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第三十六話 アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その五


「イアーッ!」


 発声(シャウト)に合わせて、極紫色の槍が迸る。

 周囲めがけて放たれた都合八つの触手槍――身じろぎを許さず男たちの膝を穿ち貫き、その戦闘力を奪った。

 形状変化。それぞれを根本から切り離す。矢は、そのしなる矢柄が獲物から体力を奪う。それを長大にしただけだ。痛みと消耗で再起不能に追い込む。

 そして、これは真髄に非ず。本意義に非ず。本命に非ず。


「イィィィィアァァ――――――――ッ!」


 一歩。

 打ち出すは己。飛び来るは己。叩き付けるは刃なり。叩き付けねばならない。叩き伏せねばなるまい――吠えろ。虎のように、吠えろ。吠えるのだ。

 上段からの打ち下ろし。咄嗟に受けた敵の、その鍔を額にめり込ませて地を蹴った。目指すは二体目。

 槍を構える男が見える。遠いか。目が合った。――吼えた。


「イアーッ!」


 呑まれた男の穂先を下へと叩き払い、押し迫った。一撃離脱。右の肩口へと切り込み、直後に切り離した刀身。三人目へと駆け飛んだ。

 構えられた盾。構うものか。握るは柄。放つは一撃。


「イアーッ!」


 超音速の触手平突き――盾を撃ち抜き、肩を貫く。そのまま民家の壁に打ち止めた。血振りの如く刃を離す。

 怯んだ背後の敵。

 叫んだ。飛びかかる。両肩を押し倒した。後頭部を打ち付けた男の肩へと、逆手に握る柄から刺突を射出。石畳に縫い止める。

 そして、咄嗟であった。首を粟立たせる気配に横へ転がった。直後、射ち込まれた豪速の矢に路面が砕け飛ぶ。

 よほどの強弓か――呼吸を行い、鍔だけ残った柄を構え直す。


「ただじゃ済まさねえぞ、触手使いが……!」

「俺は……! 俺は――――触手剣豪だッ!」

「黙れ! 〈我は狩人、我は天弓――――翔けろ銀狼の矢(サギッテルム)〉」

「イアーッ!」


 構えた絵札から射出された魔術の強弓を、六ノ太刀“甲王(コウオウ)(ツルギ)”で受け逸らす。

 生ずるは新たな刃。次弾は撃たせぬ。詠ずるより早く駆け迫り、返した刃で男の腕を叩き折った。

 更に一撃。袈裟がけに肩を打ち叩き、鎖骨を折り飛ばす。崩れる男の身体へ飛び寄り、前蹴りで押し飛ばした。

 肩息をつく。残る数は十四――――一息に斬れるとは過信せぬが、問題はない。男たちは浮足立っていた。そして、かつて百体に比べればものの数ではない。

 ……そうだ。

 ()()()()()()()()()()。これは恐ろしくもないのだ。()()()()()()()()()()()()()()――そう言い聞かせる。

 振り向くな。死地に浸れ。余念は捨てろ。死力を尽くせ――ここが死地だ。こここそ死地だ。

 腹から吐息を絞り出し、食い縛るように言った。


「これが最後だ。……武器を捨てろ。彼女たちに、謝れ」

「偉そうなことを言ってるんじゃねえぞ、触手使いが! 穢れた血が!」

「俺は、触手剣豪だ。……するつもりはねえんだな」

「誰がてめえの言葉なんざ聞くか、クソ触手が!」


 歯を食い縛り、目を細めた。気勢があるのは数名。

 残る手勢は既に及び腰になっていた。死なせはしていないが、標本めいて無力化された仲間たちの有り様に怯えているのか。

 いずれにせよ構わぬ。

 ここは死地だ。ここが死地だ。こここそ死地だ。

 何もかも死ね。ここで死んでいけ。どんな痛みも、ただの死人となり死んでいけ――。

 己以外の動くものを全て斬り倒すか、己が斬り倒されるかの二つに一つ。それまで剣を放ち続けるのみ。それだけが唯一無二の法理である。

 逃げるなら構わぬ。そうだ、やることは変わらない――それしかない。それだけしかできないのだ。否、それに成れ。ただそれだけに成れ。


「イアーッ!」


 地を蹴った。投げつけられた木筒を叩き割る。空間が紫色に染まったとすら思えるほど甘ったるい匂いが鼻腔を満たした。いや、実際に赤紫色だ――だが構わぬ。構わぬのだ。

 投じた男を庇うように長槍の男が刺突を繰り出した。打ち下ろす。だが、別の男が次いだ。迫るもう一本の刺突――舌打ちと共に打ち払った。しかし、先ほどの一本が構え直されるのが見える。不味い。

 円を描くようにその射線を外して、足を運びながら息を漏らす。

 連携だ。手慣れている。これで、足を止められた。勢いの死んだ一撃では、切り抜けることも適わない。


「……」


 放つか。三段突きを。魔剣使いでもない――その法理に耐えられるほどの強度を持たぬ敵へと、放つか。放って良いのか。

 それとも、通常の触手の技か。それで、無力化できるのか。

 呼吸のまま、男たちと互いに間合いを図る。

 睨み合いというのは厄介であった。攻撃に移るというその兆候を互いに研ぎ澄まして見詰める。迂闊な行動では、まさに打ちかかる隙を突かれる。

 シラノ自身の動作を伴わぬ触手の技では、己の肉体を用いるが故に思考が反射の域まで達する技でなくては、逆に貫かれる危険すらある。遅いのだ。

 無駄な思索を必要とする攻撃では、及ばぬ。剣として使う技でなければ、近接戦には耐えられぬ。

 そして膠着するということは――逆に、そんな攻撃を放つための絶好の機会を与えるものであった。


「〈我は毒、我は災い、我は黒手――我が悪しき手を見よ(ナーゲルマヌス)〉!」


 左手に置いた木筒。色濃い紫の霧を広げた男が右手をその中に入れた――瞬間だった。

 剣を握る右腕が、止められた。否だ。掴まれているのだ。紫色の霧の中に手が形作られ、そしてシラノの右手を抑えている。

 感応魔術と相似魔術の複合であった。

 同一のものから派生した二つを同一と看做す――感応魔術の応用により紫の霧を同じとし縁をつなげ、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と看做す相似魔術。

 それが、手という形の力場として現れた。片方の空間に挿入した手を、魔力によって別の一方にも“生成”したのだ。それも、その大きさすら相似比的に倍加させて。

 ニヤリと笑う男。“生成”により再現された腕への攻撃は行ったところで無意味なのか――つまりこれは、必殺であり絶対の拘束である。

 残る二人が動く。槍の穂先がシラノの胴を照準する。これが致命か。これが詰めか。


(――――)


 いいや。

 いいや、覚えがある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()――――。


「――――」


 瞬間、冷えた。違う。凍らせたのだ。怒りが思考を凍らせた。

 血管が凍り付くほどの怒気は、槍の穂先よりも先に行動を開始させた。


「イアーッ!」


 右腕の形状変化。変則――“(マガツ)”。変則・“(オロシ)

 右腕から生じた無数の棘が、腕の甲から巻き起こる触刃と爆風が――“生成”された不定形の腕を貫き、その紫色の霧をズタズタに蹴散らした。粉々に消し飛ばした。

 能力の必然が故に魔力によって霧が一定の形状を保つという特性も、まるで無意味である。段違いの初速と運動量で、空気ごと吹き飛ばした。

 然る後に()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()へと還される。消し飛んだものという事実が転写される。


「あ、あぁ――――!?」


 隣で上がった腕を抑える仲間の叫びに身を凍らせた男たちへと――遮二無二に吶喊。


「イアーッ!」


 叩きつける触手刀の峰が男の額を割り、そして詰めるはもう一人へ。

 柄を返して刃を向け、蜻蛉をとったまま最後の一人を見竦めた。

 距離が、近い。男の穂先はシラノの胴を外れている。薙ぎ懸かろうが、振り下ろす刃の方が近い。


「……謝れ」

「ひ、あぁぁ……」

「……謝れよ。ジゼルさんたちに。あの人たちに……あの人たちの思いに、謝れ」


 苛立ちを籠めるように言えば、男は槍を取り落とした。そして涙を流しながら首を振る。すっかりと、その心は折れていた。


「…………」

「ひ、ひぃ……」

「……クソ。もういい」


 刀を下ろして首を振る。無抵抗の相手へ追撃はできない。男は魔術士でもない。何かを隠し持った危険すらないのだ。

 もう一度、睨んだ。槍を手放した男が転がるように逃げ出していく。見れば、他の襲撃者たちも姿がなかった。

 残るは、再起不能でその場に置いて行かれた男たち。貫いた触手で傷をそのまま埋めているため、出血多量で致命傷にはならないであろう。

 無力化はできた。こちらに手傷はない。そこで――……だが、安堵の息は漏れなかった。


「……」


 右の袖元まで吹き飛ばしてしまった右腕を眺め、形を戻す。

 そのまま、目指すのは鉄壁の防壁を為す“甲王(コウオウ)(ツルギ)”。紫色の、触手壁の小型城塞。

 歩きながら、考えた。

 看板の落下……あの事故を仕込んだのも今の一団の魔術士か。或いは同様の術使いか。あの匂いには覚えがあった。

 これが、呪い騒動の真相か。

 だがその謎が突き止められたというのに、心を覆う霧が晴れた気はしなかった。


「……うす。その……お待たせしました」


 触手を解除して、剣を光に還す。

 目を逸らして俯こうとしたとき――視界に飛び込んできたのは、脂汗を流して倒れたジゼルであった。


「ジゼル……! ジゼルぅ……!」


 シグネが彼女にしがみつく。その度に、頼りなく桃紫色の髪が揺れた。

 イングリッドは青ざめ、リアーネはジゼルの頭を持ち上げている。

 他の皆は無事で――ただ、ジゼルだけが熱病に侵されたように意識を失っていた。




 ◇ ◆ ◇




 曇りガラスめいた水晶窓の向こう側は、重い雲が伸し掛かっている。遠くで光が見えた。雷雲……天候はほどなく崩れるだろう。

 すぐ横手にある神殿の、その前に開けている広場には翌日の段取りを進める団員たちがいる。そんな彼らもしきりに上を見上げては、一人また一人と歩き去っていく。

 広場にいるのはまばらな人影であった。

 階段と座席を兼ねた広場の斜面を降りたその先には、円柱に囲まれた円形の石舞台がある。本来であれば既に展開されている筈の舞台天幕(テント)もなく、また、その壇上から事前に客席を見渡す筈の女優もただの一人さえいない。

 ジゼルを運んで、公民館へと戻った。それから、どれほどの時間が経っただろう。

 呼吸を鎮めながら、廊下の壁に寄り掛かる。扉が重く開かれた。出てきたのは、リアーネだった。


「……ジゼルさんは?」

「きっと……一時的なものだと思います……。しばらく安静にしていれば、大丈夫なはずです」

「……そうスか」

「ジゼルさんは頑張り癖があるから……そうやって疲労がたまっていたところで、その……」


 視線を合わせようとしないリアーネが、何度か躊躇いながら口を開いた。


「ジゼルさんは感受性が強いから、触手が呼ばれるときに近くに居たせいで……きっと、その影響を……」

「……そんなことが、あるのか?」


 片眉を上げて呟けば、小さくリアーネが首肯する。

 鞘を抑えていた左手を下した。我ながら、どれほどこうしていたのか。握っていた指先はいつの間にか白くなっていて――だが今は、そんなことすら煩わしい。

 聞いてはいない特性であったが、己の身に降り懸かる頭痛を思えば違うとも言い切れない。それに、触手の形は精神の発現であるとも聞いた。確かに理はある。或いはともすると、シラノの頭痛が伝播したのかもしれない。

 知らぬこととはいえ――こうなっては最早何も言えなかった。

 首を振って、唸るように漏らした。


「……俺の身体には、触手が埋め込まれてます」

「え?」

「ここに居たらジゼルさんに悪い影響が出るかもしれない……護衛は、別の人を手配してください」

「あ……」


 引き留めようとしたのか手が伸ばされたが、僅かに見やれば怯えるように下ろされた。或いはそこには、隠し切れない警戒と恐怖の色が覗いている。

 無理もない話であった。

 触手使いの男が、その身分を隠して女優の傍にいたのだ。寝るときはその部屋の扉のすぐそばに立ち、日が昇る間は誰よりも近くにいた。シラノは――そんな身であることを偽っていた。

 無論、嘘はなかった。だが、結果的に危険に追いやったのは……紛れもなくシラノであった。


「……騙して、すみません」

「……」

「代わりを酒場から呼ぶように、誰かに頼んで貰えますか。シラノ・ア・ローがそう言っていた、と……。来るまでは、俺も最後まで仕事はします」


 言い切って、外へ出る。

 まだ仕事が終わってはいない。……そのことが、支えであった。

 僅かに開いたドアから、残る二人のすすり泣く声が聞こえた。奥歯を噛み締め、振り切るように首を振った。



「……」


 公民館の外には、いつもほどの喧騒もない。大道具は全て、建物の中に運ばれている。

 荒天の影響か。それとも、実際に起きた襲撃を気にしているのか。あれほど高まっていた祭りの気配というのも薄まり、顰めがちな囁きや小さな言い合いなどが音にならない気配となって室内から漂ってくる。

 このままならば、どうなるか。……少なくとも一座の安全は確保されるだろう。往来で起きたあれほどの大事であり、そして襲撃者が証拠として残っているのだ。

 及び腰であった衛士や城塞都市の運営議会も動くかもしれない。少なくともこの場所への夜襲というのの警戒は必要がなくなるだろう。

 同時にそれは、シラノが護衛を務めるという理由がなくなることを――


(……いいや、まだだ。まだ仕事は終わってねえ。気を抜くな)


 そうだ。そんな感傷など、全てが終わった後ですればいいだけだ。

 努めて己に言い聞かせる。そんな場合ではないのだ。シラノ自身のことなど、二の次でいい。今、最も気を払うべきはジゼルたちの安全だ。彼女たちが一番の優先順位だ。

 見失うなと――拳を握って息を吐いた。

 やるしかないなら、退くべきではないのだ。それしかない。それしか、なかった。

 ふと天を仰ごうとした、その瞬間であった。


「……ッ、誰だ!」


 瞬時に血が凍り、そして全身の毛穴が逆立つ。何もかもが塗り潰され、強制的に肉体が死地を想起する。

 腰を落とし、〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉を構えた。心がどうあれ身体は動く――少なくともここ暫くの死線は己を鍛え上げるに足るものであったらしい。

 僅かによぎったそんな余念を頭から追い出し、眼では現実を見据える。

 居る。

 居るというよりは、在るのだ。そこに死が。そこに破壊が。そこに死線が。

 詰まりそうになった呼吸をいっそ殺した。死ねばいい。こここそ死地だ。これから先には、一歩も通さない――ここで死ね。死人はここで死んでいけ。

 そうして、どれほど虚空を睨んでいただろうか。やがて、神殿に続く曲がり角から影が姿を現した。

 曇天よりも、なお暗い死神。

 そんな錯覚が頭を巡った最中――その人影は首を振った。黒に交じった金糸の髪が揺れる。


「私だ。アレクサンドだ。……剣を納めて貰えるか」

「アレクサンドさん? どうしてここに――」


 一瞬気を抜きそうになったところを、歯と共に食い縛った。

 あれほどの研鑽を感じる男。町人どころか、劇団の団員――それどころか冒険者としてもあまりにも異質な男。確実に、魔剣や他に準ずるほどの実力者。

 邪気は感じぬが、見過ごしていいとも思えぬ相手である。特に今は、なんびとたりともこの建物に近付けたくはない。


「まさか、やり合う気か。私と……ここで」

「あなたの出方次第だ。……ジゼルさんたちが襲われた。俺は、これ以上あの人たちを……危険な目に遭わせたくない」

「ふむ。なら、丁度良いと言おうか。……いや、今のは失言だ。許せ。だが、機会はここしかない。互いにとってもな」

「……どういうことスか?」

「私は、元は執行騎士だ。そして昔の仲間に当たる者に会いに来た――君が護衛していた中には、情報網の一人がいる。そう言えば、伝わるか?」


 俄かに目を見開いてアレクサンドを見た。

 鋼鉄のようなその男は、彫刻めいて立ち尽くしている。構えには見えない。だが、戦いとなったなら即座に応じられるだけの錬磨は感じられる。

 僅かに悩み、鞘から手を離した。彼が敵と言うなら、襲撃にはもっとより良い機会はあった。ここで単身赴く――そんな理はないのだから。


 そしてアレクサンドの右後方に並ぶ形で、シラノは廊下を歩く。この位置なら万が一アレクサンドが狂気にまみれたとしてもすぐさまに討ち取れる。そんな位置取りである。

 とはいえ、その背負った荷物が壁になる。狙うとしたら真横からであろうかと、頭の片隅で考える。

 ごつごつと重い足音が響く。確たる足取りで進む彼というのは、だというのに現実離れしており……さながら黒衣の死神めいた男であった。


「君とは、思ったよりも早い再会になったな」

「……そう、スね」

「ふむ。襲撃にはどれほどの数が?」

「二十そこらで……魔術士は二人ほど。魔剣使いはいませんでした」

「そうか。奴らの内にその駒があるのか、ないのか……ただ行動自体は本命だろう。周囲で魔物の動きが活発化している。赤髪の女冒険者からそう聞いた」

「アンセラが?」

「彼女は怒っていたが……そちらは陽動だろう。他の援軍を呼ばせない為のな。衛士も冒険者も、手いっぱいだ。これ以上の増員は不可能だろう」

「援軍が……来ない……」


 そうして二三言交わしていれば、ジゼルが運ばれた部屋が近付いてくる。

 不用心と言おうか。その新緑の髪が目元にかかるような俯きがちのまま、リアーネはたった一人で廊下にいた。


「ぁ……シラノさん」


 顔を上げたリアーネが凍る。

 彼女の視界に映り込んだ死神めいた重い黒色の男。だが構わず、目線の先のアレクサンドは頭を下げた。


「……お初にお目にかかる。リアーネ殿――いや、〈古きから流離うもの〉〈時に潜むもの〉〈隠れ森の賢女〉……ハーフエルフのリアネシア・アエリア・メルセディア殿よ」


 そして彼の発した言葉により、いよいよリアーネの目には驚愕が溢れ出した。



 ◇ ◆ ◇



 ジゼルが眠る一室を離れ、息を潜めて三人は言葉を交わしていた。水晶窓を塞ぐように黒箱を置いて、辺りに警戒を払いながら小声で続ける。


「……密偵だった?」

「はい。……旅の一座は王国中を巡る。執行騎士の身としては都合がよかったんです。人間だなんて言って偽って……私は、そうしていました」

「……」


 人化の法――変容の一種。単に物理的に体組織を操作し耳の形状を変えるだけの魔術だが、それでも痛みに釣り合うだけの偽装効果はあるらしい。

 密偵――それも表立った位置に立ちながら諜報活動を行う者。所謂、陽忍であった。


「これは……俺が聞いてもいい話なんですか?」

「良くはない。だが、君も関係者だ。……護衛を務める以上は、知る権利と義務がある」

「……俺は」


 シラノの言葉を待たず、続きを求めるようにアレクサンドは一歩を踏み出した。

 その威圧感に目を見開いたリアーネが、やがて途切れがちに口を開いた。


「……ある巡回公演中に、ジゼルさんが呪いをかけられました。異常な様子の男だったのと……それと、本当に呪術師なら呪いを解かなければいけないと思って……正体を探ろうと調査にかかりました」

「そこから、逆に露見したのか」

「……何故かは、分からないんです。皆、腕利きの方ばかりだったのに……探るはずのこちらが逆に突き止められて、そして、仲間が次々と狙われ始めた……」

「……」


 隠密が逆に突き止められるばかりか、その正体や仲間までが調べられる――。

 あの邪教徒共がそんな優秀さを持つようには、お世辞にも見えなかった。程度としては酔っ払いと同じ――酒場でくだを巻くか、それとも群れて狂った宗教で傷を慰め合うかの違いしか見られない。

 よほどその裏や上には優秀な者が控えているのか――俄に考え込む前で、リアーネが続けた。


「分かったのは〈永劫に真に尊きもの〉を崇めるという――男女の交合を通して永遠と不老に至ろうという彼らの教義と、ここ数ヶ月ほどで勢力を広げているというぐらいで……それ以上は……」

「……魔物については? 何か、意図的に増やしているという情報は?」

「それは……分からないです。少なくともここまでの旅では、聞いたことはありません……」

「なるほど。となるとやはり、この街が奴らの本拠地か。本格的に襲い来たのもそういうことだろうな。……当たりか」


 それだけ聞けば十分であるとアレクサンドが踵を返した。

 棺桶めいたその装備を背負い始める。どうやら本当に、今の情報だけで構わぬらしかった。


「……シラノ殿。ここは、貴殿に任せてもいいか」

「いえ、アレクサンドさんは……?」

「私にはすべきことがある。他は私の手の及ぶことではない。神や伝説の魔剣使いとは違い、人間には限界があるのだ」

「……」

「またこちらに襲撃も来るだろう。……根は私が潰す。残るは貴殿の仕事だ。武運を祈る」


 聞くべきことを聞き、言うべきことを言った――そうとでも言いたげに彼は歩き出した。嵐のように訪れ、瞬く間に消えていく。雷轟の如き訪問であった。

 リアーネと二人残されて――気まずい沈黙が満たす中、ややあって口を開いた。


「……一つ、聞かせてください」

「その、なんですか……?」

「練習は……本気、でしたか。あの笑顔は……本当のものでしたか?」

「それは……」


 覗き込んだリアーネの瞳は揺れて、そして逸れた。シラノの目線に耐えかねて逸らしたのだ。

 それからも彼女は答えなかった。何も答えず、何も言えず、ただ伏し目がちに佇んでいる。


「本当だと……言い切ってはくれないんスね。本心だとは、言ってくれないんですね」

「それは……」

「いえ……十分です。分かりました。あなたはきっと……ジゼルさんたちのことに、嘘はつきたくないんだ」

「え……?」


 スゥと息を吸い、吐いた。そして瞼を上げる。

 彼女が真に密偵であり、諜報をその本分としているなら――――ここで揺らぐ筈がない。目を揺らがせる筈がない。シラノの言葉に答えぬ筈がない。

 いくらでも誤魔化しなどできるだろう。何もかもが嘘の関係で――価値のないものだというなら。そんな価値のないことの為に、シラノの心証を損なう必要はない。立場を悪くする必要はない。

 だが、取り繕おうとはしなかった。ただ答えにくそうにしているだけだ。


「密偵が本当にその本心から女優をするわけがない……あの時の笑顔にも、公演の中にも当然嘘はあるんスよね」

「……」

「でもあなたは……その嘘を取り繕おうとはしなかった。本心だとは言い張らなかった……()()()()()()を隠そうとはしなかった」


 彼女は嘘をついていた。だからこそ、逆説的にリアーネの思いは真実なのだ。

 ()()()()()()()()()を、そんな不義理を、不都合を――彼女が隠さないというのであるなら。

 ジゼルを騙していたということに弁明をしないというのなら。

 それはつまり、何よりの証拠である。己の職務も、ジゼルやシグネやイングリッドたちとの日々も大切に思っているから――だから彼女は何も言えない。

 ならば、シラノ・ア・ローにできることは一つだ。

 

「……すみません。失礼なことを聞きました。ただ、あなたの胸にある思いは嘘じゃない……俺が、絶対に嘘にはさせない。嘘をついていたあなたがそれ以上の嘘をつけなかった理由を、俺が嘘なんかにさせない」

「え……」

「大丈夫です。……俺は、俺にできることをします。最期までやります」


 首を振るように頷いて、背を向けた。

 悩むべきではない。悔やむべきではない。ただ、目の前にはやらねばならないことがあるだけだ――。

 それだけでいい。それだけがよかった。それ以上は荷が重すぎる。

 奥歯を噛み、前を見た。死力を尽くすというのはそういうことだ。死地に赴くとはそういうことだ。死以外に目を向けようとしたなら、ただ生きることもできなくなる。

 ……そう思って返した筈の踵が、外へと踏み出そうとした足が止まる。


 ――〈言葉にはきっと、神様以上の力を籠められるわ〉〈また世界に恋をしてみたい――そう思わせたいの〉〈恋する私が全力じゃなきゃ、誰もその恋を応援してくれないでしょう?〉。


 爪先に力が籠りながらも、それでも何とか踏みとどまった。拳を握って、祈るように絞り出す。

 もしも彼女が。あのジゼルが。それでもだ、と――。

 それでも世界に恋をさせてみせると、そう言ってくれるのならば――。


「騙して、本当にすみませんでした。だけど……もし、もしもです。もしも一つだけ叶うなら――」


 まずは言葉にしろと、ジゼルはそう言っていた。



 ◇ ◆ ◇



 明けた翌日は、生憎の曇天である。

 だがそれでも、神殿の前に開けた広場の近くには既に住民が大勢詰め寄せている。街の中に潜む不穏な雰囲気を嫌ったのだろうか。彼らは、娯楽を求めていた。

 街に来た、巡遊一座の公演――。

 久方ぶりの娯楽らしい娯楽に、観衆の期待と熱気は高まりを見せる。


「うぅ……やだぁ……こわいこわいこわい……こわいぃ……」


 そんな客席までを覆った天幕の中。円柱の裏手に控える彼女たちは、本番の空気を前に顔に緊張を滲ませていた。


「ううぅ……ぼく……本当に、できるかなぁ……」

「大丈夫よ。いつも通りやれば――いや、いつも以上にやればいいのよ。アンタならできる! この私が保証してあげるんだから気張りなさいな! ずっと隣で見てたんだからね!」

「う、うん……ぼく、がんばる……!」

「ふふーん、そうね! その調子よ!」


 不敵な笑みを見せるジゼルと、猫背ぎみな背を伸ばして胸を張るシグネ。

 最初の演目は、竜の巫女(メルシナ)に恋した黒騎士だ。終盤の火口での一幕が肝であった。舞台装置の大仕掛けもある。油断をしてしまうと劇を台無しにしてしまうばかりか、怪我をもしかねない。

 そんな緊張感を笑顔で塗り潰しながら、イングリッドは目線をやった。


「ジゼル先輩だいじょーぶですかねぇー。昨日倒れたばっかりだってのに……」

「そう、ですね……でもジゼルちゃんがやりたいって言うなら……逃げないって言うなら、止めるなんてできませんよ」

「ですねー。先輩、止めても聞かないし……まーそれでもできちゃうから先輩は先輩なんですけどね。さっすが歌うために生まれてきた女!」

「ですね……」


 シグネと言葉を交わし合うジゼルからは、まるで疲労や不安というものが感じられない。

 しかしそれでも浮かない表情のリアーネへと、イングリッドは声を落ち着けて言った。


「リアーネ先輩」

「なんですか……?」

「先輩も知ってますよね、あたし……人の言っている言葉の嘘がわかるって」

「え、ええ……それは、まぁ……」

「あれ、本当は違うんですよ。あたし……なんていうのかな。ものを見たときとか触ったときに、一緒に音が聞こえるんです」

「ええと……?」

「つまり……本当は、ついている言葉の嘘か本当かわかるって言うよりかは……相手が言葉にしてなくても……というよりは喋ってる時の顔を見て感じてるっていうかな? 後ろめたい時の人の顔って、鉄を擦るみたいな音がするんですよ」


 不意に笑いかけると、リアーネは黙り込んだ。

 音がする。石に水が滴る音――困惑。遠雷めいた遠くで唸る音――警戒。そして、金属を擦る音――後悔。

 それでも構わず、イングリッドは続けた。


「色々と言われたけど……それでもジゼル先輩だけは、『人を笑顔にできるいい個性じゃない』って言ってくれました。先輩だけが……心の底からそう思って、風が吹くような音で手を取ってくれた」

「……」

「……そんな先輩に酷いことしようとする奴なんて、このイングリッドちゃんが許さない。だから――」


 首を振って、リアーネの手をとった。

 聞こえていた音が大きくなり、耳元で楽器を鳴らされているように煩わしい。思わず顔を顰めそうにはなる。

 リアーネの感情が分かっても、その事情までは分からない。護衛が触手使いであるというその本性を隠していたように――イングリッドには、他人が何かを伏せていることは判ってもその真実までは分からない。

 それでも、


「だから、大丈夫です。リアーネ先輩にも何かあるのは知ってるけど……みんなでやった練習は、きっと嘘じゃない。その通りにやれば、大丈夫ですよ」


 頬を崩して笑いかけた。

 ジゼルが言ってくれたように、この力は他人を笑顔にするための力なのだ。きっとそうする為に己はいる。そう、世界を変えられたのだから。恋をしようと思えたのだから。

 そしてそんな力を使うことが、同じように世界を変えようとしていく仲間の為になるというならそれ以上に嬉しいことはなかった。

 手に力を籠めるとリアーネは僅かに目を見開き、それから何も言わずに顔を伏せた。

 その顔を見るまでもない。聞こえる音に頬を綻ばせ、しかし何か僅かに混じった音にイングリッドが首を捻ろうとしたとき、


「二人ともなにイチャついてるのよ! ほら、本番よ本番! 気合入れて楽しく笑いなさいよ!」

「……ジゼルさん」

「せんぱーい、気合入れて楽しく笑うって矛盾してませんー?」

「うーるーさーいー! いいから準備なさいな! これから恋をさせるのよ! その為にも、恋をするのよ! 誰よりも私たちが!」

「はいはーい!」


 ジゼルの顔にもリアーネと同じ“音”が混じっていることに首を捻りつつ、イングリッドもシグネと肩を並べて舞台に向かう。

 幕が上がるのだ。

 劇の幕が、上がるのだ。



 ◇ ◆ ◇



 ず、と石畳のタイルが浮いた。そのまま、ずず……と持ち上がり、ずらされる。

 帝国時代に原型が作られた地下の上下水道、或いは地下墓地が城塞都市には眠っている。そんな通路を黒衣の男たちが――都合二十名ほどの男たちが、列になって登り上がる。

 天下の往来に湧き出た邪教徒の影には、しかし誰も気付かない。

 並行して起こした騒ぎにより都市の防備に任ぜられた衛士たちには見回りというのも叶うことではなく、ほとんどは一座の天幕の周囲を固めるばかり。残るはケチな冒険者か、それとも見習の団員か。

 元より物の数ではない。

 彼らは無言で頷き合い、人目を避けるようにある一か所を目指す。〈永劫に真に尊きもの〉からの寵愛を受ける機会を無下にも断り、あまつさえこの世の真理に気付かぬ愚か者の大衆を優先する女。

 そんな不届きな輩には誅戮を与えなければならない。

 ここにいる誰もが一様にその気持ちで統一され、そして疑うことなく乱れぬ集団行動を可能にさせた。

 建物の角から先を覗き、剣を掲げた仲間が手を掲げた。目指す先の施設には敵の影はない。やはり、愚かなのだ。天幕で覆った劇場だけで手いっぱいであり、その近くの施設にすら人員を割く余裕がない。


「……!」


 頷き、一人が駆け出した。

 そんな愚かな一座にも、それを崇める大衆にも分からせねばなるまい。

 奴らは眠れる羊だ。豚だ。この世の真理から目を背け、そして真の快楽や解脱を知らずに安穏をむさぼっている。そんな不浄の輩に啓蒙をしてやることこそが、男たちの本義なのだ。

 むしろその奴ばらはいっそ哀れですらある。眠り続けているのだ。

 ならば、目を覚ませてやらねばならない。己たちが崇めるものが無意味なものであると、気付かせてやらねばなるまい。愚かで蒙昧であり、あまりにも嘆かわしいが――しかし憐れみこそすれ見捨ててはならない。

 否。憐れだからこそ、救わねばならないのだ。

 そしてそんな愚者の目を覚まさせるためには、多少なりとも強烈な手段が必要だ。これは聖なる行いなのだ。故に、暴力すらも許容される。


「……!」


 そして、建物から建物へと移った仲間たちで視線を交わす。

 手薄である公民館。劇場とはそう距離が変わらないというのに、あまりにも静まりかえっている。

 やはり愚かだ――そう誰しもで思いながらも索敵をする。空いている扉が一つ見つかった。公演の慌ただしさに忘れたか――愚かとまた思いつつ、仲間内で一番勇敢な男が建物に飛び込んだ。

 いずれ〈敬虔なる守護騎士団〉入りも果たすであろう。仲間内からそんな名誉なる者が出ることは、我がことのように嬉しかった。

 此度の誅戮の功を以って、彼はきっとそれを足掛かりに登り上がるだろう。その誇らしき高揚を前に仲間たちの連帯感は高まった。

 真理を介さない不届きものを誅殺し、そして栄光を手にするのだ。それは――まるで物語の竜を倒す勇士ではないか。

 そんな仲間たちの期待を一身に背負った男は、唯一鍵がかかっていなかった扉から室内に侵入し、


「おごぉっ!?」


 情けない悲鳴と共に、鼻っ柱を打たれて崩れ落ちた。

 そして、継いだ前蹴り。胸を蹴り倒された仲間は、後頭部をしたたかに打ち付けて天へと仰向けに身を晒しながら意識を失った。

 顔を見合わせる仲間たちの前に、それは姿を現した。


「ここは、関係者以外立ち入り禁止だ。また世界に恋する為の場所だ……お前たちの入るところじゃない」

「貴様、護衛か……!? 何故ここに……!?」

「感応魔術……遠く離れても元が同じなら同じもの、か。……ジゼルさんたちの何を漁りにきた」

「我々は誅を与えに来たのだ。盗人のように次元が低いものと同列に語るんじゃあない!」


 目の前の邪教徒を睨みつけ、シラノは呼吸を絞った。

 最初に起こした事故のように、或いはシラノに襲い掛かったあの霧と手のように遠隔的な攻撃を行う。

 魔術にはそれが可能だ。あの交信屋の原理もその一種だ。


「そこを退け、不届きものが!」

「……」


 シラノは黙し、そして右手で〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉を握り締める。

 大道具を壊して殺傷を行う。或いは護衛が足りないその瞬間をならず者に任せて狙う――。

 そんな卑劣漢たちが、衛士が護衛を固める天幕を襲撃するわけがない。そんな度胸があるはずがない。己たちの被害を許容するほどの行動は見せまい。そんな読みは的中した。

 後ろ手に扉を閉め、そして横一文字に鉄版を通す。刻印魔術だ。通された鉄版に呼応して魔術を起動させて扉を閉める。これが、鍵であった。


「用心棒気取りが……勝てると思ってるのか? こっちには魔剣使いもいるんだ……さっさとその鍵を渡せ」

「――そうか。()()()()()


 鍵を放り、左手で掴み取る。そのまま懐へと入れた。

 ローブを纏った黒ずくめの邪教徒たち。そのフードの下で、瞳に怒りが灯った風に見える。

 敵は二十。そのいずれかに魔剣使い。そしておそらく魔術士もいるだろう。

 そして――……〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉の柄を握り、蜻蛉をとった。男たちが腰を落とすのを眺めながら、上げるは猿叫。


「イアーッ!」


 平たく刃を捻った剣で、声に呑まれた一人をまず打ち下ろす。

 待たぬ。地を蹴り、次いだ二人目へと斬り込んだ。懐から短剣を握る手を出したが構わぬ。そのまま額を叩き割った。

 もう一人。走り込もうとしたところへ、横から錫杖が繰り出される。叩き落とした。錫杖の穂先が石畳に音を立てるが構わぬ。肩口目掛けて刃を突き立てんとし――しかし、更に横から繰り出された刺突を前に宙で手を止め、そのまま男の真横を駆け抜ける。

 抜けざまに後頭部を剣で薙いだ。掌に伝わる感触を味わいつつ、踏ん張って体の向きを変える。男たちへと向き直った。


「舐めるなよ、貴様……! たった一人で、この人数を相手に何ができる!」

「あぁ……そうだな」


 ふう、と吐息を吐いた。

 敵は冒険者のように荒事の上手ではない。だからこそ、シラノでもやりようがある。

 だが、この人数――それにしても些かに厳しい。頼りとなるのは、右手の〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉だけ。

 触手の技は使えない。いや、使うまい。そう距離は離れていないのだ。ここで使えば舞台のジゼルがどうなるか――そんなことを試してみる気にはならなかった。

 ここには、ジゼルを守る為にいる。彼女たちを守る為にいる。彼女たちの、その思いを守る為にここにいる。

 ならば、触手を召喚する訳にはいかない。この身一つと、手に握った〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉だけが武器だ。


「今なら貴様は袋叩きだけで許してやる……魔剣が脅しだと思っているのか? おい!」

「はい!」


 頭目らしき者が顎をしゃくれば、その手下らしきものが何者かを列から引きずり出す。

 よたよたとつんのめったその影は、首を鳴らしながら集団の前へと現れた。


「……やれやれ、人使いが荒いことで。ま、おれの方が人付き合いがいいってことかな」

「なにを喋っている……敵だ!」

「へいへい。……ちゃんと理由ができりゃあやりますよ。斬る理由が欲しくて、おれぁ剣を握ってるんだから」


 そして、男が外套を脱ぎ捨てた。舞う黒い外套と、渋い緑髪のくたびれた印象を抱かせる細い眼の男。

 片手には、鈍い色の直刃の細身の剣が握られていた。刃渡りは〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉と同じか――それより長いか。空気の熱を吸うように、存在感を以ってその場にいる。


「あーあ、降ってきやがったねぇ……おれが外に出るときゃあいつもこう崩れるんだ」

「何をごちゃごちゃと言っている! 奴を早く斬れ! 脅しではないと分からせてやれ!」

「へいへい……まぁ、斬る理由が整ったらサパっと斬りますよ。さて、三人ねぇ……もう少しやられてくりゃあ、おれも気兼ねがなく殺せるんだがねぇ」


 倒れた邪教徒たちを眺めながら、男がやれやれと息を吐く。

 どこかくたびれていて、こけた頬は痩せた野良犬の風情がある。一見しただけならば、多くがその男を侮るであろう。そんな振る舞いの食い詰めた風な男だ。

 だが、シラノは喉を鳴らした。知らず、掌に汗が溢れている。

 言われるまでもない。既に、何度も相対した。その佇まいは――魔剣使いのものだ。


「さて、男気のある兄さん……どうする? あんたみたいのを叩き斬るのは大好きなんだが、まだおれとしても整っちゃいないんだよ。どうせならもっと万全がいいんだが……ほら、諦めるってのはどうだい?」

「おい! 貴様、何を勝手に……!」

「ま、言わせろよ。口上みてえなもんさ。口上ってのは大事でねぇ……じゃなきゃ斬っても今一つ楽しくない。どうだい、お兄さん。今ならこいつらも百叩きぐらいで許してくれると思うぜ?」


 なあ、と男が周りへと目をやる。だが、殺気立った邪教徒にそれは期待できず――何よりそんな有象無象よりも、この男が恐ろしい。

 セレーネ・シェフィールドの同類だ。

 シラノが剣を下げれば、気が変わったとシラノの喉笛を裂いてもおかしくない。それほどの、剣と修羅道に狂った気配がある。


「……」


 対するは魔剣使い。そして、今は己には触手の技がない。

 敵の数は多く――足を止めてしまえば、瞬く間に袋叩きに殺されるであろう。

 今までかつてないほどの死地だ。紛れもない死地だ。斬り抜けられる場所か――あっても、遥かな遠い向こうだとも思えてくる。

 徐々に、雨脚が強まりだした。降り始めた雨が頬に当たり、そして顎先まで伝わり落ちる。

 そんな降雨の中でも決して薄れはしない緊張感が場に満ちる中、邪教徒の一人が声を上げた。


「さっさとその武器を捨てろ! 貴様に勝ち目などない……今なら寛大な我らも、命だけは取らないでいてやろう!」

「だってよ、お兄さん……どうするかね?」

「……」


 ニヤリと灰色の目線を剥けてくる男を前に、シラノは剣をやおら下した。

 冬の冷たい氷雨が両肩に降り注ぐ。僅かに肺を膨らませ、そして――腹の底から絞り出した。


「『おお、恥ずべき悪漢よ。この私に退けと言うのか。この街を見捨てろというのか』」


 唱えるは台詞。これから先、演ぜられるであろう劇の中のその一幕。


「『この私に、乳飲み子から母を奪い、乙女から伴侶を奪い、妻から夫を奪う』――『そんな金貨を手にしろというのか』」


 脳裏をジゼルの顔がよぎった。

 ジゼルに、リアーネ。シグネにイングリッド。記憶の中の彼女たちは笑いあっていて――そしてシラノへと怯えた目線を向けてくる。

 その恐れが指先に現れる。だが、構わず言った。

 台詞とは告白だ。想いを世界に叩き付ける為に、そして己を奮い立たせる為にあるのだと――そう聞いたから。そう、教えられたのだから。


「『そんな金貨を手にしたところで、父祖の遺灰を踏みにじり、老母の涙に背を向けた男に――果たしてどんな愛を語れと言うのか』」


 浮かぶはセレーネの上品な微笑。最後に見たときには、床に臥せて力のない笑みを浮かべていた。

 そして、フロー。

 記憶の中のフロランスは、いつだって寂しそうにしている。楽しく声を上げ、嬉しそうにはしゃぎ、情けなく泣き叫び――それでいて、やはり寂しそうだ。出会った初めのように、彼女はどこかで泣いている。

 だが……いや、だからこそ――――。


「『聞くがいい、悪漢よ』『恥ずべきその手から皆を守る為に死ぬ――それに勝る生き方が、この世のどこにあるというのだろうか』」


 ――ここが死地だ。己に言い聞かせる。こここそ死地だ。

 対するは多人数。持ち入れるのは一振りの剣。己の身は触手使い。相手立つは血を啜る魔剣。

 ああ、ここが死地だ。こここそ死地だ――己の中の何かが、冷たく斬り替わるのを感じた。

 目覚めろと、己の魂に言い聞かせる。目覚めろ。眠れ。ここが死地だ。


「『いざ、恥ずべき悪漢よ。金貨を手にした悪漢よ。魔剣を掴んだ悪漢よ』」


 同胞は居ない。見届けるものなど、誰もいない。

 それで構わない。見て欲しいわけじゃない。見たいだけだ。彼女たちが輝くその瞬間を、見たいだけだ。

 そうすると決めた。一人とて見捨てぬ。そして、死なぬと決めた。だからこそ――死ね。死から目を背けるな。ただ、死だけを見つめ続けろ。


「我が名はシラノ・ア・ロー。父なき子のシラノ・ア・ロー。我が名に従い、私は今ここに――この剣を執ろう」


 いざやこの死地――


「――魔剣、断つべし……!」


 そうとだけ言いきり、シラノは決断的に剣を握った。

◆「アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その六」へ続く◆

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