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第五十九話 三分の二の純情な蛮情


 流れる雲も疾き早春の空の下、風は僅かに湿気を含んでいる。

 故国を遠く隔てたこの竜の大地(ドラカガルド)では、冬や春先ほど湿度が多く雨も多い。夏は逆に乾いている。

 そんな環境の中、旅立ちの日が晴天というのは好ましいことだろうが――


「うぇぇぇぇぇ……うぇぇぇぇぇ……」


 ぐすっ、ぐすっとグズる声が聞こえる。

 言うまでもなくフローであった。


「……先輩、いい加減に泣き止んでください」

「うぇぇぇぇ……だってぇぇぇ………せっかく仲良くなったのにぃぃ……」


 事務仲間との別れが、よほど彼女の琴線に触れたらしい。

 冥界の宝珠めいた紫色の瞳に大粒の涙を浮かべていた。朝食を摂って挨拶を済ませてからこの方、彼女は一向に泣き止む気配を見せていない。


「シラノくんは寂しくないの……? だってお別れなんだよ……? うぇぇぇぇぇ、一緒にお買い物とか行ったのにぃぃぃ……」

「……いやまぁ、別に今生の別れってわけでもないっスから。いや――……どっかでどっちかが死ねば今生の別れか」

「なんでそんなに物騒なこと言うのさぁ……」

「冒険者なんで。……可能性として」


 言うだけ言ったが、フローは余計に泣いた。

 というか――と後頭部を掻く。

 そもそもシラノには、あまり親しい相手もいない。基本的にセレーネかフローと行動を共にしていたのだ。

 そういう意味ではアンセラだろうが――……何故だか彼女とは昨夜から顔を合わせていなかった。つまり、特に名残惜しい別れもないのだ。


 ……と、肩を叩かれる。

 セレーネだった。


「なんスか?」

「いえいえ……」

「……なんだよその目は」

「いえ……ああ、私はイルヴァ様からお別れを言われましたけど」

「……。別に俺自身を好かれたくてやってるワケじゃねえからいいんだよ」

「……」

「なんだその目は。……なんスか」

「いえいえ」


 僅かに挑発するような半笑いの生暖かい目を向けられた。セレーネ・シェフィールドがそんな顔をするのは意外だが、それはそうとして何とも言いようがなく腹が立つ。

 ボリボリと頭を掻いた。

 確かに触手使いの風評を改める――それは急務である。至上の命題である。責務である。

 それはそうと、だからといって別に冒険者と打ち解ける必要はないのだ。欲しいのはありきたりな友誼や理解ではなく、触手使いへの誤解が解けることなのだから。


「シラノ様は、ご友人もできなかったのですね……」

「うぇぇぇぇ……シラノくん、誰ともお友達にならなかったの……?」


 というのに向けられたのは、なんだか気の毒な人間を慮った目であった。

 心なしか同情されている。なんとあの剣鬼セレーネからすらもだ。

 居心地が悪く、マフラーを引き上げた。


「……いいんスよ。顔合わせりゃ話す程度の奴らはいますし……それに友人なんて、一人か二人で。俺は量より質派なんスから」

「なんでそんなに寂しいこと言うのさぁ……」

「いいんです。友人なら、どこまでも付き合ってやりてーじゃないですか。……そんなのそう何人もにはできないんで」


 腕を組んで吐息を漏らす。

 ともあれ、この話は打ち切りだ。


「んじゃ、そろそろ行きましょう。忘れ物はないですね?」

「私は元より身ひとつ剣ひとつ……いえ、剣ふたつなので」

「うぇ……ぐすっ、ぐすっ」


 目を擦るフローにハンカチを差し出し、さてと荷物を肩に担ぐ。

 南の大門を抜けて、東西に走る塩を運ぶ街道まで進む。あとはそのまま西進して、叙勲を行う街まで進むだけだ。

 冒険者の等級である〈鋼の槍級〉からは複数の街での承認が必要となる。

 今回の邪教徒騒動を鑑みての〈銀の竪琴級〉への昇級――シラノたちが旅立つことになったのもその為だ。


「うぇぇぇ……ぐすっ」

「ほら、フロー様。旅立ちのときは笑うべきですよ? 死んだら二度と笑えませんので」

「うぇぇぇ、なんでキミもいちいち物騒なのさぁ……」

「ふむ。単純な心がけの話なのですが……」

「それが物騒なんだよぉ……」


 賑やかに喋り合う二人を見て、静かに口を結ぶ。

 転生(てんしょう)者、邪教徒、魔物、魔剣――――見逃せないことは多い。

 加えるなら、執行騎士もだ。エルマリカとメアリは、あれから顔を出さない。

 なんにせよ、物事にどう当たるかなど論ずるまでもなかった。シラノが持つのは刀だけだ。「心、常に兵法の道を離れず」と宮本武蔵も言っている。

 ……そういえば、「何の道にも別を悲まず」とも言っていたような――


「シラノ殿!」


 そこへ、石畳を割って金属鎧の靴音が鳴り響いた。

 整然と武具を纏った二十余名の衛士の集団。先頭にいるのは、快活としたあの精悍な髪型の――


「シラノ殿! 一言も告げずに去ってしまうとは薄情ではないですか!」

「リュディガーさん……?」

「まったく、本当にシラノ殿は一人がお好みのようで……隊長の言葉を素直に聞いて正解でしたな! せっかく餞別を用意したというのに、危うく今生の別れになりかねぬところでしたとは!」

「餞別?」


 片眉を上げれば、応じるように頷き一つ。布に包まれた棒を渡される。

 解いて見れば、それは刀だった。


「……これは?」

「シラノ殿は長剣をお持ちだが、他にはお持ちでないというので……折角ならば、と。貴方が握っていたあの反り刀に似せて造らせたつもりですが……」

「……」

「すみません、元は槍剣であったものを直した為に少々不格好かもしれませんが……これも我々からの贈り物ということで。鍛冶士のキンヴァルフも、妻子をシラノ殿に救われたとあって快く引き受けてくれました」


 片手で拝み、鞘から抜き放つ。

 陽光に眩く照り返す白銀めいた鋼色の刃。僅かに反った拳六つ分ほどのその刀身には、無数の烏の文様が刻まれている。

 日本刀という概念が存在し得ぬ為に致し方ないが、どちらかというと反りが浅い。その言葉通り、薙刀を刀に仕立て直したかのようであった。


「……」


 息を飲む。

 魔剣――〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉や〈水鏡の月刃(ヘレネハルパス)〉のような凄味は感じないが、手にずしりと重さを感じる。実用的な刀としてはかなりのものだろう。

 質実剛健。そう評するのが正しいか。多少手荒く扱っても、簡単に刀身が延びることはなさそうだった。

 烏の意匠は〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉の使徒の烏のつもりだろうか。冥府に攫われぬように、予め烏を侍らせるということなのか。

 それでいて、よほどシラノの野太刀に似せようとしたのだろう。

 しっかりと鍔も嵌められており、


「……?」


 そこで、僅かに統一感のない意匠が覗いた。

 刃を咥えるように嵌っているのは、獅子を象った鍔だった。


「ああ、それは……どうにも一つ不思議な話がありましてな。これを打った刀鍛冶の夢に、白き獅子が出てきたそうです」

「獅子?」

「それも、獅子だというのになんとも不思議なもので……まるで礼でも言うように頭を垂れて、ずっと側に居たそうなのですよ。いやあ、その夢の中でもキンヴァルフは刀を研いでいたそうなんですがな!」

「……」

「せっかくだし、獅子の如く勇敢な貴方にはぴったりだろうと……シラノ殿?」


 獅子には、覚えがあった。

 あの暗き塔の中、最期までその務めを全うした果敢なる戦士に。

 最期まで人を案じ、日も射さぬ場所でその生涯を終えた勇士に。

 いいのか、と心中で問うた。

 応えるように、鍔が鳴った。


「あァ……なら、一緒に行くか。塔よりも、広い場所に」


 呟いて、刃を納める。鍔鳴りが一つ。

 金打(きんちょう)――――ここに、誓いは相成った。


「……皆さん、ありがとうございます。必ず使い潰します。それに……すみません、最後までこの街に関われずに」

「なんの! 我が街を立て直すことに、誰の手を借りられましょうや! いずれ旅が落ち着いた折には、必ずやまたお越し下さい!」

「……うす。必ず……必ず、帰ってきます」

「――――。……はは、帰ってくるとは……そう言っていただけるのであれば、なおさら我らは滾りましょうや! 貴方のお戻りになるこの街には、勇敢な衛士たちが居るのだと! 語り継いでくださればこれは真に重畳というもの!」

「……うす。必ず。……どうかお元気で」


 頭を下げれば、リュディガーは衛士の面々を見回して声を上げた。


「整――列ッ」


 ニヤケ顔を浮かべていた男たちが、弾かれたように道の両端に一斉に列を作った。

 整然と並んだ彼らは、その誰もがシラノたちに対して気強い目線を送ってくる。

 名を知る者、知らぬ者――。いずれにしても誰もがあの夜ともに戦った男たちであることは確かだった。

 そして、


「各々がた……我が街の勇士の旅立ちの日に歓声を! 我が街の勇士の旅路に祝福を! その道行きに〈疾行と慧目と伝搬の神メルク・ヴェラチュール〉の加護があらんことを! 祈り、かの男神の武具に倣わんではないか!」


 力強きリュディガーの号令の下、


「槍を――掲げよ!」


 天を覆わんばかりに、男たちは門までの空を槍で彩った。

 そして、男たちの野太い声援が湧く。


「シラノ殿、どうか御武運を。……深き大地のように慈悲深く、獅子の如く勇敢な貴殿と共に戦えたことを……我が生涯の誉れといたしましょうや」


 促され、その輝かしき道を歩く。

 包帯を巻く者。接ぎ木をした者。或いは手に槍を巻き締めた者。ここにいる誰もが戦士だった。あの夜、街を取り戻そうとした戦士だった。

 その中を、歩く。

 無言で、雄弁に、一歩一歩旅への道筋を刻み込んだ。歩を進めるたびに、男たちの笑みが刻み込まれていく。

 別れ。

 やがて、門が閉まる。


「あ、シラノくんが涙ぐんでる」

「なんと。シラノ様が泣くとは……それはそれは……」

「泣いてねえ。……なんだよ見世物じゃねえ。泣いてねえ。見世物じゃねえっつってるでしょうが」


 散れと手を振ってマフラーを鼻先まで引き上げる。

 旅の、始まりだった。



 ◇ ◆ ◇



 ガラガラと、荷馬車が横を通り過ぎていく。荷台に乗った獣人の少女が朗らかに手を振ってくるのにフローが手を振り返す。

 もう何度見送っただろうか。

 更に南には王家直轄の塩街道や或いは早馬用の道があると聞いたが、そもそもの街道からして歩道と車道が別れている。おまけに対抗車線の概念もある。

 馬車二台が障りなく行き交える道だというので、これはシラノも大きく驚いた。


「フロー様、もう少し進んだら宿場もありますので……」

「うぅぅぅ……うん、頑張るね」


 これもまた驚きであった。

 二町――一町が約四キロだ――に一つ宿場街がある。大体二時間も進めば剣を外して休憩できるということだ。替え馬まで用意されていると聞く。

 これでは果たして一体、どこでどう魔物を警戒すればいいのか。魔物どころか野盗すらも出番がなさそうである。


「冒険者、いらないんじゃないのか……これ」

「いえ、違いますわ。街道とはすなわちまさに兵の通り道。となれば必然――」

「……魔物も湧く、か」

「ええ。まぁ、街道上で戦などは致しませんが……すぐ近くに古戦場なども多い為に、出る場所には出るものです。それに道も、こんな街道ばかりとは限りませんので」

「……なるほどな」


 いわゆる幹線道路のようなものだろう。国家の血管というわけだ。

 シラノたちが暮らすこの竜の大地(ドラカガルド)は東西に伸び、南東に尾を、南西に頭を垂らして、翼を持つ四足竜が身体を丸めるような形をしている。

 丸まったその背から北に向かって伸びたのが、永久凍土に囲まれた“右の大翼”の半島で、南に伸びたのが灼熱の砂漠の“左の大翼”の半島。

 それぞれ“氷河の巨人の国”と、“砂漠の墓守の国”があるらしい。

 この“左の大翼”の半島を挟んで西に“竜の左腕”・“竜の右腕”、東に“竜の右足”・“竜の左足”という半島が内海である“大中津海”目掛けて垂れている。


 ……とはいえ文章ではなんのこっちゃか、よくわからない。

 なので簡単にこの“竜の大地(ドラカガルド)”をイメージするなら――在住の人に非常に申し訳ないが――山形県の鶴岡市から福島の猪苗代湖を通り茨城県のひたちなか市までを縦に切断。

 切断した東北地方を上下反転させてまたくっつけたのが“竜の尻尾”。東北が何をしたっていうんだ。暖かくなった。

 東京湾を埋め尽くして更に暴走・肥大化した千葉の房総半島が“左翼”。ちょっと西へ避難させた三浦半島が“左腕”で、伊豆半島が“右腕”である。


 ここからがすごい。

 四国をワープさせて石川県の能登半島にドッキング。これが“右の大翼”の半島。

 香川県は水不足に悩まない代わりに氷に覆われてしまうし、瀬戸内海は無情にも太平洋に併合されてしまった。

 村上水軍の活動場所が内海ではなく大洋になってしまったが、ここは異世界なので仕方なかった。

 愛知県もまたワープ。

 知多半島と渥美半島ごと左右を反転させ、房総半島の付け根に大胆接続!

 江戸と三河が近くなったので家康もこれには大喜び。なお三河武士と坂東武者が大規模交配されてしまうから多分とんでもないことになる。

 これがそれぞれ“竜の足”の半島となら。


 更に、福井県の敦賀から琵琶湖まで無慈悲に切れ込みを入れ、琵琶湖から大阪湾までを切断。そのまま角度を変えて琵琶湖を埋め立てる形でドッキング。

 これが日本なら鳥人間コンテストの開催が危ぶまれるが、残念ながらここは異世界でありこれが“竜の首”になる。

 残るは山口県と福岡県の間の関門海峡を大幅に縮めて、九州という頭部を接続。

 この狭さでは長州藩と列強四国の間で下関戦争は起きるのか、果たして長州藩は攘夷を諦め倒幕への決意を固めるのか、明治維新は成立するのか判らないが――――ここは異世界だ。無情である。

 あとは全体的に頭と首を引っ張って伸ばせば完成だ。

 なおスケール自体は日本より当然デカい。異世界なのだ。


 さて、ちょうど城塞都市近くの塩湖は大中津海へと垂らされた“右腕”の付け根ほどにあり、ここらは胸を横切る血管ということになる。

 右腕の半島を静岡の伊豆半島とするなら塩湖が富士山。この城塞都市の辺りは静岡平野にだいぶ侵食された赤石山脈――といったところか。


(……)


 かつての地理を懐かしむシラノへ、セレーネが付け加えた。


「それに、〈浄化の塔〉で封じられる魔物とは異なり……怪物などは構わず現れますから」

「怪物?」

「竜ですとか大猿ですとか……あとはほら、怪鳥や大猪ですとか……混合獣(キマイラ)ですとか……」

「なるほどな」


 セレーネの言葉に、内心高鳴るものを感じた。

 やはりシラノとて男児である。日本男児である。ならばやはり怪物退治と聞いて、昂らぬ訳がない。

 暗雲と共に現れ都市を恐怖に陥れた混合獣(キマイラ)を弓矢一本で撃ち落とす。それこそまさに武士の誉れだろう。すごいぞ源三位頼政。

 ともあれシラノは触手剣豪だった。弓は不得手である。

 ……いや、あの混合獣にトドメを刺したのは従者である猪隼太の短刀だ。かの八犬伝の滝沢馬琴のご先祖様。そう思えば刀にも出番もあるのではないか。

 いっそこの脇差しにも彼に倣って骨喰という銘でも付けようかと思い――


「うん? なんだろうね、あれ」


 不思議そうにフロランスが首を捻った。

 目の前では、荷馬車や通行人の大渋滞が起きていた。




「なんでったってこんな場所で止められなきゃならねえんだ! こちとら食いもん運んでるんだぞ食いもん!」

「うるせえ! おれなんてお前、得意先に五日で届けられるって約束しちまったんだよ! ぎゃあぎゃあ吠えるんじゃねえ!」

「まぁまぁ、ほら、旦那がた……ここは落ち着いて肉饅頭でもどうですか? うちのは使ってるそば粉の量が違いましてね……」


 と、吠える荷馬車引きへの商いを欠かさない行商人もいれば、


「鯨竜もなんたってこんな場所で脱皮をしなくても……こりゃ、冒険者でも雇うかねえ……」

「半端に手を出すと暴れられるしな……。ううむ、平野を進むしかないか」

「あ、そこの商人さんたちどうですか? わたしたちの一団、みんな〈鉄の斧級〉の冒険者ですよ?」


 すっかりと諦めて街道を外れようとする商人へ、営業を欠かさない冒険者もいる。

 喧々諤々と賑わってはいるが、それでも人々の評価は概ね「仕方がない」というようなものだった。

 いや、それどころか……。

 中には荷馬車を放り出して、目を輝かせたまま先頭集団へと向かっていくものもいる。

 どうにもこの集団渋滞の原因は、血生臭い騒動などではなく……


「……鯨竜スか」

「そうだよ? かなり縁起ものでねー? 大きくなると海で暮らすんだけど、その前には実はずーっと陸にいるんだよ? でも抜け殻しか見つからなくてね? 何回か脱皮をするらしいんだけど、この目で見られるなんてすごいなぁー」

「なるほど。……縁起ものはともかく、そういう生態なら仕方ないっスね。見物してから……道、変えますか」


 幸いにして、叙勲式まではまだ余裕がある。それにセレーネという魔剣使いもいる以上、街道でない平野を進むことの危険も少ない。

 やはり思い通りにならないのが自然というものだ。こればかりは運が悪かったと諦める他あるまい。

 譲れるなら譲っていい――そう腰を上げようとしたときだった。


「……ところでこの街道、封じられるとあの街への食料が滞りませんか?」

「あ」


 セレーネがポツリと呟いた。

 ぼり、と頭を掻く。眉間に皺が寄っているのを自覚しながら、努めて平静とフローへと切り出した。


「先輩、その……脱皮とやらにはどれぐらい時間がかかるんですか?」

「うーん……一月から二月ぐらいかなぁ……でも大きさによっては百日を超えるとも聞くし……」

「百日……」


 瞼を閉じ、小さく頷く。

 ならば、是非もない。


「……斬り捨てるか」

「ええ、お供しますわ。竜など、魔剣の敵ではありませんので」

「助かる」


 経験者からの後押しは、なんと頼りになることだろう。

 ならば一も二もない。火急的速やかにその首級を上げ、以って城塞都市への餞にするだけだ。


「って二人とも何をしようとしてるの!?」

「いや、道を塞いでるなら斬ろうかと思って」

「ええ、仕方ありませんわね。人の領分を犯した獣は飼われるか食われるかに決まっておりますので」

「うぇぇぇぇぇ、キミたちなんでそんなに物騒なのさぁ!? 縁起ものなんだよ!? 鯨竜なんだよ!? まだ子供なんだよ!?」


 集団のその先を指差すフローから非難がましい目を向けられるが、


「いや……追い払えるならいいっスけど、無理に起こすと暴れるってんなら……やはり斬るしかねえかと……」


 正直なところ恨みはなく、同情が勝る。それが古くから生態というのもまた、文句を付けられるところではない。

 それでも斬り捨てねばなるまい。こればかりは互いに出会ってしまった不幸である。

 いつだって人は自然と戦ってきたのだ。

 かの神君家康公は利根川を曲げて鹿島灘に逃し、手賀沼を干拓し、神田上水を用意した。或いは信玄堤という堤防を知らぬものはいないだろうし、木曽三川に囲まれた輪中もまた有名だ。

 そう。互いの筋道が対立するならば、そこにあるのは純粋な生存への闘争だけだ。なんら天道に恥じることではない。

 ……などと考えていれば、セレーネから悪魔的な一言が飛び出した。


「それに中々に美味ですわ。私の地方では食用でしたので」

「……え。食えるのか?」

「勿論ですわ。それはそれは美味でして……その身は一見淡白ながら脂が肉の身の内に霜のように散っており、臭みはなく歯応えも適度……肉の臭さを奪い、魚の甘みを合わせて、口の中でほぐれる極上の鳥の食感のような肉ですわ」


 聞いたことのないその美食に思わず喉が鳴り、


「……そうか。仕方ねえよな」

「シラノくんヨダレ」

「ええ、仕方ありませんわ」

「セレーネさんヨダレ」


 真剣な面持ちで柄を握りしめた二人を前に、フローが立ちはだかっていた。


「先輩」

「なんだい、シラノくん?」

「強きものが弱きものの肉を食う。……野生の掟です」

「うん、キミは野生じゃないよね」


 すぱんと切り捨てられた。

 だが、セレーネが続いた。


「フロー様」

「なんだい、セレーネさん?」

「喰らった獣を血肉にして進まねば、この険しき荒野では生き残れませんわ」

「うん、ここは荒野じゃないよね」


 にべもない。だが、シラノも負けじと追撃した。


「先輩」

「……何かなシラノくん」

「殺した以上は食わねえのは失礼だと思うんスよね。食うから殺す。生きる為に殺す……野生の掟です」

「うん、だからキミは野生じゃないよね」


 また一撃だった。切り捨て御免であった。


『……』


 なんとも言えない空気で、全員で顔を見合わせる。

 噴火したのはフローだった。


「どうしてキミたち二人はそう野蛮なんだい!? お姉ちゃん恥ずかしいよ!? キミたちは蛮族の出身なのかい!?」

「いや……」

「いやじゃないよシラノくん! 自分が何言ってるのか判ってる!? どこからどう見ても野蛮だよ!? 混じりっけなしの野蛮人だよ!?」

「フロー様……これは――」

「これはも何もないよね!? セレーネさんは魔剣をそんなことに使うために磨いたの!? 蛮族以外の何者でもないよ!? 頭の先から爪先まで蛮族だよ!?」


 何たることか。非難轟々である。

 セレーネと互いの顔を見合わせ、


「先輩、蛮族は差別用語っスよ」

「ええ、人種差別は文明的ではありませんわ」

「キミたち二人にだけは言われたくないなぁ!? 今のキミたち二人にだけは文明の話をされたくないなぁ!? 今のキミたち二人にだけはそんな権利ないんじゃないかなぁ!?」


 肩を上下して激しく喘ぐフローを前に、仕方なく押し黙った。

 ここにアンセラが居てくれれば圧倒的賛成多数による可決という極めて文明的かつ民主的な方法で決着がついたのに、なんとも残念な話だ。

 ……まぁ、ともかくとして。


「……まぁ、それはそうと……どうにかしないと不味いっすね。なるべく穏便に」


 対処が必要なのは、明白であった。

 せっかく立て治らんとしているあの城塞都市へのこれ以上の打撃はよろしくない。関わったものとして、何一つ見捨てられる道理はないのだ。


「でもどうするんだい? 鯨竜は脱皮の邪魔をされると、暴れちゃうんだよ?」

「ふむ。ならばやはり、一太刀で葬るしかないかと。なに、苦しみは与えませんわ」

「それは最後の手段として……。迂回路の護衛でもするか……」

「護衛……百日ここで足止めともなると、明らかに叙勲式には間に合いませんね。他の冒険者に任せるとしても……脱皮の隙を狙って、怪物も寄ってきますでしょうから……」


 そうなると、魔剣がないと手厳しい。

 どうしたものかと顔を突き合わせていれば、


「やーやぁー、そこのお兄様がた? 耳寄りな話がございますよーぉ?」


 頭に獣の耳を乗せた赤髪の半獣人の少女が、ひょこりと顔を覗かせた。


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