第四十話 ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ その二
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第一幕◆
◆「ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ」その二◆
フローの盾になるように森を進めば、聞こえてきたのは怒号であった。
響く甲高い金属音と何かが空を裂く音。そして、焼け焦げる匂いが流れてくる。
「〈我は松明、我は焔――燃えよ飛び岩!〉」
「盾ぇッ!」
触媒となった絵札から飛び出した火球を、一丸となった衛士たちの盾が斜めに受け逸した。お互いでお互いを庇うように掲げられた盾は、集団をさながら亀の甲羅の如く変える。
見下ろした窪地には、大股で十五歩ほどの圏内に敵味方を合わせて二十人強の人影が鉾を交えていた。
辺りを囲んだ邪教徒は十人前後。対する衛士たちは十五名ほどの集団として、敵に応対している。
「先輩……もう少し俺の近くに」
「う、うん……」
フローを背に庇いながらゆっくりと右足を出す。隣でアンセラが低く唸った。
まだ気付かれてはいない。奇襲には絶好の場面ではあるが、魔術などがある以上は味方の射線上に身を晒す突撃には慎重にならざるを得ない。
どうしたものか。逡巡すると、動きがあった。
「後列。――距離、六ッ!」
叫ぶと同時だった。衛士が握りを捻るに合わせて切り替わった刻印が青く発光し、その柄が伸びる。
前面に立つ邪教徒が、呪文を叫ぶ暇もなく長大な槍に刺し貫かれて沈んだ。指向性を持ったハリネズミの棘めいて、一団の前方が槍衾に包まれたのだ。
巧みな連携であった。前列は盾を構えて敵の攻撃を待ち受け、そしてその隙間を縫うように槍が飛び出している。そこに剣一本で飛び込む度胸は今のシラノにすらない。
「ぐげぇっ!?」
穂先の長さを戻しつつも、向きを変えた男たちが更に邪教徒を葬った。
すり鉢状の地形。この短い射程では助走もつけられず、撹乱は愚か逃げることすらままならない。一人、また一人と邪教徒が倒れ伏していく。
どうやら、シラノの助力は必要ではないらしい。
「どうする……行く? 行くなら、フローさんはあたしが守るけど……」
「……いや、大丈夫だ。先輩には俺がいる」
「あ、そ。……んじゃあたしが行くわよ?」
「うす。……気を付けてな」
「誰に言ってんのよ、誰に!」
僅かに頷けば、雄叫びと共に炎髪を翻したアンセラが斜面を駆け下りる。
急襲であった。
その咆哮に硬直した邪教徒は槍衾に飲まれ、更に突撃するアンセラが集団を撹拌する。浮足立ったあの様子では、おそらく長くは持つまい。
目の前で繰り広げられる戦闘からフローの視線を遮りつつも、シラノは内心で感嘆の吐息を漏らした。
なるほど。特に集団戦で――しかも連携を訓練された集団戦で、魔術は強い。いざ戦うとしたら、それが厄介だろう。
邪教徒たちを打ち払った衛士たちは、一塊になり吐息を漏らす。火球の影響からかいくらか具足が煤けていたが、大事はないらしく全員の士気は高かった。
予め魔力を籠めて印を刻むが故に、魔術士以外でも扱えるという刻印魔術――刻印を宿したものそのものやそこに触れた物体に効果を表す魔術の方式だ。
彼らが手にしたのは刻印魔術を刻んだ武骨な槍――捻ることで刻印を切り替え合わせてその柄を伸ばすらしい――と、簡素な刻印盾。“加重”の効果として盾は周囲に防壁的な力場を作るようで、その外見以上に強固らしかった。
「アンセラ嬢、先ほどはご助力大変ありがたい! いやあ、当初は道中の案内だけと頼んでおったんだが! ここまで突き合わせる予定もなかったんだが! それでもなんともままならないものですな……いやはや! ハッハッハ!」
「いや……まぁ、あたしもこの街にはその……少しは思い入れもから……」
「流石、音に聞こえた“炎狼”のアンセラ殿! いやあ、数年前から街で騒がれていてどれほどのものかと思ったが……あの帝国の極北にある険しき山の神殿跡へたった一人で飛び込んだというだけはある! ハハハ、なんとも頼もしいもので! いやあ、実に! 実に力強いですな! あなたは実質的に筋肉だ!」
「……何よ実質的に筋肉って」
鷹揚に笑うリュディガーを前に、アンセラはうんざり顔を見せていた。
そして――詳しく過去は知らなかったが、やはり彼女はその経歴的にも凄腕だったらしい。よくは分からないが、なかなかの冒険を経ているのだろう。流石アンセラだった。
……などと見詰めていると恨めしそうに睨み返された。解せない。
「……ふむ、ところでそちらのお二方はどのような方々で? 私としたことが、お二人については仔細を聞きそびれておりましたが故に!」
「俺はシラノ・ア・ロー……しょく――いえ、〈鉄の斧級〉の冒険者です。先輩は〈樫の杖級〉……主に裏方をやってます」
「ふむ……すまん、その、なんでありますかな……その〈鉄の斧級〉とか〈樫の杖級〉とは?」
リュディガーがその辺りに明るくないのか、それとも冒険者とは実は冒険者同士でないと用語も通じぬのか。いずれにせよ、説明はそこからになるらしい。
「――って感じで、シラノは一つの街で出せる最高位にいるんです。それを、多分最短でやったんじゃないかしら」
「ほう? 最短とは……なるほど中々に素晴らしい業前に見える!」
「いえ……皆さんほどでは」
頑丈な盾と、鋭い槍。ただそれだけで魔術と相対するなどかなりの研鑽がなければ不可能だ。何よりもあの連携……一朝一夕で身に付くものではない。城塞都市の衛士とは伊達ではあるまい。
この集団は、シラノなどよりも遥かに錬磨を積み重ねた男たちであった。それだけの信念を背負った者なのだ。
「ハッハッハ、そりゃあ我々は衛士であるが故に! 私も私の父と母も、そのまた父と母もこの街で生まれ育っておる! そして私の妻と娘もこの街で暮らしている。ならば……ほら、街を守る衛士が鍛えておらぬと言っては神々に申し訳も立ちませんので!」
「なるほど……」
「いやあ、そうして街は続いてきて……これからも続いていくのでしょうな! ハッハッハ!」
快活に笑い飛ばすリュディガーに嫌味はない。そして見れば、周りの男たちも同じように頷いていた。
冒険者のように未開の地を開拓したり、或いは過去の逸品を収集したりするのではない。魔術士のように古の叡智を学び、新たな技術を育むのでもない。
先祖から受け継いだものをまた次に繋げていく――彼らは、そんな立ち位置の生き方であった。
「さて……ふむ、ここから先は我々でと言ったのだが……。アンセラ嬢、申し訳ないがもう少し貴公にお付き合いを願ってもよろしいかな? 我々は貴公のように鼻も利かぬが故! ここまでくればと思ったが……ハッハッハ、この距離で奇襲なんて困るんだが!」
「……ほんっと、さっそくだったからね。判ったけど……その代わり、そこの二人も連れてっていいかしら?」
「ふむ? しかし……先ほどの話からするに、冒険者としては日が浅いと思えるんだが?」
「確かに日は浅いけど……。魔剣――って言えば、判るでしょ?」
アンセラの不敵な笑みに、男たちの顔色が変わった。
七本の魔剣が天地創世に関わったとされるこの世界において、魔剣や剣士というのは相応の意味を持つ。
文字通り、魔術とは段が違う。兵士とは位が違う。人の身にて神の条理を背負うものを魔剣使いと呼び――
「ひょっとして……シラノ殿も魔剣を?」
「いいえ? でも……今まで四本の魔剣と戦って、しかも全て相手を殺さずに返り討ちにしてる。意味を分かって貰えるかしら?」
「魔剣と戦っている……?」
「四本……四本も?」
「しかも、殺さずに……?」
にわかに男たちにざわめきの波紋が広がる。
そこには訝しむ気配が多く込められており、頼りになるというよりは見知らぬ脅威への警戒心の方が先立った。
吐息を漏らして首を振る。そして、腰の剣を鞘ごと掲げた。
「その……一つ誤解が。俺も魔剣を持っています。〈金管の豪剣群〉――友から受け継いだ魔剣を」
「ああ、なんだ……貴公も魔剣使いだったのか。なるほど、それは実に結構!」
「……」
魔剣がある。男たちはそれで安心したらしかった。あまり親しくもなければ、こうもなるのか。
沈黙するシラノの前で、男たちがまた装備を整え出した。移動を始めるらしい。
「それではいざ! 敵の巣窟になっているかもしれぬが故、各々がたはお気を付けを!」
「お前が仕切るなよ、リュディガー? 隊長はおれだぞ?」
「ハッハッハ、これは失礼をば! 力が有り余っております故!」
それから、三度ほどの襲撃があった。
だが、出番はない。……むしろ無くてよかったと考えるべきだろうか。
シラノは気にしないが、やはり触手使いに向けられる目というのはある。自分一人ならいい。だが、フローのいるこの場でそれだけは避けたいところだった。
「うん? どうしたの、シラノくん?」
「……なんでもねえっス」
「んぅー? あ、シラノくんシラノくん! 不安なら手を繋いであげよっか? どうかなどうかな?」
「……いえ。両手を空けてないと戦えないんで」
「なんだよもー。キミ、最近お姉ちゃんに対して冷たくないかい? ボクは師匠なんだよ? 先輩なんだよ? お姉ちゃんなんだよ?」
「……そっスね」
肝心のフローがこの調子なので、ひょっとしたら無駄に警戒しているだけではとも思えてくる。
ともあれ、いざ起きてしまってからでは遅い。想定しておくというのは決して無意味ではないのだ。
「……む、アンセラ嬢? やはり敵が待ち構えていたので?」
「いや……誰も立ち入った感じがしないわ」
そんな中、前を行く二人が足を止めた。
「ならば何故?」
「あれだけ仕掛けて来てたのに……逆に変だと思って」
「ふぅむ……」
思案顔のアンセラと、槍を肩に担いだリュディガー。
フローへと注意を払いつつ、シラノも辺りを見回した。森の中、レンガ塀で囲われた建物と背の低い塔が一つ。近くには泉があり、その先には滝があるのか。水が降り注ぐ音が響いている。
ここが街の水源の一つだ。〈浄化の塔〉に仕込まれた宝石魔術で水を浄化し、そして刻印魔術の施された水道で城塞都市へと送り込む。謂わば街の生命線であった。
「水で匂いが散っているとは?」
「それは少しはあるけど……辺り一体に雨が降った訳でもないし、問題ないわ。本当に立ち入ってないのよ……そこらに待ち伏せしているって訳でもなさそうだし……」
「ふむ。単にこれから仕掛けるつもりだったのかもしれませんが……ううむ、私はその手のことに不得手であるが故……」
どうやら二人は、道中の襲撃の激しさに対して釣り合わない平穏さを警戒しているらしい。
確かにシラノとて不思議であった。邪教徒は素人集団同然であるが、仮にもここまで根絶やしにされることなく生き残っている。
いくら頭脳が腐っていると言っても、相応に最低限の戦闘のやり方を心得て居てもおかしくない筈であるが……。
「シラノくん、シラノくん」
「なんですか先輩? ああ、昼飯ならもう少しあとにでも――」
「キミはボクをなんだと思ってるのさ!? あれだよあれ! あれ! 煙! 煙が出てるんだよって!」
「煙?」
指差すその方向を見れば、木々の遥か向こう――確かに煙が広がっていた。
冬空に立ち昇る黄と緑。半ば混ざり合っているそれは鮮烈であり、酷く毒々しい。
毒ガスか。そうでなければ、狼煙か。少なくとも火災には見えぬが、それが心なしか街の方向からであるような気がすると思案したとき、
「な……!? そんなバカな……!」
「どうしたんスか?」
「あの色の狼煙は……『各自で戦力の統合を図りつつ』『救援の要請を行え』だ……」
「……ええと」
見回せば、衛士の男たちは誰もが酷く苦々しい顔付きであった。
信じられないと目を擦る者、今にも叫び出しそうなほど眉間に怒りを顕にする者、奥歯を噛み締めて渋く瞼を閉じたまま槍を握る者――。
事情の飲み込めないシラノとフローに、アンセラが一言呟く。
「……制圧されたってことよ、どっかの誰かに。あの街が」
それは実に――――都市の危機的な状況を、端的に表していた。
◇ ◆ ◇
「制圧……? 乗っ取られたってことか?」
襲撃でもなければ破壊でもない。よりにもよって制圧だと、アンセラたちは眉を顰めている。
誰が、と論ずる必要もないだろう。現状でそれを行うのは、もうただ一つ勢力しかあり得ないのだ。この街では。
ただ、考えるべきなのはそこではない。
「その、制圧って言っても……どの程度なんだ?」
「それは……」
既に街の重要施設の大半を手中に収めたのか。或いは、統治議会だけを武力占拠したのか。それとも民衆を人質に取ったのか。専有したのか。制圧と一口にそう言われても、あまりにも隔たりがあった。
まさか、冒険者たちや或いは衛士が居ながら都市一つをまるまる手中に収められるとは思えない。つまり、非常に局所的なものではないか――そう考えたところで、
「少なくとも城壁は相手の手の中にある……その他がどの程度かは、ここからじゃわからねえが……」
顎髭の隊長格の男が、苦虫を嚙み潰したようにそう言った。呟いた彼自身、未だに信じ切れていないような口ぶりであった。
城壁がすっかりと相手の手の内に落ちた。
街の直径を単純に一キロ強だと考えると、城壁の長さは五キロほど。そこにどの程度の人員が配置されているかは知らないが、軽く見積もっても千人は下らないだろう。
千人……その全員を打ち倒すのは驚異的だが、それだけの人数を用意できないとは言い切れない。いや、どこからか湧いてくる邪教徒どもだ。用意できても不思議はなかった。
「……そんなに不味いんスか?」
「城塞都市って言うぐらいだから、あの城壁は外からじゃ簡単には落とせないわ。……作られてから五百年以上経ってて、それでもまだ残ってるのよ?」
歪な五角形を描いた。右上の辺だけがやけに狭い。
そして、次々とアンセラが書き足していく。右上の辺以外の四本の辺の真ん中には扉を。そして扉の真横には円柱――塔を。また、五角形全ての頂点にも同じ円柱――物見の塔ができあがった。
合計四つの門と、十三の物見の塔。それが、城塞都市の城壁の全容であった。
「城壁そのものには刻印魔術が刻まれていて、簡単には壊れない程度の強度がある。それに、塔ごとに城壁の模型があって――傷を修復する魔術を使っているのが五つ。もっと固くするのが八つ……それぞれを相似魔術で繋げて、城壁と対応させてる。……前に、あの村の〈浄化の塔〉の説明はしたでしょ?」
「……ああ。セレーネの魔剣でも、壊せないって言った奴か」
あの時点では、と付くが。
邪教徒の戦いの際に見た、単身飛翔するセレーネ・シェフィールド。そして響いた轟音を思い返せば、彼女ならば容易く突き破れよう。
「単純に観てそれの五倍よ。よっぽどの火力で無理矢理抉じ開けるか、同時にいくつかの物見の塔を抑えないと何もできない……火竜の体当たりでもビクともしないわ」
「……」
「全てが同じ厚さの鉄と同じかそれ以上で……しかも傷の修復を行う。修復魔術の速度を超える破壊じゃないと突き破ることは絶対にできないし……五つの模型と共律させてるから、その間隔もすごく短い。おまけに、単純に考えて魔力の消費も五分割されてるようなものよ」
「……そうか」
流石に数百年と受け継がれてきただけはある、ということだ。
……だが、そうなると、
「前に……数年前に邪教徒が城塞都市を乗っ取ったって言ってたよな。その時はどうしたんだ?」
何かの対策として生かせないか。そんな気持ちの発言だったが、場の空気が変わった。
彼らは、城塞都市の城壁を恐れていたのではない。その難攻不落に恐怖していたのではない。それよりもむしろ、こちらこそが恐れの源なのだ――そう言わぬばかりに、全員が人を前にした野良猫のような何か言いたげな視線を向けてくる。
何とも言えぬ沈黙が満ちる。
それを割って、代表するようにアンセラが口を開いた。
「……王室の〈雷桜の輝剣〉が出てくるわ。しかもあの時みたいに余計な被害を出させない為に、即座に街一つを焼き払うかもしれない。あの魔剣なら、息を吸うよりも早く滅ぼせるからね」
「な……!? 街一つを……?」
「天地創世の魔剣よ? この世の頂点の七つよ? 至高の七振りなのよ? 本気になれば、一息で街どころか国――それどころか私たちの暮らす大地一つを貫き穿てるわ。比喩じゃなくて、この世を完全な焼け野原にもできる……それが本物の魔剣なのよ」
「……」
それは最早、剣士や剣豪という次元を超えている――。
シラノの絶句を前に誰一人として訂正しない。言いだしたアンセラはもちろん、リュディガーも、フローも……その場の全員が沈痛な面持ちでいるだけだ。
つまりは、事実。
これまでとはまさに次元が違う……戦略的な核兵器か、それにも勝るほどのあまりにも大きすぎる殺戮の力であった。
「……」
愕然とするような全員の気配をよそに、一人の男が手を叩く。
顎髭だけを蓄えた伊達男――レオディゲル。この衛士たちの、隊長格だった。
「ま、これで全員状況は判ったな? さて炎狼のお嬢ちゃん……あんたは焼き払われるまでに何日かかると思う?」
「王都からここまでは馬をどんなに急がせても十日以上はかかるわね。ただ、もし好きなだけ乗り捨てて……しかも王子が一人で来るなら……多分、三日でこの街は〈雷桜の輝剣〉の射程に入る」
「三日!? おいおい、炎狼のお嬢ちゃん……冗談だろう!? 早馬は一日に街を二十や三十個分は走るんだぜ!? どんな射程だよ!?」
「……前にそういう話を聞いたわ。あたしには、嘘とは思えない」
街という単位を――換算するならおよそ四キロとするなら。
つまりはその〈雷桜の輝剣〉の射程距離は、八百キロを超えるということになる。
あまりに剣という範疇を超える異常さにシラノがあっけにとられる中、目の前で話は火急に進んでいく。
「ってなると……いきなり攻撃してくるのはないにしても、情報集めを含めて何日だと思う?」
「分からないわ……それこそ短ければ一週間。長くても十日ちょっと……いえ。もし誰かがもう情報を回してたら、もっと早いかもしれない」
アンセラの言葉にレオディゲルが頷いた。そして、男たちに目配せをする。
衛士たちは、すぐに応じた。
「分かった。情報を集めたらさっさと行こう。……焼き払われるなんてたまったもんじゃない! そういうときに王子が足掛かりにしそうな場所は判るか!?」
「でも、どうするんだ? 邪教徒が相手だ……“焼かないでください”ったって聞いてくれねえぞ!?」
「おい、中の様子を探れ! 何とかまだ手遅れじゃないって証拠を集めるんだよ! あと……そうだ、ガリバルド! お前はもう行け! 寄りそうな街の交信屋に片っ端から情報を流すから、それ持って走れ! まずは近くの村で馬を借りろ!」
「了解! ……クソ、頼むから途中で魔物は出ないでくれよ! 誰かこの鎧を回収しといてくれ! 嫁が新しく誂えてくれたんだ!」
そして、すぐさまに鎧を捨てた男が走り出した。言葉を交わしながらも彼らは動く。何とか活路を見いだせないかと思案しながらも、男たちは行動を開始している。
彼らは慣れていた。その為に訓練している男たちであった。
「おい……どうだ? 相似魔術の〈遠見〉で見れないか?」
「……駄目だ。〈浄化の塔〉の方が支配力が強くて、水晶と街の中の空気とを同じにできねえ……これじゃ何も見えねえぞ」
「見えるギリギリの範囲からでいい! 上空からでいいだろう!? もう塔は壊されてるか!? 魔物は!? 街はどうなってる!?」
「静かにしてくれよ……今のところ多分無事だ。狼煙以外に他に煙はあがっちゃいねえ! ただ……これからどうなるか……」
「クソ……本当に城壁が丸々あいつらの手の内かよ……。どっからそんなに湧いたってんだ……」
口惜しそうに喧騒を上げる男たちとはまた別の一団が、槍の長さを調節しながら顔を見合わせていた。
「どうする?」
「どうするったって……上水道なら街に繋がってるだろ? ここから入るしかねえよ」
「……とは言っても、城壁を制圧するような数の相手だぞ? そこに飛び込むのか? この人数で?」
「でもよ……」
「それに……さっきまでのあいつら、何してたんだ? おれたちをこの場に釘付けにする為だったのか? それとも……わざと上水道から入るように仕向けてるつもりなのか?」
「それは……」
士気は決して低くない。だが、状況があまりにも不透明だ。それが、余計な絶望となって全員の内で静かなる諦観として根を張っている。
城塞都市の、まさにその要訣とも言える城壁を制圧された。
街の中の被害状況も判らぬ。敵の正確な数も判らぬ。そして、いずれ控えているのは圧倒的な天地創世の魔剣による粛清――。
いくら鍛えた彼らといっても、心に暗雲を齎すには十分すぎる状況と言えた。少なくともシラノにはそう見えた。
余計なことを……と弱音を吐いた団員を睨む男の目にも、やはりどこか諦めと恐れが覗いている。たった十数人で切り抜けるには、あまりにも脅威が勝った。
「……シラノくん?」
吐息を一つ。
一歩踏み出そうとした、そのときであった。
「各々がた! 我々は何も身一つで街を取り返すのではありません! 我々は、まだ戦っている者がいると知らせる為にいるのです! そして街の情報を集め、王宮に伝える……その為に行くのです!」
「リュディガー……」
「風の噂にも、王は慈悲深く聡明な方とお聞きしております! 前の邪教徒の騒動も、最後まで投降を呼びかけていたからとも聞きましたが故……つまり逆に、ここは我々が如何様に踏みとどまるのかがこの街を救う要とも言えるのではないのでしょうか!」
「……」
「そう、守るのですよ! 我らのこの二本の腕で! そして握る槍と盾で……自分たちの街を守るのです! それこそが衛士の本懐と言うべきが故に!」
グ、と力こぶを作ってリュディガーが意気溌溂とした拳を上げた。その精悍な笑みには、何の恐怖の影すらも含まれていない。
一瞬、場を爽やかな風が吹きつけた――そんな錯覚すら抱くほどに良く通るリュディガーの声。
そして顔を見合わせた男たちは力強く頷き合った。
「ったく、おいしいこと言ってくれるじゃねえか!」
「ああ、おれたちは別に国を救おうってわけじゃねえ! 自分たちの街を守るんだ!」
「大体なんでお前が仕切ってるんだよ! ま、いいけどよ!」
ワイワイと、その顔色に血色が戻る。冗談を飛ばし合う彼らには、もう困難に足を竦ませるような気配はない。
誰もが笑顔で困難を待ち望んでいた。その士気は低くないという次元ではない。明確に誰もが意気揚々と、己に課せられた使命を果たさんと笑みを浮かべている。
沸き立つ周囲の歓声の中、それでも笑わないのはアンセラとレオディゲルである。
「さて……現実問題どうするかっつーと……。なるたけ街が無事だってのを探れりゃ簡単には焼き払われねえだろうが……敵陣の真っただ中ってのはな……」
「まぁ、あたしもいるんで……。流石に中を待ち伏せされてるってのは避けられると思いますけど……」
「炎狼の嬢ちゃん……。ああ、でも……出口を完全に抑えられたら……そこを囲まれたらどうするか……」
クソ、とレオディゲルが髪を掻き毟る。アンセラもまた顔色が優れない。
兵ではなくそれを率いる者の苦悩。そして、兵団に入らぬが故に現実を見るアンセラの懸念。
そんな二人を前に、シラノは静かに口を開いた。
「……一つ、提案があるんスけど」
◇ ◆ ◇
飄と丘を風が駆け巡る。
己の耳元で鳴ったそれは寒々しく、これから起こる予兆というのを感じさせるように冷たい。
森を抜けた草原の向こう。単身立つシラノの視線の先には城壁――石と石が組み合わされて、年月と雨風にさらされながらも鎮座する街の守り。
その中からは何の声も聞こえてこない。……少なくとも今は。少なくともここには。
一見すると、石の甲羅を背負った亀竜めいていた。黄緑色の枯草の草原のその先。川めいて伝わった道の向こうに、その巨体を横たえる城塞都市。
普段意識したことはなかった。ただ暮らす場所でしかなかった。だが今は――その城塞すべてが一つの巨大な生き物の如く、不気味に伏臥している。
片手に野太刀を握った。大木すら両断する触手の妙の結晶が、それでもどこか頼りなく感じる。
「……」
吐息を一つ。
森の内からは、何かを期待する気配――そして同時に窺い、或いは疑うような息遣い。それが背中に刺さる。
(囮か……。言ったからには、やり遂げるしかねえよな)
一度瞳を閉じた。そして、開く。己の心に呼びかける。思考を切り替える。指先の一本まで神経を巡らせ、そして震えを殺していく。
殺すのは震えだけではない。己だ。死から目を背けようとする己を殺す。死を前に蹲ろうとする己を殺す。顔を覆って首を振ろうとする己を殺す。
死ね。死ぬのだ。
何を恐れる。何を怖がる。お前の生になど意味はない。お前は死人だ。元よりお前は死んでいるのだ。何故、ここで死を怖がる。
恐れてもいい。だが竦むな。死を見ろ。死から目を逸らすな。ここはお前の死地だ――死人は死ね。須らく死んでいけ。
「ふゥー……」
吐息を絞った。
死なぬ為に死ぬのだ。殺されぬ為に死ぬのだ。元々、死んだこの身だ。死んで生まれ直したこの身だ。
お前に価値はない。お前の生に価値はない。お前は元より死人である。今は生きているのではない。ただ動いているだけだ。
今更死地の一つや二つ、何を恐れるというのだ。死ね。もう一度死ぬだけだ。いくらでも死ぬだけだ。殺されぬ為に、死なぬ為にここで死ぬのだ。――此処こそが死地だ。
奥歯を噛み締めた。
覚悟は決まった。いつだってそうだ。そうするしかないと、己の足に力を籠め、
「シーラーノくーん」
「……」
「シラノくん?」
「……」
「シラノくん? どうしたの? お姉ちゃんだよ?」
「……先輩。なんでついてきてるんスか?」
盛大に溜め息を吐いた。
背後には、フローがいた。
「なんでって……だってほら、危ないじゃないか」
「だから、危ないのになんでこっちに来てるんスかね……」
願わくば彼女だけでもかつての我が家に帰らせたいところであったが――生憎とそんな余裕はない。そして無論、アンセラたちの方に組み込むわけにもいかない。危険が過ぎる。
苦渋の想いで、森に潜んでいろと言い付けた筈であった。
「だって……相手は剣士や魔物じゃないんだよ? 街一つなんだよ? そんなのを相手に囮をするなんて……斬り伏せるなんて、いくらなんでも無茶だよ?」
「……誰かがやらなきゃいけないことです。それが“誰か”でいいなら……誰でもいいって言うなら、俺でもいい」
「うー……でもさぁ……」
全員が無事に突入する為にも、別動隊として邪教徒の注意を引き付ける。シラノがした提案は実に単純なものであった。
触手の全ての権能を用いての、単身による城壁への攻撃――――敵がどの程度街を手中に収めているか分からないが、既に因縁のある身だ。いずれ街にいないことが気付かれるなら、あえてその身を晒して敵に安心を与える。
シラノの所在を敢えて教えることで、“シラノが街に潜みながら邪教徒への急襲を行うのではないか”……そんな懸念を消させるという意味もあった。
その意図は話した。衛士たちには半信半疑ながらも受け入れられた。
だが、それでもフローはまだ納得していないようであった。
「……先輩。あの人たち、見ましたか? 別に魔剣を持ってもいない。魔剣と戦ったらきっと危ない……でも皆、街の人たちを助ける気なんです。中で怯えている人たちを守ろうとしている……自分たちの街を守ろうとしてるんです」
言い聞かせるように――或いは自分自身に向けて噛み締めるように呟く。
これまで縁も所縁もなかった相手だ。彼らへの恩や友誼もないし、彼らに対する思い入れもない。こんな状況でなければ、おそらく碌に言葉も交わさなかっただろう。
だが、出会ったのだ。
出会って、そして知ったのだ。彼らの想いを。その胸中を。恐れを……そして何よりも、その勇気を。
もしまた魔剣が現れるなら――それがセレーネやセレーネと戦ったあの魔剣、或いは〈風鬼の猟剣〉や〈金管の豪剣群〉相手でも彼らには荷が重いだろう。
だが、そうだとしても彼らはきっと街を守ろうとすることをやめない。戦うことをやめはしない。
ならば、
「だったら……俺は、少しでもその助けになりたい」
この身に、魔剣を断つだけの力があるならば。
シラノ・ア・ローは彼らの代わりに彼らの想いを背負って戦うだけだ。その勇敢なる道を阻むものを、代わりに拾って取り除くだけだ。
それだけの力がある。
ならばここで、使うしかない――――単純にして明快な理由であった。
「うぅぅぅぅー……うぅぅぅぅー……」
「……」
どう足掻いてもやはり恐れはあるが、それでも目の前で取り乱すフローを見ると逆に落ち着いてくる気がする。
彼女の触手寄生による治療を当てにしている訳ではない。元よりそんな気持ちで戦ったことはない。腕の一本、足の一本――どうせ元通りになるから捨てていいと思ったことなどない。彼女にそんな傷を見せて、治せとせがむ気持ちで戦ったことはない。
できるなら今この場で、即座に彼女を抱えて戦闘の喧騒が寄らぬ場所に届けたかった。危険なのだ。近付けたくないと、切に願う。
「先輩……ほら、どこかに隠れていてください。ここはこれから……危なくなりますから……」
「……」
「俺だって本当にやり切れる自信はないんスよ。……ただ、だからって逃げ出していい理由にはならない。見捨てていい理由にだってならない。……今は、戦うしかないんです」
「うぅぅぅぅぅう……」
「……ほら。危ないから行ってください。先輩にだけは、怪我とかされたくないんスよ」
促すように背中を押そうとすると、フローは俯いたまま言った。
「シラノくんの頑固」
「うす」
「シラノくんの石頭」
「うす」
「シラノくんのばか」
「……うす」
言われてしまうと立つ瀬がない。頭を掻いていると、更に続けられた。
「ばかばか。シラノくんのばか。ばか。ばかシラノくん。ばか」
「……」
「ばかばか。ばか。ばーか。ばかシラノくん。ばか。ばかシラノくん。ばか。ばか」
「……」
「ばか。ばかばかばか。ばか。……ばかシラノくん。ばか」
「……そんなにバカバカ言わないでください」
困惑を眉に乗せて呟けば、彼女は顔を跳ね上げながら叫んだ。黒い三つ編みが揺れる。今にも胸倉につかみかかってきそうなほどの勢いであった。
「だって……一人で陽動をするっていうのを、馬鹿じゃないならなんて言えばいいのさ!? 一人だよ!? たった一人で……たった一人で、城塞都市に攻め入ろうとしてるのと同じなんだよ!?」
「……」
「あれを見なよ! お城なんだよ!? 街そのものがお城なんだよ!? それと、キミはたった一人で戦うって言ってるんだよ!? それも陽動になるぐらいに……皆が街の中に入るまで、一人で引きつけるって言ってるんだよ!?」
「……」
「誰もシラノくんのことを助けてくれないんだよ!? たった一人なんだよ!? シラノくんは……シラノくん以外、誰も一緒に戦ってくれないところに行くんだよ!? 人間相手じゃなくて、お城相手なんだよ!?」
「……」
「馬鹿じゃないならどういえばいいのさぁ……怖いなら逃げればいいじゃないのさぁ……ばかぁ……」
その声には涙が混じっていた。いや、彼女は既に泣き出していた。
大粒の涙を拭われながら言われれば、流石に胸に堪えるものがあるが――歯を食い縛り、首を振って努めて心を落ち着ける。
落ち着いていない人間の言葉など、誰の耳にも届かない。深呼吸で己を取り戻し、できるかぎり穏やかに口を開く。
「……中にはセレーネもいます。他にも腕利きがいます。今この街が危ないって言ったら、本当に危ない状況なんだって知ったらきっと動ける人間が大勢います。……街だって取り返せる筈だ」
「それでキミが死んじゃってどうするのさぁ……」
「……死にませんよ。白神一刀流に――敗北の二字はない」
ここは死地だ――己に言い聞かせる。
だが、死地であることと死ぬことは違う。死ぬために進むのではない。勝つために、負けぬ為に進むのだ。
「うぅぅぅぅー……! うぅぅぅぅー……!」
「先輩。……そろそろ危ないんで、離れててください。あまり街にだって時間はないスから」
そうとも、と拳を握る。拳を握り、城壁を睨んだ。
アンセラたちはシラノが動き出してから動く手はずになっている。シラノが与えた攻撃を以って、街を抑えた邪教徒たちの戦力を見るのだ。その出方を伺うのだ。
威力偵察――それがシラノに与えられた役目であった。この奪還作戦の為の、一番槍である。
いい加減に、刺すような気配が強くなってきた。ここが潮時か。名残惜しいが、これ以上フローと言葉を交わす暇はないのだ――
「……先輩?」
そう思い、僅かに振り向いた時だった。
爪先立ちになりながら、抱き着くようにフローが手を伸ばしてきていた。思わず仰け反りそうになったその首に、何かがかけられる。
「冥府の女神さま……〈戦と死と門の女神〉はお供の烏を遣わせて、気に入った男の人を攫っちゃうって話があるんだ」
「……それが?」
「だから……男の人だって分からないように。喉を隠すようにって言い伝えがあって……」
口づけするほどの近くから、フローが潤んだ紫色の瞳で見上げてくる。
己の首に巻かれたのは風避け布であった。赤い、赤い風避け布であった。
「これは――」
「触手の糸で編んだんだ……でも、まだ作りかけだから……必ず返しにくるんだよ、シラノくん」
「……うす」
「絶対だよ? ぜったいぜったい、絶対ボクのところに戻ってくるんだよ!? いい!? ぜったいぜったい、冥府の女神さまについてっちゃ駄目だからね!? 絶対だよ!? ボクを置いてったら許さないからね!?」
「うす。約束します……二言はないです」
「絶対だからね。……絶対に、絶対に約束を破ったら許さないから」
手を外したフローが、こらえきれないと目を擦る。
彼女は頬に大粒の涙を伝えながら、背中を丸めてしゃくりあげていた。
その肩を支えようにもなんと言っていいのか思い浮かばず――一度天を仰いでから、言い聞かせるように言った。
「……先輩。俺は先輩を一人にさせません。触手使いが一人ぼっちにされる……そんな世の中のままにはさせません」
「……」
「その時まで……俺は戦います。ここは死地だ――だけど、ここで終わる気はないです」
「……」
「……行ってきます」
返事はかからなかった。また、彼女は俯いてしまったのか。
だが――それでいいと思った。彼女にだけは、戦いを見せたくない。これから為される邪教徒との、醜悪な邪教徒との、ともすれば殺し合いになるだろう戦いは見せたくない。
「……」
いや……見られたくないのかもしれない。自分が人を殺すことになる瞬間を。やむを得ず、誰かを殺めてしまうその瞬間を。
奥歯を噛み締め、歩き出す。
ここが死地だ――己に言い聞かせる。冥府で振り返るものはいない。それだけはしてはならない。故に、死地にあるものはただ前を向くしかない。前に目掛けて、一心に己を斬り込ませるしかない。
「……ああ」
対するは城塞都市。
堅牢な装甲に身を包んだ、邪竜めいた巨大な構造物。
相手立つは己ただ一人。握るは極紫色の触手野太刀と、そして身に帯びるは触手の技。
こここそが死地だ――そう頷き、決断的に言い放った。
「白神一刀流に……敗北の二字はねえ……!」
いざやこの死合――始めるべし。
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第一幕◆
◆「ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ」その二へ続く◆




