第三十九話 ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ その一
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第一幕◆
◆「ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ」その一◆
城塞都市というのは、その大元は砦である。
かつてこの地で覇を握った帝国が、その時の異民族と戦うための最前線の城塞。今は鬼人族や窟人族と呼ばれる荒くれ者の彼らは、当時は異物であり明確なる夷敵であった。
そしてその帝国が最も先進的であった所以は、戦争に魔剣を用いなかったことにある。
厳密に言うならば“錆びにくい”や“血脂の離れが良い”、“折れにくい”という魔剣を用いはしたものの、力ある魔剣を使ってはいない。
魔剣を解析して作り上げた四つの魔術方式と四つの魔術効果。
それを利用した工兵や均一化された集団による戦闘こそが、帝国の覇権の礎を担ったと言って過言ではない。
あらゆる魔剣の台頭を許さず、ただ神殿に奉じ祭るのみ。それが、逆に戦に魔剣を用いる周辺の豪族たちを平定し、この竜の大地に巨大な統一帝国を作り上げたというのはまさに歴史の妙と呼ぶしかないだろう。
帝国が何故力ある魔剣を使わなかったか。それは先史研究者の中でもいくつかの論がある。
一つは魔剣というのは神の権能の一旦であり、人の身にてそれに触れるということは何かの災いを呼ぶ――という説。
これは、神殿に伝えられる帝国でかつて演じられたとされる文学を証拠としている。文学史に明るい諸兄であれば、かのマルケルス・ウァラリウスの悲劇やクレオンの逃避行と聞けばお分かりだろう。
別の一つは、そもそも使う必要がなかったという説。
迂闊に魔剣使いを戦場に出して討ち取られてしまえば、そのまま敵方に魔剣を奪われ戦力が逆転する。そうされぬ為にまずは修練と熟達を必要とする(つまり敵に奪われない)魔術により露払いし、然る後に魔剣使いが戦うという形式をとった。
しかし実際のところ、魔術という強力な叡智で大方の敵を倒しきれてしまった為に魔剣に出番はなく、そのままいつしか魔剣が出ることのないまま帝国の戦術が確立した――とする説だ。
これは碑文などから帝国の戦術――特に魔術を用いた戦術――を研究する王宮付きの魔術研究院で好まれているものであるとは、酒場に通わない諸君でもご存じだろう。
三大説の最後の一つは、その帝国の形式故に魔剣は疎まれたというものだ。
帝国は研究や協調、個の力ではなく群の力で以って大陸に覇を握った国家だ。そんな中で、魔剣使いという突出した個は和を乱す存在にしかならない。
群に勝る個としての破壊力。その果てに作り上げられるのは、帝国という巨大かつ強固な共同体ではなく――力さえあれば簡単に基盤を崩せてしまうという不安定な集団だ。
丁度、今の王国が作られる前の群雄割拠の時代を考えて貰えばよいだろうか。
見識ある帝国の知識人たちはそれを嫌った。故に魔剣を権力や武力そのものではなく、神の形代として神殿に祭り上げることとしたのである……という説である。
とはいえ、実際のところ個人的に魔剣を持ち歩く者もいたという観点からこの説は否定されがちである。
確かに帝国由来の闘技場の剣闘士の中に魔剣使いが居たという言い伝えもあり、そこまで大仰に禁止はされていなかったのではないかと言われている。
しかし無論、魔剣の位階によっては厳密に禁制とされていたという可能性もあるし、また平常なる身分のものが(つまり国家の法に従うものが)平和であった帝国で常日頃から剣を帯びて生活していたとも考えにくい。
そう、魔剣を持ち歩くものもいたからというのはこの説を取り消すに足る理由ではないである。
ともあれ、既に滅んだ国家である以上はその真相は分からない。
確実なのは神殿に伝わるように、帝国は決して帝国として行う戦争では魔剣を用いなかった――という事実だけだ。
そこには何か別の理由があったのか。これ以外に何か、憚られる原因があったのだろうか。
だが――いずれにせよ、今を生きる我々には知りえぬ世界である。
「……」
ぱたん、と椅子に腰かけた黒衣の青年は魔導本を閉じた。
魔導本は木と革で表紙が作られたその中が砂で満たされ、そして頁がない。表紙のその裏と裏表紙のその裏の表面に白砂が魔術で貼り付いていて、本の目盛りを切り替えることで砂を動かして文字を浮かび上がらせるのだ。
予め術者の魔力を籠めてある刻印魔術が利用されている以上は魔術士でもなく手ごろに扱え、今や帝国で本と言ったらこれを指す。弱点はせいぜいが湿気だろう。
便利なものだな、と黒衣の青年はその表面を撫でた。赤い拵え。廉価なものはただ木の表面に防湿用の塗料が塗ってあるだけなので、これを仕込んだ本屋の客層は高かったのだろう。
そんなことを考えていれば、同じく黒衣に身を包んだ同胞が声を上げる。
「次」
促されるように、子を連れた中年の女が来る。皺が多く、手にも染みが多い。普段しているのは外での仕事か。少なくとも働かなければ暮らすこともままならない身分――そんなわけだ。
隣に立つ男は砂板を眺め、首を振る。
何らかの密告があったのか――“点数”が多かったのだ。これでは、女は配給を受けられない。
「お願いします……お願いします……! 私にも、私たちにもお恵みを……」
「とはいえ、この点数ではやる訳にはいかんな」
「そんな……!? お願いします、お願いします……! 私たちはまじめにやってきたんです……! そんなのきっと、妬んだ誰かの根拠のない物言いですよ……!」
必死であった。
夫でも亡くしているのか、それとも働けないのか――。確かに今のこの街では、女一人で子を育てるのは難しいだろう。
何せ、日々生きていくだけでかかる食費が上がっているのだ。それは貧しい者にほど、締め付けるように現れる。
「ほう? お前は我らが節穴だと……そんな根も葉もない言葉に耳を貸すような莫迦者だと、そう言っているのか? 〈永劫に真に尊きもの〉に仕える我々を?」
「ひっ……め、滅相もありません! で、ですがどうか慈悲を……慈悲を……!」
「……ふん。まぁいい。我らは慈悲深い――今の言葉には目を瞑り、そしてお前にも配給を与えよう。感謝するがいい……!」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「ん? 感謝にしては図が高いのではないか?」
「は、はい! あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
それは、あまりにも茶番めいていた。
男は組織内の順列が低い。だからこうして配給側に回されている。その憂さを、こうして晴らしているのだ。しばしば恩着せがましく住民にこんなやり取りをする。
指示に逸脱している――と思ったが青年は何も言わなかった。上も織り込み済みだろうし、それでいて何も言ってこないのだ。ならば青年が騒ぎ立てたところで意味はない。ただ、和を乱す者と看做されるだけだ。
男は熱心に住民に〈永劫に真に尊きもの〉の威光を説き、聞いているのかいないのか、住民は首を大袈裟に縦に振っている。本当に茶番めいている。
「……おい、聞いたか? 〈気高き炎の戦士団〉の〈大地の砦〉がいくつか壊されたらしいぞ?」
「執行騎士か? ……不届きものめ。我らと戦う意気地がない癖に、影に潜んでこざかしい真似を……!」
「やはり、これは我らが一丸となって奴らを誅するべきでは? それか、住民の見せしめか……上は何をしているんだ……!」
他の教団員は小声だが気を遣う様子もなく、不満を漏らしている。あれは姿勢半分、本気半分か。それとも頭の芯からそう思い込んでいるのかもしれない。少なくとも口ぶりだけは勇敢だ。
そう、口だけだ。
何せ彼らには冒険者をやる勇気もなく、或いは野盗になる度胸もない。そして青年と違って、魔術の一つも使えない。だからこそ、口だけは威勢よくいるのだろう。
「……なあ、これ、何の肉なんだ? どこから集めてんだ?」
「さあな。食うんじゃねえぞ。勝手に食ったなんて言われたら、点数が下がっちまう」
「食わねえよ。こんなん好き好んで食うのはこいつらぐらいだろ。……にしても数が減ってねえか? 死んだのか?」
「ばーか。商人が戻ってきてるんだよ。冒険者どもが必死こいて魔物倒してるからな。すげえ必死にやってるぜ? 笑えるぐらいにな!」
そして配給食を包んだ木箱の前では、緊張感なくそんな言葉を漏らす連中もいる。
本当にくだらない連中であった。誰も何も判っていない。これでは、羊と同じだ。己が狼だと思い込んだ羊なのだ。
この場所に泊まった魔剣使いの男が、以前ふとそんなことを言っていた。そのときは意味が分からなかったが――今なら分かる。こいつらは羊だ。狼だと思い込んだ羊だ。
なんとくだらない奴らなのだろう。羊として群れに従うこともできなければ、本物の狼にも及ばない。その癖、態度だけは狼のように振舞う。実力も伴わないというのに……くだらない奴らだ。
青年は狼ではない。羊だ。
だが、羊であることを理解した羊だ。羊たらんとしている羊だ。気高い羊だ。
(どいつもこいつも……ここには、判ってない奴が多すぎる……。こいつらは、本当の意味で〈永劫に真に尊きもの〉を掲げる教義を理解しちゃいない……)
そんな奴らと同じ場所に放り込まれるのは業腹であったが、青年は粛々と従った。羊たらんとしているのだ。ならば、上からの指示には心を殺して従うべきである。
きっといずれ、誰が本当の意味で教義を理解しているか。そんな選別が起こる。誰かが見ている筈だ。
そのとき選ばれるのは青年だろう。間違いはなかった。
「次。……見ない顔だな」
隣に立つ男が促した。現れたのは橙色の髪の色の、背の低い女性だった。
「ええ、それはもう。どこにでもいる顔でごぜーますんで? 早々覚えられないってもんでやがりますからねえ」
無表情に近い半眼のまま、変わらない声の調子で言い放つ。それなのに口調は荒い。奇妙な喋り方だ。
そんな彼女の近くには、彼女よりも僅かに背の高い少女がいた。
高貴な生まれ――ひと目でそうと判りそうなほどの、金髪碧眼。白い肌。長い睫毛と整った目鼻立ち。幼少の頃に祭りで一度だけ見た砂糖細工のような、儚げに見目麗しい少女であった。
姉妹だろうか。不思議な組み合わせだ。
「それで……配給が欲しいのか?」
「ええ……そーですねー。まーほら、是非いただきたくて」
「ふん」
男が木箱から革袋を取り出し、少女に手渡そうとし――そしてその手前で止めた。
傲慢な笑みが浮かんでいる。いつものものだ。
「新入りには渡す訳にはいかんな。お前はこの場所の為に、我らの教義の為にどんな働きをした?」
「働き……でやがりますか。ふぅむ」
「どうせ……ただ、ここに来れば恵んで貰えるとそう聞いたのであろう。だが生憎だったな……そのような不信心者には渡せない。配給だって限りがあるのだからな」
断りながらも、何かを期待した目線だった。反吐が出る。
そうして教義を歪めながら自尊心を満たす男は醜い。そしてそれにやすやすと従う愚民もまた、やはり弱くて醜い。
そう思った青年に――予想外の言葉が飛び込んできた。
「あ、いらねーですよ。モノホンがそこにあると分かれば良かったんで――ええ、そうですとも。こんなところにありやがりましたか」
「何を……」
「ああいえ、働きでしたっけ? あーほら、うちらは牧羊犬でやがりましてね。かわいいかわいい国家の羊たちを愛でる牧羊犬ってもんで」
「お前――」
次の句は紡げなかった。禍々しい曲刃の短刀が、袋を差し出そうとして空いた脇の下に目掛けて繰り出されていたのだから。
毒か、麻痺薬か。男が瞬く間に崩れ落ちる。刃物を突き刺したまま手放した女性は、両手の人差し指で頬に歪な笑みを作った。
「こんにちは、薄汚ねえ羊泥棒さんたち? ――さぁて、狩られる準備は万全でやがりますかねぇ? 人間狩りの時間でごぜーます」
怒声が上がる。武器を持った男たちが立ち上がり、配給に押し寄せてた住民が悲鳴を上げた。
青年も刻印が刻まれた杖を掴む中、それは既に放たれていた。
純白のエプロンドレスから溢れ落ちた絵札――形意魔術の触媒たち。そこに描かれていたのは、今にも孵化しようとする虫の卵であった。
「〈肉喰い百足〉」
そして――それが、青年が己の両目によってこの世で見た最後の光景となった。
上がる絶叫。配給場は、断末魔の一色に塗り潰された。
「……あたしほどの腕になりゃあ、鏡に写った像にも力を使えるってもんでございましてね。絵札を見た時点でご破産なんですよ、あんたらは」
戦闘らしい戦闘にもならず――いや、蹂躙と呼ぶべきだろう。倒れて呻く邪教徒の中を、半端な尖り耳――橙髪のメアリが歩く。
気怠げな響きながらも、その中には鋼めいた殺意が込められていた。
そして、一人の男の前で止まる。運良く初撃を免れ、そしてその後の攻撃でもまだ口が聞ける程度の傷しか負っていない者。片腕を押さえて壁の前で首を振る男の前で、メアリが止まる。
繰り出された足が、男の顔の真横で音を立てた。
「さぁ……何がいいです? 腕を腐らせて食わせますか? それとも爪先から寸刻みもいいし、腹の中からゆっくり溶かすってのもあるし……ああ、あとそーいや男には……なんか股の間にブラ下がってるもんありましたよねぇ……」
「やめ……や、やめ……やめてくれっ……やめ、やめてっ……」
「……ハッ。なーにが信仰心でやがりますか。殉教者気取るなら生きたまま虫に食われながらでも祈ってみせろってんですよ、このマヌケ」
ゆっくりと足を外し、メアリはへたり込む男の胸倉を掴み上げた。
彼女の目は理性的で冷静だ。気怠げな半眼だ。だが、その裏には――燃える氷のような絶対零度にして灼熱の侮蔑が含まれていた。黒く燃える、粘りつく虚無の炎だった。
「てめーらがやったのは……その程度のくだらねー覚悟で天下の治を乱し、万民の安全を脅かしたって愚行です。どうせ悪事やるならその内臓を虫に食われてでも胸張ってみやがれってんですよ。じゃなきゃ間違ってもやるんじゃねえ……国家ナメんなよ、ド三流未満が」
「ひっ」
「手間ァかけさせんじゃねーですよ、このド素人が」
失禁する男を放り出し、メアリは踵を返す。
使い物になるのが何体残っているか。拷問は再犯を防ぐ為には非常に効果的であるが、情報源としては実は期待できない。痛みから逃れる為になんでも吐くのだ。あることないこと全て。
また情報の選別をさせられると思うと憂鬱だが――幸いにして今回は物的証拠も手に入った。今までよりは、捜査も進む筈だった。
正直いつだって気乗りはしないが、これでも国家に仕える身だ。まだ完全に訣別とまでは至らない。なら、飯と住処の分の仕事は果たすべきである。
「……メアリさん」
「おや、お姫ぃ様。怪我は――……あんたに限ってそれはありませんでしょーがね。……さっき掴まれたとき、なんで吹き飛ばさなかったんですか?」
「え……ええ、と……」
躊躇いがちに目を伏せたエルマリカを前に、メアリは吐息を漏らした。
ああ、またか――というより、まだなのか。
「……人が人を殺したくないのは、ま、ある意味とーぜんですとも。ヤるとどいつもこいつも苦しむんですよ。というか、それを苦しめるヤツがいる血しか長続きしてこなかったんでやがりますからね。仕方ねーんです」
「……」
「ただ……執行騎士がそれじゃあ美味くないってもんで?」
やれやれと吐息を漏らしつつ、頬を人差し指で押し上げた。
「悪いこたぁ言わないから、さっさと捨てた方がいいですよ。……ま、女なんてのは大体最初は痛くて慣れませんがね。続けてる内に具合が良くなってくるってモンです……ああ、それでも最初の一人ってのはわりと忘れらんないことになりますけどね」
「……」
「ま、お姫ぃ様も既に随分と人間とも立ち会ってる。……斬り合いなんてとても呼べねえモンですがね。戦っちゃあいるんだ。ついこないだまではほら――邪竜剣士だなんだって名乗って、果し合いしたり目隠しでやりあったりと随分と遊んでいたでしょう?」
言うと、エルマリカは後ろめたそうに目を伏せる。
良くない兆候だ。以前の無茶に付き合わされていたときも堪ったものではなかったが、敵を倒すのに躊躇を見せていない分は少なくともマシであった。
内心で眉間を寄せてメアリは続けた。表情筋は固く、揺るがない。
「それに魔物吹っ飛ばしてる時点で同じですよ。人型のモンをやってんです……そりゃあ、人相手の練習にもじゅーぶんなってやがるってもんで――――あんたさんはもう、素質的には立派な殺人者だ」
「ぁ……わ、わたし……」
「ええ、もうそりゃあ立派ですとも。立派に国家の刃の執行騎士だ。脳みそから骨の髄までただの人間なんかでやがりませんよ……お姫ぃ様は、もう、既に」
「ちが……違う、わたし……」
「違いませんよ。お姫ぃ様は、もう人間を壊すことに躊躇いもない。……そういうのはね、人でなしって言うんですよ。羊じゃねえんです」
手首をその指ごと逆向きに曲げられて床を転がる男を一瞥しそう告げると、エルマリカは目に涙を滲ませながら首を振った。
胸が痛むが――これは必要な通過儀礼だ。
牧羊犬が戦いを恐れてはならない。牙を剥くことを躊躇ってはならない。敵の骨を噛み締める感触を飲み下せなければ、いずれ飲み込まれるのは己の方だ。
「公の奉仕者……ええ、そりゃあ結構なことです。“人より優れて生まれたものは、その分を背負う義務がある”――富めるもの、貴いものの義務です。当然の天命です」
「……」
「ただ、お姫ぃ様は何も頭から足の先までそう生まれた訳ではありませんからね。全身でその恩恵に預かってる訳じゃない。恩恵もないのに義務を払う必要はない……なので本来なら、無理はするなと言うべきなんでしょーが……」
やれやれ、と息を漏らす。
生憎と世間は、世界はそうは優しくできていないのだ。
「お姫ぃ様の中の魔剣がそれを許しちゃあくれない。その魔剣は、この世で最も優れたものの証です。天地の礎になった剣です。それに選ばれちまったんです」
「……」
「辛いのも判りますとも。苦しいのも判りますとも。ええ、恩恵を受けてる訳じゃないのに支払うのは不公平ってモンです――――でも、選ばれちまいやがった。そればっかりはもうどうにもならない」
「……」
「世の中はそーゆーもんです。不運は人の手にはどうにもならねーもんです。神様にだって覆せない」
「神様なんて……そんなの……」
エルマリカが何か言いたげに手を握り締めて呟いたが、そんな響きも消えていく。
そんな様子を眺めながら、メアリは忸怩たる気持ちで続けた。
「……ま、そーゆーことなんで……なるべくなら早いとこ慣れてください。自分は人でなしなんだって……そうじゃねーと、苦しいのはお姫ぃ様の方ですからね」
「ええ……わかってる。わかってるわ……。大丈夫……大丈夫、だから……」
「……ふむ、いい心がけでごぜーますね。その言葉を信じましょうとも。ええ、慣れないと仕事にならない」
無駄に圧力をかけたくはないところだが、本当にエルマリカの境遇だけは如何ともしがたい。例え仮にメアリが申し出たところで、一笑に付されるのが精々だ。
となれば、もう慣れるしかない。適応して生きていくしかない。
それほどまでに彼女の血筋と〈竜魔の邪剣〉というものは重すぎた。神ですら覆せない万理の法なのだ。
何の影響か、近頃は妙に娑婆っ気を取り戻してきているのは望ましいことではなかった。執行騎士のメアリとして、国家と王家に仕えるメアリとしては今すぐに取り除きたい。
まぁ、それはともかく……
「さて、もーちっとやったらご褒美に息抜きとかどうです? 歌劇の演者はもう行っちまいましたが……あと半月もすりゃあ早春の豊穣祈願祭ですよ。ほら、男女が仲良く連れ立って歩けるっていう」
「ええ……そうね」
「ええ。せっかくの息抜きというワケで――ほら、例の剣士サマを誘ってみては?」
「ふぇ!?」
個人としてはまた別の話だ。
半眼を不気味に歪めながら、メアリは詰め寄った。
「いやほら、祭りのノリってのもありますし……歳のわりには出るとこ出てるんだから、さっさとヤることヤりゃーいいわけですよ。意外にそうなると今の悩みも解決したりするかも」
「ちゃ、茶化さないでくださる!?」
「茶化してねーです。マジマジ。大マジです」
もしもエルマリカのその境遇を嫌わずに付き合ってくれる者がいるとするなら、深入りをせずとも愛してくれる者がいるとするなら、それは非常に望ましいことであった。
ましてその者をエルマリカからも好いているというなら、それに越したことはない。
執行騎士が幸せを求めてはならぬとは、どんな法にも書いていないのだ。適応することとは別の次元の話で、そのような方面を突き詰めていい。真っ当な恋路として。
「ほら、いっそのこと次に会ったときにでも婚約とかしてしまえばいーんですよ。お姫ぃ様ぐらいの美貌なら、大抵の男はすぐですって。歳は……まぁ、将来性があるとも言えますし? ほら、ねえ……」
「……」
「これは先輩としての純粋な助言ですよ。見たところ意気地があって優しさもある……きっとお姫ぃ様の境遇にも逃げませんとも。そういう意味だとほら、優良物件と言えなくもなくもない」
精一杯に顔面表情筋を動かして、努めて笑顔を作って見せた。小指の先一本分は頬が上がったとは思う。
だが――目線の先のエルマリカは消え入りそうな儚い表情で、
「……駄目よ。駄目なの。決めてるの。シラノさんには、助けても貰うって……そうして、シラノさんを斬るって……」
「……」
「そうじゃないと、わたしは幽霊のままだから……斬らないと……。大丈夫……そうしたら、わたしは立派な執行騎士になるから……」
「……ええ。ま、そりゃあ結構なことで」
そう呟き、小さく首を振る。
メアリは内心で乾いた笑みを零した。それぞれの感情の線が真逆に食い違って拗れたまま、既に解けそうになかった。
ともあれ――まぁ、今はすべきことがある。
男たちが取り扱っていたものを、持ち上げてみる。やはりだと――人より魔力量に優れる半森人族だからこそ、肌感覚で分かるものがある。
改めて吐き気を催してくる。よくぞまあ、こんなものを肉として出回らせたものだ。そしてよくぞまあ、こんなものを食べたものだ。
(これ、魔物の肉じゃねーですか。そりゃあいくらでも持ってこられるし、商人の流通ルートを漁っても意味なんてねーですね。にしても……こんなもん他人に食わすなんざ、いよいよ以って執行騎士に喧嘩売ってやがりますねぇ……)
倒せば消滅してしまう魔物の肉を如何にして流通させたのか。
すぐには答えは出そうにないが、特に考えなくてもいい。邪術使いがその手の内にいるとしたら、論理的な思考というのは無意味なのだから。
できることはただ一つだ。いつだって一つしかない。
無辜の民という安寧を貪る羊を狙う羊泥棒どもには――制裁を与えるのだ。死の制裁を。
◇ ◆ ◇
森深き、というところではないが僅かに斜面になっているところである。
そんな場所まで鎧という重装備で来るのは、確かに重しであっただろう。男たちは冬だと言うのに額に汗を滲ませ、頬を赤くしながら吐息を吐いていた。
「いいや、暑いのなんのと! 本当にこれには困りものですなあ! いやあ、これだから鎧は困る! 魔剣は防げぬのに魔術には頼りになるのだからこれまた困る!」
「……うす」
「ハッハッハ、それなのにアンセラ嬢はまったく早い! いやあ、流石はかの“炎狼”のアンセラ嬢でしょうな! いや、困るんだが!」
リュディガーと名乗ったその短髪を逆立てた快活な男が、人懐っこい笑みで笑い飛ばした。他の団員の意見を代弁しているのか、残る戦士たちも全く同意だと顔に表している。
そこに居るだけで気温が数度上がりそうな男であった。前世を含めての印象で言うなら、豪放磊落なアメフトマン――それも大層な男前と来ている。
フローは苦手なのかシラノの影から出てこようとはしないが、少なくとも邪気があるタイプには見えない。
「その、皆さんは……?」
「うん? ああ、貴公は見ぬ顔だが――あれか、冒険者とやらか! それもこの街にきて日も浅いと見えるんだが! どうかな?」
「え、ええ……まぁ……」
「ハッハッハ! 私の勘も捨てたものではないようで、実にまっこと悦ばしいとも! いやあ、これならば魔剣とも死合えるというもの! 腕が高鳴りますな……腕というか、二頭筋が! 主に! ばっちりと!」
高鳴るのは胸では。
だが、バチンッと男が力こぶを叩いた。凄い音がした。……というか手甲を付けているので痛そうだが、鍛えているのだろう。まるで動じた様子がない。
見れば、他の男たちもまた頑健な体躯をしていた。そして一様に手練れである。
僅かに疲れた顔のアンセラを眺め、問いかける。
「……衛士か?」
「なんでわかんのよ、あんた……脳筋同士惹かれ合うものでもあったの……?」
すごい失礼だった。
シラノも脳筋でなければ、これだけ研鑽をしている彼らも脳筋ではあるまい。表情を崩しているが周囲への警戒を怠っていないのだ。判断力を持っている戦士の証拠だ。
「ハッハッハ、なあに脳筋……というとこう、話が違うんだが! 少し……いやかなり違うんだが!」
「ハイ?」
「というと……?」
「筋肉とは鎧であり、駆動器であり、感覚器であり、速度と判断力の大元であるが故にな! つまりは脳と骨と神経と言えるわけであって……脳だけが筋肉ではないのですとも! こう言おう……全身が筋肉であり、脳と骨と神経を兼ね備えると!」
「なるほど……!」
「いやなるほどじゃないでしょ」
「……そうか。なるほど」
「なるほどじゃないわよ」
いや、確かな理屈だった。
鍛え上げた頑健な体躯は致命打の威力を殺し、そして言うまでもなく短距離走の選手のように速度というのは頑健な肉体が握っている。そして新体操の選手の如く精密な動きや淀みのない動きには筋肉は欠かせず、また頭で考えて剣を放つよりも鍛えた筋肉に任せた方がいい。
つまり――男の理論には何も間違いがない。
「なんて冷静で的確な判断力なんだ……」
「……もう勝手にしなさいよ」
「うぅぅぅー……!」
後ろでフローが唸った。震える筋肉=脳であり神経であり骨である万能器官に怯えているようであった。
……という話はともあれ、男たちは街の衛士であった。
歪な五角形の形をした城塞都市。その城壁と城壁を結んだ頂点の物見の塔に詰め、或いは市内を巡回する武装した夜警たち。
そんな彼らはアンセラの先導を受け、急所を隠した鎧姿で森へと突入してきてた。
理由までは、読めぬ。だが、「あとは任された!」と颯爽と森の中に進んでいく彼らには――少なくとも何某かの確信と信念が覗いているとも言えた。
「……いいのか?」
「これ以上付き合ってらんないわよ……暑苦しくて……本当、こう、暑苦しくて……」
「……」
「いや、それは冗談だとしても……あたしは道中の索敵役。本命と戦う前に魔物がいないか――ってね?」
「本命?」
問いかければ、アンセラはやれやれと頷いた。
街の統治議会によって出動の要請をされる衛士は、基本的には都市の防衛の為にいる。たとえ周囲で魔物が暴れまわろうともその被害が都市に及ぶほどのものでない限りは動かされることもなく、彼らはただひたすらに街の警護だけを行う。
言わば、警察であり軍隊――というよりは概ね警備兵や州兵と言ってよかった。捜査権が与えられている州兵と言い換えていい。
そんな彼らが動くとすれば、理由は限られている。
「……街に何かあったんスか?」
「んー……まぁ、ようやく統治議会も重い腰を上げてね。“増えている無法者は邪教徒の尖兵”“この都市を宗教的な拠点施設にするんじゃないか”……って。今更よね。まぁ、大事にして王宮に睨まれたくなかったんでしょうけど」
「……」
シラノはあまり詳しくないが、基本的にこの王国の統治構造は、王宮――王と近侍――に対して各地方の領主――とその騎士団――が忠誠を誓う形で成り立っている。
議会制の自治領というのは稀であり、大方が領主とその一門が行政を担うという形式であった。ちなみに主に司法を請け負うのは、神殿(それも特定の神に仕える者)らしい。
そんな中での、議会による統治構造。それが王国の中にどれだけあるか分からぬにせよ、何らかの軋轢というものがあるようであった。
或いは『農地を広げることに伴う外敵や怪物から領民を守る』という形式から成り立った領主と、そもそもが領土が『以前の文明の砦として既に構築されていた城塞都市』ではその辺りの構造が異なるのかもしれない。細かくは不明だ。
「……で、ようやくこの間の劇団への襲撃で態度を改めたのよ。王国に名前が広がってる一座をみすみす襲われたなんて……ほら、最悪でしょ? 下手したら十分な統治能力ナシ――って砦そのものを取り上げられかねないし」
「……」
「そんで、ようやく重い腰を上げて――そこにあんたがとっちめた邪教徒からの情報が入った」
「情報?」
問い返した先のアンセラは酷く疲れた顔で溜息を吐いて、それから言った。
「あいつらの崇める〈永劫に真に尊きもの〉とやらの兵隊として、この街の人間を使う……それも魔物って形でね。邪術使いも身内にいるらしいから……そりゃ、街を完全汚染したら住民丸ごと兵隊にできるわよね」
「……」
「街の中心の“浄化の塔”にも衛士が詰めてる。あとあり得るとしたら……水源への汚染ってとこで」
「なるほど」
先ほどの一団はその水源の警備とやらに回された衛士か。そう頷いた。
「……どうしようもねえ奴らだな」
「ほんっと……てゆーかあたしなんて一介の冒険者よ!? ねえ、なんであたしがいつの間にか事件の中心みたいになってるワケ!? あたしがしたいのは探検や冒険であって政治とか陰謀とか防衛じゃないのよ!?」
「うす。……その、お疲れ」
「うぁぁぁぁん、つかれたぁぁぁぁ……もぉぉぉぉぉやだぁぁぁぁ……お肉たべたいぃ……肉ぅ……」
「……」
「肉ぅ……」
力になれそうになかった。悲しいけど人間には限界があるのだ。いくら剣豪でも無理だった。
しかし――さて、と僅かに顎を傾ける。
この間の様子では、邪教徒は都市にかなり根深く食い込んでいる。それを相手に今更防衛戦を仕掛けたところで、目があるというのか。
生憎と軍略や統治に関しては不作法者であるが、その内に危険な勢力に入り込まれた集団がどうなるかについては知っている。たとえ武力を用いて排除を試みようとも難しいのだ。
特に利と恐怖を併せ持った――何らかの権力を握られてしまったら、完全な根絶も不可能に近い。
食料という相手の権力基盤を奪うという発想はきっと間違ってはいなかったのだが、可能ならば合わせて武力による摘発も行っておくべきだったのだろう。
「まぁ、その……多分、大丈夫っスよ」
「何が? どうやって?」
「最悪、区画まとめて焼き討ちにして……遅れて逃げてきた奴らを片っ端からしょっ引けば……」
「あんた本当発想が物騒じゃない!? そんなに戦いたいの!?」
「いや……あくまでも最悪の話として……」
一例だ。
「最悪、相手の活動拠点と地盤を粉砕して物理的に何もできなくさせてから、虱潰しに叩いていけば……いや住んでる人を敵に回したら意味ねぇスけど」
「いや住む場所を更地にされたら敵に回るわよ」
「……回らねえように、こう、先に相手への敵意を高めといて。邪教徒装って街に火をつけるとか、荒らすとか……」
「うわぁ……あんたからそんな邪悪な発想が出てくるとか思いたくなかった……」
「相手がやるかもしれないんで、まぁ……考えるだけなら……」
それは冗談として――事実だが前世においてもいくら空爆しても根絶できてないし効果もあまりなかったそうだ――大切なのは、如何に市民との間で情報を共有できるかだ。
つまり統治者の持つ武力が十分であり、無法者を恐れる必要がないという“暴”の権力の引き剥がし。そして無法者に与したところで何の得もないという“利”の権力の引き剥がし。この二本だ。
少なくとも侵攻して焼け野原にした異民族が相手の国家を統治しようという訳ではないので、そう難しいものではないと思いたいが……。
「シーラーノーくーん」
「なんスか、先輩」
「シラノくんは難しい話もできてすごいねー。お姉ちゃん嬉しいなぁー。えへへ、ボクも鼻が高いなー」
「……うす」
「シラノくんはできる子だねー。えへへ、お姉ちゃんシラノくんが頑張ってて嬉しいなぁー。嬉しいよねぇー。えへへへへ」
「……ども」
ボリボリと頭を掻く。
あくまでも素人の生兵法で、絵に描いた餅だ。
「でも、そろそろお姉ちゃんの意見も聞いてもいいんじゃないかなーって」
「……」
「そろそろ頼りになるお姉ちゃんに甘えてもいいんじゃないかなーって」
「……」
「お姉ちゃんに頼ってもいいんだよ?」
「……そっスね」
「うわぁぁぁぁぁぁあ――――ん!? なんだよぉぉぉぉぉぉ――――っ!? なんでそんな憐れみと生暖かさと無表情の混じった目を向けるんだよぉぉぉぉぉぉぉ――――っ!?」
「……悪いなアンセラ」
「ボクに謝れよぉぉぉぉぉ――――っ!? さっきから話に入れなくて悲しかったんだぞ!? お姉ちゃんなのにだぞ!? 先輩なんだぞ!? 師匠なんだぞ!? 寂しいとお姉ちゃん死んじゃうんだぞ!?」
珍妙な鳴き声を上げるフローを前に吐息を漏らす。
まぁ、なんにしてもシラノには不得手な分野だ。ない頭を巡らせるのもいいが、実際手を貸せるとしても邪教徒への討ち入りぐらいだろう。迂闊な提案が被害を生み出しても責任をとれない。
……と、
「アンセラ……!」
「ええ。……さっそくあっちで、何か起きるなんてね!」
顔を見合わせて武器を抜き払い、腰を鎮めた。アンセラは狼の毛皮を被り、燃える毛皮を持つ獣人へと変貌する。
ここまで喧騒の音が聞こえていた。即ちは――戦闘の合図であった。
◆「フォーティファイド・シティ・イン・フレイム」 第一幕◆
◆「ガーディアンズ・オブ・フォーティファイド・シティ」その二へ続く◆




