第六十四話 イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ その二
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その二◆
◇ ◆ ◇
おお、狂乱よ! 我が戦士の血潮よ! 我が骨と灰よ!
我らは鬼人。我ら忌み恐れられし鬼神の子。
いざや、大気を裂きその妻をいざなった父神の如く。いざや、降り注ぐ雷光を身に纏った父神の如く。
我が腹の雷鼓を鳴らし、我らが疾走るは死出の路。いざ目指すべきは我らが勲。
我が名を吠え立てよ! 我が音を打ち鳴らせ! 我ら皆、狂乱と雷霆の子なり!
――鬼人族の戦陣歌。
◇ ◆ ◇
グントラムの他、手を頭の後ろで組んで気だるそうにしている茶髪の少女剣士はクドランカと名乗った。
白い神官服の少女はメリナ・ア・ネイダ。彼女と行動を共にしている軽装の少年はラッド・ア・リーフ。これは又聞きだ。
言うまでもなく誰もが皆、シラノ同様冒険者であるらしい。
とはいっても、最後の二人を除いては特段普段から行動を共にしているわけではなく、この探索の為に一団を作ったそうだが。
「――なるほど。触手使いとしての父祖の名を、取り戻さんが為に?」
「うす。……まぁ、そんなとこで」
「ふむ。その為に触手剣豪か……。その剣名で父祖に押し付けられた悪評を拭う、か」
道中、自然とシラノとグントラムが先陣を切る形となった。必然、互いについて語ることが多くなる。
枝を踏み折らぬように歩きつつ、注意深く鼻を引くつかせる彼がふと漏らした。
「……お前を見ているとどうにも他人とは思えんな」
そのまま彼は目を細めて続けた。
「私も同じだ。我らが父神は、天を治める〈大気と光明と開花の神〉に抗いその身に幾度と雷霆を叩きつけられし勇猛な神だ。そしてあの〈剣と水面の神〉相手にも真っ先に果敢に挑みかかった……そう伝わっている」
「……」
「……だが、今は昔だ。ただ女を攫い、ただ村を荒らす。そして文明も文化もなく、秩序も規律もない……そんな野盗同然の扱いをされている。我らが本質は、戦士だというのに」
なんともやるせなさそうにグントラムは唸った。
シラノよりも頭二つ分ほどの巨躯であるが、彼からは恐ろしい気配は伝わってこない。むしろ、酷く紳士的にすら思えた。
その肩に疲れを滲ませながら、グントラムが言った。
「確かにこの国にきて、我らが如何に物知らぬ野蛮であったのかには気付いた。そこは自省すべきだと思った。……だが、ただいたずらに色を好み酒を奪い財宝をかき集めると思われるのは心外だ。我らにも流儀がある」
「……なら、ひょっとしてグントラムさんも?」
「ああ。……まずは私がこの国の流儀に従い武功を立て、我らは勇猛なのだと証明してみせる。我らは凄まじき戦士が故に畏れ疎まれこそすれ、決して文明を解さぬ愚図や阿呆だから忌み嫌われる訳ではないのだと」
だからこそ、冒険者として人に雇われることにしているのだと――彼は頷いた。
そして、ふと表情が和らぐ。鬼面の下の傷だらけの顔が、その黄色い瞳が、僅かな安堵を浮かべていた。
「心底、私はお前のような男と出会えたことを好ましく思う。お前を見ていると、故郷が思い出されてならない。……実のところ、これでも随分とこちらの生活に疲れていたのだ」
「うす。……そう言っていただければ、恐縮です」
「戦士がそんな他人行儀な喋り方をするな。……いや、ここは見習うべきなのかもしれんがな」
唸るように苦笑をするその目尻には、幾重にもなろうかという皺が刻まれていた。
己と同じ、身一つで世と相対せんとする男――。
ぽつりと、シラノも呟いていた。
「……俺の方こそ」
「ん?」
「俺の方こそ……あなたのような人に出会えてよかった。道は違っても、お互い頑張りましょう」
「ああ。……互いの父祖の名の為に。もっとも、情にかまけて魔剣を譲る気はないがな」
「奪うのが鬼人族の流儀っスもんね」
そして二人で頬を崩して、拳を合わせあう。
冒険者。
これまでのものとは異なり、確かに清涼な風が吹くような冒険であった。
ここにフローを連れてこられたらな、と思ってやまなかった。
「はいはいそこの戦闘民族二人、そろそろ村が見えてくるんで格好を整えてくだせーな」
半眼を何故だか余計に細めたメアリが口を尖らせるのに、胸襟を正す。
あれから幾度と現れる死霊を退けることしばらく。
一行はようやく目当ての村に到達していた。かろうじて、日が沈む前の到着であった。
湖畔地方。
前世なら風光明媚な――と呑気に呼べたかもしれないが、現世ではただ危険なだけである。
水を巡った諍いというのは当然ながら遥か昔から起こり、畢竟、穢れも貯まれば魔物も多い。亡霊も然りだ。
王の統治にも限界がある以上、得てして大都市や街道から離れた場所までは〈浄化の塔〉の建立も及ばない。
城塞都市の近くのあの村は、そういう意味では幸運な場所であったのだろう。……そのことだけは。
「……ない、と? 冒険者宿が?」
「ちょっとした宿泊所なんかもないのかよ?」
「この村には旅人は泊まらんのだ。……そもそも用意がない」
村人の中の顔役らしき男と、グントラムとラッドが交渉する。
シラノはメアリの側に付き従い、村を観察していた。
それなりの大きさの村だ。住人は、百はいるか。こちらに来てから随分と見慣れた〈浄化の塔〉が見られぬ代わりに、村には物見櫓が立っている。
腕を組んで辺りを眺めた。
あまり、荒れている印象はない。魔物や怪物の襲撃は少ないのだろうか。
「……じき、日が沈む。仕方がない……家を募ろう。お前たちはそこで待て」
話し合いが終わったのか。村人が戻っていく。今や完全に、村を囲う柵の前で締め出されている形になる。
そんな様子に、ラッドが口を尖らせた。
「なんだよな、自分たちからオレらを呼んだってのに……誰も旅人が来ないなら、どうやって商いをしてるんだよ」
「森を抜けていくそうですよ。だから、ひと月に一度しかしないんだって……」
「へぇ? そんなに余所者が嫌いなのか、この村」
メリナとラッドが喋り合うのを耳に挟みつつ、村の観察を続けた。
それなりの大きさはあるが、あまりにも簡素過ぎて境界線としての役割しか果たさぬ囲い。火を放てば容易く焼き払えそうな、あまり頑丈そうではない木製の家。
村の傍には畑があるのか、妙に甘く広がるような堆肥の香りがした。彼らの言葉通り、基本的にこの村は自給自足で成り立っているらしい。
しかし、気になったのは鶏小屋の頑丈さだ。決して鳥が外に出ないようにか、その柵の内は二重扉となっていた。
「いーんですか? せっかくの同年代だってのに?」
ひょこり、とメアリが覗き上げてきた。
彼女の手の先は、軽装の少年と神官服の少女だった。
「……ああ、ま、なんか避けられてるんで。理由は分かりますけど」
「おや。大変でやがりますねぇ、触手使いってのも」
「まぁ、慣れました。……先輩の前で同じことやったら、ただじゃすまさねえですけど。……あ、いや、冗談っス」
僅かに目を見開いたメアリに、ぼりぼりと頭を掻く。
流石に出会う人間出会う人間に斬りかかっていたら、それは理性を失った辻斬りとさして変わるまい。むしろ触手使いの悪評になる。
それこそ人民の大敵にして天下の罪人、世に憚る害悪であろう。
「……で、観察の成果はどうっすか?」
「そうっすね。……俺が生まれた家の近くの村に、少し似てます。俺は、中に入ったこともないですけど」
もう少しその頃から気を払っていれば、何か違和感が見つかったかもしれない。
ともあれ……今判ることは、この村が酷く流通から孤立した環境にあること。そして、さほど危機的状況にないということだ。
もう、メアリは何か答えを得ているのだろうか。若干悪戯っぽい半眼は、シラノが正解に行き着くことを見計らっている教官のようであった。
「お二人さん。お二人さん、泊めてくれる家の用意ができたってさ」
「あ、どーも。ありがとうございます」
「んー、こんなことでお礼とか言ってたら疲れちゃわない? ……まぁいいか。いいよねー、好きにしたら。んじゃー、また明日ねー」
それきり話もないとクドランカは背を向けた。肩で緩く二つに括った茶髪を揺らしながら、後ろ手でひらひらと手を振って立ち去っていく。
間延びした鼻歌交じりで歩き出すその背中には、あまり力強さが見えない。
何というか、どことなく飄々としている人物だった。結局あれから、どの戦いでも一度たりとも剣を抜いていない。しかし身のこなしは、決して弱いとは言い難いものだ。
何か流儀や誓約があるのだろうか。彼女もまた魔剣使いなのか。
眉間に皺を寄せていれば――小さな手で肩を叩かれた。
「さ、行きましょーか。うちらはこっちですよ」
「え」
「え、て。そりゃあ家主は別にしても、見知らぬ奴らと一緒に泊まるわけないでしょーが。なんかあったときのことを考えたらごめんですからね。まぁ、泊まるったって多分同じ部屋に入る訳じゃ………………あ、」
「……」
「……ほうほう、なるほどなるほど」
「何も言ってねーっス」
「いやあ、なるほどなるほど」
「何も言ってねえ」
「いえいえ、いいんですいいんです。ふふ、本当にかわいーですねぇ、よしよし」
「やめてください。撫でようとしねえでいいんで。そういうのいいんで。やめてください」
爪先立ちで伸ばされた手が、こそばゆかった。
◇ ◆ ◇
藁を敷き詰め、シーツをかける。
猟師だという家主の老人は、偏屈そうだが懐は広い人物だった。
夕食も、仕留めた鳥を二羽も出してくれた。小屋に泊めることを気にしてか、何度か差し入れもあった。
決して余所者を疎んでいるではない――そう感じるには十分であったが、逆に外を気にしないように努めているとも思えた。シラノたちから特に話を聞こうともしないのは、性格なのか。
まぁ、ともあれ歓待はありがたい。何かあったなら、一宿一飯の恩は返さねばなるまい。
それにしても、
「……今夜は外に出るな、か」
その老人が念押しするように何度も言い残していった言葉を思い返す。
より正確にいうなら――夜、外に出た場合は命の保証ができないだったか。彼のあの様子や性格からして、決して嘘だと思えない。
単に余所者に夜分出歩かれると、いろいろな意味で迷惑が起きる。そんな意味とも取れたが……
(……だったら初めから、村に泊めねえか。あのとき、俺たちを村の外に締め出しても良かった筈だ)
そうだ。あの村人の言葉――日没を警戒して、シラノたちの宿泊を決めていたのだ。
果たしてこの夜半に何があるというのだろうか。一般論からして、夜は獣の時間だ。だが、冒険者というのは夜営も慣れている。それを、普段村の外と交流のない村人が宿泊させる。
しかし村のあの様子からは、少なくとも近場に何か魔物や恐ろしい怪物がいるという気配が感じられない。戦いに備えるにしては、あまりにも不向きだ。
一体、何が。
そもそもからして、やたらと回りくどい依頼。魔剣を奪ってこいと言うわりに――カーラがその魔剣に頓着した様子はない。
そして、今回鉢合わせしたグントラムたち。
あのラッドの言葉が真実なら、彼らは村から雇われた冒険者だ。普段ほかと交易をしない村が、冒険の依頼を出す。そのこともまた、不可思議だった。
……と。
「おやおや、そんなに真剣な顔をしてまぁ……何かいい考えでも思いつきやがりました?」
さっきから必死に真剣になろうとせざるを得ない元凶が、身を乗り出して覗き込んできた。
嘘つき。大嘘つき。
同じ部屋じゃないって言ったのに。
「いやあ、まさか部屋が一緒だなんて……これはうっかり寝相が悪くて転がり込んじゃいますかねえ? それとも着替えをバッチリ見ちゃったり? ああ、服を脱ぐ音とかに耳を澄ませるのが好きな系でやがりますか?」
「……からかわないでください」
「いやあ、だってかわいいんで……ねえ?」
かわいいからってなにもかも許される訳ではないと思う。というかこれは使い方が違う。というか男にかわいいって言ってはいけないと思う。
うぐ、とマフラーを引き上げた。
判っている。女性と寝食を共にしたのはいくらでもある。というか、エルマリカやメアリが合流するまではそれが日常だった。なのになんだこれは。
さっきから、ずっと居心地が悪い。もう随分と居心地が悪い。触手で間仕切りを作れればいいのに、そう広くないために作る訳にもいかない。
落ち着け、と言い聞かせる。
自分は触手剣豪だ。触手剣豪に敗北の二字はない。我、ことにおいて後悔せず。死して屍拾うものなし。可愛い子には旅をさせよ。違う落ち着け。
「いやいや、我ながら見目だけはかなり女っぽくねーなーって思ってるんですけどね……それとも剣士さんは、こういう身体の方が好きでやがりますか?」
「断じて違います」
「そうもハッキリと言われると、いっそすがすがしくて頭でも思いっきり叩いてやりたくなりやがりますねぇ。棒で動かなくなるまで。……はて、でもそうだってんならなんで?」
「それは……」
「それは?」
「……その、メアリさんが、大人なんで」
クソと視線を逸らしながら言ったら、半眼を見開かれた。
そして――それが変わる。
にぃ、とした笑み。獲物を見定めた狩人のように、ネズミを嬲る猫のように嗜虐的な色を帯び始めた。
思わず後ずさる。
なんだこれは。何かが違う。何か今までの冒険と違う。こんなのは知らない。冒険ってこんなのだっけ。
思わず刀を我が身に寄せようとすれば――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!?」
上がったラッドの悲鳴に、弾かれたように扉を見た。
◇ ◆ ◇
駆ける。駆ける。灰馬が駆ける。
鬣を振り乱し、その嘶きは梟の声。風に乗るその姿は、まさしく千里を駆ける快馬の如く。
踊る。踊る。影が躍る。靄が躍る。
降ろされた夜の帳。頼りなき墓標めいて沈黙する木組みの家。
月すらも雲に覆われしその青紫の夜に、いざ開かれしは宵闇の一幕。これより先は、冥府の刻限。
おぉぉぉぉぉぉ――――と、耳鳴りが高鳴る。
話し声がした。笑い声がした。悲鳴にも似ていた。嬌声にも似ていた。或いはそれは勝鬨であり、或いはそれは千羽の鴉の羽ばたきだった。
妖――と。
手綱を握る騎兵が片腕を上げた。弓を携える猟師が躍り転がった。剣を掴んだ戦士は唸り舞い、耳を失った吟遊詩人が爪先で跳ねる。
残像めいてたなびく影。死。押し寄せる闇の時間。
これは、宴だ。
亡霊の、宴だった。
「……時期的にしょうがないっちゃしょうがないもんでやがりますけど、まさかここまで……。いや、〈死兵の饗応〉とは……。確かにこの時期は、アレでやがりますけど……」
隣で絵札を握ったメアリが顔を顰めた。
その視線の先の霊、霊、霊、霊、霊――――青霞の靄が、夜闇に満ちし家々の間を駆け回る。
武具や騎馬、或いは装備……統一感のまるでないそれらの姿は、却って彼らが死者であることを強調させた。列を為した死人だ。
暗夜の虚空を埋め尽くした一団が、波濤めいて押し寄せる一団が、暗雲じみた死霊の一団が宵風に乗って村中を駆け巡る。
その度、響く。風の唸りめいて、響く。
女の高らかな笑いのような、それでいて地の底から漏れ出しし怨念の呻きのような、遠雷めいて拡がる声が何処からか響き渡る。
「……さて、どーしますか剣士さん? 流石に村の中であたしの炎やあんたさんの斬撃を放つ訳には――」
「イアーッ!」
刃鳴一閃。
近寄った騎馬の、闇を纏ったその騎兵を小太刀にて抜き打った。
瞬く間に塵になり消える。そして僅かのちにまた戻るが、すれ違ったシラノには影響はない。
触手使いに生まれたが故の特性か。呪詛や霊障、魅了、催眠、狂化や呪毒がこの身を蝕むことは決してない。
ならば――すべきことは一つだ。
「最短距離を突っ切りましょう。一直線に前に進むなら、前だけ斬ればいいだけです」
「……はぁ。そういうとこ、お姫ぃ様と似てやがりますね」
溜め息を漏らすメアリの隣で、獅子の刀を構え直す。
名を獅子丸――そう定めた。振るうと獅子が唸るような、そんな風切り音がする。
その、初めての実戦であった。
「イアーッ!」
蜻蛉を取り、駆けるは一直線。
村の入り口ほどで聞こえたラッドの悲鳴目掛けて、死霊の兵団を斬り抜けた――――。
そして、辿り着いた開けた中心通り。
逃げ回ったのだろう。憔悴しきって座り込んだラッドのその身体は、刀傷のその傷口は、砂や泥にまみれていた。
だが、それはいい。
それは、問題ではない。
「……メアリさん」
呟いた己の喉が鳴ったことに、シラノは遅れて気付いた。
覚えがある。
覚えがあるのだ。
この、相対せしめたものに与えられる独特の威圧感。清涼なる氷にも似たこの重圧は――
「ありえねーって言いたいですけど……ありゃあ、魔剣でやがりますね……」
ラッドが見上げる、その三歩の向こう。
赤黒く脈打つ両刃の剣を握った、首なし騎士から発せられていた。
◆「イット・ゴーズ・オン・ゴーストナイト・オブ・カタナ」その三へ続く◆




