第三十四話 アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その三
この世界は、きっと奇麗じゃない。
長く生きたなら誰でも知っている。長く生きてなくても知っている。そんなの子供でも知っている。
魔剣とそれを握った神様が作った世界にはきっと取り零しがいくつもあって、それが雨として地に降り注いでは不幸を作る。
空には雲が立ち込め、太陽がいつでも照らしているとは限らない。
夜空の星だって見えないことはある。
燃えるような苦しい夕焼けに全てが塗り潰されてしまうことも、激しい稲光と嵐に責め立てられてしまうことも、それがずっと続いていくことも、そのどれもがどこにでも転がっている。
それが人生。それが世界だ。
ああ、この世界は、きっと奇麗なんかじゃない。
雨の日もある。雪の日もある。嵐の日もある。それしかないと思えるぐらい続くこともある。そんなことばかりに思えるときがある。
神様は、きっと救ってなんかくれない。神様は手助けをしてくれない。
それが人生。それが世界だ。
何故だと聞いても。
どうしてと嘆いても。
誰かと呼んでも。声を出しても。
そんな言葉は届かない。重苦しい灰色の空と、吹きすさぶ乾いた風に掻き消されてしまう。
それが人生。それが世界だ。
ああ、でも――夜は明けるのだ。日は沈むと、また、昇りゆくのだ。
明けない夜はない。昇らぬ太陽もない。
いつかは分からない。でも、いずれは太陽が昇る。きっと夜は明ける。それが百万年の心の時間の果てだとしても、それでも世界は動いている。きっとどこかで、世界はいつだって動いている。
だから、私は歌うのだ。
精一杯大きな声で。精一杯届くように。精一杯力を込めて。
だから、私は歌うのだ。
きっとこの世界は奇麗なんかじゃないけど――それでも世界には、奇麗なものがあるのだと。そのことを、信じていいのだと。きっとどこかには、ある筈なのだと。
だから、私は歌い続けるのだ。輝くものになりたいから。
この声が、きっと誰かに届くと信じて――。
だから、私は歌うのだ。
この世界には、輝きだってあるのだから。そう信じたいと願う気持ちは、間違いなんかじゃないのだから。
それが世界だ。それが、私の人生だ。
これが、私の人生だ。
◆ ◆
冬の白い太陽と、未だに肌寒い気温の中。
煉瓦と混凝土で固められた公民館のその中庭、かつて帝国時代は指揮官の宿泊場であったその施設で怒号が飛ぶ。
「おう、大物を動かすときは近くに人が居ないのを見計らえっていつも言ってんだろうが!」
「おれじゃねえよ! というかなんだよ、この間、縄を新調したばかりだって言ってなかったか? おい、安モン掴まされたんじゃねえだろなぁ!」
「ああ? てめえ、おれの仕入れにケチつけようってのか!?」
大衝立や看板。或いは舞台幕、荷馬車、舞台道具などを並べながら男たちが口々に言い争う。
そんな背後の罵声を受けながら、二人は長椅子に腰かけていた。
それとなく周囲を眺めながら言葉を交わしていた。今のところ、特に怪しい動きの者はいない。
「ふむ……貴殿は護衛か」
「はい。まぁ、そういう仕事っス」
「……」
経緯を話し終えたところで、また会話が止まった。
アレクサンドは唐突に黙す。考え込んでいるのだろうが、この世全ての損害を背負わされて不信感の真っ只中にいるかの如く無愛想なので、空気がその度に重くなる。
暗黒物質を放射でもしているのだろうか。低音の声と相まって、さながら葬儀場にいるかのような心地となるのだ。仏頂面とはまさにこのことか。
取っつきにくい男だ。――十人が十人、彼を見たらそう思うだろう。シラノでさえも、既にそう感じ始めている。
「その、そういうアレクサンドさんは……?」
「私は……そうだな、古い知人に会いに来たというところか」
「知人、スか?」
「ああ、まだ誰とも会えてない。……本日護衛の役目についたばかりの貴殿に聞くのは、些か酷というものだろうな」
「いえ……力になれず、申し訳ないです」
「貴殿が気にすることではない。……他に知っている人間を頼ればいいだけだ」
そして、アレクサンドがやおら腰を上げた。
彼が手を伸ばすのは、大型の棺桶めいた黒き箱であった。重厚な黒塗りの厚手の大箱は、一体何を素材にしているのだろうか。まさしく人の死体を封じ込めるように重々しく揺るがない。
というより、それは物理的に重いのだ。置かれた芝生へとめり込んでいる。おまけに先ほどぶつかった工具師の大男の方がよろけていた辺り、尋常な重さではないと判る。
その鎖で編まれた負い紐を肩にかけた彼が、ふと思い出したように口を開いた。
「……そういえば、これは関係のない話なのだが」
「なんですか?」
「貴殿の腰のそれは……魔剣か?」
「うす。……とはいっても、特に能力とかありませんけど」
作り手のその理念の通り、ただの剣より優れた名剣――その域を出ない〈金管の豪剣群〉。シラノはそのあり方が気に入っているし、また、剣として何の不足もないと心から思っている。
だが、古よりの魔剣に比べて華々しい力がない――そんな剣を前に、アレクサンドは何故だか僅かに打ち震えるように口を開けた。
「能力がない、だと? ……ひょっとして、それは錆びにくいとか――或いは壊れにくいという、そんな特性の剣か?」
「え、あ、はい……そうスけど……」
答えれば、岩戸が開くかの如く俄かに金色の目が見開かれた。
そして何があったのか――急に、頭が下げられた。
「すまない……非礼を詫びよう。些か、俺は君を侮っていた」
「……は? アレクサンドさん?」
「アレクサンドで構わん。……ああ、侮辱だった。侮辱であろう。失礼した……見誤っていたのだ。許して貰えればありがたいが……」
「は……?」
話の流れが見えない。
そう思っていると、彼はおもむろに語りだした。
「これは勝手な判断かもしれないが……どうも君はその歳で武器の何たるかを知っているらしいな」
「あ、うす……あの」
「ああ、そうだな。その刀匠の剣は悪くはない。いや、むしろいい……そうだ。武器は第一にただ振るえればいい。そして、壊れないことが最もいい。ましてや手入れが簡単にできるというのは実に美点だ……そうは思わないか?」
「うす、その……」
「……ふ、皆まで言わずとも好い。武器を見ればその使い手も分かるというものだ。その武器は君に馴染んでいる……きっと、どこかで命を救う機会もこよう。魔剣には、そんな話もあるのだから」
一体何があったのか。取っつきにくそうとはなんだったのか。
饒舌である。とても饒舌である。念仏めいたトーンのまま饒舌である。
不景気を煮詰めたような顔をしていた男は――他人には分からないぐらいに僅かにはにかみながら、その暗黒的な気配からしたら奇跡とも言えるほどに微妙に目を輝かせていた。
はっきり言って怖い。彼は薬を打って変わってしまったと言われても頷けるほどの打って変わった豹変である。
「……ふ、俺としたことが喋りすぎてしまったか。失礼した。だが――ああ、久しぶりに愉快な気分になった。貴殿には感謝しなければならない」
「……あ、ども。その、お元気で……」
「ああ、君の息災を祈る。……もしまた、機会があるなら」
そして、ずしんと彼が一歩を踏み出す。地面に革のブーツがめり込んでいる。やはり、その身に異様なほどの重量を抱えているのだ。或いは彼は、人間大の戦車とも呼ぶべきかもしれない。
そんな男が立ち去っていく。白昼夢のような男であった。……いや、あの雰囲気を思うなら悪夢なのかもしれないが。
なんとも不思議な出会いであった。
「……うし」
それはともかく――やることができた。
呪い。そして事故。
単なる偶然なのか。それとも背後に何かの策謀が紛れているのかは知れないが――。
(白神一刀流に、敗北の二字はねえ)
いずれにせよ、さぱっと斬り下ろすだけだ。それしかない。
◇ ◆ ◇
「……は? 呪い?」
「ああ、何か聞かせて貰えますか?」
思い立ったなら早い。
できれば周囲の聞き込みから行いたいところであったが、実際に何か起きているなら彼女たちから離れるべきではない。
そう考えて直ちに護衛に舞い戻れば――若干不貞腐れた様子のジゼルが、片眉を吊り上げた。
「呪いって……いや、それってなんか関係あるの?」
「可能性がある。何か心当たりはないスか? 恨まれてるとか……妬まれてるとか……」
「心当たり、ねえ……」
ぶつぶつとジゼルが小声で呟く。
やはり大舞台に立つからか、そこでの競争も多いだろう。
これだけで何か掴めるとは思えないが、情報を得ぬことには始まらない。かのユリウス・カエサルもそう言っている。
そして、
「ないわね」
「ない」
「ええ。だって私は夢を与える仕事よ? そんな、恨みとか妬みとか――どうでもいいでしょう?」
どうだ、と胸を張るジゼルに思わず黙らざるを得なかった。
残る三人に目を向ける。
「んー? イングリッドちゃんはそーゆーの分からないしー……」
「ぼ、ぼくは全部こわい……こわいこわいこわい……こわい……」
首を捻る金髪のイングリッドと、俯き加減の黒髪のシグネ。二人にも思い当たるところはないようだ。
となれば、残るは……
「ええと……その、ロタールさんとか……ピピンさんとか……ジルドレッドさんとか……」
「心当たりが?」
「その……呪いをかけられた後に、相次いで亡くなって……」
「呪いを……かけられた?」
呪術師――そんな言葉が頭をよぎった。
思わず目をやったジゼルは、なんでもなさげに肩を竦めていた。
「なによ。そりゃ、確かに呪いはかけられたわよ。いつだっけ? なんかどこかの街で公演をしたときに、黒ずくめのやつから――『我がなんちゃら』がどーとか、『その魂には素質がどーこー』とか。で、あんまり訳判んないこと言ってるから『仕事の依頼なら他所でやりなさいな』って」
「……」
「そうでしょ? 再上演の準備もあるし、私のことを待ち望んでいる奴もいるのよ? どーしてそんななんちゃらかんちゃらとワケ判んないこと言う奴に時間を取ってやらなきゃいけないワケ?」
「……それは、〈永劫に真に尊きもの〉とは言ってませんでしたか?」
「んー、そだっけ? 私、どうでもいいことは基本的に覚えてないのよね」
危機感が足りないと言おうか――心底興味がなさげに呟くジゼル。なんでもなさそうに髪を掻き上げ、口から短い吐息を漏らす。
だが、護衛を務める以上は詳しく聞かねばなるまい。困り顔のリアーネを見やった。
「その……確かにそんなことを言っていたと思いますし……あとはジゼルさんに断られるなり、『災いが降り懸かるだろう』って言って……」
「……ああ。邪教徒っスね、きっと」
既に一度、因縁をつけられている身だ。覚えは確かにあった。
その場で手を出してこないのが気がかりではあったが、奴らは根本的に群れなければ何もできない類いの奴だ。大元に自信というものが欠如しており、勇気というのが欠損している。
となれば、人目に付く場所での騒動を嫌う可能性もあるだろう。
「……なんでそのことを、先に言ってくれなかったんスか?」
「アンタは相手によって対応を変えるの? どんな時でも私たちを守る――なら、別にこんな情報要らないでしょう?」
「……」
「それに、こんなの別に珍しい話じゃないからね」
「は……?」
「旅をしてるのよ? それぐらいの危険は皆承知の上でしょ! 逆に私は覚悟もないのに何故旅をするのか――そう聞きたいわ! そう、旅の一座はいつも危険とは隣り合わせなのよ!」
自信満々にジゼルが胸を張った。彼女という女性は、恐れとは無縁のようであった。
それとも、やはりその言葉の通りに劇団一座は皆それほどの覚悟をしているのであろうか。そうなれば、まさに見上げた覚悟と気構えだと言うほかなく――
「せんぱーい! イングリッドちゃんは怖いでーす!」
「ぼ、ぼくもやだ……やだやだやだやだ……」
「わ、わたしもちょっと……」
……ゆっくりと、もう一度ジゼルに顔を戻す。
「……そう、覚悟してるのよ! 皆、旅の危険をね!」
「してねえっスよ」
「してるのよ。いいわね?」
「うす」
凄んでくる彼女のその背中には自負が感じられる。彼女だけには。
やはり大方はそんな覚悟と無縁であり――だからこそ、護衛という仕事の責務は果たされねばならないのだ。敗北は許されない。
それから僅かのち。一行は、会議室のような一室で動きの練習に努めている。
いつでも抜き放てるよう鞘に手をやりながら考える。
邪教徒――そして、呪術師。
触手使いのこの身が言えたことではないが、日々を暮らす何の関係もない無辜の他者を巻き込んでいる邪悪の奴ばらだ。かくなる上はもう、剣によって答えを付けるしかないだろう。天下の災い、万民の大敵であった。
(……先輩とセレーネにも、知らせられりゃあいいけど)
一度、騒動を起こしている身だ。
あの場に居たものは全て片付けたが、どこから話が漏れるかは分からない。叶うなら討ち入って一門全てを壊滅させたいところであるが、あまりにも情報が少ない。
なんにせよ、ひとまずは注意を呼び掛けるしかあるまい――そう思っているときであった。
どたん、と。大きな音がした。
湿っぽい黒髪を投げ出して、赤目の少女――シグネが床に転げていた。
「いたい……ううっ、いたいいたいいたい……むりむりむり……」
助け起こすべきか。
鞘から手を放したもうその時には、ジゼルが早かった。額から溢れる汗にも構わず、手だけを拭って倒れ込むシグネを助け起こしている。
「ジゼル……うぅ、ぼく、やっぱり無理だよ……失敗しちゃうよ……」
「大丈夫、無理なんてことはないわ」
「でもぉ……だってぼく、失敗ばっかり……」
弱音を吐こうとする彼女の前で、ジゼルは大きく首を振って否定した。
「無理じゃないわよ! いい? 今のは失敗したんじゃないの。『上手くできないやり方』を発見したのよ!」
「ジゼル……」
「シグネ。アナタは動くのが苦手かもしれない。でも、その声は会場のどこへだって届くわ。アンタは駄目な子なんかじゃない。ただ、人より多くの『上手くいかないやり方』を発見しただけよ。そう……何も悪いと思うことなんてないわ!」
「ぼく、ダメな子じゃ……ない?」
「ええ! この私が保証したげる! アンタはその発見の分、人に誇りなさいな! 人よりも多く、上手くいかないことを知ってるんだって……それでも上手くいかせようとしてるんだって!」
「ジゼル……うん、ぼく、がんばるね」
「ええ、その調子よ! その気持ちが大切なのよ!」
どうやら、手を貸す必要はなかったらしい。
吐息を一つ。彼女たちの邪魔にならないように、また距離をとる。
暫くそうしていた時だった。汗で額に緑色の髪を張り付けて、覗き上げるようにリアーネがやってきた。
「あの、シラノさん……そんなに練習、観ていて楽しいですか? わたしも失敗――じゃなくて上手くいかないことが多いから、観ていても……面白くないんじゃないですか?」
「……いや、こういうものを観るの自体が初めてなんで」
門外漢なので、何が上手いとか――何が下手だとかは分からない。
ただ、彼女たちが努力をしているということは伝わってくる。それだけのものを積んで、誰かに見せようとしているということが。
「ふふ、じゃあ……わたしたちは、どうですか?」
「……凄いと思う。尊敬します」
「尊敬……ですか?」
「うす。あれだけの動きなのに笑顔でいようとしている……きっと、人に笑顔を届けるためなんですね。……俺には、逆立ちしたってできそうにない。凄いな、と思います。尊敬します」
「尊敬……そんな風に言われると、少し新鮮です」
「……いえ」
結局それきり、言葉が続かない。かといって無理に話しかけて彼女たちの邪魔もできない。
練習に戻っていくリアーネの背を見つめていれば、お呼びがかかった。
「シラノー! シーラーノー! つーきーびーとー!」
「なんスか?」
「ちょっと付き合いなさい。次の演目……アンタの意見が聞きたいわ」
「うす。俺でいいなら」
ジゼルはあれだけ汗を掻いているというのに、一向にその態度を崩そうとはしない。常に背筋を伸ばして堂々としていたままだ。
周りの皆は、小休止ともいわんばかりに膝に手を当てて休んでいる。それを見計らったというのか――さて一体何が起きるかと思えば、大きな手ぶりを付けながら彼女は口を開いた。
「話はこうよ? 夜半、昼間の戦で疲れ切った街の中――主人公は友人の代わりをする形で、見張りに立つの。とはいっても戦いにはならないだろう、と言われているような場所ね?」
「うす」
「そこには飲んだくれの男が居て、その男と二人きりで見張りをすることになった。きっと何も来ない……そう思っていたわ」
「うす」
「だけど、敵軍は抜け目がなかった。裏切り者から話を聞いて、警備が手薄なその場所に大軍でやってきたの。そして……彼らは言うわ。『投降しろ』『そうすればお前らの命だけは奪わない』……と」
「……」
「正直なところ、街の人々はこの戦に勝てるとは思えていなかったわ。敵があまりの大軍で、率いるのはかつて街の有力者として居座って――そして国から追い出された悪漢で強力な魔剣使いよ。その街のことなど知り尽くした敵。復讐にやってきた敵」
「……」
「主人公たちが声を上げれば、街の中の守兵は騒ぎに気付くかもしれない。そして戦いになるかもしれない。……だけれども、本当に勝てるのか。隣の酔っぱらいはもう逃げ腰で、自分が生きることだけを考えている。……でもそこで、主人公は言うの」
スゥ――とジゼルが息を吸う。
その瞬間に雰囲気が変わった。身に纏っているのはあのドラゴンキメラゾンビセイレーン少女のものだというのに、神々しい何かが降りたようであった。
刃の如く目を細めながら、大きく腕を開いた彼女は声を上げる。
「『おお、恥ずべき悪漢よ。この私に退けと言うのか。この街を見捨てろというのか』。『この私に、乳飲み子から母を奪い、乙女から伴侶を奪い、妻から夫を奪う』――『そんな金貨を手にしろと言うのか』」
「……」
「『そんな金貨を手にしたところで、父祖の遺灰を踏みにじり、老母の涙に背を向けた男に――果たしてこれからどんな愛を語れと言うのか』」
「……」
「『聞くがいい、悪漢よ』『恥ずべきその手から皆を守る為に死ぬ――それに勝る生き方が、この世のどこにあるというのだろうか』」
「……」
「『いざ、恥ずべき悪漢よ。金貨を手にした悪漢よ。魔剣を掴んだ悪漢よ』『そして同胞よ、我が勇敢な同胞よ』『我が名はウルウェヌス。父なき子のウルウェヌス』『我が名に従い、私は今ここに――この剣を執ろう』ってね。
……アンタも魔剣とは戦ってるんでしょ? こういうとき、アンタなら大体どんな気持ちになるのか教えてくれない?」
唐突に演技の気配が掻き消えたジゼルが、宙を掃くように手を回しながら問いかけてくる。
しばし黙った。演技というのは門外漢だ。ましてや、語りというのは更に苦手である。前世で見聞きしたものを伝えられたならジゼルの力に慣れたかもしれないが――上手いところ伝え方が思い浮かばない。
どうしたものかと口を噤む。その間も、彼女は真剣な眼差しで待っている。
他人の人生をなぞるだけの言葉では、その思いに応えられそうにない――少し首を振って、やおら口を開いた。
「この話だと街っスけど……たとえば、仮の話として……明日世界が終わるとするじゃないですか」
「うんうん、明日世界が終わる……それで?」
「きっと、それでも俺はその日も剣を執ります。誰かに一緒に戦ってほしいわけじゃないし……心の底からそうすることが素晴らしいことだと思っている訳でもない。なんの意味もないかもしれない。それでも、俺は剣を執ります」
「……」
「俺がそうすることで――同じようにしてくれる人が居るかもしれないし……もしそんな人が誰もいないとしても、それでも俺は剣を執ると思います。自分にできるなら、そうします」
ぐ、と赫い拳を拳を握り締めた。真の意味で己のものではなくなった腕だが、籠められる力は変わらない。
腕を組んだジゼルが、僅かに黙してから口を開く。
「なんでそうするの? 誰も味方になってくれない……そんな状況で、それでも戦うの?」
「大切だから……ですかね。多分、守りたいというのは……そういう事なんだと思います。嫌なんスよ、守りたい誰かが泣いてたり悲しんでたりするのは……嫌なんです」
「……」
「誰かに味方をしてほしいんじゃないです――俺が誰かの味方になりたいんです」
言いきって、そのまま続けた。
「たとえどんなにその人が諦めそうになっていても……どんなに挫けそうになっていても……それ以外の皆もそうだろうとも、俺だけは絶対に戦う為に立ちます」
「……」
「ほんの少しだけでもいい――俺がそうすることで誰かの絶望を拭えるなら、誰かの希望になれるっていうなら……俺はそうします。きっと、俺は剣を執ります」
「……」
「当たり前の明日は来ないのかもしれない……でも、『当たり前の明日が来てほしい』『当たり前が欲しい』って願う気持ちを守るために――俺は戦います」
「気持ちを守る為に……戦う」
「俺だけは最後まで、そうし続けます。俺は、最後までその想いの味方であり続けます。……そうしたいと思ってる」
「最後まで……味方で……」
うまい言葉にならず、悔いるように頭を掻いた。
「……すみません。なんか変な感じで」
「いや、いいわ。……そうね、この主人公は正しいことをしたかったんじゃない。味方をしたかったのね……自分が育ち暮らした街と、その人々の」
「その……同じかは、自信がないんスけど」
「いいわ! 最後の味方! 面白い解釈で……気に入ったわ! すごくいいわ! 気に入った!」
手を叩いてジゼルが頷く。どうやら、何かの閃きには繋がる助けになれたらしい。
安堵を息に変えて背を向けようとすれば、そんな彼女の呼び声がかかり、
「誰かの気持ち……想いの守り人。最後の味方。私、そういうの――嫌いじゃないわよ?」
爽やかなウィンクを飛ばされた。
なんとも言えず、また頭を掻いた。
◇ ◆ ◇
キン、と闇の中で花が咲く。火花だ。光の花だ。
アレクサンドの跳ね上げる槍斧――ハルバードの穂先が、男の槍を巻き取った。そのまま踏み込んだ突きが男の腹部に打ち込まれ――脊椎一本でかろうじて繋がっているような死体に変えた。
打ち掛かる盾を持った剣士を、その盾ごと跳ね飛ばす。鋭い斧刃と込められた横薙ぎの質量は、盾を二つに折って男の上半身を千切り飛ばした。
止まらぬ。
闇に煌々と照る火炎球を盾で受け逸らし、踏み込むは一歩。石畳が砕け勢いが殺されたが、たかが魔術士の防壁など砕くには十分。
常人十二人分の重心移動を込めた刺突を受け取った男の上半身は、無残に胸骨を砕き散らし臓物を巻き飛ばして、壁に打ち付けられて死んだ。
これで都合八人。
魔剣使いでもなき敵など物の数ではない。余人が居たなら血を凍らせるだろう空を裂く音と共に血振りを行い、そして斧槍を下ろす。
「……ふむ」
次は来ない。これで、〈信奉者〉とやらも打ち止めだろう。
「サシャ」
「ノエル。私はアレクサンドだ」
「ええ、サシャ。それで……昔の仲間の方たちは、どうだったんですか?」
二つに括った錆びる銀髪を踊らせて、“剣人甲冑”を解除した〈擬人聖剣・義製の偽剣〉が問いかけてくる。
僅かに黙し、アレクサンドは重く口を開いた。
「消されていた。呪術師の仕業なのか、それとも実力行使なのかは判らぬが……皆、消されている」
「……厄介ですね。情報は、得られませんでしたか」
「逆に言うなら、情報を外に出さない為にともとれる。……旅の一座の諜報能力は、この国でも有数だからな」
国を統治するのに最も必要なのは情報だ。
然るに、王室も旅の一座に手のものを紛れ込ませていた。そうして市政を把握し、国を動かすのだ。
それが、次々と消されている。
その目的は何か。どんな手段で葬ったのか。そも、如何にして突き止めたのか――。
疑問は尽きない。こうなってくれば、些か手詰まりとも言える。
「どうしますか?」
「そうだな。……俺は詳しくは聞いていないが、あの一座にはもう一人いるらしい。その人物と接触できれば、或いは……」
「なら決まりですね。接触をお願いします」
淡々と告げながら襲撃者の死体を一纏めにするノエルに、アレクサンドは問いかけた。
「ノエル。君は来ないのか?」
「人混みは嫌いです。人間も嫌いです。……僕は、近付きたくない」
「そうか」
何かを隠すように黒い風除け布を締め直したノエルに、アレクサンドは僅かに頷いた。
人体と合一する魔剣。最も近代に、魔術的な観点から作られた魔剣。鍛冶でないものが作り上げた唯一の魔剣。
そんな彼女の心中はアレクサンドとて察せない。否、そも人が人を理解できるなどというのが思い上がりなのだ。それが致命的な誤りを生む。
「……だが所詮、俺はただの刃だ。俺は一振りの武器だ。そうとしかなれないし、それだけでいい」
「サシャ、武器は僕です。兵器は僕です」
「む。そうだったな……」
「あなたは使い手です。間違えないで下さい。……僕に、勝利をくれるのでしょう?」
「ああ」
勝利を――。
その為にアレクサンドは生きているのだ。ただ、勝つ。その為だけに積み上げているのだ。
ならば迷う必要はない。斬るべきときは、殺すしかないのだから。
◆「アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その四」へ続く◆




