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第六十一話 遭遇


「……奪う?」

「ええ、とは言っても盗人じゃあないですよ? ちょーっとばかし旦那の剣の腕を見込んでね? どうです? 剣に生きるってんなら立ち会いこそが華ってもんでしょう? ほらほら、旦那も愉しい気分になってアタシにも――」

「断る」

「利益がありますし――……って、……………………はい?」

「断る。悪いが、付き合えねえ。……他を当たってください」


 呆然と立ち尽くす少女の真横をすり抜けようとした。

 咄嗟、袖を掴まれそうになるのを躱せば彼女は胸を揺らしてつんのめった。


「ちょっ、ちょっちょっちょっちょ、旦那ぁ!? いや、剣を握ってるんでしょう!? 剣士なんでしょう!? 旦那はその為に戦ってるんでしょう!?」

「違う。……戦いが愉しいなんて思ったことはねえ」

「な、ならなんで戦ってるんですか!? 女!? 金!? 綺麗どころなら多少は用意しても――」

「だから、断る」


 一歩前に出れば、二歩追い縋ってくる。

 彼女はどうあっても逃がすつもりはないらしい。先ほどまでの挑発的な態度が嘘のように、必死に食い下がっていた。


「そ、それとも剣名ですか!? そうだってんなら吟遊詩人でも雇って旦那の詩でも作らせます!?」

「……」

「……お、こ、これは興味あります……? なら、巷で評判の吟遊詩人のフロズギルを雇って――」

「断る。……悪い、そこまで提案されても無理だ」

「――んもうなんでですかーぁ!? なら、なんで酔狂に斬り合いに興じてるってんですか!?」


 興じた覚えはない。

 繰り返そうかと思ったが、彼女の中の剣士のイメージは強固であるらしい。ならば、是非もなし。現地人がそういう認識でいることを、簡単には改めることはできまい。

 そうだ。

 認識は、簡単には改められない。だからこそ――


「あら、聞き捨てならないこと言うのね。貴方」

「……あなたは?」

「剣に愉しみを持って生きるつもりのない人にまで、名乗る名前はないわ」


 突如として路地裏に、凛として静謐な声が割り入った。

 視線を向ければ――――女。腰まで豊かな黒髪を流し、緋色の瞳を細める少女がいた。

 いつぞや見た、ジゼルの着ていた舞台服に近い。軍服を扇情的に仕立て直したような赤と黒の意匠を纏い、腰の左右に剣を刺した少女が俄に路地を睥睨する。

 特徴的なのは、金に輝く髪飾り。月桂樹の冠が、黄金の茨めいて禍々しく漆黒の長髪に鎮座する。

 例えるなら、闇に咲く毒薔薇か。妖艶とした気配を漂わせながら、それは酷く鋭かった。

 それが、歩く。

 片目が隠れがちな長髪を揺らして、歩く。


「……っとと、ひょっとしてまさかそちらのお嬢様も剣に覚えがあるんで? いやいや聞いてくださいよ、実は耳寄りな話があって――」


 気付けば、カーラが歩み出そうとしたのを腕で制していた。


「……下がってください」

「へ? いやいや旦那、あれだけアタシのことを手酷くフッといてそりゃあねーでしょーよーぅ。いいですかーぁ? 幸運と商売の女神さまは、髪を前に垂らしてて……」

「――下がってくれ」


 発した剣気にカーラが凍る。

 言い捨てて、気付いた。

 カーラが心配だったのでない。これ以上、空の右腕を差し出していることが恐ろしかったのだ。


「あら。……そんな剣呑な目をして、誘っているのかしら?」

「……」

「言葉を交わす気もないほど、私に釘付けってこと? ふふ、なら想いに応えてあげるべきかしら……」


 言いながら、女が優雅に歩を進める。

 今にも鯉口を斬ろうとしている。いや、視線だけで鯉口を鳴らしていると錯覚するほどの――殺気。

 かの〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉と死合ったシラノをして、頬を伝う冷や汗を隠せなかった。


「戦いって感情と命の消費よ。燃やし尽くすの。でも貴方のそれは……感情も、命も、ただ浪費しているだけでしょう?」


 間合いなのか。五歩の向こうで、女が止まる。


「さて……。激しくする前に……物言わぬ身体になる前に、聞かせて貰えるかしら。……貴方、何の為に剣を握っているの?」


 チラリと、女がシラノの剣の柄を一瞥した。

 それで――その視線だけで、見抜かれたと思った。この剣を受け継ぎ、まだ日が浅いこと。そしてシラノの本命が、別にあること。

 それを含めてなお――女は己が死ぬつもりなど微塵も感じていない。シラノに、勝てる気でいるのだ。

 呼吸を絞った。

 やがて、やおら口を開き返す。


「やるしかないってときは、退くべきときじゃねえからだ。……そこで引いたら折れる。一度折れたらナマクラになっちまう」

「……」

「……そうなったら怖くて二度と戦えねえ。俺は戦いが怖くてたまらない……()()()()()、絶対に退かねえと決めた」


 そうだ。

 そうだと、奥歯を噛み締める。

 白神一刀流に敗北の二字はない。――それだけは変わらない。例え相手がこの世の条理だろうと、天地創世の魔剣だろうと変わらない。

 掴むべきその日まで――敗れてはならないのだ。決して。己が、そう決めた。


「だ、旦那……?」


 カーラが涙声を漏らすが、シラノに一瞥の余裕はない。そして女もまた気にも止めず、言い放った。


「私ね、戦いを怖がるのに戦いに向かう人って好きじゃないの。戦いを嫌うのに戦う人もそう。ええ、それはもう。それはそれはもう――今すぐに斬り捨てたいぐらいに」

「……」

「でも、貴方……少し違うのね。戦いを恐怖しながら世界全てに斬りかかる覚悟ができてる。この世の何もかもを斬り捨てたいが為に……だからこそただの一度たりとも退けない。ええ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 そうでしょう?――と、血の色の瞳が投げかけてくる。

 そしてシラノの声での返答を待たず、嗤った。


「――いいわ。とっても傲慢。とっても不遜。無欲そうな顔をしながら、貴方の想いは世界よりも重い……良いわね、その目。屈服させたいわ……私に溺れさせたい。組み敷いて(はら)に種をつけさせたい」

「……」

「貴方、〈剣と水面の神(バトラズ)〉って知ってる?」


 無言で返せば、少し残念そうに少女は眉を歪めた。


「……そう。凄い神よ。冥府を襲い竜の眷属を捕らえて薪に使い、〈一つ目の鍛冶神(オルダルトス)〉に鋼鉄の肉体を無敵の身体に変えさせた。〈天の炉の女神(ウェステレンシア)〉から〈炎獄の覇剣(ディルンウィーン)〉を騙し取り、父の仇を巡って神々と七日七晩世界を焼く戦いを繰り広げた」

「……」

「貴方、仕上げれば〈剣と水面の神(バトラズ)〉になれそうね。ええ――今はそんな様だけど、貴方の内には世界を焼く炎がある……ええ、とってもいいわ。私だけの〈剣と水面の神(バトラズ)〉にして組み敷きたい」

「……」

「判るでしょう? 世界を焼くほどの破壊と情熱を受け止めたいのよ……そうすれば、()()()()()()()()()()()()()()()


 ちき、と鯉口が斬られる。

 いつ握ったのか、判らなかった。

 いや――ただ一つ、判る。


「……ここでお前を斬り捨てた方がいいってのは、十分に判った」


 瞳を尖らせたシラノに、最早迷いなどなかった。

 心中で唱えるは一言。生き念仏の一行で己の意志が、思考が、肉体が切り替わる。

 即ち――ここが死地だ。こここそが死地だ。


「あら。……そう誘わないでよ。味見したくなっちゃうじゃない」


 女が長く肉厚な舌を舐めずった。

 隙のない清楚な少女の外見にして、毒婦めいた唇だった。

 隣で、カーラが喘ぐように息を詰まらせている。しかし、案ずる余地はない。

 間合いを受ける。

 居合。シラノに許されし二つの剣技のうちの、一つだ。


(…………)


 斬り込むべし。柄を握る指に力が籠もらんとした、まさにその一瞬であった。


「……日差しが強いわね」

「……?」

「日差しが強い、と言ったの」


 女がパタパタと手で仰ぐ。その身体から、殺気が霧消していた。

 立ち振る舞いには武芸者特有の隙のなさが浮かぶが、それとは別に意識には隙しか見えない。あたかもただの少女然としている。

 そのまま口を尖らせて何かを言いたげにシラノを見て、ツカツカと歩み寄ってくる。無手で。無防備で。

 判断に迷った。無抵抗の相手に、果たして刃を向けていいものか。

 その、瞬間だった。


「――っ」


 彷徨っていた右腕を抑えられ、足を払われた。肩から壁に押し付けられる。

 顔の横に、音を立てて腕が立った。早業――――否、明らかなる己の油断であった。

 失策。致命の、失策。

 負けじと右拳に電撃を滾らせ、女の腹へと――

 

「名前」

「……あ?」

「名前、教えて頂戴な。……ほ、ほら、こういうのは殿方から言うのが礼儀でしょう?」

「……は?」


 片眉を上げれば、睫毛の長い女は拗ねるように口を尖らせた。


「気が利かないのね、貴方。いくら〈剣と水面の神(バトラズ)〉が蛮神と言っても、それは望ましくないわよ?」

「は?」

「は、じゃなくて……名前も知らないと、貴方を探せないじゃない」


 何が。いや、探す気なのか。

 思わず口から漏れそうになったが、懐に入られている。迂闊な言葉を漏らせば、この位置からでも死出の一閃が繰り出されるという妙な確信があった。

 しかし、名前を。

 名前を、教えていいのか。

 この狂人に。今までかつてない、狂った女に。

 セレーネが可愛らしく思えるほどの、このド逆セクハラ変態クソセクハラ最低変態セクハラ強姦魔セクハラ殺人クソ変態セクハラ女に。おまわりさんどこ。たすけて。


「ねえ、焦らさないでくれない? 婦女子からの、お願いでしょう?」

「あ……う…………」


 ス、と女の白い太腿が股ぐらに入れられた。そして太腿を撫であげられる。おまわりさんどこ。

 僅かに不貞腐れた目で見上げられる。何をどうしていいか判らず、堪らず言った。


「……し、七郎(シチロー)

「シチロー?」

「シチロー・ヤギュー」


 忸怩たる思いで漏らす。

 己が腕程度で柳生を称するとは、流派を修めぬのに柳生を称するとは、あまつさえ柳生七郎を称するとは、縁者に出逢ったら七度腹を切って詫びても許されない不敬である。というか今すぐに腹を切りたい。代わりにこの女も斬り捨てて欲しい。


「シチロー……シチロー……シチロー……こっちの生まれじゃないのかしら? シチロー・ヤギュー……シチロー・ヤギュー……うん、悪くないわね」

「………………どーも」


 天下御免の柳生十兵衛の幼名である。悪い訳がなかった。


「私はリープアルテ・ア・ミルド。アルテ、と呼んでもいいわ。というか呼びなさいな。それを許すのは、この世で二人目よ」

「…………あ、はい」

「呼んで? 甘く、甘く、蕩けるように……。私も貴方を、シチと呼ぶから」

「……………………うす」


 ローと言われたら、本名に激突していた。恐ろしい感覚であった。

 耳元で囁かれる度に、全身の毛を逆撫でされたように鳥肌が立つ。

 目の前では黒髪が零れて、白いうなじが見えた。

 ふと思う。

 密着したこの間合いだ。刀なぞ抜けまい。今、雷撃を叩き込めないか。それともここからでもシラノを殺す手段があるだろうか。どうなのか。

 考えているとぞわりと毛が逆立った。耳たぶを、(ねぶ)られていた。


「これは予約よ。いずれ貴方の背中に爪を突き立ててあげる……消えることのない、爪を」

「い゛ッ!?」

「可愛い声……潤んじゃうわ。でも、もっとケダモノみたいに唸らせてあげるから。憤怒と快楽で、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜてあげる」


 耳たぶに噛み痕を、肩口にはマフラーをズラされ口づけの刻印を残された。

 女が離れていく。カーラも、気を取り直して彼女に話を持ちかけたのか。いつの間にか路地裏から消えていた。

 シラノは路地裏に蹲って、


「クソ、ふざけんな……消えねえ……一度でこんな痕つくか普通……クソ……」


 ごし、と袖で首筋を拭う。何度も、それを繰り返す。


「…………風呂入りてえ。洗い流してえ。日本に帰りてえ」


 さめざめと泣いた。今すぐ身体を洗いたかった。

 


 ◇ ◆ ◇



 ――この世界は間違っている。


 なんで男に対するセクハラは罰せられる傾向にないのだろう。理不尽ではないか。

 番兵所に駆け込んだが、まず女から襲われそうになったと言った時点で半数が興味のない目を向けてきた。いきなりの子作り宣言でまた半分が抜けた。

 女の外見を伝えたあたりで、明らかに敵意の目に変わった。あまつさえ、羨ましい奴だと吐き捨てられた。

 お前らは皮膚にテトロドトキシンを満たしたイチゴヤドクガエルに張り付かれて実際カワイイとか言うのか。そう怒鳴りたくなったが、最早その意気も消沈していた。

 泣き寝入りだった。

 官憲は役に立たない。やはり己を守るのは己の剣だ。合衆国憲法修正第二条は正しいのだ。権利章典だ。人民が武器を保有し携帯する権利はその為にあるのだ。

 首筋に付けられた朱色の刻印を拭いながら、集合場所に向かっているときであった。


「そこの人、そこの人」


 道端に座り込み、木机を広げた露店。外套を目深に被った二人組……机の上に広げられた絵札や薬草や水晶玉から見るに、占い師であろうか。

 周りの雑踏を見回しても、他に誰も足を止めようとしない。呼びかけられたのは、シラノだった。


「どうですかね、ここはひとつ……占いでも」

「……ありがとうございます。ただ、持ち合わせがなくて……」

「いえいえ、今日は店じまいにしようとしていたところですよ。無料でいいってもんで」

「……」


 む、と眉を寄せた。

 正直なところ、敬う気はあっても目に見えないものを信じる趣味はなかった。

 別に悪感情ではない。ただ、自分には不向きだというだけで――


「女難、でしょう」


 水晶玉を撫でまわす占い師の冷淡な声に、思わず息を飲んだ。

 フードの下の顔は見えない。だが、やけに小柄なその占い師は、そのまま淡々と続けた。


「近頃、女性から痛い目を見せられることが多いですね。……ええ、その服の下も、他人には見せられないような痕だらけじゃーやがりませんか」

「……」

「それはね、女難ですよ。女難の星が輝いてやがります。……どうにかしたいでしょう?」

「……なにやってるんスか、メアリさん」


 咎めるような目線を送れば、手が止まった。

 そして、やおらフードが下ろされる。零れ出したのは、にぎやかな橙色の髪と無感情気味の若草色の瞳だった。


「……なんで判ったんで? いや、これでも変装に自信はあったんでやがりますけどね」

「少し、身体を庇うような動きがあったんで。……メアリさんこそ、服の下に怪我がありますよね」

「あら。なるほどなるほど、そこで言い当てやがりましたか。……ふむ、なるほど。どうです? いっそそこらの茶屋で服の下を確かめやがり――嘘です嘘です、嘘ですお姫ぃ様。殺さないで」

「お姫ぃ様……?」


 仰け反ったメアリに詰め寄るもう一人の外套の影。

 お姫ぃ様とメアリが呼ぶのは、この世でただ一人だ。即ち――


「……エルマリカ、か?」


 びくりと身体を震わせたその外套の下は、あの少女。

 天地創世の魔剣使い。砂糖菓子でできた人形めいた金髪碧眼の令嬢。約束の彼女。自称:呪われた邪竜――。


「……シラノ、さん」


 エルマリカ・ア・リューシア・エ・マグナ・エスタルシア、その人であった。


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