第六十二話 謝りたいということ。あなたを忘れないということ。そして
あの戦いから、十日も経つか。
随分と久方ぶりな気がする彼女たちの顔には、ひとまずは疲労や憔悴が見られないようで何よりであった。
街の瓦礫の整理や、溢れ出した魔物の処理、そして捕縛した邪教徒の移送――軽く互いの近況を確認し合ったのち、メアリが僅かに首を傾げた。
「……いや、それにしても剣士さんはなんだってまだこんなところで?」
「剣士じゃなくて剣豪っス。いや、鯨竜が出たそうなんで……」
「鯨竜?」
ええ、まあと頷く。
まだ実物は確認していないが、執行騎士である彼女にはそれで伝わるであろう。
そんな思いは過ちではなかったらしい。
気だるげな半眼が、余計に細まる。というかこれは、呆れだろうか。
「ああ、それで……祈願祭でやがりますもんねえ。殺生が駄目で足止め食らってるわけです?」
「うす。どうにかして、ムラサキトカゲオの草を集めようかと思ったんですけど……高値で……」
「ふむ? あの草が高値……まさかそんなにどこもかしこも鯨竜が出てるワケ――、あっ」
「え?」
「なんでもねーです。なんでもないなんでもない。ほら笑顔、ほら。おねーさん嘘つかない」
ダブルピースサインで頬を無理矢理釣り上げるメアリと、申し訳なさそうに目を伏せるエルマリカ。
何かは分からないが、深くは聞かないことにした。
「ま、なら運がよかったですね……剣士さん」
「剣豪です。……運が?」
「いえほら、殺生は駄目、生半可な攻撃は駄目ときたら無理矢理動かすしか手がないってもんでしょう?」
「それができたら……。暴れるって聞いてますし……」
「いえいえ、ここにいるのをどなたと思ってやがりますんで?」
そして――メアリの若草色の半眼が、照準する。
シラノも後に続いて……そして、なるほどと頷いた。
「ど、どうしたの……シラノさん?」
金糸の髪を揺らして、不安そうに外套の袖口で口元を隠すエルマリカ。
そう――
「〈竜魔の邪剣〉か……」
この世における条理の一つ。世界の理。万物の始祖にして最奥。
重さや速度、果ては実体や非実体――概念すらも跳ね飛ばすという、究極の防御の魔剣がそこにあった。
◇ ◆ ◇
そしてフローたちと合流し、メアリたちも交えて他愛もない話をしてから暫く……。
見物客を押し退けて、ようやく辿り着いた鯨竜の前でシラノは立ち尽くした。
「……」
その山のような巨体を見たとき、まず初めに思ったことは詐欺だ――ということだ。
前世で話に聞いたシロナガスクジラよりも大きい。というかその全長は、軽く見てその五倍近くある。
つまりは百メートル強ということで……触手がなければ、まず生身で向かい合いたいとは思わない大きさだ。斬り捨てるのも手間だ。
印象としては、小山だ。目の前に小山がある。呼吸に合わせて上下する小山だ。
いかにしてこんな巨体が生存しているのか。必要なエサの量はどれだけなのか。航空力学的に飛べるのか。そもそも自重で自壊しないのか……思うことは多々あったが、大事なのはそこではない。
真ん丸で黒い目――これはいい。いや、よくない。それが八個もついている。変だ。
苔むした身体――これはまぁいい。鯨の身体にはフジツボや貝がついている。そう思えばまだいい。いやよくない。苔の色が赤黒緑白とカラフルすぎる。
大きな体――うん、鯨だから仕方ないだろう。流線型だから仕方ないだろう。これはいい。他に比べればいい。
大きな翼――あからさまに蝙蝠に近いが、これは本当に仕方がない。竜である以上は避けられない。こんな翼で跳べるとは思えないが、まあいい。
大きな鼻――はい、鯨が行方不明になりました。はい行方不明。行方不明で七年経過して無事死亡してます。今鯨が死んだね。
黒とピンク色の肌――豚じゃん。
これ、豚じゃん。
控えめにどこからどう見ても、翼が生えて苔がむした流線型の豚だった。
空飛ぶ豚だった。
「……」
一体、これのどこが、鯨だと言うのだ。
これに鯨竜なんて名前を付けた人間は控えめにラリっていたのではないか。
それともこの世界の豚は海にいるのか。豚鼻から潮を吹くのか。ホエールじゃなくてブヒーモスじゃねえか。ブヒムートか。いやホエー豚なのか。
豚を引き延ばして流線型にしました――みたいな外見の巨体が街道に横たわっている。妙につぶらな瞳なのが腹立たしかった。
「……まぁ、やるか」
ともあれ、内心でボヤいても仕方ない。
呼び出した触手を両腕に巻き付け、手甲と脚甲を生成する。
あの妙に象徴的な夢――鎧武者の夢を考えるに、“体の操縦を肉体から精神へと明け渡す”ということはおそらく望ましいことではないが――手甲ならそれ以前にも行ったのだ。
問題はない筈だと両手の調子を確かめているその時、隣で声が漏らされた。
「……どうして、シラノさんまでここに?」
これまた同じく両腕をあの劔刃甲冑に覆ったエルマリカが、躊躇いがちに問いかけてきた。
先ほどから、どこか消沈気味にしているのが気懸かりだが……。
「いや……能力、見せるわけにはいかないってメアリさんが……。俺が一緒なら、魔剣の能力かは判りにくくなるから」
「ええ。……でも、やろうと思ったら風で人の目を閉じさせることもできるわ。……別に一人でも平気よ?」
「いや……」
気にしないでという笑みを見せるエルマリカへ、首を振り返した。
それなら誰にも能力が見られない。それはいい。だが――
「誰がやったかは、見られる。……エルマリカが、何をしたのかが」
「ええと……それが……?」
「……こんだけの巨体をどかした人間を、見物客がどう思うか……何を言うか……」
「……」
「……俺は、それが許せねえ。褒められるならいい……受け入れられるならいい。でも、そうじゃねえときのことを想えば……たった一人で背負わせられねえ」
そうだ。
人に成し得ぬ御業を目撃したときに、ごく平凡に暮らしているだけの人間が何を考えるか。何を口にするのか。
それが恐ろしく――何よりも許せないことだった。
「呪われたなんて、二度と言わせねえ。……あの時そう約束した。俺が誓った。二言はねえ……だから、これは絶対だ」
その一分を捨ててしまったら、シラノ・ア・ローはもう触手剣豪として立ってはいられない。
何よりも、そんな怯えの目線を向けられたエルマリカが何を感じるか――それを考えただけで、拳に力が入ってしまうのだから。
そして、竜の巨体に向き直る。
両足に力を込め、両手いっぱいでその肉を押す。ぶに、とゴム革のような感触が伝わってくる。
そんな中であった。
「……シラノさんは、本当に優しいのね」
「エルマリカ?」
巨体にあの劔刃甲冑を触れさせるかどうかの狭間で、消え入るように彼女は漏らした。
「わたしは、あなたにそこまでしていただけないわ。……だってあんなにも罪深いことをした。あんなにも、シラノさんを傷つけた。あなたを切り刻んで、わたしは笑っていた。それが心から楽しかった」
「……」
「こんなの……許される、訳がないわ。……だってあんなにもあなたを……助けに来てくれたあなたを、痛め付けて……。それどころか……わたしは、シラノさんのことを……殺そうと……」
懺悔の如く、俯きがちに彼女は言う。天上の青の如き碧眼が、曇っていた。
合点がいった。
先ほどから、何故ああも躊躇いがちにしていたのが。……そして、あれからシラノの前に顔を一度も出さなかったのか。
これが、理由だった。
いっそ責めてくれと――断罪してくれと、彼女の小さな肩は震えている。
「……」
内心で吐息を吐いた。そして、告げる。
「あァ……俺は許さねえ。死んだら終わりだ。……本当にそうなっちまったら、きっとこの世の誰にも許されやしねえことだと思う」
「……っ」
「でも俺は生きてる……なら、こんなのは二人も三人もが“許さねえ”と思うことじゃねえ。俺一人だけでいい」
「……え?」
問い返される瞳に、シラノは頭を掻きながら答えた。
「しばらくは、多分、俺も許せねえと思う。許さねえ方がいいと思う。……ただ、それだけでいい。それ以上はいらねえ」
「シラノさん……?」
「いやな気分になるときも、悪い気分になることもある。何かに酷いことしたくなる時も、傷付けたくなる時も……たまたまこの間がそうなっただけで、たまたまエルマリカが天地創世の魔剣使いだっただけだ」
「……」
「……こんなのは、誰にだって本当は当たり前にあることなんだ。だから俺も当たり前の範囲で少しの間は許さねえ。それだけでいいんだ……後は必要ねえ」
言いながら、シラノは内心で眉を寄せた。やはり上手く言葉にできない。得意ではないのだ。
胸の内が余さず伝わったなら、どれほどいいだろう。
彼女に斬り刻まれた痛みや戸惑い、憤りは僅かだろうとシラノの中にある――――それは確かだ。否定できない事実だ。
だが、そもそもエルマリカは背負わされただけだ。
本当ならば彼女のその悲しみや怒りは、年相応のもので終わっていたはずなのだ。
だが、終わらせられなかった。それだけで終わらせられないものを、誰も終わらせてくれやしないものを背負わされていた。
シラノが憤るとするなら、当たり前の範囲のことに対してだけだ。それ以上は――別のものに対して怒るだけだ。
「……あの日のこと、それ以上にエルマリカの今までのこと。俺が言うまでもなく……多分誰よりもエルマリカの中で“許せねえ”ことだと思う」
「……」
「なら、それ以上の許さねえを積む必要はない。それが自分自身のことであっても。……ただでさえ大きいものを背負ってるんだから、それ以上は載せない方がいいと……思う」
「……」
「死んだら終わりだ。……死ぬまでは終わらねえんだから、そんなものは積みすぎないほうがきっといい」
赤いマフラーを引き上げ、シラノは吐息を漏らした。
しかし、沈痛な面持ちの彼女は譲らなかった。
「……たとえあなたがそう言ってくださっても、やっぱり、わたしはきっと許されるべきではないと思うわ……誰だって、許されないことだと言うって……そう思うの」
「なら、その誰かは間違ってる。許されねえことは――……今回の件で許されねえことは、他にある。あるはずだ」
「シラノさん……?」
「そもそもそんな簡単に人を殺すだけの力を、エルマリカが背負わされたことが何よりも“許されねえ”ことのはずだ。……いや、誰だって本当ならそう思うんだ。『この世にそんなことがあっちゃならない』と」
「……」
「俺もそう思った。……だから俺は退かなかった。それだけの話だ。エルマリカが気にすることじゃないんだ。……この件にそれ以上の“許されねえ”は必要ない」
『誰か助けて欲しい』と辛さに堪えかねながら、しかしそれでも誰に宛てることもできず蹲ってただ悲鳴を上げていた人間に――それは『自分宛てだ』と応えた人間がいた。
偶然、今回はそれがシラノだった。
これは初めから、ただそれだけの話だ。
「でも……」
「でもじゃねえ。俺がそう決めたんだ。俺は触手剣豪だ。……二言はねえ」
「だけど……」
「だけどじゃねえ。……二言はねえ」
強いて言うなら、どうしてもと言うなら――治療にあたってシラノの肉体の惨状を見せつけられたフローが一番の被害者だろう。
「俺はこうして生きてる。……それ以上に君は、これからもっと生きてかなきゃいけない。本当は一度きりしかない人生を」
「……」
「……忘れた方がいい。あんまり背負わない方がいいと、俺は思う」
口を結び、シラノは赤いマフラーを引き上げた。
……彼女は抱える。あの日の慟哭のように、そして己から邪竜という銘を背負わんとしたように、彼女は自罰的な倫理観を持っている。
他人に矛先を向けるよりも、限界まで己をその刃で罰したがる。
それがなおのこと許せなかった。
(初めから、背負わされただけなんだ。……そんなものを背負わされなければ、こうはなってねえんだ)
気にしようとする人間だからこそ、気にするなと言ってやりたくなる。
忸怩たる思いで眉間に皺を寄せれば、しかし、隣のエルマリカが静かに呟いた。
「……シラノさん。でもわたし、忘れないわ」
「……」
「シラノさんがあれだけ手を伸ばしてくれたこと、助けてくれたこと、そんなあなたにあれだけのことをしてしまったこと……」
「……」
「……それ以上に、ちゃんと、助けてくれる人がいたんだって。この世界には神様がいらっしゃらないとしても、優しい人はいるんだって。……わたしが暴れても、見守ってくださった人がいるんだって……止めてくださった人がいるんだって」
いつしか風も凪いだその内で、無風の中でエルマリカは粛々と言葉を続けた。
儚げな金髪碧眼の少女は、荘厳とした何かと向かい合うようにただ胸の前で手を握りながら、小さな唇を開いていた。
「……わたしはそのことを、忘れない。あなたみたいな人がいてくれたことと、あなたにわたしがしてしまったことを……絶対に忘れないわ。死んでも忘れない。慈悲深くて忍耐強い……わたしの……いえ、この世にただ一人の……誰よりも勇敢で優しい騎士様……」
「……」
「ごめんなさい……そして、ありがとうシラノさん」
決意を込めた眼差しに、鼻から吐息を漏らした。
騎士ではなく剣豪だと訂正したいが――他はもう、仕方ない。これだけ言ってまだそう言うなら……もうそれは、シラノが言及する範囲を離れていた。
「……そう言うなら、好きにしたらいいんじゃないスかね」
「ええ、好きにしちゃうわ。だってシラノさんのこと、好きなんですもの。…………………………あ、」
「……」
「ち、ちちちちちちちちち違うのっ!? 違うのよ!? こ、これはそう……すすすすす好きって言っても、シラノさんのことをとっても深く敬愛しているってことよ!? そ、それこそ神様みたいなものなのよ!? か、勘違いしないでくださる!? ちがっ、違うのよ!?」
「神様みたいなもの」
「ぁ――ちが、ちが、違うの!? 違うのっ、これ、違っ、違うんです!? 神様じゃなくて……こここここここう、騎士様っ! そう、お姫様を助けてくれる騎士様なのよ!? とにかく違うの! そ、そういう変な意味の好きじゃないの! これは違うの! お助けしてくれた騎士様なの!」
「……あァ。騎士様……騎士か……そうか、騎士……」
ボリボリと鼻先を掻きながら、思う。
これはモテに入るのだろうか。
あと十歳上だったら、カウントしていたかもしれないが……相手は子供だ。正直それに本気になるのはいい歳の男として相当に気持ち悪い方だと思う。
一瞬は気の迷いでそう捉えそうになったのが悲しいところだが、よくよく考えれば彼女は敬虔な方だろう。
そして思えば彼女の生まれは妾腹とはいえ王女であり、流れが流れなら確かに侍従や騎士を連れていたのかもしれない。
となれば――――と、
「……騎士なら、いっそ王女殿下の手の甲に口づけでもした方がいいんスか」
「え、て、手、え、口づけ、え…………ええええええええええ――――!?」
「いや俺ァ騎士じゃないっスけど、こう、王族に対する礼儀や騎士の誓い的な――」
「だ、駄目よ! そんなの駄目っ、絶対絶対駄目! 無理! 絶対に無理よ!? 無理になっちゃうわ! 生理的な意味で駄目! 生き物として駄目になるわ!? 生物的に駄目よ!? し、死んだ方がマシになっちゃうから! も、もう忘れてっ、忘れてぇっ!?」
「……うす」
なんとここまで否定されるのか。完全に死体蹴りに入っている。
生理的に無理。
なんたる無慈悲かつ決断的な殺傷文句だろう。流石に傷付く。
「……」
……いやまぁ、好きとか嫌いとか。相手は子供だし本気にする気はないが。本気にしてもされても困るが。
それにしてもここまでボコボコに死体蹴りされるいわれはないと思う。彼女はまだ如何にありえないかを続けている。酸欠気味に真っ赤になって続けてる。
なお、ブヒーモスは片手間に地平線まで吹き飛ばされた。
「……」
なんだよ剣豪だぞ。触手剣豪だぞ。
相手は子供だが、子供だからこそ、こう、ちょっと悲しかった。妹がある日冷たくなったことを思い出す。
生理的に無理って。死んだ方がマシって。酷い。
◇ ◆ ◇
そしてまた、旅が始まる。
エルマリカとメアリは王都への旅だ。やはり此度の〈竜魔の邪剣〉の破損や淫魔については、然るべきところに報告しなければならないらしい。
それで、罰があるのか。
そう思えば同行を買って出たかったが、エルマリカから断られたし、シラノとしても触手使いの風評を覆す為の昇級を疎かにはできない。
……それでも、概ねは楽しい旅だった。
新たに友連れを増やしての旅。
見識深いセレーネや思慮深いメアリに案内され、娯楽という娯楽が新鮮であるエルマリカを連れ歩き(生理的に無理という言葉は気にしないことにした。剣豪なら無理だったかもしれないが触手剣豪なので耐えた)、そしてフローの世話を焼く日々。
勿論、野山を進む訳ではない。ただ街道を歩むだけだ。それでもとにかく――総合的に見れば楽しかった。
それがいよいよ終わるか、別れるかというその場だった。
「……鯨竜が、また出た? あの場所に?」
再び街道に溢れかえった民衆の一人を捕まえれば、そんな聞き捨てならないことを口にされた。
一同で顔を見合わせる。
「……あるんスか、そんなの」
「そうですわね……よほど鯨竜が大量に湧いたとか、普段のねぐらが使えなくなったとか……。あそこは立地的に良い場所だったのでしょう。海とも、そう離れてはおりませんし」
「それぐらい今年は縁起がいいってことかなぁ……? だといいよねぇ」
フローの意見はともかくとして、ううむと首を捻った。
そこへ、いつも通りの半眼を若干申し訳無さげにしたメアリが割り入った。
「あー、それ、うちらです。うちらというか……」
「……ごめんなさい、シラノさん」
「エルマリカが?」
「というかまぁ、はい……吹き飛ばしやがりましたよね、山。あの時」
「あ」
「いや人的被害はなかったんでやがりますけど、まぁ……どうにもその衝撃を大地震や天変地異の前触れと思ったんでしょーね。辺り一体の動物が掃けてて……そういうわけでまぁ……あり得るとしたら……」
これまでの十日間で、その調査にも行っていたらしい。
あの戦いの、余波。
となれば、
「……仕方ねえ。また、戻りますか?」
「いやぁ、それにしてもこうも湧かれやがられちゃお仕事になりませんね。追い払ってもキリがないし……となるとやはり、草でも燃しやがりますかね」
草、と言われて連想した。
カーラと、あのクソ変態セクハラクソセクハラ最低セクハラ女――リープアルテ。
彼女たちの契約が正式に成り立っていたならば、今頃は街道に鯨竜が寄り付く筈もないのだが……。
「それで、どうするの……シラノくん?」
見回せば皆、意見を求めるようにシラノを見ていた。
今このパーティの方針を決めるのは、シラノだということだろう。
ゆっくりと頭を振り、
「……戻りましょう。少し、気がかりなことがあるんで」
そう頷けば、皆が首を縦に振った。
◇ ◆ ◇
……で。
「旦那ぁぁぁぁ――――! ちょっと聞いてます!? ねえ、聞いてます!?」
無事だった。
うるさかった。
心配して損した。
すごくうるさかった。軽く斬りたかった。
「あの女、散々食うだけ食って遊ぶだけ遊んで、いざ話を切り出したら興が乗らないなんて言ったんですよーぉ!? 食べるだけ食べたのに! 遊ぶだけ遊んだのに!」
「はあ……」
「おまけに何が腹立つって、何が腹立つってーぇ……あの女、剣の足しにならないことに時間使わされたって慰謝料まで要求してきやがったんですよ!? 信じられます!? 言うにことかいて慰謝料ですよ!?」
「慰謝料」
むしろシラノが貰いたかった。主にセクハラについて。訴えたい。
だが、どちらかと言えば二度と顔を合わせたくなかった。それこそ生理的に無理だ。勘弁願いたい。
あれから魘される。
同性の友人や頼りになる先輩がいれば泣きつきたかったが、いなかった。誰もいなかった。
何故いないのか。怠慢ではないか。男女比がおかしいのではないか。よくよく気付いて見ればなんとも居心地が悪くなるものだし、宿で一人別の部屋に放置されるとこれまた疎外感が凄まじい。
翌日に皆が昨晩の話題を引っ張って盛り上がっていたときなど、もういっそ一人で旅に出ようかと思ったほどだ。
前世から女集団が騒がしくしてるのは苦手だった。モテたいが、それはそれとして苦手だ。そういうもんだ。
「はぁ……」
「なんで旦那が溜め息つくんですかーぁ! 溜め息つきたいのはこっちの方なんですよーぉ!? 聞いてます!? 聞いてます、旦那?」
「……聞いてるから、さっさと本題に入ってください」
切り替えよう。
……とはいえ、だ。明らかに奴は、好戦的だった。
おそらく何かしらの流儀や美学こそあれ、それこそリウドルフの如く――刀を鞘から解き放つことを心待ちにしている。
戦いではなく、流血を好む――そんな系統の、剣呑とした危険人物だろう。少なくともシラノはそう判断した。
それが、戦いを断る。
一体如何ほどの事情か。まさか魔剣の持ち主が、触手使いであったなどのことではないか。
そう問いかければ、カーラは憤懣と頷いて答えた。
「どんなおかしな依頼って……おかしくないですーぅ! カーラちゃんおかしくないですーぅ! 幽霊退治ですーぅ!」
「は?」
「だーかーらー、幽霊退治だって言ってるじゃないですかーぁ!」
幽霊退治。
なるほど。
……お祓いか、陰陽師でも雇った方がいいんじゃないだろうか。




