第六十五話 イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ その三
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その三◆
それは、異端だった。
何もかもが靄めいたこの亡霊の夜にあってただ一つ、重厚な気配を纏いし戦人――。
悪しき宵風にはためく漆黒の外套羽織。地を踏みしめる両足は脚甲に覆われ、紅き身頃の下に鎖帷子を着こんだか、刺繍に彩られしその身は緩やかな釣り鐘めいた姿を描く。
だがその先に、あるべきものがない。
否――見るがいい。首の洞から噴き出す瘴気を。その黒き影を。あたかも焔めいて揺らめくそれの濃淡は、誰とも知れぬ人の顔の陰影を為すではないか。
だが、肝心かなめはそこではない。
肩から先を覆いし、艶なき小手。錆びた小手。
それが握る、両手半剣の柄。さながら毒血に満たされし血管めいて、赤黒き輝きが脈打つその刀身こそ――即ちは魔剣であった。
やおら、魔剣が掲げられる。
即ち、断罪。即ち、断頭。
あたかも罪人の首を両断せしめんと高らかに謳うかの如く、首なしの騎士は魔剣を高く構えた。
目の当たりにした若き冒険者、ラッドは凍った。
死ぬ。
為す術もなく、死ぬ。
一撃で己の剣が折られてから、転げ回った。逃げ転げたその身体を包む疲労は、死への焦燥は、足腰に纏わりついて遂には腰をつかせるに至った。
ここが、終わりである。そうとでも言うように、首なし騎士は刃を振り下ろさんとし――
「ラッドさん!」
横合いから走り出した少女の声が割り入った。
遮二無二に死霊を打ち払いしグントラムの真横から飛び出したメリナは、なんとも恐るべきこの亡霊の剣へと、その身を盾にせんと駆け出していた。
「来るな! おまえが死んだらオレは――」
「イィィィィィアァァァァァ――――――――ッ!」
一閃。
獅子丸が吼える。キィンと、甲高い音が鳴り響いた。
寄生により強化された脚力。飛び込むままに袈裟懸けに振り下ろしたシラノは、内心で眉を顰めた。
――受けられた。
咄嗟に刃を握った首なし騎士は、杖めいて横たえた剣を支えにシラノの一撃を止めていた。
ある人曰く、野太刀自顕流は初太刀の剣だという。疾走の勢いを籠めた初太刀は、まさしく必殺の技であるという。
いいや――いいや、否だ。それは否だ。
示現流、そして自顕流の肝要は二ノ太刀以降にある。
即ち、
「イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ!」
振り上げ、下ろす。
ただ単純なそれだけの攻勢が、幾度の横木打ちで磨かれた技が、敵に次を許さない。
躱せばその間合いを押し寄り、受ければその剣を押し潰す。守勢に回りし敵を、即ち死へと押し込めることこそがこの剣の意義であった。
獅子が謳う。刃が空鳴りし、金属が哭く。
一撃ごとに、剣が下がる。騎士が下がる。さしもの魔剣もその使い手も、ひとたび守りに入ってしまえば抜け出す手段はない。
そして――剣を放った。
瞬く間、作りし型は居合抜き。流れる動作で虚ろの鞘を握り締め、返し、
「イアーッ!」
放つは一閃――白神一刀流・零ノ太刀“唯能”。
振り打たれし触手刃は、闇を半ばに分かち裂いた。
「……」
……否。
まさにその胴を斬り上げんとしたその最中で、黒き霞として魔剣とその主は掻き消えていた。
辺りを見回すも、影も形もない。
確かに、夜の静寂を破壊せぬ程度には剣速を制限した。決して音をも超える剣閃ではない。
だが、あの局面から余人に躱せる斬撃ではないというのもまた確かであった。
(いや……違う。何かがズレた、のか……? 俺を避けた……?)
何故だか直感として、拒絶されたと――あたかも磁石の反発めいて避けられたと、そう感じていた。
回り落ち来る獅子丸を掴み取る。白刃が宵闇に軌跡をなぞるその中、遠雷めいた笑声が引いていく。波の如く、亡霊の群れが森へと引いていく。
無論、地を蹴った。
グントラムを一瞥すれば、なんとも歯がゆそうな顔で彼は留守居に頷いた。
根元を断つ――その一心で追撃に移り、夜の森へ跳び入るシラノは、
「――ッ」
己の顔面目掛けて、突如と飛び来た飛来物を切り払った。
色違いの赤き右眼。闇の内で線香めいて灯る触手で補われし右眼は、光り遠き夜の森をも障害としない。
だが……虚空を見詰め返しても何も見えない。ただ、枝の茂る木々があるだけである。
そして、次撃は来ない。
剣を片手に携えたまま、落ち葉の中から拾い上げる。騒霊現象とやらなのか。投じられた飛来物は、石であった。
ささやかな置き土産に、
「……あれじゃ、置いてく首もねえか」
腹から息を吐き出す。
先ほどの全てが夜夢が如く、すっかりと辺りは静けさを取り戻してしまっていた。
◇ ◆ ◇
そして、亡霊の宴が明けた翌日。
村の広場に集まった一行の前で、村の顔役らしき壮年の男は顔を顰めていた。
「……だから昨夜は出歩くなと言ったのに」
重々しく息を吐く彼の態度に、噛み付いたのはラッドだった。
「だけど! オレたちだって最初から〈死兵の饗応〉が出るって言われてたら……!」
「そ、そうですよ。まさかあんなに大規模なのがいるなんて……」
「言っていたら、おまえたち冒険者は挑みかかっただろう? そんな恐ろしい魔物が出ているなら倒した方がいい……冒険者には倒す力がある、と……。それが迷惑だと言っているんだ」
「迷惑って……だから、オレたちはこの村からの依頼を受けてここに来たんだって何度も言ってるだろ!?」
交渉というか論争というか……あまり穏健とは言えないやり取りは彼らに任せ、シラノは改めて村を眺めた。
幾年手を加えられていないのか。やはり、村を覆う柵は古ぼけていて頼りない。
一方の厳重な鶏小屋の設備なども、こちらもまた少なくとも近頃整えた風には見えなかった。
「村の者は誰も夜は出歩かない。この時期は特にな。あの死霊たちが脅威なのは、お前たち旅の者だけだ。……それも村の仕来りに従わず、禁を破って出歩くような類のな」
「今まではたまたまそうだったかもしれないけど……あんな集団なんだぞ!? 村人にいつ襲いかかるか分からないだろ!? それに、あいつらは魔剣を持ってる! 魔剣だ! 魔術とは比べ物にならない武器だ!」
「……その恐ろしく強力な魔剣を持った亡霊と、村の中で戦うと? お前たち冒険者は被害をどれだけ出す気なんだ?」
話は平行線を辿っていた。
どちらの言い分にも、まぁ、理はあると言えた。少なくともシラノがおいそれと口を挟むものではない。
そんな真横で、頭の裏で腕を組んだ欠伸が一つ。
「へー、そんなことになってたんだねぇ……いやー、くわばらくわばら」
野暮ったい衣装に身を包んだ茶髪の少女剣士、クドランカだった。
「クドランカさんは、昨日はどこに居たんスか?」
「あたし? んー、あたしは寝てたけど? 戸締まりして大人しくしてろって言われたしねー」
同じパーティメンバーのラッドが襲われるより、或いは危険や規範を犯しても冒険するより、村人の流儀を損ねることの方が問題だとでも言わんばかりであった。
その、飄々とした顔を眺める。
読めない相手だ。いや、読ませない――そうしているのか。
間合いを意識しながら、シラノは静かに切り出した。
「……念の為に、剣を見せて貰ってもいいですか?」
「あれ、疑ってるの? あたしが魔剣使いじゃないかって?」
「いえ……魔剣使いだなんて俺は一言も。どうして俺が魔剣使いを疑ってると思ったんスか? 騒ぎは亡霊だってのに……」
シラノが目を細めれば、
「……ああ、カマかけたのね。なるほどねー、そうきたかー。うんうん、疑わしきはなんとやらって? あー、そうねー」
「……」
「でもさぁ、この流れ的にあたしがそう思っても別に無理ってわけじゃなくない? いやー、魔剣持った亡霊から剣の話になったらねえ?」
けらけらとクドランカは肩を揺らした。
やはり戦闘中と同じく、彼女には緊張感というものが見られない。
――否。
ゾ、と。突如として肌を刺した抜き身めいた剣気に、シラノは反射的に柄を握っていた。
その様を眺めて、彼女がまた頬を釣り上げる。先ほどとは質の異なる酷薄とした笑い。
肩を崩しながら、彼女は口調だけは変わらぬまま続けた。
「んー、悪いけどさぁ……あたしのこの剣を見せるのはその人一人の一生に一回って決めてるんだよね。何があっても一回きり……斬るのも守るのも、どちらにしても一度きり」
「……」
「ここで抜いてもいいけど、あっちに見られたら二度と助けに入れないよ?」
ラッドとメリナを一瞥して、肩を竦める。
殺気は霧消していて――……言い逃れにしては、おかしな理屈だった。
「……そういう制限なんスか?」
「いいやー? そういう誓いを立ててるだけだけどねー。でもほら、誓いってのは守らなきゃ意味ないからねー。本当やんなるよねー」
「……」
軽薄に笑う彼女に、先ほどのような威圧感は感じられない。
だが――分かった。否応なく分かってしまった。
彼女の本質は剣だ。否、剣鬼である。これまで出会った誰とも違わぬほどの、紛れもない剣鬼の一員であった。
静かに唾を飲み、無言で彼女の身なりを見分する。
だが彼女は、逆にそれでシラノの追求は終わったと見做したらしい。
「ああ、そだ。一つ教えとこっか……。魔剣に死霊を操る力のあるものなんてないよ。元が“貴”の結晶なんだから、食い合わせが悪いってもんじゃないでしょ?」
「……」
「疑ってるなら連れの人に確認してみたら? 少なくとも、そんな魔剣なんて絶対にあり得ないからね」
手をひらひらと振って、彼女はいずこかへと歩き出した。
やはり異質なのか、グントラムたちとも奇妙な距離感を保っている。単独行動が目立った。
そして入れ替わるように、
「………昼までに荷物を纏めて立ち去れ、と。夜半に出歩いてあの死霊の一団に巻き込まれぬ為に宿を貸しただけだそうだ」
傷だらけの厳めしい顔を顰めたグントラムが、そう告げた。
◇ ◆ ◇
ざ、と清涼な空気の空の下を一団で歩きながら考える。
あれから結局再びラッドたちが食い下がったが、答えは同じだ。この村は冒険者を求めていない。居座られる方が迷惑だと――そんなものだった。
不機嫌そうになったラッドを、メリナが宥めていた。武功を所望していたグントラムは残念そうにしており、クドランカは相変わらず欠伸をしている。
メアリの歩調に合わせながら、思った。
カーラはなんのつもりでこんな交換条件を持ち出したのであろうか。
その言葉の通りであるなら、彼女の目的は魔剣の回収ではなく亡霊退治。
一体それで彼女に何の利があるのか……いくら考えても答えは出ようとはしなかった。
「やっぱりオレは、納得できねえよ」
「ら、ラッドさん……?」
「いくら村には問題が起きてないって言っても、あれだけの死霊がいたんだぞ? いくら祈願祭の時期ったって絶対におかしいし……何かあってからじゃ遅いだろ。放っとけねえよ」
「……そうですよね。出歩かなければやり過ごせるって言っても……急病人が出たり、火事があったりしたと思うと……」
二人の会話に、苦い顔のグントラムも加わった。
「私も武功を立て損なったと思うと、やりきれんな。……ともあれそこに住まう者がああ言う以上は無理強いもできん。流儀に反する。……腑に落ちんがな」
「いくらその村の流儀だって言っても……じゃあ皆が笑顔なら生贄を行っていても許すって言うのかよ!? あんな死霊なんて、見逃していい訳ないだろ!?」
「人を助けたいというその気概は買うが、今挑んでも誰の依頼でもない。ただの危険だ。……前衛を頼まれた以上、私はお前たちを守る責任がある。故郷ならば撤退はありえないが、この国にはこの国の流儀があるのだろう?」
「だとしても……! それに、やっと魔剣の手がかりを見つけたんだ……ここまで来て、引けねえよ……!」
未だに納得がいかぬと吼えるラッドを、何とかグントラムが落ち着けようとしたときだった。
明らかに村人と違う風体の一団を見付け、真っ直ぐに近付いてくる男がいる。
やや小太りで、先ほどシラノたちの応対をしていた男よりは若い。
「や、ひょっとしてあなたがたが依頼を受けた?」
「じゃあ……アンタが?」
「ええ、ワタシですとも! いや、昨日は出迎えもできず、すみません……。少し寝込んでしまっていて……」
「いや……それが……」
事の顛末を彼から聞いた小太りの男は、
「……なるほど、彼がそんなことを」
「オレたちの手は必要ないって……この村はこれでいいんだって……」
「……分かりました、ワタシから説得しましょう。……この村を見てくださいよ。どこまでも閉じていて、まるで賑わいもない。取り残されたも同然の村です。いい加減気付くべきなんだ」
「じゃあ……」
「ええ、ワタシからも働きかけて認めさせてみます。どうかそれまでワタシの家でお過ごしください。……手狭ですが、迎え入れる準備もできていますので」
そう、両手を広げて歓待を表していた。
その言葉の通りなら、シラノたちはまさに祈願祭のこの時期に、夜ごと村を襲う悪霊と相対せることになるが……。
果たしてどうなるのか。いや、いずれにしろ多少は時間ができたということならば……。
ラッドやメリナ、グントラムやクドランカすらもにわかに口角を上げる中、シラノは――
「すみません」
「どうされました?」
「ちょっと、やらなきゃいけねえことがあるんで。……それに俺はあなたの依頼で来たわけじゃないので。失礼します」
頭を下げて、その場を後にした。
水を差してしまったようで申し訳なかったが……時間ができたというなら、やるべきことが残っていた。
◇ ◆ ◇
その家の近くからは、血の香りがする。
果たして家主は在宅だろうかと扉を開けば、老人は振り返りもせずに口を開いた。
「なんだ、てめえか」
偏屈な家主。狩人の老人。
家の中から、まだ新しい鉄錆の匂いがした。たった今、獲物を捌いているようであった。
入っていいものか逡巡し、結局扉の前で頭を下げた。
「昨日は、ああ言って貰ったってのに……すみません」
「命の保証ができねェっておれァ言っただけだ。……てめえの命守れるなら、どうしようが知らねえよ」
刃物を置いた老人がうさぎの足を折った。既に、仕上げに近い。あとは毛皮を剥ぐだけだ。
見回すが、近くに木桶はない。すでに内臓は捨ててきたのか。そういえば、この地方では腸は山に返すと聞いたような気もする。
「埃が入る。……帰るなら、扉を締めてけ」
もう何もないなら、これで終わりだ――。
否、何かあるなら今ここで言え……老人は背中でそう語っていた。
僅かに言葉を選び、告げた。
「すみません……いつからですか?」
「あン?」
「いつからこの村にはあの死霊が?」
ある程度の確信を持ったシラノの目線に、老人は肩を竦めて応える。
「さてな。おれの爺さんの、そのまた爺さんからじゃねえか」
「……」
「詳しくは判らねえよ。ただ、夜には出歩いちゃならねえ……一日たりとも例外はねえ。そんだけの話だ。この村は、ずっとそうしてやってきた。そんだけの話だ」
「うす。別に、出るのはこの時期だからってワケじゃねーんスね」
あの小太りの男、或いは村の顔役の言動からも察せた。その村の建物からも判った。
この時期だけだと言うなら、あまりにも腑に落ちない造りの物が多すぎる。
冥府の門が開いてしまうというこの時期のみならず――常に出ているのだ。魔剣を伴った首なしの騎士と、死霊の兵団が。毎夜ごとに。
少なくともラッドが懸念するような――万一の被害というのは薄れた。それほどまでに、家に籠った村人は襲わないという実績が追加されたのだから。
未だ手掛かりは少ない。全貌は見えない。
だとしても、着実に情報は揃いつつある。
「……」
だから、これから問うのはそれらとは関わらぬことであった。
そして、より大切なことだった。
「……もしそれが変わるとしたら、反対ですか?」
「さァな。……ただよ、世の中ってのはそんなもんばかりだ。獲れると思った鹿が獲れなくなるってこともある。そうなったところでおれに何ができるわけでもねえ。……鹿を獲りつくした狼を咎めるわけにもいかねえ。鹿を消せるだけ、必死こいて狼が生きたってだけだ」
「……」
「……そういうもんだ。何かが変わろうが変わるまいが、おれたちはそこで生きてくだけだ。それしかねえんだ。村の誰もが、そうってもんだ。……話はこれだけか?」
「いや……一番大事なことが」
やおら、頭を下げる。
そして腰から鞘を引き抜き、胸の前で横一文字を作った。
「食事と、寝床を……ありがとうございました。ここでは返せなかったスけど……何かあったら、シラノ・ア・ローの名を出してください。縁者の人にもそう伝えてください。そのときは、俺ァ必ず力になります」
「……まァ、覚えてりゃあな」
興味なさそうに手を振り、老人は毛皮を机に投げた。
剥き身にされた兎肉に、これから調理を加えるのか。となれば、衛生的にいつまでも扉を開いている訳にはいかない。
頭を下げて踵を返そうとした、その時であった。
「シラノ」
「なんスか?」
「……昨日の飯、美味かったか?」
「うす。……美味かったです」
「そうか。……ならいい。もう行きな」
もう一度頭を下げて、村の中心を目指す。
ラッドたちを雇った男と顔役の結論がどうあれ――――そこに生きる人の言葉は、迷いなく剣を振るう助けになる。
腹は決まった。
あとは、実行に移すだけだ。
◇ ◆ ◇
飄と風が鳴る。その度に、木が軋み声を上げる。
高さは、家に直せば七階建てに相当するであろうか。
村に作られた櫓の上、シラノは装備を整えていた。夜に移り変わる空は、強い風を走らせている。今度は、山から吹き下ろす時間だろうか。
梯子が軋む。
やがて辿り着いたのは、メアリであった。
「……まったく、こんなところにいやがりましたか。結局、村長の方が折れましたよ? 亡霊たちを、正式に討つって……剣士さん?」
「……そうスか」
「おや、興味ないんで? これでまんまと討ち取られたら魔剣を取られちまいますよ? あっちは随分と欲しがってやがりましたんで」
そうかと頷き、足場に矢を突き立てた。触手の矢だ。これならば村人の眠りを妨げず、しかし亡霊を屠ることができる。
あれから暫く考えたが……何故、あの首なし騎士が引いたかは分からなかった。
ただ、シラノがそこに居合わせるならば――より正確には、触手の剣がそこにいるならばあの騎士は退く。そんな確信がある。
だから今すべきは、それ以外の悪霊の退治であった。
「カーラには、幽霊退治としか言われてないんで。……結果的に誰かが倒すなら、それでいいんじゃないっスかね」
元より、幾本と魔剣を折った身だ。……彼らのあの求めようを見れば若干申し訳ない気がしてくるが、触手剣豪であるシラノには無用の長物であった。
それに、剣ならある。
一つは折れてしまったが――受け継いだ誇りの剣が。そして、共に行くと決めたという友の剣が。
何よりも、己が進むと決めた精神を顕現させた剣がある。
「おやおや、欲のないことで。……それで、倒せると思います?」
「グントラムさんか、クドランカさんなら……魔剣の能力が分からねえ以上は、確かなことは言えねえっスけど」
「あのひよっこ二人には荷が重い、って感じですかねー。あんま話しやがらないのも、その辺りが理由で?」
「その辺り?」
「いやほら……実力が足らねえから、話す価値もねーって」
悪戯げに目を細めたメアリへ、首を振り返した。
「俺ァ、腕で他人の価値を量る気はないです。ただ、相手にその気がねえんならわざわざ話しかける必要がないだけで……」
「おや。嫌われたままで構わないと……それとも自分のことを嫌いな奴に合わせるつもりはないってことですか? 何にしてもほんっとに他人の目を気にしねーんですね、あんたさんは」
「気にして剣の足しになるなら、気にします」
ぼりぼりと首を掻く。
生憎とそんなことに気を割けるほど、余裕がないだけだった。為さねばならないことは、あまりにも遠い。
そうこう、作業をしながら他愛もない話をした。とはいってもほとんど、シラノは相槌を打っているだけであったが……。
「……そういえば剣士さん」
「なんスか?」
「あんたさんに一つ、言っておくことが――」
神妙そうな顔のメアリが切り出した、その瞬間であった。
――唐突に、生暖かい風が吹いた。
どこかから、遠雷めいた音がする。或いは笑い声であり、或いは呻き声だ。
村を見下ろす櫓から、空を睨む。森のあちらから――空を塗り替えるように迫る、蒼い靄。
――それは、歓声だった。それは歓喜の舞であり、それは歓楽の宴であった。
謳う、謳う、戦士が謳う。
吟遊詩人が竪琴を掻き鳴らし、道化師が踊りを踊る。みすぼらしい狩人は口笛を吹き、逞しき騎兵は凱歌を口ずさむ。
青白き波が来る。
死霊の波が、一団が、青白き雲が邪風に乗る。
迫りくる――〈死兵の饗応〉。死してなお戦いと狩りを続ける亡霊たちが、宵闇を塗り潰さんと進軍を執り行う。
即ち、掴むは弓。掴むは矢。
触手弓に触手矢を番え、
「イアーッ!」
シラノは叫んだ。開戦の嚆矢が、ひょうと哭いた。
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その四へ続く◆




