせるその亡霊の気位。
内心で、グントラムは感嘆を現した。
(……だが果たして、身から離した剣で我が豪剣を受けられるか)
いざ鳴らすは父神から受け継がれし戦の流儀、雷鼓。
肉厚の腹を左手で叩き、グントラムは大きく目を見開いた。
◇ ◆ ◇
「イアーッ!」
風切り音を立てる弓の一射は、夜風に吹かれて大きく逸れた。
だが――それで、まるで構わない。
瞬間、宙を翔ける触手矢の内に生み出されし召喚陣。矢に斑紋めいて浮かんだ“帯域”の自動反応召喚が、爆発めいて数多の刃を炸裂させた。
矢を起点に乱れ飛ぶ触手刃が上空から亡霊の一団を削り取る。
触手の近接信管というべき空対地爆撃を見届け、即時、掴むは次弾。
番えた矢を放ち――――それはまたしても大きく逸れるが、突如として曲がった。
にわかに発光したるは、宙を進む矢と森の地に突き立つ刃。
発光した――少なくともシラノにだけはそう認識できているだけだ。森が暗闇であることには変わらない。
だが、触覚により周囲は察せる。すなわちこれは術中であり、
「イアーッ!」
矢が再び半ばから弾け飛び、放たれるは無数の刃。
空を裂く超高音。音速の六倍に至る刃の散弾が、亡霊の一角を消し飛ばした。
白神一刀流――二ノ太刀“刀糸”並びに五ノ太刀“矢重”。
合一の為に触手同士が引き合うという、“矢重”の特性を利用した曲射である。
「……」
地響きめいた衝突音と、夜闇に立ち昇る土煙。
村に入る前に空爆によって削りきる。それが、シラノの用意した回答であった。
幸いなことに住人から戦闘の了承は取れている。ならば、音速突破の破砕音を響かせる触手剣術――この場合は弓術だろうか――も存分に利用可能。
石器時代にガトリング砲を持ち込んだかの如き蹂躙と殺戮に亡霊の一団は大きく削られていた。
しかし彼ら死者は死を恐れない。死人は犠牲を顧みない。
未だ軍団とも言うべき亡霊の群れはただ、村目掛けて進軍を止めはしない――――故に、
「……よし」
頷くシラノの視線の先、路上に並べられた篝火がさながら滑走路の航空灯火めいて闇の中に列を示す。
その先に視えた、死霊の影。軍団の戦闘。
そして、シラノが掴むは一本の矢。
見張り台の足場に刺さった十二本の矢が発光し、手にした一本を目掛けて太陽を公転する惑星めいて螺旋を描いて合一する――文字通りの“矢重”にて狙うはただ一点。
森の中に突き刺さりし刃と、今のシラノと、亡霊が一直線に重なり――そして住居が障害にならない開放地。
奥歯を噛み締め、射掛け、
「イィィィィィィィィィィィアァ――――――――――――――――ッ!」
いざ炸裂させしは触手複合矢。
空気が戦慄く。それは、死霊の歓喜の歌を塗り潰す超高音域の破邪の猿叫であった。
多段加速。次々発現する触手刃が弾頭を再射出し続ける――――必殺の一閃。
連鎖する爆裂は七十七段――実に音速の七十八倍に達した赤熱の矢は、その衝撃波は、竜の息吹めいて亡霊を塗り潰し木々を薙ぎ倒し地形を削り砕き――爆裂した。
キノコのように上がる土煙。単なる運動エネルギー弾であるというのに、複合火薬何発分に相当するか。
それほどの究極的な一矢であり、
『――――――――――――――――――――』
否――見るがいい。流星を数倍をも凌駕するその速度に続く残弾は、まさに超流星群と称するべきか。
第一矢が突き破りし空気の間隙を駆ける、加速に用いられし七十七の刃。さながら親子爆弾めいて天空から亡霊に降り注ぐ。
直後、爆裂。無数の爆裂。“帯域”を内に秘めた刃の嵐は、まさしく空爆同然に死霊の集団を爆発四散させた。
「ふー……」
シラノの漏らす吐息に合わせて、もうもうと煙が立ち昇る。
天を支える巨人が癇癪を起こして拳を叩き付け続けたの如く、衝突点は赤土の覗く更地と化しているだろう。
雑草刈り機と称されるその兵器に等しく、触手の刃は地形そのものごと亡霊を薙ぎ狩った。というより、超精密超高速絨毯爆撃に等しいが。
だが幾体か、それでも生き残りの――死に残りの死霊が煙幕を飛び出してきている。
ここから先は市街地。あとは純粋に射掛けるしかないとマフラーを引き上げた……その時だった。
「……ド下手糞ですね」
「え」
「射掛け方、ド下手糞でやがりますね。というか弓とか呼べねーです。ただ強引でうるさくて……新手の嫌がらせかなんかですか? 耳が痛くて仕方ねーんですけど?」
「え?」
「……ほら、いいから弓を貸して。見本ってもんを見せてやりますから……うわ固ッ!? ……何人張りでやがりますか、これ?」
「メアリさん?」
彼女用の洋弓を用意すれば、より不機嫌そうな半眼を向けられた。
「あたしが何との混血だと思ってやがんですか?」
「あ」
「……はい。という訳で弓をくだせーな」
言われるがまま弓を手渡せば、いつの間にか用意した矢筒を背負い、メアリが次々に矢を射放つ。
斜めに構えた弓へと、背中から引き抜くままに番え打ちしていた。速射砲めいて、しかし狙撃銃同然に亡霊たちが沈黙していく。
あまりの妙技に見惚れる中、
「ここはおねーさんが請け負ったんで、下に行ってなさいな」
冷たい半眼に促され、シラノは迷わず櫓から飛び降りた。
◇ ◆ ◇
そもそもにおいて、攻撃と防御を分けることは下策である。
例えば盾と剣。盾で受けた後に剣で斬る――などと考える者がいれば、それは紛れもない愚物だ。その愚かしさは、我が身で補うこととなろう。
相手の剣を盾で弾きながら剣を突き込むべし――故に尋常なる剣士たちはそう習う。
攻撃と防御は相手を打ち倒すという意味で不可分なのだ。
「ふゥゥ――――ッ!」
そしてこと正に、グントラムの打ち込みし一閃は攻防一体の妙技であった。
剣の背を打ち受けんとすれば裏刃がその胸を喰らい、剣の表刃を逸らさんとすればそのまま抉じ開け胴を穿つ。否、そもそもにして僅かな回転が籠められたこの突きは、敵の刃を跳ね下げ己の剣を突き立てる防御にして攻撃の力を持つ。
剣術とは奪い合いだ。圧力を、支配を、重心を、間合いを、有利と不利を奪い合う。
「む――」
であるが故に、グントラムは僅かに瞠目した。
首無し騎士から右に、グントラムから見て左に踏み出される一本。
いや、グントラムとて読んではいた。首なしの騎士のその構えは、明らかに突きを放つ構えだ。
受ければ死ぬグントラムの豪剣の刺突を前に、あえて大きく右足を踏み込み刃で剣の腹を抑えにかかる腹積もりであったのだろう。
だが、それを許さぬからこその武術だ。
たとえ肉体がどう躱そうが剣先の方が早いのは物理的にも自明の理。畢竟、常にグントラムの曲剣の峰は敵の剣に押し当てる必勝の形へと運ばれる――その、筈であった。
早いのだ。首なし騎士の踏み込みが。
いや――当然であった。相手には首がない。頭部という重量物がなければ早いというのは、道理である。
そして、何よりも巧みであった。
突き込みが繰り出される僅か半瞬前、車輪が回るように柄が下がり刀身が僅かに立った。そんな立った剣を抑えにかかったグントラムの剣の背は――直後に圧すべき加減を見誤り、結果、朧同然に逃げられた。
そんな僅かな空間が、間隙が、騎士の持つ身体的特徴を活かした。
一歩の大きな右足の踏み出しと共に撃たれた首なし騎士の突きは、その剣先は、実に見事に――突き出されたグントラムの剣の表刃の物打ち……剣の重心よりも手前側を抑え込んだ。
よりグントラムの手元に近く、剣の弱き部分を打った。
突きに合わせた突き抑え。
刃が滑らせこのまま根元まで運ばれれば、死するのはグントラムだ。
そのことに感嘆する――無論ここまで全て思考ではない。僅かな感情が、火花のように連続して閃いているのである。
「ふ――ッ」
しかし、だ。
誰にでも想定できる対処法への対応が無きものは武術に非ず。
何よりも、間合いという利に非ず。
左足を更に踏み込まんとする騎士の動きに合わせて引いたグントラムの重心と、回した剣の重心。
ナックルガードに包まれた手首が返り、切っ先が跳ねる。下方から上方をなぞり、回し打たれる。
最小限の半径で袈裟から振り下ろされしその刃は、鬼人族の剛力は、踏み込まんとする者を肩口から両断する絶剣である。
――否。
機運を逃さず攻めかかる、その動きすらも欺瞞だったのであろう。首なし騎士は、逆に右足を後ろへ引いていた。結果、上体ごと繰り出されたグントラムの剣は空を切った。
見定めていたのだ。グントラムの剣を。剣技を。今の攻撃への対応技がないのかを。
「……」
オーク同士の戦いならば、躱すべき方向は剣の背側。打ち払い抉じ開けるままに刃を滑らせ、以って敵を斬殺するのが流儀。
だがそれは、異種族にとっては罠だ。
剣先を捻じ込む豪刀を払えず、仮に無事に払ったのちに刃を滑らせようとて手首のみとしてもオークの剛力を抑えきれず、踏み出したとて間合いという暴力の前に次剣を撃ち込まれ死するのみ。
故に、彼は剣の表へ躱した。表へ躱し、そしてその答えへのグントラムからの解を確かめたのだ。
「ふ――ふ……」
なんともその不遜な行動に、腹から笑いが出た。
しかし、知るはずだ。今の攻防、一撃をかろうじて捌いただけにすぎない――――と。
否、故にこそ……であろうか。
グントラムこそ確信する――今は魔剣なぞを握るものであっても、この騎士は剣術を修めている。
魔剣とは、誰が用いても同じ性能を発揮する武器だ。だからこそ、“魔剣に型はなく、魔剣が人に型を取らせる”――とまで称される。
無論、グントラムとて知っている。しかしだからこそ、魔剣の戦いを分けるのは何よりもその個人の機知であり才知である……とも。
だが、そうだとしても、この剣技――……
「お前に首がないのが実に残念だ。……叶うなら、その名を問いたかった」
共に武を修めし者――グントラムは、血潮の底から獰猛に笑って腹を左で打ち鳴らした。
「いざ! 勇敢なる戦士よ! 武の神に奉じし戦士よ! おお――我が狂乱よ! 我が父神よ! 我が〈狂乱と雷霆の神〉よ! 簒奪者よ! いざ!」
そして、動く――剣先。
半回転。繰り出される腕に捻りが加わり、突き出された刃はオークの豪力にて破壊の渦と貸す。
しかし、更に次いで――そこからのもう一歩。
捻り切るなどという生優しさではなく、これは、棒の如く伸ばした腕と握られた剣へオークのその体重を遺憾なく載せきった体当たりに等しい直突であった。
まさしく、魔猪。
最早如何な魔剣、如何な神剣とて防ぐに能わぬ強突。
先ほどと真逆。突きに合わせて裏返った剣の腹と背に、同じ逃げ道は通じぬ技。
受ければその剣ごと弾き飛ばされるか、はたまた切っ先が内腑を穿つか。
果たして――
「――――――」
火花が散る。
首無し騎士の構えは、変わった。応じて同時に変えていたのだ。
グントラムの目へと突きつけるようであった刃を立て、瘴気吹き出る顔の前で刀身と鍔が十字を為す剣位をとっていたのだ。
上段への防御の位か……否、否、更に――右手でその毒血めいた刀身を握っている。あたかも棒の如く剣を使うハーフソード――それも通常と逆の握りの変則形――であった。
それで、防ぐか。防ぎにかかるか。
ああ――――だが、だが、防ぎきれるものではない。
猪の牙の如き刃は、防御を掻い潜り抉るように突き立つのだ。
『――――』
しかし、一点。グントラムの読みと異なったことが、一点。
背を向けるというのは、真剣の戦いにては禁物だ。視界を敵から外してしまうというのは、あまりにも致命に繋がる一つの理である。
やる筈がないこと。
ならば起こる筈がないこと。
故に――あえて回るということは、それ自体が、熟練した敵対者への虚に繋がる。
火花が散る。
たった今、首無し騎士は繰り出した――――いや、まさしく半回転するが如く、右の一歩ごと右半身ごと強く自らの剣を叩き付けた。豪剣を迎え打ったのだ。
……なるほど、弾き飛ばされてしまうほど膨大な直進の力を、回転という運動線に転ずる。逃がす。巻き込む。
弾くのではなく――合わせるような回転となれば、ああ、目論見は叶うだろう。確かに迫る力とぶつかり合うことなく、彼は素直に後方へは飛ばされぬであろう。
『――――』
……半回転で、済むものか。人の身に御せる速度に留まるものか。
『――――』
火花が散る。甲高い音が鳴る。
首無し騎士の右腕は、巻き込まれていた。
まずはその手の魔剣から。狂った加速の回転に呑まれて、狂った圧力の回転に呑まれて、グントラムの剣へと触れて――そして御しきれずに身体ごと引き込まれ、剣と剣に挟まれたその右腕で火花が散る。装甲が散る。
むしろ、魔剣を手放さなかったことを驚嘆すべきか。
……否、最早論ずるまでもなく過ちだったのだ。そう受けようとしたことが、過ちだったのだ。
円の技が攻撃を受け流せるなど、幻想だ。土台の出力が違えば、単に巻き込まれて終わるだけだ。それが現実だ。
……この結末を読めぬほど愚かであるまいと思っていたグントラムは、だからこそ、瞠目した。
一歩だ。
結果として回る騎士の身体は、一歩、切っ先の内へと踏み込んだ。既に繰り出された剣の内――間合いの内へ、踏み込んだ。
そう、驚愕だ。
一体如何なる論理なのか――右腕の装甲が容赦なく抉り取られようと、この剣士は剣を握っているのだ。剣を手放していないのだ。
そんな首無し騎士が、瘴気と土煙を上げ、回転を止められぬままでももう一歩を跳ぶ。
人の頭部がないが故に、昏倒や眩惑とは無縁だという一歩。
尋常ではない身体的特長の齎した、見当を裏切る一歩。
『――――』
なるほどの、異常。
これが魔剣か。これが竜の大地の深淵か。やはり、魔剣には魔剣でしか及ばないのか。
まんまと切っ先を掻い潜られたグントラムは、間合いの内へ――剣の内へ入られたグントラムは、これで終わりなのか。
「――――ふ、」
……確かに、突きが重要であると言った。
異種族と戦うならば、下段への必然として磨かれたと。
だが、そもこの剣の形を見るがいい。僅かに平たい反りを持った剣――ナイフを引き伸ばしたかの如き剣だ。
そう、つまり……初めからこの剣は、斬撃を想定しているのだ。
彼が引くは右足。間合いに保障された猶予時間が、グントラムに反撃の機運を齎した。
そして、変わるは構え。
名を〈鉄牛の構え〉――あたかも牡牛の角の如く、グントラムの頭の真横から切っ先が前へと伸びた上段の構えである。
右足を引き、手の甲を己へと向けた。今は天に向けられたその片刃も、振り下ろされれば地の万物を喰らい破るであろう。
「フゥ――――」
そして――再び踏み出す、右足。
音の壁を引き裂く破邪の高音を背景に、しかし確かに地響きの如くその足音を刻んだ。
唸る――豪剣。
空を裂く一閃は正に死出の贐。鬼人族の使い手より踏み込み振り下ろすその豪刃、まさしく刃を持った鉄槌に等しい。
咄嗟、必殺の間合いをとっていたはずの首なし騎士は横に飛んだ。瞬時、グントラムも剣を止める。鬼人族の膂力――丸太じみた腕に縄めいた筋肉が浮かび、剣先が静止。
直後、下がる切っ先。下方から旋回した〈猪の牙〉の刀身が、また引いた右足の、その更に再びの踏み出しと共に再度上方から叩きつけられる。
剣の動きより、人は早くは動けない。
即ち、一撃の隙を突くなどという夢物語は生まれ得ない。
『――』
だが、ああ、なんたる豪胆さか。
いいや、知っていたと言えばいいのか。そうする他ないと言えばいいのか。判っていたと言えばいいのか。
破壊の旋風めいた剣戟の空間に、鎧騎士は敢えて飛び込んだ。
左の腕をつっかえに、斜めに掲げた剣の横腹で豪剣を受け逸らす。火花が散り――錆びだらけの手甲が軋む。しかし魔剣の強固さは、砕けることなくグントラムの剣を逸らす。
何度目ともなる詰みからの逆転。魔剣の齎した再起の機運。勝利の筋道。
よく分かっている――グントラムは感嘆した。
この〈鉄牛の構え〉の打ち込みは、おおよそがグントラムの体の前側を通るように繰り出される。故に、距離を潰せば、斬撃は放てまいというのは真理であろう。
「――」
しかし、それは果たして武器の特性故の弱点なのか。それとも剣技が生み出した不完全なのか。
――――否、否、否だ。
見るがいい。さざ波が打ち寄せ引き返すかの如きグントラムの足運びを。
進み引き付け、引き付け戻る――……はたからは地団駄を踏むようにも見えるその行動で、グントラムは巧みに間合いを保っているのだ。
人の一歩より鬼人族の一歩。それは当然変わらぬ真理である。
その、保った間合いがグントラムを活かす。活かし続ける。
退くは右足。剣先を流したまま、戻るは〈鉄牛の構え〉。
天を向いた片刃。
直後に踏み込みと共に繰り出される豪烈な刺突は、牙めいた軌跡で首なし騎士を射貫きにかかる。如何な魔剣の強固さとて、突きばかりは防ぎきれぬ。
だが、互いにとうに知ろう。ここで仕留められる男は、既に十度は屠り殺されていると。
掲げられた外套羽織。漆黒のマントを腕に巻き付け、鎧騎士は盾に用いたのである。
この暗闇。いくら夜戦にも優れる鬼人族と言えども、俄かにその照準を見誤る。
鉄も編まれた外套の生地が、苛烈な剣先に絡みつく。見事に死穿つ切っ先を殺し、騎士が踏み出すはさらに一歩。
(――否ッ)
この刺突こそ、まさに次への布石。すなわちは必殺剣。
己が懐の内に入りし兵を、前進する兵を刈り取る死神の刃が放たれる――偽りの弱点。偽りの隙。
おお、見よ。剣先が回る。活きたる刃は、十字を描き怨敵の胴体を斬り分かたんと――
「――グ、」
その瞬間、グントラムの眉間を打ったのは石礫だった。
一瞬、視界を手放した。衝撃に眩む――……だが、黄色の瞳を見開く。剣はそれでも、流すことなく御していた。ならば、この程度。
否、違う。剣先にかけられた漆黒の外套羽織。その重さが、刀身の長さにより相応に増すことになった手首への荷重が、グントラムの剣から僅かな精細を奪った。
僅かな……しかしこの業前同士においては、致命的な一瞬。
迫りくる毒血の如き刃――跳び込まれた一歩から、いざ放たれるは魔剣の刺突。
……ここで無意味な仮定をしよう。
もしグントラムが鬼人族の肉体を持ち、鬼人族の精神を持ち合わせていなければ結果は変わったのかもしれない。
分厚い肉と逞しい骨。左腕を盾に、魔剣の一撃を食い止めたのちに首なし騎士を屠れていたのかもしれない。
だが、左腕は鬼人族の誇り。腹の太鼓を打ち鳴らせなくなることは死と同じ。
故に、咄嗟、グントラムは胸から剣を受け止めていた。
胸筋で止める。魔剣を止めにかかる。
否――魔剣は止まらない。たとえ鬼人族の膂力だとて、止められる筈がない。阻める筈がない。だからこそ、魔剣なのだ。
畢竟、そのまま肋骨を攪拌され肺腑を切り刻まれ心臓を両断されることこそが、戦士グントラムの辿る未来。
いや、だが――剣を放せば右腕は動く。突き込まれ死に至る一瞬――その一瞬だけでよかった。
繰り出すは前腕への握撃――人間離れしたその膂力は、たとえ鎧の上からでも人体を圧搾する。金属を軋ませ、その鎧を砕きに潰す。
「ぐ、」
だがしかし――騎士は備えていた。油断なく、握りの要であるグントラムの小指目掛けて突き立てられた短剣。
俄か、掌握が緩む。
それを見逃す相手ではない。巻き込むように腕を絡め取られ、抱え込まれたままに騎士が倒れ込んだ。ゴキリと、鎧を含めた全体重に右肘が外された。
呻く暇などない。
グントラムの喉笛目掛け、返す騎士の逆手の短剣が突き立たんと――
「……あーあ、仕方ないよねえ」
その声を塗り潰すように響いたのは金属の擦れ合う音と、撓む音。
何かと振り向くより先に――その奇っ怪な剣は、音の壁を破って鎧騎士目掛けて襲いかかっていた。
宵闇に走る銀の剣閃。直線ではなく曲線。鞭の如き軌道を描いた一閃。
その度に空気が弾け、撓んだ剣が耳障りな音を発する。
ひゅば、と――打ちかかる斬鞭剣。遠間から首なし騎士を打ち据え、そしてその赤き身頃を引き裂き、あたかも鮮血めいて飛び散らせる。
その主、茶髪のクドランカが獰猛に笑った。
彼女が左で火打石を打てば、またたく間に舐めるように刀身に広がる炎――油に浸されていた剣。火を纏いし毒蛇の刃がそこにいた。
ひゅば、と唸る。飛び散る火の粉。視界に残る赤の残響――そして雷鳴めいた音を響かせ、赫蛇がその顎を打ち付ける。
即座に跳ね上がる。行き掛けの駄賃に亡霊犬を血祭りに上げ、目指すは首無しの騎士。
だが――防具なしに受ければ肉が切り刻まれることが避けられぬその剣も、しかし手甲と鎖帷子で武装した騎士相手には分が悪い。
いや、そうだとて。
これこそが、彼女がこれまで隠し通しし秘剣なのか――命の危機とは裏腹、己の中の戦士の血潮が脈打つのを感じたグントラムの目の前で、
「ほい、っと。んー……あーあー、少しはこれで暖まりましたかねぇー……っと」
なんと酷く雑な様子でクドランカは無造作に鞭剣を投げ捨て、肩を回した。
グントラムも、ラッドも、メリナも、首なし騎士ですらも思わず停止してしまうそんな空気の中――飄々とした立ち振る舞いで、三つ編みを揺らして彼女がいざ抜き出した鞘。掴み取った柄。
クドランカが、にぃと口角を歪める。
直後、グントラムは後悔した。自らの不明を恥じた。己の不見識を悔やんだ――否、この場に居合わせてしまったことをだ。
豪放と勇猛で知られる鬼人族が恐れてしまった。
見れば、凍る。誰しもが、凍る。亡霊すらも恐れ慄き、ラッドとメリナに至っては立ったまま失禁していた。
視線の先には剣鬼。柄を握る剣鬼。
酷く不気味な弧を描く横たわる三日月の笑み、そして、
「謳え――〈赫血の妖剣〉」
いざ、切られる鯉口。
これなるは斬撃の死。これなるは無数の躯。これなるは絶死の妖剣。
叫べ、叫べ、無念を叫べ――。
祈れ、祈れ、無常を祈れ――。
謳え、謳え、無惨を謳え――。
我が名は全ての魔剣を討ち滅ぼす剣。我が名は無常を告げる剣。我こそは死告の魔剣――。
即ちは神殺し。即ちは魔剣殺し。相喰わむことこそ我が天命――。
いざ、人の子よ、祈れ。
我の名は――
「さあて、愉しいねえ! 愉快だねえ! 出番だねえ――〈赫血の妖剣〉!」
これなるは天地創世の一振り。
その瞬間――――世界が恐怖を叫び上げた。
◇ ◆ ◇
駆け寄りざまに騎兵を居合抜きで斬殺し、そのまま走り抜けし街並み。
木製の小屋の周囲に漂う亡霊たちは、上方からの援護射撃にて的確に潰されていく。
阻むもののない街角。駆け抜け、獅子丸を携えしシラノが広場に辿り着いたそのとき、
「……あー、なんだ。きみかぁ……ならいいよね。あとよろしくー」
剣を抜きかけていたクドランカが、突如として興味を失ったように刃を納めた。
肩を竦め、そしてそのまま後ろ手を振って民家の壁へと立ち去っていく。
何が起きたのかは分からない。
だが、ラッドもメリナも、グントラムでさえも顔を青ざめさせ――或いは命をとうに失った亡霊の騎士ですらも凍り付いたようなその場。
内心の困惑を消して、すぐさまシラノは蜻蛉をとった。
「ふゥー……」
十五歩――存分に疾走の加速が付けられる。
今握るは獅子丸であるが、武器として不足なし。いざやその甲冑姿を上方から切り落とす――爪先に力を籠め、シラノは地を蹴った。
そして、首なし騎士が振り向く。
影の頭部でシラノを見据え、やおら剣を構えた。
瞬間、
(――――っ)
全身が総毛立った。
身体の前に大きく剣を離すような突きの位。その切っ先はシラノの眉間を照準していた。
……確かに言った。
自顕流は受けても避けてもならぬ剣だと――。
だが、その対処法は歴然と存在する。
即ちは、突き。いずれにせよ曲線を描く斬り落としよりも、直線を駆ける刺突の方が早い。
構えだけでシラノも察した。いや、察せてしまったというべきか。
数々の激戦の末に剣士としても一定の水準に達したから故に見えた明白なる敗北――。
即ち、ここは死地に非ず。
これより先は、必敗なり。
「……ッ」
或いはその得物が野太刀であったならば、突きなど畏れるものでもなかったかもしれない。
だが、今握るのは獅子丸。確かに信頼できる頑健さなれど、元来の武装とは比ぶるべくもない刃渡りだった。
必然、シラノが選びし策は――
「イアーッ!」
――触手召喚。
その異物に、魔剣の主が掻き消えた。黒き塵になり消失する。
同時、亡霊の波も引いていく。今夜の戦いはこれで仕切りだと――そう告げるかの如く。
否、
「イアーッ!」
――逃がしなどしない。
呼び出しし二百五十六の召喚陣。百二十八の剣と、百二十八の触手。
瞬く間に放たれし三段突きが、破裂音が、極紫の剣閃が逃げる亡霊の敗残兵を蹂躙した。
五体を裂かれて、四肢を砕かれる。騎馬は爆発四散し、鎧騎士も爆発四散する。斧を持った戦士も、弓矢を携えし狩人も、剣を握った剣士も何もかもが塵に消える。
散り散りに闇夜へと亡霊が溶け行く中、
「……クソ」
シラノは腹の底から、苦々しい吐息を漏らした。
◇ ◆ ◇
一夜明けた、村の広場。
オロロンゲボーロ、オロロンゲボーロとグランギョルヌールが空を往く。
シラノは獅子丸を抱え、鍔に肩を預けて座り込んでいた。
「なーにそんなにしょげ返ってやがりますか」
「……」
「村人にも被害は出てねーそうですよ。あっちの依頼人も、あの亡霊のやられ具合には大満足って」
「……」
「あの鬼人族の戦士もそこまでの手傷じゃねえって……さっすが筋骨頑強なだけはありますねー」
「……」
「……おねーさんに元気づけて欲しいってことですか?」
おもむろにかがみこまれたので、ギョッとして顔を引いた。
そんな様を眺められたのち、メアリから溜め息を吐かれた。
「戦果で言うなら大満足でしょーが。何をそんなに、打ちひしがれてやがるってんですか」
見下ろすメアリの半眼に視線を逸らした。
だが、頬を両手で抑えられてズイと鼻先を向かされる。顔と顔が近い。薄桃色の唇が目の前に広がり――咄嗟、逃げるように両手で肩を押した。
「俺は……」
「はい」
「俺は、退いちゃならねえと……そう決めてました。一度でも退いちまったら、二度と戦えなくなると……」
「……」
「だけど……昨日、俺ァ……」
噛み締めた。
己でもわかる。昨日のは勝ちではない。ただ、不戦勝をもぎ取ったに過ぎない。
あのまま戦うことへの恐怖が、己に負けにも等しい勝ちを掴まさせたのだ。
自殺行為は避けるべきだ。死んだら終わり。それは重々承知の上だ。戦略として、一時的に逃げたことはある。
だが決して勝負の土台から、己から足を外すことはなかったというのに。
「退いちゃいねえ……だけど俺は、足を止めちまった。己の剣を頼りにすることをやめた……自分を捨てた……」
「……」
「……剣士失格です。先輩に顔向けできねえ」
頭を振って、マフラーを引き上げる。
死ぬつもりはない。その意味ではあの判断も間違いではない。だが、これは己の剣の死だ。己の剣が死ねば、フローに返せるものは何もなくなる。
あの瞬間確かに、シラノは己の敗北を半ば受け入れてしまっていたのだ。そんな未来を。
世界全てを相手取ろうと、この己だけは許さぬと決めたことを貫こうと誓った。
だが、ただ己よりも上の剣士に出会っただけでこのザマでは――許さぬという誓いが嘘になる。誓った言葉が、偽りとなる。
「剣士さん……いいですか? 戦いってのは何よりも生き残ったことを褒めるべきで――」
「ちっと、頭冷やしてきます。すみません」
メアリの言葉を打ち切り、その場を後にした。
そのままいれば、彼女から慰めを貰えたであろう。或いは何か異なる視点での智慧を得られ、己の見識が広がったかもしれない。
……だが、首を振った。
そうではない――そうではないのだ。
(白神一刀流に敗北の二字はねえ……敗北するとしたら、そりゃあ俺の方の問題だ)
近頃は随分と弱音が多い。己というのも、脆くなったものだ。その様で、剣で、一体何を掴むというのか。斬り殺されて死体の一つを作るのが関の山だ。
であるが故に――火を入れなおさなければならなかった。
己自身の手で、それをなさねばならない。
剣に懸けるは、誰でもなく己の命なのだから。
そしてその命は、道を往く為にあるのだから。
「はぁ……まったく、男ってのはどーしてこう……若いんでやがりましょーけど……本当……」
安い女であるつもりはないが、多少なら元気付けてやってもいいと――そう思っていたのだが。
それはそうとして、シラノ・ア・ローは一人で歩き出した。勝手に。どこかへ行った。
勝手にしやがれと内心で鼻を鳴らしつつ、いつも通りの無表情を決め込もうと吐息を漏らし、でもやはり少し腹立たしくて口を結ぶ。
そんな時、であった。
メアリは俄かに半眼を細めた。その背中――家々の影。嗄れ声が、幽鬼の呼び声めいて放たれた。
「昨晩は首尾よく行ったな。あわやあのまま魔剣に勝つのではと気が気ではなかったが……蛮人の戦士は上手く潰れた。……これで、あの小僧は亡霊と戦うことになるか?」
「……でしょーね。そんで、いつも通りボロボロになるでしょー。後はそこを仕留めればいい……楽な仕事ですね」
「お前の描いた絵図の通りに、か」
くつくつと笑うような嗄れ声に、メアリは無表情で応じる。
「女というのは恐ろしいな。先程の会話は、どこまでが本心からだったのだ?」
「……」
「そう機嫌を悪くするな。……褒めているのだ、これでもな。これで我らは労せず仕留められる……あの天地創世の魔剣を砕くほどの怪物をな」
「……その物言いは、お姫ぃ様をも侮辱してることになるんで止してくださいね。じゃねえと、てめえの性器から肛門から虫に食い破らせて、親にも見せられねえ不様な面で死なせてやりますから」
懐から取り出しし形意魔術の札に、背後の笑い声が潜まる。
黙り込んでもその気配……幾人いるのか。ある意味では幽鬼さながらに、不気味な瘴気を漂わせてくる。
そしてメアリは、打ち切るように腰を上げた。
「……用件はこれだけでやがりますか? なら、誰かに見付からない内に……さっさと消えることですね」
返事はない。振り向けばそこには、草の伸びた家の壁しかない。
一度、半眼を閉じた。
メアリはもう一つ、物憂げなため息をついた。
◇ ◆ ◇
(……とは言ってもな)
決意を新たに歩み出したシラノであったが、そもそも己は剣術を行っていたわけではない。
父母の影響でその手の小説を嗜みもしたし、或いは実際に剣豪が記した書物に目を通しもした。
だが、書を読むだけで強くなれたら世話はない。生きた経験として詰まねば、そんな丘水泳なぞ速さが足りずに溺れ死ぬのみだ。知識だけの頭でっかちは役に立たない。いつの世の常でもある。
それに――なんというか、薬丸自顕流は完成されすぎていた。
蜻蛉から相手に打ち掛かること。そして、鞘を返した抜刀術で斬り上げること。これが技である。
ここに――他に何か加えるのか。剣客としては、この世界で歩き出したに過ぎない己が。
……まだ、杖が必要だ。己の内なる月が剣の夜道を照らすほど、シラノは習熟していない。
ついぞ、妙案は浮かばない。そも付け焼き刃では勝てるとは思えない。
(せめてセレーネがいてくれりゃあな……刀であることを、忘れられねえでいられるのに……)
ううむ、と眉間に皺を寄せ頭を掻いた。
彼女が共にいると、常に気を緩みきらす隙もない。心から剣を手放したその時には、瞬きも待たずに胴と首を分かたれよう。
そしてフローの前ならば尚の事だ。彼女に無様は見せまい。その時は、シラノの命が終わるときだ。
……頭は冷えたが、妙案が浮かんだ訳でもない。そして、己に焼きを入れなおせた訳でもない。
そんなどっちつかずのシラノの耳に、
「――やーい、呪われ者ー!」
聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その五に続く◆




