第三十五話 アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その四
あるものから生じたものは、その大元と同じものなのではないか――例えばセレーネ・シェフィールドが用いる〈水鏡の月刃〉の刀傷の能力の如く、魔剣の理を紐解いて体系付けされたそれは類律魔術或いは感応魔術と呼ばれるの基本原理である。
ならばここで、あるものから生じた二つを並べた場合、大元を仲介とすることでその二つのもの同士も同等のものと見出すことはできやしないか。
そう考えた魔術士が居た。
それが、今日の交信屋の基礎になっている。
「ええと、これだけでいい?」
前髪を整えた交信屋の専属魔術士の少女が見上げてくる。
鉄の尖筆を握る彼女の前に置いてあるのはある香木の灰を練り込んだ粘土板だ。ここに彫り込んだ文字を、同じ枝を燃してできた灰を練り込んだ遠隔地の粘土板に反映する。
そして今度は粘土板に似た形状の木板を相似魔術で変容させて文字を刻み込み、それを相手方に届けるというものだ。
類律魔術は、特にその射程距離が長じている代物であった。魔力の出力が高い限り果てはないと言われている。無論それは理論上の話であり、一般的な魔術士なら街一つ分が精々らしいが。
「うす。……いや、待って下さい。あと……『寝る前にはちゃんと歯を磨いて下さい』と『近頃冷えるので毛布を落とさないようにして下さい』と『蒸し風呂入る前と出たあとにはちゃんと水分を取って下さい』と『お土産は何がいいですか』と『寂しくないスか』と、あとは……」
「…………その分値段はかかるけど、いいの?」
「ぐ……」
やはり金か。
魔法世界とはいえ、世知辛いものであった。
「貸したげよっか? 当然だけど……私、かなりあるわよ?」
「いえ……。俺の用事です。それに、金の貸し借りはしない方がいいっスから」
「ふぅーん? じゃあ、あげるわ。私の為に命懸けて貰うんだから、これぐらいの面倒みたげないと女が廃るわよね!」
「いえ……大したことじゃないんで」
必要最低限の言葉は手持ちでも十分に伝えられる。あとは気がかりではあれ、別に急ぎの案件でもないのだ。
だが、ジゼルは顔を顰めた。そして、交信屋のカウンターに硬貨を叩きつける。
「女に恥をかかせなさんな! いいのよ、これぐらい! ここで使わなきゃ物買って食べてたわ!」
「ありがとうございます。……必ず返します」
「だーかーらーいいって言ってるじゃない! その代わりなんか奢ってよね? いい?」
「うす」
これ以上固辞するのも失礼か。頷くと、話は終わったかと少女が見上げてきた。
「……その、じゃあ、『身体に気をつけて下さい』と」
「身体に気をつけてね、の方が安いよ?」
「なら、それで」
「はい。冒険酒場のフロランス・ア・ヴィオロン宛てで『ゲンキデス。ジカンカカル。アブナイ。セレーネト イッショニイテ。カラダニキヲツケテネ!』だね」
「うす、お願いします。……ありがとうございます」
「はいはい、どーもー」
これで最低限の備えはできた。おそらくできた筈だ。フローに何か危険が及んでやしないかと思うと居ても立ってもいられない気分になるが、セレーネが居るのだ。そこはどうにかなると思うしかなかった。
あれから三日。今日は、一行で街に来ていた。
どこで公演するときも、その街のゆかりの品を一つ使う――そんなこだわりがジゼルにはあるようだった。
護衛を務めるものの、街の案内は得意でない。そもそも出歩くことがあまりないのだ――というところは散々ジゼルに文句を言い倒されたが、ひとまず目当ての品は手に入れた。
余った時間で交信屋に立ち寄って貰い、そして五人と更に護衛の男二人で昼食をとっている時であった。
「……一つ、思ったんスけど」
「なに?」
「呪いって言ったって……ものが落ちてきたり、足を滑らせたり、扉が開かなくなったり……そういう感じですよね」
「あとは馬が暴れたり、急に死んだり……まぁそんなんね。詳しくないけど」
運ばれてくる料理の毒見を散々務めたせいか、ジゼルは目に見えてうんざりとしていた。
ともあれ直接口を付けている訳でもないし、肌や舌に料理の一欠片を乗せているだけなのであり――また特に肌がかぶれるとか爛れるとか、舌が解け落ちたり変色するなどの被害もなかったので容赦願いたいが……。
ふと、思いついたことを口にしてみる。
「つまり、物理スよね」
「物理」
「いやほら……結局それ自体じゃ大したことができない訳じゃないスか。鍛えてればどうにもなるというか」
「大したことができない」
ジゼルは目を丸くしているが、これは道理だった。
如何なる呪術とはいえ、それだけで直接相手を殺すことはできない。なんらか、事故的なものを誘発する必要があるのだ。
仮に突然死するにしてもその大方は心臓麻痺であろうから電撃で何とかできるし、それ以外の死因となると普段の生活習慣や持病としか言いようがない。
真に恐ろしいのは極超音速で飛来する魔剣の斬撃だ。仮にセレーネが知覚距離外から突撃してきたなら、それだけでも被害は免れない。比べてみれば、児戯に等しいと言えた。
「なので――安心して下さい。俺が絶対に守ります」
病はまず気から生じるのだ。護衛対象に余計な心配をかけない――それがここで最も重要なことだろう。
「……気が狂ったらどうする訳?」
「俺には通じません。それにジゼルさんも皆さんも、そこまでヤワじゃねえっつうか……それ以外の人が狂ったら、力づくで止めればいいですし」
「……呪いに侵された武器が飛んできたら?」
「叩き落とします」
「……建物が崩れたら?」
「支えます」
「……衰弱したら?」
「栄養を取るんスよ」
「……急に死んじゃったら?」
「心臓のことなら、まぁなんとか」
「……」
「つまり、何も問題ねーってことです」
そう、何も問題がないのだ。触手剣豪は伊達ではない。……今はただの剣豪だが。
「アンタ、変なとこすっごく豪胆よね。いや、なんていうか……こう……確かに、呪いとか効きそうにないわ」
「まぁ、呪いが効かないのは事実スから」
触手使いというのは、そのような論理の外にある。フローからは、そう教わっていた。
「あの、イングリッドさん……これ、シラノさんは……」
「すごーい! あはは、シラノちゃん、すっご! 剣豪って違うねぇ! 本気ですよ~コレ!」
「の、脳筋……こわい……」
「論理的な話をしてるんスけどね」
直接術者を倒せぬ以上、どうしても場当たり的な対処となってしまうのは否めないが……ここではこれが最も的確な手段だろう。間違いがない。
“卑”の系統に属する魔法使いは魔術士では対抗できない。より正確にいうなら、対抗や対処をできてもその根本の法則に介入ができない。呪術師の相手をするには呪術師が必要であり、それが雇えぬ以上はこうする他なかった。
「がははは、やっぱ魔剣を折ってる奴は言うこと違げぇな!」
「ま、頼むよシラノの旦那。実際、ここにゃあアンタほど魔剣を倒してるやつもいないんでね」
「うす。全力でやります」
護衛の二人まで加わって、話の輪が開く。
ひとまず今のところは――何事もなく、順調であった。
◇ ◆ ◇
そこを、言い現わすとしたらなんと呼ぼうか。
鬼火めいた魔術灯が照らす室内の、その壁に沁み込んだ死臭。千年の時は腐臭すら薄れさせて、地下墓所はただ埃に満ちた空気を漂わせていた。
その空間に――新たな、油の匂いが漂う。いや、その香りで満ちているのだ。噎せ返るほど強烈な気化臭が空間を塗り潰している。万が一まかり間違って火を放ったなら、瞬く間に辺り一帯は燃え落ちるだろう。
仮に例えるならば、阿鼻叫喚地獄の前身。武器を振るえばその火花で諸共に葬られる――そんな異常な狂気に満ちた空間であった。
「……この場所が露見すれば、焼け飛ばす気でいたのか」
その中、ただ一人震えて失禁する黒い外套の男とそれを見下ろす二つの影。残りは呻き声を上げて、死体同然に振舞っている。
やおら、見下ろす襲撃者が口を開く。地底竜が牙を剥くような気配に怯えた男は仲間の剣を投げつけたが、簡単に掴み取られて床へと安置された。
何事をも塗り潰す死の漆黒獣――そんな気配のアレクサンドは、墓所に響く重低音を震わせる。
「答えろ。貴殿らは、何を企んでいる。貴殿らは、どこまで知っている」
「ひ、ひぃ……」
恐怖と――そして拒絶の目線。脂汗と涙が入り混じって汚れた体液で顔面を無様に彩った邪教徒は、それでも首を振ってアレクサンドへの回答を拒否した。
断れるだけ大したものか。思いこそすれ口には出さない。そして、そうは問屋が卸さない。
一歩踏み込み、男を見下ろす。前蹴りを放ったなら頭蓋が砕ける致死圏内である。
「答えろ。それに、彼女の前で口を閉ざすのは不可能だ」
「僕を化け物のように言わないでください。……事実ですが」
不服そうなノエルの冷淡な口調に構わず、アレクサンドは続けた。
「選べ。今見た通り、私は素手でも十分な仕事ができる。……選ぶがいい」
ごきりと右手を鳴らした。
そしてすっかりと意気をなくした男が何度も首を振るのを前に、アレクサンドはようやく吐息を零した。
あの歌劇の主役四人の中に執行騎士の手の者がいる――。
それを敵が突き止めているのか。懸念はただ、そこだった。
◇ ◆ ◇
以前アンセラに連れられて走ったときよりも、いくらか街には活気が満ちている。
やはり歌劇や楽団の効果というのは高いのか――そんな感心を抱きながら彼女たちにふと目をやると、ジゼルだけは浮かない顔をしていた。
他の面々は護衛と楽しそうに会話をしながら、固まって街を進んでいる。ジゼルと、そして最後尾を務めるシラノだけが少し浮いた形だった。
「……ジゼルさん、大丈夫スか?」
「あ、シラノ……」
ああは言った手前顔には出さぬが、やはり呪術とやらの悪影響が存在しているのか。
懸念を内に秘めながら覗き込むと彼女は一瞬で普段の顔になり――それから、吐息と共に肩の力を抜いた。様子がおかしい。
フローならば精神を上向きにさせる薬効を与えられるかもしれないが、それはないものねだりであった。
「どうしたんですか? 気分が悪いなら……背負いますけど」
「んー? あ、そうやって私の身体に触りたいってワケ? ふぅーん? やっぱり興味あるんだー? へぇー? そりゃ、私のことを気にならないわけないもんねぇー?」
「茶化さないでください。んな場合じゃないです」
「……もう」
顔を見つめ続ければ、根負けしたようにジゼルは息を吐いた。
「……いやさー。これでもまぁ、やっぱり少し不安だなぁ……って」
「不安、スか?」
「いや、そりゃー怖いわよ。……正直、こないだはああは言ったけど、怖いわ。山賊に襲われたとき、仲間が傷付いてるとき、呪いをかけられたとき、罵声を浴びせられたとき……舞台に立つときも怖いわね。失敗が怖いわ……だから、まぁ、怖いものは怖いわよ」
「……」
鞘を握り締めて、彼女の左に寄る。
彼女の抱いた恐怖ばかりは、言葉では掻き消せない。上手い文句も浮かばず、何かの際には身体を盾にすることしか考え付かなかった。
髪を掻きながら、どうしたものかと眉間に皺を寄せた。あまり得手ではない。先ほどまでの会話を踏まえてなお不安を抱かれるとなると、根本からの対処しか提案はできない。
「あはは、失望した? 偉そうに言ってたのに、結局このザマだって」
「いえ。それはありえないです。尊敬してます」
即座に言葉を返せば、ジゼルは僅かに目を見開いた。
灰色の虹彩を持つ彼女の目は、その際立った髪色とは対照的に不思議な輝きを持っている。それが、唸るような半眼に代わった。
どうやら若干普段の表情に戻りだしたか。見届けて、更に続けた。
「それより、そんなに怖いならどうして? 衣装の買い出しだって、誰かに任せてもよかったんじゃ……」
彼女の気構えは立派であるが、買い物ならば誰にでもできることだ。四人でわざわざ街に繰り出さなくても、同じ団員に頼めばそれで話は終わる。
むしろあの日の言葉とは違い恐怖を感じているのなら――あまりにも不可解な行動であった。
何か真意があるのか。それともフローと一度連絡を取りたいと漏らしたことに付き合わせてしまったのか。そう眼差しをやれば、彼女は一際大きく息を吸い、
「なんでかって? 私はね、恋をしてるのよ。この世界に――――だから私にも恋をさせたいの。振り向かせたいでしょ? だからなんだって全力でやるわ。この、私がね?」
そう言った。
居丈高に誇り高く、常に自信をたたえて堂々とした、我が儘で縛られない高嶺の花――そんないつものジゼルの表情であった。
戸惑いをよそに、彼女はふと表情を変えながら続けた。
「皆、色んなものを抱えてるわ。イングリッドはあの体質のせいで家族から見捨てられた。シグネは両親を流行り病で亡くしたわ。リアーネは、……あの子は色々と言わないけどきっとそう。この一座の誰だって……ううん、きっと皆誰だってそうなのよ」
「……」
「この世界に恋なんてできない――。世の中にはそういう人はいっぱいいるわ。……私だって昔はそうだった」
吐息と共に肩を竦めた彼女は、悪戯っぽく笑った。
「でもほら、それってつまらないでしょ? そんな人たちに、ずっとそう思ってきた人たちに、そう思いながらも私の舞台にまできた人たちに、また世界に恋をしてみたい――そう思わせたいの」
「また世界に……恋を……?」
「世間は変わらないかもしれない。でも、世界を変えられるのよ。ううん、世界を変えるの。私の踊りで。私の声で。私の恋で。私は――その為に歌うわ。だから、私は歌うのよ」
「……」
「ほら、それなのに手を抜ける? だって恋はいつだって全力よ? なら――恋する私が全力じゃなきゃ、誰もその恋を応援してくれないでしょう?」
ふふん、と不敵に笑みを浮かべる。
先ほどまでの様子は見えない。彼女は今まさに、どこまでも恋に邁進する輝ける乙女であった。
「怖いのに、なんでそこまでできるんスか?」
「ふふん、台詞ってのは告白よ。とびっきりの言葉で、とびっきりの声で、とびっきりの想いをぶつけるの。そうすれば――恋する女の子は無敵よ? 言葉にはきっと、神様以上の力を籠められるわ」
それが、彼女の真実なのであろう。ジゼルという少女の本質――彼女の想い。夢。希望。
あまねく物を照らし上げ、そして手を取って踊りに誘う。ジゼルというのは、それは、一つの星と同じであった。
否、星になったのだ。たった今、目の前で。まさに台詞一つで、彼女はすっかりと変わっていた。
「……ジゼルさん」
「なに? 私に惚れた? ふふーん、安くはないわよ? 私に恋をしたなら、世界全てに恋をさせてあげるわ? アンタにその覚悟はあるかしら?」
挑発的な目線を寄越すジゼルを前に、拳を強く握った。
彼女のような輝きは持てない。その境地には至れない。きっとそうなれるのは、ジゼルという生き方があってのみだ。
故に――シラノ・ア・ローはこう言い切るしかない。
「俺にはそういうのは分からない。……だけど、あなたを守ります。俺の剣術全てで――持てる力すべてで。白神一刀流に、敗北の二字はない」
彼女の世界に、彼女の恋に、その技が含まれるかは分からない。
ただ、できることはその一つだった。たとえ含まれなかったとしても、彼女の想いだけは守り抜く――その為に剣はあるのだ。
そして、
「ふ、ふぅーん? へぇー? じゃあその技に恋させてくれるってこと?」
「……いえ。まぁ、俺にできるのは斬ることだけで――」
後頭部を掻こうとしたその時であった。
「きゃあぁぁぁ――――っ!?」
悲鳴が上がった。即座にジゼルの手を引き、剣を抜き払っていた。
◇ ◆ ◇
腕に矢を受けた護衛の団員が蹲る。突如の暴力に慌て青ざめる彼女たちと、何とかそれを庇おうとする護衛のもう一人。
上を押さえられたか。
舌打ちを噛み殺し蜻蛉を取り、ジゼルを背後に庇う。往来の中で仕掛けてくるのは完全に予想外であったが――事前に伝えられたか、それとも暴力の気配を嫌ったのか。石畳の通り道に住民の姿はない。
代わりに、通路から続々と湧いてくる。
長剣、弓、斧、槍、こん棒――革鎧の者、胴当ての者、鎖帷子の者、以前どこかで見覚えがあるならず者たちである。
ここまで、街に版図を広げたか。冷や汗を伝えつつ頭目を探す。それさえ討ち取れば、混乱に乗じて斬り抜けられよう。
「おう、本当にいい女だなぁ……」
「殺しさえすりゃ好きにしていいんだろ? へっへっへ、いい仕事だよなぁ……」
「見てみろよ、泣いちゃってるぜぇ~?」
だが、下種な響きを上げる男たちには秩序だった行動は見られない。ただ、ある程度の集団戦には慣れているだろう。厄介だった。
ジゼルを背中で押すように、皆の下ににじり進む。男たちはいたぶるように笑みを浮かべるばかりで、抵抗されるとは毛ほどにも思っていないのが伺える。
四、五人の手足を斬り飛ばせれば包囲を抜けられるか。考えつつ、低く漏らした。
「……武器、何がありますか」
「短剣が何本かと……下には、鎖帷子を着ちゃいるが……」
「……うす。分かりました。貸してください」
右手一本で握る剣を下げながら、後ろ手に受け取った。ジゼルたちが死角になっているからか、男たちの動きはない。
どころか、切っ先を下ろしたシラノが武装解除をすると思ったのか――ならず者たちは下劣な声を上げた。
「おう、判ってるじゃねえか! 大人しくしてりゃあ悪いようにはしないぜ? なあ、おれたちは紳士だもんなあ!」
「おうよ、何なら殺さずに手元で可愛がってやるぜ~?」
下衆共の笑い声が上がる。背後で、誰かが竦んだ。そんな気配が伝わってきた。リアーネか、シグネか。それともイングリッドかもしれない。
頭に血が上るのが分かった。そして、冷えていく。高鳴る筈の心臓の鼓動は、吐息に合わせて一定の拍動を取り戻そうとしていた。
「し、シラノ……」
ジゼルの震える声が伝わり――代わりに、一歩踏み出していた。
男たちの気配に訝しむものが混じった。剣を下ろしたまま、言う。
「誰がこれを指示したのか言え。四人に謝れ。……今なら斬らねえ」
「…………は?」
男たちから音が止んだ。そして直後、上がったのは嘲笑だった。
「お、おい聞いたかコイツ!? 今ならおれたちのことを許してくれるんだとよ! すごいねえ、女の前で騎士気取り――」「イアーッ!」「――ぐへぇっ!?」
左手での投擲。剣を擲つ練習は行っていない為、致命打にはならぬが――まずは一人。回る刃とその柄で、鼻っ柱から昏倒させた。
方々から怒号が上がる。皆の竦む気配を感じつつ、端的に言い切った。
「身を低く。……ここは、俺が何とかする」
「で、でもシラノ……アンタの魔剣、何の力もないって――」
「――いいや。白神一刀流に、敗北の二字はねえ」
ぐ、と拳を握った。心中でリアムに詫び、剣を石畳の隙間に突き立てる。
ここが死地だ――ここが死線だ。ここより先には、一歩たりとも踏み込ませない。跨ぐ全ては殺しきる――そう心に刻む。
ここが死地だ。
そうとも、ここが死地だ。死人はここで死ね。皆、須らく死んでいけ。
「射殺せ!」
「イアーッ!」
放たれた矢を防ぎ落し、進むは極彩色の触鞭。屋根に蔓延る射手を縛り上げ、悉くに突き落とした。
家々から飛び出そうとした敵は、その全ての首を締め上げ仲間へと叩きつける棍棒に変えた。方々で悲鳴が上がり、そして倒れる音がする。
呼び出すは二刀。そして合一させた触手野太刀。
脇道から飛び出した一人の腹を突き通し、そのまま刃を落とし捨てた。硬度を通常の鉄ほどに――その重りを抱えては、満足な行動などできまい。
「て、てめえ……それは……」
「誰が指示したのか言え。四人に謝れ。次はねえ」
「クソ、舐めんなてめえ! この“魔羅もどき”が! おい、囲んで叩きのめせ! 魔術士連れてこい!」
目の色を変えて怒号を飛ばす男たちが道に湧いてくる。
こういう時に、魔剣だったならば何か変わったのか――――思いこそすれ、頭の隅へと追いやった。ここは死地だ。生き死に以外に目を向ければ、容易く人は呑まれていく。
だが、それでもただ――。
「うぇ、ぁ、それ……」
「しょ、触手使い……」
「あ……まさか、今まで……ずっと……」
「シラノ、アンタ――」
ただ、奥歯だけを噛み締めた。
ここは死地だ。そうとも、黄泉路で振り返るものがどうなるか。知らぬ話ではあるまい。エウリュディケを求めたオルフェウスには不幸が訪れた。何を呪いと呼ぶかと言えば、ただそれだけだ。
ここは死線だ。ここは死地だ。黄泉路の果てに、振り返るという言葉はない。
「イアーッ!」
――白神一刀流・六ノ太刀“甲王・劔”。
展開された鋼鉄のギロチンが、八枚の大盾が、その全てで彼女たちを包み隠す。そして振動させた。これ以上彼女たちにおぞましい声を聞かせられない。その恋や夢に、下劣な罵声は必要ない。
そうだ。こここそ死地だ。ここが地獄だ。これより先には、剣しか要らぬ。
「――かかってこい」
決断的に言い放って、新たな刃を抜き放った。
◆「アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その五」へ続く◆




