表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/121

第四十四話 アレクサンド・リターンズ その三

◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第二幕◆

◆「アレクサンド・リターンズ」その三◆


 雨を弾く靴音は、何物にも揺るがないほど強固であった。

 棺桶めいた重厚な道具箱を背負って、一人進む男はさながら砦であった。たった一人の砦。たった一人で砦――それほどの黒き存在感を放つアレクサンド。

 死だ。死が、やってきた。

 助力を言い出されたシラノですらそう思った。アンセラも、フローも、敵であるリウドルフすらもアレクサンドの発する重圧に飲み込まれる。


「なんだお前は……いや、お前はひょっとして――あばぁ!?」


 一人知らず、状況を呑み込めぬ邪教徒が叫んだ。返答は靴裏だった。

 シラノの左手――リウドルフの周囲。錆びた銀髪を棚引かせる少女が、上空から襲いかかったのだ。


「アンセラ!」

「りょーかいっ!」


 弾かれたように頷き、腰を落としたアンセラが炎髪を解禁する。

 牽制にしか使えぬと彼女が言う炎の髪だが――触れた水たまりが蒸気となって瞬く間に辺りを覆う。

 逃げろと指差した。ここから動けば、形の上では逆に挟み撃ちをすることになる。絶好の機会であった。


「……ああ、なんだいお嬢ちゃん? おれの為に、場を整えてくれる気なのかね? 二三人はやってくれると嬉しいんだが……」


 外套の教徒たちを靴裏で薙ぎ倒す少女を眺め、肩に剣を担いだリウドルフが乾いた笑みを浮かべた。


「……理解できませんね。仲間が倒されて、言うべきことがそれですか?」

「仲間? 生贄さ。ま、しょうがないだろう? こいつらが束になってもおれ一人分の働きはできねえ……でもおれにはできる。なら、おれをその気にさせる為に死んで貰うまでのことさ。いい使い道だ。人の役に立つってのは大事だからな」

「……不快です。(わたし)はやはり人間(あなた)がたが嫌いです」

「おれは好きだぜ? だから暴力はいけないと思ってるのさ……さ、オトシマエはつけねえとな」


 にぃ、と目を細めたリウドルフが少女――〈擬人聖剣(アガルマトロン)義製の偽剣(アルマスノエル)〉の人間態、ノエルを照準する。

 その瞬間、であった。


「イアーッ!」


 蜻蛉をとり、蒸気を掻き分けて疾駆する。ノエルを囲もうとした邪教徒は不意を突かれた形となった。

 その後頭部へ、〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉の刃を叩き込む。一人呑んだ。そのまま二人目に跳ぶ。水たまりを滑り、肩口への一撃。骨を叩き割った。


「こ、こい……ひぐぅーっ!?」


 一瞬だけ目を見開いたノエルも応じた。

 放たれた鋭い蹴りが人体を()()()()()。膝を打てば、真横からまとめて両足を折る。強大な質量の籠められた一撃であった。


「そこの……見知……見知らぬ人……合わせて、ください」


 おずおずと声を発したノエルに応じてシラノも地を蹴る。リウドルフにだけ注意を払い、周囲の取り巻きを一掃。

 八人が倒れ伏し、松明が水たまりで音を立てて消えた。


「へへへ、前に言わなかったっけ狼の兄さん……おれは舞台が整ってからじゃねえと斬りたくねえ、って」

「……」

「覚えててくれたんだろう? だからこうして整えてくれた……。あァ、いいねぇ……! そっちも、そんなにおれを()()()にさせたかったんだよなぁ……! 想い合えるってのは幸せなことだぜ……相思相愛じゃねえか……!」


 喜色を讃えたリウドルフが剣を肩に担ぐ。

 その瞬間――


「イアーッ!」


 右腕から紫電を放ち、リウドルフの目を瞑す。だが、そこを狙い打って倒せる相手ではない。

 踵を翻す。ノエルと共に、シラノは再び蒸気の中に飛び込んだ。



 ◇ ◆ ◇



 埃の匂いが満ちる地下墓地。

 王国が覇を握る数百年前に滅亡した帝国のその時代に作られた墓所は、数多の戦死者を抱きながら沈黙する。

 ネズミ掃除の“魔法疑似生物(スライム)”が影を這うその一角で、青い魔術灯に照らされながら逃げ込んだ一同は顔を突き合わせていた。

 金髪交じりの黒髪のアレクサンド。錆びた銀髪を二つに括ったノエル。頑健な男と人形めいた少女の黒ずくめの組み合わせは、なんとも奇妙なものである。

 そして、やおらアレクサンドが口を開いた。


「私はアレクサンド……元執行騎士だ。あの邪教徒たちを追っている。そして街の外への通信手段を求めてあの場に張り込みをしていた……同じ志があれば、いずれ訪れる筈だからだ」


 そこで来たのがアンセラたちであったと、アレクサンドは不景気で不機嫌で不本意そうな顔のまま頷いた。

 常人ならば会話を躊躇うほどの苦い表情であるが、そんなことは構ったものではない。問いかけるアンセラは、静かに要点だけに質問を絞る。


「なら、街の現状について何か知ってる? 〈浄化の塔〉はどうなってるの? 議会は? 冒険酒場は?」

「……」

「街が実質的に支配されているって……どういうことなの?」


 俄かに黙し、アレクサンドは応じる。


「私も時間がない。手短に、必要なことだけ話す」

「いいわ。何?」

「市街に建てられた〈浄化の塔〉の立ち入りには相応の権限がいる。特に宝石や刻印に対しては……その権限を持つものはこの混乱で行方知れずだ。おそらく奴らはそれを探している」

「まだ……捕まってはいないのね?」

「ああ。捕まっていたら、この街は今頃魔物の街になっている。とはいえ議会は奴らが押さえている……代理の権限者の任命も、そう遠からず行えるだろうな」


 低い声のまま淡々と事実として述べるアレクサンドの口調に障りを覚えたが、何とか飲み下しアンセラは続きを促した。

 街には時間がない。それは、彼女としても判っていることだ。今は要点だけ聞ければいい。


「何故こうも容易く支配できたかだが……私が調べたところであるが、奴らの中には邪術使いがいる。そして、奴らは魔物の肉を食用として配給していた」

「な……!?」

「邪術使いは魔物を操る。術者としての巧みさ――その権能がどの程度かは判らないが、おそらくは魔物の肉を喰らい内部汚染された人間をも対象にできている筈だ。いずれ魔物になる運命にあるのだからな」

「何よそれ……!」


 人間に魔物の肉を食わせて、汚染して魔物化を推し図る――。

 それは、神をも恐れぬ邪悪だった。

 おぞましき所業の邪教徒へ、アンセラの中で怒りが沸騰していく。元より冒険の中で幾度かやり合い良い印象を持ってはいなかったが、それ以上だ。

 吐き気を催す邪悪。倫理の狂った悪行であった。


「奴らは実質的に都市の大半を手中に収めている。冒険者たちの大半も同じだ……魔物を斬り捨て、多少なりとも瘴気を浴びた。それを何日も何日も続けたのだ。……幾人かは知らずに肉も食らっているだろう」


 淡々と、アレクサンドが続ける。


「潜伏型の疫病と同じだ。その発症と同じだ。既に事態は進んでいる……邪術使いを倒さない限り、この街では誰も動けまい。先天的に耐性があるものを除いてな」

「あたしは自分で獲った肉しか基本的に食べないからいいとして……」

「貴殿らの事情はそちらで考えて貰いたい。それよりも、通信だ。この街に王子を――〈雷桜の輝剣(シグルリオーマ)〉を近付かせてはならない。奴らの狙いはそれだ」

「狙い? ちょっと待って、どういうこと……?」

「説明が惜しい。通信準備を整えてくれ。貴殿らも、邪教徒の手に天地創世の魔剣が墜ちることなど望ましくはあるまい」


 突き放すようなアレクサンドの目と、有無を言わさぬ口調。

 どこまでも揺るがない鋼のような男とアンセラは睨み合い――そして、諦めたように両手を広げた。

 そして、ジュエルに目配せを行った。術者二人がいるのだ。そして、訳知りなアレクサンドがいる。情報を提供するには、十分だろう。


「……少し縁がある。私の名を使えば、この街からの情報だろうと受け入れられるだろう。少なくとも、邪教徒による欺瞞や偽装工作とは思われない筈だ」

「はいはい。急げばいいんでしょ、急げば」

「ああ。繰り返すが時間がない……私もじきに出る」


 苛立ち交じりで道具を整えるアンセラたちと、取り付く島もないアレクサンド。そして、輪から離れてどこか心乱れた様子ながら辺りを警戒するノエル。

 そんな中、フロランスはおずおずと手を挙げた。

 皆当然のように動いている。だが、フローにとっては重要な事態であった。

 見知らぬ相手からの視線の集中に内心声を上げそうになりながらも、何とか心を落ち着かせて口を開いた。


「……あの、その……シラノくんは? なんで、なんでシラノくんはここにいないの……?」



 ◇ ◆ ◇



 雨の降りしきる路地裏。濡れた路面が松明を照り返させる中、白い蒸気が消えたその場でリウドルフは吐息を漏らした。

 他に、立つ影は居ない。十余名の友連れは皆無様(ブザマ)に路上に倒れ伏していた。


「派手にやられてるねぇ……いやあ、あのお兄さんも中々見ごたえがある奴だ」


 折り重なるように壁際に倒れた外套の男たち。文字通り、()()()叩きのめされたのだろう。

 あまりにも人間離れした膂力であった。鬼人族(オーク)の戦士でもこうは行くまい。ましてや人の身でなど、相応の実力者の証左であった。

 そしてリウドルフは一人頬を緩め、


「なあ……()()()()()()()()()()()()()?」


 頭上を眺めた。

 雨の音が違った。壁に張り付くように、襤褸布の外套を纏った人影が〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉を片手にぶら下がっていた。

 だが――〈石花の杭剣(カレドヴールフ)〉の斬撃を生じさせたのは、真下に向けてだ。


「イアーッ!」


 首下で発現した召喚陣が、極紫色の触手が、リウドルフの首を締め上げにかかるが――彼は薄ら笑いと共に腕を噛ませて押し止めた。

 そして真下から――折り重なった気絶する邪教徒たちの身体に潜んで跳び現れたシラノを迎え撃つ。

 伏撃(アンブッシュ)への迎撃。繰り出された紫電を纏うシラノの赫き拳と、防ぐリウドルフの石色の刀身が甲高い音を鳴らした。

 舌打ち一つ。

 防がれるや否や、シラノは片腕に触手を巻き付けて飛びずさった。必殺の伏撃(アンブッシュ)の筈だった。


「……どうして判った?」

「いいや、分かっちゃいなかったよ。ただの独り言のつもりだったのさ」


 にぃ、とリウドルフが嗤う。読めぬ男だった。

 狂気と殺人に塗れた修羅――屍山血河で鼻歌でも歌うように、リウドルフは愉悦を湛えた目線を送ってくる。


「ははは――なあ、お兄さん……あんた逃げなかったのか?」

「……」

「あんた以外は皆逃げたぜ? 尻尾を巻いて逃げた……多勢に無勢だ。しょうがねえよなあ?」


 ニタニタと挑発するリウドルフを睨み付けて、肺から息を絞り言った。


「……逃げるのはお前らの方だ。街を乗っ取り、人々を危険に晒した……お前らみてえな無法者こそ、尻尾を巻いて首謀者の下に逃げればいい」

「そこを追いかけて、首級(くび)を上げるってか? いやあ、嬉しいねえ……お兄さんは本当に戦いが大好きなんだなぁ……! 親近感が湧くねえ……!」

「……」

「それとも義憤かい? 人々の平穏……ああ、いい言葉だ。あんたには仁愛が溢れてる――はは、たまらなくいいよ。あんたの前で街の人間を処刑したら、どんなツラを見せてくれるかねえ……!」


 シラノとリウドルフの間で、より一層夜雨が勢いを増した。

 だがそれに構わず、リウドルフは実に心地よいと言いたげに陶酔とした笑みを向けてくるのだ。

 肌が粟立ち、背筋が凍る。余人なら直視すれば呑み込まれてしまう怪物の瞳――どうしようもなく、リウドルフはイカれている。


「あの塔の周りに人間を並べて、橋の上に市民を敷き詰めて――一列に槍で刺すのさ。『助けてくれ』『助けてくれ』って……きっとお兄さんは、最高の顔をしてくれるよなあ? 何もできずに嘆きながら死んでくんだぜ? 放っとけねえよなあ?」

「……」

「ああ、たまらないね。最高の絵になると思うぜ……なあ?」


 三日月に口許を歪めるリウドルフを前に、


「――()()()()()


 ただ、そうとだけ決断的に言い放った。

 右眼が赤く光る。シラノの内なる怒りに呼応していた。


「嘘だよ。冗談だよ、冗談……暴力はいけないことだもんなぁ……それは許せないもんなぁ」

「……」

「はは、なんでもいいさ。逃げられたと思ったお兄さんがここにいてくれたんだ……なら、やることはひとつしかねえよなぁ……!」

「……ああ」


 戦いへの恐ろしさはある。リウドルフという不気味な相手への恐怖もある。

 だがそれ以上に――――この手合いは、斬り捨てねばならぬのだ。野放しにしてはならぬ。どれだけ人の屍と涙を積み上げるだろう。どれだけの人の平穏を、その想いを踏みにじるだろう。

 それは許してはならない。そんなことを(がえ)んじてはならない。

 故に、


「魔剣、断つべし……!」


 触手で組み上げた偽装人形から剣を投げ受け取り、シラノは吐息を絞った。

 頭が冷える。血液が凍る。心が鋼と化す。ここが死地だと――頭脳が斬り替わっていく。こここそが死地。この相手だけは、何に変えても斬り倒さねばなるまい。

 蜻蛉をとる。今度は初めから右腕が喉を隠すような左蜻蛉だ。赫き腕を硬化させ、喉への斬撃に備える。


(……ああ。やるしかねえ……なら、退くべきじゃねえ)


 瞳を細める。触手抜刀が使えぬ――そこで如何に敵を斬り倒すか。いや、斬り倒すまで立っていられるか。ただそれだけを思った。

 だが、パシャリと周囲で水音が上がる。

 見れば揃いの黒の外套の人影が三つと、そして人間に比べて不自然に背の低い影が十数人――斥候猟兵(ウォードレイダー)と邪教徒の増援だった。


「断たれたら困るんですよねぇ……」


 覇気のない、妙に甲高い男の声。

 辺りを取り囲む斥候猟兵(ウォードレイダー)は曲刃や狩猟弾弓(スリングショット)を構え、そして外套の男たちも白刃を抜いた。

 夜の石畳の街に妖しく光る三本の剣――――分厚い刃の半両手剣に、針めいて細身の片手剣。そして、鋭く逆に曲がった双剣。いずれもが、闇の中でも濡れたように煌めいている。

 直感で理解する。

 これは三振りとも全て――魔剣であろう。


「リウドルフさん、反逆者を見つけたら知らせてくださいと言っていたじゃないですか」

「ああ……だがまあ、おれはこうとも言ったろう? 『斬り捨てたなら、渡すのは死体の耳でいいか』――ってな」

「まったく、貴方という人は……」


 細身の剣を握る長身の男が溜め息を漏らした。

 双方の関係は決して親密ではない――探りながら内心の冷や汗を拭い、シラノは柄を改めて握り直す。


「おい、おまえ! 魔剣使いか? 武器を捨ててとっとと降伏しな!」

「判るだろぉ……? この数が相手だ。全員魔剣だぜぇ……? なあ、意味が分かるかい?」


 分厚い刃を握る固太りの男と、双剣を握る痩せぎすの男。

 邪教徒か。

 ならば無能。少なくとも、魔剣を使う以上のことはできないと値踏みする。むしろ脅威なのは、この距離であるのに油断なく飛び道具を構える斥候猟兵(ウォードレイダー)であった。

 シラノへ促すように、更に狩猟弾弓(スリングショット)の弦が引き絞られる。邪教徒とその傭兵は、〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉という魔剣を使うシラノに投降を呼びかけていた。

 流石に、どう足掻いても分が悪い。

 辺りを囲まれて剣一本で切り抜けられるほどシラノは剣に長じていない。未だに人を斬り殺せぬ、現代人の甘ったれた価値観を引きずるだけの男にしか過ぎない。


「おい、聞いてんのか? 武器を捨てろ! その魔剣をこっちに渡しな!」


 固太りの男が怒声を上げた。

 ……これは死地を過ぎている。明らかな致命である。戦う前に、既に己が死に体だと判る。抵抗したところで勝てるか――触手抜刀を使えずに勝てるわけがないと理性は結論付けた。

 鳴りそうになる奥歯を食い縛り、そして言い放つ。

 

「……()()()()()


 ざわりと男たちが湧きたった。

 そんな中でも、斥候猟兵(ウォードレイダー)とリウドルフだけは侮ることなくシラノを見竦める。

 殺される――そんな恐怖に心のどこかが声を上げた。一方で別に声が上がる。ならばこそ、存分に敵を斬り下すべきである――と。

 そして果たして、


「イアーッ!」


 己の四方に“甲王(コウオウ)(ツルギ)”の盾を形成。まずは第一陣の飛来物を防ぎ切った。

 その中で跳ぶ。靴の裏に更に触手を発現する。螺旋を描く独特の形状――硬化/強化――触手の発条(バネ)を以って、上空へと更に跳躍した。


「イアーッ!」


 空中に生じた“甲王(コウオウ)”の盾。発条(バネ)足で踏みしめて加重を加え――跳んだ。目指すは、一直線に痩せぎすの男。


「イアーッ!」


 男を触手のロープで手繰り寄せ、更にと宙に生む盾で段階加速。

 剣を握る腕は絡め取った。発条(バネ)足疾走のまま、柄頭から男の顎先に飛び込んだ。

 石畳に巻き倒して転がり、更に敵の集団目掛けて触手槍を放つ。幾本かは防がれたが、幾本かが斥候猟兵(ウォードレイダー)の足を貫いた。鮮血が舞う。

 そのまま転がり起きるが、斥候猟兵(ウォードレイダー)が体勢を立て直すのが早い。邪教徒のようにはいかない。彼らは、戦いに慣れていた。


「こ、この野郎……こいつ、触手使いか……!」

「何をしてるんですか! 早く囲みなさい! こんな奴はここで殺すのです!」


 ヒステリックに長身の男が叫ぶ。斥候猟兵(ウォードレイダー)たちが展開する。更に伏兵がいたのか、また背後を取られた。

 蟻に群がられるような、そんな狩り。獲物はシラノだ。果たして、如何にしてこの死地を切り抜けるべきか。

 やれるか、と己に問いかける。返答はかえらなかった。代わりに、剣を握る右手の指に力が籠る。


「来い。……白神一刀流に、敗北の二字はねえ」


 食い破る――否、喰らい散らすしかない。そんな気構えでいなければ、瞬く間に呑まれて屍になるだけだ。震えたい気持ちは勿論だったが、理性と本能がそんな赤子の口を塞いだ。

 腹の底に気を貯め、周囲に目線をやる。

 足裏の発条(バネ)は解除したが、もう一度やるべきか。そして、通じるのか。

 内なる心の逡巡の間に――しかし、()()は来た。


「いぎぃっ!?」


 斥候猟兵(ウォードレイダー)が悲鳴を上げる。

 無数の足音――いや、足音と呼んでいいのだろうか。かさかさと擦れる音が、洪水めいて雨音を塗り潰していた。

 路地の裏から飛び出したのは、濁流であった。否、濁流と見紛うほどの退去した虫の群れ。黒光りする甲虫が、泉から止め処なく湧き出る重油の如く石畳を塗り潰しにかかった。

 方々で悲鳴が上がる。剣では打ち払えない虫。涼しい顔をしているのはリウドルフだけだ。

 さながら、阿鼻叫喚地獄。

 燃え広がる炎の代わりに、肉食性の甲虫の大軍が辺り一面を覆いかかっているのだ。


「ほら、こっちですよ!」


 そして、路地から飛び出した人影がシラノの右腕を掴んだ。

 置き土産とも言うようにその人影は竜の絵札を構え――「〈竜の炎獄(フレイム)〉」――呟くなり、放たれた炎が甲虫に引火した。

 辺り一面が火だるまに覆われ、宵闇が赤く広げ分かたれる。そんな光景から、手を引かれるままにシラノは撤退した。



 ◇ ◆ ◇



 どれほど走っただろうか。

 見極めるように辺りを見回し、その外套に包まれた小さな背丈の女性――ほんの少し小人族(ハーフリング)を思わせる――がフードを下ろした。

 零れた橙色の髪の毛と、無感動な若草色の瞳。


「や、また会いましたね。いやあ、ご健勝そうで何よりでやがりますねぇ」

「……メアリ、さん?」

「おや。気付いてやがらねーでついてきたんで? 駄目ですねぇ、そんなにおねーさんにホイホイと釣られやがっちゃあ……イケナイことされちまいますよ? ……あ。お姫ぃ様、冗談冗談冗談です、冗談。許してくだせーな。冗談ですマジで」


 陶器人形めいて整った女性が向けた視線の先にいたのは、これまたやはり西洋人形めいた容貌の少女であり、


「……エルマリカ?」


 闇の中でも鮮やかな金糸細工を揺らすエルマリカが、そこに居た。



 一行というには繋がりが薄いであろうが、便宜上一行と呼ぶそこには五人がいた。

 いつものように育ちのよさそうな格好をして、何故だか目線を合わせようとしないエルマリカ。

 そして居心地が悪そうな禿げ頭の男と、挙動不審に辺りを見回す口髭の男。

 残るは言うまでもなくシラノと、そして身振りで表すメアリである。


「……とまあ、馬鹿どもはよりにもよって街中に魔物の肉をバラ撒いてやがった。こっちも何とか渡しちゃなんねえ奴を確保したんですがね。代わりに身動きが取れなくなっちまって……」

「……」

「そこで何やら騒がしいと思ったら、いやあ剣士サマじゃねーでやがりますか。これは渡りに船ってモンで……あんたさんなら信用できますからねえ」

「……うす。どうも。……あと、危ないところをありがとうございました」

「いえいえ」


 なんでもないと手を振るメアリの傍は、溜息と共に続けた。

 相変わらず無表情な顔立ちで声というのも念仏めいて無感動に平坦であるが、口調だけはやけに荒っぽい。

 ピースサインのように二本指を立てながら、頬のそれぞれを吊り上げる。彼女なりの宥和の証なのだろうか。


「……で、ついでにあんたさんは何か情報とか持ってやがらねーですか? 馬鹿どもの元締めを探しちゃあいるが全く見つからねえ上に、おまけにこんな騒動にもなって……城壁を潰してもいいんですが、それでハズレたとなると街がどうなるか分かったもんじゃねーんで?」

「……うす。と言っても、俺には特には……」

「いやいや、なんでもいーんですよ。こういうのは閃きが大切でして? ほら、おねーさんを助けると思って何かねーでやがりますかね。今ならとっておきのご褒美を――……嘘ですお姫ぃ様。嘘嘘、怖い顔しないで」


 困ったように手を振りながら完全に目元が半眼なのは酷く奇妙に思えるが、まぁそれはいい。

 情報と言われたところで、シラノには判らないことの方が多い。たった今メアリから渡されたもの以上に、核心的なものは何一つ持ち合わせていない。

 流石の執行騎士であるなと思いつつ――不意に、思い出されたことがあった。


「……そう言えば、一つ」

「うん? ほうほう、なんですか?」

「前に歌劇団が……そこの女優の、リアネシアさんって人が雑談で言ってたんスけど――」


 執行騎士。

 心当たりがあるのはそれであるが……名前を出したら、メアリは露骨に半眼を強めた。


「え。あの魔女が? え、というか歌劇団? え? あの魔女が? 劇団? 女優? あの魔女が?」

「……ああ。その……知らなかったんですか?」

「報告されてねーですよ。何やってやがったんですかね、連絡役は……」

「ああ……その、色々と大変だったみたいなんで……余裕がなかったのかと……」


 おそらくリアネシア――リアーネは人々の注目を集めつつ情報を収集する陽忍。

 対するメアリは陰忍であり、おまけにリアーネの周囲の密偵たちは葬られていたので……伝えられないのも無理はないことであろう。

 それはともあれ、


「劇団ってのは基本的に行先を劇団が決めて……その先にある街とかに窺いを立てるか街から呼ばれるかして公演するらしいんスけど……」

「ふんふん」

「その……今回、呼んできたのは神殿だったって……いや、本当にただの雑談なんスけど」

「へぇ……神殿ね。神殿――……ああ、確かにそのセンは追ってませんでしたね。神殿。ああ、たしかに……なるほどなるほど……おまけに確か歌劇団は狙われてたって。ああ、なるほど」


 何か、彼女の閃きの糧となったらしい。メアリは妖しく半眼を細めながら、幾度と頷いていた。

 そしてそれから間もなく、彼女たちは方針を決めたようであった。

 敵の首魁――邪術使いが隠れ潜んでいる可能性があるという神殿。シラノに男たちを預けてすぐさまにでも向かうらしい。

 メアリはいい。

 彼女は先ほどの一幕で、かなり高名な魔術士であると推察できる。だが――


「……大丈夫なのか」

「へっちゃらよ? ふふ、わたしは本当はすっごく強いの――だから、心配しないで?」

「……」


 慮ったエルマリカは、ただそう曖昧な笑みを浮かべた。

 本音で言うなら同行を申し出たいところであったが、アンセラやフローも心配しているだろう。なにより街の重要人物――〈浄化の塔〉の管理者権限を持つ二人を渡されてしまえば、頷く他なかった。

 心苦しいが、何もしてやれることがない。

 そんなシラノを前に……エルマリカが、ふと口を開いた。


「……その、シラノさんの迷惑じゃなければなんですけど」

「?」

「手を……手を握っても貰って、いいかしら」


 奇妙な問いかけであった。

 促されるままに両手を差し出せば、白魚のような細い指が包み込んでくる。

 冷えていた。どれほどこの冬の空気に身を晒していたのか。エルマリカの手は、酷く冷たい。


「ふふ、温かいわ。……人の手って、本当はこんなに温かいのね。シラノさんの手は、温かいわ」

「エルマリカ?」

「……その、ありがとうシラノさん。わたし、これで頑張れるわ。ふふ」


 そして手が離れる。

 メアリと二人、外套を被った小さな背が闇に沈んでいこうとしていた。


「でも……できるなら、この街から逃げてくださる? それなら……それぐらい嬉しいことは、他にはないわ」


 最後にそう彼女が呟いたのを、黙って見送った。

 シラノとて、保護した男性たちを連れて逃げねばならない。ここから邪教徒の監視の網をくぐると思うと骨が折れる思いであった。

 だが、


「……エルマリカ」


 気になったのは、彼女が最後に残した言葉。

 その揺れる蒼い瞳は――自分を連れて逃げてくれと、そう言っているようだった。


 雨が降る。

 未だ深い冬の夜に、冷たい雨が降り注いでいた。

◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第二幕◆

◆「アレクサンド・リターンズ」 終わり◆


◆第三幕「ラブ・ソング・サング・バイ・カースド・ドラゴン・フォー・ケンゴウ」 その一へ続く◆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ