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第六十話 狐の品入れ


 話しかけてきたその半獣人の少女は、カーラと名乗った。

 旅人向けの酒場の給仕の如き、コルセットを巻いて胸元を強調した女性服。非常に特徴的な野狐の如く前を向いた大きな耳。

 宿場に根を張る顔役の御用聞きであるという少女は、


「耳寄りな話?」

「ええほら、ちょこーっと小耳に挟みましてーぇ? いやぁ、というかアタシの耳は大きいんですが? なんでも旦那がた、あの鯨竜にお困りだとか……」

「……あるんスか? なんとかする手段が?」

「これはこれは話が早い! いやぁ、見目麗しい剣士の旦那はご理解が早くて助かりますねーぇ! あはっ、顔も良くて腕も立って頭の回転も速いとは、これはこれは天は何物も与えたようで御座いませんか!」

「……本題に入って貰っていいスか」


 ぼり、と頭を掻く。見え透いた世辞ほど、聞くに堪えないものはなかった。


「いやあほら、鯨竜は怪物とはいえそれはそれは縁起ものでしょーぉ? おまけにそろそろ〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉様のお祭りとなれば殺生は厳禁……斬り捨てちまうのも美味くはないってもんで……ほらほら、そうなると如何に穏便に追い払うってーのが鍵になる。いやあ実は、ここらで一つ力になれるって寸法な訳でございまして?」

「……斬り捨てられるし、美味でもありますけどね」


 セレーネがぼそりと呟いたが黙殺する。蛮人の意見だ。


「さ、鯨竜ってのは丘にいるときはそれはそれは立派な翼を持っているもんですがね? いざ海で暮らすとなると、今度は図体をドでかくして潜り始める……てぇーなると大切なのが脱皮というもんで、さぁさぁ懸命な剣士の旦那。そうなると何が必要だと思いますか?」

「……栄養か?」

「ええ、まさにご名答! 流石、剣に生きたる男は慧眼でございますねーぇ! これまたますます旦那がどれほど優れたお人であるかを見せられたら、いやぁ、しがないアタシみたいな物売りは――」

「それで……栄養と、追い払うことに何の関係が?」

「……ややや、っといけない。ついつい話が回りすぎまして。いやぁ、口から生まれた口太郎ってぐらいに喋りすぎてしまうのはアタシの可愛げのある欠点てなもんで……」


 目の前で恐ろしくまくしたてられるように話されれば、よくぞまぁ舌を噛まないものであると思う。

 セレーネは僅かにあっけに取られているようでもあるし、フローは……フローは相変わらずだった。見知らぬ相手に毛を逆立てるように、シラノの影に隠れていた。


「んで、まぁ、今の鯨竜はたらふく食った状態でいやがるって話でーぇ……ところで旦那、海の中だと目と鼻のどっちが大事だと思います?」


 逡巡し――「……鼻?」 シラノは答えた。

 その途端、ご明察だと少女は両手を叩く。


「ええ、そう。潜っちまえば暗くなっていく大海原の中で鼻ってのは大事でやがりましてね? いやぁ、元が蜥蜴の仲間である鯨竜ってのはそれなのに何とも大胆なもんで、これを機に――って鼻を作っちまうんですよ」

「……」

「で、たらふく食って……おまけに新品同然の鼻がついてる。そうなるともう、苦手なものが何かはお判りでしょう?」

「……ああ。匂いか」

「まさにさようでございますーぅ!」


 パン、と手を打って少女が懐から――より正確に言うなら胸の谷間から――渦を巻いた紫色の草を取り出した。

 見覚えがないものであった。

 だが確かに、臭気が強い。ドクダミの香りに似ていた。

 よくぞこのようなものを素肌に触れさせていたなと思うが、そこは言及を諦めた。


「……これを使えば?」

「ええ、脱皮してる周りでこのムラサキトカゲオの葉をたらふく燃せば一目散に逃げていくってもんで! おまけになんと、そのときだけじゃあなくしばらく寄り付きませんとも! どうです? これが知恵ってもんで!」

「……」


 なるほどな、と頷いた。

 魔剣でも持たぬ限り打倒の難しい巨大生物のいる世では、その為の別の対策が生み出されている……それは道理だった。


「なるほど、それじゃあいくらっスか?」

「おお! 決断が早い! いやあ、お客様の皆様方も旦那ほどすんなりとお決めくださればアタシも大助かりなんですけどね! いやはや、やっぱりそこらの人ってのはそうもいかなくて……っと無駄口ばかりですみませんね。ざっとこれぐらいです!」


 ず、と手のひら大の魔法の砂板が差し出される。

 たっぷり三十秒眺めた。

 たっぷり三十秒眺めて、言った。


「……十分の一ぐらいにならねえっスか?」

「………………………………は? いえいえ旦那ーぁ、そりゃあタチの悪い冗談でしょーよーぉ……。言うに事欠いて十分の一とは……これでもかなりご奉仕させて貰ってるんですよ?」

「……百分の一ならもっといいんスけど」

「…………………………………………………………………………はぁ?」


 露骨な半眼であった。

 今にもこいつ使えねえなと言いたげである。


「……ちっ、連れには魔剣持たせてるのに貧乏人なんて。はー使っかえねーですーぅ。はーホント……何これウケるーぅ……はーホント……」


 というか言ってた。

 それきり、尻尾を不機嫌そうに振って離れていく。別の旅人を当てにしたようだった。

 ううむ、と顔を見合わせ――


「……とりあえず、他に売ってないか探しましょうか」


 そういうことになった。



 ◇ ◆ ◇



 馬柵に繋がれた替え馬を眺める商人は、連れの鬼人族(オーク)の傭兵に顔を寄せ意見を求める。

 賑やかに肩を組み合った獣人の用心棒たちは、小人族(ハーフリング)の行商人を冷やかしている。

 外套に耳長を隠した半森人族(ハーフエルフ)の巡礼者は、連れの若者が酒を舐めているのを顰蹙げに眺めている。

 石畳の街の中、広がっているのはあまりにも幻想的な風景であった。

 雑踏を掻き分け進むことしばらく、ようやく辿り着いた宿場町でシラノは、


「あんまり出回ってねえ……か」


 人々の歩みに削られた石路の上、やる方なく後頭部を掻いた。

 小さな商店では品入れさえない。

 それなりの大棚に顔を出したところで、彼女よりも高値を提示されただけであった。

 こうなると、あの半獣人の少女は随分と良心的だったのだろう。稼ぎの百日分に相当するので、いずれにせよ手は出せないが。


「それにしても不思議ですね。竜や猛獣相手はともかく、魔物相手には役に立たないというのに……」

「そうなのか?」

「魔物が避けるのは“貴”の結晶や〈浄化の塔〉ぐらいですわ。磨り潰せば薬としても使えますが、浄化の効果もないものですし……」

「そうか。……天候不順か?」

「今年はそんなにおかしな気候とも思えませんが……いえ、私もこちらの生まれではないのですが」

「……そうなのか?」

「ええ。まぁ、特に話す必要もないことでしたので」


 確かに、別に知る必要もないことだった。

 それがシラノの剣の助けになる訳でもなければ、セレーネとの関係を変える訳でもない。

 それが露銀の足しになりもしないし、彼女が特段言うべきでないと思ったのならば無理に聞くべきでもないと思い――


「いや……教えてくれるか?」

「シラノ様?」

「この世界のこと、世の中のこと……俺ァどうにも知らなすぎる」


 それは例の淫魔大戦にしてもそうだ。その後の変遷もそうだ。今の、この国のこともそうだ。

 具体的にこの地に何があったのか。それを知らねばなるまいとフローを一瞥し、


「休もうよぉぉぉぉ……疲れたよぉぉぉぉぉ……。もう歩けないよぉ……お姉ちゃん死んじゃうよぉ……辛いよぉぉぉぉ……休もうよぉぉぉぉ……」


 生まれたての子鹿みたいに杖(注釈:触手で作ったものでないものを指す)を握りながら膝を震えさせる師匠がそこに居た。

 情けないとは思うまい。

 そもそも前世からして陸上をやっていたシラノと、幾年も戦の技を磨き続けたセレーネ――現役の超前衛職と比べるのは酷が過ぎる。


「……少し、休みますか」


 是非もないと、おごそかに頷いた。



 ◇ ◆ ◇



 竜たる大地のドラカガルド。

 東に伸びたるは竜の尾。その根本に座したる大いなる山脈ベールベルクは彼と我とを分かち、その遥か向こうの平野には、竜馬に跨がる軟体の悪魔族(レムレス)があるという。


 南に伸びたるは竜の左翼。

 山稜と塩に満ちしその半島。眠り羊を野に放ちしその土地には、かつてから受け継ぎし冥府の墓守ウァルスリウトの国があるという。


 北に伸びたる竜の右翼。

 大いに隔てられし凍土の国。雪深く眠るその半島には、霜を纏う巨人の血族が今も生きるという。


 西に垂れたるは竜の首。

 その根本の角笛の島には、かの〈流水と渦の神(ニィエルドリル)〉の孫、〈海霧と凪と渡り鴉の王(ヘルムベルトラム)〉の血族が続くという。


 我らが暮らすは大中津原。竜の胴に育まれし大中津国。

 大中津原の、ティグルマルクの王国なり。

 天なる父から二振りの魔剣を受け継ぎし〈大気と光明と開花の神(ティグワース)〉、我らはその血族なり。



 ◇ ◆ ◇



「これ美味しいよシラノくん! えへへ、どうかな? 一口あげよっか?」

「俺は茶だけでいいです」


 ズズズと穀物の茶を啜る。

 紅茶のように上等なものはなく、当然こんな洋風の世界に緑茶もない。

 というかそもそも烏龍茶にしても紅茶にしても緑茶にしても茶葉自体にさしたる違いはなく、育った場所と発酵の度合いと聞いたがあれは本当なのだろうか。

 加えるなら珈琲の豆というのも一種類。育ち方により味を変えるそうだが……まぁ、いずれにせよどちらももう口にできないものだ。

 醤油の味や米が無性に恋しくなるが――もうこちらで生まれてから十余年。諦めもついていた。

 それはともかく、


「……ん?」


 なんというか。

 吹き抜けの喫茶屋の店内には、やけに男女の二人連れが多い。それも親密そうな二人が。

 あちらでもこちらでも特にモテたる覚えのないシラノにとっては、なんというか若干複雑な気持ちになる。

 すべてが終わったあと、小さくても幸せな家庭が作れたらいいとか自分にも良い人が見つかるだろうかと思いつつ――また入店してきたのが年若い男女二人であった。

 いくらなんでも、多すぎる。


「……発情期スか、これ」


 若干小声で切り出せば、信じられないものを見たとばかりに女性陣から丸い目を向けられる。

 セレーネからすらもであった。


「……ご存知では、ないのですか?」

「何が」

「シラノくん、本当に知らないの……?」

「何がスか」

「え……〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉と〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉のお祭りだよ!?」


 フローの驚愕に合わせて、ザワと店内がどよめいた気がする。

 いや、気のせいではない。

 明らかに気の毒な人を見る目がそこかしこから向けられていた。


「……何スか、これは」

「えっと……どうして竜の大地(ドラカガルド)ができたのかは知ってるよね……?」

「ああ。〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉を使ってた女神を別の神が手打ちにしたとか何とか……」

「うー、手打ちじゃないよ。その二人にも悲しい話はあるんだからね? シラノくんはそういう女の子の機微を判ってないなぁ……」

「知らねえ話は知りようがないんで。……それで?」


 正直なところ〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉とその名を聞けば未だに身体の芯から震えが来るが、ひとまずは飲み込んだ。

 エルマリカともメアリとも、あれから顔を合わせていない。息災にしてくれていればと思うが……


「その後、〈冥府の大剣(ヴィーヴォル)〉を持った女神様が冥府に降りたよね? それが〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉なんだよ!」

「なるほど。……つまりは、地獄の鬼相手に斬りあった戦勝祭みたいなもんスか?」

「なんでそんなに物騒なことを言うのさ!? シラノくん蛮族化が進んでない!?」

「蛮族は差別用語っスよ」


 ぼり、と頭を掻いた。

 そもそも天地創世に剣などが絡んでいるこの世界に物騒だなんだと言われたくなかったが、シラノは触手剣豪なので我慢した。

 というか、なんだかさっきから店の聴衆が近い。


「そのあとね、〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉って神様が間違って冥界に運ばれちゃったんだ。本当は死ぬ予定じゃなかったのに、友達と間違われちゃったんだね」

「担当者は切腹モンですね。……それで?」

「その〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉が地上に帰る道を探していると、竜母神の眷属だった竜鬼に襲われている女の子が居た……それで優しい〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉は咄嗟に近くにあった剣でその子を助けたんだ」

「……」

「実はその剣は〈冥府の大剣(ヴィーヴォル)〉で、その女の子こそが〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉でね? 二人はそうと知らずに恋に落ちて……ずっと仲睦まじく暮らしていたんだよ」


 うんうん、と聴衆が頷いた。

 セレーネまで頷いている。疎外感が物凄いものである。


「でも〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉は世の中の色彩と安穏を司る神様だろう? だから彼がいなくなっちゃった地上は色がなくなり嵐になって……つまり吹雪だね。元気になったのは巨人ぐらいで、それで堪らず神様たちが彼に戻ってきてくれって言ったんだ」

「なるほど」

「それで二人は離れ離れにされちゃうんだけど……でも、神様たちは可哀想だと思ったから、一年に数ヶ月は冥府で一緒に暮らすことを許したんだよ」

「……それが冬ってことですね」

「うん! その代わり、その間は冥界に花が咲き乱れるんだよ! いいよねぇ……竜に囲まれて暗い世界で使命に生きてた女の子のところに、花と平穏を連れてくる人がきてくれるんだよ? いいよねぇ……」


 フローは半ばうっとりとしていた。聴衆もまた首を縦に振っている。

 セレーネは……セレーネは多分違うだろう。これはきっと〈冥府の大剣(ヴィーヴォル)〉と斬り合うことを心待ちにしている顔だ。

 シラノとしても確かに〈冥府の大剣(ヴィーヴォル)〉の性能は気になるところではあった。

 立ち会いを演じる気は毛頭ないが、あの〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉ですら序列第四位だ。少なくとも、あれより三本は優れた魔剣が存在しているとなると恐ろしい。


「それで今度は〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉が彼を送り返しにきて、数日は地上に留まるんだ。だから、冬が終わると二人を祝ったお祭りをやることになってるんだよ?」

「なるほど。……さっきの、殺生が厳禁ってのは?」

「その間は冥府の門が開いてて、他の死者たちも戻ってくるからね。そんな中で殺生なんてしたら、幽霊がいっぱい寄ってきちゃうよね?」

「なるほど。……とにかく、盆と正月が合わさったような祭りなんスね」

「ボン? ショウガツ?」


 こっちの話だ、と打ち切ってマフラーを引き上げた。

 信仰的に殺生が禁じられているというなら、鯨竜とやらを斬り捨てるのは不味い。やればできるだろうが、どうしても原型や痕跡は残ってしまうだろう。

 ……と、セレーネが顔を寄せていた。


「シラノ様、〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉はその二人の娘ですわ」

「……」

「シラノ様、〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉はこの時も冥界に留まっておりますわ」

「……」


 眼帯の美女が何が言いたいのか判らんが、碌でもないことは確かだった。

 ともあれ、と腕を組む。

 やはり先ほどの半獣人の少女の言葉の如く、草を燻して鯨竜を立ち退かせるしかないのか。

 今の祭りの話を聞いて、より一層取り除かなければならないという想いが強まる。あれ程の被害にあった城塞都市から、祭りすらも取り上げることがあってはならないのだ。


「……んじゃ、手分けしてまた探しますか。街や国が動いてくれりゃあいいんスけど……」

「だとしたら、先ほどのあの獣人の少女もこちらに売りに来てはおりませんわね」

「逆に、買い叩かれる前に売りに来たとも思えるけどな……まぁ、そうか。動いてねえ、ってことでいいんだな」


 シラノよりもセレーネの方が知見がある。ならば、信ずるべきは彼女の意見だろう。

 となればまた、何とかする方法の為に動くだけだ。

 願わくば、自分たち以外にもそれをしてくれる人間がいればいいのだが――。


「いや……」

「シラノ様?」

「だったら、他の人に頼めないか? 道が塞がれて困ってるのは他も同じだろう? なら……」

「なるほど。出資者を探す、という訳ですか」

「ああ。俺は俺で声をかけてきます。……先輩のこと、頼んだ」

「ええ、この命に替えましても」


 視線を交わし、二手に別れる。

 仮に命を狙う淫魔が何処に隠れていようとも、セレーネ・シェフィールドならば問題ない。それに彼女は理知的だ。交渉についても、人見知りのフローより上手くできる。

 あとはシラノもシラノで、協力者を見付ければいいだけである――――。

 




「……そうはいかねえよな」


 知ってた、と肩を落とす。

 実に単純な話だ。

 そんな金を支払って人様の役に立つよりも、自分たちで冒険者を雇って迂回した方が安上がりになる――――。

 商人とはまさに利益追求者だ。公共の為とはいえ、望んで損をしたがる人間はあまりいない。

 それこそ金に余裕があれば、売名の意味も籠めてしてくれる商人も居たかもしれないが……。


(そんな人間は、えっちらおっちらここらで荷馬車を引いてねえ……か。大店(おおだな)の名代ったって、勝手なことはできねえって言ってたしな)


 残念ながら街ではなく街道や宿場町では、条件に合致する相手は見つからなかった。

 

「いや、それでも全員で金を出し合えばそこまでの損失にもならねえし……それか宿場の店に話を持ちかけるか……」

「無理だと思いますよーぉ?」

「あなたは……」


 ぴょこんと飛び出した二等辺三角形の獣の耳。底抜けに不敵そうな笑顔を浮かべる彼女は、


「どもども、カーラちゃんですーぅ。にへへー、こんにちは、貧乏剣士さーん?」

「剣士じゃなくて剣豪です。……今、なんて?」


 ダブルピースサインで頬を緩ませる彼女は、もう商売相手とは思っていないのだろうか。若干、侮るような態度が透けて見える。

 そのまま、手で虚空を拭くように回しながら挑発的な流し目を送ってきた。


「いやほら、この騒動のお陰で皆さん足止めでしょう? となればその宿も必要ってもんで……それなのに宿場の店がお金出すと思います? いやいや、そんな訳がないでしょう?」

「……」

「それにね、全員でお金を出し合うと申しましても……旦那が集めた金を持ち逃げしないとも限りませんし、やっぱり自分で冒険者を雇った方が早いですよーぉ?」

「……なるほど」


 道理だった。

 確かにシラノが金をくれと迫ったところで、身なりも風体も良くない男が最悪恐喝しているに過ぎない。これは盲点である。

 或いはこのときの為に冒険者の等級があるのかもしれないが――今まさに、その〈銀の竪琴級〉への昇級の為の旅路である。となればもう、是非もない。

 口を結んだシラノのその腰へ――というか腰に差した刀へ、彼女は量るような視線を向けていた。


「それにしてもー、従者には魔剣を使わせてご自分はただの剣なんですねーぇ? あれです? 信じる神の加護がある魔剣が引けないから、それまで魔剣待ちみたいなーぁ?」

「まず、セレーネは従者じゃないです。それにこの剣は、ただの剣じゃない」

「ふぅん? いやー、確かに頑丈で実用性はありそうな剣ですけど……値打ちものなんですーぅ?」

「……ああ。かけがえのない、友人だ」


 端的に言った。この剣は、売れと言われても売らぬと決めていた。

 剣を友と呼ぶことに奇矯なものでも感じたのか、彼女は目を丸くしているが……別に理解は求めていない。それよりも、事態の解決が欲しいのだ。


「意見はどうも。参考にします。……店教えてくれりゃあ、小物ぐらいは買いに行くんで」


 言い切って踵を返す。

 こうなるとやはり――……斬り捨てる他、ないのか。

 しかし、死霊術師がいる以上は死霊はれっきとした現象だ。いや、襲い来るなら斬り捨てればいい。だが、人々の信仰を穢すのは憚られる。

 どうしたものかと眉間に皺を寄せ、歩き出そうとした時のことだ。

 少女が、半獣人のカーラが目の前に回り込んできていた。それも、どこか期待に目を輝かせてだ。


「ね! ね! そう言うからには旦那……剣の腕には自信はあります? かなり使える方です?」

「魔剣を何本かは」

「……………………も、持ってるんですか?」

「いや、斬った」


 余さずとっておけば、少しは露銀の足しになっただろうか。


「え。…………魔剣を使わずに、魔剣の相手を? 魔剣以外で? 斬ったんですかい? 魔剣を?」

「うす。まぁ……」


 言葉を濁した。

 流石に婦女子を相手に、二人きりで触手使いというのは憚られた。逆の立場なら恐怖するだろう。冷蔵庫から宅配ピザを両手に持った忍者が現れるようなものだ。

 ともあれ、これ以上話しても詮のない話。

 いやむしろ、完全に何かを値踏みするような視線に移った彼女からは逃げるべきだと直感が警鐘を鳴らし――


「ねーぇ、旦那ぁ……ちょっといい話があるんですよーぉ。一つ聞いていきません?」


 遅かった。

 まとわりつかれた腕に、むにとした感触が伝わる。わざとらしく身体を押し付ける仕草に眉間の皺が深くなる。

 肩を押して、丁重に引き剥がした。


「悪いスけど、やることがあります」

「いえいえいえいえ、まさにそのやることに関連してることってもんで――どうです? ムラサキトカゲオの葉……個人的な頼みを受けてくれるなら、安くしときますけど」

「個人的な、頼み? ……用心棒や刺客をしろってんなら、悪いが断りますけど」

「いやいや、今は殺生も禁じられていますし……そんな物騒な話じゃあないですって」


 ひらひらと手を振って、


「ええ。……魔剣を一つ、奪ってきて欲しいんですよ」


 陽気な少女はニィと目を細めた。獲物を狙う、天性の狩猟者の瞳であった。

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