第三十三話 アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その二
基本的に、冒険者が冒険の裏取りをする必要はないと言われている。
まず冒険者組合というのも公の許可を受けて運営される組織である。そうなる以上は、信用や信頼というのは非常に重要な案件だ。
そこに信の置けない組織となってしまうと、誰も組合に仲介を任さなくなる。生まれるのは個人契約での傭兵依頼である。
依頼人は前金を持ち逃げしない冒険者を探すハメになり、冒険者は不払いを決め込まない依頼人を探すことになり、組合は仲介料を貰えず、国家は上納金を貰えぬばかりか治安が悪化し税収が下がる。
健全に生きていく上では、誰も得をしないのだ。
信用というのは、ともすれば単純な金銭よりも重いものである。それは個人の感情を超え、既に集団の中の機構の一部となっていた。
『竜や怪物、外敵を倒すのは騎士の仕事であるが』――――『しかし、魔物を倒すとは言っていない』。
そんな方便が、冒険者制度の前提である。
かつて竜の大地を席巻した帝国の崩壊以後、魔剣の王というものが台頭し全土を戦火に広げた――つまりは“穢れ”による汚染で覆い尽くした。
かの王により神殿は焼かれ浄化の技術は散逸し、そして待ち受けていたのは少ない生存区域に押し込まれた人の争い。
その中でも追放刑を受けたもの、或いは棄民、或いは争いに破れた土地の騎士崩れたち――――彼らは飛び地になった生存区域を行き来する商人の護衛として身を立てることとなる。
もしくは、僅かながらの希望を胸に帝国の遺産を探して遺跡に飛び込む者たち。
治安維持や受け身の防衛ではない、有機的な移動護衛や攻勢となる探索者――彼らが冒険者の前身であった。
そんな人々が作り上げた互助会の如き情報網は、領主の手に余る――領主や騎士が手を出さぬ案件に関する、いわば民間的な軍事力となる。
帝国の崩壊から五百年。
社会的な役割を得たそれらは根深く定着し、そして今再び浄化の技術を復権させた王国による認可の果てに――国家の公認を受ける民間軍事委託所という形になったそうだ。
つまり何が言いたいかと言うと――。
「ねー? アンタさー、聞いてる? 早く果物買ってきてよ。喉が乾いたんだっていってるでしょ? ねぇ、聞いてんの?」
騙された。そうとしか言えなかった。
……確かに聞いていた。あからさまに騙すことはなくとも、やはりその中には割に合わない仕事というのはいつだって付き纏い、それを上手に見分けたり判断したりすることが冒険者として重要なことであるのと。
なるほど道理だ。今、身を持って知っている。
これはアンセラの非にあるまい。見抜けなかったシラノの非である。
……ともあれ。
「……悪いけど、買いには行かないスよ」
「は? なんで? 誰がアンタを雇ってると思ってるの?」
「言われた通り俺はその、雇われた護衛って奴なんで。……護衛が護るべき相手から離れたら、仕事にならないスから」
何にせよ契約の成り立ってしまった仕事である。
そして仕事である以上、真剣に臨むべきだ。
文句だの後悔は終わってからすればよい。そんなものは今日を乗り切ってからでいいのだ。それまでは依頼の通りに本分を果たすべきだろう。
「……はぁ? こっちはさー、来る人は礼儀正しいって聞いてたんだけど?」
「言いなりに機嫌をとって、それで危険にさらす訳にはいかないんで。……これを礼儀知らずってんなら改めます」
「ふぅーん?」
値踏みするような目線を向けたと思うと、濃い桃紫色の長髪を翻してリーダー格と思しき少女が踵を返した。そして、おもむろに仲間を手招きする。
「リアーネ。アンタどう思う?」
「ええと……仕事にはしっかりされてそうな方ですね……」
「イングリッド、アンタは?」
「んー? 何か空気重そうだねー! つまんなそー!」
「シグネ、アンタは?」
「……歌劇とか、興味なさそう……むりむりむり……こわい……やだ……」
「賛成一、保留一、反対二ね。……って、やだー。何よー、割り切れないじゃないこの人数」
そうして露骨に溜め息をついたかと思うと、今度はつかつかと踵を鳴らしながら近寄ってきた。
「はっきり言って聞いてた話と違いすぎるんですけど。……何か言いたいことはある?」
「……」
「あったら特別に聞いたげるけど? ま、聞いてあげるだけだからね? ……なんかないの?」
「……結果は剣で示します」
「ふぅん? 自分を安売りするつもりはないって? でもそーゆーの間に合ってるのよね。前に来た護衛なんてわかる? さんざん自分は本職だって威張り散らして、山賊が来た時に真っ先に逃げたのよ? 相手が魔剣を持ってるからって」
「……なるほど」
興行で全国を回る以上、目は肥えている――というよりは冒険者とも顔を合わせる機会が多く、だからこその慎重さを持っているという訳だ。
そのまま、少女から試すような灰色の目線が向けられる。乗り切らなければ、ここで依頼自体が取り消される可能性もあり得た。
僅かに黙考し……そして結局は大したことも思いつかずに、そのまま口を開く。
「……それでも、剣で示すとしか俺には言えないです」
「へぇ? 敗北宣言?」
「いや……ただ、付け加えるとしたら」
「なに?」
「魔剣がもし現れたら……そうなったら、腹ァ破けてでも俺は魔剣に勝ちます。白神一刀流に敗北の二字はない」
ただ、そうとだけ言い切った。
負けるつもりなどない。言われずとも、言わずとも二言はなかった。負けてもいい――そんな余裕で生きていくほど、悟りきっていないのだ。
「ふぅん、根性論ってヤツ? へぇー?」
「……」
「さーてーとー? ここは公平にみんなの意見を聞きたいと思うんだけど、どう?」
僅かに愉しむように何か当てつけめいた流し目をシラノに向けつつ、食虫植物や毒性植物じみた騒々しい髪色の少女が辺りを見回し言った。
「リアーネ?」
「わたしは……その、しっかりと守って貰えるなら、それが一番だなって思います」
「はいはい、見事に優等生の意見ね」
新緑の若木めいた、僅かに癖のある緑色の髪に緑色の瞳。――伸び始めたばかりの天を目指す苗木の印象。
「イングリッド?」
「んー、もう少し笑いません? 堅苦しいと肩がこっちゃうんだよねー。なんちゃって!」
「その無駄な大きさの胸のせいでしょ、胸の」
ふわふわの金髪と桃色の瞳。そして緊張感とは無縁そうな笑顔。なおその胸部は豊満である。――天真爛漫なヒヨコ頭の風情。
「シグネ?」
「むりむりむりむり……帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい……ぼくには無理、ぼくには無理」
「一座が家で、一座が家族よ。いい加減慣れなさいよ」
長い袖で口元を隠した赤面気味の赤目の少女。黒い長髪を後ろで結んで、俯き加減に片目を隠している。――じめじめした日陰の小動物の気配。
そんな三人を存分に見回した少女は、実に高慢そうに腰に手を当てながら指を突き出してきた。
「わかった? 聞いての通りよ? ここにはアンタの味方なんていないから。やめるなら今のうちだからね?」
「やめないですよ。一度受けた依頼だ。……務め、果たさせて貰います」
「ふぅーん? ……イングリッド、どう?」
「えー? うん、嘘は言ってないかなー。あと、怒ってもないですねー」
「……え。ウソ。怒ってもないの? 本気で?」
「そですよー。全然怒ってないんだよねー。強いて言うなら……『ここで命懸けろって言うならいつでも死にに行く』って感じですー? あ、でも『死にたくない』はちゃんとあるっぽいですね」
「なにそれ。本気?」
「マジですよー。マジマジ」
改めて、まじまじと全員から眺められる。先ほどまでの敵意に似た感覚は薄れていた。
そうなると、ここにきて若干の居心地の悪さと後ろめたさを感じた。なにせ、全員が全員顔がいいのだ。普段一緒にいる面子も美形である以上忘れがちだったが、思えば今話しているのはアイドルである。
何とも言えず目を逸らして後頭部を掻いた。美少女の中に男一人。改めて思い知らされたようで、気まずさが勝る。
「あ、今はこれ照れてますねー。……照れてる? 得意じゃない? 気まずい?」
「今は、ってことはさっきまでは別にそーじゃなかったの? ……へぇー」
「ジゼル先輩どーしましたー?」
「別に? ……さて、で、アンタ。シラノでいいんだっけ?」
「うす」
頷いて肯定して――、やはり違うなと首を振るう。先手を打たれたが、そうではない。
「シラノ・ア・ロー。数えで十七歳です」
「十七歳? もう冒険者として一人立ちしてるの、じゃあ?」
「……剣豪です。よろしくお願いします」
「あ、剣豪……ふぅーん?」
「なんスか?」
「別に? なんでもないから」
「うす」
値踏みするように見られるのは慣れないが、どうやら先ほどまでのような緊張感がなくなっていた。最低限のお眼鏡には適ったらしい。
「ま、アンタが本気って言うのは判ったわよ? 本気で魔剣相手にしても負けるつもりはない。本気で命懸けで戦う……そーゆーことでしょ?」
「はい。まぁ、俺にできる範囲なら……」
「できる範囲が命懸け? へー、うん。へー、いいじゃない! 私たちの為に命懸け? ふふん、熱心なおっかけってコト? 関心関心……握手したげよっか?」
「いえ……それはまぁ、違うというか……」
「は?」
今まで名前も顔も知らなかった。そう言ったら殴り飛ばされそうである。
かと言って、嘘を言うわけにもいくまい。イングリッドという少女が何やら見抜く力を持っているというのもそうだが、ここで余計な嘘をつくのは何よりも相手にも失礼である。
「その……仕事を通して、まぁ……もっとあなた方を知っていけたらと思います」
「へぇー? 仕事を通じて私たちと親密になりたいってこと? ふーん? ふぅーん?」
「まぁ……」
「へぇー、かわいいとこあるじゃない! となったら、コキ使ってあげないとね! うん、光栄に思いなさいな? 私の付き人よ!」
「……うす」
ひとまず、話は纏まったらしい。
そうして改めて自己紹介を交わし合い、二三言を告げて退室した。
部屋の外に出ると、曇り水晶窓の向こうから作業員や団員の喧々としたやり取りが聞こえてくる。普段は誰が使うこともなく寂しく佇むだけと聞く公民館も、今やすっかりと祭りの準備めいた喧騒の中にいる。
壁に背を預けて吐息を漏らした。ただ会話しただけというのに、思った以上に体力が奪われた心地だった。
◇ ◆ ◇
歌劇の由来は聞いていた。
しかし、その実態がどうであるか――そこについてはあまり詳しくない。正直なところ、片田舎の山に篭っていたのだ。詳しくなる筈がなかった。
話の事前にアンセラから聞いた、大まかに分けた三つの事柄。
一つが形式。
個別の劇場でほぼどこかに移動することなく上演を行うのか、それとも慰問公演や巡回公演と称して王国中を巡るのか。その大きな二つの形式の違い。
一つが規模。
我が身一つで芸を行うものもいれば、最低限の小道具を持ち運ぶものもおり、更に進むと派手な仕掛けや大道具を連れて動く一座までもいる。
魔術の力――いわゆる『加重』の効果によって、地面に対する反方向の力を与えられる。無論ながら魔術士が不可欠であるが、それを一座に引き入れるか或いは雇って遣うというのは、それだけで力がある劇団である。
一つが格調。
簡単に言うなら神話や伝承の再現を行う劇団というのは格調が高く、ある英雄譚であったりお伽噺を行うのはそれよりも下。その中で、役者による動きの比率や魔術を使った演出が増えるほど庶民向け――という区分がなされていた。
この辺りは、神殿がその広場に根ざして講義を行ったのか――というのと、或いは吟遊詩人や歩き巫女を起源とするのか――というのとが違いの遠因らしい。
そして今、護衛を務めることになった一座というのは、
「それで、まぁ……ここの男衆が荒事担当かな。ま、普段やってるのも大道具の組み立てや展開だからね。そりゃあ、力には自信があるってモンよ! 上演中なんて、ド派手に動くからな!」
「……うす」
「はっはっは、やっぱり男ってのは腕っぷしよ! 最後にものを言うのはこいつさ! 魔術だなんだ、そんなもん唱えるよか殴った方が早いからなあ!」
頭に手ぬぐいを巻いた壮年の男が、笑いながら力こぶを作る。元々が骨太なのか、確かに筋肉の付きはよい。そこらの街のチンピラぐらいなら、どうにかできそうではあった。
この一座は、より庶民向けのものだ。つまりは諸国を漫遊する楽団であり、必然的にそこには荒事に備える力を伴ってくる。団員がまた、一座の防衛を兼ねているらしい。
頭数も多い。周りを見回せば、大方が似たような格好で腕まくりをしている。確かに、おいそれとはいかないだろう。
……と、
「はは、んなこと言って死ぬんじゃねえぞ! おめえが死んだらこっちの仕事まで増えらぁ! あのお嬢がたが気を使ってくれるわきゃあねえからな!」
「うるせえハゲ! てめえより髪の毛の分長生きするわ! 大人しく彫刻でも刻んでろや!」
「黙ってろ、茹でタコ助め! お嬢がたに胃に穴でもあけられてろい!」
シラノを跳び越す形で、ガヤガヤと荒っぽい会話が行われる。
肩を跨いで飛び交うやり取りにどうにも慣れずに首を竦めていれば、唐突に背中を叩かれた。そのまま、笑いながら石の仮面を持った男は去っていく。
なんとも空気感が違う。冒険酒場とは、また風情が異なっていた。
「……ったく、あの野郎め。ついこないだもデカい彫刻を作れたって調子に乗ってるんだよなあ……ったく、何が『お嬢がたの御守りを頑張ってろ』だ。なぁ?」
「あ、ああ……はい。そうスね……」
「おいおい、しっかりしてくれよ? あのお嬢がたの面倒をお兄ちゃんが見てくれるんだろう? 今からそんなザマじゃあ、先が思いやられちまうよ?」
「……は?」
「ん? お嬢連中の護衛なんだろ? だったらほら、四六時中ついて回るってことだ。いやあ、この間までは丁度いい旅の二人組がいたんだけどねえ……目的の場所についたってなると、早々にいなくなっちまうし……薄情だねえ」
「……」
嘆かわしい、と赤ら顔の男が首を振った。
その言葉に引っ掛かりを覚えた。ついこの間までは別に護衛がいた――それはいい。だから代わりにシラノが選ばれた――それもいい。
だが、自前で員数も確保できる筈の一座で、その中心人物の以前の護衛がただの旅の道連れだった――だと?
「……あの、ひょっとしてなんスけど」
「なんだい?」
「あの人たちの御守りって……誰もしたがらないんじゃないっスよね……?」
まさかな、と目線をやった。仮にも劇団一座で、仮にもその花形女優。仮にも歌も歌えるし踊りもできる、この座にとってはまさしく主役の四人組なのだ。
男が困ったように頬を掻く中、
「おおい、用心棒のお兄さん! 花形さんたちがお呼びだよー!」
これまた頭に手ぬぐいを巻いたまだ年若い団員が、大手を振りながら駆けてきた。
顔を見合わせた。気まずい沈黙が満ちて、
「ニイちゃん、これ。ハチミツが入っててな、元気が出るんだよ」
「……うす」
革の水筒を手渡されながら、噛み締めるように瞼を閉じた。
「おーそーいー!」
そして部屋に入るなり出迎えたのは、毒々しい髪色のジゼルのけたたましい高音域での批難だった。
ガラスのコップを置いておいたら割れるのではないか。そんなレベルの高周波めいている。
「アンタ、私たちの護衛なんでしょ!? 私たちを置いてどこに行ってたのよ!」
「いや、この辺りの見回りに……場と状況を把握しないと、戦いにもならねえと言うか……」
「はぁ? 戦い? ここ、野外じゃなくて街の中でしょ!? なんの戦いに備えるの!?」
「……」
まさか、正直に言える筈もない。口を噤むしかなかった。
そして、無言を好機と見たのだろう。吠えかかるように、ジゼルはそのまま畳み掛けた。
「そーゆーこと言うならアンタさぁ、大事なのは私たちの護衛でしょ? もし今の瞬間に不審者が私たちのところに来てたらどうしたわけ? 仕事失敗よ? それでも見回りを優先したの?」
「……道理スね。すみません」
「わかればよろしいっ! というか私に口答えするんじゃないわよ。私の応援団なんでしょ? 親衛隊になりたいんでしょ?」
「………………………………うす」
誤解であった。ただ、無理に訂正して気分を損なわせる必要のない誤解であった。
「ジゼルせんぱーい、そんなイジメちゃ駄目ですよー。ほらほら、この人困ってますよ? そういう音がしますもん!」
「変なとこで力使うんじゃないのよ、イングリッド」
「力じゃなくて体質ですもーん」
「口答えすんなってば!」
そのまま、きゃいきゃいと目の前で絡み合いが始まる。
……さて。剣術に無念流や無刀流と名前がつくのは、剣を使わぬからだとか殺人技を廃したからとか、そんな理由ではない。実に単純な話だ。無念無想――所謂、無我の境地に至らんとすることを目指している流派と掲げた為だ。
無念とは雑念を湧かせぬこと。そして、無想とは余計な心の働きがないこと。この二つが合わさって、即ち己を一つの剣撃に変える剣禅の境地に達することができるのである。
白神無念流と名付けるべきだったか。それとも白神天心流と名付けるべきだったか――――そんなことを考えていれば、一際大きくジゼルの甲高い声が割り込んできた。
「で、聞いてる? だからこっからアンタの役目なんだけど……」
「うす。……なんスか」
「……イングリッド?」
「はい、せんぱーい! こりゃー、こやつ聞いてませんでしたね! 聞いてませんでしたよ! そんな音がしますって!」
ジゼルから明らかに逆鱗に触れたとも言わんばかりの目を向けられた。何も言えず、ただ黙るしかない。
また口撃が始まるのか。やはり役者だけあって、長台詞には慣れているのだろう――どうしたものかと目を逸らそうとしたその時、新緑のような緑髪の少女――リアーネがポツリと言った。
「……シラノさんって、なんていうかその……その道の方ですよね? 凄い冒険をしてるなら……その辺りを詳しく聞けたら、何か舞台に活かせるんじゃないかなあって」
「そーそー。それよ、それ。ってわけで、何か演技の足しになるかもしれないからね? ほら、聞いたげるから言いなさいよ。アンタの冒険譚って奴を」
「うす。……とは言ってもな」
鉄板ネタ、みたいなのは無い。
言うだけで場を明るくできる話があるなら良かったろうが、生憎とその手のことには不得手だ。
だが、問われて応えぬ訳にもいかぬところではあるし、
「まずは――」
ごほんと咳払いと共に、ここまでの長きに渡る冒険譚の幕を上げた。
「――そんな感じで。まぁ、女の子を囲んでいた連中の中に魔剣使いが居て……」
やはり、慣れぬ自分語りというものが上手く纏まるはずがない。結局は思い浮かぶままに掻い摘んで順番に喋りながら、都度都度思い出したことを補っていくばかりだ。
相手から促されたことではあるが、聞いていて退屈ではないだろうか……そう彼女たちに目線をやってみれば、
「そ、そこからどうなったんですか? 女の子は?」
「すっごー。王子様じゃん王子様! 騎士様イイよ~コレ!」
「うわぁ……ほんとにそんなことする人いるんだ……うわぁ……」
「……ふん。まぁ、冒険はしてるってワケね。それで?」
何たることだろう。それでも、聴衆の感触というのは悪くなかった。
触手剣豪としての道を極めたら、或いは途中で両目を失明したら、琵琶法師になるのも悪くないかもしれない。仏師になるのとどちらか悩みどころである。
語りだした物語もいよいよ佳境、魔剣使いとの直接対決である。
「ああ、そこから――――」
ふと気付いた。
これまでは上手いところ話に挙げずに運んできたが、よくよく考えてみれば結末ばかりはそうはいかない。
何せ、その辺りのチンピラを倒したという話ではない。魔剣使いを倒したのだ。これには説得力が必要だ。投石とは訳が違う。
そして、触手使いというのはオフレコだ。
となると、言えることは……
「そこから……」
「そこから?」
「………………こう、相手の魔剣を折った」
「は?」
「折った」
四人の笑みが顔に張り付いたまま止まった。
しばしそのまま見つめ合って、そして、ジゼルが口を開く。
「……どうやって?」
「横から、こう……折った」
「横から」
「ああ、折った。折ろうと思ったら折れる」
そうだ。考えてもみて欲しい。形あるものなのだから、それは壊せるのだ。
魔物だってそうだ。人型をしている。実体がある。斬れる。つまり、殺せる。理屈は分からんにしろ斬ったら殺せるのだ。生きているなら斬れば死ぬ。道理だった。
なので、魔剣というのもこの世に形あるものが故に――壊せる、壊せるのだ。
存在している以上、決して破壊できないなどという法理はない。これはこの世の摂理である。万事に続く法則である。天地自明の真理であろう。
つまり、これ以上ないほどの説得力ではないだろうか。
「なんで肝心なとこがド下手くそなの?」
「盛り上がりませんね……」
「ぼく……寝ていい?」
「んー……あー、ごめんっ! 寝てた!」
「……」
辛辣だった。聴衆は辛口だった。
「……あのさ、他の話してくんない? なんかないの? ドラゴンを倒したとか、ヤバイ級の魔物を倒したとかさー」
「ああ。……居たっスね、竜も」
「え!?」
「戦ったことあるんですか!? 倒したんですか!? 凄い、どうやって?」
「ええと……槍衾で動きを止めて」
「槍衾」
「こう……それで上からその首を――」
そうして語るのは、竜との血戦。魔物百番勝負。月下の死合。邪教徒退治に、ダンジョン奥での果し合い。
どれも一つとて楽なものなどなかった、まさに命懸けの死闘であったが――。
「……アンタ、役者には絶対向いてない。これマジで。声の調子も単調、表情もあんまり変わらない、手の演技もかなり駄目で……語りに臨場感が欠片もない。さいってー……誰もお金払わないでしょ……」
「なんで面接されてんスかね」
不本意だった。目指しているのは役者ではなく、剣豪なのだ。
◇ ◆ ◇
公民館の棟と棟の間に作られた中庭は、がやがやと騒がしい野外作業場と化していた。腕を捲り、時には上衣をすっかりと脱ぎ捨てた男たちが道具作りに精を出す。
巨人の為の衝立めいた折り畳み型の三面壁。朝、昼、夜――壁面に描かれた風景と人力で昇降する太陽と雲の仕掛けが、架空の空模様を作り出す。
あるいは、船の舳先と波を模した板切れの組み合わせ。舞台に置いておけば、あっという間にそこが大海原に早変わりするという訳だ。
何も彼らも、ここで組み立てを行うつもりではない。長旅で傷んでいないか、その調整を行っているのだ。
「おう、お疲れ兄ちゃん! どうだった?」
「いえ……まぁ……」
結局、あれから何度呼び出されたろうか。
剣士の動きが見たいと言われては素振りをさせられ――「……上から振り下ろすしかないの?」
敵に攻撃をかわされたらどうするのかと問われ――「…………え、本当に上から振り下ろすしかないの?」
相手の攻撃をどう躱すのかと打ち掛かられ――「………………また上から? そう、上から振り下ろすだけなのね……」
最終的に向けられたのは居た堪れないという目だけであった。
まるで、初めて火を手に入れたばかりにあらゆるものに着火をするようになった原人を見るような視線である。
「まぁ、ほら。折角の冒険者だからな。こことは違う、外の話を聞いときたいんだろ。お嬢がたもさ」
「……うす。それはまぁ、大体は……」
護衛する筈の人員が固定の人間ではなく、旅の道連れを選ぶ――――そんなことへの理屈はついた。
まずは情報の収集を兼ねて。そして、彼女たちの興味の為に。
だからこそわざわざ外からの護衛を集めているのだろう。ともすればうら若き乙女にとっては危険があるかもしれないが、そこに加味されるのは思考か感情が判る――会話によれば音として――イングリッドの力。
その結果、雇われた人間からの粗相を受けることもなく、彼女たちは目的を果たせるという訳だ。
興味を満たし経験談を得るという、その目的を。
「……まぁ、仕事なんで。俺にできることなら、やらせて貰います」
「はぁ、兄ちゃん真面目だねぇ……」
「いえ……」
シラノは馴染みがないが、彼女たちには相応にファンが――彼女たちを望んでいる人間もいるのだ。ひょっとすると身近でも、アンセラやフロー辺りもそうかもしれない。
そのような人たちの想いを踏み躙る訳にもいくまい。
彼らの多くは依頼の背景と無関係であり、また、この街の騒動とも無関係なのだ。
何より、あの邪教徒の如き天下の大敵の思うままにさせるのもよろしくない。確かに正直気乗りがしないのは事実だが、それと仕事から手を抜くかはまた別の次元の話だ。
「で、なんで兄ちゃんはここにいるのかね? お嬢がたからなんか頼まれたのかい?」
「はぁ。いえ、着替えるんで『出てけ』……と」
「……建物からも?」
「建物からもスね」
「……あー、それで手持ち無沙汰でこっちかい? はは、何ならちょっと手伝って貰いたいってモンねえ! どうだい? 折角だから舞台裏の経験もしてみねえか?」
「それは、機会があれば……。すみません、実は用事があって……いくつか話を聞かせて貰えますか?」
「ん?」
不思議そうに首を捻る男を前に、深呼吸を一つ。それから、言った。
「何かこの街に入ってから……それとも入る前から、おかしなことはありませんか?」
「おかしなこと?」
「ええ、なんでもいいんスけど……。何か変わったこと……普段と違うなと思ったことがあるなら、聞かせて貰えたら……」
そう伺うと、男の顔色が変化した。僅かにではあったが、確かにその目に別の感情が混じったのだ。
何かある。いや、何かあったというべきか。
すでに何かが起きている――そう確信するには十分であった。
「呪い……いや、あれは……」
「呪い? 待った。その話、詳しく聞かせて貰っても――」
見逃せまい。
そんな気持ちで身を乗り出したその時であった。
「シーラーノー! シーラーノー! つーきーびーとー! シーラーノー!」
独特の甲高い声が聞こえた。間違いない。ジゼルである。
大道具の男と顔を見合わせる。話を聞くべきだ――そうも思うが、彼女を放っておくと機嫌を損ねるのは確実だ。
どうするべきか。そう迷うその間に、ジゼルが辿り着いていた。
「あ、いたわね! なんでこんなとこまで来てるのよ!」
「出てけ、と言われたんで……」
「それでどーしてこんなとこまでくるの? 建物の外の壁に張り付いてなさいよ! ぴったりと! そして私が着換え終わったら出迎えなさいな! 付き人なんだから!」
「……」
女子のいる建物に張り付いて着替えが終わるのを出待ち。おお、なんたるあくなき羞恥心と忍耐力の限界に至る苛烈な忍者修行だろうか。
この中に異世界の軽犯罪法に詳しい方がいるなら教えていただきたい。妙齢の婦女子のいる建物に張り付いて聞き耳を立てながら着替え終わるのを待つ……そのような行為が果たして許されるのだろうか。
というか普通に死罪だ。士道不覚悟により切腹である。あと社会的に死ぬ。
それとも剣豪をやめて忍者に鞍替えしろというのか。触手ニンジャに。ひどい。わりとすぐにやられそうだ。
「なーにー? なんか文句あんの?」
「いえ……」
民の反乱よりも冷めた紅茶を気にするかの如き、女王の気質の瞳であった。圧政を敷き、恐怖政治を行う……そんな気配が覗いている。
だが、唐突に変わった。急に稚気溢れる深層の令嬢の目に変わり、おもむろに髪を掻き上げながら得意げに笑いかけてくる。
「それで、どう?」
「どう、とは?」
「よぉーく見なさいったら! これよこれ! 衣装よ衣装! 次の舞台のい・し・ょ・う! ほら、特別よ? 聞いたげるから感想言いなさいな!」
「ああ……」
言われて、マジマジと見る。なんというか……言語化しづらい。とても難しい。
なんというか……奇抜というか、奇矯というか、控えめに製作者の頭がラリっているとしか思えなかった。
全体的には黒と赤を基調にした、現世で言うところの軍服を少女向けに仕立て直したような若干厳しい衣装だ。縁部分が赤い黒スカートは短く、その下ではブーツ用らしき丈長のソックスをガーターベルトで釣っている。
まず、これだけで驚きだ。服飾のレベルが凄まじい。所謂前世での中世とは比べられないほどの匠の技。なんというか、文化が違う。文明が違う。
それだけでかなり目を見張るものだが――というか、そこだけならかなり目を見開くものであり、手放しで感嘆の声を上げていただろう。
だが、違う。違ったのだ。
なんというか――……一言で言うなら骨だ。
デザインが骨と肉であった。
「ふふーん、どう? 言葉も出ないってワケ? ありがたく思いなさいよ? 付き人だから特別なのよ。これが私の応援団だったら三日は息してないわよ? そう、この尊さで!」
「……うす。ジゼルさん……その、一ついいっスか」
「なぁーに? あ、台詞? それともこの服来て踊るとこが気になる? それとも歌? 聞きたいのかしら?」
「いえ……その、これ……どんな役なんスか? あと、どんな脚本なんスかね……」
聞かれたジゼルは満面の笑みで胸を張り、
「まず一つ! 題して『たった一人の最終決戦』! こっちは私が主役!」
「おぉ……!」
「そして次! 『竜の巫女に恋した黒騎士』よ!」
「おぉ……!」
「ふっふっふ、抱き合わせ上演ね! 以上!」
「以上」
以上の筈があるか。なにせ格好が異常なのだ。
そう、何故だか左半身でだけ所々が骨めいた白色に塗られたコルセットと手袋を纏っている。
コルセットの白と白のその間は桑の実の色というか、エグい生肉の色というか、つまりはまあドドメ色だ。
パッと見ると、脇腹の肉が丸見えになっておまけに骨まで露出している風に思える。紛うことなきゾンビである。
「あ、ごめん。正しくは『竜の巫女に恋した黒騎士~許嫁は三人いる!~』よ?」
「許嫁は三人いる」
「そう。そして私がその内の一人……許嫁のドラゴンキメラゾンビよ!」
「許嫁のドラゴンキメラゾンビ」
「正しくはドラゴンキメラゾンビセイレーン少女ね!」
「ドラゴンキメラゾンビセイレーン少女」
何たる破壊力な単語であろうか。実はメカとかついてやしないだろうか。ナチスが絡んでやしないだろうか。
それは恋愛ものではなく、どちらかと言えばモンスターパニックなのではないか。Z級のモンスターパニック。恋愛要素アリ。しかも所謂ミュージカル。
凄い。色々な意味で凄いとしか言えなかった。
「さあ、褒めなさい! たっぷりと私の美しさと頼もしさと儚さと煌めかしさを褒め称えるのよ! 何度でも! たっぷりと! ふふん、その栄光を許したげるわ!」
「うす……」
「いいのよ! ほら、褒めることを許すわ! 褒めなさいな!」
「うす……」
ふと思った。
自分は何をしに来ているのだろう。
果たして仕事とはどんな意味を持つだろう。
お金を稼ぐというのはどういうことなのだろう。
実に哲学的な問いかけである。なんというかもっとこう、斬ればさっぱりと分かるという事象はないのか。いよいよこうなってくると、魔物相手に斬り結んでいたことの方が恋しく思えてくる。
だが、折角彼女なりに歩み寄ろうとしているのだ。それを無碍にするわけにもいくまい――――。
そう、空を見上げたときだった。
「おい、逃げろ! 危ないぞ!」
背後から誰かが叫ぶ。
ぐらりと、揺らいだのだ。三面の大壁の上に吊り上げられていた太陽。それを模し造った材木の複合材――強固な舞台美術の看板が、斜めに傾いた。そして、縄から外れる。
木製とはいえ、人間三人が両手を広げたほどの大きさがある。存分のその質量――その身に与えられた重力加速度を存分に受け取った偽物の太陽は、たとえ偽物とはいえ人には過ぎた凶器へとその身を変えた。
「お嬢!」
「えっ――」
その真下。
上空からの影に照準され、その接近に呑み込まれて黒く染まるジゼルの肉体はあまりにも華奢で、
「イアーッ!」
がきん、と。
けたたましい音が辺りに響き、そして吹き上がった風が止む。恐る恐ると瞼を持ち上げる彼女や、咄嗟にジゼルを庇った大道具の男は無事だ。へたり込んだその頭上の寸前で板切れは止まっていた。
白神一刀流・外法ノ二――“白神空手・金剛鉄囲”。
覆い尽くす木板を下から押し支える右の赫腕――瞬く間に鋼鉄並みに硬化したシラノの触手混じりの右腕が、落下物を押し留めたのだ。
「……大丈夫スか」
「お、おう……あんた、見かけによらずにすげえんだな……」
「……いえ、まぁ。それとは別に鍛えちゃいますけど。……それより、早く」
「お、おう……悪いな!」
ぐぐぐ、と太陽を斜めに支え上げ続ける。直角に庇った腕が、木板に半ばめり込んでいる。
触手一本で人間一人分の働き――単純な計算では、今のシラノの右腕は人間二人分の膂力を発揮する。おまけに鋼鉄の強度である。右腕一本という狭い面積に限れば、些か苦しいとはいえ決して押し上げられぬ道理はない。
だが、そんな力を受けた肝心の大道具は無残にも歪んでしまっていた。色を塗られた木板は割れ、庇った腕の形に破壊を受けていた。
心中で詫びた。この分では、作り直しになるだろう。
「ぬ、抜けたぞ! もう大丈夫だ兄ちゃん! あんたも早く!」
四つん這いに抜け出た大道具係から声が飛ぶが、しかし、どうしたものか。
長い木板の半ばで止めているのだ。
そして困ったことに、腕がだいぶめり込んでしまっている。一度腕を外すためにこの重量を持ち上げ、そして支えながら脱出しなければならないのである。
……右腕以外でこれを支えるのは無理そうだ。
いっそ誰からも見られないこの死角であれば、腕から爆裂させるように突起を生じて砕き散らした方が早いだろうが――僅かに首を振って思い留まった。
この程度の傷なら、まだ作り直しがきくだろう。だが、完全に破壊してしまえばそうもいかなくなる。
彼らが丹念に手入れし、使い続けた道具だ。それを無下に扱うことがどうにも気にかかり――
「……私が支えよう。貴殿は、早くこちらに」
耳朶を打つような、甘い低音の響きが背後から聞こえた。
振り返れば、そこに居たのは激しく不景気そうで不機嫌そうな男であった。ただ不機嫌――というよりは不覚と不幸と不毛を嘆きながら、そんな不本意さを眉に深く刻んだというか……ともかく、激しく眉間の皺の深い武骨な男だ。
無意識に常に結んでそうな口が動き、また一言発する。
「私はこの程度の重さには慣れている。貴殿が気にする必要はない」
訥々とした喋り方であった。無理に怒りを押し殺している、とすら見える。
僅かに気がかりではあったが……言葉の通りならば折角の気遣いなのだ。ここはそれに甘えるべきだろうと、小さく呟き半液状化させた右腕を引き抜く。
そして男の真横を目指す中、僅かに……立て板から何か甘ったるい匂いがした。そんな気がした。
「ア、アンタ……すごいじゃない! 本当にスゴ腕の冒険者だったのね! なによ、先に言いなさいよ! いや、本当……何よこれ、アンタ本当すごいわね!? 何!? いや、こう……すごいわね!?」
「……ども」
「ここまでやるなんて……本当すごいのね、アンタ! さっきは空を支える巨人の彫刻みたいだったわ! こう、やるわね! かなり気に入ったわ!」
「いえ……」
「あ、あとその…………その、あのさ、その、あ、ありが――ええとその、か、感謝してあげるわ! そう! 光栄に思いなさい?」
「うす」
半ば興奮気味なジゼルを前に、大道具の男へと目配せした。彼女は女優だ。この一座の主役だ。万が一でも怪我があってはならない。
男も察したのだろう。小さく頷き返してジゼルを押しやっていく。大丈夫だと叫びながら退場していく彼女に本当に何の傷もなければ、それが一番であるが……。
懸念はある。だが、今のシラノの興味の対象は一人だった。
棺桶めいた黒い大箱を背負った、黒と金の入り混じる髪の偉丈夫。一見すると均衡のとれたしなやかな立ち姿であるが――その衣服の下から盛り上がる局所局所の筋肉は、男が断じてその辺りの酔狂者などでないと知らせるには十分。
印象で言うなら、黒き鋼鉄であった。この世の悪意の大河の中にすら、ただ身一つで立っていられる――それほどの自負と研鑽を感じさせる男である。
「……」
強い。他のことは一切分からぬ。だが、それだけは確信を持って言える。
今ここで触手抜刀を放っても果たして通じるか――俄かにそんな思いが渡来した。あくまでもただの勘でしかないが、その無駄のない立ち振る舞いと確かな鍛錬を感じさせる身体つきが知らせてくる。ともすれば、セレーネ以上である……と。
知らず汗が滲んだ掌を拭い、差し出した。男がどれほどの実力者かとはいえ、まずは手を貸されたことへの礼を通さねばなるまい。
「……ありがとうございます。お陰で助かりました」
「いや……私は偶然居合わせただけだ。貴殿ほど、素早く動くこともできなかった。……あの二人を助けたのは貴殿の実力だ。私はそれに少し手を添えたに過ぎない」
「いえ……それでも、ありがとうございます」
「……ふむ。貴殿がそう言うならば、固辞するのが無礼と言うべきか」
見間違いかもしれぬほど僅かに口角を上げながら、男が首肯する。それを見て、シラノも緊張を解いた。
「ここで会ったのも何かの縁だろう。……私はアレクサンド。訳あってこれしか名乗れないが、よろしく頼む」
「俺はシラノ・ア・ロー。剣豪です。……よろしくお願いします」
もう一度固く握手を交わしながら――。
大道具係が口にした“呪い”という言葉。そして、突然の事故……。その二つが、心の中で渦巻いていた。
◆「アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その三」へ続く◆




