第四十七話 ラブ・ソング・サング・バイ・カースド・ドラゴン・フォー・ケンゴウ その三
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第三幕◆
◆「ラブ・ソング・サング・バイ・カースド・ドラゴン・フォー・ケンゴウ」その三◆
背後を取るはリウドルフ。そして、前面では淫魔と魔剣使いの三人が塔を背にして待ち受ける。
赤紫色の長髪を揺らして微笑む淫魔の、その手前に立つは運命の騎士めいて剣を構えた魔剣使い。
剣を蜻蛉にとり、息を絞った。
どう出るか。どう打つか。緊張感が喉を込み上がる。
爪先に力を籠める中、ぽつりぽつりと雨脚が強まった。大きな雨粒が身体を打つ。その、瞬間だった。
「やぁねぇ……雨なんて、美容の大敵よぉ?」
淫魔が呟き指を鳴らす。それと、同時であった。
ずるずると何かを引き摺る音がする。荒い息遣いと、ただひたすらに擦る音。その音源は塔であった。
びちゃびちゃと水溜まりを弾けさせ、〈浄化の塔〉を囲んだ塀の向こうから近付いてくる異音――いくつも混じり合った不気味な吐息と擦過音。
それは、異様な光景であった。
虫に刺されて体中を腫れ上がらせたような男や、転げ落ちたのか足を折った男、或いは噛み荒らされて手足を血塗れにしたような男たちが――ただ一心に這い寄ってきている。
常識的に考えれば痛みで動ける筈のない重傷であり、また、動かすことなどあり得ないほどの重傷。
それが女の呟き一つで、来たのだ。幾人も幾人も。暗闇に浮かぶその目には爛々と狂信が灯っている。
何たる異常な有り様か。あまつさえそんな彼らは無理矢理に立ち上がった。
立ち上がり、そして門に据えられた彫刻に体当たりを加え石の台座を取り外す。満身創痍の手足で平たい石の台座を持ち上げ出した。
まさに狂気的としか表現できぬ醜悪な光景。
歯を食い縛りその重さに耐え、顔を青白くしながらも彼らは最高の光栄だとでも言うように淫魔の傘に甘んじていた。
「ふふ、さて……そこにいるのは私たちの理想を壊す邪悪な触手使いよぉ? 女の子を惑わせ、男の子を狂わせる触手使いなのぉ……。どうすれば良いかなんて、頭のいいあなたたちには判るでしょう?」
そして、淫魔が囁くと同時――魔剣使いの三人は目の色を変えた。
長身の男の持つ、針めいて細身の銀色の片手剣――〈百爪の尖剣〉。
固太りの男の握る、分厚い刀身の鋼色の両手半剣――〈嘴撃の鎖剣〉。
痩せぎすの男の掴んだ、先端が鋭く曲がった錆金色の双剣――〈翼手の刎剣〉。
宵闇に鈍く光る刀身。雨露をその身に纏った魔剣たちが――弾けた。足が千切れんばかりの疾走。一直線に、シラノとフローを目指して襲い掛かってくる。
「イアーッ!」
迎え撃つは触手の槍。男たちの足元目掛けて放つ極紫色の穂先は、しかし――押しとどめられた。
錆金色の双剣を石畳に刺して引き抜く。ただそれだけの動作で、刀身を核とした石造りの翼を引きずり出した。
翼めいて鋭い凹凸を持つ石の防壁。石畳と未だ繋がったままの石翼が、完全に触手槍を阻み止める。否、取り込んだ――――。
「この不敬者どもが……!」
「邪悪の血め――ッ!」
驚愕する間もない。
その影から飛び出した二人の魔剣使い。その手で魔剣が妖しく輝く。
「い……いあ!」
応じたフローの十本の赤い触鞭――百神一刀流・四ノ太刀“十能”。
振動・電撃・興奮剤・幻覚剤・麻酔液・粘着液・溶解液・吸盤・突起・寄生――触手の十の権能を放ちながら十方から襲いかかる触手の攻撃は、しかし銀の一刀の下に斬り下ろされる。
否――その切っ先が石畳に食い込んだ瞬間、路面から放たれた無数の石の剣閃が残る七の触手を斬り落とし、そして百舌の早贄めいた串刺しに変えた。
「イアーッ!」
横薙ぎに迫りくる固太りの男を、その魔剣ごと宙に生じた“甲王・劔”で阻み止める。その隙に狙うは片手剣の男。
フローへと迫らんとするその足へ切っ先を向け、放つは白神一刀流“唯能・襲”――
「シラノくん!」
突如、フローの触手に引き倒される――その頭上を鋼色の刃が通過した。そして、二つの刃で挟み込むようにバターよりも容易く“甲王”の盾が両断された。
攻撃に合わせて鏡写しにその逆側から生み出される斬撃。回避や防御が意味をなさぬ――そんな特質の魔剣。
更に己の触手に引き転がされながらも距離を取りつつ考える。
見たところ、他の魔剣も皆同じだ。
容易く石畳に吸い込まれた双剣と片手剣。そして、両手半剣が虚空に生み出した斬撃。どの剣も水に切っ先を挿入するほど気軽に物体の強度を無視している。ここにきて、あらゆる防壁は無意味であろう。
舌打ちをしそうになる気持ちを堪え、奥歯を噛み締めて前を見る。そして、息を飲んだ。
「……ッ」
双剣の男が両手に構えた石造りの翼。切り離した触手槍を形を変えずに取り込んだその灰色の翼が、フロー目掛けて照準される。
その羽根一枚一枚が起きた。雨垂れを弾く鋭きその姿は、さながら大樹として連なった百の牙。もしもその全てが大元の魔剣と同じ特性を持っているとしたら――。
「先輩、こっちに……! イアーッ!」
羽根が振動する。その鳴き声を聞きながら三段突きによる牽制を行い、宙に生み出した“甲王・劔”を駆け上がった。防げると考えない方がいい。躱すべきなのだ。
そして上空からフローへと触手を伸ばす。
最早、剣士としてやり合わぬのが得策か。このまま上空から一方的に攻撃を打ちおろすか、それとも首魁だけを目指すかと考え――
「いよう、逢いたかったぜお兄さん?」
その真横から、宙を駆け上がってくるリウドルフの影。
最悪の剣鬼は、最高の機会を心待ちにしていたのだ。そこを欠かさずに攻め込んできた。
「いあー!」
リウドルフの眼前に生まれたフローの召喚陣から気化した麻酔液が噴き出した。しかし――構わず駆けてくる。リウドルフの顔を覆うはシャッターめいた〈石花の杭剣〉の刃。
劔刃甲冑――またしてもこの土壇場で、リウドルフは進化してた。
苦渋の想いでフローを触手で放る。邪教徒の延長線上。仲間を射線に並べれば、あの羽根は放てまい。
そしてリウドルフへ放つは三段突き――だが、
「悲しいねぇ……飛び道具は無駄だって言わなかったかい?」
巧みに射線を読んだ刃の盾が極超音速の一閃を受け逸らした。導火線めいて連なる火花と共に、紫の光線は闇の中に呑まれていく。
そして、ついには接近戦内。喜色に見開かれたリウドルフの灰色の瞳。
構わず平突きの姿勢から一撃を放つ。刃渡りなら、野太刀が勝る――
「悪いねぇ。もう懲りたんだよ……間合いで負けるのは」
だが、突如響いた甲高い音と共に野太刀の刀身が半分から折れ砕けた。――否、折れ砕かれたのだ。内側から生じた〈石花の杭剣〉の刃によって。
そして同じく、繰り出したシラノの右手が内側から滅多刺しにされた。回避無効の魔剣は、防御すらも無効とする魔技を会得した。
その射程に入ることは、即ち死を意味する。そんな死が、迫る。
奥歯を噛み締め出鱈目な“唯能・襲”を放ち――その反動で仰け反った。そのまま崩した体勢で宙へと身を躍らせる。首元を石色の刃が掠めた。
落下しながら数多の触手で勢いを殺す。その途中、射出された翼の剣が脇腹を掠め、ごそりと肉を持っていかれた。やはり、その羽根一枚一枚にも魔剣本来の特性は受け継がれている。
「ご、がほ……っ」
「シラノくん! 待ってて、今治すから――」「イアーッ!」
石畳に背中を打ち付けつつも、放つは三段突き。淫魔目掛けて――だが必然、石の翼に食い止められた。そして取り込まれる。形こそは変わらぬが、その支配下に置かれていた。
身を起こし口を拭った。腹の中身は既に触手に置き換わっている。それに傷を治せずとも、ただ塞ぐことはシラノとて容易い。
「先輩、この程度じゃ人は死なない……! 俺は、触手剣豪だ……!」
ただ敵だけを睨みつけ、刃を構える。
その切っ先は淫魔――それだけで敵の動きが鈍った。警戒しているのだ。飛び道具という点で見るなら、シラノは誰よりも鋭い一撃を持っている。
場が硬直する。
シラノへと注意を払い、同時に淫魔を警戒する三人の魔剣使い。そして致命の一撃を嗅ぎ分けて殴りつけてくるリウドルフ。
対するシラノもフローも決定打を持たない。睨み合いは必然であった。
必然――否、ただの一人を除いては。
「ええ、なるほどなるほど……“精神の象徴を自分たちの意思だけで変化させる”……触手使いの技って本当にそうなのねぇ……」
石の翼に取り込まれた触手槍と刃を一瞥して、感心したように淫魔は微笑んだ。
その直後、だが侮蔑的な笑いへと変化する。
「逆に言うとしたら、“精神は触手使い本人にしか変化させられない”……なるほどね、確かにあなたたち触手使いは私の天敵よぉ? でも、魔剣には勝てない……そして私はそんな魔剣使いを使うことができる。なら、どちらが勝つかは自明の理よねぇ?」
「……」
「ええ、とても残念……特にあなたとは仲良くしたかったんだけど……。まぁ、忘れることにしますわぁ……ええ、すごく残念ねぇ」
シラノへと意味深な視線を向けて踵を返した淫魔へ触手刃を飛ばす。しかしやはり、簡単に翼に阻み止められた。
その歩みを止める手段はない。むざむざと見送ることしかできず、ただ歯を食い縛る。
「さて、狼のお兄さん? アンタもここでお終いだなぁ……あァ、いい気分だよ。アンタら二人の死骸は、二度と触れ合えないようにバラバラに埋めてやらねぇとなぁ……」
降り注ぐ凍える雨。辺りを囲むは四人の魔剣使い。
これを絶体絶命と呼ばずして、何をそう呼ぶか――隣のフローからも怯える気配が伝わってくる。彼女はこれほどまで、他人から殺気を叩きつけられる経験はないだろう。
瞼を一つ。
ならばこそ――ここは死地だ。ここが死地だ。ただ一振りの剣として、フローとその責務を阻もうとする賊を斬り捨てる他ない。彼女へ迫る脅威を打ち払うほかない。
恐怖を殺す。生存本能を殺す。殺意を殺し、執着を殺す。自我を殺す。
殺すのは己。死ぬのは己、死んでいいのは己だけだ。ここが死地だ。シラノ・ア・ローがただ一振りの刃になるしか、この場を斬り抜ける道はない。
「先輩……俺に触手を使って貰えますか」
そして一言、フローだけに聞こえる声で呟いた。
◇ ◆ ◇
冷えた雨が降りしきる路上で、アンセラの眼前に広がるのは二十名以上の邪教徒と冒険者の混成団。
そして、向かい合ったのは黒鉄の背中――漆黒の鎧を纏いし王族、アレクサンド・ア・リューカである。
既に地に下ろされた棺桶めいた重厚な武器箱が展開した。刻印が輝き、宵闇に魔術の蒼き光りが放たれると共に――十字架めいて変形した棺桶と、一列に並べられた数多の武器。一つの城塞めいて広がっていた。
武器を抑える留め金の全てには、蒼き宝石が輝いている。
「……貴殿らに恨みはない。だが、我が宿願と責務の為に打ち払わせて貰う」
そして一本、戦斧を手に取りアレクサンドが低く呟く。その眼前で太鼓腹の巨漢の男が吠えた。
手に握ったのは巨木から作り出した棍棒。その身に刻まれた刻印魔術は、衝撃と共に“加重”の効果を発現させる。
牛をも一撃で叩き殺すと豪語した男の一閃が、駆け寄る運動力と共にアレクサンドに目掛けて吸い込まれる。
常人ならば死ぬか、それとも戦闘不能を免れぬ一閃。これから起こるであろう惨状にアンセラも息を飲んだ。
「――」
だが、アンセラの知る由もないことであるが――〈擬人聖剣・義製の偽剣〉には幾つかの運用理念があった。
例えば物体が溶解しながら石化することがないように、或いは発火しながら凍結することがないように――世の条理の一端を担う魔剣を、同時に複数を用いることというのは不可能だ。
故に〈義製の偽剣〉の使用者は結果的に生身で魔剣と相対せねばならない。
只人と魔剣使いの間の埋めがたい差――それをどうするか。製作者たちは考えた。
「ふ――ゥッ!」
その一つが破壊力。
単純な理屈ではあるが、体重が十倍になれば攻撃の威力も十倍となる。そして本体が重ければ重いだけ、遠心力に負けずにより重量のある武器を用いられる。
この〈擬人聖剣・義製の偽剣〉は常人七人分。
そして鎧を纏い、鍛え上げられた肉体を持つアレクサンドの肉体と合わされば――常人九人分の質量としてその破壊力を増加させていた。
振りかぶった棍棒ごとアレクサンドの繰り出した戦斧の腹に打ち据えられ、男が飛んだ。そのまま壁に激突し無力化される。
「お前……なんでオレたちの邪魔をするんだ! オレたちは、魔物を倒しに行かなきゃならないんだ!」
「……」
「クソッ! そこを退けよ――、なっ!?」
短剣を構えたその若年の冒険者目掛けて放たれたのは矢であった。
鋭い金属音が響き、そして路面を短剣が転がる。的確に射飛ばし戦闘力を奪ったのだ。超一級には及ばずとも、一級と呼んでしかるべき腕前であった。
左手に弓を握り、肩を沈めたアレクサンドの手元には戦斧はない。
次いで、真横から繰り出された槍を打ち払うのは空いた手に生じた長剣。槍の柄を叩き斬り、そして蒼き光と共に置き替えられた戦斧が冒険者を跳ね飛ばす。
「おい、全員でかかれ!」
四方から打ち掛かる四人の剣を、無造作な一撃が――しかし決して乱れることのない鋭い横薙ぎが弾き飛ばし、振り戻される斧の横腹が彼らを打ちのめした。
直後、持ち手を翻して柄尻での一閃。胸当てを避け的確に肩を砕き、回した柄で膝横を跳ね飛ばし転げさせた。
放たれた短弓は、蒼き閃光と共に生じた円盾が防ぎ落す。否――丸みを帯びたその表面で矢を逸らし、背後から迫った男の腕へと命中させた。
これで八人。アレクサンドは、瞬く間に戦闘不能にしたのだ。
それでも周囲を取り囲む冒険者と邪教徒を眺め――石突きで路面を打ち据え、守兵めいて斧を携えるアレクサンドは言い放った。
「悪いが加減はできん。……私は先に祈った。貴殿らも祈るがいい」
そして次々に繰り出されるは戦斧・槍・長剣・弓・鉄鞭・鉄球――――武器の見本市の如き品々。
手首で蒼い光が瞬くと同時に、アレクサンドの手元には異なる武器が現れる。その全てを巧みに操り、彼は嵐の如く迫りくる冒険者たちを蹴散らしていた。
それにもまた、アンセラは驚愕した。
魔剣と魔剣の同時行使はできぬ。であるが故に魔剣の条理を基に作られた魔術と魔剣の同時行使というのもまた、危険を極めていた。
アレクサンドが魔術を行使する度、迸る蒼き燐光が黒の鎧を責め立てる。過剰逆流。飽和した魔力が干渉を起こし、その術者に流れ込む魔術の失敗現象。
常人ならそれだけで蹲ってしまう痛みを前にも、だがアレクサンドは少しもその手を止めることがない。
そう。これが運用理念の二――人体操縦。
鍛冶師ではなく魔術士が作り上げし〈擬人聖剣・義製の偽剣〉。その真価は人が魔剣を使うことではなく、魔剣が人を使うことだ。
人が鎧を纏うのではなく、人を鎧として纏うのである。それがこの魔剣の持つ、唯一にして絶対の権能であった。
「〈我が声を聞け、我が口腔を見よ――これよりは我が地獄の業火! 竜なる炎獄!〉」
術者の構えた竜の絵札から高音の赤い炎が吹き出すが、しかしアレクサンドは動じずその炎の中で歩を進める。
揺らがない。揺るがない。火炎に飲み込まれてもなお直進する鋼の如き男は、繰り出した槍の一撃で術者の右手を貫いた。
途端、換装が為される。槍が消え、現れたのは巨大な戦斧。盾を構えて駆け寄った冒険者の凶刃を、その盾ごと弾き飛ばした。
過剰逆流が蒼き稲妻となり、さらに赤熱化した鎧に当たった雨粒が水蒸気爆発を起こす。だが、内に収めた人型魔剣の権能はアレクサンドの身体を操縦し続ける。
故に、止まらない。止まる筈がない。
たとえ心臓を貫かれるその時であろうと、アレクサンドという男は剣を繰り出すのだ。それこそが人剣一体――〈擬人聖剣・義製の偽剣〉の真価である。
「ふッ!」
またしても唸る陣風と共に、列から人が弾き飛ばされる。
その歩を止められる者はいない。彼は〈竜魔の邪剣〉をその身に宿さぬこそすれ、伝説の巨竜めいて止まることはない。
即ちこれは最早単なる武芸者の域を超え、一つの災害と同じであった。
ほどなく、全ての冒険者と邪教徒は黒き嵐に打ち払われた。最早誰も立ち上がることもできずに沈黙し、彼らの身体が路上を埋め尽くした中で立つのはただ一人のみ。
夜の雨の中、闇よりもなお漆黒の鎧の主は城壁めいてそこに立つ。
「……ノエル。死者は?」
『全員生きています。放っておけば危ないかもしれない重傷なのが三人……怪我らしい怪我はそれだけです』
「そうか。……それでも三人か」
『命を狙ってきた相手です。殺し返されないだけ幸運なのでは? ……加減するなんて、僕には理解できません』
「彼らに罪はない。民だ。……取り除ける元凶が今は近いのだ。命まで奪う必要はない」
そうだ。そして、これこそが最も恐るべき点であった。
骨折や打撲はある。流血もある。気絶している者も多い。だが、誰一人として命を奪われた者はいないのだ。
アレクサンドの武芸と〈義製の偽剣〉の権能――どちらが欠けても成り立つことのなかったこの光景。技術と能力――その二つが合わさった不殺の魔剣であった。
「すごい……!」
思わず耳を覆うことを忘れ、アンセラは呆然と黒き鎧の戦士を見た。
間違いがない。アレクサンドの技術と研鑽――彼はこれまでで。最上位の魔術剣士だった。
「これで貴殿を守る者はいなくなった。逃げ込んだここが終焉の地だ……姿を現せ」
そのアレクサンドが、重々しく言った。開け放たれた冒険酒場の扉は不気味に沈黙している。
そして、返答は刃であった。
飛来する卍型の投げナイフ。打ち込まれると同時にかえしが飛び出るそれは、イルヴァの用いる武器であった。
「ふッ!」
それを掴み取り、そして投げ返す。〈銀の竪琴級〉の冒険者にも決して劣らぬ腕前を存分に見せつけるその前で――現れた。
ひらひらと二本指で掴み取ったナイフを弄ぶ。くしゃくしゃと癖がある青髪。だぼだぼの白衣。
水晶眼鏡を鼻に乗せたその少女は貧相な体つきであったが――美しい。少なくともアンセラは、美しいと思ってしまった。
繊細な彫刻の如く整った目鼻立ちと、涼しさを思わせる細い肢体。どれほど丹念に白木を磨き上げればそうもなろうかという滑らかな肌と、その下の瑞々しい肉付き。
ああ――これが女性の理想形なのだろう。そんな確信を抱いた。
見るなと、聞くなと言われているのにいつしかアンセラは耳を塞ごうとした手を放し、少女に釘付けになっていた。
「んもー、せっかく陣取りゲームみたいに遊んでたのにさぁ……。それとも人間チェスかな? ま、どっちでもいいや……アンタ強いねー」
「……」
「いやあ、これだけ駒を駄目にされるとは思ってなかったけどさぁ……アンタぐらいの駒が釣れたってんなら、これは大満足かな! こいつら雑魚だしね! 雑魚で鯛を釣る……いいね!」
最低のことを言われているとは判るが、不思議と怒ろうとする気は湧いてこない。
むしろ、妙な心地よさと誇らしさを抱いていた。アレクサンドが評価された。そんなアレクサンドとアンセラは知人であり、そしてアンセラもアレクサンドの腕前を評価している。
彼女と同意見だ。それが酷く光栄なことに思えて、何故だか頬が熱くなった。
意地の悪い――そう考えるべきなのだろうが魅力的に思える――笑いを浮かべた少女の周囲を囲むのは、三人の護衛。
桃色髪を雨に濡らした、酔いから醒めれば鬼人族すら震えあがる狂戦士となる“呑竜”のイルヴァ。
虫も殺せないほどの優男でありながら、魔術剣の生成と拘束具への変化には並ぶ者がいない“剣符封術”のアルトノル。
そして、魔剣使いにして魔剣殺し。冴えた銀髪と眼帯が特徴的な“月下狂刃”のセレーネ・シェフィールド。
冒険酒場の抱える錚錚たる顔ぶれがそこにはあった。
「人を、駒と呼ぶか」
「駒じゃなかったら何がいい? 資源? 愛玩道具? 人形? ま、ほら……なんだっていいでしょ? うちらに使われるなら光栄ってもんじゃん? そうでしょ、前時代的で非文明人の皆はさ!」
「……大した邪悪だな」
「ふふーん。ま、ボスキャラっての? 悪くないよ、これ。さて……それじゃあお兄さんもうちの仲間になろっか。“今なら世界の半分をくれてやる”――なんちゃって!」
ニヒヒと少女が笑う。それだけでアレクサンドは戦斧を手放した。そして一歩一歩、彼女の下まで歩き出す。
やはりなのか――という絶望と、仕方ないという諦め。そしてなんて羨ましいのだろうという羨望がアンセラを襲う。
まだ、気付かれていない。だから直接の魅了を受けていない。しかし叫びあげて自分の位置を知らせたいという欲求と、それだけはしたら終わりだという本能が言い争う。
これが淫魔。これが人類種の天敵。
アンセラとて、遺跡に仕掛けられた死霊使いや妖術使いの精神攻撃を防ぐ為の呪具を耳飾りとして付けている。魔剣にだって基本としてそんな権能はあるのだ。だが、まるで意味がない。
存在そのものが世界を犯し塗り替える呪詛に等しいのだ。何者も、淫魔には敵わない――。
「よ。なぁ、あっちにも一人いるぜ?」
「うん、なになに? どこかな?」
「ああ、ちょうどそこの――」
アルトノルがゆっくりと指を立てた。そして、静かに照準がされる。ゆっくりと少女の朱色の瞳が向けられてくる。
終わりだ。瞳を眺めてしまったことで、余計に身体は鬩ぎ合う二つの欲求のはざまで動かなくなってしまっていた。そのまま直視されて、それで完全にアンセラは彼らの手に落ちるだろう。
最早、誰にも防げない。淫魔の天敵とされる触手使いは、シラノ・ア・ローはこの場にいない。
目を閉じることもできず、身を震わせるしかない。そんなアンセラにはもう、救いの手などは――
「……これは、何のつもりですか?」
キィンと、甲高い音を聞いた。
腕輪を蒼く光らせ槍を呼び寄せたアレクサンドが、一直線にその穂先を繰り出していたのだ。
かろうじてセレーネが〈水鏡の月刃〉で防いでいなければ終わっていただろう。そんな一閃であった。
「あれ、魅了が効いてないの? ああ、触手使いってヤツ? それとも……好きな人ほど殺したいとか、そういう精神異常者系なのかな? だとしたら困りものだけど」
怪訝そうに少女が眉を上げた。槍を引き戻したアレクサンドは、端的に言い放つ。
「……単純だ。俺は目を封じている。耳も聞こえぬ。全ては今、ノエルから聴いているにすぎん」
「何それ」
「その為の鎧だ。気配を含め、貴殿らからあらゆる情報を受け取らない。そして音のない暗闇でも戦えるだけ技を磨いた……貴殿らを殺すためだけに練り上げたのだ。結果としてだがな」
アレクサンドが槍を中腰に構えた。その動きには何ら淀みがない。
まさしく叩き抜いた鋼のような男であった。アレクサンドという男は、病的なまでの鍛錬の上に成立している。
五感を封じた完全な無音の暗闇――余人なら発狂するであろうその環境の中で十全に武芸を振るえる人間が、一体どれだけこの世にいるというのだ。
「そんだけ努力した自分は凄いって言いたいワケ、アンタはさ?」
「実らぬ努力に意義を見出すほど枯れてはいない。……俺は、義母妹を闇に押し込めることしかできなかった敗残者だ。誇ることは何もない」
「なにそれ……なにアンタ勝手に身の上話とかしてるの? そんなん聞いてないでしょ。なに、自逆風の自慢?」
「……これが自慢に聞こえるなら、貴殿はよほど誇るものがないのだろうな。故に人を操って悦に入る。……その生き方は自由だ。否定はすまい」
淡々としたアレクサンドの言葉に少女は不機嫌そうに唾を吐き出した。そして目を細めて吐き捨てる。
「……判った。こいつは要らないよ。美形の兄ちゃんと酔っぱらいさんで倒して。眼帯ちゃんはうちの護衛ね」
「あら、折角ここが仇討ちの場面でしたのに……承知しましたわ」
「仇って……死んでないからね? 美人なのになんでかときどき物騒なこと言うね、眼帯ちゃんはさ」
アルトノルが符を構え、イルヴァが肉厚の山刀を抜き放った。
それを前にしたアレクサンドはただ静かに――否、焼き付かんばかりの熱を抑えきれず、言い放った。
「覚悟はできたか。――ここが貴殿の死に場所だ」
魅了すら貫かぬばかりの戦意と殺気。
闇の中、黒き鎧に包まれた悪鬼が――やおらその牙を剥いた。
◇ ◆ ◇
暗雲立ち込めた雨の中、七階建ての塔は不気味な怪物めいて沈黙する。
その麓。夜風に凍えた吐息が白く濁る。睨み合うは、その場に残された六人。
その内の一人、長身の男がゆっくりと口を開いた。
「貴方がたはぁ……毎日食事するとき何を考えてますか? 目の前のお肉が美味しそうとか、今日は違うものが食べたいとか……どうせそんなくだらないことを考えてるんでしょう?」
「……」
「平和な社会とか、人々の幸福な一生とか……そういったものに何故悩まないんだ貴様らはッ! もっと嘆くべきだ! 憂うべきだ! この世界について苦悩すべきだ! そうだろうッ!」
豹変と言おうか。目線の先で男が吠え続ける。
「何故苦悩を理解しない! だから貴様ら愚民は害悪なのだッ! その中でも特に愚かなのが貴様ら触手使いだ! 貴様ら触手使いは最悪の害悪だ! 食卓の野菜よりも切り刻んでやるッ!」
「そうか。……明日からはもう悩む必要はねえ。怪我だらけで普通の食事なんてできなくなる」
「黙りなさい! ふてぶてしい愚民が……その中でも特に愚かな“外道衆”がッ! 私は今この世の大義について――」
「お前が黙れ」
一言で切り捨てて刃を起こした。右蜻蛉。世迷い言をこれ以上聞く必要も、フローに聞かせる必要もなかった。
ぱくぱくと顔を真っ赤にした男が、残る二人へと檄を飛ばしていた。三人の中でも、リーダー格なのだろう。
ちらりとフローを一瞥する。僅かに怯えこそ見れるが、彼女は既に覚悟を決めていた。
「い、いあー!」
そして複数の召喚陣と共に気化した麻酔液が撒かれ、瞬く間に周囲を白煙が包む。
これで倒れれば御の字――だが、淫魔によって神経を興奮状態にされた彼らにはまるで通じない。斥候猟兵が無事であったのも、同様の理由か。
しかし、十二分。互いの視界を完全に塗り潰した。それでよかった。
今見えぬのはシラノも同じ――――だが、感じることはできる。
駆ける一足。目指すはただ一人。まず手始めに、翼めいた石の刃を持つ痩せぎすの男。
取り込まれてなお形状を保つ触手からの触覚を頼りに、シラノは白塵の中を一直線にひた走った。
(まずは、遠距離攻撃の奴から――――!)
掻き分けた煙幕を突き抜け、刃を返した触手野太刀で打ち掛かる。
驚愕に見開かれた男のギョロ目。だが咄嗟に翼めいた双剣を構え直そうとするそこへ、
「イアーッ!」
白煙の中、虚空に浮かべたるは召喚陣。男の魔剣に取り込まれた触手に、更に触手の縄を巻き付ける。
その全てが支配下に置かれるかもしれない――だが構わない。意図的に数倍も太くした召喚陣から引き抜くのは至難の技。召喚の速度は絶対の論理だ。
磔刑にされた救世主めいて、両手に剣を握った男の動きが鈍る。そこを逃す理由などなし。
「イアーッ!」
まずは一閃。その鎖骨を折り砕き、呼んだ触手にて首を絞め落とす。
直後、爪先で地を噛み、跳んだ。煙の中に跳び戻る。魔力を籠め赤く灯した右眼で、睨むは固太りの男――否、その射線を遮るように立つは長身の男。
煙が俄かに晴れる。
針めいて鋭い銀色の切っ先。男が石畳に魔剣を突き込むと同時、生じるは石の刃――その数は数多。
氷柱めいて天を衝く無数の刀身が、地面からシラノを迎え撃つように殺到するが――
「イアーッ!」
構う必要などない。
宙に生じさせた“甲王”の盾を踏み台に、一身に空へと駆け上がる。
上空への退避。リウドルフが、動くか――。だが構わない。どうせ元よりここは死地だ。己が斬り倒されるか、全てを斬り倒すかの二つに一つ。ならばそこに順番など関係ない。ただ迫る死線を見極めるのみ。
思考を遮二無二斬撃に呑ませて、野太刀と共に身を躍らせるは固太りの男目掛けて。最早、技術も術理も関係ない空中唐竹割。大上段の飛び掛かる一撃で斬り伏せるのみ。
男が応じた。迎え撃つは剣の横薙ぎ。鋼色の線が繰り出される。
己の後ろに風切り音を感じた。僅か一瞬でも喰らい留められれば、敗れるのはシラノの方か。そして固太りの男の剛腕は、落下の質量と加速度に任せた一撃でも瞬きの一間ほどは耐えようかというほど太い。
故に睨み付け、そして確信する。奇襲と奇策――その双方が相成ったことを。
「イアーッ!」
中空から生じた触手で己の足を手繰り寄せる。直後、恐るべき風切り音と共に髪の先を斬撃が掠めた。
そう、挟み込む一撃は空を切った。男が迎え撃たんとした目標点よりも手前にシラノは着地したのだ。宙ならば、躱すだけの空間は地上より広い。
そして、斜めに向けて掲げられたままの剛剣――迎撃の為に剣とその腕を男は揚げたのだ。刹那、それこそが大いなる隙――爪先に全力を籠める。
「イアーッ!」
身を低く。柄から男へぶつかり、放つは三段突き――白神一刀流“唯能・襲”。
強大な衝撃が、空を裂く刺突の反動が男の腹に襲いかかった。そして刃を撃ち出した先は長身の男――剣の林を砕き斬り、その魔剣を叩き割った。
一刀二殺。
銀色の破片が舞う。しかし構わず、睨む先は固太りの男。
ばちりと、右手に紫電が滾った。柄ごと拳を強く握り、いざ叩き込むは不殺の一撃。
「イアーッ!」
――白神一刀流・外法ノ一“白神空手・武雷掌”。
男の腹の脂肪が強大な抵抗となりながらも、しかし今の電圧はそれを突き破り――右拳の雷撃は完全に男を沈黙させた。
吐息と共に面頬を外して口許を拭う。これで残るはリウドルフ一人。奴はこの期に及んでなお、仲間の為に動こうとはしなかった。
否――。
「悪いね、狼のお兄さん……あんたの好い人にゃ、死んで貰うぜ」
背後の白煙の中。並ぶ二つの人影。
そんな嘲笑と共に――――噴出する体液の音が響き、低い方の首がごとりと落ちた。
フローの首が、落ちた。
「イアーッ!」
瞬間、叫んだ。放つは触手の槍――だがその全てがリウドルフの射程に入るなり斬り落とされる。
「イアーッ!」
構うか。駆け出しながら、さらに続ける。十六の触手槍――やはり全てが小指よりも細かく切り刻まれた。
「イアーッ!」
声を振り絞った。応じた三十二の触手――全滅する。リウドルフの領域に飛び込むと共に、無残な死に体へと変えられる。
だが、無視する。そこは問題ではない。一刻も早く、この剣鬼に刃を突き立てるのみ。
白煙を裂いた。目の前には左肩を向けて剣を構えるリウドルフ。渋い緑色の髪。灰色の瞳が、にぃと笑う。
平らに寝かせた切っ先で狙うはその首筋――だが、読まれている。虚空に浮かび上がる石色の刃の群れ。線路めいて連なるそれは、飛来物に対する万能の見切り。そして最小の盾。
故に――丁度よかった。
「先輩!」
シラノの右肘に繋がるのは、導線めいた赤き触手。赤ん坊の腕ほどの太さの触腕が、その後方に伸びている。
さらなる寄生。さらなる合一。これにてシラノの赫き右腕は、再びフローの支配下に置かれる。
赫き手首に浮かんだ召喚陣。拳から噴出するは気化した麻酔液。
「ははッ!」
喜色を湛えたリウドルフの笑みを最後、放射された麻酔ガスは刃の盾に遮られた。傘めいて展開した〈石花の杭剣〉に完全に封じられる 。
――故にこそ、必殺は相成った。
重ねた召喚陣。ついで右手から放たれるは液状の触手――七ノ太刀“無方”。
突きが見切りにより巧みに受け逸らされてしまうと言うのであれば、受け逸らせぬ角度を作ってしまえばよい。
刃の傘に噴射された触手が瞬く間に再硬化する。そこにあるのは平らな一枚岩――ならぬ一枚の触手甲板。リウドルフの視界を封じ、その見切りを殺し――以ってシラノの必殺は、不殺の必殺へと相成った。
握るは柄。放つは劔。貫くはこの死線なり。
「イィィィィィイアァァ――――――――――――ッ!」
最大加速の触手三段突き――否、本来加速のために使い捨てるはずの自切した断面から生まれた触手抜刀をそのまま刃に合一させ、無理矢理に超強化。
合一の蒸気と共に、新たに自切して繰り出すは――実に触手六段突き。
倍の重量。そして倍の加速。極超音速を遥か後方に置き去り射出される刀身の運動力は実に八倍。
轟音と共に発射された極紫色の刺突は硬化した赤き盾を喰い破り、その奥のリウドルフの左肘から肩までを完全に粉砕した。
リウドルフが、踏鞴を踏む。
頬を激しい鮮血に染めた男は――それでも三日月に口許を歪ませて、
「あァ――……次はもっと愉しめるといいなぁ……」
そして、堀へと身を躍らせた。
フローの触手と合一し再強化した右腕であってもその反動は身体に響いた。その隙に、逃げられたのだ。
暗闇の中、遥か下で水音がする。左腕は完全に破壊した。そんな怪我で、二度目があるとは思えなかった。
「イアーッ!」
追撃で触手三段突きを放ち飛ばすが、果たしてどれだけ効果があるのか。何度か強烈な音を響かせて、それで仕舞いだ。
ともあれ――……吐息が漏れる。
四人の魔剣使いとの死闘――その死地を、なんとか斬り抜けたのである。
「シラノくん……お、終わったの? うぇぇぇぇ……頭の上をビュンって……ビュンって……怖かったよぉ……」
「……心臓に悪かったのはこっちっスよ、先輩。囮なんて言い出すから……」
「うぇぇぇぇ……あんなのだと思わないだろぉ……! なんなんだよ魔剣って……なんなんだよぉ……! 死ぬかと思ったよぉ……怖かったよぉ……」
「……」
かつてシラノが胴を固めたことを体験した以上、触手使い相手にリウドルフが狙うのはおそらく首――。
そんな想定に乗って己から触手人形による囮を言い出したフローの情けない顔を見ると、なんとも腹からどうしようもない安堵の息が漏れた。
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第三幕◆
◆「ラブ・ソング・サング・バイ・カースド・ドラゴン・フォー・ケンゴウ」その四へ続く◆




